縁起の継続という輪廻〜私たちは個々の人間としての彼らにではなく、彼らの神話的な役割に期待している | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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T理論では輪廻転生自体をまずは否定しています。

これが第一層です。

死後の世界が仮に存在するとして、それを知覚するための脳神経系はすでに荼毘に付されているわけで(火葬だけではなく鳥葬でも土葬でも)、壊れやすいアミノ酸の織物でしかない神経回路もモーダルチャネル(五感)もすでに失われています。

ですので、仮に存在していたとしても、認識できないのです。

そして認識できないばかりか、思考という計算もできないのです。脳というコンピューターが失われているからです。

この点は物質主義者の王であったこの方も同意するでしょう。

c.f.脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れたら、動かなくなる。そこには死後の世界も天国もない。 2018年03月15日

 

 

自分のブログから引用します。↓

 

ホーキング博士は脳はコンピューターのようなものだと言いました。

部品が壊れたら、動かなくなる、と。

 

だからこそ、壊れたコンピューターに死後の世界も天国もなく、それらは闇を恐れる人々のおとぎ話にすぎない、と。

 

I have lived with the prospect of an early death for the last 49 years. I'm not afraid of death, but I'm in no hurry to die. I have so much I want to do first ... I regard the brain as a computer which will stop working when its components fail. There is no heaven or afterlife for broken down computers; that is a fairy story for people afraid of the dark.

As quoted in "Stephen Hawking: 'There is no heaven; it's a fairy story'" by Ian Sample, in The Guardian (15 May 2011)

(私はこの49年間、早死にすることを覚悟して生きてきた。死は恐くないが、死に急ぐことはない。 その前にやりたいことがたくさんあるのだから・・・。脳はコンピューターと同じで、故障すると動かなくなる。故障したコンピューターに天国や死後の世界はない。それは暗闇を怖がる人のためのおとぎ話だ。)(DeepL翻訳)

 

しかしコンピューターにとって重要なのは、そのシリコンでもカーボンでもなく、計算です(万能チューリングマシンであり、エミュレーターですね。移し替えることが可能ということです。我々の脳はまだエミュレートできませんが。出してきた数式を理解しようとすることはできます)。

 

アインシュタインではないですが、Equationsは永遠に不滅です。

 

Yes, we now have to divide up our time like that, between politics and our equations. But to me our equations are far more important, for politics are only a matter of present concern. A mathematical equation stands forever. (Einstein)

(そうです、私たちは政治と方程式とで時間を分けなければならなくなったのです。 しかし、私にとっては方程式の方がはるかに重要です。政治は目先のことでしかありません。数学の方程式は永遠に続くのです。(アインシュタイン)(DeepL翻訳))

(アインシュタインがイスラエルの二代目の大統領に推薦されたときの回答です)

 

 

引用終了。

 

その意味では死後の世界とか復活というような意味での輪廻転生は存在しないと言って良いと思います。

 

でも一方でT理論の螺旋階段を一つ上がると、別な光景が浮かび上がります。

 

あの世は死後にあるのではなく、いまここにある、と。

 

存在しないのは、いや存在するけど知覚が難しいのはむしろ「この世」です。それは波動方程式という情報の中に存在します。我々が目の前の世界を認識した瞬間にそれは情報です。情報でしかないのです。

 

*螺旋階段というと思い出すのが、バチカンの螺旋階段。

僕も覗き込みました。

 

この議論を哲学の「唯物vs唯識」と読み替えても良いのですが、その前に我々の「物」に対する理解がアップデートされ、「認識」に対する理解がアップデートされたことを踏まえるべきです。

 

あの世についての定義もアップデートされたところで、僕らは禁断とも言える「輪廻転生」についてもアップデートしなくてはいけません。

それはシン・TENET(新しいプリンシプル)に基づいたアップデートです。

 

輪廻とは役割の継続のことを言います。

 

たとえば海老蔵を勸玄くんが引き継いだらそれは輪廻なのです。

ダライ・ラマがダライ・ラマを継いだときに輪廻であるように。

それは異なる人間、異なる人格であることは重々承知で、その上で役割を引き継ぐのです。

縁起の継続なのです。

それが輪廻です。

 

 

 

この縁起の継続としての輪廻について、ジョーゼフ・キャンベルはこう言います。

 

(引用開始)

 

判事が法廷に入ってくると、みんな起立しますが、それはその人に敬意を表するためではなく、その人が帯びている責任、その人が果たそうとしている役割に対して敬意を表しているのです。その人を与えられた役割にふさわしいものにしているのは、その役割に伴う原理原則の代表者としての当人の誠実さであって、その人個人が持っているさまざまな先入観や偏見ではありません。(略)私たちは個々の人間としての彼らにではなく、彼らの神話的な役割に期待している。ある人間が裁判官に、あるいはアメリカ合衆国大統領になったとき、当人はもはやその人ではなく、恒久的な役職の代表者なのです。その人はいま自分が果たすことになった役割のために、個人的な願望を犠牲にし、さまざまな生活や生命の可能性さえも犠牲にしなければなりません。

 

(引用終了)

 

判事が法廷に入ってくると起立するのは、判事の中の人への敬意ではなく、判事という役割への敬意であるということです。

その「神話的な役割」への期待であり、敬意なのです。

 

ヒーラーやメンターも同じです。

 

ヒーラーになると決めたその瞬間からヒーラーという恒久的な役職の代表者なのです。

自分が望み、自分が果たすことになった役割のために、自分の個人的な願望は犠牲にすることを厭わず、ジョーゼフ・キャンベルの言うように様々な生活や、生命さえも捧げなくてはいけません(捧げる覚悟ではなく、捧げるのです)。