世界中が反対したとしても、自分の中で見つけた真実のようなものを掘り進めていけば、それがもし間違いだったとしても、人生に悔いはないのです。その過程もまた苦しみに満ちていたものだとしても、楽しみに満ちているのです。
逆に正解が分かっているつもりになって、人を出し抜いたつもりになって、うまくいく道を自分の意図に反して歩いてしまうと、もし大成功をおさめたとしても、虚しさに囚われた不幸な人生となるような気がします。
だからこそ、
「己が正しい場所にいるかが全てだ。そこにいれば人は自ずと勝つ」
*ありとあらゆることを想定して考え続け、考え抜いたものが勝ちの世界ながら、本質的には運を味方にできるかというのが、ヒーリングにも通じる世界観のように思います。
勝ち負けで考えてしまうのは、男の子的(週刊少年ジャンプ的)世界観ですが、言いたいことはおそらくは「己が正しい場所にいるかが全て」なのです。そしてそこにいれば、そこから出なければ、「自ずと」果実を手にすることができるのです。
これは山岸秀匡さんの「無限 No Limits」にも通じる感覚です。「これ」というのは「自ずと」の部分です。
山岸秀匡さんは、No Limitsについて、こう語っています(以前も紹介しました!)。
c.f.No Limitsとは自分という人間が、必然的に夢に近づいていくように環境を整えていくという意味 2022年01月10日
(引用開始)
私が考える「限界を定めない」とは、闇雲に突き進むという意味ではありません。
自分という人間が、必然的に夢に近づいていくように環境を整えていく、という意味です。
(引用終了)
*僕自身は尊敬する人の自伝というのは、マルクス・アウレリウスの「自省録」から(いや、これは自伝ではないですが)、ロニー・コールマンの「YEAH BUDDY!」まで全部読むと良いと思っています。
「自ずと」は「必然的に〜近づいていくように」という部分と重なります。
闇雲に突き進むという意味ではなく、戦略的に環境を整える作業なのです。
その結果として、必然的に近づいていくのです。いや、必然的に夢に近づいていくように環境を整えるのです。
この感触が重要かと思います。
「まといのば」では蓋然性を上げていくなどと表現します。確率を上げていくのです。
あくまでも確率なので、失敗する可能性はあります。でも我々は結果を取りに行くのではなく、結果が得られる環境を整え、蓋然性を上げ、そして「正しい場所に」居続けることしかできないのです。
これがヒーラーとしてのマインドセットです。
(だからこそ「武士は食わねど高楊枝」です。←ココ重要です。やせ我慢は必須科目なのです)
間違っても結果を操作することができると思わないことです。
それがヒュブリス(傲慢)であり、過信です。いや、最初のうちはそういう万能感を持つことは重要です。
しかし、ヒーラーが仕事になり、ヒーリングが日常になり、奇跡や魔法が通常運転になったときには、マインドセットを切り替えましょう。というか、早くそこまで駆け上がりましょう。
奇跡を起こす側へ、魔法を起こす側へ移動しましょう(その華やかな舞台の裏側は、赤いピルを飲んだあとのネブカドネザル号のような牢獄みたいですがw)。
あるよ。奇跡も、魔法も、あるんだよ。(魔法少女まどかマギカ)
*これはファンによるMAD作品。公式ではありませんが、やはり圧倒的ですね。
*新編が2013年なんですね。時間は無情に流れますね〜。まどマギのTV版は2011年です。
c.f.エフィカシーなどいらない?!まどマギと美魔女考 2012年10月21日
c.f.「すべてが奇跡であるかのように生きる」〜奇跡も魔法もあるんだよ、という呪い〜 2014年11月26日
c.f.【PPAP】奇跡も魔法もあるんだよ、、、、でも熱力学の第二法則もあるんだよ 2016年11月06日
c.f.呪術は奇跡を起こさない。十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない?奇跡も魔法もあるんだよ! 2017年07月31日
c.f.あるよ。奇跡も、魔法も、あるんだよ。十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない 2017年08月18日
c.f.「奇跡も魔法も、あるんだよ」でも、どこにあるのか分かっていないと妄想の暴走で終わるんだよ 2019年01月26日
とは言え、「己が正しい場所にいるかが全てだ。そこにいれば人は自ずと勝つ」という言葉はこんな言葉を思い出させます。
真逆の考え方です。
それが、
「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」
です。
これまた懐かしいですね。
c.f.われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。 2016年04月09日
こんな詩でした。
わたしたちが正しい場所に
花はぜったい咲かない
春になっても。
わたしたちが正しい場所は
踏みかためられ かたい
内庭みたいに。
でも 疑問と愛は
世界を掘りおこす
もぐらのように 鋤のように。
そしてささやき声がきこえる
廃墟となった家が かつてたっていた場所に。
イェフダ・アミハイ「わたしたちが正しい場所」(村田靖子訳)
それぞれの正義やそれぞれの正しさをめぐっての争いの場、それぞれの「わたしたちが正しい場所」には花は絶対に咲かないのです。そこは踏み硬められた不毛の大地なのです。
「わたしたちが正しい場所」というのは、主体が集団なのです。我々なのです。それはリアルな我々であるがゆえに、ニーチェの言う通り狂気になりがちです。
狂気は個人にあっては稀有なものである。だが集団、党派、国家、時代にあっては通例である
c.f.狂気は個人にあっては稀有なものである。だが集団、党派、国家、時代にあっては通例である(ニーチェ) 2019年03月01日
繰り返しになりますが、「わたしたちが正しい場所」というのは、主体が集団なのです。
集団思考は一気にIQが下がります。
(現在蔓延しているとされる症例に関する全く非論理的で非科学的な狂気の様はまさにその好例です。人はすぐに忘れる生き物です。「放射線はどうした?」と言いたくなります)
c.f.疲れたと感じたら、考えない、思わない 2011年03月16日
c.f.意図して落ち着きを取り戻すために 2011年03月16日
c.f.情報をいかに効率的に収集するか? 2011年03月18日
*311の2日後の収録、3日後の配信です。
支配者たちが大衆を操作したいと思う理由はここにあると僕は思っています。大衆は放置すると、Bank Run(取り付け騒ぎ)的なパニックしかしないと思っているのです。人類の叡智を一瞬で破壊するのは、狂気の集団だと。だからこそ、奴隷にして支配するしかないと思っているのだと予想しています。
Dr.Stoneの設定は天災的なるものですが、Bank Run的な破壊については、オルテガがこう言っています。
つまり、彼らの最大の関心事は自分の安楽な生活でありながら、その実、その安楽な生活の根拠には連帯責任を感じていないのである。彼らは文明の利点の中に、非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築とを見てとらないのだから、自分たちの役割は、それらをあたかも生得的な権利ででもあるかのごとく、断乎として要求することにのみあると信じるのである。飢饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである。
(p.82 オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)
僕自身はそれ(支配者による世界支配)は醜悪なものと思いながらも、その支配にもたれかかって、選民思想的に身近なメンバーとだけ、ノアの箱舟に乗ろうと思っているという、より醜悪な思想の持ち主と自認しています。自分がコントロールできることにフォーカスするならば、それが必然的な解だと今は考えています。
その集団思考の結果として、思考停止に受け継がれ踏み硬められた土地が「わたしたちの正しい場所」です。
そこは踏み固められて硬いのです。芽が出る柔らかさはないのです。
でも、己の正しい場所とは幾度も幾度も掘り起こされた土地です。
疑念が次々と湧き、他人を疑い、自分を疑い、自分の直観を信じ、時間に延々と翻弄され掘り起こされた土地なのです。
疑問と愛によって幾度も掘り起こされた土地です。
【書籍紹介】
先日も紹介しましたが先程引退を決められた山岸秀匡さんの自伝は素晴らしかったです!
ロニー・コールマンとも山岸秀匡さんは競っています。同じステージにいるというのが本当にすごい。
かつて尊敬されていた偉人であった野口英世の生涯です。
これは書籍ではないですが、ガンジーの生涯を描いた傑作映画として。
c.f.この気功技術は1日1回やればいいですか? 2012年01月25日
そしてこれは多分にエンターテイメント的な誤解に満ちているとは言え、モーツァルトの印象を決定的にした傑作です。
c.f.トルストイも私たちと同様、常に未来を望んで掛け替えのないその日その日を前進したのだ(小林秀雄) 2017年12月18日
c.f.Mozart! Mozart! (モーツァルト)許してくれ、君を暗殺したことを(『アマデウス』) 2020年09月24日
音楽家と言えば、パガニーニも!
パガニーニをディビッド・ギャレットが演じています。
c.f.「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」 〜パガニーニとニュートン〜 2014年09月18日
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