狂気は個人にあっては稀有なものである。だが集団、党派、国家、時代にあっては通例である(ニーチェ) | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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ユニコーンがいるなら、未来もすでに存在しているはずです。そしてその「未来」は明らかに我々に圧をかけてきます。

 

プレッシャーをかけてきます。

 

未来がそろそろ来るので、変化しましょう、というプレッシャーです。

 

たとえて言えば、お出かけをする前に、急いで準備をするようなものです(むしろわかりにくいかもw)。

 

 

未来は厳然と存在するので、その準備を我々は急がなくてはいけません。準備ができなかった場合は、お出かけができないのです。その場合は、未来へたどり着けず、終わります。未来は時間の関数であると以上に、パラダイム・シフトの結果であり、人によって地域的によって、度合いが変わるものでもあります。

(たとえば、ジャレド・ダイアモンドの『昨日までの世界』はその事実を如実にあらわしています)

 

(引用開始)

このように、ニューギニアはある面では、六〇〇万年におよぶ人類の進化の歴史からみると、「昨日までの世界」を映した窓といえる(ここでは私は「ある面」という点を強調しておきたいーーいうまでもなく、一九三一年当時のニューギニア高地も、昨日のままの変わらない世界ではなかったからである)。過去七五年間に高地で起きた変化はすべて、世界中の他の社会も経験しているが、世界の多くの地域ではその変化はもっと早い時期にはじまり、しかもニューギニアよりゆっくりとしたスピードで進行した。もちろん、「ゆっくり」というのは比較の問題である。最初に変化が現れた社会を取り上げたとしても、六〇〇万年という歳月に比べれば、一万一〇〇〇年という時間はいかにも短い。基本的にわれわれ人間の社会は、最近になって、急速に、大きな変化に見舞われているのである。(ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界(上) ー文明の源流と人類の未来ー』)

*1万1000年かけたものを75年で通り過ぎるのはまさにタイムリープのようです。

ここまで極端でなくても、我々も猛烈に未来へ移動しています。

 

村に一台の黒電話はつい最近まであり、街頭テレビもつい最近のことです(そもそもテレビが1950年代に始まりました)。

 

 

セミナーでも話題に出た気送管も、新聞社でかつて実際に使っていた方が受講生にいらっしゃいました。そのころはおそらくまだ普通にデスクでタバコが吸えた時代です(電車内に灰皿があり、飛行機の中でも吸えました)。

 

三世代くらい前だとまだ洗濯機がなく、桃太郎のおばあさんと同じく川で洗濯をしていました(実際に本人からそう聞きました。洗濯機が出たときは真っ先に買ったそうで)

 

By Hexafluoride - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

*2017年現在でもまだ気送管を使っている病院はあるようです。

以前も書きましたが、電話交換手はつい最近までいました。

ワトソン君の学習の仕方、A.I.×Ai、「ハドソン川の奇跡」は、奇跡でも魔法でもなく 2016-10-27

 

同様にComputerとはあの機械のことではなく、計算をひたすらに行う女性の職業のことでした。

 

そのComputerたちによる映画がこちらです!

 

*彼女たちは正確に未来が見えていました。すなわち、自分たちコンピューター(計算手)が新しいシリコンのコンピューターに駆逐されることがわかっていて、むしろ積極的に手を打ちます。

*アポロ計画の最中にもNASAでは計算尺を使っていました。関数電卓が出てくる前の手作業の概算の関数電卓が計算尺です。

 

 

携帯電話というとショルダーバッグのような時代があり、ポケベルが未来の象徴でした。

 

いやいや、別にここで懐古主義に陥りたいわけではないのです。

我々の視点を少し広げるだけで、急激な変化というものを感じられるということがポイントです。

 

1950年より前にはテレビはなく、携帯電話は1980年代がスタートです。

インターネットは90年代です。

我々にとっての当たり前はつい最近出てきたのです。

 

サイバーセキュリティ担当大臣が「パソコンは使わない」「USBって何ですか」と言ってしまうのも分かる気がします(いや、わかりませんが)。経団連会長の執務室に昨年はじめてパソコンが設置されるのも、、、、分かる気がします(いやいや、意味がわかりませんが)

 

 

逆に視点を広げて見ないと、次の変化に取り残されることになります。

 

過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる(ワイツゼッカー)

 

未来にも盲目になります。

別に過去に対してあえて目を閉ざさなくても、我々には現状維持バイアスがあり、自分が当たり前だと思っていることは、大昔からあったような気がしてしまうのです。

 

それは「どこに住むか」「なにをするか」「誰とするか」を自分が自由に選ぶということも同様です。

 

(引用開始)

ほとんどの人は、生涯で少なくとも三つ、重要な決断をする。どこに住むか、何をするか、だれとするか。われわれは、町や地域を選び、仕事や趣味を選び、連れ合いや友人を選ぶ。これは大人にとってあまりにあたりまえのことなので、こうした決断をするようになった人類は自分たちが最初だということをかんたんに忘れてしまう。有史以来の大部分、人間は生まれた土地に住み、親がしていたことをやり、自分と同じことをする人たちと付きあった。(引用終了)(ダニエル・ギルバート『明日の幸せを科学する』おわりに)

 

親や親戚が決めたお見合い相手ではなく、自分たちでパートナーを選ぶという傾向はきわめて最近です(その結果として、独身率は跳ね上がっています)。いまのような恋愛をかつては「自由恋愛」と言いました。

 

もちろん、ピーター・ティールもその立場です。

時間が経てば未来がやってくるのではなく、別な系に移動することが未来が来るということです。

 

(引用開始)

突き詰めて考えれば、未来とは、まだ訪れていないすべての瞬間だ。でも、未来がなぜ特別で大切なのかと言えば、それが「まだ訪れていない」からではなく、その時に「世界が今と違う姿になっている」からだ。(引用終了)(ピーター・ティール『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』)

 

未来は全く違うからこそ、そしてそれを知ることができないからこそ、まず第一にすでに目の前にある「未来」はしっかりつかみ(たとえば自動運転であるとか、スマホやPCが消えてなくなることとか、シンギュラリティーはもう通過していることとか、、、マルクス・ガブリエルもその点は同意見でした)、そして、未来の衝撃に備えましょう。

 

 

というわけで、未来がくるので変化しましょうというプレッシャーの内実として、性について書くつもりだったのですが、、、、、ブログの余白が足りないようです。

 

次回以降に持ち越します。

 

単純に言えば、たとえば同性愛や同性婚に対しては、もし万が一にも、差別感情がわずかでもあるならばサクッとシステム1を書き換えましょうということです。

 

未来からプレッシャーは大きいのです。頭で理解するのではなく、腹落ちさせましょう。肚でしっかり納得しておくことです。

 

 

【映画、ドラマ紹介】

アカデミー賞5部門ノミネートされ、4部門受賞したお馴染みのボヘミアン・ラプソディ。

これもまたセクシャリティをまっすぐに取り上げています(ですので、カットされて公開されている地域もあります)。

 

ボーイズ・ラブが美しい。

 

ポリアモリーな3人の関係の楽しすぎるドラマです。郊外に住む夫婦の間に、可愛らしい大学院生が入り込み、奇妙な3人の愛の物語が紡がれます。

 

これらが受け入れられるか否かではなく、慣れることです。

未来からのプレッシャーはもっと大きく、これくらいを試金石にしていてはいけないと迫っていると

本人たちの自由ですし、当然ながら同性婚などは政府のシステムとして可能になるべきなのです。

 

それ以上に受け入れるのが難しいけれども、受け入れなければいけないであろう未来はクローンです。セミナーでも紹介した映画です。

 

クローンとして、オリジナルの人間の臓器提供者として育てられる子どもたちの物語です。

正しいか否かではなく、倫理的にどうこうではなく、まず慣れてしまって、そのあとに考えるべきです(システム1で拒絶したら、システム2で考えようがないので)。

 

そして、もし我々がこのクローンの物語を拒絶するならば、その向こう側では、実際に人身売買があり、臓器売買が公然と行われているにもかかわらずそれを認めることを拒絶しかねません。

 

 

狂っているのは我々自身ではなく、集団なのです。

しかしその集団の狂気を内面化してしまったら、我々自身も狂うのです。

 

(引用開始)「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答えるのは難しい。そこで、前提から始めてみよう。誰もが賛成することはなんだろう?

「狂気は個人にあっては稀有なものである。だが集団、党派、国家、時代にあっては通例である」とニーチェは(狂う前に)書いた。誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものがわかる。それが逆説的な真実だ。(引用終了)

 

「狂う前に」って言うのが良いですね!

 

誰もが信じる幻想を見つけたら、、、というくだりに、なぜティールが哲学を学び、哲学を活かして、世界を切り拓いたのがわかった気がしました。

マルクス・ガブリエルではないですが、哲学者は世界を宇宙人のように観るのです。

 

その視点が未来を切り拓くのです。新しい服を着た皇帝は裸だと叫べるのです。

 

集団の狂気を無邪気に内面化してはいけないのです。いや、無邪気に内面化してしまうので、そこを引き剥がしましょう!!!

 

システム1から根こそぎ書き換えましょう。

 

 

【書籍紹介】