vol.474 神奈川で"鉄博三昧" 小田急ロマンスカーM &京急M (相鉄新横浜線付) | 旅ブログ Wo’s別荘

旅ブログ Wo’s別荘

バイク・鉄道・街ブラ・寺社・ネコ^etc・・
とっ散らかしB級旅ブログ^
~~since 2007.6~~

 昨年の夏、都内私鉄の博物館2館を見学した作をupしましたが、第2弾ですイヒ

今年は当別荘でまだ未訪問だった、神奈川県にある大手私鉄の2館へ行ってきました男の子

 

海老名市にある小田急ロマンスカーミュージアムと、

横浜市の京急ミュージアムを今作で取上げますグッド!

 

これで、常設の博物館を持たない京成と西武を除き、関東大手私鉄全てのミュージアムを当別荘で制覇した事になります^

どんな内容だったのか?早速スタートしますしっぽフリフリ

JR新宿駅・埼京線ホームですビル

この日は午前に小田急、午後は京急の館に行く予定ですが、なぜか小田急に乗らず、JR駅にいます。なぜか?というと、2019年に開通した相鉄⇔JR直通線に初乗車するためです^。↑これから乗る濃紫の車両、相鉄の新鋭車・12000系です電車

大崎から横須賀線に合流、相鉄の終点・海老名駅を目指します。これが開通するまで、一切他社との相互乗入をせず、神奈川県内の地域輸送を担う存在だった相鉄ですが、この連絡線開業によって一挙に都心乗入を実現。同社創業以来の大変革となりましたクラッカー

新鶴見機関区(※JR新川崎駅付近)では、横須賀線の線路でなく貨物線を走るところも鉄ちゃんには+ポイントコスモス

鶴見川を渡ると、京浜東北/東海道線と合流、ここまでは概ねスカ線と同じですが・

鶴見駅を通過後、再び地下の貨物線に入ります地下鉄

そして・

次に地上へ出ると、↑横浜羽沢の貨物駅が見えます目

又々地下へ入ると、JR/相鉄の区界・羽沢横浜国大駅到着。案内画面や音声放送が相鉄のものに変わりますベル

この日は平日早朝だったんですが、一番空いていたのがこの羽沢横浜国大駅付近で、主な通勤方向(※東京方面)とは逆方向だったとはいえ、意外な空きかたでした。車窓から対向ホーム、特に武蔵小杉駅とかを見ると溢れんばかりの人だったので、改めて東京一極集中は凄いなぁとあせる

そして西谷駅で相鉄と合流。相模川の砂利輸送のため敷設された相鉄は、1世紀の時を経て大手私鉄に成長、東京都心への乗入れを果たしました星

終点・海老名駅到着。開業5年目にして連絡線初乗車できました^イヒ

海老名駅は相鉄/小田急/JRの3路線が発着。海老名といえば東名のSAがあるので全国的にも知名度が高いですが、鉄道もなかなか便利な街です^電車

駅前には↑大きなバスターミナル。相鉄バスがトグロを巻いてます^バス

同駅前の商業施設はかなり大規模、↑七重塔まで聳えていますプレゼント

ここの映画館は、駅直結型のシネコンとして日本初設置だったそうです映画

 

-*-*-

ここから本題です^

再び海老名駅へ戻り、同駅隣接の小田急ロマンスカーミュージアムを見学に行きます男の子

相鉄と小田急の駅はすぐ横でくっついてます(※その昔、相鉄は小田急厚木まで乗入を行っていた)が、↑JR駅(※相模線)は少し離れて位置しますウサギ

↑小田急ロマンスカーミュージアムですビル

(※2021年オープン)

コロナ禍の最中に開館したので当初は予約制でしたが、2024現在は当日入館できます女の子

2階受付を入ると、↑エスカレーターで1Fへの順路右下矢印

1階へ下りると『ヒストリーシアター』という、いわば"導入空間"へグッド!

そこには、小田急の歴史をイメージ的に紹介する動画と・

濃茶色がツヤツヤの、創業時の電車・1形(10号)が待っています(※1926年製)

車内には入れないんですが、ドアは開けてあるので車内の写真が撮れますカメラ

この後見ていくロマンスカー車両含め、各車庫等で保管されていた車両を同館に集結させましたしっぽフリフリ

 

そして、プロローグ室を出ると~

第2室が、メインの歴代ロマンスカー展示室ですキラキラ

早速目に飛び込んでくるのが・

お~

懐かしの、引退した形式のロマンスカー展望先頭車が並びます^ニコ

中でも、最も貴重な、小田急の宝ともいえる車が↓

初代ロマンスカー・SE3000形です星

戦後日本鉄道車両史に残る名車といって過言でないと僕は思います。なぜそう言えるのか?

以下、少しWo流に書いていきますクリップ

小田急戦後復興のシンボル的な車両となったこのSE車、快適さに加え、小田原~箱根を1時間で結ぶという同社かねての目標を実現すべく、当時の国鉄と共同開発した車ですレンチ

 

1957(昭和32)年製造、当時国鉄で実用化されたばかりのカルダン駆動をいち早く採用、車体の軽量化にも徹底してこだわったそうです。しかし当時はまだステンレス/アルミで鉄道車両を造る技術が未確立で、やむを得ず鋼製となりましたサーチ

試運転をなんと国鉄の東海道線で行い(驚)、当時狭軌での世界最高速度・145km/hを記録しました。小田原~新宿を67分で運行開始、"1時間の夢"にはわずかに届きませんでしたが、この新型車デビューにより箱根への足は画期的に快適になり、終戦直後から従来車で運転が始まったロマンスカーでしたが、SE車登場で評判が爆発的に高まり、"ロマンスカーの小田急"が世に浸透しましたクラッカー

そして、小田急ロマンスカーの特徴として外せないのが、

↑のような『連接台車』を採用した事。隣りあう中間車の端で1つの台車を共有するという、日本の鉄道では珍しい様式ですひらめき電球

 

↑写真の台車は後年の形式車ですが、SE車で初導入された連接台車は曲線通過時や線路の負荷軽減に効果があるとの事で、後継形式でも採り入れられています。途中駅でロマンスカーの通過に出会った時、線路の継ぎ目を刻む音が独特な事に気付くかもですが、連接台車ならではの音です耳

日本で最も伝統ある鉄道愛好者の団体・鉄道友の会(※1953年創立)が毎年選定し、その年製造の優秀な車両へ贈っている"ブルーリボン賞"を第1回に受賞したのが、このSE車です王冠1

 

形式数が多いJR(国鉄)を除き、各私鉄で過去1形式でも受賞していたらいいほうのブルーリボン賞を、小田急ロマンスカーは過去計8形式で獲得。しかも同賞は『小田急が優秀な車両を新造したので、何か顕彰出来ないか』と、SE車がきっかけで創設された賞だそうです。"名車"ぶりが窺えるエピソードです宝石赤

 

SE車はドア付近だけしか入れませんが、先程の連接台車見本があった10000形(※HiSE車)は、人気の↑展望座席にも座れます。この展望席の指定券、なかなか取れないプラチナチケットです宝石ブルー

歴代のロマンスカーのうち5形式/10両がここで保存展示されていますが、ロマンスカーは現在も数年おきに少しづつ新形式がデビューし、進化を続けています。その魅力は、営業列車に乗ればわかると思いますのでここでは書き並べませんが、わずか1時間程の乗車時間のために、贅を尽くし技術の粋を集めた車両を開発し続け、遂に博物館をつくるまでの名声を蓄積した"小田急の信念"を感じます(※当別荘過去作でも一度乗っています。末尾にリンク)

 

-*-*-

 

ロマンスカー室の片隅で、他社(2社)からの企画展示をやっていたんですが、その2社とは・

1社は、↑国鉄型急行車を動態保存し、企画列車を数々走らせる元気な3セク、えちごトキめき鉄道でしたが、もう1社が僕的には「お~・」と少々驚きました。

 

もう1社は、"JR西日本"でした恐竜くん

今春、特急やくもの振子電車が久々に新造されるのを記念し、関東の人々にも来てもらおうと、この"特急の殿堂"に出展したようです。

当別荘の中国地方作でよく書く『陰陽連絡』の文言を、まさか海老名で見るとは思いませんでした^ひらめき電球

JR西ICカードのキャラ、↑カモノハシのイコちゃんまで出張してましたが、Suicaペンギンが絶大な勢力を誇る首都圏での知名度は低くwあせる、見学客が「このぬいぐるみ何?」と話しているのが時々聞こえてきましたペンギン

 

-*-*-

ロマンスカー展示室の次、順路は2階へ右上矢印

2Fは~

お~

巨大ジオラマです目

新宿から箱根まで、小田急沿線を再現^クローバー

↑小田原城の後ろにはなぜかJRのサンライズ出雲/瀬戸が^

↑リアルな町田駅。JR横浜線の模型もクロスしています^

芦ノ湖には↑海賊船も浮いています(※動きます)^船

新松田駅の↑JR御殿場線との連絡線まで再現。この線を使い、ロマンスカー"ふじさん号"をJRへ乗入しています(※以前の"あさぎり号"が改称)

オペレーターはおらず、自動で運転されています(※一部の車を客席から有料で操作可能)、時間も朝~昼~夜とゆっくり進んでゆきます晴れお月様

なかなか凝ったレイアウトでしたグッド!

ジオラマ室を出ると~

そこは売店^プレゼント

これで館内一周ですリサイクル

屋上に入れるとの事なので、↑EVで昇ってみますロケット

RFは・

小田急海老名駅が一望できるテラスになっています目

同駅には車両基地があります。相模大野よりはやや小規模ですが、↑ロマンスカーも停っていますてんとうむし

海老名駅発着の電車もよく見えます。到着時ホームに流れる、いきものがかりのSAKURAの曲がここまで聞こえてきます桜

あと、同館には小さめの企画展示室や運転シュミレーターもあるんですが、歴史年表や施設関係の展示等、他社の館では"標準装備"に近いものが無く、あくまで館名の通り"ロマンスカーに特化した館"となっています。

なので今作でも、小田急の歴史について今作で詳述するのは控え、小田急については今後、箱根登山線や江ノ電を含め又じっくりやりたいと思うので、その機会に譲りたいと思います^本

 

以上、小田急の館でございました。あとにしますグッド!

 

-*-*-

次は・

海老名駅から再び相鉄に乗って・

横浜駅へ移動ビル

1年ぶり位で降りたんですが、駅ビルのリニューアルが完成したようで、いつもどこかで工事をやってた同駅、ようやく一段落したのかなはてなマーク

東口からポルタ・そごうを通り抜け、さらに日産の本社も通り抜けると~

京急の本社ビル(※↑写真左側)があります。みなとみらい地区の端にあたります。近年、京急が品川から当地に本社移転したのを記念し、同ビルの1階にミニ博物館を開設しましたビル

名は直球で、『京急ミュージアム』です星

見学は2024現在、午前1回/午後2回の入替制で、午前のみ予約が必要です。他にシュミレーションや各種企画参加の際も要予約なので、行く前に同館HPで確認必須ですパソコン

 

玄関入ると目に入るのは・

ドーンと停っているのが、京急往年の名車・デハ230形ですキラキラ

後程乗って見学しますが、先に館内全体をぐるっと目

ワンフロアだけの小さな館で、模型ジオラマを中心に、一方にデハ236号。

その反対側には・

3つのコーナーが並びます。

↑1つは運転シュミレーション。もはやこれ、今時の鉄博では各社欠かせないようです^グッド!

2つ目は↑バスのコーナー。都内から川崎~横浜~三浦半島と、細長い沿線を抱える京急は、子会社によるバス事業も重要な顔ですバス

そして3つ目は、↑"マイ車両工場"という、工作等の子供向けワークショップを開催するコーナー。限られたスペースでよくこれだけ盛り込んでいるなぁと、京急の気合が感じられます(※元々同社は"気合"で勝負する社風もあったりする(?w)ウシシ

中央にある模型ジオラマ、勿論京急の沿線がモチーフです家

↑ランドマークタワーがそそり立ち・ビル

レイアウト中央には、↑羽田空港まで造られています^飛行機

(※羽田線については後程詳述)

↑踏切前で車が渋滞していたり、解体中の建物があったり、けっこう凝っています^サーチ

ではメインの、230形(236号)電車をみていきます電車

ジオラマの反対側にはホームが造られ、車内へも入れるようになっています男の子

再現ホームに、↑昭和の駅でよく見かけた形の吸い殻入れが。久々に見ました。堂々と駅でタバコが吸えた時代、隔世の感ですタバコ

木感を感じる236号の車内。↑一部シートの上に、京急の歴史を解説する展示ケースがあります。

以下、関東私鉄中でも独自の発達を遂げてきた京急の沿革を纏めますクリップ

京急の淵源、大師電気鉄道(※現在の大師線)が開通したのが1899(明治32)年。

関東の私鉄は西武/東武/相鉄等、当初は"汽車"で創始した路線が多かったのに対し、大師電鉄は最初から"都市での電車運転"を標榜して建設されました(※関東初)

 

同館展示を見て僕が改めて認識したのが、"京急が日本最初の標準軌鉄道(※新幹線等と同じ、軌間1.435mm)だった"という点。実は僕これまで、日本最初の標準軌は阪神電車だと思っていましたメモ

同館では、↑"日本最初の標準軌は京急"という文言が各所にみられます。気になって後日調べると、前述の大師電鉄が1899年開業、阪神は1905年開業で、たしかに大師線のほうが古い事がわかりました。

しかし京急は、後年に一旦1.372mmの"馬車軌道"(※現在京王線で採用)に改軌しており、1933(昭和8)年に再び標準軌に戻しています。つまり、"創業時からの継続年数"でいえば、阪神のほうが長いという事になります。

展示の236号車は、戦前~戦後で最も人気があった車両で、元々は横浜駅以西で開業した"湘南電鉄"で導入した車でした。

ここで、旧"湘南電鉄"の話も入れますクリップ

 

大師電鉄は路線を徐々に延ばし、東京~横浜間の都市間電鉄を実現させるべく"京浜電鉄"と改称、1929(昭和4)年に品川~横浜間を全通させましたクラッカー

 

一方、横浜~三浦半島の区間は、別会社の湘南電気鉄道によって建設されました。

現在の黄金町駅から徐々に南伸し、その仕上げとして1931(昭和6)年に両社の線路を横浜駅で接続、浦賀/逗子~品川間で直通運転が開始(※現在の運転系統の基礎がこの時点で出来る)

 

前述の、"京浜線の馬車軌道→標準軌への再改軌"は、湘南電鉄と直通をするためだったんです左右矢印

 

話少し戻りますが、じゃあ京浜線をなぜ、一時的に馬車軌道へ改軌したのか?というと、都電と直通させて都心乗入をしたかったからといわれます(※実現せず)

京急の都心乗入は戦後、都営浅草線との直通開始によって実現する事となります地下鉄

 

旧湘南電鉄の頃から始まった三浦半島の観光開発、京浜線との直通が始まって以降は弾みもつきましたが、戦前同半島には旧軍の基地が多く、↑のパンフにも横須賀鎮台の"検閲済"スタンプが押され、制約された中での観光開発だったようです。

 

そんな中、戦時色濃くなる中で、前作の阪急もでしたが、国策での戦時統合に従わざるを得なくなり、京浜/湘南の両社は合併直後、小田急や京王らと共に"大東急"の中へ併呑されます汗

 

臨海部を走り、旧軍施設や軍需工場等が沿線に多かった京急線は甚大な被害をうけ、大きな悲しみと苦しみの中で日本は敗戦。荒廃した沿線が、目の前の現実としてありました。

終戦直後、↑窓ガラスの無い電車の窓枠に乗客が座り、ドアも付いてなく開いたまま走っています。

戦後、東急から再分離され、ほぼ現在の路線で"京浜急行電鉄"として改めて発足。復興と成長の歩みを始めます馬

230形と、↑今はなき川崎市電が並ぶ貴重な写真もカメラ

戦後京急は臨海部の一部支線を改廃する一方、戦前湘南電鉄の時点で久里浜までだった、三浦半島では徐々に延伸。

現在の終点・三崎口駅へは1975(昭和50)年全通、同半島は京急の牙城となりました^波

そんな中、激動だった京急の戦中戦後を走り抜けた230形に、引退の時がきました汗

当時は珍しかった部品即売会も行われ、1978(昭和53)年、230形は惜しまれつつ引退しました。同館の236号は、埼玉県川口市で保存されていた車を京急が引取り、再整備して往時の姿を蘇られたものですキラキラ

 

230形の終りと共に高度成長期も終った日本、その頃から京急は"次の戦略"を本格的に始動します。

それは、『羽田空港アクセスの拡充』飛行機

 

羽田空港への鉄軌道アクセスは長年、東京モノレール1路線だけでしたが、京急はどうなっていたかというと・

 

早くも1902(明治35)年、穴守稲荷参詣客を見込み、"穴守線"として途中の穴守稲荷駅まで開通させていましたかたつむり

羽田空港の開設は1931年なので、開港以前から同線の萌芽がありました。

戦前の羽田には海水浴場等もあり、同線は近郊レジャー路線という感じだったとの事波

 

戦後、空港が米軍接収から解かれると、京急は穴守稲荷駅から少し延伸。"(旧)羽田空港駅"を、現在の天空橋駅近くに新設しました家

 

しかし旧駅はターミナルビルからかなり離れ、当時の空港ビルは沖合移転する以前でしたが、それでも重い荷物を持って徒歩で行くには遠すぎたとの事。アクセス駅としての役割は無いも同然で、1964年に東京モノレールが開通すると、空港へは長年、"浜松町からモノレール"が定番でしたあせる

 

1980年代に入り、飛行機が次第に"庶民にも手頃な乗り物"になってくると、羽田空港の混雑が問題に。空港アクセス手段の複数化が叫ばれ、京急は世の流れを読取り、穴守→空港ビルへの延長・乗入を画策し始めますロボット

 

しかし当初、京急が何度申請しても、国は拒否し続けました

なぜだったのか?はてなマーク

 

理由を知って僕驚いたんですが、京急は1964東京五輪の前、国から五輪輸送に備え、延伸を打診されていたそうです。

しかし京急がその時は断ったため、国側からの意趣返しに遭い、今度は京急側から申請しても認めなかったんです叫び

 

1993年、ターミナルビル/滑走路の沖合移転が完成。羽田は便数/利用者数とも世界有数の空港へ成長。この時ようやく国は京急の延伸を認可し、1998年、念願の空港ビルへの乗入が実現しましたクラッカー

羽田関係が長くなってしまいましたがあせる、昨今鉄道各社とも"空港アクセス"には力を入れており、京急の将来戦略として、羽田で確固たる地位を占め続ける事は最優先の命題だと思います。

 

JRも先般、臨海部の貨物線を一部転用して羽田アクセス線の新設を表明しており、将来は"JRも含む3つ巴"で競争していく事になりますヒヨコ

関東私鉄では唯一無二の、数々の歩みを重ねてきた京急。同社の特徴はまだまだあるんですが、作容量がそろそろ限界になってきましたあせる

ワンフロアの小さな館でしたが、けっこう満腹感ありました。なお、横浜駅から徒歩20分位ですが、歩くのがしんどい場合はw、みなとみらい線新高島駅下車すぐです地下鉄

 

-*-*-

往路と同じく、日産本社を通り抜けて横浜駅へ戻りますリサイクル

この後、次の予定の都合でJRで帰京するつもりだったんですが、頭が京急モードになってしまいw、品川まで京急に乗る事にしました。快特はいつも通りの爆走ぶりでした^DASH!

 

 

-*-*-

以上、小田急&京急の2館をご覧頂きました。両館とも楽しめたんですが、僕から要望としては・

 

☆小田急館、"ロマンスカー特化"というコンセプトはよくわかるんですが、出来ればスペースをとって、小田急全般の歴史を紹介する展示がもう少しあればなぁと思いますサーチ

 

☆京急館については、本社ビルの1階という限られた空間なので、出来たばかりなのに申し訳ない要望(※というか妄想)ですが、将来的には三浦半島に大きな新館を造って、実車保存も多く出来ればなぁと。固定ファンが多い京急なので、必ずや応需すると思います^星

 

両館とも近年出来た新しい館なので、これからどんどん良くなっていくでしょう。梅雨の季節、雨の休日にはミュージアム巡りもいいと思います虹

 

 

☆相鉄・小田急・京急 関連過去作リンク↓

 

(▽相鉄)

vol.3 相模鉄道 かしわ台車庫の保存車両 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

(▽小田急沿線)

vol.237 「た」現る 第20の巻 大船観音&江ノ島に現る "江ノ島の裏側"へ  大船ブラ付 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

vol.226 バスブラ2016⑦ 都内有数の長丁場路線・渋谷~調布『渋26』(狛江街ブラ付) | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

vol.284 「た」現る 第24の巻 湘南歴史散歩 小田原城&大磯に現る | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

(▽京急沿線)

vol.262 「た」現る・第22の巻 ”横須賀は猿島に現る” | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

vol.333 今年は1月からツーリング始め 再びの三浦半島 城ヶ島&油壷マリンパーク | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

vol.370 「た」現る 第32の巻 ”横浜の和歌浦(?)” 金沢八景に現る(浜のアメ横付) | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

vol.375 「た」現る 第33の巻 た流(?) "大田区再発見"【さらば、蒲田】 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

◎抜粋した↑8作のうち、計らずも5作が「た」シリーズから。昨年末で休止となった「た」企画ですが、けっこうあちこち行ってたんだなぁと改めて思いました波

(※うち、小田原城の作ではロマンスカーに乗った様子も掲載しています)