vol.375 「た」現る 第33の巻 た流(?) "大田区再発見"【さらば、蒲田】 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 2004年に上京以来、長年僕が暮らしてきた大田区ですが、この度むかえた人生の大峠に際し、惜しみながら都内他区へ引越しをする事となりました。

この節目に、大田区を再発見する企画をしようとかねて思っていたんですが、ある時「た」にそれを話すと・

 

『じゃあ、ワシのシリーズでやったらええやん』との話がきたので、「た」シリーズとしておおくりする事にしましたしっぽフリフリ

 

長年暮らして”第二の故郷”となった大田区を、「た」セレクトに身を委ねw、蒲田村を廻ってみたいと思います。ではスタートです男の子

という事で現れた「た」、過去の同シリーズでは"どこかへ行く時の集合/解散場所"であった蒲田駅、今回はここが”目的地”でもありますネコ

蒲田駅東側からつづく駅前通り商店街"ぽぷらーど"、いつも通り沢山の人が行き交っています走る人

「た」は、まずこの道を浜側へ歩き、京急蒲田駅へ行くといいますカメ

蒲田駅周辺といえば、"日本一人口比で居酒屋さんの軒数の多い街"とも言われる程、居酒屋さんが目立つ街です^

↑の”中央通り”もそんな界隈のひとつお酒

早速、↑猫を発見した「た」wブタネコ

この通り沿いにある、↑全国チェーン・焼鳥大吉さんの1号店、さすが蒲田の風格^ビール

飲み屋街の隣にある大きなビル、↑蒲田アロマスクエアビル

区と民間が共同で再開発した地区で、オフィスや店舗のほか、区民ホール"アプリコ"等が入っています。

この敷地、戦前には、”蒲田の代名詞だった施設”があった場所です。

それとは~

ここはかつて、松竹映画の蒲田撮影所がありました。

アノ『蒲田行進曲』発祥の地ですカラオケ

戦前の蒲田は俳優や映画関係者が街を闊歩し、都内でも最先端の場所だったとの事。今でいう六本木や原宿のような位置付けの街だったという驚きの史実があります。戦前は"流行は蒲田から"という言葉もあった程だそうです映画

しかし、現在では街中に面影を感じるものはなく、↑の近隣ビルに描かれた撮影所の絵が、辛うじて唯一よすがを感じさせるだけですキラキラ

あと、蒲田といえばこの川の存在も外せません。↑呑川(のみがわ)です宇宙人

世田谷区を発し、大田区内をほぼ縦断、洗足池の近くも通り、羽田空港近くの東京湾に注いでいますみずがめ座

↑「た」のそばにある石柱は、かつて蒲田橋に使われていた古い親柱宇宙人

現在では↑のような、決してきれいとはいえない都市河川になってしまってますが・

↑の、枝を川に垂れるように並ぶ並木は、桜の木です桜

シーズンには美しい桜並木となり、散り際には桜吹雪が呑川へ舞う光景も見られます。蒲田民だけが知る桜の名所です星

 

ちなみにこの"呑川"という名の由来ですが、蒲田に居酒屋が多いからという訳ではなくw、『昔はよく洪水を起こしたので"家や田畑を呑み込む"からでは?』等、諸説あるものの、確たる由来は不明だそうです。

駅前からの通りと、大森~六郷を結ぶ東邦医大通り(※通称)が交わる、あやめ橋交差点車

戦前ここには大きな菖蒲園があり、蒲田の名所だったといいます。現在は跡形もありませんが、橋と交差点の名にその名残を残します黄色い花

京急蒲田が近づくと、再び飲み屋街が現れます。柳通りですクローバー

(※通りという名ですが、この界隈全体が柳通りです)

↑"京浜蒲田"と書かれた古い街灯も残っていますひらめき電球

京急蒲田駅へつづく商店街、↑"あすと"

中華料理屋さんと中古CD屋さんが多いのが特徴プレゼント

京急蒲田駅へ着いた↑「た」

この駅も、過去作で少なからず登場しましたグッド!

僕が上京してきた時はまだ地上駅でしたが、高架化工事が見事完成し、見違えるような大ターミナルになりましたキラキラ

上下線2重構造の京急蒲田駅。品川方面は2F、横浜方面3F、ここから分岐する羽田空港線は両階から発着できるよう配線されています電車

「た」はこれから、空港線に乗ると言います電車

どこへ連れていかれるのか・あせる

降りたのは、途中の穴守稲荷駅カエル

ほとんどが高架又は地下化された空港線で、完全地上駅として残るのはこの駅だけです。

↑踏切風景も同線ではレア電車

駅前にも鳥居がつくられてますが、「た」がこれから向かうのは、駅名の穴守稲荷ですヒツジ

駅からすぐ、参道となります。

どんな神社なのか・

「た」によると、先日リニューアル工事(※神社にこんな言葉使っていいのかわかりませんが・)が完成したとの事。「た」は仕事で最近この近くに来て、完成を発見(?)したそうです得意げ

たしかに、敷石がすごく新しくなっていて、↑昔のままの狛犬さんの石の色と比べると一目瞭然目

本殿もお化粧直しをしたようですあじさい

↑境内図です目

本殿の横には、お稲荷さんおなじみ、千本鳥居が並ぶ光景が。

外国人が好みそうな、いわゆる”映える”写真が撮れますが、コロナ禍のため羽田へ降り立つ観光外国人もほぼ0になり、せっかくリニューアルしたのに寂しい穴守稲荷でした汗

千本鳥居の奥には、↑築山"稲荷山"が(※登れます)

「た」も登頂に挑戦(?)右上矢印

稲荷山の頂上から↑見えている巨大な建物。これはクロネコヤマト運輸の巨大物流ターミナル、クロノゲートです。この後チラッと行きますネコ

境内の神田(※しんでん、神前に供える米を稲田で栽培)も、真新しい敷石に囲まれていましたクローバー

なお、穴守稲荷については話の続きがあるんですが後程として、一旦クロノゲートへ行きます馬

穴守稲荷からすぐ、環八沿いに~

ヤマト運輸の次世代型物流ターミナル・クロノゲートの入口があります。↑怪しげに玄関を入ってゆく「た」

ここ、事前にネットで予約すれば見学でき、「た」にも事前に「穴守へ行くなら見学予約しておこうか?」と提案したんですが、「た」は"興味ない"と一蹴、却下されました叫び

なのに、「た」はなぜ玄関ホールを訪れたのか?

理由は~

理由は、↑"黒猫の巨大ぬいぐるみ"を観たかったからだそうですw

(※「た」はこの猫を"大ニャンコ"と呼ぶ)ブタネコ

↑に写っている宅急便車は、記念すべきウォークスルー型配送車の1号車です。僕はこっちのほうが見れて良かったです^信号機

クロノゲートから環八を浜へ歩くと・

羽田空港が見えてきます。

飛行機の翼も見えてきました飛行機

そんな空港の入口を守るように立つ、鳥居があります。

しかしここに神社はありません。

この鳥居は・?

通称"大鳥居"、本来は、穴守稲荷の鳥居ですが、現在は↑の通り、穴守稲荷とは離れた場所にあります。

この訳は~

ここで、羽田の戦後小史を少し纏めます本

 

現在空港となっている敷地の一部は戦前、いわゆる”羽田三町”として多くの家屋があり人々が、人々が居住していました。

現在の京急空港線も当初は"穴守線"として、この羽田三町と蒲田を結ぶため建設されました。そして、穴守稲荷もその中に建っていたんです。

 

終戦直後、進駐してきた米軍は早速羽田空港を強制的に接収、そして周辺の羽田三町の住民に対し、48時間以内に退去するよう命令したんです。移転先の斡旋も補償金もなく、いきなりにです。

 

しかし敗戦国日本、当時GHQの命令は絶対で、住民は大八車を引いて逃げるように従うしかなかったそうです。

今では人権擁護の代表国のように振る舞うアメリカですが、わずか70年前にはこんな無茶苦茶な事もする国でした。この悲惨な史実は大田区で今も語り継がれています。

 

その立退きの際、三町内にあった穴守稲荷も当然移転せざるを得なくなり、現在地へ移転しました。

移転前の同社にはもっと沢山の鳥居があったそうですが、この大鳥居だけは、後日米国が撤去しようとするたび、関係者に変死等の事故が相次ぎ、"祟り"とも言われて恐れられ、この1本だけ撤去しきれず、空港内に残されていたとの事。

 

近年の羽田空港再国際化による拡張のため、ようやくこの大鳥居が現在の場所に安住の地を見つけたのは、強制退去から半世紀経った1999年の事だそうです。

(※参考 大田区役所ロビーに、羽田三町のジオラマ模型が展示されています)

鳥居の横には↑、そんな歴史を説明する掲示もあります。

折しも終戦記念日近くのupとなりましたが、悲惨な戦争の記憶がこの大田区にもある、という史実を心に留めたいと思います。

江戸期、羽田一帯には干潟が広がり、↑広重の浮世絵にも描かれる景勝の地でした。戦前、京急穴守線が開通後も、海水を利用したプールがあったり、一大保養地として栄えたそうです。現在からは想像もつかない光景です波

 

ちなみにこの『羽田』の地名、まるで空港にピッタリのこの名、"空港が出来た時に名付けられた"と思っている人が大田区内にも以外といるようなんですがw、実はそうではなく、古くからの地名です。

その昔、↓海老取川の周囲に島が2つあり、その島が鳥の羽を広げたように見えたというのが由来のようです(※諸説あり)

大鳥居のすぐ横を流れる、海老取川宇宙人

そこに架かる穴守橋の欄干には・

かつてこの地(海)で行われていた、海苔作りの姿を再現したプレートが付けてあります。江戸前の名産だった"浅草のり"は、実は大田区で多く採れていました船

大鳥居のすぐそば、京急天空橋駅から、次は空港へ飛行機

ちなみに、京急大鳥居駅(※地下駅)は、天空橋駅と穴守稲荷駅の間にあります。勿論、同駅名の由来は、この大鳥居です。

地下の天空橋駅ホーム地下鉄

通路には、穴守線開業当時の↑車両を象ったプレートがキラキラ

終点・羽田空港国内線ターミナル駅へ電車

「た」は帰省する時いつも新幹線を使うので、滅多に飛行機に乗る事がなく、従って、空港に来る機会もあまりないとの事で、彼の希望で空港見学へwあせる

いまだ収まらぬコロナ禍で閑散としている羽田空港、当別荘ではおなじみの場所ですが、「た」には興味深々のようですw目

展望デッキも見学^飛行機

童心に帰る「た」w

僕もこういう場所へ来ると童心に帰ります、そして旅心をそそられます。はやくコロナ禍が収束して、再び羽田から思う存分飛び立ちたいです飛行機

 

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そろそろ昼飯時間に割り箸

Woおすすめのうどん店へ行こうという事で、再び蒲田駅へしっぽフリフリ

東急蒲田から、多摩川線で1駅電車

矢口渡駅で下車。昼食はここで食べるそうです^

駅前から、ひなびた商店街が延びています。

そこを歩いて、多摩川のほうへ・

国道1号、多摩川大橋のたもとにある『源八うどん』さんラーメン

元ラブホテルだった建物の1Fにあり、営業は日中だけなんですが、ここの讃岐うどんが美味しいのでお昼時には大繁盛グッド!

食べる事にはうるさい「た」も、ここの味には太鼓判^割り箸

 

午後からはJRに乗り・

蒲田駅の隣、大森駅へ。↑メリーチョコレート工場の横を走る、京浜東北線馬

日本初に"バレンタインデー用のチョコレート"を発売した会社ですチョコレート

蒲田駅とともに、大田区もうひとつのJR駅、大森駅ビル

ちなみに大森駅、"他の鉄道線と接続していない駅で、乗降客数都内1位"との事です星

大森駅へ来た理由は2つあります。

↑「た」が駅スタンプを押すのは理由ではなくw

駅近くの、↑大森貝塚を見たい、というのが一つひらめき電球

ビルとビルの隙間にある入口(※夜間は閉鎖)

JR線の線路沿いに、碑が立っています。車窓からも一瞬見えます^

教科書にも載る有名な話ですが、発見したのは米国の学者、エドワード・モース。1877(明治10)年、まだ鉄道開通したばかりの大森駅付近で、列車の車窓から発見したという逸話があります目

 

碑の台座に、モースのゆかりを示す英文が刻まれているのが重厚な感じですキラキラ

(※国史跡)

大森駅ホームにも、"↑日本考古学発祥の地"の碑があります。

 

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次は~

同駅に一番東京駅寄り、山王口(北口)から、海側へ右下矢印

大森駅は山王口付近が少し品川区にかかっていて、↑のエスカレーターは品川区が設置しているものです。

”大森その2”ですが、東口からバスで、大田区沖に6つある人工島の一つに行ってみたいと思いますバス

京急バス・城南島行に乗車します。

前述の通り、大田区沖の東京湾には人工島が6つありますクリップ

(※城南島・京浜島・平和島・昭和島・羽田空港・中防埋立地の一部)

上記ほとんどの島へは、大森駅から京急バスが出ていますバス

(※空港へは蒲田駅から)

約30分で・

城南島4丁目バス停で下車。循環線なので、終点はありませんリサイクル

城南島は主に海上コンテナの基地として使われていますが、↑中小の工場が並ぶ一角もあります。僕は上京当時、一時ここで働いていました。当別荘第1作『猫のミケ』は、当地で撮影した作です(vol.1  07.6.7up)ネコ

数ある人工島から城南島を選んだ訳は、そういう僕のノスタルジー充足のためではなくw、都内では珍しい人工砂浜がある、城南島海浜公園へ行くためです宇宙人

城南島の沖側一帯が、緑と海の公園になっています霧

東京湾にある、知られざる癒しの空間です黄色い花

広々とした人工砂浜、遊泳は禁止されていますが、波打ち際で遊ぶことができますフグ

又、この公園何よりの魅力は、↑羽田へ離着陸する航空機を至近距離で見られる事。轟音を響かせ、頭上を飛ぶ飛行機は迫力満点飛行機

しばし飛行機の撮影を楽しむ「た」カメラ

 

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蒲田駅へ戻ってきましたリサイクル

↑蒲田駅ビル、かつては東口ビルが"パリオ"、西口ビルが"サンカマタ"と呼ばれてましたが、数年前に耐震補強を兼ねた大規模リニューアルを実施。両側の名称を"グランデュオ"と統一し、改装オープンしましたビル

大田区、まだまだ載せたい所は沢山あるんですが、時既に夕刻となりました。蒲田名物・黒湯の銭湯、ゆ~シティー蒲田に浸かってお開きとします温泉

コロナ情勢を鑑み、「た」シリーズ恒例・"打ち上げの”食う”は今回取止め、Wo宅での夕食に自粛あせる

 

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ここから下は、『付録編』ですグッド!

後日、Wo単独で撮影してきた大田区のスポットをいくつかご覧頂きます男の子

 

合格①西六郷公園(※通称・タイヤ公園)

沢山ある区立公園の一つなんですが、なぜかこの公園だけ、遊具のほとんどが古タイヤで出来ています車

シンボルはタイヤで出来た怪獣、JR線沿いで電車から見えるので京浜東北線ユーザーには有名です。僕も田舎にいた頃、夜行で東京へ来る時、多摩川を渡ってこのタイヤ公園が車窓に見えると"東京に来た"気がしました^恐竜くん

 

合格②七辻(ななつじ)

↑京急雑色駅前につづく商店街入口、その隣はOKスーパー(※ここに本社もありましたが、2016年横浜へ移転)

昭和の薫り残る商店街で、ここも詳しくやりたいんですが、これから行くのは、同駅近くの”名物交差点”です。

それとは~ナゾの人

↑『七辻入口』信号から少し入ると~

その名の通り、↑”七差路”があります。7つの道路が1ヵ所で交差する、全国的にも珍しい交差点です(※通称:七辻)

しかもこの七辻、↑ご覧のように信号機がありませんあせる

又、7つの道路とも車両も通れます(※一方通行路あり)

事故とか大丈夫なのか?とも思いますが・

この七辻、↑"日本一のゆずりあいモデル交差点"を区が謳っています。幹線道路からは外れ、通行は地元の人が大半なので、事故は”ほとんど起きていない”との事です星

七辻の由来は↑現地看板の通りですが、大正期までこの周辺には田園と果樹園が広がり、春には花々が咲き乱れていたという事です黄色い花

看板文のラストには、『当時の人々のやさしさと思いやりは現在も受け継がれ、この地に事故はない』と結ばれていますキラキラ

 

合格③梅屋敷公園

京急梅屋敷駅からすぐの↑第一京浜沿いに・

駅名の由来となっている、梅屋敷公園がありますコスモス

小さな公園ですが、幕末~明治にかけてここには梅の木が多く植えられ、名勝だったと言われます。又、明治天皇がここをお気に入りだったとの事で9度も行啓された事から、正式名は"聖蹟蒲田梅屋敷公園"といいます。

句碑・歌碑がそこここに残る、小さいながら風情も感じる公園です。江戸期、当地には薬屋や茶屋があり、江戸・日本橋からの旅人を見送る人は、ここまで一緒に付いてきて、別れの挨拶をしたという話も残っていますハチ

 

さいごに再び、蒲田駅前へ戻ります^リサイクル

駅前で解体工事中ビルの仮囲いに、↑昭和期の蒲田の写真が展示されていましたカメラ

日本が元気だった、便利で綺麗でなくても活き活きと輝いていた頃の、昭和の蒲田が映し出されていますキラキラ

映画撮影所があった戦前、そして昭和の復興と成長があって、現在の蒲田がある・、という変遷を実感できる写真の数々ですキラキラ

 

以上、"灯台下暗し"だった、長年住まわせてもらった蒲田の作でした^星

田園調布から蒲田、そして羽田まで、広い区域を持つ大田区(※面積23区中1位)、多様な顔を持つ同区のホンの一部をご覧頂きました。もう容量一杯で載せられないんですが、大森には海苔の博物館や馬込文士村、城南島には先程の海浜公園のほか"野鳥公園"もあり、まだまだ見所沢山あるんですが、あとはコロナ収束後、又小出しに訪れたいと思っています^チューリップ紫

 

僕はこの大田区で約15年、様々泣き笑いの末、人生の大峠をここで迎えました。惜しみつつ引越しますが、大田区・そして蒲田は”第2の故郷”として、今後も親しんでいきたいと思っております。さらば蒲田、有難う^虹

 

☆大田区関連作

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(※2024.4 文一部修正)