vol.284 「た」現る 第24の巻 湘南歴史散歩 小田原城&大磯に現る | 旅ブログ Wo’s別荘

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 2018年初、アノ男のシリーズですあせる

回を重ねて今作で第24巻、「た」現る企画叫び

 

(※初めてご覧のかたへ 僕の長年のくされ縁友・「た」なる人物がクセありの街ブラをする企画で、行先も「た」セレクトの場所を歩きます)

 

今回現れたのは・

おなじみ、新宿駅です電車

「た」との集合場所は、わかりやすい^アルタ前テレビ

現れました!

本年初登場、「た」ですあせる

今回「た」から提案があったのは、『小田急ロマンスカーに乗って、小田原へ行こう』UFO

 

という事で、小田急百貨店地下にある小田急新宿駅へあし

特急券は僕が事前に予約しておきましたが、小田急の特急券はJRのような"運賃込み"の券では無く、指定券単品で発券されます。

なので乗車券分はICカード等で別払い。駅でスイカをチャージする「た」(※そんなん会う前に予めやっとけよ><)パンチ!

そんなこんなで、ようやく改札へ・

朝からお弁当を仕入れる↑「た」w割り箸

この日乗るのは、10:00発の『スーパーはこね』チケット

時間が良いのと、小田原までノンストップの最速列車なので予約満席です^

入ってきました!

白亜の美しい車体、これぞ小田急ロマンスカーですキラキラ

"ロマンスカーVSE 50000系"と呼ばれるシリーズです。

小田急ご自慢の特急ロマンスカー、製造年代ごとに趣向の異なるシリーズを少しづつ製造し、それらをけっこう長期間使い続けるため、列車によって様々な形式が来るのもまた魅力です^グッド!

前便の乗客を降ろして清掃の後、↑座席が"ウィ~ン"と自動的に回転、その後乗車ですリサイクル

座席回転を見届けw、いよいよ乗車^男の子

↑丸~い天井に照らされる間接照明が独特。しかも座席は微妙に窓のほうに傾けられています(※5度窓へ向けてるそうです)

こういう、JRの特急には見られない細やかな仕掛け、ロマンスカーが半世紀にわたって支持されている秘訣を垣間見る気がしますクローバー

 

定刻発車!

久々にロマンスカーに乗れてご満悦の↑「た」w

今春(2018)、長年工事していた複々線化がついに完成(※代々木上原~登戸)し、大増発ダイヤ改正をした小田急。

ロマンスカーは快適に速度を上げていきます馬

多摩川を渡り、あっという間に神奈川県へ入ります馬

途中の車庫で、ロマンスカー現役最古参の7000系発見!

僕の世代だと"ロマンスカーの塗色"ってやっぱり↑赤とシルバーの印象です^

トイレついでに隣の車両を覗いてみると・目

売店(もしくはミニバー?)の設備がありましたが使われておらず、車内販売の準備室になっていましたプレゼント

複々線区間はマンションだらけだった車窓も、相模大野あたりを過ぎると、だんだん緑が増えてきます。

↑富士山も見えてきました富士山

新宿を出て約1時間時計

ついに~

ロマンスカー、滑らかに小田原駅ホームへ到着^ベル

高い↑覆屋根が面白い空間をつくり出している、小田急小田原駅ひらめき電球

隣接するJR小田原駅とは、コンコースが繋がっています。

つまりロマンスカーは、半世紀以上に亘り、ここ小田原~箱根への旅客争奪戦を、JR(国鉄)を相手に繰り広げています馬

 

JRはスケールメリットを生かし、新幹線/踊り子号/普通グリーン車/各地からの直通運転等、重ね技で対向してくる中、小田急が限られた条件の中でいかに頑張っているかが、快適でしかも割安なロマンスカーに乗ればわかります星

 

「た」シリーズなので、鉄分はこれ位にしておきますw新幹線前

 

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この日訪ねるメインは、”小田原城”です。

駅から、かまぼこ屋さんが並ぶ駅前を歩いていきます走る人

駅から城まで、歩いて10分少々カメ

お堀が見えてくると、お城エリアですもみじ

「た」は意外と歴史好きの面があり、「た」シリーズにはこういう場所がよく出てきますペンギン

お堀を渡って~

小田原城、これから見学します目

国史跡・小田原城址、天守は1960(昭和35)年の復元です。

 

元々の天守は江戸期の1633年に建てられたとの事。当地には平安時代から、領主にあたる一族の居館が置かれていたそうです。

小田原城、僕は上京直後に一度同僚と来た事あるんですが、一昨年(2016)リニューアルされていて、内部の展示は新しくなっていましたキラキラ

関東の、西方の要害として、重要な位置にあった小田原城。天下の険・箱根にも近い要害への入口である小田原は、戦国時代には常に勢力争いの地として多くの戦端が開かれました。

 

1590年、豊臣秀吉が当城の西方にある石垣山に、築城後に周囲を伐採してあたかも一夜にして出現したように見せ、北条氏を驚かせた"一夜城の戦い"が有名です(※現JR早川駅近く)

 

↑の展示パネルによると、天守の中で高さNo.1だったのは大阪城で、2位が名古屋城だったそうです。僕は姫路城がトップかと思ってましたがあせる、姫路城の高さは、第5位だったとの事(※但し、建造時より現存している天守中では姫路城が1位です)

 

そんな数ある名城の中で、小田原城天守は全国7位の大きさだったとの事。かなり大きな城だった事がわかります星

 

神妙な面持ちで、↑展示に見入る「た」目

過去作で訪れた城には必ずある、ジオラマ模型が小田原城にも^

映像コーナーもリニューアルされ、一新されてました映画

天守内は5層で、上がりながら見学していく順路です右上矢印

鎧兜を見てニンマリする「た」、何が面白いのかwあせる

戦国時代の歴史だけでなく、明治以降の近代史も興味深い。

維新早々、廃城令により解体された小田原城、跡地は皇室の御用邸になりました。

しかし関東大震災で御用邸は大破し、そのまま廃止。

震災時には残存していた櫓や石垣も崩れてしまいましたが、戦後小田原市は城址の復元を開始。その総仕上げとして天守も再建されたという訳ですグッド!

そして、最上層には・

何かがお祀りしてある一角がありました。

これは・

仏像のようです。

江戸期の小田原城には、摩利支天像など数体の仏像がお守りとして置かれていたといい、当時の空間を今回のリニューアルで再現したとの事です(※それら仏像数体が現存しており、市内のお寺で保管されているとの事)

順路ラスト、天守の外側で展望晴れ

小田原の街が一望、海も見えます波

伊豆半島や真鶴温泉、富士山、丹沢山地、そして箱根富士山

この城から見える風景は全方位、まさに日本の観光ゴールデンコースど真ん中です^星

 

城のリニュオープン後、小田原市の観光が非常に好調だという事らしいんですが、これだけ周囲に恵まれた観光資源があり、かつ小田原市自体も歴史ロマン豊富。その上、JR&小田急のWアクセスで交通至便とくれば、人気が上がるのも納得です新幹線

なかなか満足の小田原城でした^しっぽフリフリ

 

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駅前に戻り昼食ナイフとフォーク

一昨年「た」と江ノ島へ行った時の作では、「た」がいろいろ迷った末に結局はファミレスへ連れていかれるという"トンデモ昼食"でしたがw、今回はその反省からあせる、僕から事前に「今日はちゃんと地元のものを食べよう」と念押ししたのでw、何とか海鮮の店に入れましたガーン

(※「た」とロケの際は飲食店も全て「た」がチョイスします。「た」は食べる事にはうるさいw)割り箸

湘南の味、海鮮丼を頂きました^うお座

 

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午後、もう1カ所行きます。

JR小田原駅から~

 

各停で4駅目、大磯駅下車電車

昭和の面影を残す、↑小さな趣ある駅舎です家

駅前からバスに乗り、約15分で~バス

大磯城山(じょうやま)公園で下車。

これから見学するのは・↓

この城山公園隣に、戦後の日本を率いた宰相、吉田茂の邸宅があります。

内部を観覧出来るとの事なので行ってみます走る人

広い庭園を奥へ進むと~

堂々と、というより、僕の感想ではひっそりと建っている印象の豪邸、元首相・吉田茂邸です。

おじゃましますドア

玄関にある受付で入場手続きして↑最初に通されるのは、1階の応接間コーヒー

お~

広い、そして立派な屋敷内(※当たり前の感想ですがw)あせる

掲げられていた、↑吉田茂(1878-1967)の肖像画です。

 

ここで彼の略歴を簡単に纏めますグッド!

 

戦後を代表する宰相としてご存じ、吉田茂ですが、幼少期は養子に出される等複雑な履歴を送っているようです。学校卒業後、外務省へ入省。戦前~戦時中は外交官だったそうです。

 

戦後、それまでの官僚経験を生かして政界入り。

終戦直後から、閣僚となるやいなや頭角を現し、通算7年余に亘って総理を務め、日本国憲法制定やサンフランシスコ平和条約等、ご存じの通りまさに、戦後日本の礎となる出来事の現場にいた人物です。

 

首相引退後も政界に影響力を持ち続けた吉田でしたが、1967(昭和42)年、この大磯の邸宅で死去。葬儀は国葬で行われました(※2018年現在、戦後では唯一)

応接室には、茂ゆかりの品々が並びます。

↑の置時計、邸宅公開に合わせ、孫にあたる麻生太郎氏が寄贈したものです時計

そんな歴史ある吉田茂邸ですが、実は↑真新しいんです。

実は・

 

この吉田茂邸、2009年に火災でほぼ全焼しました。

現在の邸宅は昨年(2017)に再建されたばかりです。

当時の設計図に基き、忠実に再現されています。

そんな中、唯一延焼を免れたのが、↑の温室黄色い花

一部、↑壁が焼け焦げた跡が残っていました。

順路をすすむと・

木造の↑浴槽

和室も広々、旅館さながらです^

窓からは広い庭園と、湘南の海が望めます霧

(※庭園は後程歩きます)

↑は映像コーナー、吉田茂の生涯についての映像を観る「た」テレビ

 

邸宅は本館と新館があり、住宅というよりは、日々訪れる来客をもてなす設備が主体の”公邸”みたいな印象を持ちました。

やはり総理ともなれば、24時間公人でいる必要に迫られるのかなぁとあせる

 

僕が一番印象に残ったのが↑の部屋。

この部屋は・

明らかに、一般住宅には無い雰囲気を醸し出している部屋です。

会食用の食堂ですナイフとフォーク

ローズルームと呼ばれていたそうです。何より、側面の壁一面に張られたクッションが”特別感”満点で、僕は強烈に印象的でした。

ここで、戦後日本を動かす数々の決定がなされていたのかもです。

 

書斎には彼の蔵書が保管されていました。

『火災で大丈夫だったのか?』という事ですが、たまたま火災以前に図書館に寄託されていたもので、難を逃れたそうです本

再建とはいえ、『要人とは、こういう生活であり生き方なんだ』という事を強く感じられた邸宅、有意義な一時でした。

写真割愛しますが、彼が最期の時を過ごした寝室も再現されていました。

再建してくれた大磯町にも感謝です。

 

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次に、前庭も見学チューリップオレンジ

邸宅は太平洋を望む海辺近くにあり、茂の銅像も立っています。

湘南の海を背に立つ、↑吉田茂像波

庭園と海の間には、よくバイクで走る西湘バイパスも見えます波

歴史好きな「た」も、かなり満悦な様子でした。

邸宅をあとにしますネコ

 

-*-*-

城山公園は、バス道を挟んで海側が茂邸、山側が城山公園になっていますクマ

山側は、自然の地形を生かしています。元々三井財閥の別荘だった場所を神奈川県が譲渡をうけ、県立公園として整備しました。

公園内に、大磯町立の郷土資料館がありますメモ

内部はロビー以外撮影禁止(※許可制)なのと、そろそろ作容量限界が迫ってきたので端折りますがあせる、同館は、縄文時代の史跡も存在し、関東屈指の古い人住記録があるという大磯の歴史展示が充実していましたメモ

 

タイムアップとなりました。

帰りのバスに乗る「た」バス

小田原&大磯で束の間の歴史探訪、今回は「た」も特に粗相なくw、なかなか思い出に残った一日でしたネコ

帰りは↑グリーン車で、2人アルコール漬けとなりつつ帰京の途につきますビール

ちなみに余談ですが、JR小田原~東京駅の普通列車運賃+グリーン券の値段より小田急ロマンスカー(※新宿~小田原間 2018当時)の運賃+特急料金のほうが安かったです。ロマンスカーがいかにコスパ良いかがわかります¥

 

「た」次回はどこへ?お楽しみに^

 

 

 

 

 

 

(※2024.8 文一部修正)