2018年・ツーリング始めです^
今年は少々遅めにになりました
今年の第1発目は、埼玉・吉見町へ行ってきました。
例年通り、まずは近場から小手調べです^
関越道・東松山ICで降ります
これから向かうのは・
2015年の「た」シリーズで訪ねた、森林公園の近くを通り、東松山市内へ入ります
東松山市街のはずれにある↑市野川を渡ると、隣町・吉見町に入ります。この川の近くに、国指定の史跡があるんですが、そこが今作メインの目的地です。
その史跡とは・
丘のすそにある、↑史跡入口です。
その名は↓
吉見百穴(よしみひゃくあな)といいます
(※ひゃっけつと読んでもよい)
吉見町のキャラクター↑、よしみん
同町はイチゴが名産です。
そして、よしみん看板奥の斜面には、ポツポツと穴が・
この、謎めいた穴は~
斜面に開く無数の穴、これが吉見百穴です。
(※国史跡)
江戸期から既に『百穴』と呼ばれ、地元では知られていたというこの丘、明治に入ってから学術調査が行われ、その時には"伝説の小人・コロボックル人の住居跡ではないか"という説が出ました。
しかし、大正になってから改めて行われた調査で『古墳時代の墓穴』であるという結果が出され、現在でもこの説が有力です。
↑丘の上まで登れる階段があるので、登ってみます
それにしても、不思議な雰囲気の遺跡です。
いくつか、内部を覗いたり入ったり出来る穴もありますが、内部には何もありません。
学術調査の際には、土器類や勾玉等の副葬品が出土したそうです。
丘の頂上まで登ってきました
百穴に隣接して、"松山城跡"があるんですが、これについては後述します。
標高数十m程の低い丘ですが、かなりの眺望がききます
この丘の頂上には・
家なのか、店だったのか、一軒の家屋(?)がありました。
人はいませんでしたが、でも空き家でもなさそうな感じで、百穴以上に謎です
頂上近くにあった解説板、↑『吉見百穴は生きている』の文言がなかなか詩的なので紹介します(※抜粋)
>この穴の一つ一つには、死者を葬るために掘った古代人の悲しみ、苦しみ、絶望や祈り、様々な感情が刻み込まれているはずです。
もしあなたが一つ一つの穴に入り、心の窓を開いて静かに耳を澄ましたら、きっと彼ら古代人の声を聴く事が出来るに違いありません(中略)
木漏れ陽の中、静かに古代人の声を代弁しているこの看板。これを読んでから見学すれば、百穴が一層味わい深いものとなるでしょう
墓穴の奥から、古代人たちは現代の私たちのありさまをじっと見ているのかもしれません
・そして吉見百穴、古代人が掘った穴以外に、近代になってから掘られた大きな穴も存在します。
それとは~
↑人が立ったまま入れる程の大きな穴もありますが、これは昭和期になってから掘られたものです。貴重な史跡に、なぜこういう事をしたのかというと・
戦時中、この穴は地下軍需工場をつくるため掘られました。
軍用自動車や飛行機の部品をつくっていたそうですが、本格稼働に入る前に終戦となったそうです。
内部に入れます。
けっこう広かったです。
しかし、この軍用洞窟堀削により遺跡の一部は損傷され、約10基の墓穴が破壊されてしまいましたが、戦後地元住民の方々が管理と保全に努め、1961年から現吉見町の管理となりました。
その後は国史跡の指定もうけ、今に至っています
古代人の謎とロマン、そして先の大戦の悲しい記憶、ダブルで思いを馳せることが出来る、大変有意義な時間を過ごせる遺跡です。
史跡敷地内に、町立の埋蔵文化財センターがあります。
実は、吉見町には百穴以外にも、町内全域に古墳が散在していて、埼玉県きっての”史跡の町”なんです
整然と、貴重な史料が並ぶ展示室には・
かなり状態の良い、弥生期中心の出土品が大量に展示。
なかなか興味深い
そんな吉見町だからこそ、百穴のような遺跡を今に残す事が出来たのかもです。
都内からの日帰りトリップにおすすめです
史跡の町・吉見、百穴に隣接して、前述の城跡があります。
続いて見学していきます
百穴から道ひとつ隔てた丘に、↑古い門が・
この丘は『武州松山城跡』。鎌倉時代に造られたとの事。
初期の史料には乏しいそうですが、戦国の世となってから上杉/武田/北条等の各氏が激しいせめぎ合いを繰り広げたと伝わります。
最終的には徳川が譜代を城主に据えましたが、江戸幕府成立の直前、1601年に廃城。
遺構がほぼ完全に残っているといい、関東の平山城では数少ない貴重な例とされています(※国史跡)
↑は『岩室観音堂』です。
門のように見えますが、この"門"自体がお堂です。
当地に弘法大師が来て(!)、自ら観音様を彫塑してこの丘の岩窟に納めたという故事からつくられたお堂だそうです(※吉見町指定史跡)
入れるようなので、門をくぐります^
中には小さな観音さんが・
お堂わきの岩窟で、静かに佇む観音さん
計88体あるとの事で、四国八十八カ所のご本尊さんを模したものだそうです。
お堂の、↑上の層にも登れます。
信徒が寄進した額が沢山かかっていました。
さらに、この奥に『胎内くぐり』があるという事で、僕も入ってみます^
観音堂からつづく谷筋に、チェーンが掛けてあります。『これを伝って行け』という事で、ややワイルドw
チェーンにすがりついてよじ登ると~
お、岩に穴が・
しかもハート形^
縁結びにご利益あるのでしょうか?w
墓石か石碑のようなものも散見される松山城跡、知られざる埼玉の史跡の町、歴史ロマン溢れる吉見でした
-*-*-
市野川を隔てた東松山市街へ戻り、再び関越道に乗ります
ツーリング作でよく登場する高坂SAで昼食
高坂SA、いつもなら新潟方面へツーリングした帰り、夜ヘトヘトになって立寄るのが定番ですが(笑)、真っ昼間に寄ったのは今回初めてかも
なぜか、埼玉なのに東京都庁を背にした巨大ウルトラマン像の両脇に自販機が4台並んでいました。ウルトラマンに近づくと「シュワッチ!」と歓迎の声をあげてくれましたがw、主旨は不明です^
そんな高坂SAをあとに、もう1ヵ所寄ってから帰途につきます
圏央道へ入り、次は入間ICで降ります
西武・入間市駅の前を通って~
国道463号をしばらく走ると・
道路わきの建物の感じがガラッと変わる一角があります。
↑看板も出ていますが、『入間ジョンソンタウン』と呼ばれる街です
バイクを停め、歩いてみます
お~
街中すべてアメリカンな雰囲気
埼玉の真ん中にこの街並、一体どういう事なのか・
町の中央あたりに管理事務所があります。
このジョンソンタウン、ここは元々、米軍の住宅地だったそうです。
なのでアメリカンな街並なんです
米軍から返還後、地元のディベロッパーが一括買取し、その雰囲気を残しつつ、新たに住宅や店舗の整備をすすめたという事です。
現在は↑地図のように、店舗と住宅が約半々といった街になっています
近年TV等で取り上げられる事から観光客が増え始め、管理会社ではタウン内に観光客用の駐車場も設置しています
雑貨店や服屋さん、カフェもあり、小じんまりとまとまっているので、しばし街ブラするには楽しい街だと思います。↑の看板は歯医者さんで、在住の人向けの生活施設もちゃんとあります。
郵便ポストもジョンソンタウン色w
但しここを街ブラするには、敷地の半分は個人宅の住居という事も忘れてはいけません。街歩きはなるべく店舗が多いエリアにとどめ、住居だけの路地には極力入らない等の配慮は必要です(※どこが店舗でどこが住居エリアかは、歩けばすぐわかります)
なお、賃貸物件に空家が出れば随時入居者を募集しているといい、住んでみたい人は同タウン管理事務所へ問合せを^
ジョンソンタウンの裏手には広い公園。
先程通った西武の駅にも程近く、住み心地いいかもです
2018ツーリング始め、この辺にしておきます、入間ICから帰京します
少し遅くなりましたが、今年のツーリングシーズンが始まりました^
(※2023.8 文一部修正)