vol.426 【鉄道150年企画①】発祥の地・新橋、鉄道の街・大宮で振り返る150年 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 今作より3作、『鉄道150年記念企画』をさせて頂こうと思います^電車

 

 ・我が国初の鉄道が開通して以来、今年(2022)で150周年を迎えましたクラッカー

 

全国の各JRや私鉄各社は、これに合わせてイベントを実施している所も多いですが、当別荘でもこの節目に、いつもブログ的にも個人的にもお世話になっている鉄道を、改めて再認識・再発見するミニ企画をする事にしましたひらめき電球

 

今作からの3作を、カテゴリー横断でいろんな角度から鉄道を取上げますが、今作(※)では、鉄道発祥の地・新橋と、日本最大の”鉄道の街”さいたま市大宮の2ヵ所から、150年の歴史をWo流にみていきます目

 

・次作(※)では、実際に、とあるローカル線に乗っての地方鉄道の現状、そしてラストのは「た」シリーズとして、「た」がある私鉄の"名物列車"に乗りつつ、一利用者の立場からの感想も聞こうと思っています。

これで年末まで持たせようという魂胆です(笑)、宜しくお願いします^^グッド!

 

・では、①前半、新橋編からですビル

鉄道150年といえば、やはりスタートは↑の駅からですね・^

JR新橋駅です電車

10/14の鉄道記念日に合わせて、駅前では『鉄道フェスタ』をやっていましたペンギン

鉄道150年だからというよりは、”3年ぶりの開催”という事で賑わってます女の子

普段はビジネスマンの闊歩を見守っている、ご存じ”新橋のSL”も、この日はステージが設けられてイベントの中心にコスモス

当別荘初登場、↑新橋のSLですが、このC11型、兵庫県・姫路機関区に所属していた車です。1972(昭和47)年、鉄道100年を記念して新橋駅前に置かれました。

 

・という事は、今年は”新橋SL広場”誕生半世紀でもあるんです星

上屋はありませんが、定期的に化粧直しされ、比較的良好な状態を保っていますキラキラ

 

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”♪汽笛一声、新橋を~”

鉄道発祥の地、東京・新橋ですが、開業時の新橋駅は現在の場所ではなかったというのはご存じの通りです。これから『開業時の新橋駅跡』を訪ね、150年の歴史を偲びたいと思います^カメ

SL広場の喧噪から離れ、海側へ少し歩くと~

↑ビル街の谷間に、洋館が見えてきます目

跡地に復元された、旧新橋駅舎です。

 

方角的には、新橋駅から東へすぐです(※港区東新橋)

周囲にはパナソニック東京本社や日テレ、そして昨今なにかと話題の、アノ大手放送広告会社の本社等もありますテレビ

内部はミニミュージアムとして公開されています。僕が行った時はちょうど『鉄道150年企画展』をやってましたクリップ

残念ながら内部は撮影禁止でしたが、展示は主に、1872年に当地で開業した時の前後を記録した、貴重な書類や図絵等でした。中でも、開業日に行われた式典の様子が詳細に記録されていたのが興味深かったです本

 

1872(明治5)年10月14日、イギリスの技術指導により、江戸幕府崩壊からわずか5年後、日本は新橋~横浜(※現桜木町駅付近)間、約29kmに及ぶ国営鉄道を完成させました。旧新橋駅は、近代日本の夜明けを象徴するようなモダンな洋館建で造られたんです王冠2

 

新橋駅で華々しく開催された開業式典、明治政府高官をはじめ、日本・英国の技術者らが正装で居並び、儀仗兵がラッパ吹鳴や雅楽を奏でる中、明治天皇が記念列車に乗車され、新橋~横浜間を1往復されたとの事ベル

 

展示史料には、「式次第」や「お召列車の何号車に誰が乗った」等、開業式の内容が詳細に記述されていました。

又、お召発車時には日比谷公園&東京湾の軍艦から礼砲が放たれ、政府職員は当日休暇となる等、国を挙げての一大イベントとして、キッチリと式を執り行っていた事が窺えました富士山

 

幕末開国後、諸外国から強まるばかりの外圧に危機感を持っていた明治政府は、それこそ機関車の如く、大車輪で近代化をつき進めるしか無かったんでしょうね・

 

↑駅舎の裏側へ廻ると~

プラットホームが、ほんの一部ですが復元されています。

周囲はカフェテラスになってて、ビルの谷間のオアシスですコーヒー

・この旧新橋駅は、1914(大正3)年の東京駅完成による東海道線の高架線付替えにより、貨物駅に変更。これにより、ひと足先に高架線で運行していた京浜東北線の「烏森駅」を新橋駅に改称(※現在の新橋駅)クリップ

 

その後は、汐留貨物駅として長く営業されましたが、1986(昭和61)年、国鉄民営化・清算による資産売却対象に挙げられ、廃止となりました汗

 

明治政府が国家の威信をかけて造った旧新橋駅は、昭和の終焉とともに、国鉄の崩壊とともに、姿を消したんです流れ星

当地は、汐留駅営業中の1965(昭和40)年には既に、鉄道創設の地として国史跡に指定されていました。

再開発が本格化した1995年から発掘調査が行われ、駅舎やホームの遺構を発掘、↑旧駅舎復元への機運が高まりました。現在は汐留シオサイト内の都市空間として親しまれていますが、ここを広場としているのは、遺構保護のためもありますチューリップ赤

↑開業当時のレール(※双頭レール)、地方へ転用されていたものを取り寄せ、少しだけですが敷かれています。

銀ブラへ行ったら、訪ねてみて下さい・ヒツジ

 

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・では場面かわって、①後半ですグッド!

 

さいたま市、JR大宮駅から、↑新交通”ニューシャトル”に乗って1駅とかげ

あっという間に~

鉄道博物館駅到着ウサギ

ニューシャトル駅から鉄博までは、↑の専用通路ですぐ走る人

着きました!

久々に訪れた、JR東日本・鉄道博物館です(※以下、鉄博又は大宮と略します)

 

2007年オープン(※当別荘創設と同年)、僕はここ3回目で、オープン直後に1人で来たのと、翌08年の「た」シリーズで来ました。今回10年以上ぶりなので、当時なかった新施設も出来てますキラキラ

 

今作では本館展示はザっと流す程度にして、本題『鉄道150年の歴史』として、主に2018年にオープンした新館(※南館)の歴史展示を中心に、Wo流にみていきますしっぽフリフリ

 

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まず、エントランスに、僕が行った日の数日前にお披露目されたばかりの『ニュー展示車』があるので、そこから見ます目

お~

前回無かった、ツヤツヤの車両が・

↑数日前に搬入されたばかりという、EF58 61号機ですキラキラ

 

昭和期、東海道線はじめ全国の幹線で活躍したEF58ですが、100両余り生産された同型中でも特別な役目を持っていたカマです。

はためく日の丸、この61号機は”お召列車専用機”として、1953(昭和28)年、特別仕様で造られました。EF58の塗装は通常、青地で前面に白を入れた色でしたが、当機は↑ご覧のように、艶やかなぶどう色に塗られ、重厚感を出しています。

EF58はJR発足前後にほとんどが引退し、現在唯一車籍があるのがこの61号機だそうで、尾久機関区から『貸出』されている形との事ですロボット

 

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では、↑メイン展示(本館)へ

お~

鉄博に来た実感がわく一瞬です^^

展示室入口で迎えてくれる、↑1号機関車も健在ですグッド!

今作冒頭、旧新橋駅ありし頃、まさに現役で走っていた機関車です。

 

150年の時を経て奇跡的に現存していますが、この1号機が今に伝わって博物館入り出来た理由の一つに、官営鉄道を引退した後、九州の島原鉄道に払い下げられ、長く使われていた事がありますヒマワリ

 

昭和初期、島原にあった同機が鉄道記事を得意とする新聞記者の目に留まりました。彼が保存を運動、国に買い戻されて、当時日本唯一の鉄道関係博物館だった神田・交通博物館入りが実現しました。現在は国重文に指定されています宝石ブルー

古今の名車が居並ぶ展示室ですが、前述の通りここは「た」シリーズで作にしていますので、概略はそちらを参照頂き(※末尾にリンク貼っていきます)、今作ではその作で出してなかった車をいくつかピックアップしていきますメモ

大宮鉄博ならではの名車が、↑ED40型電機(※国重文)

信越線・群馬~長野県境の碓氷峠を越えるため、日本初の国産山岳用電機として活躍しました霧

急勾配を登るため、欧州の登山鉄道を手本として、線路の間にもう1本凹凸のあるレール(※ラックレール)を敷き、機関車の歯車と噛合せて走る『アプト式』が採用されました。↑そのレールも再現されてますカメ

↑往時の碓氷峠越えの姿

当別荘、過去作で碓氷峠を訪ねてますので、末尾にリンク貼っておきますサーチ

↑我が国通勤電車の元祖的存在、ナデ6141号電車(※国重文)

1914(大正3)年製造、山手線や中央線で使われ、その後は目黒蒲田電鉄(※現東急目黒/多摩川線)→日立電鉄と変遷、最終的には貨車に改造されてましたが、鉄道100年を記念して国鉄に戻されて復元、同館オープンと共に常時公開となりましたヒツジ

↑はご存じ、北海道鉄道創始期に活躍したSL『弁慶号』ですDASH!

前述の通り日本の鉄道はイギリスの技術を導入して開業しましたが、北海道については米国の技術も入れたので、機関車も西部劇に出てくるようなアメリカンスタイルとなりました^馬

なお、兄弟機の『義経号』が京都の鉄道博物館に、『しづか号』が故郷・小樽市総合博物館で展示されていますペンギン

 

↑コンテナ列車を牽いて活躍するEF66、ブルトレの牽引にも使われました。機関車の後ろには~

国鉄時代のコンテナも繋いであります。貨車については「た」シリーズの作でも出てますが、鉄道150年の歴史上重要な存在なので、あえて出しましたカメラ

全国に数ある鉄道関係の博物館中でも、ここ大宮は貨車の展示台数が多く、さすが車両工場隣接の館という感じです^^

 

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ではここから、鉄道150年の歴史をドップリとみていきます^ペンギン

本館の片隅にある『0系ルーム』へ新幹線前

この部屋には、世界初の高速鉄道・日本の誇る新幹線の歴史が凝縮されていますドア

やはり、我が国鉄道150年の歴史で最も大きな出来事は、紛れもなく1964(昭和39)年の東海道新幹線開業だと僕は思います星

展示車の横にはホームが模され、↑開業時東京駅のホームに掲げられた祝賀の掲示が、当時の字体を再現して吊ってあります目

車内にも入れます男の子

懐かしの↑バッタンコ式シートが並びます。子供の頃初めて乗った時の思い出が甦ります^

新幹線の建設・開業に関する歴史は、名古屋にあるJR東海の館が詳しいですが、大宮はJR東日本にも拘らず、戦前の弾丸列車計画に始まる建設経過について詳説していました。

大宮は旧神田の交通博物館を引継いだ形なので、自社に拘らず全国の鉄道展示が万遍なくあるのも魅力ですヒヨコ

戦後復興の目玉として、国家プロジェクトで推められた新幹線建設、↑検討案は「在来線を改良」や「狭軌別線(※今で言うスーパー特急式)」も検討されましたが、明治以来国鉄の悲願であった『標準軌』と、技術が当時確立したばかりの『交流電化』を一気に新採用する大英断を下し、国鉄は国の威信を背負い、世界銀行から融資をうけて工事を急ぎました。

 

また、現在でも世界各国の長距離列車は、機関車が客車を引っ張る『動力集中式』が多いですが、新幹線は動力分散式(※つまり電車)を採用、この方式でも日本は世界をリードしていましたベル

そして1964(昭和39)年、同年開催された東京オリンピックに間に合い、戦後復興を世界中に知らしめた”世紀の超特急”は、日本の夢を乗せて走り始めたんですキラキラ

↑東京駅にある記念プレート(※レプリカ)

”この鉄道は、日本国民の叡智と努力によって完成された”

 

冒頭の旧新橋駅から1世紀足らずで、日本は世界一の高速列車を持つに至りました。しかし近年は、欧州やアジア各国でこれ以上の鉄道システムが次々と実用化していますが・・(頑張れ、日本)虹

 

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・ではここから、初訪問、2018年にオープンした『南館』へカメ

中へ入ると~

東北新幹線2両が迎えてくれますウサギ

南館は4階建てで、1Fは鉄道の仕事解説、2Fは『未来の鉄道を考える』や運転シュミレーターのコーナー等、3Fが歴史展示、4Fはレストラン等です。2階以上の内容は、手狭になってきた本館から移設したものです宇宙人

今作では、3Fの歴史展示をみていきます右上矢印

”歴史ステーション”、開業前史から現代まで、時代を6つに区分して、主に技術面からの進展を解説しています。

まずは明治初期から晴れ

鉄道開業時については、前半の旧新橋駅で詳述したので割愛しますが、大宮の展示では、新橋同様に横浜でも開業式が大々的に行われた記録がありました。また、駅や車両だけでなく、路盤も一部海を埋め立てて築堤した上に敷設する等、当時最先端の土木技術が用いられました。近年高輪ゲートウェイ駅が開業した時、その遺構が発掘されて話題になりましたね・

開業当初は機関士まで全員イギリス人でしたが、次第に日本は技術を学び取り、自ら全国へ鉄道を延長していきました女の子

京都~大津間、日本初の山岳鉄道トンネルである逢坂山トンネルは、日本人の手で掘られました手裏剣

車両面でも、日本は製造技術を自分のものとしていきました。

↑は国産初の機関車・860型DASH!

明治中期になると私鉄が多数設立され、現東北本線や山陽本線等は私鉄の手で敷かれました。明治政府が急いだ富国強兵・殖産興業に官民挙げて突っ走った時代です馬

しかしこれら”長距離私鉄”は明治末期頃には国有化され、私鉄は主に都市近郊や地方線の輸送を担う役割に分化していきます電車

↑現・阪急電鉄を創業した小林一三。

彼は、沿線に住宅や娯楽施設、デパート等を直営で建て、乗客を誘致するという手法を日本初に打ち立てた、現在の私鉄経営の基をつくった人物ですビル

大正期に入ると、皇居の前に↑東京駅が建設され、名実ともに日本の交通は鉄道が担う時代となっていきますチューリップ赤

昭和に入ると、技術進歩は次第に、乗客サービス等の”ソフト面”にも及んできます。

↑は昭和初期、名古屋駅に設置された電光式の発車案内。既に戦前にこれがあったとは驚きひらめき電球

戦前の一時期、鉄道は第一次の黄金期ともいえる時期でした。『つばめ』『富士』等の特急列車が運行開始し、戦勝で拡大した領土にも路線を延ばしていきました。↑は東京~ベルリン間のキップ。東京駅の窓口で「ベルリン1枚」とか言って切符が買えた時代です叫び

橋を架け、連絡船で結び、鉄道は海をも越えていきます船

しかし日本は、泥沼の第二次大戦に突入、鉄道も戦時体制へ、旅行も自由に出来ない暗黒の時代へ汗

1945(昭和20)年8月15日、敗戦した日本・

 

大都市が軒並み焼け野原となる中、鉄道も大きな被害をうけるも、ギリギリのところで輸送を続けました。↑展示文には「終戦の日にも東京駅に汽笛は鳴り続けた」とあります。

終戦後は復員や買出しのため、運行出来た数少ない列車は屋根まで人が乗る大混雑となりましたあせる

そして戦後、平和国家となった日本は経済成長に専念し、鉄道も復興、”第2次黄金期”を迎えますロケット

新幹線やローカル線を全国へ張り巡らす計画が立てられ、イケイケどんどんの時代でしたUFO

↑大混雑する、昭和30年代の上野駅。

当時は『質よりも量』、輸送力増強が喫緊の課題でしたあせる

しかし国鉄は『質も量も』と、技術革新も怠りませんでした。

戦後復興の結晶として、世界が驚いた東海道新幹線を完成させたのは前述の通りです星

↑新幹線と名神高速が並行する光景、まさに高度成長期の日本です新幹線前

ソフト面でも、自動券売機の登場等、着々と近代化をすすめた国鉄、↑ポスターの「ズラリ並んだ自動販売機」のコピーが最高ですw

戦後の車両は、乗り心地やコストも重視した、現在の考え方になってゆきます黄色い花

世界初、アルミ材を鉄道車両で実用化した↑山陽電鉄の2000系。ちゃんと大宮鉄博でも紹介されています。一応僕の好みで入れておきます^^ブーケ1

首都圏では『通勤地獄』とまで言われ、社会問題になった殺人的混雑を緩和するため、国鉄と私鉄/地下鉄の相互乗入が積極的に導入されました地下鉄

区分5(1970~90)は↑”未来への蓄積期”となってましたが、僕から言わせればこの時代は、「鉄道の曲がり角」だったのではないでしょうか・あせる

 

国鉄が赤字に転落したのは、奇しくも東海道新幹線が開業した年、1964(昭和39)年からでした。

日本の経済と産業を1世紀支え、もはや国民生活に欠かせないインフラとなっていた国鉄の改革は、避けて通れない国家の課題となりました叫び

国鉄は↑新聞に全面広告を出し、窮状を世に訴えました(※↑の新聞、僕も保存してます)

ついに国会も動き、国鉄改革法案が可決、地域ごとに分割して民営化する事が決まったんですベル

国鉄終焉近く、↑電車内に掲げられた『JRになります』の中吊り。

時代の節目を感じる一枚カメラ

そんな極限の環境でも、国鉄は技術革新を止めませんでした。

↑左は国鉄末期に導入された自動改札(※↑右は、日本初で本格導入した阪急のもの)

東北/上越新幹線や、青函トンネル・瀬戸大橋線の建設、筑肥線の大改造等、国鉄最後のプロジェクトといわれる事業も、止めずに行われました。そして~

1987(昭和62)年3月31日、日本の鉄道を進化させてきた国鉄は、新会社にその使命を託し、旅立っていったんです流れ星

↑国鉄最後の日に発売された、全線フリー切符。18キップと違う点は、特急自由席も乗り放題だった事虹

展示は、JR転換後も、ICカード導入等、技術革新はたゆみなく続けている、という所でおわっていましたペンギン

いかがでしたでしょうか、駆け足で振り返った鉄道150年の歴史ですが、明治以来の近代日本の成長とまさに表裏一体、少し大げさに言わせてもらえば、『鉄道の歴史は近代日本の歴史』といえると僕は思いますネコ

あとは、キッズコーナーとかもひやかして・w

秋の日は釣瓶落とし、退館して外に出ると、もう暗くなってました星空

JR工場横を歩いて、ブラっと大宮駅に戻りますリサイクル

旧新橋駅&鉄道の街・大宮でWo流に振り返った鉄道150年でございました・

・ただ、現在進行形の『赤字ローカル線問題』は、展示には見当たりませんでした。この問題が”博物館入り”する頃は、どんな結論が出ているでしょうか、終戦の日も国鉄終焉の日も、休まず走ってきた鉄道、この瞬間にも、新たな歴史を鉄輪に刻み続けています・虹

 

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