vol.198 JR大宮工場 鉄道フェアへ行く | 旅ブログ Wo’s別荘

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 僕の仕事は、休日曜日が半年に1度変わるんですが、今年10月までは久々に『土日休み』が廻ってきました^晴れ

これが過ぎると、次はまた3年半後なので、今年は『出来るだけ、土日にしか行けないイベント等へ行こう!』を行動方針の一つにしています^グッド!

 

という事で・

先月のさる日、さいたま・大宮駅へ行って参りました電車

この日、同駅近くで”JRのイベント”がありました。

大宮駅は東西に駅前広場がありますが、どちらかというと西口のほうがメインで、デパート等が入る駅前のビルと2Fデッキで直結。かなり大都市風の(※実際大都市ですが^)の駅前風景ですビル

大宮駅、ホント巨大で、新幹線はじめ在来線間の乗換線数も多く、東京駅や新宿駅にも遜色ない程終日ごった返してます。

又特筆したいのが、同駅改札内の『駅ナカ』。店舗数が凄く多く、一瞬ここが改札の中なのか外なのか忘れてしまう程ですプレゼント



西口からは、↑の新交通ニューシャトル”が出ています電車

鉄博へ行く時の足としておなじみですが、今作ではこのニューシャトルと並行して、西口から北へむかって歩き、イベント会場へ向かいます走る人

 

で、その”イベント”というのは~

本日の目的地は、↑ここです。

駅から歩15分位、駅と鉄博の中間あたり、JR東日本・大宮総合車両センター(※大宮工場)ですフラッグ

この日は、普段非公開の大宮工場を特別に開放・見学できるというイベントがありました^クラッカー

門から中へ入ると~

 

勿論普段は関係者以外入れない工場内ですが、この日はいろんな出店が並び、万国旗が翻る下、沢山の来訪者が闊歩しています虹

構内には多くの工場棟が並んでいますが、そのほとんどが見学者通路を設定した上、公開されていましたしっぽフリフリ

広い工場内には、↑普段作業している時のまま部品等が置かれていました。普段、一般人はなかなかお目にかかれない光景です目

都内でよく見かける↑車両たちが、定期検査のため工場入りしていますレンチ

春のジャワ旅シリーズで度々出てきた205系電車、↑は武蔵野線で使われているものです。インドネシアでも活躍を始めた205系ですが、日本でもあとしばらく活躍しそうです^グッド!

安全のため、カメラは"手持ち撮影"に限っていましたカメラ

検査中の機関車も何両か置かれていました。

↑は貨物用ディーゼル機、DE10型

↑業務連絡の紙が車体に貼ったままなのが、かえって臨場感ありましたメモ

台車(車輪)が外された状態で吊り下げられている電気機関車とかげ

↑のEF65、国鉄当時に数百両つくられ、かつては貨物用・旅客用・貨客両用の3タイプを有し、ブルートレインも牽引していました。

東海道線・山陽線等で活躍していた我が国を代表する電機でしたが、近年は次第に活躍の場が狭まっています・

片や、↑はJRになってから製造された最新型貨物電機、EH200星

このEH200、運転台を見学できるツアーをやっていて、親子連れが行列をつくっていました女の子

↑の南武支線・鶴見線用205系には・

"休憩車両"の張り紙がクリップ

車両の前には、地元の障がい者団体等が出店しておられましたキャンディー

せっかくなので休憩しました^ウサギ

 

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しかし、本来は見学者を受け入れるような構造になっていない工場内に多数の来客を受け入れるため、準備の大変さは想像に難くありません。

面白い発想だなぁと思ったのは、↑工場内の複数の場所で、“模型鉄道”の運転をやっていた事リサイクル

『本物の車両に見守られながら模型を楽しむ』というのは、考えようによっては凄く贅沢な気もします^宝石緑

 

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再び建物外へチューリップオレンジ

工場横の側線には、このフェアのために隣の鉄博から借りてきた車も含め、何両か車両を展示していました電車

↑は、たまたま大宮へ検査入場していた(※と思います)、ふだん磐越西線で『SLばんえつ物語』に使われているC58型蒸機DASH!

JRの在来線、戦前から電化されてきた東京や大阪等、主に太平洋側は”直流電化”、それに対し北陸/東北/九州/北海道地区は、戦後になってから電化がすすみ、”交流電化”方式が採られました。

↑のEF81型はその両方を跨いで走行できる『交直流電機』として、昭和期から全国を股にかけてきた機関車です星



そして、僕が一番"ほほ~"と感銘をうけたのは、↑のDD13形ディーゼル機ひらめき電球

DD13、主に構内入換用やローカル線用の貨物機として約400両近く製造され、昭和期は小型DLのスタンダード機でした。

僕も田舎にいた頃は、駅でよく貨車の入換に忙しく動き回ってたのを覚えています。所属表示の↑"品"は旧品川機関区、このトップナンバー機は品川で長く活躍していたそうです。

そして、ナンバープレート下の"汽車会社"の銘板、我が国最古の車両メーカー、汽車製造会社製です(※現在は川崎重工に合併)クリップ

そして、僕がある意味ショックをうけたのが、↑の添付文目

現在JRには全く在籍しておらず(※全車廃車又は譲渡)、この展示機は隣の鉄博から借りてきたものだそうです。

子供の頃、近くの駅に行けば当たり前に走っていたのに・あせる

ディーゼル機といえば、↑の車も注目です。

↑はDD51型、先程のDD13型より一回り大きく、主に非電化幹線で現在も活躍しています。寝台特急・北斗星の北海道内もこの型が牽引していました星空

しかしこの形式も、国鉄当時から既に40年近く経過し、淘汰が始まっています。

車両前の↑看板の通り、この車が大宮工場で検査出場する最後の車だそうです汗

愛知機関区(※東海道線・稲沢駅近く)所属だそうです。

ここで"愛知の稲沢はJR東日本エリアじゃないのでは?"という事ですが、大宮工場の中には一部JR貨物が持っている棟があり、貨物社の車は全国からここへ集まってきますカメ

貨物棟の横では、↑“オークション形式の部品即売会”も行われていましたベル

それにしても、鉄道車両がまるごと入る大きさの工場なので、一つ一つがホントにデカかったです。

↑写真、開口部と人物の大きさを比べるとわかります男の子

↑の棟では台車の組み立て作業の実演をしていました。生で見られる鉄道工場のお仕事、ホント企画が盛り沢山でした^

国鉄時代の仕事風景を写した、↑記録写真展もカメラ

ちょっとマニアックですが↑"電車の主電動機"を集めたコーナーも^

このコーナーが楽しめたらかなりのマニアですペンギン

又、工場内には数々の、”乗って楽しむ”企画も満載でしたしっぽフリフリ

↑は主に親子連れ向けに、工場内の数百mの側線を使って、踊り子型185系の試乗会をやっていました(※1時間位並んで整理券をゲットする必要有)新幹線

僕もひとつ乗ってみることにしました^

一番待ち時間が少なそうだったw、↑普段は工場内で車両を平行移動させるのに使う"トラバーサー"での移動体験へハチ

↑長細~い内部、鉄道車両1両まるまる載せるので、全長20mあります。

普段は『関係者でさえ乗らない』部分なので、特設の手すりと踏み台が付けられていました注意

ゆっくり動き出しました!

↑の両側の工場、車両を出入りさせる開口部が見えますが、その仲を取り持つのがwトラバーサーです左右矢印

↑に写っている200m程の間を往復してくれました。書けない程の不思議な乗り心地でした^あせる

 

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”乗れるもの”は鉄道関係だけではありませんでした。

↑さいたま市が、消防車や救急車を出展していました^みずがめ座

埼玉県警はパトカーや白バイを展示。いずれも動きませんが、内部に乗れる車も^ヒツジ

このイベント、年1度行われているんだそうですが、鉄ちゃんならずとも、特に家族連れとかはなかなか楽しめると思いますグッド!



工場内にポツンと置かれていた、↑国鉄が試作した『ガスタービン車』の一部メラメラ

 

昭和50年代前後、国鉄は非電化区間の高速化を目標に、フランスやアメリカ等で当時開発中だった、ガスタービンを動力とする鉄道車両を日本でも導入すべく、実験を重ねていました。

↑の車両も山陰から東北まで全国各線を試走したそうですが、故障や騒音の多さ、又『高速化は電化で』という時代の流れとなり、実用化には至りませんでした汗

ラストに、管理棟にあった↑資料室を覗いていく事にします走る人

お~

普段一般客は入れないこの室、充実した展示に目を見張ります目

この資料室、このイベントのため特設されたものではなく、普段は関係者が来訪した時などに見せている所との事ですが、鉄博にもないような史料が間近で見られて、なかなかレア感満喫でした^キラキラ

↑戦時中の職場改善ポスター旗

“省け手のムダ、口のムダ”とか、現代でもいろんな業種で通用しそうです。

↑国鉄時代の車両仕様書、なかなかお目にかかれない内部資料ですクリップ

この展示室、大宮工場で働く方々が、この工場の長く輝かしい歴史に誇りを持っている熱い思いが伝わってきますキラキラ

先程工場内でもありましたが、ここでも写真展をやっていました。

しかも”お宝写真”多数^カメラ

中でも、↑は超レア写真だと思いました。近年はあまり行われなくなりましたが、一時ブームになった”ミステリー列車”ですオバケ

 

↑は1986(昭和61)年、当時の蒲田電車区所属の103系に"特急"の表示(!)を付け、高崎線経由で秩父鉄道の長瀞駅まで運転したという事です。ありえないようなレアな経路、もし又実施するなら必ず応募しますw星

大宮といえば、中高年以上の年代には懐かしい↑の列車、”新幹線リレー号”新幹線

 

1982(昭和57)年、東北新幹線が開業しましたが、当初は大宮~上野(東京)間の工事が間に合わず、大宮~盛岡間の暫定開業となりました。

上野開業までの3年間、上野~大宮間で特急券購入者のために運転された直行列車でした。上野開業後、↑185系は東海道線特急の”踊り子号”へ転用されました波



さいごに、大宮工場の歴史を簡説して締めたいと思います本

 

↑は、国鉄時代に掲げられていた工場玄関の銘板ですが、元々この大宮工場は1894(明治27)年、現在の東北線を私鉄で開業した日本鉄道(株)の車両工場として創設されたのが始まりです。

ゆうに1世紀を越える歴史を持つ、我が国屈指の鉄道工場です。

 

その後、東北線が国有化されたのに伴い鉄道省、終戦と共に公社化で国鉄に、さらに1987年の国鉄解体に伴いJRへと、まさに歴史の波にもまれながら、時代時代の鉄道車両を守ってきた工場です。

興味津々の連続、充実の大宮工場見学でした^星

 

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大宮駅に戻ると、↑コンコースで”着ぐるみイベント”をやっていました。沿線各地のゆるキャラが大集合w

Suicaペンギンの実物、上京11年目にして初めて見ましたwペンギン

↑は大宮駅のゆるキャラ、"まめお"クローバー

今年、同駅開業130年を記念し、デビューしたばかりだそうですw



全国的にも人気の"ぐんまちゃん"をはじめ、北関東のいろんなゆるキャラが一堂に会していましたが、僕がこの中でピカ一だと思ったのは、久喜市の"しょうぶパン鬼ー"ひらめき電球

ネーミングの通り鬼が勝負パンツをはいていて^、出会った人の”勝負運”を応援するという強い味方だそうですグッド!

名の由来は、2010年久喜市に合併された旧菖蒲町(※花ショウブ園もある)からとの事です。競争熾烈なゆるキャラ界ですが、将来的に有望株かも^

 

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コンコースを通り抜け、次は↑東口を少しみておきます。

西口よりは少しローカルな感じですが、こちらも人並は多いですカエル

元々西口のほうがメインな上に、鉄博や大宮工場への道も全部西口からですが、東口も負けじと、いろんなイベントをやっていましたオレンジ

 

この日、工場内や駅コンコース・鉄博・東口側等、数ヶ所を巡るスタンプラリーをやってたんですが、記念品をゲットするには必ず東口側のを1つは押さなければならず、東口へ足を運ばせる工夫をしています^将棋

↑若手の漫才師が鉄ネタで漫才をしてたんですが、なかなか面白かった↓

「>遅れてごめん、待った?」「@もぉ~何やってたのよ!」「>ごめんごめん、時間通り着いたんだけど、埼京線で22番線に着いたから遠くて・w」

(※実際、埼京線の地下ホームからは他線へ遠く、東口までは急いでも5~6分以上はかかる)あせる

ラストは、↑西口から歩いてすぐの鐘塚公園内にある”スタンプラリーのゴール”へ、ここでJR大宮支社特製の“D51ジグソーパズル”をもらいましたグッド!

(※この鐘塚公園にも、ステージや出店多数)



1世紀以上の歴史を誇る、鉄道の街・大宮星

 

しかし、日本鉄道が1883年に高崎線(※上野~熊谷)を開通させた当初は、浦和から上尾までの間に駅は無かったそうです。

同区間開業時、大宮駅は造られなかったんです叫び

 

大宮は、江戸時代は中山道六十九次の宿場として、また武州一之宮である氷川神社の膝元として栄えました(※地名・駅名の由来はこの氷川神社から)が、明治維新以降は急速に寂れ、"駅造る必要ナシ"と判断される程にまで寂れてしまっていたとの事です汗

 

しかし、『このままでは大宮はますます衰退する』と、地元の篤志家が私財を投げうって駅敷地を寄付し、大宮に駅を誘致したそうです。

明治~戦前は、全国各地でこういう篤志の話はホントに多いです。莫大な内部留保を溜め込みながら大した社会貢献もしない今の大企業・富裕層に見習ってほしいと思いますにゃー

 

かつて、大宮のような”鉄道の街”は全国にありました。

滋賀県米原や、新潟県の新津/直江津、香川県多度津、北九州の門司、佐賀県鳥栖等、国鉄工場や大きな機関区、主要乗換駅があった街は、それによって多くの雇用が生まれ、人が集まってきて栄えました。

 

明治維新がきっかけで衰退が始まったという大宮も、駅の誘致が成功した事によって甦りました。

 

その後大宮工場が建ち、さらには東北線と高崎線が分岐する結節点となった事で再び繁栄を取り戻し、今や新幹線も停まる政令指定都市にまで登り詰めました星

 

前述した全国各地の“鉄道の街”は、国鉄末期やJR化後、工場や機関区の廃止・縮小により”過去の栄光”となってしまった街も多いですが、今なおこれだけ大規模な鉄道イベントが開ける大宮をちょっと羨ましくも感じつつ、帰途につきました^虹

 

 

 

 

 

 

(※2022.11 2024.7 文一部修正)