vol.246 満を持してオープン!JR西日本・京都鉄道博物館に行く (前編) | 旅ブログ Wo’s別荘

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 さようなら、弁天町、昭和の夢・

のくだりで終わっていたのは、一昨年upした『ついに閉館・国鉄時代最後の鉄道博物館、.JR西日本 交通科学博物館』の作です(vol.171)

 
あれから2年、当時の弁天町でも既に開館予告が出ていましたが、昨年春、その交博を受け継ぐ新博物館が京都にオープンしましたクラッカー
 
JR東日本や東海は一足先に、大型鉄道博物館をオープンさせていますが(※当別荘過去作でも訪ねました^)、西日本は出遅れた分だけ、それに負けない程の規模の大博物館を京都に開設。まさにタイトル通り”満を持してオープン”です^星
 
開館は昨年GW時だったんですが、当初は連日大混雑だったので、ようやく落ち着いてきたこの時期まで待ち、僕自身も満を持して行って参りました走る人
・という事でやってきました。既に築20年経つとは思えない程斬新なデザインの巨大駅ビル、京都駅です。
古都である反面、常に新しいものも求める京都を象徴しているような駅です^キラキラ
そしてこれまた↑京都のシンボル、駅前で天を突く京都タワー東京タワー
僕の京都在住の友人も「遠方から京都駅へ着いてこれを見ると京都に帰ってきた気がする」と言ってましたので、地元の人にもシンボルとして受け入れられているようです^
 
これも建てた当初は賛否両論あったようですが、こういう"新旧同居の光景"が、京都の魅力を1000年以上に亘って保ってきた秘訣だと僕は思います^おひなさま
京都論を語ってたらそれだけで1作おわってしまうのでw、早速鉄博へ向かいたいと思います^
京都駅から歩いて15分位です。道順を写真でご案内しますグッド!
烏丸口から西へ、↑中央郵便局とビックカメラの間の道をすすみますぶーぶー
そして、アパホテルとセブンに突き当たったら左折左矢印
このセブンが、博物館までの道のラストコンビニです(2017現在)コンビニ
曲がったらすぐJR線の線路沿いになります。更に西へすすみますあし
いつも電車の窓から流れていくリーガロイヤルやタキイ種苗を目前に歩くのもたまにはいいもんですwチューリップ黄
所々に、↑鉄道関係や京都の文物をあしらった鉄製の道標があり、一つごとに違う凝ったデザインが楽しいです^
そして道は、↑梅小路公園へと入ります桜
この公園を通り抜けると鉄博です。
この公園、京都駅からすぐと思えないような広大な敷地しっぽフリフリ
ここ、元々国鉄の貨物操車場があった場所で、土地が限られる京都市内において貴重な都市空間となっています霧
公園の隣には、↑京都水族館があります。この水族館と鉄博のセットチケットもあり、子供連れのかたはこの公園中心に一日楽しめますうお座
この梅小路公園で鉄的に注目なのは、↑園内で保存されている旧京都市電。
1895(明治28)年、我が国最初の路面電車が開業した京都、公営の市電としては比較的近年まで残り、1978(昭和53)年に廃止されたとの事。
京都市内には現在も嵐電が一部路面を走っていて、かつて路電王国だった京都の面影が楽しめます。
屋根の下に4両が停められていて、手前の2両はカフェとショップに利用、後ろの2両は当時のままの姿で内部も見学出来ますお茶
屋根が付いている(これ重要)ので、今後末永く良好な状態が保てると思います^^
また、写真割愛しますが公園内には別に動態保存されてる市電と短距離の線路が敷いてあって、土日には運転も行われているとの事^ベル
公園の西端に、↑山陰線の高架がみえてくると・
その高架のむこうが、鉄博ですフラッグ
鉄博の敷地に入ってまず左手に見えるのが、↑の和風な建物もみじ
この近くの山陰線・二条駅で、鉄博開設直前まで現役だった、旧駅舎です。
この駅舎が鉄博の「出口」なんです、次作後編ラストで出てくるので覚えてて下さい^^
入口は、↑先の尖った建物目
この中でチケットを購入し、入場しますチケット
京都鉄道博物館、これからじっくりと見学します。お付合い下さい^
 
エントランスを入ってまず目の前に現れるのが、↑の3両電車
蒸機/旧型電車/新幹線0系、新旧車両が揃い踏みです^
 
名古屋のJR東海館でも、入ってまず"シンボル展示"としてピックアップされた車両を最初に見せるという演出がありますが、それに倣った展示方法のようです目
 
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※文中の博物館関係略記=
◎今作で「鉄博」とあるのは、ここ京都の鉄道博物館です。
◎JR東日本・鉄道博物館は「大宮の鉄博」と表記。
◎「弁天町」は、ここのオープンに伴い閉館した大阪・旧交通科学博物館です。
◎「名古屋」「JR東海館」とあるのはJR東海・リニア鉄道館ですクリップ
(※その他の鉄道関係博物館は略さず表記)
 
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↑の”初代湘南電車”として名高い80系電車オレンジ
これも含め保存車両の大半は、弁天町から移動してきました。弁天町では入口の横に屋外展示されていました。
戦後の東海道線電化初期に活躍、末期には山陽線の普通列車に使われていました。
この、みかんをモチーフにしたオレンジと緑の塗色は、その後多くの国鉄電車で採用され、現在も見かけますオレンジ
そして、同館の保存車両中でも光彩を放つ、↑0系新幹線トップナンバー4両新幹線
弁天町時代は狭い建物の隅っこにありましたが、京都では広々とホーム付きで展示^
(※鉄道記念物)
0系幹線車4両のうち3両は車内へは入れませんが、弁天町時代に座席が取り去られ映写室として使われていた端の1両は、展示室として使われていました。この0系に限らず、京都鉄博の車両は文化財保全の点から、中へ入れない車が多く見受けました。
そして、弁天町時代人気だった、↑運転台見学も継続してやってました^新幹線
2年ぶりに座った、世界初の高速鉄道のコックピット・
歴史の重みと昭和の情熱を感じる一瞬です^星
シンボル展示車3種を見た後奥へすすむと、展示車の数々が現れます目
名古屋や大宮と違うところは、”順路が屋外から”という点ですヘビ
 
↑は、ドイツの技術やデザインを採用したDD54型ディーゼル機。
非電化区間の近代化・効率化を目指し、東海道新幹線開業の頃に造られましたが、スマートなデザインとうらはらに故障が多かったそうで、40両程の製造にとどまったとの事。現存するのは全国でこの1両だけという貴重な車ですキラキラ
そしてその横には、大阪環状線で約40年間活躍していた、103系電車の1号車リサイクル
僕も学生の頃よく乗ってた懐かしい車です。ホントつい最近まで走ってたので、優先座席のステッカー等は現在のものが貼られています。環状線には先般、久々の新型車(323系)がデビューしましたブーケ1
さらに103系の横には、弁天町時代に屋外展示の屋根を兼ねていた京都駅旧1番ホームの上屋がありました。まさかの『屋根、里帰り』です^
 
上屋の下には・・
往年の名電機EF58と、これまた最近まで現役だった交直流電機・EF81ひらめき電球
両機とも後ろには寝台車を従えていますお月様
ゴハチの後には24系、トワイライト塗色のEF81には勿論、昨年廃止されたトワイライト号の客車星空
面白いと思ったのは、トワイライト号食堂車の中に当時使われてたレジがそのまま残されている事がま口財布
メニュー名等がシールで貼られたままで、これ将来貴重な文化財になるのでは?とも思います^
一方、24系寝台車は、ベッドをセットした状態と昼間の状態の再現を、窓越しに見られます目
ゴハチのヘッドマークは『あさかぜ』(※東京~下関)のものが付いてましたが、寝台車の方向幕は大阪~青森間の『日本海』になってました。どちらも懐しい幕です^
そして寝台車の逆側には、なぜかポツンと^、国鉄を代表する電機と言っていいEF65型が・
国鉄電機中最大の製造数(約300両)を誇り、全国の直流区間で貨客両方に大活躍しました。現在も一部現役です。そのトップナンバーがここ京都にあります宝石ブルー
 
このEF65、弁天町には無かった車で、長年宮原の車庫(※新大阪駅近く)に保管されていたものを持ってきたとの事。しかしそんな貴重品の割には、少々寂しげな展示具合(汗笑)あせる
 
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次は、いよいよ本館の中へ^
玄関を入ると~
広々としたメイン展示場が迎えてくれます。
玄関横には↑の古典蒸機、『230型』
弁天町では屋外にありましたが、京都ではピカピカに磨き上げられて大出世です^
1903(明治36)年製造、初の国産蒸気だそうです。鉄道記念物・機械遺産指定であるばかりか、その美しい姿から、”美術工芸品”として国重文の指定をうけたとの事王冠1
そして、屋内展示もシンボル的な3両をまず前面に出しています。
いずれも特急用電車で、左から新幹線500系、581系寝台電車、489系特急車ですブーケ1
子供に一番人気なのは、↑新幹線500系新幹線前
今見ても未来感満点のシャープな顔^
 
JR西日本が独自に開発した新幹線車で、元々東海道より高規格で設計/建設されている山陽新幹線の造りを生かすため、時速320kmを目指して設計、実際に山陽区間では時速300km出して営業運転されていました。
 
しかし東海道区間ではせっかくの高速性能が充分生かせない事や、性能重視でつくられたため車内がやや狭かったり、車内設備の一部がJR東海区間では使用出来なかったり等もあり、わずか10年余で『のぞみ』運用から外されました。
2017現在は8両編成化されて山陽区間のこだまとして運転という、ちょっと寂しい余生をおくってます汗
そして真ん中には、これまた国鉄史に残る”世界初の電車式、581系半月
新大阪~博多間で運転されていた伝説の夜行特急『月光』で活躍した後、全国の特急に使われました。この同型車は、門司港の九州鉄道記念館にもあり、過去作で(vol.211 15.11.23up)詳述してますのでご覧下さい^
そしてこれも名車、『489系特急型』
全国各地で保存されている↑”ボンネット特急車”ですが、ここはJR西なのでヘッドマークは『雷鳥』ヒヨコ
 
北陸線の特急に長年使われましたが、今はJRになってからの新型車に置き換えられ、名前も『サンダーバード』と横文字化(?)されました雷
 
ここで、僕の大胆な^仮説を発表しますが、この”雷鳥”の名前、いまJR西が"キープ"している状態だと僕は想像します。
・というのは、将来北陸新幹線が大阪まで全通したその時、新幹線で”雷鳥”の名を華々しく復活させるのではないか?と・
JR西さん、図星でしょうwひらめき電球
こういう博物館に欠かせない『年表』ですが、大宮や弁天町にもあった1枚モノではなく、時代時代をブロックに分け、実物入りで解説していくという、いわば"立体年表"(?)になっていました。
その"立体年表"、イギリスで蒸気機関が発明され、世界初の鉄道が敷かれたところから起こしていて、格調高く始まっていますクリップ
そしてやはりJR西なので、関西の鉄道史を重点的に取り上げています。
1872(明治5)年、品川~桜木町間で我が国初の鉄道が開業、それにつづく日本2番目の鉄道として、早くも2年後の1874(明治7)年、大阪~神戸間が開通クラッカー
日本初のトンネルも同区間につくられました(※石屋川トンネル)
↑写真は、今の姿から想像もできない初代大阪駅です家
その初代大阪駅で、↑時を知らせていた鐘。
前に立つと自動的に音が鳴ります^ベル
大宮の年表でも詳説していましたが、我が国鉄道は明治期、私鉄によって全国に幹線を敷設し、その後鉄道国有化法により官営になっていったという経過を辿った路線が多くあります。
 
『日本鉄道』によって開業した東北本線もその一例ですが、ここ京都で最も力を入れて解説している路線も、私鉄によって開業しました。その路線とは~
『山陽鉄道』、現在の山陽本線です黄色い花
神戸~下関間を民営で開通させた山陽鉄道ですが、しかし当時どうやって、巨額の資金集めや土地買収を短期間に成し遂げたんだろうと僕は思います。
山陽鉄道は、日本初の食堂車・寝台車・列車ボーイ等、日本初のサービスが目白押しの、斬新な列車営業の姿勢で注目を集めましたクラッカー
↑の蓋付のクイズ、蓋を開けてみると・
答えのほとんどが『山陽鉄道』^
 
当時、神戸~下関間では、瀬戸内海航路と乗客の奪い合いをしていたとの事。戦前からこんな大競争やってたのかと思うと意外な感じもします。
 
又、湊町(※現JR難波)~名古屋間で開業した関西鉄道(※現JR関西線)は、最初から官営だった東海道線と、名阪間で熾烈な競争を繰り広げていたとの事。過剰な運賃値下げ合戦についても解説があり、さいごには関西鉄道が「会社潰れてもいいから客を集めろ」あせると、採算度外視の運賃値下げを重ねていたとの事。戦前にこんな"自由競争の歴史"があったとは・叫び
しかし鉄道国有化によってそんな競争もなくなり、やがて第2次大戦へ、一般人は自由に旅行もできない暗黒の時代へ・
 
・そして戦後、国直営だった鉄道が公社化され国鉄へ。
特急も復活し、ようやく日本に希望が戻ってきましたが~
↑は国鉄末期の頃の特急一覧ですが、戦後急速に増大していった旅客、いくら特急や急行増発しても、追いつかない程の需要増大、そこでつくられたのが『新幹線』でした。
新幹線史については、JR東海館の作で詳述しましたので割愛します新幹線
 
弁天町でも展示されてましたが、新幹線開業当時のキップ類、そして↑中央の金のボルトは、東海道新幹線建設ラストに締結された記念ボルトです。川崎市市ノ坪・現在のJR武蔵小杉駅付近で締結されましたベル
そして年表後半は、国鉄解体→JR発足後の歩みで締めています。
 
奥へすすむと、↑"昭和の駅"を再現したセットがありましたが、正直ちょっとつくりが粗いように感じられ、弁天町であったもののほうが良く出来てたと思いますガーン
その昭和の駅のホームにも、保存車が停まっていますかたつむり
その他本館の奥手にも、貨車・機関車等保存車が数両しっぽフリフリ
弁天町で多く登場していた↑『模型』、京都でも解説員として活躍していました^
↑も弁天町で人気だった、ドアの開閉やパンタの上下が体験出来る103の頭部。京都に持ってきていました馬
大宮でもやってますが、↑車体の床下から観察できる通路サーチ
つづいて2Fへ~右上矢印
先に2Fの総評を言ってしまうと、『1F以上に、まだスペースに余裕がある』という感じです。
メインのエスカレーターを昇るとまず目に入るのが、模型ジオラマの入口男の子
この種の博物館には必須ともいえる、鉄道模型のジオラマパンダ
弁天町時代の3~4倍位の広さに見受けられました。
↑写真の通り、端から見ると反対の端がわからない程長大なレイアウトです^虹

又、メインのジオラマの横には↑もう一つレイアウトがあり、それはセルフでも運転出来る仕組みで、こちらも人気でした^

そして、2Fの名物は・
これまた最近この手の博物館に必須アイテム、↑運転体験シュミレーションです電車
京都のはブース式(※車体のモックアップはない)で、名古屋と同じく定時に抽選により出来る方式です。
 
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・で、2Fの展示なんですが、開館まもないせいか、良く言えば"発展途上"、わるく言えばスカスカの状態でした。勿論、今後徐々に展示拡充していくから余裕をもっているんだと思いますが、弁天町からはもっと沢山の史料を引き継いでいるはず。出し惜しみせずにもうちょっと出しては・・という感もします^あせる
2F展示室の入口には、↑券売機と自動改札(※ここで模擬のキップを出して改札を通れる)、出口には、弁天町から持ってきた国鉄初の自動改札がありました^チケット
弁天町時代に好評だった、↑”関西私鉄を紹介するコーナー”も移設してますチョキ
但し京都という事で、弁天町に有った大阪市交通局は姿を消し、代わって京都市の都市交通(※地下鉄・市バス・旧市電・嵐電等)を紹介していましたもみじ
なぜか↑JALパックの紹介とカバンが片隅にポツンとありましたが、他展示との関連性に乏しく、まだ開館直後のせいか粗削りな部分も気になる2F展示でした・カメ
・今回この時期に見に来たのは、↑の企画展をやってたのも理由のひとつでした。
↑2Fで開催されてた企画展、『寝台列車の軌跡』星空
過去我が国の鉄路を走った寝台(夜行)列車の歴史をひもとこうという、なかなかの企画だったんですが・
 
・すみません、作容量一杯になりました、今作ここまでです!
 
当別荘初ですが、一つの施設訪問モノで2作に分ける事となりました^あせる
 
・という事で京都鉄博、今作を”前半”とし、この続き、↑の寝台列車展と、別館の『梅小路蒸気機関車館』については、後編として後日upいたします。お楽しみに^グッド!
 
 
 
(※2023.6 文一部修正)