vol.247 満を持してオープン!JR西日本・京都鉄道博物館 (後編/企画展~梅小路SL館) | 旅ブログ Wo’s別荘

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 前作よりの続き、京都鉄道博物館後編です^グッド!
 
大変広い同館、その上、新設された本館部分と、従前からあった『梅小路蒸気機関車館』を合体された形なので、実質"2館を同時見学"しているのと同じようなもんです新幹線
 
そのため、当別荘初の"1つの施設訪問モノで2作に分ける"という程のボリュームになりましたあせる
 
同館は、大阪・弁天町に国鉄時代からあった『交通科学館』の移転という事でオープンしましたが、京都新館オープンに合わせて新たな史料や保存車を迎え、その結果、本館だけでも名古屋や大宮を上回る大きさになりました。保存車両数53(※開館時)、全国の鉄道関係博物館中トップです電車
 
・京都鉄博、4つのゾーンから成り立っていますチューリップ黄
①本館
②プロムナード(※入口入ってすぐ、0系新幹線車等の展示所)
③トワイライトプラザ(※本館横の、旧京都駅上屋の下に機関車や寝台車等がある所)
④扇型車庫(※本作でご覧頂く、元梅小路SL館の部分)の4つです目
(※詳しくは同館HP参照下さい、又、前作も併せて参照下さい)パソコン
 
そのうち①~③までは前作で廻ってますので、今作では①のうち前作さわりで終わっていた企画展と、④の梅小路蒸気機関車館を廻っていきます^走る人
 
その前に、前作で載せきれなかった本館展示の一部を、チラッと追加しておきます^カメラ
(※他館の略称については前作と同じです)
本館のつくりは大宮や名古屋と同じく、↑2Fの周囲に回廊があり、1F全体が俯瞰出来るようになっています目
歴代の東海道・山陽新幹線車の中でも、前作で書いた500系と共に、異彩を放つシリーズ、↑100系新幹線
 
開業以来20年余に亘り、ず~っと『0系』だけを増備し続けていた同新幹線、その"形式沈黙"(?)を破って1985年にデビューした100系です。
2階建て車両や食堂車といった、それまでの新幹線車の常識を打破したユニークな車両が注目と人気を集めました。
↑はシャープなヘッドが印象的な先頭車ですが、できれば食堂車とセットで展示してほしかったなぁ~と僕は思いましたナイフとフォーク
 
前作で、”昭和の駅の出来がいま一つ”という感想を書きましたが、その駅のホームに横付けされてたのが↑の車。
電化以前の紀勢本線特急『くろしお』で活躍したキハ81型です波
弁天町時代は屋外でしたが、京都では本館展示に出世しました^
前作が余りにも容量不足が厳しく、全く割愛してしまってたんですが、鉄博1Fでは駅の設備や保線・信号等、"設備"についての展示も沢山ありました。
↑の丸い看板は、国鉄駅に掲示していた『気象警戒板』雨
強風や大雨等の注意報や警報が出ると、駅舎の改札内側に吊ってありました雪
列車運行に直接影響なかろうと思われる、乾燥注意報でも吊ってくれてました^晴れ
 
僕が学生の頃は、朝のTVの天気予報は今ほど細やかにはやってなく、放送時間も短かったので、予報見ずに朝出かけた時は、駅に↑の何が吊ってあるか(無いか)をチェックして、予報代りにしていましたwニコニコ
↑のベッド、駅や車両基地の仮眠室で採用されている、"寝坊しないベッド"^ぐぅぐぅ
一軒ふつ~のベッドですが、敷布団の下のエアーマットがセットした時間になると膨らみ、腰のあたりが持ち上げられて体がエビ反り状になり、否が応でも起きざるを得なくなるという必殺技ベッドですw叫び
2Fにあった、↑JR奈良線CTCセンターの旧コントロール室ロボット
新型と交換した際の旧型をそのまま持ってきたものと思われますが、特に子供はこういうのを見ると、わからないなりに夢や想像が色々と広がったりするでしょう^合格
前作で出た”関西私鉄紹介コーナー”の南海ブースで展示されていた、↑ズームカーのパンフです。
ズームカーといえば昨秋の一畑電車を訪ねた作で乗りましたが、こうして博物館でも紹介される、伝説級の名車です^^虹
 
・南海電車って地味なイメージを持つ人が多いですが、車両開発にかける意欲は全国私鉄中でもピカ一だと僕は思っていて、アノ鉄仮面のような『ラピート』がデビューした時、南海の伝統を打ち破るような斬新なフォルムに、世間は度肝を抜かれました。
アノ時僕は「ついに南海、やったか(笑)」と思ったもんです^飛行機
 
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・そろそろ前作の続きにいきますが^、前作ここで終わっていた、
『寝台列車企画展』の入口ドア
 
では入ります^
弁天町から引き継いだ関係資料をふんだんに使い、明治期~戦後、現在に至るまで寝台列車の歴史をひもといていました。
 
同展によると、世界で初めて寝台車を走らせたのはアメリカだったとの事ひらめき電球
 
日本で初の寝台列車は、"鉄道サービスのパイオニア"山陽鉄道(※現JR西・山陽本線)によって、1900(明治33)年に導入されたのが最初です。
官営だった東海道線に寝台車が連結されたのは、その半年後だったとの事星空
その山陽本線、戦後国鉄になっても”寝台列車銀座”であり続け、1958(昭和33)年、初のブルートレイン寝台『あさかぜ』(※東京~博多)の走行路線にも選ばれました波
↑はやぶさ、みずほ、富士、あかつき・
懐かしい列車のヘッドマークの数々並びます。
 
昭和の高度成長期、夕刻の東京駅からは10本以上の寝台特急が次々と発車していましたお月様
又、上野駅からは、東京駅以上にバラエティに富んだ、座席夜行を含む夜行列車が多数運転、大阪駅や名古屋駅を起終点とするもの、あるいは九州内/北海道内で完結する夜行列車も多数運行され、昭和期の国鉄は"夜行天国"でした星空
今では幻ですが、↑"新幹線寝台"の試験も行われたそうです新幹線
新幹線網の全国化を控え、夜行も必要だろうという考えに基いて試作された新幹線寝台車のテストが行われたとの事ですが、新幹線を24時間走らせるとなると保線や騒音対策、駅設備に多額の設備投資が必要との事で、実現はしませんでした・DASH!
そして、企画展後半から、僕には「んんっ?!」という内容になってきますあせる
 
・国鉄末期から廃止が目立ち始めた夜行・寝台列車ですが、国鉄がJRになる際「夜行列車は無くなりません」と宣言した国鉄(※全国紙にその旨の広告も出した)、当初はそれを守ったのか、JR転換後しばらくはそこそこの本数が全国に走ってました。
更には青函トンネル開通に伴い、本州~北海道直通の寝台特急『北斗星/カシオペア/トワイライト』の3列車が新設されました星
 
また、ブルートレイン『瀬戸』『出雲』の置き換え用として、前作でご覧頂いた"月光型"以来約30年ぶりに、1998年寝台電車を新造、『サンライズ瀬戸・出雲』としてデビューしました。これが現在日本で唯一定期運転されている寝台(夜行)列車です宝石ブルー
 
北斗星・カシオペア・トワイライト号は、北海道新幹線開業に伴い、惜しくも廃止されました汗
 
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そして企画展ラストのコーナーが、僕的にはちょっと受け入れ難い内容だった、"これからの寝台列車"というコーナー。
↑の文言には「これからの寝台列車は、地域特性を活かした上質なサービスの提供だ」とありますが・・
近年、JR各社が売出し中の豪華貸切寝台列車。JR九州の「ななつ星」、JR東の「四季島」、JR西の「トワイライト瑞風」の3列車を紹介しています。
 
しかし、僕はあえて批判覚悟で疑問を投げかけますが、こんな、ツアー専用でチケット1席数十万円もする、一般庶民に手の届かない高嶺の花のような列車が、本当に利用者(国民)が望んでいる「これからの寝台列車」なんでしょうか?
 
国鉄時代の寝台券も決して安くはありませんでした。A寝台とかは航空券より高値の列車もありました。でも、「いつかは頑張って乗ってみよう!」という範囲の高さでした。
又、寝台券は一般特急や新幹線の指定券同様、みどりの窓口で気軽に予約でき、毎日運転されていました。
 
翻って、今JRが売りたい↑これらのクルーズトレインって、この企画展で登場した寝台列車の発展形なんでしょうか?そんな訳ないでしょう。まったく別物の、いわば"イベント列車"の範疇だと僕は思いますあじさい
現に、これらクルーズトレインのチケットは駅で買う事は出来ず、旅行会社で"ツアー商品"として発売されます。こんな豪華列車を"これからの寝台列車だ"と言われても、僕には受入られません。
 
僕が庶民なのであせる、庶民の率直な考えとして書きますが、寝台列車を衰退させて廃止に追い込んでいったのは、時代の要望(内装・時刻・運賃面含め)に細やかに対応せず旧態依然と運行していた、誰あろうJR自身にあると思います。
『夜行列車の利用者が減った』のではなく、『JR自身が利用者を減らした』のではないでしょうか(かなり辛口ですみませんが)
 
なぜ"これからの寝台列車"がごく一部の富裕層だけのものになるのか、世間知らずの僕には理解に苦しみます。
 
社会の多様化によって夜間移動の需要はむしろ増大しているはずなのに(※高速夜行バスが時代の変化に機敏に対応し、大いに発展していってるのが良い例)、日本最大の交通インフラであるJRがそれをみすみす逃しているのは、僕は見てて歯がゆいです。
 
JR直営の博物館なので論調がこのようになるのは仕方ないとも思いますが、しかし一方、博物館としての使命・独立性も発揮して、もっと問題点を来館者に提起するような結びであってほしかったなぁ~とも思った次第でした汗
 
しかしながら、この寝台列車展の企画そのものは大変良かったし、貴重な史料も多く見させてもらいましたコーヒー
企画展の出口に掲げられていた、大晦日の運行にだけ使われたという超レアな、↑"赤富士"ヘッドマーク富士山
 
僕が思う『これからの寝台列車とは?』ですが、誰もが気軽に利用出来、個室から座席車まで多様なサービスを提供し、バスや航空機では得られない安定・安心感を感じられる、鉄道夜行ならではの夜間移動では?と思います。
 
例えば東京~大阪間に、個室寝台から2段寝台まで多種多様な寝台と、航空機のビジネスクラスのような仕切り付きの座席車も一部連結した、内容・料金も高低様々な夜行列車を走らせれば、かなりの需要があるんじゃないかと思うんです。でも、こんな案はJR東海が絶対首を縦に振らないだろうなぁ・あせる
 
昨今、保線の様式や時間帯も変化しているので、隔日又は曜日別運行でいいと思います。又、JR直営での夜行列車運行が無理なら、ヨーロッパのように列車種別によって運行や車両保有を別会社委託にして走らせるという方式を日本も採り入れる時期かもです。
 
やはり、鉄道の乗り心地や安定感というのは、どんな高級な高速バスでも得られないものじゃないでしょうか。鉄道インフラの持つ特性を、もっと有効利用すべきだと僕は思います。
 
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・寝台列車企画展を出て、気をとり直し(笑)、いよいよ見学コースのラストへ^
↑"連絡デッキ"、どこと連絡しているのかというと~
本館を出てデッキを渡ると、見えてきました^^目
お~
扇形機関庫に並ぶSL達、梅小路蒸気機関車館です^グッド!
(※地上からも行けます)
この時点で既に閉館40分位前の夕刻になってたので、展示運転していた蒸機に石炭や水を補給し、格納する作業が行われていました。
早速地上に降りてみます^あし
石炭を補給した後、勢いよく黒煙を上げるC62 2号機。知る人ぞ知る、我が国SL中でも名機ですキラキラ
 
側面の除煙板につばめのエンブレムが付けられ、現役時代には"伝説の特急"・つばめも牽引していた、人気のSLです^
 
京都鉄博の何よりの魅力というか強みは、梅小路SL館を合併した事を生かした、"常時、SLの動く姿が見られる"という点目
他館でもSLの保存車は大抵持ってますが、やはり煙を上げて走る蒸機の姿は、言葉に出来ない迫力と感動を見る人に与える力があると思いますDASH!
そして、転車台に載せられたC62は~
サービスに2回転してw、扇形車庫内へ・リサイクル
一日の展示運転を終え、格納されてゆく蒸機。
僕も久々だった生SL、感情のある生きもののような、明らかに他の鉄道車両とは一線を画す、SLの魅力に引き込まれました星
あと、転車台作業を見ていて舌を巻くのは、"停止位置にピタッと停める運転技術"
 
ターンテーブルの長さは蒸機1両の長さギリギリに出来ていて、回転させるには停止位置にそれこそ1㎝単位で正確に停める必要があります。
機関士さんが誘導員のかたの指示をうけながら、職人技で見事レールの切れ目から数ミリのところで停止させるのにはホント唸りました。僕は群馬・碓氷峠にある鉄道文化村で機関車の運転体験をしたことがあるんですが、ホント鉄道車両のブレーキ操作って難しいんですあせる
閉館時間が迫ってきましたが、ほかの保存蒸機を見ていきます^
動態、静態あわせて20両が保存されていて、その全てが鉄道記念物又は準鉄道記念物です。
昨秋の作、津山まなびの鉄道館で見た扇形車庫には主にディーゼルカーが入ってましたが、梅小路はご覧のようにオールSL!
まさに、扇形車庫本来の姿を今に伝えています。
旧国鉄が1972年、『梅小路蒸気機関車館』としてオープンさせた、我が国蒸機保存のメッカです王冠2
又、現存する扇形機関庫として日本最大のものです。
時代の"におい"も感じさせる、名機の数々が間近で見られます目
各々の機関車には車歴も掲示され、製造年は勿論、どの線区でどんな活躍をしていたのかも記され、現役当時を頭の中で想像する事ができます。
静態保存ゾーンには車庫内部にも入れます。↑は後方にスペース余裕があるように見えますが、これはSLを少し車庫の前に出す形で展示してあるからで、車庫内にスッポリ格納するともう少し後ろが狭くなりますヒツジ
扇形車庫の一部は検修スペース(※外から見学)になっています。その片隅に何げに停めてあったのが、弁天町ではガラス張でうやうやしく展示されてた『義経号』キラキラ
最近再び動態保存に整備されたとの事(※鉄道記念物)
 
・又、写真割愛しますが、扇形車庫の隣にはSL専用の新しい検修庫も新設されました。20両もの蒸機を保全し、そのうち数両は動態保存、しかも平日を含む毎日実際に動かしています。梅小路は今も、我が国SL文化継承の牙城となっていますチョキ
 
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扇形車庫のすぐ裏手には、前作冒頭でご覧頂いた旧二条駅舎があり、その裏から入るのがさいごの順路になりますあし
二条駅舎内は約2/3がショップ、あと1/3がSL関係の展示に使われていましたプレゼント
出口ゲートもこの駅舎内にあります。
(※ショップはゲート外にあって、入場しなくても鉄博グッズだけ買いに来れます)
京都らしいのが↑、漬物のコーナーがある事w
おつかれさまでした、出口ですかお
日本一盛り沢山な鉄道博物館、京都鉄道博物館でした^星
この、↑旧二条駅自体も準鉄道記念物指定で、1904(明治37)年に京都~園部間で開業した京都鉄道(現山陰線)の本社として建てられた超貴重な建物です。
それを出口と売店に使っているという、ラストまで贅沢な博物館でした^キラキラ
出口近くに植わっていた↑の木、1962(昭和37)年に旧交通科学館が開館した時に国鉄技師長・島秀雄(D51蒸機の設計者/新幹線誕生の立役者の一人)が植えた記念樹です。
弁天町から移植されてきましたクローバー
半世紀経ち、まさか京都へ移植されるとはこのサンゴ樹も思ってなかったでしょうけどw、大阪環状線の開業とともに西日本初の鉄道博物館としてオープンした旧交通科学館の魂は、京都に受け継がれていくんでしょうか・
 
まだ開館したばかり、それはまだわかりません。
時間の経過とともに、一人一人の来館者が育てていくのが博物館だとも思います。島秀雄もきっと天国から見ていると思います。
 
・さいごに、前作から含めた鉄博の総合感想を書きますメモ
 
前編でもふれましたが、特に本館に関して(特に2F)、まだまだ粗削り、これからの充実に期待!というところです^
 
開館当初からキチキチに展示していた大宮とは対照的な感もしますが、広いわりには弁天町時代にあった展示物が見当たらない事が多く、これから小出しに出していくんでしょうが、ちょっと出し惜しみ気味な感じもしましたあせる
 
例を2~3挙げると、例えば"模型"、弁天町であれだけ見かけたのに、京都で出してあるのは数える程で、2
乗車券類の展示も少なくなってたような気がしますサーチ
 
あと、弁天町で人気だったリニアモーターカー(※国鉄・宮崎実験線時代)の展示が丸ごと無くなっていた事。名古屋の東海館に気を使ったせいか(?)、せっかく名古屋と全然違う視点でリニアを紹介していた貴重な展示だったのに、復活してほしいなぁと思います馬
 
それと何より気になるのは、弁天町では本館展示していて京都に持ってくるはずだった、『国鉄ハイウェイバス1号車』も無かった事汗
後で調べると、現在は西日本JRバスの某営業所で保管してあるとの事。館内にスペースが見つからなかったとの理由らしいですが、僕から見れば「そんな事ないやろ~」と言いたいですwかたつむり
 
その他、2F展示でなぜかJALパックのかばんだけ関連性乏しく置いてあったり、膨大な保存史料を今後どのように出していくか、余裕のスペースをどう活かしていくか、まだまだ検討の余地ありそうな鉄博でした^
京都鉄博の今後に期待したいと思いますグッド!
京都駅に戻ると、京都タワーはすっかり夜景になっていました・星
 
 
 
☆付録  鉄道関係博物館が登場した過去作一覧(※順不同)
 
クリップJR西日本 旧・交通科学博物館(vol.171 14.5.26up)※閉館
クリップJR東日本 鉄道博物館(vol.33 08.9.03up)※「た」シリーズでの訪問
クリップJR東海 リニア・鉄道館(vol.112 12.3.29up)
クリップJR九州 九州鉄道記念館&松浦鉄道 鉄道博物館(vol.211 15.11.23up)
クリップ小樽市総合博物館(vol.10 07.8.28up)※ここ実質”北海道鉄道資料館”
クリップ東急電鉄 電車とバスの博物館(vol.195 15.5.6up)
クリップ碓氷峠鉄道文化村(vol.98 11.9.14up)
クリップJR西日本 津山まなびの鉄道館(vol.236 16.9.18up)