目を覚ますと 何かをあきらめたように ひんやりと 空気が希薄になっていて 部屋の中が青白い
私は セロファンを水にひたしたように くらりと沈降し じきに 私が 見えなくなる
ああ 私の輪郭はどこだろう
外部だと思われた種々の形象は 今や遠慮会釈なく私に侵入してくるし 内部にわだかまっていた物語は 微かな水の乱れで 散開してしまう
そも 私の輪郭はさほど明瞭であったか
あの ―― 私はとろりと意識を傾けた ―― はるか上方 水面と思われるあたりに 光の蝶がひらひらと戯れている
あの 事物の角がやけに硬い地上では 私にはカラダがあった
カラダの範囲の責は私に求められたし また それを引き受けようとした
私は 一個の人であった
自らの意思で為したことは 自らが引き受けるという道理である
けれども 私は私の意思で 私のカラダを造形してはいない
私は私の意思で 天体の運行を 大気の流向を決められないように 私のカラダの 心臓の鼓動を 神経の展開を定めることができない
宇宙の千変万化を把握できないように カラダの中の 微細な化学変化を知ることができない
ひるがえして
私は 大気が汚染しないように 森林が減少しないように 世界へ働きかけることができるように 私は私のカラダが 肥満しないように 毛髪が薄くならないように 注意することはできる
私のカラダを傷つけると 私の意識は 嵐にのた打ち回る凧のように 激しく動揺する
けれど たとえば 晩秋の やけに透き通った池の水に 色とりどりの落ち葉が 沈んで死んでいるのを見たときなどにも やはり 私の意識には 静かで 抗いがたい波紋が起こる
たとえば 遠い異国で 石ころみたいに迷い 迷い続けて 家族のことや 自分が誰であったのかすら分からなくなってしまった人がいると 私は その人が まるで私自身であるかのように くらりと混乱し 涙がこぼれる
意識が為し 為されるところ 観測できる 影響の大小 反応の快遅は 問題の本質ではあるまい
“私のカラダが私” なのではないし “私のカラダ以外は私ではない” のでもない
私は 明確に自然の一部であり 私のカラダの輪郭は 内部と外部とを隔てる壁ではなく 全ては世界と一続きのものだ
カラダとは 半透膜よろしく ある特定の観点において 事物を 詩を 選択的に透過するかにみえる 概念上の 一線だ
昔人の曰く
山々の尾根が 蛇のように連なるところ 様々な異形の樹木が生い茂る
木々の幹には それぞれの 変わった形の洞(ほら)があり 風が吹く度に 各々が
「ぐおー」 だの 「むおー」 だの 「ひゅう」 だの 「ほう」 だの と 形に応じて 共鳴し 音をだす
さて 音は 風が立てたのか あるいは 洞の造形が立てたのか
風がなければ音はでない 洞の造形がなくても音はでない
私という現象はそれに似ている
私は世界に生じた一つの固有の造形である
そこに世界の ある傾向が共鳴し 不思議な影絵が 妙なる音楽が 人としての物語が生起する
そして それを私は 使い古した楽器のように 愛しく思うのだ
どこか遠くで リーンと ベルの音が鳴り始めた
私は 再びとろりと意識を傾け ゆっくりと上昇を始める
一個の人をやりにいくのだ
見ると はるか上方 先ほど 光の蝶が戯れていたあたりに 逆光で黒いハリガネになったアメンボウが くるり くるり と輪を描いている