超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ⑤ ~近代科学を定義しなおす~ | うーわ!木がいっぱい生えてきた ~エッセイ・備忘録ブログ~

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考えたことを

①忘れないようにするため
②不特定の方と共有して、ご意見等いただきたく

ブログに書くことにしました。

超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ① ~はじめに~


超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ② ~存在の定義~



超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ③ ~存在するものと認識主体は表裏一体~


超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ④ ~近代科学的倒錯とは~  


のつづきです。


③、④のコメント欄にもご意見をいただいております。自身の認識を深めるきっかけになっています。よろしければご参照ください。


六、近代科学を定義しなおす



 以上を踏まえて、近代科学の手法で見出される世界(いわゆる客観的世界)を、より公平に表現するならば、それは「一般的な人間が共有する主観的世界」なのである。主観の集合はどこまでいっても主観である。



確かに認識主体としてのあり方(状態や能力)を共有している者(ここでは一般的な人間)同士では、同じように世界を認識するように思えるため、その世界が自己の認識(主観)とは関係のない、確かな客観的世界であるように感じられるが、認識主体としてのあり方を共有しない者(たとえば、特殊な人間や人間ではない認識主体)を前提にすれば、それは客観的に成り立つものでは全くないのである。



近代科学とは従来「外部に存在する客観的世界の正しい姿を明らかにする営み」であると考えられてきた。そのため近代科学で見出された「客観的世界の法則」に沿わない現象(超常現象)は、正しくなく、存在するわけがないという論調が主流であった。



ところが、これまで述べてきたような視点から近代科学を定義するならば、それは「一般的な人間が同じように認識できる存在の様相(世界)を厳密につきつめる作業」であるということになる。


そう考えると、近代科学で見出された法則に反する現象(超常現象)は、「正しくなく、存在しない」と言い得るものではなく、あくまで「一般的な人間が共通して認識する要素ではない」と言えるだけなのである。



近代科学で見出された法則に反する現象(超常現象)も、一般的な人間以外、つまり特殊な人間や人間以外の認識主体を前提とすれば、存在し得るのである。


つづく