・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ① ~はじめに~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ② ~存在の定義~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ③ ~存在するものと認識主体は表裏一体~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ④ ~近代科学的倒錯とは~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ⑤ ~近代科学を定義しなおす~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ⑥ ~死・夢・幻覚~
・ 超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ⑦ ~近代科学の守備範囲を明確にする~
の続きです。
九、新たな事象研究への提案 ~認知マイノリティーという考え方~
では、より普遍的な世界認識を獲得するにはどうしたらいいのだろうか?
端的に言えば、一般的な人間の状態ではない認識主体が認識する存在の様相(世界)を、これまでのように「主観」と言って切り捨てるのではなく、平等に扱えばよいのである。
「一般的な人間の状態ではない認識主体」とは、以下のようなものが考えられるだろう。
①、人間以外の生物
②、特殊な認識の方法を取る人間
・技術・能力として特殊な認識の方法を身につけている場合(霊能者など)
・一時的に認識主体として特殊な状態に変化している場合(夢・幻覚など)
まず、①について。人間以外の生物がどのように世界を認識しているのか(その生物はどのような世界に生きているか)を探求することで、一般的な人間が認識できない要素を捉えられる可能性がある。これは従来から試みられてきたアプローチであるが、より一層重視されてもよいだろう。
特に重要なのは②である。霊能者、あるいは夢や幻覚について、もちろんこれまでも様々な研究がなされてきている。ただし、近代科学の手法が幅を利かせている中では、「主観である」「存在しないものである」として、正当な研究としては扱われない傾向が長く続いてきた。
しかし、これまで論証してきたように、近代科学の知見というのもあくまでも「主観」なのであって、霊能者による世界認識、および夢や幻覚との差は、認識主体としての人間一般に共有されているかどうか、という点にしかない。
たとえば、認識主体としてカウントする範囲を人間以外にまで広めて考えれば、霊能者のように世界を認識するほうが逆に多数派(一般的)であり、近代科学的な世界認識のほうが少数派(特殊)なのかもしれないのである。
より普遍的な世界認識を求める営みの中で、「特殊な認識方法をとる人間」を排除する合理的根拠はどこにもない。これまで正当に扱われなかったそれらを、平等に扱うことで新たな知見が得られる可能性は非常に大きいのである。
こういう考え方も面白いかもしれない。
民主主義になぞらえて言えば、最終的な意思決定は多数決になるが、合意形成の過程で少数派(マイノリティー)を無視してはならないはずである。
昨今は、性的マイノリティーや民族的マイノリティーの権利に関する話題が注目を集めているが、それに倣って、私はここで認知的マイノリティーという考え方を提案したい。
つまり、近代科学的世界観の形成では切り捨てられていた、一般的な人とは違う世界認識の方法を取る人々(霊が見えたり、いわゆる第六感が働く人々等)を、認知的マイノリティーと位置づけて、人類の世界認識(共有主観)を形成するメンバーとして、きちんとカウントするべきだということである。
つづく