・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ① ~はじめに~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ② ~存在の定義~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ③ ~存在するものと認識主体は表裏一体~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ ④ ~近代科学的倒錯とは~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ⑤ ~近代科学を定義しなおす~
・超常現象を合理的に肯定できる地平への哲学的アプローチ⑥ ~死・夢・幻覚~
のつづきです。
八、近代科学の守備範囲を明確にする
これまでの論考で近代科学の手法を相対化する視点を示してきたため、あるいは近代科学の価値を貶めているように感じる向きがあるかもしれない。
しかし、この文章はそう言った主旨ではない。当然のことながら、今後も近代科学の手法は、社会的に最重要視されるべきだと考える。
近代科学とは「一般的な人間が共通して認識する存在の様相(世界)を厳密につきつめる営み」であると述べた。
我々個々人ができるだけ公平に、平等に活動できる社会を構築するためには、現状で我々全てが同じように認識できる世界観が根拠になるべきである。その意味で、現代社会の人間の営みの基盤には近代科学の手法が当然据えられるべきである。
ただし、科学万能主義がいきすぎて、あたかも近代科学の手法をつきつめれば、真の正しい世界の姿を明らかにすることができるかのように考えるのは誤りである。
近代科学が重視されるべきは、あくまで公平・平等な社会を築く便宜のため(守備範囲はそこまで)であって、それが人間社会を超えた、普遍的な真理研究の手段として万能であることを意味するのではない。
それはたとえば、多数決の方法が民主主義社会の意思決定の「手段」として重視されるべきではあるが、真理が多数決で決まるわけではないということに似ている。
繰り返しになるが、科学というものは「一般的な人間が共有する主観」であって、一般的な人間以外を前提とすれば、決して普遍的なものではないのである。
では、(完全な普遍性というものはないにせよ)より相対的に普遍性の高い世界認識を獲得することはできないだろうか?
私はまだ方法があると思う。次回はそれを提案したい。
つづく