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 ヒマジンノ国

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台風15号により被害を受けた、静岡県の清水区の断水が、相当にひどいそうです(5万5000世帯)。これをマスコミが全然報道していないようです。その上、知事が自衛隊派遣を要請していないのではないかということ。

 

 

一体どうなっているんでしょうか。本当に最近のマスコミ・政治家は、どういう神経してるか、分かりません。

 

今のところ、SNS市民が情報を広げるしかないようです。


追記:先程自衛隊の出動要請はあったようです。早い復旧を願っていますm(_ _)m。

 

9月24日、セバスティアン・ヴァイグレによる、シェヘラザードを含む、オール・ロシア・プログラムを聴いてきました。オーケストラは読売日本交響楽団。

 

今日も仕事明け、しかも台風の中出かけて行っての鑑賞。仕事明けで頭が回るか疑問なのと、台風が来ると気圧の変化でお腹を壊しがちなので、何だか色々心配しながら聴きに行ってきました(^-^;。プログラムの以下の通り。

 

指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ピアノ=パヴェル・コレスニコフ

グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」

 

とはいえ、前回同様プログラムの確認はほとんどせず、「パガニーニの主題による狂詩曲」は誰の曲か知らずに聴いていました。

 

演奏はどれも良かったです。ヴァイグレは初めて聴きますが、割と恰幅の良い演奏で、急ぎ過ぎず、ロマンの風味がある演奏でした。

 

ピアノのコレスニコフも初めて聴きます。手足が長い、ひょろっとしたロシア人で、初めはちょっと音が小さいかな(今日は3階席で音がちょっと遠かった)、と思っていましたが音楽が進むにつれ、音も大きくなり、バリバリ弾きこなしていました。音の線はやや細い気もしますが、はっきりくっきりした印象のピアノでした。

 

 

↑、パヴェル・コレス二コフ。

 

恥ずかしながら、「パガニーニの主題による狂詩曲」も初めて聴くんですよね(録音も含めて)。先ほども書きましたが、誰の曲かな、と思って聴いていました(誰の曲かもよく確認してませんでした(^-^;))。聴いていると何だか、旋律の出し入れとか、造形が聴いたことのある感じです。自分の意思とは関係なく、何度かラフマニノフの顔が浮かんだので、後で確かめたらやっぱりラフマニノフの曲でした。濃厚な曲ですね。

 

作曲家の区別がつく様でしたので、前回に比べると、今日は頭は回っているようでした。

 

メインのシェヘラザードは素晴らしかったです。シェヘラザードは「千一夜物語」を題材にした作品です。映画音楽と交響曲を合わせたような内容で、非常に描写性が豊かです。

 

自分はこの曲の良さをアナログ・レコードで知りました。CDだと良く分からなかったです。編成の大きい管弦楽を使いますが、弦楽器群の活躍が多いために、レコードの方が魅力的に響きます。

 

今回実演で聴いて、レコードで聴くよりもさらに素晴らしいと思いました。第1楽章はシンドバットの冒険を描きますが、海洋冒険を表現した弦楽器の合奏など本当に美しかった。当たり前ですが、弦の音色の艶や鮮度がレコードで聴く時を上回り、より豊かに響きます。

 

コンマスによる、独奏ヴァイオリンとハープによる、シェヘラザード王女のテーマも非常にクリアで瑞々しかった。味わい深く響く低音に、豊かな弦楽器群のロマンティックな響きが重なって、夢見心地になりました。

 

第1楽章から第2楽章の途中まで、本当にうっとりするような音楽で、少しばかり涙ぐみました。

 

女王のテーマが繰り返されるたびに、これは物語を描きながらも、その主題は「愛の音楽(残酷な王を王女が慰める)」なのだと実感させられました。リムスキー・コルサコフの描く音楽が、どの場面も非常に的確で、まるで映画でも見ているようです。

 

台風の中の演奏会でしたが、ロマンティックな雰囲気に浸らせてくれたコンサートで、素晴らしかったです。

 

角川書店の会長が、五輪関係の収賄容疑で逮捕とか。

 

その前は元々電通関係なんですかね、高橋治之氏が五輪スポンサー選定における受託収賄容疑で逮捕されたらしいですが。この高橋治之氏については、元安倍総理関係で、以下のような話が、文春からリークされています。

 

 

↑、ツイッターと文春オンラインから。

 

<「最初は五輪招致に関わるつもりはなかった。安倍さんから直接電話を貰って、『中心になってやって欲しい』とお願いされたが、『過去に五輪の招致に関わってきた人は、みんな逮捕されている。私は捕まりたくない』と言って断った。だけど、安倍さんは『大丈夫です。絶対に高橋さんは捕まらないようにします。高橋さんを必ず守ります』と約束してくれた。その確約があったから招致に関わるようになったんだ」

 しかし、その五輪招致が実を結び、大会が無事終わった後、約束の主、安倍元首相は凶弾に倒れ、招致のキーマンだった男は司直の手に落ちた。

 東京地検特捜部は8月17日、受託収賄の疑いで東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の元理事、高橋治之容疑者(78)を逮捕した。高橋氏は大会スポンサーだった紳士服大手の「AOKIホールディングス」から総額5100万円の賄賂を受け取っていたとみられている。>(文春オンライン)

 

自分は安倍さんが「素晴らしい人だった」、いや、「ダメな人だった」、という議論に加わりたくないんで、そのことを主眼に書いているわけではありません。

 

しかし、安部氏がいなくなってから、急に捜査が進みだした印象はぬぐえません。

 

この五輪の問題はまだ、氷山の一角だと思います。

 

いつも同じことを書いているんで、一応昔の記事のリンクも付けますが・・・↓。

 

オリンピック |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

「お金」やら、「効率」やら「利権」やら・・・。オリンピックの様な中央がやるイベントにはお金も人も集まるんでしょうけど。ここ数年間、毒(膿)出し的なことが進むのかもしれません。

 

札幌五輪も諦めたほうが良いと思いますけどね。もっとやらなきゃいけないことが国内には一杯あるはずなんです。オリンピックの様な、見栄えの良いイベントばかりでなく、ちゃんとした国内の立て直しを、優先すべきだと思います。

 

ワクチン推進者から袋叩きにあってきた、イベルメクチンですが、ここに来てその効果を認めだしている所が多いように思います。

 

 

上の記事は既に2021年に出ていたものです。本庶教授などがイベルメクチンの効果などを語っています。北里大学の臨床試験がどうなったか、ちょっと良く分からないんですが、実際問題コロナが発症して初期に投与すれば、かなり効果があるようです。

 

 

自分も購入しました。3回目の接種が始まってから、自分の周りでもコロナ陽性者が急に増えだして、その対策です。

 

 

ワクチン接種者が多い中、何でこういうことを書くかといえば、やはり死亡超過数の増加が挙げられます。ワクチンを打った人も、見て見ぬふりをしていてはダメなんじゃないでしょうか。本当に異常事態なんですよね。

 

 

かつてナチスの強制収容所を、連合国が付近の住民に開放したところ、大量に亡くなっているユダヤ人の死体を見て、住民たちは「知らなかった」といったといいます。しかし、「知らなかった」で済みますか?↓、過去記事です。

 

超過死亡者数 |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

自分の事務所のスタッフ方の両親が入院されました。高齢で、ワクチン3回接種済です。男性の方は妻が倒れたことによる、ショック性のものだったそうです。妻のほうは心臓のほうに異常があり、入院されました。命は助かったそうですが、ある朝寝たまま全く反応がなかったそうです。

 

ワクチンとの因果関係は分からないそうですが、可能性も拭いきれません。ちょっと怖いなと思いますね。

 

今年の死亡超過数が、今まで最高だった去年の数を上回っています。一体何万人亡くなったら、国で議論されるんですか?

 

 

↑、ビル・ゲイルはワクチン推進者ですが、それらを使って、地球人口の管理を考えていると思わせる発言を繰り返しています。ビル・ゲイツに勲章を与えた日本ですが、彼は相当に怪しい人物で、おそらくは「優生思想」の持ち主だと思います。

 

 

↑、ゲイツが株主の1人でもあるファイザーは過去最大の収益を得ています。

 

日本で、本格的にワクチン獲得に動き出したのが、ビル・ゲイルが当時総理大臣だった、2021年1月、菅首相と電話会談してからです。その後直ぐに河野ワクチン担当大臣が誕生しました。まるでゲイツの方が一国の首相よりもより権威があるように見えた時です。本当に馬鹿げています。

 

以前も書きましたが、「ワクチン接種」を半ば強制にして国策でやること自体間違っているんですよ。しかも都合よく、一見「強制」のような世論を作り出しておいて、「打つも打たないも自由」といっています。実際は2回目までなら、国民の8割に打たせてしまっています。仮に今後犠牲者がワクチンのせいだった、となっても、それは君たちの自己責任だ、と国はいい出しかねません。やり方が卑怯なんです。

 

自分の過去記事から引用しますが。

 

<仮の話ですけど、もしワクチンが直接の原因でなくとも、老人や体の弱い人の死の遠因になっているというのなら、その死を犠牲にして健康な人の重症化を防ぐ免疫を得ているということになります。これは知らなかったとはいえ、生きるものと死ぬものの選別をワクチンでしていることになります。こういうのを人道上、怖い話だと思わないというのも自分には厳しいかな。

 

発言者の意図とは別に、期せずして「仮の」話ではありますが、上の話が事実なら、ナチの「優生思想」とほぼ同じ考えです。そしてこの集団接種のもう1つの問題は、そこに接種した人々が無自覚に参加させられる、ということです。

 

この「怪しさ」が今回の集団接種初期のころからずっとあるわけで、そこに「倫理」的な問題が介在しています。この辺の話を書いている方も稀にいらっしゃいますが、ごくわずかのようです。>

 

若い人にもワクチンの後遺症などあるといわれています。ただそれ以上に、年配者の被害の実態がどれぐらいか想像もつきません。

 

元々国が負担する、年配者に対する費用が毎年3兆円ほど増えているそうです(国民年金か保険料か、ちょっとど忘れしましたが・・・(^-^;))。

 

だからといって国民全体で姥捨て山のようなことなど、してよいわけがありません。人間効率だけで生きてはいません。コロナ対策にしても、イベルメクチンなどを始めとして、ワクチン以外の対策が色々いわれていたのに、何でこんなことをするのか?馬鹿らしくて話になりません。

 

9月10日、東京芸術劇場で、オーギュスタン・デュメイのコンサートを聴きました。

 

最近聴きたい弦の演奏家が何人か来日していたんですが、日程の都合がつかずどれも聴けず。カミーユ・トマの初来日とか、直近だとイブラギモヴァとか。

 

しかし、フランス人のヴァイオリニスト、オーギュスタン・デュメイは無理に詰め込めば行けそうだったので、決行しました。

 

ただやはり仕事明けになってしまって、忙しない中で聴きに行きました。そのせいで何を勘違いしていたのか、オール・ベートーヴェン・プログラムだと勝手に思い込んでいました。

 

1曲目のベートーヴェンのロマンス2番は分かります。2曲目はヴァイオリン協奏曲だった記憶があります。しかし始まったのは、ベートーヴェンの協奏曲とは違います。あれ?と思い、ロマンス1番だったかな?とか思っていると、なんだかカデンツァが始まり、3楽章形式の曲らしい(当然デュメイのヴァイオリン・ソロも入ります)。しかし良く聴く名曲なんですよね。聴いていると先を知っている自分がいます。ウーン、何だっけ?

 

コンサートが終わって、知らずその曲を口ずさんでいると、プログラムの広告が目に入ってきて、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲3番と判明(T_T)。やはり全然頭はまわっていませんでした・・・。普段ならモーツアルトの楽曲ぐらい、曲名は知らなくても分かるのに。何と、最後まで全曲ベートーヴェンのプログラムだと思っていました。

 

さて、はて、そんな自分がコンサートの感想なんて書いて良いのか分かりませんが。

 

実際のプログラムは以下の通り。

 

ベートーヴェン: ロマンス第2番 へ長調 作品50

モーツァルト: ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216

ベートーヴェン: 交響曲第7番 イ長調 作品92

 

オーギュスタン・デュメイは現代フランスを代表するヴァイオリニストだと思います。今回は彼は実演で聴くとどんな音がするのか聴いてみたいので、出かけてきました。

 

 

デュメイは渋い顔の印象が強くて、どんな人だろうかと思ってみると、ノッポの頭の小さい男性が出てきてちょっとびっくりしました。

 

デュメイはCDで聴くと分かりにくいんですよね。音が固く、のっぺりしているように聴こえます。彼のスタイルは、心を尽くして表現するという感じより、音色の豊かさが結晶化していて官能性が強い。師にあたる、シェリングやグリュミオーほど伸び伸びとは歌わない。

 

本当にCDで聴いているような音なのか、不思議だったんですが、実演はもっと爽やかで透明感がある音でした。やっぱり違うなと思います。音色の結晶化した音が美しく、良いですね。CDではあまり透明感が出ていないんだと思いました。ちょっと厳しめの感じで、音は広げず、音色を密集させているような雰囲気です。

 

ドイツ・グラモフォンの録音が多い彼ですが、デッカとかに入れたほうがよさそうです。

 

モーツアルトのコンチェルトではヴァイオリンの音色が、虹色に変化していました。非常に爽やかな雰囲気を振りまきます。独特の感じで、とても良い気持ちになりました。ユーロの香りがします。

 

あとは勉強不足で、デュメイが指揮活動をしているのを今回初めて知ったんですが・・・(^-^;(関西フィルの音楽監督)。ベートーヴェンの7番は激情型ではなく、優雅に流れ、こちらも豊かな音色を楽しむような演奏でした。べートーヴェンの精神がどうのこうの・・・という演奏ではなく、エレガントな演奏でちょっと面白かったです。ドイツのベートーヴェンではないですね。フランス風なのかな?

今週も今日風にいえば、「非科学的な内容」となっております。自分も書きはしますが、どこまで真実なのか、あるいは正確な話ができているのか、良く分かりません。以下の話は、あくまで参考程度でお願いいたします。変わった話ですが、おとぎ話みたいなものだと思ってもらった方が良いのかもしれません。

 

さて、大日月地神示に以下のようにあります。

 

「地の人民よ、地の真の歴史を学びなされよ。いつまでも悪魔作った偽りの歴史、学に縛られておっては、他の銀河、星々の人々とお話ができませんぞ。地の人民、靈人殿、皆々は他の銀河、星々から来た人々、霊団の子孫であるのぞ。宇宙の雛形としてあった地の星の目的は、あらゆると所の者たち集めて混ぜこぜにいたし、調和させるための計画いたしておったのじゃ。ゆえに何十億年も前から地の生き物は、他の銀河、星々の方々によって、何度も練り直して作られてきたのじゃぞ。」

 

「宇宙の坩堝」という形で、「地球の聖なる計画」が始まったのがおそよ15万年前ともいわれているそうです(他星からの入植以外にも地球にはすでに人類もいたといいます)。

 

我々は歴史の教科書で人類の歴史は数千年と習いますが、これらの靈的な起源を持つ解説では、それよりもずっと以前から、人類の歴史はあるといいます。

 

ただこの話も過去に遡れば遡るほど、複雑な話になり、解説が不可能になります。単純化された話だけをここでは書いていこうかと思います。

 

当初、地球上の人類は5大人種として創造されたといいます。赤色、黄色、茶色、黒色、白色の肌を持つ人種で、これらは地球上の5つの場所にそれぞれ住んでいたといいます(この前提として、「日人」という人種がいたともいいますが、ここでは触れません、これが日本人の原型だといいます)。

 

このころの地球上は今とは違う地形であったといいます。そしてこの5つの地域の中に、有名なレムリア(別名ムー)大陸と、アトランティス大陸があったといわれています。地球の聖なる役目によって、各地に存在する人々は何度か整理が行われ(6度あったといわれています)、レムリア大陸は比較的早くに海没し、アトランティスもやがて海没してしまいました。

 

そしてこの最後の過去文明の崩壊が、「聖書」に述べられている、「ノアの箱舟」の物語ではないかといわれています。これはおそらくアトランティス文明と大陸の崩壊を示していると思われ、我々が知る限り、歴史上はじめて、ギリシアのプラトンがそのことに言及しています。以下はウィキペディアからです。

 

<プラトンの対話篇『ティマイオス』および『クリティアス』では、次のように語られている。ジブラルタル海峡のすぐ外側、大西洋に巨大なアトランティス島があった。資源の宝庫で、そこにある帝国は豊かであり、強い軍事力を持ち、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していた。王家はポセイドンの末裔であったが、人間が混じるにつれ堕落し、物質主義に走って領土の拡大を目指し、帝国は荒廃した。アテナイは近隣諸国と連合し侵略者であるアトランティス帝国と戦い、辛くも勝利したが、その直後アトランティス島は海中に沈み、滅亡したとされている。これは神々の罰であるという。>

 

これはプラトンの時代から遡って、九千年前のことだといいます。

 

 

↑、ソクラテスの弟子で、有名な古代ギリシアの哲学者プラトン。アレクサンダー大王の教師であった、アリストテレスの師にあたります。

 

補足的にラー文書も引用します。レムリア(ムー)とアトランティスに対する言及部分です。

 

<ムーの存在はいくぶん原始的な性質をしていましたが、非常に進化したスピリチュアルなゆがみを有した人たちでした。ムーの文明はこの周期の一部であり、その初期に体験されました。あなたがたの時間でいう、5万3000年ほど過去のことです。そこは有用で害のない場所でしたが、あなたがたの惑星に地殻の再調整が起きたことで海底へと押し流されてしまいました。その地殻変化にムーの人々の関与はありません。そこを生き延びた人々は、あなたがたがロシア、北アメリカ、南アメリカと呼ぶ土地のさまざまの場所にたどり着きました。あなたがたが自分たちの社会的複合体のゆがみにおいていくらか共感を覚えるようになっているアメリカ先住民の人々は、ムーのそうした存在の末裔です。>(「ラー文書」から)

 

<アトランティス人種は、きわめて種々雑多な集りからなる社会的複合体で、あなたがたの空間/時間連続体の幻影の過去、約3万1000年前から形成され始めました。この人種は、あなたがたの時間でいう約1万5000年前までは進化が緩慢で、農耕的でした。しかし、その後またたく間に高度なテクノロジーに精通するようになり、その結果有益な方法で知的無限を利用できるようになりました。>(「ラー文書」から)

 

<あなたがたの時間でいう約1万1000年前、あなたがたが戦争と呼ぶものが初めて勃発し、それが原因で全人口の40%が肉体の崩壊によってその密度を去ることになりました。あなたがたの幻影によると、約1万821年前に起きた2番目の紛争はもっと破壊が激しく、その結果陸地のの形が変豹しアトランティスの大部分が浸水により姿を消しました。ポジティブな志向を有したアトランティス人の集団のうち3グループが、アトランティスが崩壊する前にその地理的場所を離れ、あなたがたがチベット、ペルー、そしてトルコと呼ぶ場所の山岳地帯に落ちつきました。>(「ラー文書」から)

 

アトランティスは今の大西洋辺りを含む、多人種による大帝国であったといわれています。

 

「アトランティス大陸の位置だが、これはメキシコ湾、他方は地中海に至るその間を占めていた。この失われた文明の証拠はピレネー山脈、モロッコ、英領ホンジュラス、ユカタン、アメリカに見られる。かつて一度はこの大陸の一部であったはずの突出部はいくつもある。英国領インド諸島、バハマ諸島も今も見られるその一部である。このうち幾つかで地質学的調査がなされるならば、特にビミニやメキシコ湾流においてこのことが結論されるであろう。」(「アトランティス」から)

 

とはエドガー・ケイシー(1877-1945)のリーディングによります。生前エドガー・ケイシーは一種の超能力のようなもので、宇宙の歴史の集大成である「アカシック・レコード」が読めるといわれてきました。彼はその能力を生かして、病気になった人々の輪廻転生の歴史を読み解き、病気直しに活用したといわれています。

 

ところがケイシーが各人の輪廻転生の歴史を紐解いていくと、多くの人々が「アトランティス大陸」で生活していたというリーディングが出てくるのです。こうして彼の残したリーディングを通して、アトランティス文明の一端を覗き見ることができます。

 

「述べた通り、その実態は第2の破壊期のアトランティスにいたのである。モーセとエジプト脱出に先立つ約2万2千語百年前、キリスト誕生に先立つ約2万8千年前のことである。アトランティス人が属州においてますます活発になり、多くの国をつなぐ水路ができ始めた時代である。」(「アトランティス」から)

 

 

↑、エドガー・ケイシー(1877-1945)米国の予言者。催眠状態で、宇宙のあらゆる記録を保持しているといわれる、アカシック・レコードを読むことができたといわれています。

 

 

先日も引用しましたが、霊的存在であるというファイロスによる著作もアトランティスに対しての細かい描写があります。話によればアトランティス人は「物を宙に浮かす技術」(反重力の技術)を持っていたといわれており、その技術があれば空中や水中を自在に行き来できたといいます。

 

ただその技術がどのようにして出来上がっていたかは、現代分かりようもありません。云い伝えによれば、古代文明は「巨石」を利用した文明であったことが多いといわれています。エジプトやマヤの遺跡にしてもそうですが、どうも我々の時代とは違う種類の力の原理を持っていたように思われます。

 

太陽光や重力に対する理解が我々の文明よりも進んでいたのかもしれません。

 

少しファイロスの著作を引用します。

 

<実際、私たちの暗黒面の力に対する爆薬の力は、現代の蒸気機関に対するアルコール蒸気モーターのようなものだった。では、「暗黒面のちから」とは何か?現時点では、その質問に対する答えとして、質問を返すだけにとどめておこう。すなわち、「重力や太陽、光などの自然の力はどこから来るのか?」と。>(「2つの惑星に生きて」から)

 

<かくして、ポセイドの研究者たちは人類に大いに役立つ、自然の驚異的な力を発見した。秘密は解明された。万有引力の法則(重力の法則)は「浮揚に対する反作用」であり、重力は自然の光明面に属するのに反して、浮遊力はナヴァズ、すなわち、自然の暗黒面に属しているということが解明された。ナヴァズの振動は闇と冷気を司っていた。>(「2つの惑星に生きて」から)

 

<アトランティスの人々はこの知識を利用すると、「重さ」(陽性)と「重さの欠如」(陰性)とを、そこで「綱引き」が起こっていることをまったく感じさせないほど完璧に釣り合わせられることに気づいた。この発見の意義は大きかった。それは、重力に対してそれを上回る浮揚力による反作用を使えば、翼や大きなガソリンタンクがなくても空を飛べることを意味したからだ。「唯一の実体」の振動があらゆる領域を支配し構成しているという事実が発見されたことによって、現代の人々がよくご存じの電話が音声を伝えるのと同じように、光や画像、音、熱などが伝達できるようになった。ただし、ポセイドでは、どんなに長距離の電話やテレビ電話やカロリベイヤンス(熱伝導)にも伝線の様な目に見える物質的な繋がりは不要だった。>(「2つの惑星に生きて」から)

 

という様ような、反重力の技術が存在していたといいます。

 

 

↑、「アトランティス」エドガー・エバンス・ケイシー著、林陽訳。ケイシーのアトランティスのリーディングを息子がまとめたもの。

 

次にはケイシーのリーディングからです。

 

「アトランティスにおいて、その実体は機械的装置とその応用に携わっていた人々と関係していた。今日では思いも及ばぬものが沢山あった。」(「アトランティス」から)

 

「当時存在したファイヤー・ストーンにつていえば、その人の働きによって、建設的にも破壊的にも使われた。この石の働きから、形成力と破壊力の両方がいかに生み出されたかについて、よく理解できるように、説明を加えるべきである。

 

建物の中央部は、絶縁金属あるいは絶縁体で、今風にいえば裏打ちされていた。これはアスベストに似た物質で、ベークライトや、その種のものを扱う人々の多くが知っている品名のもとに、イギリスで生産されている他の絶縁体の力と組み合わされていた。

 

ファイアー・ストーンの上の構造物は楕円形で、太陽光線や星々の光線から石の力が上手く得られるよう、後方回転のできるドーム型に設計されていた。こうして、地球上に発見できる元素も、できない元素も含む、自ら燃える天体から放射されるエネルギーが集められていた。

 

今でいうプリズム、あるいはガラスを通して、このように集められた力は、今の電波によるリモート・コントロールによく似た伝導方式を通して、さまざまな旅行方法とつながる装置に反応を起こしたが、ファイヤー・ストーンから放出された力は、航空機自体の中にある動力に作用した。」(「アトランティス」から)

 

「石の構造に関していえば、今でいうシリンダー状の巨大なガラス柱であり、頂上石は、シリンダー末端の冠石自体のあいだで集められる力を、一点に集中できる形にカットされていた。

 

前にもいったように、その構造を記録したものが、今も地球上の3つの場所に存在している。アトランティス、またはその首都ポセイディアの沈める部分。そこにあった神殿の一部は、フロリダ海岸沖、ビミニ群島として今知られている所に近い、海底の厚い泥土の下で発見されるであろう。」(「アトランティス」から)

 

このようにアトランティス文明はガラスや宝石、クリスタルのような石と、太陽光を組み合わせることによって、神秘的な力を扱っていたようです。ちょうど「天空の城・ラピュタ」のような感じでしょうか?またその力はこのアニメ映画よろしく、核爆弾のような兵器にも利用できたといわれており、その使用がこの文明を滅ぼした原因の1つだったようです。

 

結果海に埋もれたこれらの都市は、今でも不安定な磁場を産むことがあるともいわれており、それが有名なバミューダ・トライアングルといわれています。

 

旧約聖書においても、一部分はこのような太古の記憶を記録しているものと思われるのです。

 

 

↑、アトランティス文明の想像図。我々よりもひと回り大きな文明であったといわれており、旧約聖書の人物のように寿命も長かったという話です。都市には伸縮するクリスタルの塔があり、人々は「靈」とも会話できる程度に魂が美しかったといわれています。しかし、その後彼らは自らの傲慢で滅び、その魂の末裔は現代人に転生しているといいます。米国人や日本人に多いそうです。

今日はちょっと変わった話です。

 

我々人類の本当の意味での、初期的な霊的起源は、実は「金星」から始まっているという話があります。これはラーとかプレアデスというような、他星の存在からもたらされた情報だといいます。

 

 

↑、「プレアデス・人類と惑星の物語」アモラ・クァン・イン著、鈴木純子訳。チャネリングによって、人類の起源について「ラー」という存在から啓示を受け、それを記述したとされています。全部信じてしまって良いのか、ちょっと分からないところがあります。しかし、今回はこの本からの引用多数です。

 

星界報告 |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、宇宙人に関する、過去記事です。

 

彼らによると、私たちの住む銀河系は「アルシオネ」と呼ばれるのだそうです。

 

「地球と私たちの太陽系全体は、プレアデスの中心太陽アルシオネのまわりを回っています。私たちの太陽はプレアデスの8番目の星にあたります。それはプレアデスの太陽系のなかではもっとも遠距離に位置しているために、私たちは霊性にもとづいた存在に進化する最後の集団にあたります。」(「プレアデス・人類と惑星の物語」から)

 

彼らによると人の靈的な進化は、初めは金星で始まり、次に火星、そしてマルデックという、聞きなれない星で行われたということになっているようです。その後に地球に対する入植がはじまり、現在に至るということです。

 

現在、火星と木星の間には「トロヤ群」と呼ばれる小惑星帯が存在していますが、彼らによると実はこの小惑星帯は、大昔1個の惑星であったというのです。この惑星の名を「マルデック」といいます。

 

 

<あなたがたのいう過去のある時間/空間において、3次元の存在である人々が、あなたがたの太陽系にあった惑星に住んでいたことがあります。この惑星はさまざまな名前で呼ばれていますが、あなたがた人類がもっとも頻繁に用いている振動性音声複合体は「マルデック Maldek」です。ところが、マルデックの人々は自分たちの住む惑星を破壊してしまい、そのため自分たちの居場所を見つけることを余儀なくされました。彼らの心/身体/靈が「一なるものの法則」にかかわるゆがみを減じるために必要なレッスンと、彼らの生存に適した環境を提供できた場所は、彼らの時間/空間的現在において、あなたがたの太陽系ではここ地球の第3密度をおいてほかにありませんでした。>(「ラー文書」から)

 

 

↑、過去記事でも使いましたが、こちらも「ラー」という存在からチャネリングで得られた情報をまとめた「ラー文書」(ドン・エルキンズ、カーラ・L・ルカート、ジェームス・マッカ―ティ著、紫上とはる訳)、という本です。

 

宇宙の飛び石である金星、火星、マルデックという星を次々に転生しながら、人類はその根底にある、カルマの原型を作り上げてきたというのが、彼らの主張です。ここまでに多くの他星の関与があり、他にもシリウスやリラ、オリオンなどといった他の星の存在の遺伝子などが混じりあっているとします。

 

<その人種は、あなたがたが赤い星(火星のこと)と呼ぶ星にいた存在たちの心/身体/靈複合体と、当時の守護者たちによって慎重に行われた一連の遺伝子調整の結果が合わさって生まれています。そうした存在たちは地上での体験にそなえて、ある種の出生行為によって到来したか、保存されていました。このタイプの出生行為は繁殖をともなわない代わりに、赤い星からの存在たちの心/身体/靈複合体が肉体転生するのに必要であった遺伝物質を準備することから成り立っていました。>(「ラー文書」から)

 

いうなれば「人類」は、猿から自然に進化はしていないという話です。

 

そしてその究極の形として、「宇宙人類の坩堝」として地球が選ばれ、そこに多くの人々が入植し、現在に至るとしています(地球の聖なる役目)。

 

<というのも、あなた方の地球には、傷ついて転送された進化の過程にあるスピリットや魂の「宇宙のるつぼ」役としての性質があるからです。はるか昔、多様性が実を結んで発展する実験的な惑星として、地球を用いることが銀河連盟によって計画されました。ちょうど現在の合衆国が地球の縮図を象徴する役目になっているように、地球全体が宇宙の縮図を象徴しているのです。すべての銀河や他の太陽系からやってくる集団を天の川銀河の地球へと連れてきて、多様な集団内や集団どうしの個人または集団での覚醒と霊的な歩みを促すことが、昔もそして今も地球の使命なのです。>(「プレアデス・人類と惑星の物語」から)

 

さらにその地球の雛形は日本に集約するといわれています。

 

日本は神の国か否か |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、過去記事です。

 

さてマルデックについてですが、この星の管理について高度な存在が選ばれました。

 

<プレアデス人がDNAの変異を発見したさいに、すでにマルデックにいる植物や動物のパターンを修正するための充分な時間がないということが唯一の問題でした。それゆえ最初の人々の入植は、新しい方法で準備されました。そしてマルデックに連れられてくる人々の自己信頼の欠如という理由からも、またつねに一定のしかたで修正される必要がある進行中の染色体とDNAの変化という理由からも、プレアデス人とシリウスの大天使の「高等評議会」は、惑星の「至高存在」として仕える1人の守護者がマルデックの大気中の高次元にとどまることを決定しました。>(「プレアデス・人類と惑星の物語」から)

 

<その「至高存在」は、個と一体を同時に保有することができる非常に進化した存在であり、火星やその他の銀河の市民の進化と愛に、完全にその身をささげなければなりませんでした。その存在は火星全体や火星上のすべての種のために「聖なる計画」という「夢」を保持し、火星や宇宙や銀河の星々からの符号を常に完全に受容できる状態にあり、いつでも問題が生じたときに必要なことを自分で決めて解決する能力がなければなりません。そして大天使ルシファーが、この高い任務に選ばれたのです。>(「プレアデス・人類と惑星の物語」から)

 

つまり聖書にもある、ルシファーがこのマルデックの管理者となったといわれています。ところが先にも書いたように、マルデックは崩壊し、小惑星の集合体になってしまいました。

 

ルシファーは、惑星統治のためにより強い力を求めるようになったといわれており、神との接点を失ったといわれています。彼はマルデックの統治に失敗し、別の存在に助けを求めたとされています。

 

<ルシファーは、もしかしたら彼を唯一理解しかくまってくれるのはオリオンの戦士だけかもしれないと判断し、彼らの社会へと逃亡しました。そして彼の予想通りに、オリオンの戦士たちは光の戦士や銀河の中心に対抗する自分たちの戦いに強力な味方を得たことで大喜びでした。こうしてみなさんにも知られているルシファーの反逆が始まったのです。>(「プレアデス・人類と惑星の物語」から)

 

 

↑、「2つの惑星に生きて」ファイロス著、記述、フレデリック・S・オリバー、伯井アリナ訳。これも「ファイロス」という霊的な存在から、啓示を受けたフレデリック・オリバーという人物が記述した本です。ファイロスは過去にアトランティス大陸に生を受け、そこで作ったカルマを19世紀の米国で刈り取るという話です。19世紀に書かれた本です。

 

ファイロスの著作から引用します。

 

<それと同様に、魂の領域では、ゆっくり確実に神の方へ向かい、清らかな生活を送れるようになりたいと思うものは、日々過ちへの誘惑に晒され、何度も堕落し、ゆっくりだが確実に向上する。逆に、急速に学び、神のほうに近づくことを切望する者は、普通なら何百年、何千年ものあいだに何度となく転生して出会うはずの様々な罪や過ちへの誘惑の破壊的な力を、わずか数時間のうちに経験しなくてはならない。前者の場合、天の父が充分な日々の力の糧を与えてくださるから、人々は遅くても着実に進歩していける。しかし、後者の場合は、神の絶大な抵抗力で支えてもらう必要がある。例えば、ルシファーはとある惑星に転生し過ち、つまり、みずからの魂の失敗と戦ったが、その輝かしい力をもってしても、敗北し、堕落した。そして彼が転生した惑星は崩壊し、太陽系の小惑星帯になった。この戦いに勝てるのは、そなたの内にある、神なるキリストだけなのだ。>

 

そして後に、日本の大本教によると、地球の支配権を争う際に、ルシファーはイスラエルの地に降りたとされています。

 
ハンガリーの名ピアニスト、ジョルジュ・シフラ(1921-1994)の伝記「大砲と花」を読み終わりました。かなり感銘を受けました。
 
戦争に翻弄された演奏家が多いのは有名な話です。「音楽と政治」という言葉などもあります。しかし、シフラは自ら前線に立たざるを得ず、初めはドイツ側に立ち、後に脱走。パルチザンに捕まるも、赤軍に開放され、今度は赤軍側に立ち、戦いました(第2次世界大戦)。
 
人に歴史ありといいますが、今の我々からはちょっと想像もできないような人生です。
 
彼の一家は元々フランスに住んでいましたが、第1次世界大戦が勃発すると、敵国人ということで、この一家は全財産を没収され、ほぼ無一文でブダペストに投げだされてしまいます。ジョルジュ・シフラは極貧の中で育ちましたが、後にいくらか生活がましになると、彼の姉が買ってきたピアノで練習を始め、大変な吸収力を見せたのでした。
 
フランツ・リストの再来といわれる、彼の、恐ろしいまでのピアノのテクニックはどこで演奏しても聴き手を驚かせ、驚嘆させていきます。クラシック音楽の演奏に興味を持ちつつも、機会がない彼は、長らく生活のためにバーやキャバレーなどで演奏しなければなりませんでした。
 
しかし、ハンガリー動乱を機に亡命し(1956)、フランスに定住、やっとその実力を示すことができ、世界中を驚かせることになります。
 
 
今日はリストの再来といわれたシフラの名盤といわれる、F・リストの「超絶技巧練習曲」を取り上げます(1957、1958)。
 
 
ALP1816-1817。
 
個人的にリストの曲が面白いと感じさせてくれるケースが少ないので、日々の鑑賞で、リストの曲は避けることが多いです。
 
そんな中でもシフラの演奏は楽しめます。この「超絶技巧練習曲」はショパンでいえば「エチュード」辺りに匹敵する曲でしょう。ショパンの「エチュード」は内照的で、曲に内在するロマンを、演奏者があぶりだしていく必要があります。それに比べると、リストの曲は運動神経や反射神経を駆使してでも、曲をダイナミックに弾き切っていく能力が試されます。
 
しかし、それを「さらに」面白く聴かせることが難しい。
 
H・ショーンバーグの言葉を借ります。
 
「リストの音楽には正真正銘の魅力があるが、演奏の巧拙に大きく左右されるため、理解を困難にしている。これは特に彼のピアノ音楽について言えることである。リスト作品のロマンチックなピアノ奏法は第1次世界大戦後に消失し始め、今日これを効果的に演奏できる”魔術”と想像力を兼ね備えているものは極めて少ない。ピアニストが楽譜通りに弾けば、さまざまな音が空虚に鳴り響くだけで、失敗に終わってしまう。他方、あまりに自由に弾くと、俗っぽく野放図に聞こえる。リストのピアノ音楽には、無限の技術と勇気を持ったピアニストが必要である(弾き間違いを恐れて決して演奏しない慎重派は、納得できるようなリスト奏者になることはまずできない)。大きな音量と精巧なニュアンス、貴族的な線状を漂わす能力に裏打ちされた自己顕示な外向性、着実だが柔軟なリズム感を持ったピアニストが必要である。困難なのはピアノによる曲作りだけではない。今日もっと困難なことは、リストの精神や世界との一体感を体感することである。」(「大作曲家の生涯」から。邦訳、亀井旭、玉木裕)
 
リストの音楽には「見世物」としてのピアニズムがあり、それが「芸術的価値」まで高められているという側面が強くあります。これは時に、今日いわれる「芸術的」演奏家(例えばグールドのような・・・!内照的であることだけが芸術的ではないということ)にはない、強烈な特性が必要になってきます。
 
バーで生活のために演奏をしていたシフラには、その弾きぶりを見て多くのお客が集まったそうですが、そういう特質がリストを弾く際の、大きな特性となるわけです。
 

 
↑、超絶技巧練習曲の1曲目、「前奏曲」。普通、50秒以上かかる曲なんですが、50秒を切る速さで弾き切っています。ダイナミックなニュアンス、異常に滑らかに弾かれていく楽曲に、聴き手はただただ驚くばかりです。
 
 
 
↑、4曲目「マゼッパ」の導入部。ここでもシフラのピアニズムは冴えわたります。
 
今自分の手元にある、リストの「超絶技巧練習曲」の録音は3種類だけです。ダリール・トリフォノフ(2015)、フランス・クリダ(1973)です。人気があるトリフォノフの練習曲の演奏は、意外と思われるかもしれませんが、音が汚く、曲の内容も細かいニュアンスが出ていません。映像で見るとトリフォノフの演奏も割と面白いのですが、音だけ聴くと結構つらいですね(個人的には好きなピアニストです、リストの練習曲はとらない、ということ)。F・クリダはF・リスト国際ピアノコンクールで認められて世に出ましたが、その時の審査委員長がシフラでした。
 
 
↑、クリダによるリストのピアノ作品集(CD)。
 
F・クリダはマダム・リストとも呼ばれ、F・リストを得意とした演奏家でした。リストのピアノ曲全集(完全全集ではない)を録音していて、これはかなり美しいです。フランス人の彼女はフランスの伝統よろしく(ショパンの伝統!)リストの音楽を「詩的」に弾き切っていて、リストのピアノ曲を聴くなら手元に置いておきたいところです。「超絶技巧練習曲」の演奏も美しいですが、凄味に欠けるきらいがあり、やはり自分はシフラに戻ってきます。
 
シフラの演奏は亡きリストを思わせるような、超絶技巧に加え、細部まできめの細かいニュアンスが漂っています。これは「音楽的」といって良い名演だと思いますね。ただそれでもなお、本当のリストであれば、シフラ並みの技巧に加え、もっとむき出しの感情や、高い教養からくるアナリーゼなどもあったと推測され、シフラでさえリストの「魔術」完全解明には至っていないと思われます。シフラ演奏は、あくまで「音楽的」というのが自分の印象です。
 

 

8月12日、サントリーホールで、高関健によるマーラーの7番を聴きました。オーケストラは東京シティ・フィルハーモニック。

 

前半はルイジ・ノーノ、「2)進むべき道はない、だが進まねばならない・・・アンドレ・タルコフスキー、 7つのグループのための」、という、変わった曲。オーケストラを含め、声部が7つに別れ、観客席の背後にも複数演奏者のセクションが作られる作品。ホールの色んなところから、音が聴こえてくる寸法。その辺を楽しむべき曲なんでしょうが・・・しかし全く面白くな かったです。内容的には、実験音楽の程度にとどまっていると思いますね。

 

現代音楽は結局聴衆を獲得しませんでしたが、今後もそうでしょう。古い形式を意図的に避けて作り出される音楽のほとんどは、ホラー調の響きや、サスペンス映画のワンシーンの様な、不気味な音楽しか作らないのは周知の事実です。

 

作曲者は、より高度な音楽言語としたいのかもしれませんが、自分を含め、聴衆はそんなに賢くないし、優しくありません。作曲家の自己満足にしか過ぎない曲で、せいぜいオーケストラの名人芸を見せるにとどまります。まるでサーカスです。オーケストラの演奏自体は見事でした。しかし、こういう「思想的な音楽の呪縛」自体、古くなってきていると思います。

 

ごくたまに聴くにはいいですが、良い音楽ではありませんね。

 

後半はメインのマーラー。マーラーの7番は実演で初めて聴きます。

 

自分は前から4列目の席で、音は良く聴こえました。演奏は良かったです。マーラーの7番は厭世的な気分に満ちた曲で、薄暗い、ハロウィンの森を思わせます。しかし、この日の演奏は厭世感が少ない、引きずらない演奏でした。演奏そのものに、楽し気な雰囲気がありました。どの部分の意味も分かり易く、指揮者とオーケストラには情熱があり、熱演だったと思います。もっと深みを求めるべきかもしれませんが、初めて生で聴いたマーラー7番でしたし、自分にはこれでも充分でした。

 

生で聴いて色々な発見がありました。

 

この曲もまた、ウィーンの雰囲気を湛えたメロディーが多い、優雅な曲だということが良く分かりました。眼前で目いっぱい演奏されると、音楽の中からそういった印象がじかに伝わってきます。片や、マーラーは他の曲でもそうですが、何処までも「内容が」しつこいのと同時に、溢れんばかりのアイデアを抱えており、矢継ぎ早に移り変わるシークエンスの中で、次々に変わった響きを作り出していきます。続々と作り出される、風変わりな響きは、ほとんど「チンドン屋」ですが、これほど優雅で、ロマンティックなチンドン屋も珍しいでしょう。

 

音楽シーンが、どんどん移り変わっていくのが良く分かります。暗いオーストリアの夜の森を想わせたかと思うと、次の瞬間には街中で、ウィーン・ローカルな民謡が演奏されるというような・・・。マーラーの頭の中の風景というのが、良く見えてきました。演奏がどうの、というより、マーラーの音楽がどういうものか、再認識させられました。面白いし、作曲家の持っている耽美な美意識も、かなり伝わってきました。

 

演奏で感動したのは第1楽章。高関氏の演奏には、この楽章が1番あっていると思います。行進曲なんですよね(マーラーは行進曲が大好きです)。曲の後半、優雅なチンドン屋を思わせる音楽が、あらゆる清濁併せた情報を飲み込んで、力づくで行進するんですが、何というかね・・・カッコ良いといえばカッコ良いんですよね。音楽自体が。その辺の聴きどころも良く出ていたと思います。

 

有名な「夜の歌」たる第2、第4楽章もしっとりやらず、音楽の性格を描き分けることで聴かせました。

 

 
フランツ・リストによる、ショパンの伝記を読了しました。ショパンの友人だった、多分歴史上最高のピアニスト・・・フランツ・リストによるものです。
 
率直にいえば、ショパンの人生に関する本なら、最近の研究が反映された本を読んだ方が、よく理解できると思います。このリストの本でショパンに関する新しい事実などはほとんどなく、むしろジョルジュ・サンドの関係などを予備知識で知っておいた方が良いかも、と思うような内容です。
 
ただリストの書く文章が、美しくてびっくり。ロマン派最盛期の人物の書く文章は、回りくどくもありますが、リストやショパンの音楽を聴く様な美意識が行間を埋めていて驚きました。
 
普段からロマン派の人物はこういう思考回路だったのか?と思うような文章です。こういう感性じゃないと、彼らのような音楽は書けないのかもしれませんね。面白いです。
 
この本を読んでから、ショパンの音源を少し多めに聴いています。古いのばかりでなく、新しいのも聴いてみたいと最近は思っています。
 
 
イタリア人の女流ピアニスト、ベアトリーチェ・ラナによる、ショパンのエチュードとスケルツオ。よく考えてみると、イタリアのピアニストはほとんど知らないということに気づきました。
 
 
特に女流・・・誰か有名な人っていましたっけ?フランス人は女流が多いですが。イタリアだと、ポリーニとかミケランジェリとか、男性ピアニストはいくらか知っていますが、女流は珍しいと思って購入しました。ベアトリーチェ・ラナは1993年生まれ。多くのコンクール受賞歴があり、こんなに早くアナログ盤が出るというのはすごいですね。将来を嘱望されているのでしょうか?
 

 

↑、エチュードの1番。大変爽やかな演奏。普段聴くならこれぐらいの方が好きです。ポリーニのエチュードなど完璧すぎて普段聴くには荷が重いですが、これぐらい瑞々しい歌心があると聴きやすいです。スケルツオもクリアで、透明感溢れる演奏です。最近の愛聴盤です。
 
 
アマゾン・プライムで「モーツアルト・イン・ザ・ジャングル」を一気見しました(連続ドラマ)。原作があり、「モーツァルト・イン・ザ・ジャングル セックスとドラッグとクラシック音楽」。ブレア・ティンダルという、米国のオーボエ奏者の実体験を基にしているといいます。
 
オーケストラ裏の暴露話などが満載で、半分ぐらいはコメディータッチで描かれています。めちゃくちゃ面白くって、ほぼノンストップで最後まで見てしまいました。ところがこのドラマは人気がなく、第4シーズンで打ち切りとのこと。もう泣くしかないです・・・。
 
しばらくはこのドラマのことが頭から離れなくて困りましたが、打ち切りを受け入れるしかありません。オリヴィエ・メシアンの音楽だけで1話作ったりされても、クラシック愛好家以外には何のことだか、さっぱり分からんのでしょう。クラシック愛好家でも微妙かもね。
 
ところどころ、作り手の味の濃い芸術的趣味が出ていて最高なんですけどね。分からんかなあ・・・!
 
 
ガエル・ガルシア・ベルナルとローラ・カークの演じる、2人の主人公も最高でしたが、もう見れないとは・・・。誰か続きを作ってください。とほほ。