マーラー7番 |  ヒマジンノ国

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8月12日、サントリーホールで、高関健によるマーラーの7番を聴きました。オーケストラは東京シティ・フィルハーモニック。

 

前半はルイジ・ノーノ、「2)進むべき道はない、だが進まねばならない・・・アンドレ・タルコフスキー、 7つのグループのための」、という、変わった曲。オーケストラを含め、声部が7つに別れ、観客席の背後にも複数演奏者のセクションが作られる作品。ホールの色んなところから、音が聴こえてくる寸法。その辺を楽しむべき曲なんでしょうが・・・しかし全く面白くな かったです。内容的には、実験音楽の程度にとどまっていると思いますね。

 

現代音楽は結局聴衆を獲得しませんでしたが、今後もそうでしょう。古い形式を意図的に避けて作り出される音楽のほとんどは、ホラー調の響きや、サスペンス映画のワンシーンの様な、不気味な音楽しか作らないのは周知の事実です。

 

作曲者は、より高度な音楽言語としたいのかもしれませんが、自分を含め、聴衆はそんなに賢くないし、優しくありません。作曲家の自己満足にしか過ぎない曲で、せいぜいオーケストラの名人芸を見せるにとどまります。まるでサーカスです。オーケストラの演奏自体は見事でした。しかし、こういう「思想的な音楽の呪縛」自体、古くなってきていると思います。

 

ごくたまに聴くにはいいですが、良い音楽ではありませんね。

 

後半はメインのマーラー。マーラーの7番は実演で初めて聴きます。

 

自分は前から4列目の席で、音は良く聴こえました。演奏は良かったです。マーラーの7番は厭世的な気分に満ちた曲で、薄暗い、ハロウィンの森を思わせます。しかし、この日の演奏は厭世感が少ない、引きずらない演奏でした。演奏そのものに、楽し気な雰囲気がありました。どの部分の意味も分かり易く、指揮者とオーケストラには情熱があり、熱演だったと思います。もっと深みを求めるべきかもしれませんが、初めて生で聴いたマーラー7番でしたし、自分にはこれでも充分でした。

 

生で聴いて色々な発見がありました。

 

この曲もまた、ウィーンの雰囲気を湛えたメロディーが多い、優雅な曲だということが良く分かりました。眼前で目いっぱい演奏されると、音楽の中からそういった印象がじかに伝わってきます。片や、マーラーは他の曲でもそうですが、何処までも「内容が」しつこいのと同時に、溢れんばかりのアイデアを抱えており、矢継ぎ早に移り変わるシークエンスの中で、次々に変わった響きを作り出していきます。続々と作り出される、風変わりな響きは、ほとんど「チンドン屋」ですが、これほど優雅で、ロマンティックなチンドン屋も珍しいでしょう。

 

音楽シーンが、どんどん移り変わっていくのが良く分かります。暗いオーストリアの夜の森を想わせたかと思うと、次の瞬間には街中で、ウィーン・ローカルな民謡が演奏されるというような・・・。マーラーの頭の中の風景というのが、良く見えてきました。演奏がどうの、というより、マーラーの音楽がどういうものか、再認識させられました。面白いし、作曲家の持っている耽美な美意識も、かなり伝わってきました。

 

演奏で感動したのは第1楽章。高関氏の演奏には、この楽章が1番あっていると思います。行進曲なんですよね(マーラーは行進曲が大好きです)。曲の後半、優雅なチンドン屋を思わせる音楽が、あらゆる清濁併せた情報を飲み込んで、力づくで行進するんですが、何というかね・・・カッコ良いといえばカッコ良いんですよね。音楽自体が。その辺の聴きどころも良く出ていたと思います。

 

有名な「夜の歌」たる第2、第4楽章もしっとりやらず、音楽の性格を描き分けることで聴かせました。