■40年前の今日×西武ライオンズニュース■
1985年(昭和60年)6月4日(火)
【郭泰源 ノーヒットノーラン達成 史上54人目の偉業】
○西武7-0日本ハム●
回を追うごとに、そしてアウトが重なる度に、平和台球場は興奮と熱狂のボルテージを上げていった。
9回最後のマウンドも郭はいつものクールフェイスで上がっていった。
二死から高代が一塁へフライを打ち上げ、偉業の瞬間が訪れるはずだった…。
ところが途中から一塁の守備についていた広橋がまさかの落球。
興奮して怒ったスタンドのファンから座布団や缶ビールなど投げ込まれ、一時中断したが、その間も郭は冷静さを保ち淡々として見守る。
仕切り直しとなった次打者・津末を2ストライクまで追い込み、最後は外角高めのカーブで見逃しの三振に仕留め、ノーヒットノーラン達成となった。
「ノーヒットは8回ごろから意識したヨ。今日はストレートとスライダーが良かったけど、それよりもコントロールが良かったネ」
「台湾でもノーヒットノーランはなかったから。珍しいから(記念のボールは)保存しておくヨ」興奮気味の報道陣とは対照的に、いつも通りうつむき加減でボソボソと話しインタビューに答えた。
外国人選手としては阪神・バッキー以来の二人目の快挙。
人工芝球場では初の快挙となった。
唯一危なかったシーンは7回二死後に古屋が放った高いバウンドの三塁ゴロは「内野安打」かに見えたが判定はアウト。
日本ハムが抗議しても判定は覆らなかった。
打者30人で許した走者は2死球と1失策の3人だけ。
27のアウトの内訳は、内野ゴロ15、内野フライ2、外野フライ6、三振4。
投球数も103球でまとめた。
9試合目の登板だった郭は4連勝で6勝目(2敗)。
防御率1.67でリーグトップを奪取した。
(平和台球場:観衆2万5千人)
(上)ノーヒットノーランを達成した郭は、両手を上げて博多のファンの声援にこたえた。
(下)郭は最後の打者津末を見逃しの三振に打ち取って達成。
昭和60年(1985年)6月5日(水)付 報知新聞より一部抜粋