西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算356枚目】
カルビー1985年 No.330(表面)
カルビー1985年 No.330(裏面)
■40年前の今日×西武ライオンズニュース■
1985年(昭和60年)8月2日(金)
【工藤2勝 毎回の12奪三振】
○西武5-2日本ハム●
快記録達成につきもののプレッシャーなど、自分の辞書にはありません、といわんばかり工藤のピッチングだ。
最終回、先頭の島田誠を得意のカーブで仕留め、毎回奪三振を簡単にやってのけた。
続く高代も三振で料理して、今季パ最多の12個。
180球を投げる力投で三振ショーを締めくくった。
「ホントですか。知らなかった。三振は多いなと、思ってたけど…。リードのおかげですよ」と工藤は同期の伊東を持ち上げた。
1、2回こそ制球がままならず、ピンチを作ったが「リリーフで投げているつもりでいったら」相手は三振の山を築き上げていたというわけだ。
無欲の投球を強調したレフティーも、名古屋電気高校のエースとして出場した五年前の甲子園・北陽戦では、延長11回で21三振を奪っている。
高校時代は三振奪取王だったが、プロ入り後は期待度の割には伸び悩んでいた。
今年も自主トレで左肩を痛め最悪のスタートだったが、郭の戦線離脱などもあって先発ローテーション入り。
完投で2勝目をあげて見事に穴をカバーしている。
郭のために作ったスピードガン表示がこの日始まったが、その「代役」工藤がスピード表示の数字よりも打者との対決にファンの目を引き寄せた。
これで14イニング連続奪三振を継続中。
江夏、木田ら先輩サウスポーの持つ23イニング連続に今度は挑戦だ。
(西武球場:観衆3万人)
【写真】毎回の12三振を奪って、完投勝ちした西武・工藤。180球を投げる力投だった。
昭和60年(1985年)8月3日(土)付 報知新聞より一部抜粋
■40年前の今日×西武ライオンズニュース■
1985年(昭和60年)7月8日(月)
【夢か!!郭出たぞ『日本最高』だ156キロ】
●西武4-5日本ハム○
ついに『日本最高』夢の156キロが出た。
1回高代への3球目と2回津末への1球目に計測した。
郭は昨年のロス五輪で158キロを出して『オリエンタル超特急』と話題に。
来日してからは153キロが自己最高記録だった。
日本では昭和54年頃からスピードガンが登場すると各マスコミが話題にするようになった。
当初は中日・小松辰雄152キロ(54年5月10日)や巨人・江川卓151キロ(54年8月26日)らの速球派が脚光を浴び始め、昨年6月20日に巨人・槇原寛己が計測した155キロが日本最速記録だった。
郭の156キロ最高スピードを体感した日本ハム・高代は「確かに速かった。でも、ボール一つ外角へ外れていたよ。だが、球審は速さにつられてストライクと言ったのじゃないのかな」と苦笑いで語った。
郭はこの試合で156キロの快速球を披露した一方で制球力を欠いていた。
1点リードで迎えた6回裏は四球で一塁、二塁へ走者をためた直後に田村に左越え逆転3ランを浴びた。
この一発が致命的となりチームも敗れた。
郭自身来日初の3連敗とあって、不機嫌そのもの。
日本最速を記録したことを問われた際も「156キロですか。暖かくなって、スピードが更に出るようにボク自身も願っています。それはいつ頃だって?分からないね」と味も素っ気ない。
郭自身はスピード記録よりも14試合で14本も浴びている本塁打が悔やまれるのか「コントロールミスね。まだ勉強することがたくさんある」と反省も忘れていない。
日本よりも暑い台湾で過ぎしてきた郭だからこそ、本人が語ったように暑さが増すごとに球速スピードもまだまだ上がる可能性は十分ある。
郭のスピード狂騒曲のボルテージも一層盛り上がること間違い無いだろう。
(後楽園球場:観衆1万8千人)
【写真】ついに出た!!郭は日本記録の156キロを記録する力投を見せた
昭和60年(1985年)7月9日(火)付 報知新聞より一部抜粋
西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算350枚目】
カルビー1985年 No.75黒文字版(表面)
カルビー1985年 No.75黒文字版(裏面)
西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算351枚目】
カルビー1985年 No.75赤文字版(表面)
カルビー1985年 No.75赤文字版(裏面)
No.75田尾安志のカードは、表面選手名、チーム名の色が黒文字バージョと赤文字バージョンの2種類が存在します。
2種存在した明確な理由は不明ですが、私個人の推測としては、最初に発行されたのは黒文字版ではないかと考えています。
表面田尾のユニフォームのLionsのロゴ部分に名前が被ってしまっており、少し見難いと制作担当が差し替えの判断をした、もしくは球団からロゴが隠れてしまっているとクレームが来ての差し替えなどが理由ではないかと考えています。
■40年前の今日×西武ライオンズニュース■
1985年(昭和60年)6月22日(日)
【東尾4安打完封10連勝 145与死球の日本新も】
○西武1-0近鉄●
登板条件は悪かった。
中9日、先発予定の6月18日、スライドした19日を雨で流した。
こんな時、投手はコンディションづくりに苦しむ。
東尾は「一度、頭をカラッポにしなきゃならんかった」。
そしてかすかな痛みがつづく右肩は、まだ全力投球を許してくれない。
「頭と顔と意地やろうねえ、オレを支えとんのは」遅い球を速く見せる工夫、変化球のコントロール、200勝投手の顔が効果的に働く。
味方の援護はたったの1点。
それも終盤の7回、西岡のスクイズでやっと取った点だ。
東尾は「シンドかったさ」と言ったが、緊張を楽しんでいるようにも見えた。
一番のピンチは4回一死一、三塁で打席に迎えた梨田をジロリとにらむと、お得意のスライダーで、二塁ゴロ併殺打に打ち取って切り抜けた。
6回以降、近鉄をパーフェクトに抑えた東尾は完封で無傷の10連勝。
今季三度目の完封だったが、面白いことに3試合ともスコアは1対0。
「点差に応じて投げるのが投手の醍醐味」とうそぶくエースだ。
また、初回にデービスにぶつけて通算145与死球。
日本新記録を更新したがこれも打者の内角を攻め続けた勲章だ。
「死球日本記録?セ・パ両リーグで表彰してくれんかなあ」完封劇にご機嫌だった東尾は相変わらず一言も二言も多く笑わせてみせた。
(藤井寺球場:観衆7千人)
【写真】
【上】強気の内角攻めが売りものの東尾は1回、デービスにぶつけて与死球の日本新記録。
【左上】にぎりはフォークボール。完封で無敗の10連勝
昭和60年(1985年)6月23日(日)付 報知新聞より一部抜粋