埼玉西武ライオンズ 郭泰源 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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■40年前の今日×西武ライオンズニュース■

1985年(昭和60年)7月8日(月)

【夢か!!郭出たぞ『日本最高』だ156キロ】

 

●西武4-5日本ハム○

ついに『日本最高』夢の156キロが出た。

1回高代への3球目と2回津末への1球目に計測した。

郭は昨年のロス五輪で158キロを出して『オリエンタル超特急』と話題に。

来日してからは153キロが自己最高記録だった。

日本では昭和54年頃からスピードガンが登場すると各マスコミが話題にするようになった。

当初は中日・小松辰雄152キロ(54年5月10日)や巨人・江川卓151キロ(54年8月26日)らの速球派が脚光を浴び始め、昨年6月20日に巨人・槇原寛己が計測した155キロが日本最速記録だった。

 

郭の156キロ最高スピードを体感した日本ハム・高代は「確かに速かった。でも、ボール一つ外角へ外れていたよ。だが、球審は速さにつられてストライクと言ったのじゃないのかな」と苦笑いで語った。

 

郭はこの試合で156キロの快速球を披露した一方で制球力を欠いていた。

1点リードで迎えた6回裏は四球で一塁、二塁へ走者をためた直後に田村に左越え逆転3ランを浴びた。

この一発が致命的となりチームも敗れた。

郭自身来日初の3連敗とあって、不機嫌そのもの。

日本最速を記録したことを問われた際も「156キロですか。暖かくなって、スピードが更に出るようにボク自身も願っています。それはいつ頃だって?分からないね」と味も素っ気ない。

郭自身はスピード記録よりも14試合で14本も浴びている本塁打が悔やまれるのか「コントロールミスね。まだ勉強することがたくさんある」と反省も忘れていない。

日本よりも暑い台湾で過ぎしてきた郭だからこそ、本人が語ったように暑さが増すごとに球速スピードもまだまだ上がる可能性は十分ある。

郭のスピード狂騒曲のボルテージも一層盛り上がること間違い無いだろう。

(後楽園球場:観衆1万8千人)

 

【写真】ついに出た!!郭は日本記録の156キロを記録する力投を見せた

 

昭和60年(1985年)7月9日(火)付 報知新聞より一部抜粋