プロ野球歴代最多となる3,085安打を放ち、「昭和の安打製造機」と呼ばれた張本勲氏がお亡くなりになりました。
また一人、日本プロ野球界の巨星がこの世を去りました。残念でなりません。
そして今回、張本勲氏を偲ぶ記事にしました。
1985年(昭和60年)春季キャンプに、西武ライオンズの臨時打撃コーチとして招かれた張本氏。
当時のライオンズブルーのキャップとグラウンドコートを身にまとった姿は、今となっては大変貴重なものです。
今回は、その際に打撃指導を行った石毛宏典(写真右)についての解説記事も、あわせて振り返ってみたいと思います。
走れる3番打者として 大いに期待
張本臨時コーチのアドバイス
素直に言わせてもらうと、彼の場合、いままで打てていたのが不思議なくらいだ。
まず欠点としてあげられるのは、強い腕だけで振っていたこと。ステップが広く、下半身の回転がないこと。それに打ちに行った時、目の位置がさがってしまっていた。そのため彼の場合は三振も多かったのだと思う。目の位置がさがったのでは、速い球など“アッ”という間に見逃してしまうことがある。
そこで、動いてる球を動かずに正視して打つことを教えました。彼の場合、ただ手首が非常に強いので、うまくミートした時は飛んでいたのだと思う。
もうひとつの欠点は、左腕が伸びていなかった。右打者の場合、左腕が命といってもいいほど、パッと伸ばしてやらないと、打球は死んでしまう。この点、彼の場合は右腕が強く押していた。右手をあまりにも強く押しだすと、日本ハム高田監督の現役時代のように鋭い当たりでも左へ切れるファウルが多くなってしまう。
また、このようなバッティングだと、ピッチャーからすれば、近めを攻める絶好の対象となる。そして最後はアウトコースにスライダーを投げられ、結局は手首でこねて凡打に打ち取られる。昨年までは、このようなケースでの攻められ方が多かったといえよう。
私の場合は、ステップの広さを直すために食事をしている時でも練習したことを話したりしたが、彼は性格的にも素直で、すぐに受け入れてくれた。ぜひとも自分の型をしっかりつくり上げてほしい。
素質的にはすばらしいものを持っているので、型さえできれば、クリーンアップの一角を十分にこなすことができると思う。
とくに私としては、走れる3番打者として、3割、30本、90打点、それに45盗塁はいけると期待している。また彼はそれだけやれる力を十分持ち合わせている。
(1985年西武ライオンズファンブックより)
そして最後に
野球愛に満ちていた――
「張さんに、あっぱれ!」
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。




























































