はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

【投手②】

 


西本和人
西武在籍:6年目(24歳)

 

(1986年西武ファンブックより)
カミソリシュートで復活宣言だ。
球のキレは鋭いものを持っているだけに調子の波に乗れば必ずいける。
あとはマ ウンド度胸だけ。
強気で攻めのピッチングをすれば、実績もあるだけに勝ち星をグンと伸ばすことも十分にできる。


東尾修
西武在籍:8年目(36歳)
 

(1986年西武ファンブックより)

いまや球界を代表する投手。
コントロールの良さは抜群。
低めにストライクゾーンが広がったことで、ますます有利になった。
ファンとして背番号を上回る勝ち星を期待したい。
本人は優勝するために投げると宣言している。


永射保
西武在籍:8年目(33歳)
 

(1986年西武ファンブックより)

強気の攻めのピッチングには定評がある。
今シーズンもここ一番のリリーフは彼の出番である。
独特のサイドスロ一は左打者殺しとして有名。
ベテランの持ち味を十分に生かした、自由自在のピッチングが今シーズンも楽しめそうだ。


石井毅
西武在籍:4年目(25歳)


(1986年西武ファンブックより)
打者の心理を読んでの度胸満点のピッチングは歴戦の勇士そのもの。
昨シーズンは貴重な中継ぎとして活躍の場が多かったが、本人はローテーション入りをねらっている。
左右のコーナーに散らす速球は威力がグンと増した。


成田幸洋
西武在籍:4年目(25歳)


(1986年西武ファンブックより)
速球、球のキレとも申し分のない実力の持ち主。
今シーズンはぜひとも出てきてほしい投手の一人だ。
早い時期に勝ち星をあげれば、そのまま調子の波に乗ってトントンといけるタイプ。
打者の胸もとで浮きあがる重い速球に期待しよう。


串原泰夫
西武在籍:5年目(23歳)


(1986年西武ファンブックより)
昨年アメリカ留学で1Aのオールスターに出場。
すっかり自信をつけ、ピッチングの幅もグンと広がり、一軍での活躍が見もの。


渡辺久信
西武在籍:3年目(21歳)
(1986年西武ファンブックより)


昨シーズンは、先発に抑えに大車輪の活躍だった。
もともと先発完投型の投手だけに本人は先発でいきたいといっている。
長身から投げおろす速球と大きなカーブ、フォークボールのコンビネーションで15勝は楽にいける。

すっかりブログの更新が滞ってしまい、すみません。

実はスキャナーの調子が悪くて、資料用の画像がなかなか用意できていません。

立体物ならスマホ撮影でもいいかなと思っているのですが、紙モノについては「スキャナーで取り込んだ画像を載せる」というマイルールがありまして…。とはいえ完全に壊れたわけでもなく、買い替えるのも悩ましいところで、どうするか考え中です。

 

さて、そんな中で過去に撮りためておいた野球カードの画像を少しずつ出していこうかなとも思っていたのですが、せっかくなので先日インスタグラムを開設しました。

今後は、ブログでは雑誌や新聞記事などから引用した過去の出来事を中心に、インスタグラムでは野球カード紹介をメインに、という形ですみ分けていこうと思います。

 

インスタ版
「はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~」

↓↓

 

 

もちろん、懐かしの「ライオンズブルー」ばかりです!

よかったら、インスタの方ものぞいてみてください。

 

 

47年前の今日=1979年4月24日は、西武ライオンズが球団創設後、初勝利を挙げた記念すべき日です。

 

下記の写真は、その歴史的な「初勝利のウイニングボール」です。
2021年6月、野球殿堂博物館で開催された「埼玉西武ライオンズ特集展示」にて撮影しました。

 

現在は、西武球団、松沼博久氏、あるいは野球殿堂博物館のいずれかで大切に保管されている可能性が高いと思われます。

 

 

 

【投手①】


森繁和
西武在籍:8年目(32歳)

 

(1986年西武ファンブックより)
球界を代表する抑えの切り札。
しかし今シーズンは、アメリカでヒジの手術を受けたため、後半に出てこられるかどうかという状態だ。
早くよくなって、マウンドでの雄姿を見たいものだ。
ライオンズファンの誰もが期待している。
 

郭泰源
西武在籍:2年目(24歳)


(1986年西武ファンブックより)
昨シーズンは前半だけで9勝をあげ、ノーヒット・ノーランの快挙を達成。
日本の野球にもすっかり慣れたので、今年は20勝を期待しよう。
それと今度はライオンズ球場で156キロを上回るスピードと完全試合を見せてもらいたい。
 

小野和幸
西武在籍:6年目(24歳)
(1986年西武ファンブックより)
昨シーズン3勝をあげたことで、すっかり自信をつけ、花が開いた感じがする。
もともと実力があるだけに、今シーズンはローテーション入りも決して夢ではない。
長身から投げおろす速球、フォークボールでの勝負が数多く見られよう。

野口裕美

西武在籍:4年目(26歳)

 

まだ勝ち星をあげていないのがおかしいくらいの実力派。
今シーズンは貴重な左投手として飛躍が期待されている。
伸びのある速球を武器に相手チームを牛耳ってほしい。
本人も目の色を変え練習に励んでおり、いい結果が出るに違いない。
 

松沼博久
西武在籍:8年目(34歳)


確実に勝ち星を計算できる投手。
今年もローテーションの一角を担い、華麗なアンダースローのピッチングを見せてくれることだろう。
体の調子もいいというし、昨年の14勝を上回る勝ち星をあげてくれることを期待しよう。
 

松沼雅之
西武在籍:8年目(30歳)


昨シーズンは故障に泣いたが、今年は大丈夫。
本人も名誉挽回を期して張り切っている。
持ち前の重い速球で、全球団から勝ち星をあげ、どんどん上積みしてほしい。
また、それだけの実績があり、兄に負けない力を見せてもらいたい。

【二軍:監督とコーチ】

日野茂(41歳)

(1986年西武ファンブックより)
プロ野球選手としての技術はもちろんのこと、精神面も鍛えている。
いまの若い選手に必要なものは、プロとしての自覚だという。
何事も理解するまで話し合うという指導方針。
一人でも多くの若手を上に送りこむのが仕事と割り切っている。
現役時代のガッツと明るさは人望もあり、いわば若い選手のオヤジ的な存在といえる。

 

宮田征典(47歳)

(1986年西武ファンブックより)
根気よくていねいに教える指導方法は若い選手に説得力がある。
とくに現役時代は抑えの切り札であっただけに、一球の大切さを体験を通して教えている。
若い選手には、打者との駆け引きとしての間の取り方など、単に投げるだけでなく考える野球を強調。
素質のある若い投手が多いだけに、どのように成長するか大いに楽しみだ。

 

「8時半の男」として名を馳せた宮田コーチも、いまでは若手の育成に力を注いでいる。

 

西三雄(48歳)

(1986年西武ファンブックより)
一見ゴツイ体からは想像もつかないほどやさしい面を持っている。
かつては剛腕で鳴らしただけに、投手の心理状態はよくわかる。
技術的なこともさることながら、精神面での強さを身につけるよう指導している。
若い選手にとっては、いわばオヤジさん的な存在。
長い間の経験と実績を通して、若い投手の身になって教えるタイプといえる。

 

和田博実(49歳)

(1986年西武ファンブックより)
若い選手を引きつれて、毎年アメリカの教育リーグに参加。
アメリカでの若い選手の育成方法を体験的に習得している。
秋山をはじめ教育リーグに参加して育った選手も多い。
とにかく、向こうでは、"ヤル気がない選手はダメです、とはっきりいう。
このヤル気を日本でも選手に徹底的に教え、プロとしての心構えを習得させる一人。
 

広瀬宰(39歳)

(1986年西武ファンブックより)
若いだけに自らグラブを持ち、選手と一緒になって動き実戦的な指導を行っている。
とくに基本を忠実に、何度も繰り返し教えている。
決してハデではないが、守りの重要性をよく理解しており、若い選手がいつ一軍に上がっても大丈夫なように、チームプレーの練習をみっちりと行い、常に実戦的な練習を心がけている。

 

伊原春樹(37歳)

(1986年西武ファンブックより)
練習をしているグラウンドでよく目立つ存在だ。
それだけこまめに動いているといえる。
気がついたことがあれば、すぐその場でアドバイスをする。
何事に対しても意欲的で選手を引っぱっていくタイプ。
若い選手ともよく話し合い、お互いに納得した方法で練習を繰り返す。
コーチとしても、すっかり年期が入ってきた。
 

久代義明(44歳)

(1986年西武ファンブックより)
捕手出身で地味な存在だが、熱心な指導には定評がある。
とくに若い捕手には、キャッチング、リードの点など厳しく教えこんでいる。
基礎をしっかり身につければ、ゲーム展開によっての応用も楽にできるという考えの持ち主。
長い間自分の体を通してプロで学んできたことを、いま若い選手にすべて学んでもらおうと努力している。
 

奥宮種男(37歳)

(1986年西武ファンブックより)
過去に大投手といわれた人の球を実際に受けてきただけに、若い投手を育てるにはうってつけ。
自らミットを持って若い投手のボールを受け、一球ごとにスピード、コース、球の回転などをアドバイスしている。
これから育つ若い投手にとって、きめ細かい指導は信頼感が厚い能力を見抜く力を持っているだけに頼もしいコーチといえる。

【一軍:監督とコーチ】

森祗晶(49歳)

(1986年西武ファンブックより)
今季から新しく監督に就任した。
名前も晶彦から祇晶に改め、その意気込みが感じられる。
ライオンズでは、過去に3年間作戦コーチをつとめた実績があり、その手腕は大いに期待できる。
もともと選手の能力を見抜く力、ゲームの流れを読む勝負勘は鋭いだけに、持ち駒をどのように生 かし、どんな野球を見せてくれるか楽しみだ。
 

毒島章一(50歳)

(1986年西武ファンブックより)
監督と選手とのパイプ役にぴったりな性格。
とくに若い選手に対しては、努力すれば必ずうまくなるという信念の持ち主だけに、厳しさを要求する。
スカウトも経験しているだけに選手の能力を見抜き、育てる力は抜群。
一見大らかな感じがするが蘭栽培が趣味という細かい神経も持ち合わせており、新監督のよき片腕となろう。

 

近藤昭仁(48歳)

(1986年西武ファンブックより)

守りの野球の推進者といえる。
基本に忠実なプレーをこなすことができれば、おのずと応用プレーもできるという考えの持ち主。
足の運び方、グラブの使い方など、基本をみっちり教えている。
また、若い選手には、守備はもちろんのこと、走塁においても、いかに早く状況を判断することが大切かを教え、実戦で役立っている。
 

八木沢荘六(42歳)

(1986年西武ファンブックより)
投手陣の一人一人を厳しくチェックして、個性を伸ばす指導には定評がある。
とくに若い投手が多くいるだけに、シーズン中も走り込みなどによる足腰の強化を強調。
さらに投手として一球にかける気構えなど、精神的な面でのアドバイスも忘れない。
投手王国を目標に教え込んでいることが、今シーズンはきっと花開くに違いない。
 

土井正博(43歳)

(1986年西武ファンブックより)
バッティングゲージの後ろで常に鋭い目を光らせている。
選手への適切なアドバイスは、自らの体験と研究によって積み重ねたもの。
とくに若い選手の能力を引き出し、伸ばすことにかけては定評がある。
教えることにかけては、誰にも負けないほど情熱的。
しかも選手とは気心が知られているだけに、強力な打線が生まれることであろう。
 

黒田正宏(39歳)

(1986年西武ファンブックより)
現役時代から頭脳的なプレーには定評があっただけに、投手心理はもちろん、相手打者の心理を読む力は抜群。
また自らマスクをかぶっていた時に、パ・リ ーグの打者の強み、弱点をひと通り知っているだけに心強い。
若いバッテリーには攻め方など細かく指導するなど意欲十分。
実戦でのアドバイスが大いに役立つことであろう。

図書館で借りていた『92歳、広岡達朗の正体』を、約1カ月半かけて読了しました。
全400ページ近くあり、非常に読み応えのある一冊でした。



本書は、広岡達朗氏の野球人生を、以下の章立てで振り返っています。

第1章 出生~早稲田大学篇
 戦火の時代、そして野球との出会い

第2章 読売巨人軍篇
 “打撃の神様”との確執

第3章 広島東洋カープ篇
 指導者としての原点

第4章 ヤクルトスワローズ篇
 “ぬるま湯球団”の改革

第5章 西武ライオンズ篇
 現代野球の礎を築く

第6章 千葉ロッテマリーンズ篇
 GMとしての球界復帰

やはり、西武ライオンズ篇ですね。
石毛宏典、工藤公康、辻発彦、森繁和、大田卓司、田淵幸一、江夏豊といった錚々たる面々が、広岡達朗という人物像を証言しています。

広岡監督は西武在任4年間で、3度のリーグ優勝と2度の日本一を達成し、西武を全国区の強豪チームへと押し上げました。
唯一リーグ優勝を逃した1984年も、シーズン途中でいち早く若手主体へと舵を切り、翌1985年には日本シリーズこそ敗れたものの、世代交代に成功してパ・リーグのペナント奪還を果たしています。

しかし、結果を出していたにもかかわらず、1985年シーズン終了後に任期を1年残して辞任。
当時は、持病である痛風の悪化と治療専念が表向きの理由とされていましたが、本書ではそれとは異なる真相が語られています。
根本管理部長や坂井球団代表との関係悪化により、事実上の「解任」に近い形で西武を去ることになった経緯は、特に興味深く読みました。

興味のあるプロ野球ファンの方には、ぜひ一度読んで欲しい一冊です。

私自身が本格的にプロ野球にハマり、西武ライオンズの応援に熱を上げ始めたのが1985年。
その当時の監督が広岡達朗さんで、今でも個人的に大好きな野球人の一人です。

ブログを書くのに色々と調べていたら2月9日は、広岡達朗氏の94歳の誕生日でした。
このタイミングでこの記事を書いたのは、まったくの偶然です。
今なお球界のご意見番として健在な姿には驚かされます。
その存在感、やはり別格ですね。

 

2020年 BBMベースボールカード 読売ジャイアンツヒストリー1934-2020 No.11(裏面)
 

2022年 BBMベースボールカード 東京ヤクルトスワローズヒストリー1950-2022 No.24(裏面)
 

2023年 BBMベースボールカード 埼玉西武ライオンズヒストリー1950-2023 No.27(裏面)

今回は、森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(中) のつづきです。

 

 

 

森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(下)

"V3”フロントの勝利

ニューパワーも表面に出てきたゾ

バックアップ態勢

 

西武入団が決まった昭和56年(1981年)オフのことだ。

坂井球団代表が広岡新監督のもとに驚くようなニュースを持ってきた。

「レジー・ジャクソンがフリーエージェントになっており、獲得できる」というものだ。

聞けば8億円余りの金をつぎ込むという。

他の球団にとっては、夢のような話だ。

結局は広岡監督が「そういう扱いにくい選手はいらない」と断り、レジーはエンゼルスと契約してしまった。

大リーグのスーパースターを獲得しようとする意欲は「(日本の)SEIBUは金持ち球団」という大リーガーたちの評価を作った。

 

多少の犠牲を払っても獲物は逃さない。

今年の代表例が郭だ。

足かけ6 年、巨人との激しい争いに勝って獲得したオリエント・エクスプレ ス。

かなりの札束が飛んだと想像できる。

登板過多で途中リタイアしてしまったが、一年目でノーヒットノーランを達成するなど、スター不在のチームに光を与えた。

 

「V3」はフロントの勝利でもある。

昨年オフ、広岡監督は「大 砲をとらなければ、とても優勝は「ねらえない」とことあるごとに言っていた。

フロントは中日・大島と杉本、大石のトレードを推し進めたが成立しなかった。

年が明けて、田尾との交換が決まった。

この三番打者の加入は大きかった。

監督の望む大砲ではなかったが、クリーンアップの一角を任せられ、三番候補だった石毛を本来のトップに持っていけたからだ。

外人獲得、トレードと並んで戦力補強で欠かせないのが新人補強。

今年売り出した秋山を頭に松沼兄弟ら10人ものドラフト外入団選手が主力を形成している。

これは金の面でだけでなく、スカウト陣に確かな目があることの証明だろう。

現場の立場でいうと、ホントにいい体をしている選手が多い、ということだ。

ドラフト制が敷かれる前、自由競争時代に有望と思われる選手を片っぱしから集めて「多摩川に何億円も眠らせている」といわれたかつての巨人と似た面が少なからずあった西武に、少しずつ変化が起きているように見える。

ようやく「西武第二世代の男たち」が、表面へ出てきた。

 

聞こえてくる「西武王国建設」のツチ音。

そこには、現場を強力に支援する態勢がある。

練習場に代表される施設面。

ささいな例をあげると、広岡監督が自然食を提唱すれば、即座に選手の食生活を変えさせる実行力。

移動に使うバスは「一台では狭苦しく、体にもよくない」と常に二台を用意する。

スコアラーから「高性能ビデオカメラが欲しい」と要望が出れば即座にOK。

毛色の変わったところでは、西武建設が毎月、西武と他チームの選手のバイオリズムを調べて一覧表を送り届けてくれる…。

7年前の球団発足当時、関連企業からの出向社員で構成され、ギクシャクしていたフロントも、今ではスムーズになってきたようだ。

ただ、オールスターに出場したからといってお祝い金を出すことには閉口したが、球界一、二を争う厚遇に、最高に近い環境。

言い訳のきかない状況で、現場には無言の厳しい要求を出す。

すべてが目に見えない力になって、選手たちを後押ししている。

おわり

 

【写真】電撃トレードで田尾(中央)を獲得するなどフロントのパックアップ態勢は万全だった

 

1985年(昭和60年)10月3日(月)報知新聞より抜粋

今回は、森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(上) のつづきです。

 

 

森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(中)

実った米国「 野球留学」若手の台頭

激しい競争社会で貴重な体験を積んだ

 

今、私の手もとに、分厚いリポートのコピーがある。

二年前、米1A、サンノセ・ビーズへ野球留学した若手選手たちの報告だ。どれもが見知らぬ地での体験に大きく刺激された様子を感じさせてくれる。

その中に秋山のリポートもあった。

日本では想像できない激しい 競争社会であること。その中でいかに自己をアピールするかが問題で、日本での環境がとても甘く思 えたこと......。

そういったカルチャーショックが文字になっていた。1シーズンの1A留学や、秋季教育リーグ派遣などを通じて秋山をはじめ、工藤、高山、安部、駒崎、白幡ら"西武流教育法"を受け、プロ意識の素地を作っていった。そんな彼らが、今、異国での競争体験を生かしている。

 

誕生間もない西武を動かした田淵、山崎らが抜けた新生レオ。

広岡監督にしてみれば、若手を使わざるをえない状況にあったが、「これからは君たちの時代だ。力のあるものを登用していく」とオープンな競争開始を宣言した。「がんばれば試合に出られる。ポジションをつかめる。

今年は何とか100試合に出るんだ」と誓った金森は、それを勝ち抜いた代表例だろう。

上から押さえつけるのではなく、選手に自らやるんだ、と思わせることができたのは、選手たちに競争意識があったことと、スタッフの雰囲気作りが巧みだったからではないか。

 

【秋山が伊東が…ベテランの抜けた穴見事に埋める】

ヤングレオの代表選手は、五年目の秋山と四年目の伊東。

スティーブの動きが悪くなり三塁から一塁へ固定したため、当初は外野兼任だった秋山をサードへ回した。

ディフェンス強化がねらいで、広岡監督も「打率は2割5分程度だろう。ホームランをどのくらい打ってくれるかな」と言っていたほどで、40本近い数字は予想外だったろう。

「やっぱり責任を感じますから」と秋山は言ったが、レギュラー競争の激しい米国で積んだ経験と無縁ではない。

伊東も言っている。「オフに大石さんがトレードされた。あれでやらなければと思った」

五十八年の日本シリーズ、そして二 度のオールスターと大きな試合を経験して成長した若き女房役に、今度は責任を持たせたのだ。

「お前はレギュラー捕手。これからずっと、マスクをかぶるんだから」広岡監督は声をかけている。

不調・森に代わって渡辺が。郭、東尾が故障すれば工藤、小野、高山がといった具合に投手陣は見事なカバーリングをみせて、シーズンを乗り切った。もちろん独走態勢に入ったからこその起用もあるが、これまで素質はありながら、生かし切れなかった若手が、チャンスを自分のものにできるたくましさを備えた結果だと思う。

 

昨年、毎試合後、石毛以下の若手を集めてミーティングを行っ た。

いわば勉強会だが、その席で私は「君たちは将来を背負う人たちだ。西武誕生以後に入団してきた選手で優勝するためにも、互い勉強、研究していこう」と話した。その「生え抜きたち」の活躍が将来を明るくさせる。

 

 

【写真】ベテランの抜けた穴を見事埋めたヤングレオの代表は五年目の秋山と四年目の伊東だ(今年のオールスターで)

 

昭和60年(1985年)10月2日(日)付 報知新聞より抜粋

1985年12月西武ライオンズは新監督として森祇晶が監督に就任した。

森は1981年~1984年までの3年間西武で広岡達朗監督のもとでヘッドコーチを務めていたが退団。

1985年は野球評論家として文化放送ライオンズナイターや報知新聞紙上で解説をしていた。

森は評論家として活動していたこの1985年の一年間のことを「別の視点かつ客観的に外から西武を見ることができた良い機会だった」とのちに語っている。

 

さて、私の所有していた資料を探っていたところ1985年西武のリーグ優勝がほぼ決定的となった10月上旬、報知新聞で西武の強さを語っている記事を見つけました。

今回から3回に分けて紹介したいと思います。

 

 

森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(上)

広岡監督の変ぼう「選手操縦術を方向転換」

独走の要因は昨秋の猛特訓「練習…実戦…練習」で若手育てる

 

四年間で三度目の覇権獲得という輝かしい瞬間を目前にして、広岡監督は、こう私に語りかけてきた。

「こんなにうまく答えが出るなんて…。開幕前は、いいところまで競り合うと考えていたが、優勝なんて頭になかった」

今は立場が違ってしまったが、かつて同じユニホームを着て戦った私には、その言葉が正直なもの、とみえた。

 

巨人を倒して日本一となった五十八年のチームに比べると、今年はかなり見劣りがする。田淵、テリーの両大砲に、石毛、山崎、大田といった素晴らしいワキ役がいた。投手陣も先発、中継ぎ、抑えがそれぞれに十分な働きをした。

大砲、ベテランが抜けた今年のチームはすっかり小粒になった。

それは昨年からある程度予想されたことで、広岡監督は優勝が絶望視された夏場にもう、オフの徹底練習を決意していた。

今年の独走の要因を探っていけば、昨年の秋季、冬季練習に当たる。

この段階では、田尾の加入はわからなかったわけで、広岡監督が「三番・石毛以外は白紙。どういうチーム構成にしていこうか」と思案していた時期だ。

昭和三十六年、川上監督一年目の巨人が、やはり長島だけだったのと酷似している。

当時、川上監督は宮崎―伊東―ベロビーチと続くキャンプで猛練習を課した。

体験者である広岡監督は、その再現をと思っただろう。

 

評論家時代、当時アスレチックスの監督だったビリー・マーチン(現ヤンキース監督)をキャンプ地・スコッツ デールに二人で訪ねたことがある。「実戦経験の少ない選手に休みを与えてはいけない。緊張感を解きほぐすことなく練習、実戦、そして練習で鍛え上げていくしかない」という話は、そのまま監督の考えの根底にあるものだ。

暮れの二十日過ぎまでバットを振り、ボールを追った。今年も開幕以後、百日以上も休みを与えなかった。

マーチンの思想は西武流の中にしっかり根付いている。

 

造けいの深い方象学によって、背番号80から91に替えた人。選手操縦術も方向転換したようだ。

かつては田淵、大田、東尾ら主力ベテランに対して、マスコミを通じて猛烈なコキ降ろし戦術を使った。

選手たちの反発を計算した上での発奮を促す手だてだった。「力を持っている人間が単純なミスをしてしまうことにイラ立ちがあったから。彼らの思想を変えたかった」というのが広岡監督の言い分だった。

ところが、現在の若い選手たちに対しては違う。考えてみれば、自分の息子と同じ年ごろなんだ。今は彼らにいかに力をつけさせるかなんだ」という。いわばクールな管理者の目から温かい親の目への変ぼうといおうか。

 

他の五球団のふがいない戦いぶりが独走に拍車をかけたとはいえ、広岡監督の思想が、選手たちに十分浸透した結果が出ている。球場を訪れると選手たちが「去年まで森さんに言われたことが、よくわかりました」と言ってくれる。広岡監督の考える野球を伝える役目だった私に嬉しい言葉だった。

広岡監督はシャイな性格で、昔から「この選手は自分が育てた」と自慢できる人ではない。が、秋山、伊東をはじめ才能のあるプレイヤーが出てきたのは事実。

西武をかつての巨人のように常勝チームにすることに燃えた男。

単なる優勝請負監督ではない。

 

【写真】昨年秋からの猛練習で、素質を開花させた秋山を見つめる広岡監督。3度目のVは目前

 

昭和60年(1985年)10月1日(土)付 報知新聞より抜粋