■40年前の今日×西武ライオンズニュース■
1985年(昭和60年)5月26日(月)
【秋山17号 5試合連続だ 日本記録月間16発にあと3】
○西武10-5近鉄●
6回表二死二塁。
代わった近鉄・住友のシンカーを秋山幸二が振りぬいた。
打球は羽根が生えたように軽々と左中間席へ飛んでいった。
5試合連続の17号が生まれた。
5月絶好調の秋山は自ら「強運」をも引き寄せた!?のかもしれない。
6回表チームは秋山の打席直前に近鉄先発・村田辰美投手を攻略し逆転に成功していた。
そして秋山が3打席目を迎えるタイミングで近鉄ベンチは左の村田から右の住友に交代。
秋山は最初の2打席、村田の前に捕邪飛、一飛とまるでタイミングが合っていなかったのだ。
「村田から住友に代わったとき、しめたと思ったスね。打ったのはシンカーかな。村田が投げていたら?打てなかったんじゃないですか。」試合後西武の若大将は正直に告白した。
連続試合本塁打のパ・リーグ記録6試合に王手、日本記録7試合にあと2。
そして月間本塁打日本記録16本にあと3本と射程圏に入ってきた。
(ナゴヤ球場:観衆2万8千人)
⇒結局、連続試合本塁打は28日南海戦でストップ。
月間本塁打記録も上記が最後の一発になり5月13本塁打でした。
【写真】6回2死二塁、5試合連続のダメ押し17号2ランの秋山はナインに迎えられ大喜び。
昭和60年(1985年)5月27日(月)付 報知新聞より一部抜粋
「ミスター・メイ」の由来
1985年5月秋山幸二の月間成績は打率.366、13本塁打、28打点。
5月19日~26日にかけて5試合連続本塁打、5月17日~30日にかけて 9試合連続打点の大活躍で秋山自身初の「月間MVP」を受賞した。
秋山は、その後のキャリアでも「5月」に限ると1987年に5試合連続勝利打点、1991年に5試合連続本塁打で5月2度目の月間MVP受賞など、5月に活躍することが多く、「ミスター・メイ」と呼ばれるようになった。
メイとは英語の「May」で日本語だと「5月」でいわゆる「5月男」である。