西武ライオンズタイムマシーン(第455回):40年前の今日 1985年5月10日 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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■40年前の今日×西武ライオンズニュース■

1985年(昭和60年)5月10日(金) 

【連敗止めた 東尾完封4勝、大田が決勝タイムリー、頑張った34歳オールドレオ

 

○西武1-0日本ハム●

いまや西武が出す一切の印刷物から「西鉄ライオンズ」の輝かしい歴史は除外されている。

福岡を去り埼玉・所沢に移転しても「ライオンズ」に変わりはないのだが…。

 

この試合の勝利の立役者・東尾修と大田卓司は西鉄時代から一緒に戦い、それぞれ投打の主軸としてチームを支え続けてきた。

非管路野球の権化みたいな西鉄で育った二人だから西武の管理野球の枠に収まりきらないのだろう。

だからというわけではないが、二人は西武の中のアウトロー的な存在として見られることも。

こんな二人だから、反発心をうまく生かせるのだ。

「投げてやろうやないか。文句言われない投球を見せてやろう」東尾はそう思ってマウンドに上がり、投げ続けた。

ストレートが伸び、スライダーが切れた。

自ら「今季一番」というデキで日本ハム打線を3安打に抑えこみ、今季2度目の完封勝利だった。

 

東尾に勝利をプレゼントしたのが大田だ。

8回裏二死一、二塁から二遊間をゴロで抜ける中前タイムリー安打で貴重な1点をあげた。

キャンプから不振にあえぎ打率も自身の身長並の1割台で、広岡監督は何度「二軍」を口にしたことか。

今季初めてフラッシュがたかれる中「毎日特打ちしたし、ビデオをよう観た。生まれて初めてこんなに練習したんやから」と打のヒーローは笑った。

愛したチームが身売りされる中でプロ魂を身に着けていった東尾と大田。

ともに34歳のオールドレオがチームの窮地を救い、チームは一夜で首位に返り咲いた。

(西武球場:観衆1万2千人)

 

【写真】

(右上)完封で4勝目をあげた東尾はウイニングボールをスタンドへ。

(左下)8回2死一、二塁、大田は中前へ決勝タイムリー。

 

昭和60年(1985年)5月11日(土)付 報知新聞より一部抜粋