まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -109ページ目

ピッパの法則

はい、最終的に成功する人の、行動指針です。



これだけは、間違いないと、感じます。



『PIPPA』の法則。



日本語にすると、『ピッパ』の法則。



訳すとね。。。



『思い立ったが吉日』



って言うんですよ(笑)



なにか、インスピレーションを感じたら、
その場で、行動を開始する。



遅くても、72時間以内に!!



『ピッ』と感じたら、『パッ』っとね (*^_^*)



えっ!?



いいことを思いつくのに、
忘れちゃう!?



メモしておきなさい。



えっ!?



筆記用具。。。持っていない。。。!?



あらら。。。



残念。。。成功する準備。。。



まだ、できていないのね(*^_^*)



天は、奇蹟や、幸運を、
準備のできている人のところに、
もたらします。



天も、選択ミスをしたくないのでしょう。。。



(笑)



おいら、準備だけは、怠りませんぞ(笑)


失敗する方法なら、今すぐ、教えてあげる

考えて、考えて、考えて。。。



結局、行動を開始しなかったとき。



あなたは、失敗への道しるべを、たどっています。



やってみても、
失敗するかもしれない!?
どうなるか、わからない!?



当たり前ですよ、そんなこと。



私たち、人間に、
未来の正確な予知能力は、ありませんもの。



わからないから、やってみるのです。



やらなければ、
『失敗の消し込み』すら、できませんぞっ!!



えっ!?



ほどほどに、ちょうど良く、やっている!?



(笑)(笑)(笑)



人間は、甘いもの。。。



その『甘い人間』が、『ほど良く』やったら、
『甘いこと』しているに、決まっていますよ。



『厳しい人』は、心配しなくても、
『ほど良く』なんて、やりません。



そう、『全力で、駆け抜け』ます。



苦しくって、
スピードが、落ちることもあるでしょう。



でも、そのときの精一杯で、全力で、
やっぱり、駆け抜けているんだなぁ~。




つまり、
『ほどほどに。。。』なんて。。。
『ちょうど良く。。。』な~んて、やっていたら、



結果は、失敗。。。ですよ、当然。



やらなきゃ、もちろん。。。失敗!!



(笑)



目を細めて

時が過ぎて、近しい人に、目を細めている。。。



【mani】は、年老いたら、
自ら、生(産)み育てたものが、光り輝き、
それを、そっと、目を細めて、見ている。。。



『輝くもの』は、その輝きの元が、
ここにいることなど、ついぞ知らずに、
懸命に、次へと、明日へと、駆けている。。。



幼子が、親も忘れて、
庭で、はしゃぎまわるように。。。



そう、それを静かに、見守って。。。



そんな『何か』を残して、
笑顔で、彼岸へ渡りたいものです。



(*^_^*)



♪(*^^)o∀*∀o(^^*)

THIS IS IT

金曜日、『THIS IS IT』を観にいきました。



まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい-This is it



難しいこと、言いません。



すばらしいです。





【mani】は、クリエイティブなことが大好き。



昨日まで、なかった。。。



前例が。。。



聞いたことが、ない。。。



こういう言葉は、もう、。。。聞き飽きています。





でも、さ。。。



これを観て、ちょっと、思った。。。





【mani】も。。。
【mani】の本業の業界のみんなも。。。



『夢を売る』『夢を売る』って、
二言目には、言うけれど、



お客様の抱く『夢』。。。



本当に、ちゃんと、追いかけただろうか。。。





自分のところの取り扱い品も満足に知らない経営者。



生産部門の言いなりの営業部隊。



イエスマンの昇格。



ただ、値引き販売するしか能がない
メーカーの営業。卸の営業。リテイラーの営業方針。。。



生意気と言われようが、なんと言われようが、



『そんなことは、ない!!』



って、言うやつがいたら、



これ。。。観てごらん。。。



あなたの。。。もちろん、【mani】自身も。。。



取り組み方の甘さ。。。わかるよ。。。



あの、そそられるほどの肉体を見てみろよ!!
おいらは、男だから、女性のfigureに目が行っちゃうけれど、
よだれ出て、当然のゴージャスさ、じゃん(笑)
あれだけの努力。。。しているか、どうか
自分の胸に訊いてみな!!


お菓子は、『夢売り商売』だった。。。ね。。。



過去形で、言わなければならない今の状況。。。



変えようよ!!



Anyone NEVER do anything alone !!

But nothing will start, if we were waiting for someone else to do it !!

We SHOULD start first !!



ぼんこちゃんさんが、なぜ、【mani】へのメッセージで、
”God bless you” を使ったか、
やっと、わかったよ (*^_^*)



I'm not a religious person, but...

I say all of you "God bless you " without a religious meaning.

JUST "God bless you "(*^_^*)



使命感を持って!!

水曜日は、昼過ぎ、
東京駅の大丸1階の受付前。



業界の明日を担う委員会に、
参加するために、
足を運びました。



あ~、この場所は、
今年、1月23日の昼下がり、
あの、いい女と。。。



あっ、『な』『い』『し』『ょ』



(*^_^*)



むっちゃ、真面目な議論が、
夕方まで、続きました。。。



6人の会議の場として、
利用させていただいたのが、
大丸13階の『XEX TOKYO』

まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい-XEX TOKYO


ここ、いいわ~~~!!



個室ではなく、大空間ですが、
これくらいの人数までなら、
気を遣わずに、ゆっくり話が、できます。



雰囲気もいいし、
今後も、予約なしで、
東京駅で待ち合わせをするときなど、
とっても、いい感じ!!



ホール係の対応も、d(^。^ d)グッ



白系ロシアで、長身の、モデルのよう美女でした。



あっ、もちろん、『対応』が、よかったのよ!!



(笑)




さて、会議の内容は、別にして、
この委員会を成功させないと、
この業界は、たぶん。。。おかしくなる。。。



【mani】自身は、礎で、かまわない。



でも、この委員会。。。成功して欲しい。



明日も、お菓子が、あなたの手元に、
今までどおり、届くようにするために。





このまま、行ったらね。。。



ショッピングセンターとコンビニと職域売店、駅売店。。。
ディスカウントかドラッグのチェーン。。。



そんなところでしか、お菓子に出逢えなくなっちゃうよ。



近所では、買えなくなっちゃう。。。



特に、大都市と言われる街以外では。。。



ホントだよ。。。



売っているものも、どこ行っても、同じもの。。。



に、なっちゃうぞっ!!





大人になった娘に、こんな手紙を書いてみたい

子供のころは、
見守りながら、教えながら、褒めながら、
できるだけ、できるだけ、手を離し、
子供が自分でできることを増やします。



少し大きくなって、
『幼稚ながらも社会性をもった集団』の中に、はいると、
自分で、なんでも、できる人が、
リーダー格に推されることが多いです。
(その社会は、まだ、幼稚ですからね(笑))



そこに至れば、リーダーとして、
自分が手を出すことは控え、
教え、褒め、できるようにさせ、
『他認力と他任力』を養い、
『任せたことの責任も持つ』ことを覚えて欲しい。



(『他認力と他任力』は、あんさんの言葉です。
大変に、わかりやすいので、利用させていただいております)



大人になって、社会のどんな構成員になろうとも、
そこまでで得た経験は、大きなものになります。



個人能力が優良なだけでは、
何ひとつ、世の中を良い方向に変える力になど、なりません。



『他認力と他任力』を養い、
『任せたことの責任も持つ』こと。



これが、できなければ、
親として、いつの日にか、子供に宛てて、
書いてみたい手紙が書けない。



そう。。。



こう、書いてみたい。。。





『【こと】は、あなたの肩に、かかっています。
どうぞ、お願いしましたよ。』




『生き物の序列』

『なぜ、『いるか』は特別なの!?』の記事に対し、
ステキなコメントを、ありがとうございます(*^-^*)



下記は、asagaonagon9873さんからのコメントです。



*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・


中国や韓国では犬を食べるといいますし それも彼らの文化なんですよね。

私も賢い動物(いるか)は食べちゃダメ。
でも豚や牛は食べても平気な西洋文明はなんだか理解できかねます。

賢かろうが 多少劣っていようが
生き物であることには変わりがないんですから・・・


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・



はい。



おっしゃることを、よ~く理解します。



私にも、根底に、この感性が、流れています。



確かに、日本にも、
六道という価値観が、ありますが、
輪廻転生してしまいます。



畜生道は、人間界より下位に置かれますが、
人間も、あっという間に、
その世界へ落ちてしまうことが想定されています。



六道を、行き来してしまうのですね。
その意味で、日本では、『生き物』が、
極めて、平等に扱われています。



明確な考察をしておりませんので、
あえて、特定の文化を指すことは控えますが、



ある文化の中では、



神-聖霊-人間-人間の役に立つ『動物』-
人間の食い物-『動物』の餌-その他



最低でも、この程度には、
分類され、区別、序列化されています。



日本では、



神仏-精霊-生きとし生けるもの



の図式を感じます。



『聖霊』と『精霊』にも、
大きなニュアンスの差を感じます。
(この差の話は、今回は、しませんが、どちらもステキです)



名もない草木に宿るものも、神霊とし、
目に見えるすべてのものの上位とし、



人をも含め、生きとし生けるもの、
交わりながら、助け合いながら、
平等に、生きている。。。



少なくとも、概念的には。。。



日本は、そんな感じでしょうか。。。



ただし、これは、どちらが、正しいと言う、
そんな話では、到底、あり得ません。



どちらの文化も、正しいと言えるでしょう。



『その命』を大切にしようとする『対象』は、違うけれど、
命を大切にしていることは、同じです。



単純化を極めれば、



西洋では、近しい仲間をより大切に、
日本では、すべてを可能な限り等しく。。。



というだけです。



私は、日本の価値観に重心を置いておりますが、
『より身近なものを、より大切にする。。。』
これも、なんら、不思議ではないですからね (*^_^*)



私にだって、きっと。。。
西洋の、この感覚も。。。あるはずです。





日本の、ここで記載している価値観は、
日本人の無常観に根ざすものなのだろうな。。。



と、思っています。



いつ、どこで、何が、どう転ぶか、わからない。
いつ、どこで、誰に、どう世話になるか、わからない。



浮くも、沈むも、
機会の平等に恵まれた国ですから。。。日本は。





食は、民族集団の文化のようなもの。



私は、
命を粗末にするようなこと以外、
何を口にすることも認めることができます。



その観点からみると、
大量の廃棄を余儀なくさせる、
オーバースペックな鮮度・品質・利便性を要求をする、
『日本の消費者』に、『食い散らかされる命』こそ、
最も、残酷な『殺戮』を感じてしまいます。



『日本の消費者』の意味。。。



説明は、要りませんよね。。。 




なぜ、『いるか』は特別なの!?

『生態系に、手を出してはいけない』の記事に対し、



ヴェルデさんより、



*・’°☆。.:*:・’☆’・:*:.。.:*:・’°:*:・’°☆*・’°☆。.:*:・’☆’・


「イルカは賢いから獲らない」って言うのは何か違うと思ってました。


*・’°☆。.:*:・’☆’・:*:.。.:*:・’°:*:・’°☆*・’°☆。.:*:・’☆’・



という、とても、大切な言葉をいただきました。



その『いるか』の、お話です。



平行線をたどってしまうのに、
『両者とも正しい』価値観の存在が許される『感性の問題』。



議論しても、結論は、出ません。



その文化に、自然と染まり、
にわかには、変更できない感覚なので、
人は、これに、触れられることを、嫌がります。



そんな理由も、あってでしょう。



多くの日本の人が、知らないことですが、
この『いるかの問題』では、
『西洋の感性』が、影響しています。



古来の西洋の感性では、
人間とアニマルまでが、『生き物』です。



四足の哺乳類は、『生きて』いますが、
鳥や爬虫類、両生類は、かなり、怪しいです。
魚、虫に、至っては、『生き物』では、ありません。
古来の西洋の感性では。。。



ここで言う『生き物』とは、
その死に対して、憐憫の情が、わいてくるか否か、
という選択の中で、
『その死に対して、憐憫の情のわくもの』という定義です。



彼らにとって、アニマル以外は、
『生きていない』ので、
たとえば、魚の死に、憐れは、感じません。



(もちろん文化の話であって、個々人の感情を規定しませんが)



古来、いるかは、魚と定義されていました。



しかし、その明晰な頭脳と、
進化論的には、哺乳類に分類されたことによって、
いるかに関して、西洋の古来の価値観を否定する価値観が、
西洋で、生まれてきたと言うことです。



日本人の感覚では、生きとし生けるもの、
いえいえ、それどころではなく、
石も、岩も、海も、山も、家も、酒も、紙一枚さえも、
すべて、『生きて』いますから、
わざわざ、声高に、
『【いるか】を、生き物として扱おう!!』
と、言われても、当たり前すぎて、
その感覚に、ついていけない。。。
ということです。



むしろ、



『なにを、当たり前のことを。。。』



とか、



『なぜ、【いるか】だけ、特別扱いするのだ。。。』



という感情が、生まれてしまいます。



このあたりのことは、
お互いの文化に、
じっくりを耳を傾ける機会がないと、
実は、西洋人自身も、自分の感覚を、
説明できる状態に、ありません。



彼らの中では、ごく、普通で、
刷り込まれた文化の『当然』でもあり、
完全に、無意識の意識なので。。。



西洋では、
『頭が良く、人との、心の交流が、できる』と、
多くの人に感じられる生き物を
『生き物』としたということです。



だから、人を乗せる馬とは、
多くの心の交流を感じるので、
『馬を食う』ということは、
西洋では、想像しがたいことなのです。



友を食うようなものですから。



だからこそ、



『めっちゃくちゃ、腹が減っていて、
何でも、食えるぞ!!』



と言うときに、



I can eat a horse !!



と、なるわけです。



日本も、古くから、馬を愛で、
贈り物にするなど、大切に扱ってきていますが、
それでも、多くの『生き物』のうちのひとつ。。。



それ以上の存在とは、定義していません。



他の『生き物』も、『命』、
馬も。。。『命』なのですね。



そして、餌になるものにすら、
その命に、強い感謝と憐憫の情を持つ。



これが、日本の文化です。



だから、ほかの『餌』同様、感謝して、
『さくら肉』も、口にする文化が
日本には、存在できるのです。




生態系に、手を出してはいけない

生態系に、手を出しては、いけない。。。



(‘-‘*)(,_,*)(‘-‘*)(,_,*)ウンウン



科学的には、自然の摂理だし、
正しい価値観だし、侵すべからざる理。。。



わかっちゃいるよ。。。



でも、ひとたび、
『人の親』『人の子』という意識が、生まれて、
『当事者』意識が生まれてきちゃうと。。。



割り切れないんだなぁ~。。。これが。。。



もし、あれが、わが子だったら。。。


と、うっかり、置き換えてしまうと、
もう、もう、
切なくて、切なくて。。。



現場に、
遭遇したことは、ないけれど。。。



猛獣に襲われる『動物の子』を、
救っては、いけなくて、
猛獣に襲われる『(他)人の子』は、どうなのよ。。。



って、さ。。。



果たして、自然とは、何だろう。。。



自然界(人間社会以外)でも、
育児をする生物は、
程度の差こそあれ、
『我が子は守る』だろうし、



集団で、『他固体の子』を守る生物種も、ある。。。



人だけが、神聖な生き物と考えるのは、
『驕り』と感じるし。。。



人は、他種をも救う感覚を持った生物だ。



とすることは、
なんら、合理性を欠かないし。。。



同時に、
他種の生体系をも、
恣意的に破壊する術を
手にしてしまった生物として、
『助けることができても』『助けない』
という智恵を手にした生物。。。



と考えることにも、
なんら、不合理を感じない。。。





結論の出ない、理屈っぽい戯れ言に
付き合ってくだって、
ありがとう。



久しぶりに、この問題に、
正面から、ぶつかっちゃった。。。



「自販機の横には分別の回収箱を」を読ませていただいて

あんさんの記事に、
心ない『ポイ捨て』の話が出てきましたね。



【mani】は、2003年10月14日
読●新聞に、こんな投書を、しました。



*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・



貴紙への投稿にかかるご担当者へ



2003年10月7日の貴紙の「気流」欄、
「自販機の横には分別の回収箱を」を読ませていただいて



私は、家の前に自販機を置き、管理をしている者です。
管理者としても、一消費者としても、思います。



『本当に記事のようにしてやっていける日が来るといいですね。』



でも、私のところでは、一切の回収箱を設置していません。
理由をあげます。



★多くの善良な方々が、分別してくださっていても、
 わずかな心ない者の残飯、たばこ、電池、
 ゴムぞうりなどの投げ入れによって、
 全てが不衛生なゴミと化してしまう。


★上記を分別するだけのインフラは、
 零細の小売店頭管理者のためには用意されていない。


★火をきちんと消していないたばこを投げ入れられて、ボヤが起きた。


★割れたガラスを入れられて、回収の際に大怪我をした。


★店頭管理者が、これらの危険を冒してまで、
 回収箱を設置、回収しているという事実・実態に
 社会的理解や認識は、与えられていない。


★全てがゴミになるくらいなら、
 善良なる方が購入なさったものだけでも
 リサイクルに回ったほうが良いと考える。


などです。



結果として、心ない者が、
自販機の前に空き缶等を置き去りにしていきますが、
気が付くたびに、こちらで回収して、
リサイクルに回しています。



心苦しいのですが、
どこか、遠くで
ポイ捨てされていることもあるのでしょう。



消費者として、近くにあり、
便利に利用できる自販機ですが、
ポイ捨てに対し、法的に厳罰をもって処しても、
目に余るようであれば、
自販機は、その社会において、
『存在できないもの』となるのでしょう。



まずは


★ポイ捨てに対し、法的に、
 厳罰をもって臨めるように法改正をする。


★危険で、循環型社会にも反するので、
 自販機脇には回収箱を置いてはいけない。


★そのかわり、一日に数回の店頭巡回、
 ごみ回収が、できない場所には、自販機設置を認めない。


★リイクルゴミを出した市民や企業の負担減、
 循環できないゴミを出した市民や企業の負担増。


などのルール(上記はたいへん大枠ですが)を
作っていかなければなりません。



それでも駄目な社会なら、
販売者としては辛いことですが、
自販機は、社会変化への対応に遅れ、
使命を終えたものと判断せざるを得ません。



皆が、便利に、
商品を手にすることができる世の中を維持するためには、
上記のルール以外にはないと信じています。



よい世の中になって欲しいものです。



そのために、
『現場を知る者として』の私が、できること。



『私にできること』として、これを提案します。



気流に載せられる文字数でないことは、
充分承知の上、信じるところを述べました。



貴紙の所見だけでも伺いたいものです。



*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・



(*^-^)ノ ハ~イ♪



もちろん、返事の『へ』の字も、きませんでした(笑)



悔しかったよ。



【mani】の価値観が、すべてではないことを、
十分に承知の上で。。。



たぶん、マイナーであることも承知の上で、



無視されるって、悔しくて、悲しい。。。



【mani】は、
堂々と、名を名乗って、自らをさらした、
真っ向からのものならば、
その意見を、人を、無視することだけは、
絶対にしない。。。



たとえ、小さな子供の意見であっても。



心に、再び、誓った日でした。