『生き物の序列』
『なぜ、『いるか』は特別なの!?』の記事に対し、
ステキなコメントを、ありがとうございます(*^-^*)
下記は、asagaonagon9873さんからのコメントです。
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中国や韓国では犬を食べるといいますし それも彼らの文化なんですよね。
私も賢い動物(いるか)は食べちゃダメ。
でも豚や牛は食べても平気な西洋文明はなんだか理解できかねます。
賢かろうが 多少劣っていようが
生き物であることには変わりがないんですから・・・
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はい。
おっしゃることを、よ~く理解します。
私にも、根底に、この感性が、流れています。
確かに、日本にも、
六道という価値観が、ありますが、
輪廻転生してしまいます。
畜生道は、人間界より下位に置かれますが、
人間も、あっという間に、
その世界へ落ちてしまうことが想定されています。
六道を、行き来してしまうのですね。
その意味で、日本では、『生き物』が、
極めて、平等に扱われています。
明確な考察をしておりませんので、
あえて、特定の文化を指すことは控えますが、
ある文化の中では、
神-聖霊-人間-人間の役に立つ『動物』-
人間の食い物-『動物』の餌-その他
最低でも、この程度には、
分類され、区別、序列化されています。
日本では、
神仏-精霊-生きとし生けるもの
の図式を感じます。
『聖霊』と『精霊』にも、
大きなニュアンスの差を感じます。
(この差の話は、今回は、しませんが、どちらもステキです)
名もない草木に宿るものも、神霊とし、
目に見えるすべてのものの上位とし、
人をも含め、生きとし生けるもの、
交わりながら、助け合いながら、
平等に、生きている。。。
少なくとも、概念的には。。。
日本は、そんな感じでしょうか。。。
ただし、これは、どちらが、正しいと言う、
そんな話では、到底、あり得ません。
どちらの文化も、正しいと言えるでしょう。
『その命』を大切にしようとする『対象』は、違うけれど、
命を大切にしていることは、同じです。
単純化を極めれば、
西洋では、近しい仲間をより大切に、
日本では、すべてを可能な限り等しく。。。
というだけです。
私は、日本の価値観に重心を置いておりますが、
『より身近なものを、より大切にする。。。』
これも、なんら、不思議ではないですからね (*^_^*)
私にだって、きっと。。。
西洋の、この感覚も。。。あるはずです。
日本の、ここで記載している価値観は、
日本人の無常観に根ざすものなのだろうな。。。
と、思っています。
いつ、どこで、何が、どう転ぶか、わからない。
いつ、どこで、誰に、どう世話になるか、わからない。
浮くも、沈むも、
機会の平等に恵まれた国ですから。。。日本は。
食は、民族集団の文化のようなもの。
私は、
命を粗末にするようなこと以外、
何を口にすることも認めることができます。
その観点からみると、
大量の廃棄を余儀なくさせる、
オーバースペックな鮮度・品質・利便性を要求をする、
『日本の消費者』に、『食い散らかされる命』こそ、
最も、残酷な『殺戮』を感じてしまいます。
『日本の消費者』の意味。。。
説明は、要りませんよね。。。