幸せな家庭の作り方〜Happy Family〜

幸せな家庭の作り方〜Happy Family〜

東京下町で暮らす5人の子沢山ママです。結婚27年目。
長男25歳(社会人・一人暮らし)長女15歳・次男14歳・三男9歳・四男6歳。
非常勤保育士として働きながら、オリジナル家計簿を販売中。

■竹内まゆみの講座・イベント情報■

現在は新規募集をお休みしております。

こんにちは!


いつもお読みいただき、ありがとうございます


先日、久しぶりに子どもたちとスカイツリータウン・ソラマチに行ってきました。




↓晴れているときはこんな感じですが…

(これは以前撮った画像)



↓この日は雨上がりで、どよーんとした曇り空




でも、雲の切れ間から、青空が出ているの!





チラッと見える青空、こっちの画像の方がわかりやすいかな?




この辺りにキレイな空が見えました






空を見上げると、グレーのどよーんとした雲ばかりなのに

ちょっとした切れ間から見える青空キラキラ



雲におおわれたとしても、それは一時的なもので

その下にはちゃんと、澄んだ青空がある。

空って、人の感情みたいだなー

って思いました。

曇ったり、雨が降ったり、雷が鳴ったり、暴風雨になったりガーン傘

そんな日があったとしても、嵐が過ぎ去ったり、雲が晴れたら、ちゃんと青空があるんですよね。


何度もスカイツリーを見ながら父の病院に通ったので、

スカイツリーを見ると父を思い出し、亡くなってからは悲しい思い出になっていました。


でも…それ以前に

父は定年退職してから、建設中のスカイツリーを撮り続けるのが趣味のひとつでした。

近くの川に、スカイツリーが川面にうつる絶景スポットがあって

早朝、まだ空気の澄んでいる時間に行って撮影するんです。

そこに行くと写真仲間もいたみたい。

(一緒に行きたいなーと思ったこともあったけれど、ウチにはずっと赤ちゃんがいて、とても行けなかったアセアセ


先日行ったときは、スカイツリーを見ても父が亡くなる前と同じような感じで。

子どもたちにも

「じぃじはスカイツリーが出来上がる前から、ここに通って写真を撮っていたんだよ。そのときの写真がたくさんあるよ」

と話しました。

そうして父のことを言葉にして話して、悲しみにのまれることはなかったです。

ちょっとジーンとするくらいかな。



何しろ、父は日曜日の早朝に亡くなったので。

日曜日が来るたびに

「父が亡くなってから◯回目の日曜日」

と、自然と数えてしまっていました。



でも、だんだん数えなくなり…



日曜日=父が亡くなった日

ではなくなっていきました。




悲しい出来事も、こうやって薄れていくんだなーって思いました。



これは、悲しみが癒されつつあるということなのか?

時薬ということなのか?




時が経てば薄れる悲しみがあると感じると同時に

ショックな出来事に感情がフリーズしたまま、心に鍵をかけている「トラウマ」があるのは、どんなにつらいだろうと思います。

(インサイドヘッドにも主人公のトラウマの話が出てきます)



感情について扱ったディズニー映画「インサイド・ヘッド2」がこの夏公開だそう!

最初の「インサイド・ヘッド」は長女と次男と一緒に観ました

それぞれのキャラクターが感情を表していて、娘も間接的に心理学に興味を持ったようでした。

だから「2も観る」と言って娘も楽しみにしていて

私も下の子たちと夏休みに鑑賞したいと思います飛び出すハート

インサイド・ヘッド (吹替版)  インサイド・ヘッド (ディズニーアニメ小説版)

こんにちは、お久しぶりです!


久しぶりにブログを書いたのに、書いた記事が全部消えました真顔ガーン


書き直していますが、最初の熱量で書けない…


でも、気を取り直して書きます!




先日無事、父の一周忌を終えました。

あっという間の一年でした。



昨年の父の日には

私が買ってきたケーキを「高級品だね」と言って、とペロリとたいげた父。

1年前にはまだ話もできた、食事も食べられた…



そんな父の姿がよぎり、この6月は、思い出と共に毎日が過ぎていきました。

これが最期とわかっていて、一緒に父の日を過ごしたことは、いつか温かい思い出になっていくのでしょうか?(今は思い出すと胸が苦しくなります)



それから、父が亡くなるまでの日々は、ガンの末期&親を看取るという初めて尽くしの経験で、私にとっては過酷な現実でした。

私は「現状を受け止める」どころか、正直言って「ただそこにいる」それが精一杯だったような気がします。

自宅看護をしていたときの訪問看護師さんや、緩和病棟にうつってからのスタッフの方々は、末期ガン患者をずっと看ていらっしゃるので慣れている様子でした。

そこから容態が日に日に悪くなり、痛みも増し。

痛み止めが増えるにつれ、会話もできなくなっていきました。

それでも毎日病院に通って、病室で過ごして父の手を握り続けました。

それくらいしか、できなかった…


後悔と無力感と無情さにうちひしがれつつも「まだ生きているのだから…」と、希望を持って生きてきたあの頃の日々。

今でもその時の情景をありありと思い出すことができます。



こんな私の悲しみに暮れる心情を書くと「重い」と感じる方もいらっしゃるでしょう。



「かける言葉が見つからない」と思って、そっと見守っている方々もいらしてくださると感じています。



私も、もし身近に私のような人がいたら、自分から積極的には声をかけづらくて、でも「いつか彼女の悲しみが癒されますように」と気持ちは送るという寄り添い方をするかも知れません。



実は以前、四男を産む前に流産したとき、ある方に「悲しみすぎて怖い」って言われたことがあるんですアセアセ

(その方は、普段は命の素晴らしさを説いている方で、その方の本音を知ってしまい、余計にショックでした泣

でもなんか私って、すぐに「自分が悪い」って思っちゃうんですよね。

それ以降は「私の悲しみを見せたら人に迷惑なんだ」と思ってしまい、悲しい出来事を悲しむことにすら罪悪感を感じるようになってしまいました。




だから、父の闘病中から、ブログに書くときは「こんなこと書いていいかな?」って、迷いながら書いたりしていました。

でも流産にしろ、父が亡くなったことにしろ、命を失う喪失感は大きいです。

(こういうとき、悲しみの深さが深すぎて、やっぱり私はHSPなんだな、と実感します。)


そんな中で、こんな私に声をかけてくださる方がいらしてくださり、ありがたいことだなーと思っています。

前のブログを更新してからの期間に、ブログやLINEやInstagramのDMにメッセージをくださった方がたくさんいらして、感激してひとつひとつを涙しながら読みました。

あたたかいメッセージ、本当に本当に心強かったです。

みなさま、ありがとうございました!

いただちたメッセージの一部をご紹介しながら感謝を伝えさせてください。

まずは、コメント下さった半田千代ちゃん


 



もう、ご自身も大変な思いをされているのに、私生で目をかけてくださって…

感謝感激すると共に、なんて器の大きな人なのだろうと尊敬の嵐でした。

特に「私が泣いたら、みんな困るじゃん」というところ…そうそう、そうなんです。

今私が泣いたら周りの人はどう反応するんだろう?とそこまで考えてしまい、人前では泣かなかったりします。むしろ笑顔を見せてしまうのも、わかる…

気丈に葬儀に参列しているからって、悲しくないわけがないのにね!!

誰もいないところでは、きっといっぱい泣されたことと思います。

もう、ご自身も大変な思いをされているのに、私生で目をかけてくださって…

感謝感激すると共に、なんて器の大きな人なのだろうと尊敬の嵐でした。

千代ちゃん、本当にありがとうございました!!



そしてもうお一方をご紹介させていただきます。


初期のありがとう家計簿を使っていただいて、ありがとうございます飛び出すハート


13年間、泣くことなく過ぎていたなんて…


お父様がどんなに、どんなに大切な存在だったのだろうと思います。


大切すぎて、亡くなったことを直視できないこともあるでしょうし…


何より、今でも彼女の中にはお父様が生き続けているからこそ「またね」の言葉を守り続けていらっしゃるのかも知れません。


お父様との大切なお話を教えていただいて、ありがとうございましたキラキラ




みなさんの体験もうかがって、大切な人が亡くなったことに対しての表現も、感情も、心の変化も、人それぞれだなーと実感しました。


泣いている人だけが、悲しんでいるわけじゃない。


亡くなったことに関して、悲しみの感情一色なわけでもない。


泣く」ということを表す2文字の漢字を調べたら、こんなにたくさんありました。


涕泣(ていきゅう)、嗚咽、欷歔(ききょ)、感泣、鬼哭、号泣、慟哭、哀哭、嗁呼(ていこ)啼血、涕泗、涕洟(ていい)飲泣、哭泣、垂泣、啼泣、悲泣、流涕、泣哭、痛哭、啼哭、慟泣


上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生がの唱えた悲嘆のプロセスは、12段階もあります。


1. 精神的打撃と麻痺状態
2. 否認
3. パニック
4. 怒りと不当感
5. 敵意と恨み
6. 罪意識
7. 空想形成・幻想
8. 孤独感と抑うつ
9. 精神的混乱とアパシ
10. あきらめ―受容
11. 新しい希望―ユーモアと笑いの再発見
12. 立ち直りの段階―新しいアイデンティティの誕生


これは、大切な人との死別をによるショックを受けてから立ち直るまでを12段階のプロセスにしたものですが、すべてを辿るものでもなく、順番通りでもなく、行ったり来たりすることもあると言われています。




この辺は、40歳で公務員をやめてから、カウンセラーの養成校や大学の心理学科で学びました。


これは、学んででおいてよかったと思うことです。


学ばなかったら、自分が経験したことしか知らなかったから。


人には色々な感情があって、人によって様々な反応があります。


感情って一色ではなく、まるで空のように、色々な色が混ざり合って、しかも刻々と変化していきます。


一般的にもそれぞれなのだけれど、私の感情は「そんなに感じる?気にしなければいいじゃない、理解できない」とたまに言われます。


私自身がそうして、人とはずれた答えを持っているからかな?


ひとつの答えを押し付ける風潮や同調圧力には、どうしても屈することができません。(だから世渡り下手です)


あちらも立てて、こちらも立てて…と自分らしくないことをすると自滅します真顔


生きるのも下手なんじゃないかと思います。


(HSPだから…の一言では済ませられないものを感じます)


それでも、これまで私が積み重ねてきた学びも経験も、無駄じゃなかったと実感します。


こうして、今の自分の人生に生かすことができてよかった。


父の余命宣告から、私の動揺や喪失感に寄り添い、見守ってくださるたちと出会うことができて、本当に幸せです。


その方たちに見守られているあたたかさを感じながら、この一年を生きてくることができました。


本当にありがとうございます

(もうその言葉しか出てこないです)



そしてまた、私の経験と学びが、誰かの心に寄り添うことに生きていってくれたらいいな、と思っています。


こんにちは!


先日のブログにご感想やメッセージをいただき、ありがとうございます。


「とても残念です」という声もいただき、大変申し訳ございません。


こんな私とお話ししたいと思ってくださって、ありがとうございます。


また


「他にやりたいことがあるからカウンセラーをやりません」


と言っていると受けとられたり、私のつたない表現力で、不快に思われた方もいらっしゃったかも知れません。




ただ、言い訳がましいことを承知で書かせていただくと


私の生活圏内で、私の役割、やるべきこと、一緒にいる人たちの手助けなど、諸々の活動をしていると


これ以上活動する場を広げていくゆとりもエネルギーも、残っていないのです。


自分のキャパシティの狭さを実感しています悲しい




かと言って、自分の生活や身近にいる人たちにできることを後回しにして


もっと広く、もっと遠くの人たちと関わろう、ということとも、何か違うと感じるのです。





加えて、私は父を亡くしてまだ1年経っておりません。


来月一周忌がありますが、もう一年経つなんて、とても信じられない気持ちです。




人が1人亡くなっても、生きている人には毎日の生活があり、あっという間に時が過ぎることを実感して


この一年ほど、人の生死について考えたことはありませんでした。


「人は何のために生まれてくるんだろう?」


「人は生まれたら必ず死に向かっているのに…本人にとっても、周りの人にとっても.なんでもっと楽に人生を終われないのだろう」


亡くなるときにこんなに苦しくて、こんなに大変で、残された方もこんなに悲しいのに、何で生まれてくるのかな?って…


哲学的でもあり、宗教的でもある、究極の難題を考えていました。





実家の母は、一見明るくカラッとしたタイプですが、私以上に読書家で、枕元にはいつも読みかけの本がありました。


そして、ここ最近読み終わった本を私にくれたのですが、そのラインナップには…



家族が亡くなったあとの話をテーマにしたものが多くありました。


ガンの末期でできる治療をした後は在宅看護になり、父の世話はやり切ったと言っていた母ですが


明るい母も母なりに…


昇華したい気持ちがあったのだなぁと、並んだ文庫本を見て感じます。





そして私もまた、人生で初めて起こる「親を亡くす」ことを前に、本に救いを求めていました。



『誰かに話を聞いてもらったほうがいいんじゃない?』という分厚い本も読了し


吉本ばななさんのお父さまの闘病生活や、その後のことを書かれている実体験は、本当に心の救いになりました。



そして、クラゲの水槽を見に、足繁く水族館に通いました



ゆらゆらと漂うクラゲを見ては


「生きる意味なんて、なくてもいいんだよー」


と言ってくれているような気がして、これもまた、大きな救いになりました。






でもね、実は私、父の葬儀の日は、ほぼ泣いていないんです。


(母が出棺の際に「お父さん、ありがとう」って言ったときは、ちょっと泣きました)


「泣いてないよね」って、夫が一番心配しています。


ブログでは、こんなに悲しい、悲しいって言っているけど、実際のお別れの儀式では、涙が出なかったんです。


それは、悲しみをこらえて、気丈に振る舞うということではなくて、たぶん、悲しみを感じる感性はガッチリ閉じてしまっていて。


子どもたちの世話や親族への挨拶をしながら、悲しむスイッチは切っていました。


不思議なことに、葬儀の後も、お香典返しの手配や、お墓を建てて納骨するまで、事務的なことにはすごく身体が動き頭も回りました。


その頃は、葬儀の前後は数日お休みしましたが、パート先のシフトも増やしたくらいでした。






色々学んでいるし、私の中で感情が滞っていることは、頭では、わかっているんです。


グリーフケアについても、キューブラーロスの喪失の5段階も、アルフォンス・デーケンの12段階も、知識としてはある。




「悲しいときは、悲しんでいいんだよ」


そんなことは、充分わかっている




でも、実際に自分に受け入れ難いことが起こったとき、感情が麻痺する。



それを実際に、経験しました。




Xにこんなポストがあったのですが…




こちらから引用させていただきました

 

これを読んだとき「あ、私のことだ」と思いました。


私にとって「父が亡くなった」ということは、受け入れ難い事実だったんです。


退院して、3ヶ月くらいはあるかな?と思っていたら、3週間で亡くなってしまうなんて思わなくて…


心の準備ができていませんでした。



いまだにまだ、現実を受け入れて、悲しむ段階が終わっていない。



父が亡くなった私を気遣ってくださって


「後からじわじわきますよ」と教えてくださった方がいて、まさに、その感覚を実感しています。




父の一周忌を前にして、私自身が、喪失感から立ち直っていない状態であることを再認識したところです。




もし私に、カウンセラーの適性があって、時間的・エネルギー的なゆとりがあったとしても…


今このタイミングで、カウンセリングの仕事をすべきではないということ。


客観的にわかっていただけるかと思います。




身体を壊していた数年前は、その痛みを我慢しても、カウンセラーの仕事はできました。



家の中ですら歩くこともできず、這って移動していて、椅子に座るのも痛かったけれど…


パソコンを前に、なるべく痛くないように位置をずらしながら座って、お話しを聞いていた頃があって


「そのときは、この身体でもできることがある!」ということを喜びに感じていたときも、あったんです。




身体が痛いときはカウンセリングの仕事ができたんですけど、今はやっぱり、まだ心が痛いのもあって、できなくなってしまいました。




心が回復していないとカウンセラーの仕事は難しいんだな、って思います。



とはいえ、カウンセラーの経験や学びは、今の生活にとても役立っています。


特に、子どもの話を聞くことの大切さや貴重さに気づけたのは、カウンセラーの学びからくるところが大きいです。



まぁ、子どもの話を聞くのも簡単ではなく。


特に思春期の子は、そっけなかったり、と思うと当然饒舌に話してきたり…


だから


「子どもが話したくなるタイミングに、大人が話を聞くゆとりがある」


という準備がこちらにできていることも必要だと感じています。


「カウンセラーをしてきたのに、自分の家族の話や、子どもの話は聞かない」


これでは、私は何のためにこれだけ学んでこれだけの経験をしてきたんだろう?って思ってしまうので。


本末転倒にならないように、子どもの話を聞くゆとりを持とうと思っています。 


(夫の話はめんどくさ!って思うこともありますが、それもゆとりがないからかなーと指差し





50歳を過ぎてから、人生の残り時間を考えるようになりました。


人の命がいつまであるかは誰にもわからないけれど…

50歳を過ぎると、100歳以上生きるのでない限りは、今まで生きてきた時間よりも、残された時間の方が少ないわけで



残りの人生で何をしようか?
何をしたら後悔しないか?
何をしたら悔いのない人生になるのか?



「わぁい、楽しい〜」という快楽的な「幸せ」もいいけれど、もっと大切なことがある気がする。

周りの人の役にも立てることで、かつ、自分の人生も「やり切った」と感じられることは何だろう?

そんなことを考え始めたのも、ライフステージが変わったということなのかもしれません。



カウンセラーの仕事を通して、出逢ってくださったたくさんの方に感謝してもしきれません。

未熟な私に、大切な人生の相談をしてくださって、ありがとうございます。



色々な活動をさせていただきましたが、これからは、自分の手の届く範囲に規模を小さくして…

私のできることをしていきたいと思います。



心が疲れたときでも、家計簿は数字を書くだけなのでいいなぁと、再確認できました。

難しい計算はしていませんが、日々の支出をありがとう家計簿に書くことだけは続けていきます。

なので、ありがとう家計簿の販売を続けていくことを、これから工夫していきたいと思っています。

 

 



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こんにちは!





私なりに、このブログの方向性についてずっと考えていました。


ずっと‥って、1年くらいです(長い?)



それで、たどり着いた答えが


「普通のおばさんの映えない日常のひとり言」

 

でいいんじゃない???


でした。





このブログには、私の心の中にぎゅーっと折りたたんであったことを取り出して、広げてから、言語化して書いたりしています。



一瞬内面にわきあがたったことを広げて書いたことだとしても


悲しかったことや辛かったことを思い起こして書けば、私がすごく悩んでいたり、傷ついている人のように見えるかも知れません。





でも、この10年以上前から、ameblo界隈で出会った方と実際にお会いしてきて、ブログの裏側を見てきましたが…


ブログのイメージと実際に会った印象って、違うことが多々あります。




ブログでは、すごく熱くて、優しくて、愛情深い言葉が響いたけれど、実際に会うとそっけないな、とか。(シャイな方なのかも知れません)


反対に、ブログの文章は短くて冷静な方のように感じたけれど、会って話すとすごく楽しい!文章を書くより話す方が得意な方なんだなーとか。


思ったより気さくな方だなーとか。


見せ方の上手なSNS活動が上手い人のお仕事ブログだったらなおさらです。


実際に会ってみると、その人自身とはまた違った雰囲気でもあるかと思います。




ブログに限らず、SNSに載せているのってその人の日常の中のほんの、ほんの一部なので、会ってみたらブログの印象と違うというのは、ある意味当たり前なのかもと思います。

 





そんな感じで、私も、いつも自分の内面をぐるぐる考えているわけではなくて…


むしろ、日常的には、忙しく身体を動かしています。


寝ている時(とティータイムしているとき)以外は、何かと動いているのではないかと?!




中高生のお弁当作りながら「母はどんな気持ちで私のお弁当を作ってくれていたのかな?」と思ったり。


父を思い出して泣きながら食器を洗ってたり


子どものお迎えにいきながら、ふと自分の子ども時代を思い出したり…



今を生きながらも、思いが過去に行ったり、未来に行ったり。


身体を動かしながら、内面も動いていていますし


その内面をなるべく忠実に言語化して、ブログに書いたりしています。(言葉に表しきれない、書ききれない思いもたくさんあります)





日常生活の中では、私はおしゃべりなただのおばさん泣き笑い




いつも買い物に行くスーパーに行って帰ってくるまでに、知ってる人とすごくたくさん会う!


この前も四男を連れて自転車で買い物に行って帰ってくるまでに会った人


・長男の保育園時代からの20年来のママ友


・20年前に年長組の担任した子のお母さん(お子さんは現在25才)


・12年前に2歳児の担任した子のお母さん(お子さんは現在高校1年生)


・三男のお友達数人(見かけると遠くからでも「◯◯君のママー!」と呼んでくれる・笑)


生活圏に以前担任したお子さんのママたちがたくさんいるんだけど、声をかけてくださったり、近況を聞けるのはとても嬉しいです。


知ってる人に会うたびに立ち話してるので、なかなか進まず笑い


四男が「ねえ、今の人はだれ?」と聞いてくるので


「お兄ちゃんの同級生のお母さんだよ」


「〇〇保育園の△△組の先生してたときのクラスの子のお母さんだよ」


などといちいち説明されられたり、話の途中で


「ねぇ、もうすぐ雨降りそうだよ?」


と長話にクギを刺されたりしてアセアセ




スーパーに買い物に行って知り合いに会っては世間話をしている、本当にただのいち主婦の、映えない日常生活を送っています。


でも本人的には、この暮らしが楽しいんです。




「悩むのはヒマだから」なんて聞いたことがありますが


一見心の問題に見えることは、身体の問題だったりすることもあって


その場合、身体を動かしたり、物理的に忙しくなると、悩み事を考えるヒマがなくなって、結果的にその悩みが小さくなっていったり


時と共に「そんなこと悩んでたっけ?」と思うくらいに忘れてしまったりもします。



逆に、身体の問題と思っていることが、心の問題であることも。


心の奥底にある、自分でもコントロールしきれない無意識に潜む思いが、身体の問題を引き起こしていたりすることも、よくある話です。



そうそう、先日、薬局で処方箋を待っている間に四男が持ってきた絵本「一休さん」を読んでいたら…



四男が「これ、知ってる!」と。


木魚を指差して、父の告別式でお坊さんが使ってたと言うんです。


四男はそのとき6歳の年長さんだったけど「そんな風に覚えているんだな」ーって


一瞬心が1年前にタイムスリップしたように、葬儀のことを思い出しました。



こうして言葉で説明すると長くなるけれど、実際のそのときは本当に一瞬で…


「そうだねー、じぃじのお葬式で見たね」


と言いながら、次の瞬間には絵本のページをめくって読んでいる。


それが現実です。




数秒間に私の内面にわき上がった想いを言語化するとちょっとドラマチックになるけれど、


現実は、その辺にいるちょっとおせっかいなおばさん、口うるさい母親なんですよ。




人って、その場によって色々な役割があって、複数の面が合わさってのその人なので。


一面だけを見てその人を決めつけたり、ネットの向こう側に広がる世界に夢を見すぎないで欲しいなーって


正直思います。




大切なのは、手の届く範囲の日常にあるものだと思うから




まぁ今更、私をキラキラしてると思って見ている人はいないと思うんですがアセアセ



あえて言いますが


私、普通のおばさんです。





まだどこにも書いていなかったけど


今楽しいことは「農園の手伝い」なんです。



↑収穫していただいたピチピチのお野菜たち



土を耕したり、作物を育てたら、雑草取りですら、畑仕事全般が楽しいです。



雨が降ったら「今日は水あげなくていいな」と雨に感謝したり


お日さまが当たらないと光合成もできないから、暑くでも晴れた日にも感謝できる



そんなことを感じられるようになったことも、本当にありがたいです。



↑小さなスイカに感動キラキラ


反面、ネット上の滞在時間は激減しています右下矢印


こんなにネットから遠ざかっていると、もうオンラインのカウンセラーには戻れないとも思います。



ただ、もしまた歩けなくなるくらいの体調の変化があれば、オンライン上での活動をすることがあるかも知れません(可能性としてゼロでは無い)


 

でも、身体が動く限り保育の仕事はしていきたいし


子どもたちだけではなく、若い先生たちにあれこれ世話を焼くのも楽しかったりします目がハート


長男より若い先生たち、もう娘のように可愛くてラブラブ



今は身体が動く限り自分の足で歩いて、自然に触れたり、実際に人と会って関わりたいという気持ちが強いです。


歩行困難になって、家の中も這って移動していたくらいに身体を壊したことがあるので


身体が動くということが、どんなにありがたいことが身に沁みてわかりました



私にとって普通のおばさんの日常を楽しむということは、手の届く範囲にある幸せを大切に生きるということとイコールです。



このブログは、そんな病気をしてから、普通の生活を取り戻し、高齢で産んだ子どもたちの世話をしながらバタバタと生活している、いち50代女性のひとりごとです(私の主観で書いています)



ただ、やっぱり日常に流されがちなので…


そんな私のなんでもない日をせめて記録しておこうと。(記録すると日々の積み重ねの大切さを実感できるから)


日々の支出の記録をつけるオリジナル家計簿だけは書くようにしています。



家計簿、残りあと10冊くらいなので、どうしようかなーって思ってます。


同じものを再印刷する予定はないです。



ただ、ありがたいことに


「この家計簿じゃないとダメなんです」

「なくなったら困ります」


と言って愛用してくださる方もいらっしゃるので。



家計簿の販売だけは、細々と続けていけたらいいなーと思っています。





こんにちは!


昨日は父の日でしたね


私は、去年の父の日を、最後の父の日を父と過ごしたことを思い出してしまい


ぐっと込み上げてくるものがあり…


6月はずっと、飲食店などにはためく「父の日」の旗を見るのもつらい期間でした。


ウチな父の日は子どもたちにお任せで、娘が「ドンキに行く」と言って、夫の好きそうな食べ物を買ってきてくれました。


その前に、娘から「パパ、いつもありがとう」のひと言とLINEスタンプがあったそうで、それだけで大喜びしていましたラブ





子どもたち4人共試合がありました


全員の試合には行けないけど(身体が2つ欲しい!)


午前中四男・午後三男の試合を観に行きました




昨日は朝からブログを書いた後もなんとなく考えていたのですが


暑い中あちこち行って、身体が忙しかったので…


それほど落ち込むことはなくフラットな気持ちで


自分の人生を思い起こせました







思えば、高校生の頃には、弟のことを「どうしよう?」って思っていました

親が元気なうちに、私がなんとかしなくちゃアセアセ

自立というか、普通に社会に適応して生活できるようにしなくちゃアセアセ

そんなプレッシャーを抱えていたように思います

親にナイショで、弟の担任の先生に、私から直接相談したこともありました

思えば、それほど親を頼れなかったわけだし

そこまで弟のことを抱えて、境界線を逸脱している

私がやりすぎなのですが…

(いわゆる共依存状態だったのかも知れません)



「でも、それくらい不安だったんだよね」



そんな風に声をかけてあげると、心の奥の方で

「そうなの、不安だった、怖かった…」

と、わかってくれて安心している私がいます。



もういい大人になった私が、あの頃の…

家庭の困りごとを抱えすぎていた10代の私を

「大変だったね、困っていたんだよね」

って、ただそのまま受け入れて、なぐさめてあげられたらいいなーと

そんなことを思いました。




2024年の父の日

芙蓉さんのおかげで、過去の私も癒せた日になりました。


最近ハマっているブラックサンダーの柿の種!



こんにちは!


今朝は4時半起きでした〜指差し

8時前には家族の送り出し終了!!



試合開始までにはちょっと時間があって

お友達の芙蓉さんのブログを読んでいました

(一番下にリブログしてあります)



「ウンウン」とうなずく感じではなくて

水の波紋のように

楽器の音がボワーンと広がるように

じわりじわりと、心に響いていきます



自分の意図するところではなく

たまたま生まれた家庭に

兄弟の暴力があった

小さい頃は親が抑えられたけれど

成長と共に親にも対処しきれなくなった




望んでいなかったけれどそういう環境で育つことになった
  
そんな家庭で育った姉妹のその後の人生への

無意識下での影響は計り知れない




私の弟も幻聴があり、統合失調症と診断されたことがありました



ただ、私の場合は弟で

私は結婚して実家を出たので

その後関わらずに生きることができたけれど…

実家を出るまでは、すごく悩みました




実際に、親が面倒を見られなくなった後に

(姉妹だと特に)面倒を見ることを期待されるということは

よく聞く話ではないでしょうか?




これは先日あげた記事の女性の人生は複雑というYouTubeの中に出てきた

「家族の病理を女性が引き受けがち」という話につながるものだと思います


子どものから、はっきりと言語化しないまでも

「この兄弟(姉妹)と生きていくには、どうしたらいいんだろう?」

という無意識の不安を子どもながらに抱えているし


ずっと育ってきた家庭であるからこそ

家族だからこそ、想いと年月が複雑に絡み合っていていて

単純な問題ではないから…

周りから

「ひとりで抱えないで」「もっと頼って」

と言うだけでは、到底解決しきれない




外から見て「こうしたらいいんじゃない」

と思うようには、単純な話ではない




家族の病気をここまで客観的にとらえるだけでも、長い年月がかかっていることと思います

一緒に育ち暮らしてきた姉妹だからこその想いがあるからこそ

現実を直視するのも怖いし

姉や弟の病気を知ろうとしたり、状態を客観視することって難しい



ご家族と共にお姉さんと暮らして、

腰を痛めたり、体調を崩しながらも

ここまで現実に向き合おうとしている芙蓉さんには、尊敬の念しかありません



一緒に暮らす家族の心身への影響もあるし

特に芙蓉さんに大きな負担がかかっているのは感じますが

もうここまで50年以上の何月がかかっているわけだし

芙蓉さんなりのペースで、今後も向き合っていかれることと思います


こんにちは!


月曜日にiPhoneの修理屋さんに行ってから、あっという間に週末になってしまいました。


文章にする気力がなくて、Instagramのストーリーズにあげたのと同じものをブログにも載せてあります。


もうボロボロになって壊れてしまったiPhone


それでも、四男が赤ちゃんの頃のデータが入っているのに…と思うと捨てられず。



色々検索してみたら「車で轢いたiPhoneも修理できる」という記事が出てきたんです。



「え?車?じゃた、私の自転車で轢いたiPhoneも直るかも?」




そんな、淡い期待を抱きました。





あんなに粉々なのに、それでも修理を試みてくださった修理屋さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。


画面がはがれたiPhoneを見て「これは無理ですね」って言われるのを覚悟していたのですが…


「お預かりします」と言ってくださって、もう、お店を出てから涙が出ました。



何がうれしいって「こんなの無理ですね」と拒否されなかったことがうれしかったんです。


たぶん無理なんだろうけど…それでも、何か方法がないか?試みてくれる人がいる。





私にとっては、お金には変えられない、かえがえのない思い出でした。



例えるなら、100万円出したとしても、お金には変えられない大切なもの。




そんなに大切なら、なぜバックアップを取っておかなかったのか?!



そのときは、Google Photoに自動的にバックアップを取るように設定してあるとばかり思っていたんです。



でも、iPhoneで撮った画像がGoogle Photoにバックアップできているかどうか?こまめに確認はしていなくて。


iPhoneが壊してしまってから、あわてて開いてみたら


「あれ、バックアップ取れてないガーンガーンガーンガーン


もう、ウソでしょ?と思って、ショックどころか


3日くらい泣きました…


後悔しすぎて、叶うことならiPhoneが壊れる前に時を戻したかった




それから、後悔してもしきれない


思い出すと痛むようなその「後悔」という傷を抱えたまま6年経ち


これでダメならもう本当にあきらめよう、と、もう一度修理屋さんに持っていったのでした。


6年前、壊れたときは、色々検索したし、iPhone本体はダメでもiTunesにアクセスできないかどうか色々試して出来なくて…


でもそのときは「壊れたiPhoneを預けるだけで3万円」と言われたりして、なんとなく、だまされるんじゃないか?と疑心暗鬼になってしまったり


「いくらかかってもいいから、手を尽くして修理しよう」という気にはならなかったんです。



でも、忘れられるどころが、だんだん後悔の方が大きくなり


「時が経てば自然に解決」とはなりませんでした。



今、末っ子が小学生になり、だんだん、私も生活が変わってきて、あの頃の「思い出」も整理しようと思えるようになり


「6年経った今なら何か進歩しているかも知れない。これでダメならあきらめよう」


と、行動に移すことができました。




まぁ、今回データを取り出せなかったことよりも…


あんなに粉々になって、本体がはがれたiPhoneでも、パスコードを解除さえできれは、基盤からデータを取り出せたかもしれないということにビックリでした!!




そして、ショックな気持ちがある中でも「無理」と言われるのではなく「とりあえず見てみましょう」と言ってくださった修理屋さんがあったことが、心の救いでした。



今は、やっと、なくなってしまったものに目を向けるようも、残っている膨大な量の画像を整理しよう、という気持ちに切り替えられるようになりました。


子ども別にフォルダーを分けて保存して、娘の小さかった頃の画像をLINEのアルバムに入れて共有したりして、懐かしんで見ています。



それでもいまだに、もし私が「本当に欲しいものは?」って聞かれたら


「取り出せなくなったiPhoneのデータ」と答えるでしょう。



それは決して、お金では買えないもの。




「お金があれば大抵のことは何でもできる」と言うけれど…


むしろ、お金でできること、叶うことは限られているなーって、冷静な気持ちになります。



お金を使って叶うことなら、叶えてみたらいいよね、って。



むしろ、本当に大切なことは、お金を払ったからと言って手には入らないことの方が多い。



今回私が学んだことは「もう、こんなに後悔することを繰り返したくない。」



お金を払っても手に入らないもの、叶わないことを、ちゃんと大切にしていきたい。



そんな気持ちを新たにしました。



お金で買える幸せ、お金では叶わない幸せ。



自分の中で、それをちゃんと整理しておきたい気持ちも強くて、溜め込みながらも家計簿を書き続けています。





こんにちは!


今日は午前中は小学校の参観日。


午後は娘の部活の保護者会と

次男の練習試合と

三男の公式戦があり


全部時間がかぶっています真顔ガーン


とりあえず娘の保護者会に行って…

まだ試合をやっていたらどちらか観に行って

四男の練習が終わる前に帰ります。


もう、予定が立て込みすぎて、頭の中がパンクしそうアセアセ




昨日の続きです。


私の人生って、ほぼ他人のニーズでできているんだなー


そんなことを思いながら、


「他人のニーズに応えたい気持ちをやめて、自分の身体のニーズに応える」


ことが、本当の意味での「休むこと」なのだそうかので…


私も、できる範囲でやめられることはやめました。


お弁当作りも夫がやってくれるときは休んだり。


睡眠時間をたっぷり取って、朝の送り出しも夫に頼んで出勤ギリギリまで寝てたり💦



でもね、子どもの世話を、やりたく無いわけじゃない。


疲れすぎて自分のエネルギーも枯渇しているのもわかっているけど、自分の役割を「完全休業」なんてできない。


男性には、そんな事情はわからないだろうなーと思ったり。



それもこれも、私は女性だから。


生まれながらにして、すでにいろんなことを抱える運命なんだなーって。


この動画を観て、そんなことを思いました。



男性だからこそ、こんなに冷静に女性の人生の特徴を説明できるんだろうな。


(動画の中でもchatGDPも使っているとのお話がありましたが)


女性だと「私の場合は…」という主観が入っちゃう気がします。


理論的に説明しているけど、共感はしていない(できない)


むしろ「男性は機械みたいに感じる」とのことで、その通り客観的に「女性の人生の傾向」を説明してくれている。


でも、こんなに理路整然と説明してくれると、諦めがつくというか「そういうものなんだ」って、現実を受け入れられる感じがします。


なんかね「女性の生き方」について男性が説明しているという点が、私にとってとても新鮮気づき


印象に残ったので紹介しました。




「女性は共感されたい生き物」とよく言うけれど


相手を理解しようとするのに、本当の意味では共感って、なかなかできないし


しようとしなくてもいいんだなーって思う


(全く同じ境遇で相手の立場に立つことはできないのだし)


ただ、この動画は、共感はしなくても、女性が生まれながらに抱えている「ハードモードな人生」を理解してくれているなーと思う


共感しなくても理解はできるんだなー


世の男性たちも、これくらい女性について理解があったらね…悲しい

こんにちは!


『1日3分やめるノート』の本の読了記事を書いたものの、まだ書き始めではいなくて💦


その前に、ずっと読みかけたまま読了していない本があるんですよ。


それがこちらの2冊です。



『心療内科医が教える本当の休み方』は、ベストセラーになっているみたい。


紀伊國屋書店内の数カ所に積み上げられていました。


店頭では同じ著者の本が並んでいて『がんばることをやめられない』のタイトルにビビっと来て、両方書いました。


そしてまずは、こちらの本から。


この本を読み始めたとき、すごい衝撃を受けたんですよね。


本当に休むということは?



私がこの本を読み始めたとき、私は本当に疲れていて…


朝起きた瞬間に「あーよく寝た!」って思うんじゃなくて


「早く寝たい!」


「次に寝られるタイミングはいつ来る?!」


って思うんですよ💦




起きた瞬間から「寝たい」って…真顔

オワッテル



今思うと、ぐっすり眠れていなかったんですよね。




もう、身体に疲れが溜まっているというレベルではなく


「人生に疲れた(生きるのに疲れた)」って言う感じの疲れ方でした。




「私には休みが必要だ、ちゃんと休まなきゃ」


「でも、どうやって休んだらいいの?」




そう思ったときにこの本を手に取ったのですが


このページまで読んで、ここから読み進められなくなりました。



「他人のニーズに応えたいという気持ちから離れる」



他人からの期待に応えず、人の役に立たなければという思いから離れる。



これ、私にとってすごーくすごーく難しいことでアセアセ


他人のニーズに応えなかったら、私の存在価値がなくなるとすら思いました。


でも、他人に合わせすぎることを『過剰適応』と言うそうで


「あ、これ、私のことだなー」っていうことは自覚しました。




"私たちが、いつまでも社会と関わりながら、前向きに健康に生きていくためには、ときには他者のニーズに応えすぎるのをやめ、自分のニーズを満たすことに時間やエネルギーを使う必要があります。"


"それができて初めて、私たちは本当の意味で心身を休め、疲れや心の傷を癒すことができるからです"





この本に書かれている「本当の休み方」って、


他人のニーズに応えるのを休んで、自分のニーズを満たすこと


なんだ。





それは言葉上は理解できたとしても


「でも、私の場合、実際どうやって???」


5人子どもがいて、家族が多い分多めの家事があって、保育士もしていて、それぞれの子どもたちとのママ友付き合いや部活のサポートや、その他諸々のあるのが私の日常なのに


どうやって休めばいいの???


そこでストップしたまま、部屋の隅に積まれたままの本になっていて。


この記事を書くために、久しぶりに引っ張り出してきた次第です。


 


(続く)