幸せな家庭の作り方〜Happy Family〜

幸せな家庭の作り方〜Happy Family〜

東京下町で暮らす5人の子沢山ママです。結婚27年目。
長男25歳(社会人・一人暮らし)長女15歳・次男14歳・三男9歳・四男6歳。
非常勤保育士として働きながら、オリジナル家計簿を販売中。

■竹内まゆみの講座・イベント情報■

現在は新規募集をお休みしております。

こんにちは!


今日は電車に乗ってま〜す


今マンガパークというアプリで、このマンガを読んでます。



https://manga-park.com/title/11597/220715


月9でドラマ化されるそうで、10月8日まで限定で、最終話まで公開されてるの!


毎日ポイントが貯まるので、数話ずつ読み進めでます。


主人公の女の子は「人がウソを言うとわかる」という能力があり、子どもの頃から苦労してきました。


その彼女の能力を探偵として活かしていくお話なのですが…


探偵さんの言葉がなかなか良くて、心に響くセリフが多くておススメですキラキラ


私がメモったセリフ


下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印


ウソに限ったことじゃないよ

誰と出会って何をするか

その行動がどんな結果になるのか

更にそれがこれから先

いつどこで何を変えてしまうのか

全部わかるわけないんだからさ

その時自分が正しい時思ったことをするだけ





あとはこれも持参↓



ちなみに 1ヶ月前、北陸新幹線に乗った時はコレを読みました↓



どんなに仲の良い夫婦でも、いつおひとりさまになるかはわからない。


このシリーズは色々な作家さんのアンソロジー短編集ですが、読みやすくて好きです。


何より、おひとりさまになった後に希望を持てるお話がいっぱいで、読み終わった後に「女は強い!」と思います。






昨日の夜


スカイツリー方向に三日月が出ていてお月様


いい景色だなーと思って眺めました


ただiPhoneで撮影すると、お月さまが光って半月みたいな形になっちゃう


リーンリーンと虫の声も聞こえたルンルン


昼間はまだ日差しが強くて暑いけれど、この空を見ていると秋を感じられる風景でした飛び出すハート



こんにちは!お久しぶりです。


みなさまお元気でお過ごしでしたでしょうか?

私はノロノロ台風の天気予報に振り回されつつ、子どもたちの夏休みが終わりホッとした今週でした…


そして気づいたら、もう月見バーガーの季節!



娘と半分こして食べましたよ(下の子たちにはナイショ)


娘は月見パイが美味しくてもう一度食べたい!と言ってました〜





さてさて、前回のブログで詳しくご紹介したかった内容なのだけど、やっと書きます…

前回、銀河鉄道の夜の文章を引用しました。


「どんなつらいことでも、正しい道を進む中でのできごとなら、ひとあひずつ幸福に近づくのですよ」

↑これは、子どもの読み聞かせように短くまとめられた文章だったため、紹介したいと思っていたんです。

もう一冊、家にあったこちらの本を開いてみたら、もう少し長い文章でした。


↓ここから引用↓


「なにがしあわせかわからないのです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進むなかでのできごとなら峠ののぼりくだりもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」


燈台守がなぐさめていました。


「ああ、そうです。ただいちばんのさいわいにいたるためにいろいろのかなしみもみんな思し召しです。」


↑引用終わり↑




この文章の前には、銀河を旅する主人公のジョバンニとカムパネルラが濡れた髪の男の子と青年、女の子と遭遇します。


そして、その3人は氷山の一角に当たって転覆した船に乗っていて、救命ボートに人を譲った後、気づいたらここにいた、と話します。


その事件というのは明治45年に起きたタイタニック号にヒントを得たものではないかと言われています(賢治は当時15歳)


その件についてここ長くは言及しませんが、宮沢賢治の作品が今もなお読まれる一因になっていると思います。


あの新海誠さんの作品『雲のむこう、約束の場所』にも賢治の詩「永詠の朝」が出てきていて、新海監督は大学時代に宮沢賢治を研究したことがあるらしいです。


そのせいか、他作品でも距離感や宇宙・生者と死者との関係など、宮沢賢治の影響を感じる部分があったりします。




そして私と宮沢賢治の作品の思い出というと…

子どもの頃、実家の本棚に、宮沢賢治の童話集が並んでいました。

昨年亡くなった父が、私のために揃えてくれたものだったと記憶しています。

私は子どもの頃から乱読派だったので、家にある本や図書館の本、友達や従姉妹から借りた本などなんでも読んでいました。

そんな私でも、宮沢賢治の本は難解で、あまり興味が持てず。なんとなくわかって読めた気がしたのは『注文の多い料理店』と『どんぐりと山猫』くらいだったかと思います。

下矢印これこれ下矢印このシリーズです。



この本の表紙の色、よく覚えてます。

(子どもの頃はこの地味な表紙の色あいにも好感を持たなかったんだけどねアセアセ

「あんなにたくさん揃えてくれたのに、実は全然読んでなくてごめんなさい」

という罪悪感のような気持ちが、子どもの頃からどこかにあったんでしょうね。

「時間ができたら宮沢賢治の作品を読んでいきたい」

という願望が、いつも心のどこかにありました。

でも、本棚に宮沢賢治童話集の背表紙が並んでいた光景は脳裏に焼きついていて…

人は本の背表紙に影響を受ける

という私の人生の教訓にもなっています。

(なので家の中で本棚を大事にしています)

幸いなことに、寝つきが悪い三男が、小学5年生になっても「ママ眠くなるまでお話読んで」と言ってくれるんです。

それで、この2冊の本のその日の日付の話を読んで

 

それでも眠れないときは、他の本を一緒に読んでいます。

宮沢賢治の他に、古事記やギリシャ神話、ジャータカ物語など神話系が多いです。(神話は教養として知っていると人生が深まる気がするという、完全に私の好みです)

三男はアニメ好きなので、けっこう複雑な世界観も理解して、私に説明してくれたりもします。



こんな毎日を過ごしていると、父が残してくれた私のこの読書好きという趣味が、子どもたちへと継がれていき…

亡くなってもなおその人が生きていた影響が周りの人に生きていると実感することが、大きな癒しになるなぁと感じています。

日常を淡々と生きていくことで、知らず知らずのうちに、父を亡くした悲しみが癒されていっていることを感じます。



しかし、昔実家にあったものを見つけると涙が出そうになるのはなんでしょう?

(やっぱり加齢と共に涙もろくなるらしいです)

最近見つけて歓喜したのは、かき氷機の「きょろちゃん」です!!





なつかしすぎる飛び出すハート

きょろちゃんを見て「なつかし〜!!」って感じる同世代の方はいらっしゃるかな?!

なんかねーちょっとずつ元気になっています、という、そんな空気を感じていただけたらいいなーと思い更新しました。

では、また書きます。

ぜひまた当ブログを開いていただけたらうれしいですキラキラ

こんにちは気づき


今日はなんと8月12日!


もう本当に飛ぶように時が過ぎていきます。


早すぎて、もったいなくて…


なんとかこの流れをゆっくりにしたくてたまりませんアセアセ


(ドラえもんなら何か道具を出してくれそう)


マインドフルネス(今ここを味わう)など既知の情報以外に、何かいい方法をご存知の方がいたら教えて欲しいです♡




さてさて、もう7月の末のことですが、お友達の芙蓉さんのお誕生日会に参加させていただきました。


自身のお誕生日だというのに…


なんと立派なおもてなし料理&パン&ケーキを作ってくださっていましたキラキラ


↑桃の冷製スープ、美味しかったラブ


キャロットラペもローストポークも絶品キラキラ


自家製パンにもブルーベリーやマスカットや桃などのフルーツが乗っていて…

(↓画像真ん中)


マスカットのゼリーも、桃のタルトも、芙蓉さんの手作りラブラブ気づき


紅茶はルピシアのマスカット


フレーバードティーがよく合うペアリングでした



芙蓉さんのブログでは、カウンセラー仲間とご紹介くださっていますが、私は元カウンセラー指差し


一緒にいたさくらこちゃんも、今はカウンセリングはほとんどしていないとのことでした。


でももう10年以上のつながりとなり、カウンセラーをやめてもこうして時々会えるのが楽しみキラキラ


ここまでの歴史も知っていて、お互いの幸せを喜び合い、理不尽なことがあれば一緒に憤りを感じたりできる、貴重なお友達です。




私が娘の幼少期から読み聞かせているこの本

(平成23年初版で発売された頃に買いました)


奇しくも、芙蓉さんのお誕生日のお話は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でした。



長いので3日間にわたり①〜③に分かれています



その中に、こんな言葉がありました


「どんなにつらいことでも、正しい道を進む中でのできごとなら、ひとあしずつ幸福に近づくのですよ」




本当の幸せとは何か?どんな風に生きたらみんなが幸せになるのか?宮沢賢治の考えていた願いは普遍的で現代にも通じるものがあります。


また、作中に出てくる青年の話は、三浦綾子さんの小説を思い出すお話でもありました。


(銀河鉄道の夜は賢治の作品の中では長編で、この本は子ども向けに書かれてあります。原文の方は次のブログでご紹介しますね)




芙蓉さんのブログを読んでいると、家族のお祝いなどの喜びもあり、ご自身もお料理やパン作りを楽しまれていて幸せそう&楽しそうな反面


色々とご苦労もされて、腰を痛めたり体調を崩すことも多々あり


「そんな大変な思いをしなくてもいいんじゃない?」


「そんな苦労を芙蓉さんがかって出なくてもいいんじゃないの?」


と感じる方もいらっしゃるかも知れません。


でも私は、何でもまずは自分でやってみようとするところが「芙蓉さんらしいな」って思うんです。


私と感性は全然違うけれど、何をしても「芙蓉さんらしいな」って気づき


そういう理解をして、彼女の行動をすっと受け入れられます。


だからどんなに大変な思いをしていたとしても


「もっとあーしたほうがいい」

「こうした方がいいよ」


という言葉は出てこないんです。


だって、そのひと足ひと足が、芙蓉さんの人生の確かな幸せに近づいているから。


私が思うに、芙蓉さんは…


たとえそこに答えがあっても、自分で解きたい、答えを出すまでの道のりも味わいたい人。


むしろ、すでにある答えにこだわらずに、自分なりの新しい答えを見つけちゃうかも?!


そんな過程を楽しめる人。


お誕生会では、「永遠の少女ラブラブ」ってお伝えしましたけどねてへぺろ


いつまでも、芙蓉さんらしく、そこにいらしてくださいねキラキラ




発達障害の子に関するベストセラーの著者・SHIZUちゃんの持ってきてくれたハープの音色にも癒されました飛び出すハート


 

(しずちゃんの著書です)

芙蓉さんのブログでは、りえさんのフルーツカッティングでデコレーションしたばかりの桃のケーキが見られます♡




こんにちは、お久しぶりです

こちらは猛暑が続いていますが、みなさまいかがお過ごしですか?

今日は雲が出て、あの強い日差しが直接照り付けないだけでも比較的過ごしやすいお天気です。



学校の夏休みが始まり、相変わらずバタバタした生活です。

そんな中でも、子どもたちに読み聞かせている絵本や児童文学に癒されています。

今高校2年生の娘が小さい時に発売されて読み聞かせてきた『おはなし366』は、毎日使ってボロボロになりました。

それから買い替えて、三男・四男に読み聞かせているのは2代目です。



この本も大好きなので、いずれ詳しく紹介したいのですが…

今日は他にわが家で読み聞かせている『いのちを感じる心が育つおはなし』に載っていたお話を紹介したいです。



上皇后美智子さまがIBBY(国際児童図書評議会)の世界大会でのビデオ講演で

「何度となく、思いがけない時に私の記憶によみがえってきた」

作品として触れられたとのことです。

『ごんぎつね』や『てぶくろをかいに』で有名な新美南吉さんのお話です。

そのまま引用させていただきます。




『でんでんむしのかなしみ』  

             新美南吉

一ぴきの でんでんむしが ありました。

 ある ひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。

「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」

 この かなしみは、どう したら よいでしょう。

 でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。

「わたしは もう、いきて いられません。」

と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。

「なんですか。」

と、おともだちの でんでんむしは ききました。

「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには、かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」

と、はじめの でんでんむしが、はなしました。

 すると、おともだちの でんでんむしは いいました。

「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」

 それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。

 すると、その おともだちも いいました。

「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。」
 
そこで、はじめの でんでんむしは、また べつの、おともだちの ところへ いきました。

 こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも、おなじ ことを いうので ありました。

 とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。

「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」

 そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。




サラッと短く読めるお話なので、私も子どもへの読み聞かせで最初に読んだときには「深いい話だなー」みたいな、浅い感想しか持たなかったように思います。


でも、今読んでいると「ウンウン、ホントにそう、そうなのよね…」と、じんわりじんわり、心に響いてきます。


できれば悲しいことにはあいたくないけれど、人生で全く悲しまないというのも無理なことでしょう。


そんなときに「みんな自分の背中の殻の中に、悲しみを背負っている。」


そう思うと、自分の身に起こる悲しみも、受け止められる気がします。


そして受け止めるからこそ、その悲しみをそっと背中に背負って、また自分の人生を歩んでいける気がするのです。


美智子さまが紹介されてから注目されて、このお話だけの絵本が何種類か出版されています。


 でんでんむしのかなしみ


そして、このお話は、お釈迦さまと子どもを亡くした女性・キサーゴータミーのエピソードにも似ている気がします。


「子どもを生き返らせてください」と頼んだキサーゴータミー。


お釈迦さまは「人が死んだことのない家からケシの実をもらってきなさい」と言ったそうです。


(死んだことのない家はない、ということですね)


私は手塚治虫のコミック『ブッダ』で読みました。


(何巻に出てくるエピソードだったか不明…?)


ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)


こんにちは!


いつもお読みいただき、ありがとうございます


先日、久しぶりに子どもたちとスカイツリータウン・ソラマチに行ってきました。




↓晴れているときはこんな感じですが…

(これは以前撮った画像)



↓この日は雨上がりで、どよーんとした曇り空




でも、雲の切れ間から、青空が出ているの!





チラッと見える青空、こっちの画像の方がわかりやすいかな?




この辺りにキレイな空が見えました






空を見上げると、グレーのどよーんとした雲ばかりなのに

ちょっとした切れ間から見える青空キラキラ



雲におおわれたとしても、それは一時的なもので

その下にはちゃんと、澄んだ青空がある。

空って、人の感情みたいだなー

って思いました。

曇ったり、雨が降ったり、雷が鳴ったり、暴風雨になったりガーン傘

そんな日があったとしても、嵐が過ぎ去ったり、雲が晴れたら、ちゃんと青空があるんですよね。


何度もスカイツリーを見ながら父の病院に通ったので、

スカイツリーを見ると父を思い出し、亡くなってからは悲しい思い出になっていました。


でも…それ以前に

父は定年退職してから、建設中のスカイツリーを撮り続けるのが趣味のひとつでした。

近くの川に、スカイツリーが川面にうつる絶景スポットがあって

早朝、まだ空気の澄んでいる時間に行って撮影するんです。

そこに行くと写真仲間もいたみたい。

(一緒に行きたいなーと思ったこともあったけれど、ウチにはずっと赤ちゃんがいて、とても行けなかったアセアセ


先日行ったときは、スカイツリーを見ても父が亡くなる前と同じような感じで。

子どもたちにも

「じぃじはスカイツリーが出来上がる前から、ここに通って写真を撮っていたんだよ。そのときの写真がたくさんあるよ」

と話しました。

そうして父のことを言葉にして話して、悲しみにのまれることはなかったです。

ちょっとジーンとするくらいかな。



何しろ、父は日曜日の早朝に亡くなったので。

日曜日が来るたびに

「父が亡くなってから◯回目の日曜日」

と、自然と数えてしまっていました。



でも、だんだん数えなくなり…



日曜日=父が亡くなった日

ではなくなっていきました。




悲しい出来事も、こうやって薄れていくんだなーって思いました。



これは、悲しみが癒されつつあるということなのか?

時薬ということなのか?




時が経てば薄れる悲しみがあると感じると同時に

ショックな出来事に感情がフリーズしたまま、心に鍵をかけている「トラウマ」があるのは、どんなにつらいだろうと思います。

(インサイドヘッドにも主人公のトラウマの話が出てきます)



感情について扱ったディズニー映画「インサイド・ヘッド2」がこの夏公開だそう!

最初の「インサイド・ヘッド」は長女と次男と一緒に観ました

それぞれのキャラクターが感情を表していて、娘も間接的に心理学に興味を持ったようでした。

だから「2も観る」と言って娘も楽しみにしていて

私も下の子たちと夏休みに鑑賞したいと思います飛び出すハート

インサイド・ヘッド (吹替版)  インサイド・ヘッド (ディズニーアニメ小説版)

こんにちは、お久しぶりです!


久しぶりにブログを書いたのに、書いた記事が全部消えました真顔ガーン


書き直していますが、最初の熱量で書けない…


でも、気を取り直して書きます!




先日無事、父の一周忌を終えました。

あっという間の一年でした。



昨年の父の日には

私が買ってきたケーキを「高級品だね」と言って、とペロリとたいげた父。

1年前にはまだ話もできた、食事も食べられた…



そんな父の姿がよぎり、この6月は、思い出と共に毎日が過ぎていきました。

これが最期とわかっていて、一緒に父の日を過ごしたことは、いつか温かい思い出になっていくのでしょうか?(今は思い出すと胸が苦しくなります)



それから、父が亡くなるまでの日々は、ガンの末期&親を看取るという初めて尽くしの経験で、私にとっては過酷な現実でした。

私は「現状を受け止める」どころか、正直言って「ただそこにいる」それが精一杯だったような気がします。

自宅看護をしていたときの訪問看護師さんや、緩和病棟にうつってからのスタッフの方々は、末期ガン患者をずっと看ていらっしゃるので慣れている様子でした。

そこから容態が日に日に悪くなり、痛みも増し。

痛み止めが増えるにつれ、会話もできなくなっていきました。

それでも毎日病院に通って、病室で過ごして父の手を握り続けました。

それくらいしか、できなかった…


後悔と無力感と無情さにうちひしがれつつも「まだ生きているのだから…」と、希望を持って生きてきたあの頃の日々。

今でもその時の情景をありありと思い出すことができます。



こんな私の悲しみに暮れる心情を書くと「重い」と感じる方もいらっしゃるでしょう。



「かける言葉が見つからない」と思って、そっと見守っている方々もいらしてくださると感じています。



私も、もし身近に私のような人がいたら、自分から積極的には声をかけづらくて、でも「いつか彼女の悲しみが癒されますように」と気持ちは送るという寄り添い方をするかも知れません。



実は以前、四男を産む前に流産したとき、ある方に「悲しみすぎて怖い」って言われたことがあるんですアセアセ

(その方は、普段は命の素晴らしさを説いている方で、その方の本音を知ってしまい、余計にショックでした泣

でもなんか私って、すぐに「自分が悪い」って思っちゃうんですよね。

それ以降は「私の悲しみを見せたら人に迷惑なんだ」と思ってしまい、悲しい出来事を悲しむことにすら罪悪感を感じるようになってしまいました。




だから、父の闘病中から、ブログに書くときは「こんなこと書いていいかな?」って、迷いながら書いたりしていました。

でも流産にしろ、父が亡くなったことにしろ、命を失う喪失感は大きいです。

(こういうとき、悲しみの深さが深すぎて、やっぱり私はHSPなんだな、と実感します。)


そんな中で、こんな私に声をかけてくださる方がいらしてくださり、ありがたいことだなーと思っています。

前のブログを更新してからの期間に、ブログやLINEやInstagramのDMにメッセージをくださった方がたくさんいらして、感激してひとつひとつを涙しながら読みました。

あたたかいメッセージ、本当に本当に心強かったです。

みなさま、ありがとうございました!

いただちたメッセージの一部をご紹介しながら感謝を伝えさせてください。

まずは、コメント下さった半田千代ちゃん


 



もう、ご自身も大変な思いをされているのに、私生で目をかけてくださって…

感謝感激すると共に、なんて器の大きな人なのだろうと尊敬の嵐でした。

特に「私が泣いたら、みんな困るじゃん」というところ…そうそう、そうなんです。

今私が泣いたら周りの人はどう反応するんだろう?とそこまで考えてしまい、人前では泣かなかったりします。むしろ笑顔を見せてしまうのも、わかる…

気丈に葬儀に参列しているからって、悲しくないわけがないのにね!!

誰もいないところでは、きっといっぱい泣されたことと思います。

もう、ご自身も大変な思いをされているのに、私生で目をかけてくださって…

感謝感激すると共に、なんて器の大きな人なのだろうと尊敬の嵐でした。

千代ちゃん、本当にありがとうございました!!



そしてもうお一方をご紹介させていただきます。


初期のありがとう家計簿を使っていただいて、ありがとうございます飛び出すハート


13年間、泣くことなく過ぎていたなんて…


お父様がどんなに、どんなに大切な存在だったのだろうと思います。


大切すぎて、亡くなったことを直視できないこともあるでしょうし…


何より、今でも彼女の中にはお父様が生き続けているからこそ「またね」の言葉を守り続けていらっしゃるのかも知れません。


お父様との大切なお話を教えていただいて、ありがとうございましたキラキラ




みなさんの体験もうかがって、大切な人が亡くなったことに対しての表現も、感情も、心の変化も、人それぞれだなーと実感しました。


泣いている人だけが、悲しんでいるわけじゃない。


亡くなったことに関して、悲しみの感情一色なわけでもない。


泣く」ということを表す2文字の漢字を調べたら、こんなにたくさんありました。


涕泣(ていきゅう)、嗚咽、欷歔(ききょ)、感泣、鬼哭、号泣、慟哭、哀哭、嗁呼(ていこ)啼血、涕泗、涕洟(ていい)飲泣、哭泣、垂泣、啼泣、悲泣、流涕、泣哭、痛哭、啼哭、慟泣


上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生がの唱えた悲嘆のプロセスは、12段階もあります。


1. 精神的打撃と麻痺状態
2. 否認
3. パニック
4. 怒りと不当感
5. 敵意と恨み
6. 罪意識
7. 空想形成・幻想
8. 孤独感と抑うつ
9. 精神的混乱とアパシ
10. あきらめ―受容
11. 新しい希望―ユーモアと笑いの再発見
12. 立ち直りの段階―新しいアイデンティティの誕生


これは、大切な人との死別をによるショックを受けてから立ち直るまでを12段階のプロセスにしたものですが、すべてを辿るものでもなく、順番通りでもなく、行ったり来たりすることもあると言われています。




この辺は、40歳で公務員をやめてから、カウンセラーの養成校や大学の心理学科で学びました。


これは、学んででおいてよかったと思うことです。


学ばなかったら、自分が経験したことしか知らなかったから。


人には色々な感情があって、人によって様々な反応があります。


感情って一色ではなく、まるで空のように、色々な色が混ざり合って、しかも刻々と変化していきます。


一般的にもそれぞれなのだけれど、私の感情は「そんなに感じる?気にしなければいいじゃない、理解できない」とたまに言われます。


私自身がそうして、人とはずれた答えを持っているからかな?


ひとつの答えを押し付ける風潮や同調圧力には、どうしても屈することができません。(だから世渡り下手です)


あちらも立てて、こちらも立てて…と自分らしくないことをすると自滅します真顔


生きるのも下手なんじゃないかと思います。


(HSPだから…の一言では済ませられないものを感じます)


それでも、これまで私が積み重ねてきた学びも経験も、無駄じゃなかったと実感します。


こうして、今の自分の人生に生かすことができてよかった。


父の余命宣告から、私の動揺や喪失感に寄り添い、見守ってくださるたちと出会うことができて、本当に幸せです。


その方たちに見守られているあたたかさを感じながら、この一年を生きてくることができました。


本当にありがとうございます

(もうその言葉しか出てこないです)



そしてまた、私の経験と学びが、誰かの心に寄り添うことに生きていってくれたらいいな、と思っています。


こんにちは!


先日のブログにご感想やメッセージをいただき、ありがとうございます。


「とても残念です」という声もいただき、大変申し訳ございません。


こんな私とお話ししたいと思ってくださって、ありがとうございます。


また


「他にやりたいことがあるからカウンセラーをやりません」


と言っていると受けとられたり、私のつたない表現力で、不快に思われた方もいらっしゃったかも知れません。




ただ、言い訳がましいことを承知で書かせていただくと


私の生活圏内で、私の役割、やるべきこと、一緒にいる人たちの手助けなど、諸々の活動をしていると


これ以上活動する場を広げていくゆとりもエネルギーも、残っていないのです。


自分のキャパシティの狭さを実感しています悲しい




かと言って、自分の生活や身近にいる人たちにできることを後回しにして


もっと広く、もっと遠くの人たちと関わろう、ということとも、何か違うと感じるのです。





加えて、私は父を亡くしてまだ1年経っておりません。


来月一周忌がありますが、もう一年経つなんて、とても信じられない気持ちです。




人が1人亡くなっても、生きている人には毎日の生活があり、あっという間に時が過ぎることを実感して


この一年ほど、人の生死について考えたことはありませんでした。


「人は何のために生まれてくるんだろう?」


「人は生まれたら必ず死に向かっているのに…本人にとっても、周りの人にとっても.なんでもっと楽に人生を終われないのだろう」


亡くなるときにこんなに苦しくて、こんなに大変で、残された方もこんなに悲しいのに、何で生まれてくるのかな?って…


哲学的でもあり、宗教的でもある、究極の難題を考えていました。





実家の母は、一見明るくカラッとしたタイプですが、私以上に読書家で、枕元にはいつも読みかけの本がありました。


そして、ここ最近読み終わった本を私にくれたのですが、そのラインナップには…



家族が亡くなったあとの話をテーマにしたものが多くありました。


ガンの末期でできる治療をした後は在宅看護になり、父の世話はやり切ったと言っていた母ですが


明るい母も母なりに…


昇華したい気持ちがあったのだなぁと、並んだ文庫本を見て感じます。





そして私もまた、人生で初めて起こる「親を亡くす」ことを前に、本に救いを求めていました。



『誰かに話を聞いてもらったほうがいいんじゃない?』という分厚い本も読了し


吉本ばななさんのお父さまの闘病生活や、その後のことを書かれている実体験は、本当に心の救いになりました。



そして、クラゲの水槽を見に、足繁く水族館に通いました



ゆらゆらと漂うクラゲを見ては


「生きる意味なんて、なくてもいいんだよー」


と言ってくれているような気がして、これもまた、大きな救いになりました。






でもね、実は私、父の葬儀の日は、ほぼ泣いていないんです。


(母が出棺の際に「お父さん、ありがとう」って言ったときは、ちょっと泣きました)


「泣いてないよね」って、夫が一番心配しています。


ブログでは、こんなに悲しい、悲しいって言っているけど、実際のお別れの儀式では、涙が出なかったんです。


それは、悲しみをこらえて、気丈に振る舞うということではなくて、たぶん、悲しみを感じる感性はガッチリ閉じてしまっていて。


子どもたちの世話や親族への挨拶をしながら、悲しむスイッチは切っていました。


不思議なことに、葬儀の後も、お香典返しの手配や、お墓を建てて納骨するまで、事務的なことにはすごく身体が動き頭も回りました。


その頃は、葬儀の前後は数日お休みしましたが、パート先のシフトも増やしたくらいでした。






色々学んでいるし、私の中で感情が滞っていることは、頭では、わかっているんです。


グリーフケアについても、キューブラーロスの喪失の5段階も、アルフォンス・デーケンの12段階も、知識としてはある。




「悲しいときは、悲しんでいいんだよ」


そんなことは、充分わかっている




でも、実際に自分に受け入れ難いことが起こったとき、感情が麻痺する。



それを実際に、経験しました。




Xにこんなポストがあったのですが…




こちらから引用させていただきました

 

これを読んだとき「あ、私のことだ」と思いました。


私にとって「父が亡くなった」ということは、受け入れ難い事実だったんです。


退院して、3ヶ月くらいはあるかな?と思っていたら、3週間で亡くなってしまうなんて思わなくて…


心の準備ができていませんでした。



いまだにまだ、現実を受け入れて、悲しむ段階が終わっていない。



父が亡くなった私を気遣ってくださって


「後からじわじわきますよ」と教えてくださった方がいて、まさに、その感覚を実感しています。




父の一周忌を前にして、私自身が、喪失感から立ち直っていない状態であることを再認識したところです。




もし私に、カウンセラーの適性があって、時間的・エネルギー的なゆとりがあったとしても…


今このタイミングで、カウンセリングの仕事をすべきではないということ。


客観的にわかっていただけるかと思います。




身体を壊していた数年前は、その痛みを我慢しても、カウンセラーの仕事はできました。



家の中ですら歩くこともできず、這って移動していて、椅子に座るのも痛かったけれど…


パソコンを前に、なるべく痛くないように位置をずらしながら座って、お話しを聞いていた頃があって


「そのときは、この身体でもできることがある!」ということを喜びに感じていたときも、あったんです。




身体が痛いときはカウンセリングの仕事ができたんですけど、今はやっぱり、まだ心が痛いのもあって、できなくなってしまいました。




心が回復していないとカウンセラーの仕事は難しいんだな、って思います。



とはいえ、カウンセラーの経験や学びは、今の生活にとても役立っています。


特に、子どもの話を聞くことの大切さや貴重さに気づけたのは、カウンセラーの学びからくるところが大きいです。



まぁ、子どもの話を聞くのも簡単ではなく。


特に思春期の子は、そっけなかったり、と思うと当然饒舌に話してきたり…


だから


「子どもが話したくなるタイミングに、大人が話を聞くゆとりがある」


という準備がこちらにできていることも必要だと感じています。


「カウンセラーをしてきたのに、自分の家族の話や、子どもの話は聞かない」


これでは、私は何のためにこれだけ学んでこれだけの経験をしてきたんだろう?って思ってしまうので。


本末転倒にならないように、子どもの話を聞くゆとりを持とうと思っています。 


(夫の話はめんどくさ!って思うこともありますが、それもゆとりがないからかなーと指差し





50歳を過ぎてから、人生の残り時間を考えるようになりました。


人の命がいつまであるかは誰にもわからないけれど…

50歳を過ぎると、100歳以上生きるのでない限りは、今まで生きてきた時間よりも、残された時間の方が少ないわけで



残りの人生で何をしようか?
何をしたら後悔しないか?
何をしたら悔いのない人生になるのか?



「わぁい、楽しい〜」という快楽的な「幸せ」もいいけれど、もっと大切なことがある気がする。

周りの人の役にも立てることで、かつ、自分の人生も「やり切った」と感じられることは何だろう?

そんなことを考え始めたのも、ライフステージが変わったということなのかもしれません。



カウンセラーの仕事を通して、出逢ってくださったたくさんの方に感謝してもしきれません。

未熟な私に、大切な人生の相談をしてくださって、ありがとうございます。



色々な活動をさせていただきましたが、これからは、自分の手の届く範囲に規模を小さくして…

私のできることをしていきたいと思います。



心が疲れたときでも、家計簿は数字を書くだけなのでいいなぁと、再確認できました。

難しい計算はしていませんが、日々の支出をありがとう家計簿に書くことだけは続けていきます。

なので、ありがとう家計簿の販売を続けていくことを、これから工夫していきたいと思っています。

 

 



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こんにちは!





私なりに、このブログの方向性についてずっと考えていました。


ずっと‥って、1年くらいです(長い?)



それで、たどり着いた答えが


「普通のおばさんの映えない日常のひとり言」

 

でいいんじゃない???


でした。





このブログには、私の心の中にぎゅーっと折りたたんであったことを取り出して、広げてから、言語化して書いたりしています。



一瞬内面にわきあがたったことを広げて書いたことだとしても


悲しかったことや辛かったことを思い起こして書けば、私がすごく悩んでいたり、傷ついている人のように見えるかも知れません。





でも、この10年以上前から、ameblo界隈で出会った方と実際にお会いしてきて、ブログの裏側を見てきましたが…


ブログのイメージと実際に会った印象って、違うことが多々あります。




ブログでは、すごく熱くて、優しくて、愛情深い言葉が響いたけれど、実際に会うとそっけないな、とか。(シャイな方なのかも知れません)


反対に、ブログの文章は短くて冷静な方のように感じたけれど、会って話すとすごく楽しい!文章を書くより話す方が得意な方なんだなーとか。


思ったより気さくな方だなーとか。


見せ方の上手なSNS活動が上手い人のお仕事ブログだったらなおさらです。


実際に会ってみると、その人自身とはまた違った雰囲気でもあるかと思います。




ブログに限らず、SNSに載せているのってその人の日常の中のほんの、ほんの一部なので、会ってみたらブログの印象と違うというのは、ある意味当たり前なのかもと思います。

 





そんな感じで、私も、いつも自分の内面をぐるぐる考えているわけではなくて…


むしろ、日常的には、忙しく身体を動かしています。


寝ている時(とティータイムしているとき)以外は、何かと動いているのではないかと?!




中高生のお弁当作りながら「母はどんな気持ちで私のお弁当を作ってくれていたのかな?」と思ったり。


父を思い出して泣きながら食器を洗ってたり


子どものお迎えにいきながら、ふと自分の子ども時代を思い出したり…



今を生きながらも、思いが過去に行ったり、未来に行ったり。


身体を動かしながら、内面も動いていていますし


その内面をなるべく忠実に言語化して、ブログに書いたりしています。(言葉に表しきれない、書ききれない思いもたくさんあります)





日常生活の中では、私はおしゃべりなただのおばさん泣き笑い




いつも買い物に行くスーパーに行って帰ってくるまでに、知ってる人とすごくたくさん会う!


この前も四男を連れて自転車で買い物に行って帰ってくるまでに会った人


・長男の保育園時代からの20年来のママ友


・20年前に年長組の担任した子のお母さん(お子さんは現在25才)


・12年前に2歳児の担任した子のお母さん(お子さんは現在高校1年生)


・三男のお友達数人(見かけると遠くからでも「◯◯君のママー!」と呼んでくれる・笑)


生活圏に以前担任したお子さんのママたちがたくさんいるんだけど、声をかけてくださったり、近況を聞けるのはとても嬉しいです。


知ってる人に会うたびに立ち話してるので、なかなか進まず笑い


四男が「ねえ、今の人はだれ?」と聞いてくるので


「お兄ちゃんの同級生のお母さんだよ」


「〇〇保育園の△△組の先生してたときのクラスの子のお母さんだよ」


などといちいち説明されられたり、話の途中で


「ねぇ、もうすぐ雨降りそうだよ?」


と長話にクギを刺されたりしてアセアセ




スーパーに買い物に行って知り合いに会っては世間話をしている、本当にただのいち主婦の、映えない日常生活を送っています。


でも本人的には、この暮らしが楽しいんです。




「悩むのはヒマだから」なんて聞いたことがありますが


一見心の問題に見えることは、身体の問題だったりすることもあって


その場合、身体を動かしたり、物理的に忙しくなると、悩み事を考えるヒマがなくなって、結果的にその悩みが小さくなっていったり


時と共に「そんなこと悩んでたっけ?」と思うくらいに忘れてしまったりもします。



逆に、身体の問題と思っていることが、心の問題であることも。


心の奥底にある、自分でもコントロールしきれない無意識に潜む思いが、身体の問題を引き起こしていたりすることも、よくある話です。



そうそう、先日、薬局で処方箋を待っている間に四男が持ってきた絵本「一休さん」を読んでいたら…



四男が「これ、知ってる!」と。


木魚を指差して、父の告別式でお坊さんが使ってたと言うんです。


四男はそのとき6歳の年長さんだったけど「そんな風に覚えているんだな」ーって


一瞬心が1年前にタイムスリップしたように、葬儀のことを思い出しました。



こうして言葉で説明すると長くなるけれど、実際のそのときは本当に一瞬で…


「そうだねー、じぃじのお葬式で見たね」


と言いながら、次の瞬間には絵本のページをめくって読んでいる。


それが現実です。




数秒間に私の内面にわき上がった想いを言語化するとちょっとドラマチックになるけれど、


現実は、その辺にいるちょっとおせっかいなおばさん、口うるさい母親なんですよ。




人って、その場によって色々な役割があって、複数の面が合わさってのその人なので。


一面だけを見てその人を決めつけたり、ネットの向こう側に広がる世界に夢を見すぎないで欲しいなーって


正直思います。




大切なのは、手の届く範囲の日常にあるものだと思うから




まぁ今更、私をキラキラしてると思って見ている人はいないと思うんですがアセアセ



あえて言いますが


私、普通のおばさんです。





まだどこにも書いていなかったけど


今楽しいことは「農園の手伝い」なんです。



↑収穫していただいたピチピチのお野菜たち



土を耕したり、作物を育てたら、雑草取りですら、畑仕事全般が楽しいです。



雨が降ったら「今日は水あげなくていいな」と雨に感謝したり


お日さまが当たらないと光合成もできないから、暑くでも晴れた日にも感謝できる



そんなことを感じられるようになったことも、本当にありがたいです。



↑小さなスイカに感動キラキラ


反面、ネット上の滞在時間は激減しています右下矢印


こんなにネットから遠ざかっていると、もうオンラインのカウンセラーには戻れないとも思います。



ただ、もしまた歩けなくなるくらいの体調の変化があれば、オンライン上での活動をすることがあるかも知れません(可能性としてゼロでは無い)


 

でも、身体が動く限り保育の仕事はしていきたいし


子どもたちだけではなく、若い先生たちにあれこれ世話を焼くのも楽しかったりします目がハート


長男より若い先生たち、もう娘のように可愛くてラブラブ



今は身体が動く限り自分の足で歩いて、自然に触れたり、実際に人と会って関わりたいという気持ちが強いです。


歩行困難になって、家の中も這って移動していたくらいに身体を壊したことがあるので


身体が動くということが、どんなにありがたいことが身に沁みてわかりました



私にとって普通のおばさんの日常を楽しむということは、手の届く範囲にある幸せを大切に生きるということとイコールです。



このブログは、そんな病気をしてから、普通の生活を取り戻し、高齢で産んだ子どもたちの世話をしながらバタバタと生活している、いち50代女性のひとりごとです(私の主観で書いています)



ただ、やっぱり日常に流されがちなので…


そんな私のなんでもない日をせめて記録しておこうと。(記録すると日々の積み重ねの大切さを実感できるから)


日々の支出の記録をつけるオリジナル家計簿だけは書くようにしています。



家計簿、残りあと10冊くらいなので、どうしようかなーって思ってます。


同じものを再印刷する予定はないです。



ただ、ありがたいことに


「この家計簿じゃないとダメなんです」

「なくなったら困ります」


と言って愛用してくださる方もいらっしゃるので。



家計簿の販売だけは、細々と続けていけたらいいなーと思っています。





こんにちは!


昨日は父の日でしたね


私は、去年の父の日を、最後の父の日を父と過ごしたことを思い出してしまい


ぐっと込み上げてくるものがあり…


6月はずっと、飲食店などにはためく「父の日」の旗を見るのもつらい期間でした。


ウチな父の日は子どもたちにお任せで、娘が「ドンキに行く」と言って、夫の好きそうな食べ物を買ってきてくれました。


その前に、娘から「パパ、いつもありがとう」のひと言とLINEスタンプがあったそうで、それだけで大喜びしていましたラブ





子どもたち4人共試合がありました


全員の試合には行けないけど(身体が2つ欲しい!)


午前中四男・午後三男の試合を観に行きました




昨日は朝からブログを書いた後もなんとなく考えていたのですが


暑い中あちこち行って、身体が忙しかったので…


それほど落ち込むことはなくフラットな気持ちで


自分の人生を思い起こせました







思えば、高校生の頃には、弟のことを「どうしよう?」って思っていました

親が元気なうちに、私がなんとかしなくちゃアセアセ

自立というか、普通に社会に適応して生活できるようにしなくちゃアセアセ

そんなプレッシャーを抱えていたように思います

親にナイショで、弟の担任の先生に、私から直接相談したこともありました

思えば、それほど親を頼れなかったわけだし

そこまで弟のことを抱えて、境界線を逸脱している

私がやりすぎなのですが…

(いわゆる共依存状態だったのかも知れません)



「でも、それくらい不安だったんだよね」



そんな風に声をかけてあげると、心の奥の方で

「そうなの、不安だった、怖かった…」

と、わかってくれて安心している私がいます。



もういい大人になった私が、あの頃の…

家庭の困りごとを抱えすぎていた10代の私を

「大変だったね、困っていたんだよね」

って、ただそのまま受け入れて、なぐさめてあげられたらいいなーと

そんなことを思いました。




2024年の父の日

芙蓉さんのおかげで、過去の私も癒せた日になりました。


最近ハマっているブラックサンダーの柿の種!