受け入れ難い現実と心の回復・これからのこと | 幸せな家庭の作り方〜Happy Family〜

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東京下町で暮らす5人の子沢山ママです。結婚27年目。
長男25歳(社会人・一人暮らし)長女15歳・次男14歳・三男9歳・四男6歳。
非常勤保育士として働きながら、オリジナル家計簿を販売中。

こんにちは!


先日のブログにご感想やメッセージをいただき、ありがとうございます。


「とても残念です」という声もいただき、大変申し訳ございません。


こんな私とお話ししたいと思ってくださって、ありがとうございます。


また


「他にやりたいことがあるからカウンセラーをやりません」


と言っていると受けとられたり、私のつたない表現力で、不快に思われた方もいらっしゃったかも知れません。




ただ、言い訳がましいことを承知で書かせていただくと


私の生活圏内で、私の役割、やるべきこと、一緒にいる人たちの手助けなど、諸々の活動をしていると


これ以上活動する場を広げていくゆとりもエネルギーも、残っていないのです。


自分のキャパシティの狭さを実感しています悲しい




かと言って、自分の生活や身近にいる人たちにできることを後回しにして


もっと広く、もっと遠くの人たちと関わろう、ということとも、何か違うと感じるのです。





加えて、私は父を亡くしてまだ1年経っておりません。


来月一周忌がありますが、もう一年経つなんて、とても信じられない気持ちです。




人が1人亡くなっても、生きている人には毎日の生活があり、あっという間に時が過ぎることを実感して


この一年ほど、人の生死について考えたことはありませんでした。


「人は何のために生まれてくるんだろう?」


「人は生まれたら必ず死に向かっているのに…本人にとっても、周りの人にとっても.なんでもっと楽に人生を終われないのだろう」


亡くなるときにこんなに苦しくて、こんなに大変で、残された方もこんなに悲しいのに、何で生まれてくるのかな?って…


哲学的でもあり、宗教的でもある、究極の難題を考えていました。





実家の母は、一見明るくカラッとしたタイプですが、私以上に読書家で、枕元にはいつも読みかけの本がありました。


そして、ここ最近読み終わった本を私にくれたのですが、そのラインナップには…



家族が亡くなったあとの話をテーマにしたものが多くありました。


ガンの末期でできる治療をした後は在宅看護になり、父の世話はやり切ったと言っていた母ですが


明るい母も母なりに…


昇華したい気持ちがあったのだなぁと、並んだ文庫本を見て感じます。





そして私もまた、人生で初めて起こる「親を亡くす」ことを前に、本に救いを求めていました。



『誰かに話を聞いてもらったほうがいいんじゃない?』という分厚い本も読了し


吉本ばななさんのお父さまの闘病生活や、その後のことを書かれている実体験は、本当に心の救いになりました。



そして、クラゲの水槽を見に、足繁く水族館に通いました



ゆらゆらと漂うクラゲを見ては


「生きる意味なんて、なくてもいいんだよー」


と言ってくれているような気がして、これもまた、大きな救いになりました。






でもね、実は私、父の葬儀の日は、ほぼ泣いていないんです。


(母が出棺の際に「お父さん、ありがとう」って言ったときは、ちょっと泣きました)


「泣いてないよね」って、夫が一番心配しています。


ブログでは、こんなに悲しい、悲しいって言っているけど、実際のお別れの儀式では、涙が出なかったんです。


それは、悲しみをこらえて、気丈に振る舞うということではなくて、たぶん、悲しみを感じる感性はガッチリ閉じてしまっていて。


子どもたちの世話や親族への挨拶をしながら、悲しむスイッチは切っていました。


不思議なことに、葬儀の後も、お香典返しの手配や、お墓を建てて納骨するまで、事務的なことにはすごく身体が動き頭も回りました。


その頃は、葬儀の前後は数日お休みしましたが、パート先のシフトも増やしたくらいでした。






色々学んでいるし、私の中で感情が滞っていることは、頭では、わかっているんです。


グリーフケアについても、キューブラーロスの喪失の5段階も、アルフォンス・デーケンの12段階も、知識としてはある。




「悲しいときは、悲しんでいいんだよ」


そんなことは、充分わかっている




でも、実際に自分に受け入れ難いことが起こったとき、感情が麻痺する。



それを実際に、経験しました。




Xにこんなポストがあったのですが…




こちらから引用させていただきました

 

これを読んだとき「あ、私のことだ」と思いました。


私にとって「父が亡くなった」ということは、受け入れ難い事実だったんです。


退院して、3ヶ月くらいはあるかな?と思っていたら、3週間で亡くなってしまうなんて思わなくて…


心の準備ができていませんでした。



いまだにまだ、現実を受け入れて、悲しむ段階が終わっていない。



父が亡くなった私を気遣ってくださって


「後からじわじわきますよ」と教えてくださった方がいて、まさに、その感覚を実感しています。




父の一周忌を前にして、私自身が、喪失感から立ち直っていない状態であることを再認識したところです。




もし私に、カウンセラーの適性があって、時間的・エネルギー的なゆとりがあったとしても…


今このタイミングで、カウンセリングの仕事をすべきではないということ。


客観的にわかっていただけるかと思います。




身体を壊していた数年前は、その痛みを我慢しても、カウンセラーの仕事はできました。



家の中ですら歩くこともできず、這って移動していて、椅子に座るのも痛かったけれど…


パソコンを前に、なるべく痛くないように位置をずらしながら座って、お話しを聞いていた頃があって


「そのときは、この身体でもできることがある!」ということを喜びに感じていたときも、あったんです。




身体が痛いときはカウンセリングの仕事ができたんですけど、今はやっぱり、まだ心が痛いのもあって、できなくなってしまいました。




心が回復していないとカウンセラーの仕事は難しいんだな、って思います。



とはいえ、カウンセラーの経験や学びは、今の生活にとても役立っています。


特に、子どもの話を聞くことの大切さや貴重さに気づけたのは、カウンセラーの学びからくるところが大きいです。



まぁ、子どもの話を聞くのも簡単ではなく。


特に思春期の子は、そっけなかったり、と思うと当然饒舌に話してきたり…


だから


「子どもが話したくなるタイミングに、大人が話を聞くゆとりがある」


という準備がこちらにできていることも必要だと感じています。


「カウンセラーをしてきたのに、自分の家族の話や、子どもの話は聞かない」


これでは、私は何のためにこれだけ学んでこれだけの経験をしてきたんだろう?って思ってしまうので。


本末転倒にならないように、子どもの話を聞くゆとりを持とうと思っています。 


(夫の話はめんどくさ!って思うこともありますが、それもゆとりがないからかなーと指差し





50歳を過ぎてから、人生の残り時間を考えるようになりました。


人の命がいつまであるかは誰にもわからないけれど…

50歳を過ぎると、100歳以上生きるのでない限りは、今まで生きてきた時間よりも、残された時間の方が少ないわけで



残りの人生で何をしようか?
何をしたら後悔しないか?
何をしたら悔いのない人生になるのか?



「わぁい、楽しい〜」という快楽的な「幸せ」もいいけれど、もっと大切なことがある気がする。

周りの人の役にも立てることで、かつ、自分の人生も「やり切った」と感じられることは何だろう?

そんなことを考え始めたのも、ライフステージが変わったということなのかもしれません。



カウンセラーの仕事を通して、出逢ってくださったたくさんの方に感謝してもしきれません。

未熟な私に、大切な人生の相談をしてくださって、ありがとうございます。



色々な活動をさせていただきましたが、これからは、自分の手の届く範囲に規模を小さくして…

私のできることをしていきたいと思います。



心が疲れたときでも、家計簿は数字を書くだけなのでいいなぁと、再確認できました。

難しい計算はしていませんが、日々の支出をありがとう家計簿に書くことだけは続けていきます。

なので、ありがとう家計簿の販売を続けていくことを、これから工夫していきたいと思っています。

 

 



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