普通のおばさんの日常のひとり言 | 幸せな家庭の作り方〜Happy Family〜

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東京下町で暮らす5人の子沢山ママです。結婚27年目。
長男25歳(社会人・一人暮らし)長女15歳・次男14歳・三男9歳・四男6歳。
非常勤保育士として働きながら、オリジナル家計簿を販売中。

こんにちは!





私なりに、このブログの方向性についてずっと考えていました。


ずっと‥って、1年くらいです(長い?)



それで、たどり着いた答えが


「普通のおばさんの映えない日常のひとり言」

 

でいいんじゃない???


でした。





このブログには、私の心の中にぎゅーっと折りたたんであったことを取り出して、広げてから、言語化して書いたりしています。



一瞬内面にわきあがたったことを広げて書いたことだとしても


悲しかったことや辛かったことを思い起こして書けば、私がすごく悩んでいたり、傷ついている人のように見えるかも知れません。





でも、この10年以上前から、ameblo界隈で出会った方と実際にお会いしてきて、ブログの裏側を見てきましたが…


ブログのイメージと実際に会った印象って、違うことが多々あります。




ブログでは、すごく熱くて、優しくて、愛情深い言葉が響いたけれど、実際に会うとそっけないな、とか。(シャイな方なのかも知れません)


反対に、ブログの文章は短くて冷静な方のように感じたけれど、会って話すとすごく楽しい!文章を書くより話す方が得意な方なんだなーとか。


思ったより気さくな方だなーとか。


見せ方の上手なSNS活動が上手い人のお仕事ブログだったらなおさらです。


実際に会ってみると、その人自身とはまた違った雰囲気でもあるかと思います。




ブログに限らず、SNSに載せているのってその人の日常の中のほんの、ほんの一部なので、会ってみたらブログの印象と違うというのは、ある意味当たり前なのかもと思います。

 





そんな感じで、私も、いつも自分の内面をぐるぐる考えているわけではなくて…


むしろ、日常的には、忙しく身体を動かしています。


寝ている時(とティータイムしているとき)以外は、何かと動いているのではないかと?!




中高生のお弁当作りながら「母はどんな気持ちで私のお弁当を作ってくれていたのかな?」と思ったり。


父を思い出して泣きながら食器を洗ってたり


子どものお迎えにいきながら、ふと自分の子ども時代を思い出したり…



今を生きながらも、思いが過去に行ったり、未来に行ったり。


身体を動かしながら、内面も動いていていますし


その内面をなるべく忠実に言語化して、ブログに書いたりしています。(言葉に表しきれない、書ききれない思いもたくさんあります)





日常生活の中では、私はおしゃべりなただのおばさん泣き笑い




いつも買い物に行くスーパーに行って帰ってくるまでに、知ってる人とすごくたくさん会う!


この前も四男を連れて自転車で買い物に行って帰ってくるまでに会った人


・長男の保育園時代からの20年来のママ友


・20年前に年長組の担任した子のお母さん(お子さんは現在25才)


・12年前に2歳児の担任した子のお母さん(お子さんは現在高校1年生)


・三男のお友達数人(見かけると遠くからでも「◯◯君のママー!」と呼んでくれる・笑)


生活圏に以前担任したお子さんのママたちがたくさんいるんだけど、声をかけてくださったり、近況を聞けるのはとても嬉しいです。


知ってる人に会うたびに立ち話してるので、なかなか進まず笑い


四男が「ねえ、今の人はだれ?」と聞いてくるので


「お兄ちゃんの同級生のお母さんだよ」


「〇〇保育園の△△組の先生してたときのクラスの子のお母さんだよ」


などといちいち説明されられたり、話の途中で


「ねぇ、もうすぐ雨降りそうだよ?」


と長話にクギを刺されたりしてアセアセ




スーパーに買い物に行って知り合いに会っては世間話をしている、本当にただのいち主婦の、映えない日常生活を送っています。


でも本人的には、この暮らしが楽しいんです。




「悩むのはヒマだから」なんて聞いたことがありますが


一見心の問題に見えることは、身体の問題だったりすることもあって


その場合、身体を動かしたり、物理的に忙しくなると、悩み事を考えるヒマがなくなって、結果的にその悩みが小さくなっていったり


時と共に「そんなこと悩んでたっけ?」と思うくらいに忘れてしまったりもします。



逆に、身体の問題と思っていることが、心の問題であることも。


心の奥底にある、自分でもコントロールしきれない無意識に潜む思いが、身体の問題を引き起こしていたりすることも、よくある話です。



そうそう、先日、薬局で処方箋を待っている間に四男が持ってきた絵本「一休さん」を読んでいたら…



四男が「これ、知ってる!」と。


木魚を指差して、父の告別式でお坊さんが使ってたと言うんです。


四男はそのとき6歳の年長さんだったけど「そんな風に覚えているんだな」ーって


一瞬心が1年前にタイムスリップしたように、葬儀のことを思い出しました。



こうして言葉で説明すると長くなるけれど、実際のそのときは本当に一瞬で…


「そうだねー、じぃじのお葬式で見たね」


と言いながら、次の瞬間には絵本のページをめくって読んでいる。


それが現実です。




数秒間に私の内面にわき上がった想いを言語化するとちょっとドラマチックになるけれど、


現実は、その辺にいるちょっとおせっかいなおばさん、口うるさい母親なんですよ。




人って、その場によって色々な役割があって、複数の面が合わさってのその人なので。


一面だけを見てその人を決めつけたり、ネットの向こう側に広がる世界に夢を見すぎないで欲しいなーって


正直思います。




大切なのは、手の届く範囲の日常にあるものだと思うから




まぁ今更、私をキラキラしてると思って見ている人はいないと思うんですがアセアセ



あえて言いますが


私、普通のおばさんです。





まだどこにも書いていなかったけど


今楽しいことは「農園の手伝い」なんです。



↑収穫していただいたピチピチのお野菜たち



土を耕したり、作物を育てたら、雑草取りですら、畑仕事全般が楽しいです。



雨が降ったら「今日は水あげなくていいな」と雨に感謝したり


お日さまが当たらないと光合成もできないから、暑くでも晴れた日にも感謝できる



そんなことを感じられるようになったことも、本当にありがたいです。



↑小さなスイカに感動キラキラ


反面、ネット上の滞在時間は激減しています右下矢印


こんなにネットから遠ざかっていると、もうオンラインのカウンセラーには戻れないとも思います。



ただ、もしまた歩けなくなるくらいの体調の変化があれば、オンライン上での活動をすることがあるかも知れません(可能性としてゼロでは無い)


 

でも、身体が動く限り保育の仕事はしていきたいし


子どもたちだけではなく、若い先生たちにあれこれ世話を焼くのも楽しかったりします目がハート


長男より若い先生たち、もう娘のように可愛くてラブラブ



今は身体が動く限り自分の足で歩いて、自然に触れたり、実際に人と会って関わりたいという気持ちが強いです。


歩行困難になって、家の中も這って移動していたくらいに身体を壊したことがあるので


身体が動くということが、どんなにありがたいことが身に沁みてわかりました



私にとって普通のおばさんの日常を楽しむということは、手の届く範囲にある幸せを大切に生きるということとイコールです。



このブログは、そんな病気をしてから、普通の生活を取り戻し、高齢で産んだ子どもたちの世話をしながらバタバタと生活している、いち50代女性のひとりごとです(私の主観で書いています)



ただ、やっぱり日常に流されがちなので…


そんな私のなんでもない日をせめて記録しておこうと。(記録すると日々の積み重ねの大切さを実感できるから)


日々の支出の記録をつけるオリジナル家計簿だけは書くようにしています。



家計簿、残りあと10冊くらいなので、どうしようかなーって思ってます。


同じものを再印刷する予定はないです。



ただ、ありがたいことに


「この家計簿じゃないとダメなんです」

「なくなったら困ります」


と言って愛用してくださる方もいらっしゃるので。



家計簿の販売だけは、細々と続けていけたらいいなーと思っています。