こんにちは!お久しぶりです。
みなさまお元気でお過ごしでしたでしょうか?
私はノロノロ台風の天気予報に振り回されつつ、子どもたちの夏休みが終わりホッとした今週でした…
そして気づいたら、もう月見バーガーの季節!
娘と半分こして食べましたよ(下の子たちにはナイショ)
娘は月見パイが美味しくてもう一度食べたい!と言ってました〜
さてさて、前回のブログで詳しくご紹介したかった内容なのだけど、やっと書きます…
前回、銀河鉄道の夜の文章を引用しました。
「どんなつらいことでも、正しい道を進む中でのできごとなら、ひとあひずつ幸福に近づくのですよ」
↑これは、子どもの読み聞かせように短くまとめられた文章だったため、紹介したいと思っていたんです。
もう一冊、家にあったこちらの本を開いてみたら、もう少し長い文章でした。
↓ここから引用↓
「なにがしあわせかわからないのです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進むなかでのできごとなら峠ののぼりくだりもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」
燈台守がなぐさめていました。
「ああ、そうです。ただいちばんのさいわいにいたるためにいろいろのかなしみもみんな思し召しです。」
↑引用終わり↑
この文章の前には、銀河を旅する主人公のジョバンニとカムパネルラが濡れた髪の男の子と青年、女の子と遭遇します。
そして、その3人は氷山の一角に当たって転覆した船に乗っていて、救命ボートに人を譲った後、気づいたらここにいた、と話します。
その事件というのは明治45年に起きたタイタニック号にヒントを得たものではないかと言われています(賢治は当時15歳)
その件についてここ長くは言及しませんが、宮沢賢治の作品が今もなお読まれる一因になっていると思います。
あの新海誠さんの作品『雲のむこう、約束の場所』にも賢治の詩「永詠の朝」が出てきていて、新海監督は大学時代に宮沢賢治を研究したことがあるらしいです。
そのせいか、他作品でも距離感や宇宙・生者と死者との関係など、宮沢賢治の影響を感じる部分があったりします。
そして私と宮沢賢治の作品の思い出というと…
子どもの頃、実家の本棚に、宮沢賢治の童話集が並んでいました。
昨年亡くなった父が、私のために揃えてくれたものだったと記憶しています。
私は子どもの頃から乱読派だったので、家にある本や図書館の本、友達や従姉妹から借りた本などなんでも読んでいました。
そんな私でも、宮沢賢治の本は難解で、あまり興味が持てず。なんとなくわかって読めた気がしたのは『注文の多い料理店』と『どんぐりと山猫』くらいだったかと思います。
これこれこのシリーズです。
この本の表紙の色、よく覚えてます。
(子どもの頃はこの地味な表紙の色あいにも好感を持たなかったんだけどね)
「あんなにたくさん揃えてくれたのに、実は全然読んでなくてごめんなさい」
という罪悪感のような気持ちが、子どもの頃からどこかにあったんでしょうね。
「時間ができたら宮沢賢治の作品を読んでいきたい」
という願望が、いつも心のどこかにありました。
でも、本棚に宮沢賢治童話集の背表紙が並んでいた光景は脳裏に焼きついていて…
人は本の背表紙に影響を受ける
という私の人生の教訓にもなっています。
(なので家の中で本棚を大事にしています)
幸いなことに、寝つきが悪い三男が、小学5年生になっても「ママ眠くなるまでお話読んで」と言ってくれるんです。
それで、この2冊の本のその日の日付の話を読んで
それでも眠れないときは、他の本を一緒に読んでいます。
宮沢賢治の他に、古事記やギリシャ神話、ジャータカ物語など神話系が多いです。(神話は教養として知っていると人生が深まる気がするという、完全に私の好みです)
三男はアニメ好きなので、けっこう複雑な世界観も理解して、私に説明してくれたりもします。
こんな毎日を過ごしていると、父が残してくれた私のこの読書好きという趣味が、子どもたちへと継がれていき…
亡くなってもなおその人が生きていた影響が周りの人に生きていると実感することが、大きな癒しになるなぁと感じています。
日常を淡々と生きていくことで、知らず知らずのうちに、父を亡くした悲しみが癒されていっていることを感じます。
しかし、昔実家にあったものを見つけると涙が出そうになるのはなんでしょう?
(やっぱり加齢と共に涙もろくなるらしいです)
最近見つけて歓喜したのは、かき氷機の「きょろちゃん」です
なつかしすぎる
きょろちゃんを見て「なつかし〜!!」って感じる同世代の方はいらっしゃるかな?!
なんかねーちょっとずつ元気になっています、という、そんな空気を感じていただけたらいいなーと思い更新しました。
では、また書きます。
ぜひまた当ブログを開いていただけたらうれしいです