皆さんへ


こんにちは。

今回は「目を向けるべきは聖書のみ」と題して書きます。

約六千年前に、主なる神(父なる神、主イエス・キリスト、聖霊の三位一体の神)によって造られたこの世界は(百億年以上前に大爆発が起きて宇宙が出来たという意味不明な「ビッグバン」理論は、イエズス会による大嘘)、現在崩壊しつつあります。それは映画等の作り話ではなく、現実に起こりよることです。コロナ犯罪を機に世界各国で配備、接種が推進されたコロナワクチン(mRNAワクチン)だけでも、世界は取り返しのつかないことになったと言えます。約三年前から一部の医師や有志の方たちが強く警告しよったとおり、コロナワクチンは人間の遺伝子を改変する物で、一回でも打つと二度と元の身体に戻れなくなります。その他にも酸化グラフェン等の有害物質が多く含まれたこのワクチンによって、世界中で数え切れない程の人が殺されました。遅効性の猛毒であるこのワクチンの性質上、時が経つ程にその影響が表に出て来るため、今後更に死者やその他有害事象に苦しむ人が増えるのは間違いありません。こちら(泣いて生まれてきたけれど)にあるとおり、老若男女、庶民と著名人、若くて強健な運動選手、ワクチンの熱烈な支持者等を問わず、接種者は皆等しく心臓疾患や脳卒中等による突然死や癌(接種者は免疫力が大きく低下するため、進行速度が非常に速い)、麻痺、認知機能の低下、帯状疱疹、不妊、流産等に見舞われよります。世界で何十億もの人(支那とインドだけで二十億人を超えている)が接種し、寿命が大幅に縮んで男女と共に不妊になったというのは、「ジョージア・ガイドストーン」で明示されていたとおり、世界人口を五億人以下まで減らす事を目標にしている悪魔崇拝者の支配層の狙いどおりであり、また、上記のスナメリオ氏の記事にあるようにワクチン接種者からの伝播(シェディング)もあるため、非接種者も絶えず身体を蝕まれよります。別記事のこちら(泣いて生まれてきたけれど)にあるとおり、これはかなり深刻な問題で、その記事に挙げられているアレルギー体質の女性と高齢者の事例のように、伝播によって亡くなりよる非接種者は多数居るのではないかと思います(記事にあるとおり、動物も伝播によって死んでいる。また、植物も同様)。コロナワクチンを一度も打っていない某も、接種者に囲まれて蕁麻疹が全身に出来たり、強い倦怠感に襲われて寝込んだり、腎臓の辺りが痛くなって焦げ茶色の尿が出てびっくりしたこともありました。スナメリオ氏の記事の表題【コロナワクチン接種者は歩く生物兵器】は正しいです。非接種者が接種者と性交して被害を受けた事例も記事にありますが、それは自殺行為なので絶対にしてはいけません(因みに、婚外性交は神の律法違犯。申命記二十二章参照)。接種者と同じ場所に居るだけで悪影響を受けるのに、性交などすればどれ程酷いことになるかなんて考えるまでもないことですし、それではワクチンを避けた意味がまったく無いと思います。また、接種者の血液を取り込みかねない輸血も忌避すべきで、この輸血も神の律法に反する行為です(レビ記十七章十節~十二節、十九章二十六節参照)。こう言うとカルト宗教のエホバの証人を思い出して、「輸血を拒絶するなんておかしい。前時代的で間違っている」などと思う人も居るかもしれませんが、輸血は人体に多大な悪影響をもたらす危険な行為であり、血液の濃度にまで希釈した海水が血液の代わりになるので、輸血を拒絶するのは正しいことなんです(この点については正しいというだけで、エホバの証人を擁護している訳ではありません)。輸血の問題についてまだご存知ない方は、こちら(世界と日本の真実)をお読みください。記事に「ただの海水で、病気が治っては儲からない」とあるとおり、輸血や献血もワクチン、抗がん剤等と同じく製薬会社や悪徳医師等の金儲けのために行われよることであり、それによって非常に多くの人が犠牲になっています。聖書に書かれている神の律法は、迷信ではなく真実であり、神が人間のためを想って制定された聖なる法です。律法は創造主たる神の品性(慈愛や正義等)の表れでもあり、それに背けば、当然人間は不幸になるだけです。コロナ犯罪等で世のおかしさに気付いた方は、悪魔を崇拝するこの世の支配層と彼らに従う者たち(国際機関や各国政府、大企業、報道機関、医療機関、金融機関、教育機関等の関係者たち。その他一般庶民も含む)の冷酷さや金のため、自己保身のためなら何でもする拝金主義や隣人愛の無さ、自己愛の酷さを良くご存知だと思います。「真の聖書福音と預言」(アメーバブログ)、「キリスト道」(アメーバオウンド)の管理人ミカエル氏が複数の記事や動画で仰っているとおり、彼らが「常識」、「正しい事」としてテレビや学校教育等で人々に植え付けている事の多くは、悪魔と支配層にとって都合の良い嘘(嘘をつくことも律法違犯。レビ記十九章十一節参照)であり、世の権威を通して語られるその嘘を根拠も無く信じ込む人はカルト宗教信者に等しいです。



※「世の権威⬆️」の文字は某が加えたものです。


政府や報道各社等の世の権威に盲従して有害無益なマスク着用やワクチン接種を行い、先述したように自分だけでなく、周りのすべての生き物に多大な悪影響を与えている(下手すると死に追いやっている)人たちは凶悪且つ狂っており、支配層に良いように使われている奴隷でしかありません。非常に迷惑であり、罪深いです。ワクチンや世の権威を盲信するのは神の律法違犯たる偶像礼拝(レビ記十九章四節参照。他多数)であり、また、聖書には拝金主義は悪だとはっきり書かれています。


※権力者に何も考えずに従う人が多いですが、それは間違っています。引用元の記事に、悪い権力者に対する不服従の大切さについて書かれています。

※金の力を盲信するのも偶像崇拝に当たります。

先述したとおり、律法は神の品性の表れであり、世の腐敗した支配層らによる悪法や思想等とはまったく異なります。当然、制定者である神御自身も闇が一切無い御方(ヨハネ一 一章五節参照)であり、悪とはまったく無縁です。現代は、誰でもネットで情報を得られる時代で(グーグルをはじめとする大手検索エンジンは検索結果を操作しているので、ダックダックゴー等を使うべき)、冒頭に書いたとおり、事前に一部の医師や有志の方たちがコロナワクチンの危険性を伝えよったにも関わらず、世の権威を盲信する人はそれら多数派から外れた情報を軽視して何も吟味せず、嘘つき政府や報道機関、金のためなら患者がどうなろうが知ったことではないと考える悪徳医師等、明らかに律法に反した悪人たちを盲信した結果、ワクチンを忌避しよる正常者をも傷付ける凶悪な存在になったが故に、自ら意思決定ができない幼い子供等でない限り言い訳の余地はありません。日本では、接種が始まったのが諸外国よりも遅かったため、ワクチンについて調べる時間は十分にありましたし、そもそもワクチンが人口削減を目的とした毒物であることや、日本政府や報道機関等が嘘つきでまったく信用ならない存在なのはコロナ騒動が始まる何年も前から既に明らかだったので尚更です。子宮頸癌ワクチンの問題や国会議員らの数々の違憲行為等、世の中がおかしいことに気付くきっかけは沢山ありました。それらにずっと無関心で正しい情報の発信者を軽んじたのはとても悪いことですし、何より真の光である神、主イエス・キリストと主イエスを証しする聖書(ヨハネ五章三十九節参照。偽使徒パウロの書簡を除く)を無視し、信じるべきではない悪人たちを光と勘違いして信じた結果、取り返しのつかないことになったと言えます。ミカエル氏が、キリスト道 本拠「PCRは検査ではない。」、「・mRNAは遺伝子組み換え。このワクチンを受けると、取り返しがつかへん。」で仰っているとおり、支配層は人間の遺伝子を改変して憐れみの無い獣のような存在に変え、神から完全に切り離して自分たちの所有物にするためにPCRとmRNAワクチンを人々に受けさせました。接種者にもはや希望は無く、酸化グラフェンと5G等による心身の操作も含め、これから伝播以外に更に凶悪なことを行い、周りに災いをもたらす者になって罪を重ねると思います。改変された遺伝子は二度と元に戻らないため、ワクチンをまだ一度も打っていない人は「たとえ接種しても解毒すれば大丈夫かな」などと軽く考えずに、今後も断固拒否してください。解毒ができる性質の物ではないからです。勿論、接種者もそれ以上打ってはいけません。


※アニメが支配層の予告に使われることは多いです。上記画像のシンプソンズの場面は、太陽暦二千十三年十月に放送されたもので、支配層が何年も前からワクチンによって人間を別の存在に変えることを計画していたのが分かります。現代はこのような狂ったことが平然と行われ、また、大半の人もそれに何の疑問も持たずに受け入れている異常な時代です。

先述したように、聖書にはこうした偶像礼拝や拝金主義、嘘をつくこと等がいかに悪いかが書かれています。聖書は、人間に本当の善悪や生き方等を教えてくれるこの世で唯一の書であり、皆が聖書の教え、神の律法に反したことばかりしているからこそ、この世はどんどん悪くなりよります。また、ワクチン等の薬が魔術そのもの(魔術を使う者は地獄行き。黙示録二十一章八節、二十二章十五節参照)であることや、ワクチン開発に大いに関わっているビル・ゲイツ氏が終末の時代に現れる「(狂った)商人たち」、「地の権力者」の一人であることも示されています。


※神ではなく、薬に依存して頼ることがいかに悪いかが分かります。


ビル・ゲイツ氏のような存在が現れていることは、終末の徴の一つです。主イエスの終末預言を解説したミカエル氏の記事「聖書の終末預言 一」を読めば、終末預言の内容と今の世界の様相がぴたりと符合していることがお分かりになるかと思います。本記事の最初に書いたように、「世界の終わりが近づいているなんて信じられない。映画じゃあるまいし」と思われる方が多いと思いますが、世界で何十億もの人がコロナワクチンを接種したこと、すべての動植物に多大な悪影響をもたらす5Gが世界中で展開されていること、LGBT等の律法に反した異常な思想等の蔓延、政治や司法の腐敗、拝金主義で隣人愛の無い人が激増、犯罪や民族間の争いの増加、頻発する地震や大雨等の災害(支配層が気象兵器によって人工的に起こしている)、毎日のように撒かれるすべての動植物にとって有害なケムトレイル、迫りつつあるかつてない程の経済破綻や食糧難と戦争等、数多くの大きな災いが世界中で同時に起こっているため、この世界が急速に崩壊しよるのは間違いありません。ワクチン接種によって、これまで大衆文化を形成してきた有名人が次々と亡くなりよることからも、これまでの世界が大きく変わろうとしよるのを感じます。彼らは、支配層にとってもはや用済みになったのかもしれません。また、以下の画像のとおり、支配層はmRNA技術によって植物の葉緑体を変化させて、光合成後に酸素ではなくスパイクタンパク等の毒物を生成するようにしよります。ミカエル氏がキリスト道 本拠の「・偽感染症騒動の次は気候変動詐欺や。」で仰っているとおり、支配層は気候変動問題を建前に二酸化炭素の大幅削減も企んでおり、それと併せて酸素濃度低下、光合成阻害から来る農作物の著しい減少、毒素の放出等を世界規模で行おうとしていると思われます。はっきり言って彼らは狂っていますし、ここまでこの世界を持続不可能なまでに滅茶苦茶にしよるのは、悪魔や支配層もこの世の終わりであるキリストの再臨が近いことを悟っているからなのかもしれません。最後の悪あがきとして、先のことを考えずに暴れているように見えます。



※今起こりよること、これから起こるであろうことを一部ですがまとめたものです。

上記の画像に「科学技術と電子通貨、~」とあるとおり、こうした中で支配層はAIを搭載した監視カメラや5G、6G、個人番号(マイナンバー)、電子通貨等の科学技術による徹底的な支配体制を築こうとしています。これが荒唐無稽な作り話ではないことは、キリスト道 本拠の「・陰謀論やない。」にある情報を確認すると分かります。監視カメラ増設や、個人番号制度のごり押し等が行われよる日本も決して他人事ではなく、「大きな再設定 (グレート・リセット)」、支那のような超共産主義、監視管理社会であるNWO、黙示録十三章の獣の刻印を受けなければ物の売買ができなくなる世界が近づきつつあります。


※陰謀論ではなく現実に起こっていることであり、支配層はもはや何も隠していません。

※これがNWOそのもののように思います。支配層に逆らえば信用得点を低くされ、自由に移動することも物の売買もできなくなり(電子通貨が与えられなくなるため)、5G、6Gの電磁波によって殺される可能性もある絶望的に悪い世界が彼らの理想郷です。監視カメラ増設、電子通貨や個人番号制度の推進、ベーシック・インカム等はすべてこのNWOに繋がっているため、自由がまだある今の内に海外の人々のように団結し、政府に猛抗議しなければなりません。(非暴力を貫くのが大切です。このように言うことで、政府が強権を振るう口実となる暴動を起こすよう誘導している訳ではないので、誤解しないでください)

上記画像の右下に書いたとおり、今後気候変動への対策を名目に日曜休日、日曜礼拝が強制となる可能性が高いです。以下は、そのことに関するミカエル氏の言葉です。
また、コロナ犯罪と同じく、気候変動を名目にして都市封鎖が必要とか、週に一度完全な休日にして、二酸化炭素排出量を減らす必要がある等と規制を敷く可能性が高い。それに日曜休業令が繋がる可能性もある。詳しくは、拙者のブログを読みなはれ。ローマ教皇をはじめ、カトリックやイエズス会は日曜日を神聖視してる。そこから派生した正教会やプロテスタント等もすべて同じ。今や日曜礼拝が彼らの間で定着しており、これを全世界の人々に強要することにも繋がり得る。これは聖書どおりの安息日の否定であり、これも悪魔にとっては悲願とも言える神への最大の反逆で、それに従う人間は将来地獄行きとなる。獣の刻印とはこないな獣の法、秩序、言うことに従うことで押される霊的刻印や。ワクチンを避けるのも当然必要なことであり、支配層の所有物になりたくなければ、接種は断固拒否で、ローマ教皇を頂点とするカトリック、その他世の「キリスト教」と自称する教会に所属することも従うことも忌避すべきです。

引用元:キリスト道 本拠「・偽感染症騒動の次は気候変動詐欺や。」
安息日(金曜日の日没~土曜日の日没まで)は、天地創造の時から永久に変わらない掟であり、神と神の民とのしるし(出エジプト記三十一章十三節、エゼキエル書二十章十二節参照)でもある非常に重要な掟です。安息日について詳しく知りたい方は、ミカエル氏の記事「安息日の重要性とモーセの律法」をお読みください。先のワクチンに関する画像に「ルシフェラーゼ (luciferase)」とあったように、黙示録の「獣」であり、支配層の頂点のローマ教皇らは悪魔たる太陽神、堕天使の長ルシフェル(Lucifer、「光を帯びた者」という意味)を崇拝しています。そして、ミカエル氏が仰っているように彼らは太陽神崇拝が由来の日曜日を神聖視しています。故に、支配層は二酸化炭素排出量を減らすためと称して人々に日曜安息を強制し、本来の安息日を否定したがっているんです。こちら(Green Sabbath Project)にあるとおり、「緑の安息日計画」なるものが既にあり、日曜日とは明言していないものの、「地球」のために週に一度は車を運転せず、何もしない安息日にしてくださいとこの団体は言いよります。そして、「安息日は来るべき世界の前触れであると言われている」、「最大の環境問題は利己主義、貪欲、無関心であり、これらに対処するには精神的および文化的変革が必要」とも言っており、これはローマ教皇が「ラウダート・シ」(THE HOLY SEE  pdfファイル)で、「我らは文化的、霊的、教育的な重要課題に直面している」(二百二節参照)、「人は、自己中心的または自己完結的になる時、貪欲さを募らせる。心が空虚であればある程、購買と所有と消費の対象を必要とする。こうした地平においては、共通善に対する真正な感覚も無くなる。」(二百四節参照)、「我らは自分の生活を吟味し、行いや怠りによって神のものである被造界を傷付けてきたことを認め、回心、心の変革を経る必要がある。」(二百十八節参照)、「主日(※日曜日のこと)はユダヤ教の安息日と同様、我らが神との、自分自身との、他者との、世界との関わりを修復するための日である。主日は復活の日、新しい創造の『第一日』であり、その初穂は主の復活した人間性、全被造物の最終決定的な変容の確約である。この日は神の下における人間の永遠の休息を告げる日でもある。」(二百三十七節参照)と言いよったことと同じなので、この「緑の安息日計画」もローマ教皇の息が掛かったものと思われます。いずれ、日曜安息を主張し始めるでしょう。また、こちら(THE JERUSALEM POST  太陽暦二千二十二年十二月の記事)にあるとおり、偽ユダヤ教のラビ(指導者)であるウォーレン・ゴールドスタイン氏が、偽イスラエルにおいて日曜日を平日ではなく休日にするべきだと主張しており、「多くの(偽)イスラエル人が安息日を愛し、感謝しているが、誰も自分の生活様式が侵害されることを望んでいない。日曜日を休みにして週末を延長することが、安息日を分裂ではなく団結の日にするための答え」などと意味不明で矛盾したことを言い、「土曜日の安息日を守っている分、買い物や遊ぶための自由な休日が必要だ」という世俗的な甘い言葉をもって、今まで「日曜日は週の第一日目で平日」としてきた偽イスラエルに日曜休日と「日曜日は週末」という概念をもたらそうとしています。ゴールドスタイン氏は、日曜休日を多くの(偽)イスラエル人が支持するだろうと言っており、国内の「安息日の日は我慢して何もしていない分、自由に買い物したり遊ぶための休日が我々も欲しい」と思いよる人はそれに賛同して、少しずつ偽イスラエルも太陽神崇拝に侵食されていくと思います。安息日を国全体で守ってきた偽イスラエルでこうした話が出始めたことからも、終末の時が近いことを感じます。

明らかにこの世は崩壊しながら、あらゆる面(自然環境、政治、経済、宗教等)で極めて悪い方向に変わろうとしており、神に従うか、悪魔とローマ教皇らに従うかの二択をすべての人が迫られる時、主イエスがかつてない程の大きな苦難(マタイ二十四章二十一節参照)と仰った大艱難時代が迫って来よりますが、相変わらず聖書の教えを宗教扱いしたり、「聖書は支配層の計画書だ」と愚かで間違ったことを言って読みもしない人ばかりですし(偽りの噂を流したり、それに加担するのは律法違犯。出エジプト記二十三章一節参照)、たとえ聖書に興味を持っても、パウロ教(偽使徒パウロの偽福音、偽教義と古代ローマの太陽神崇拝等が合わさって出来たカルト宗教。カトリックやプロテスタント等のいわゆる「キリスト教」のこと)の虜になって不信仰者より悪くなりよる人だらけなのが現状です。主イエスと直弟子の十二使徒による真の聖書福音と預言、聖書の真理に従う人はほんのごく僅かであり、それ以外の人(世界人口の99.99%以上の人)は聖書を無視して「イエス・キリストや神の律法なんて知るか」と好き放題に生きていますが、それでも時は関係無く過ぎて行き、いずれ大艱難時代とすべての人の恩恵期間(神に立ち返って悔い改めることができる期間)の終わりを迎えます。世の情報から、これから大変な時代になることをある程度分かっている人も、「まぁ、今のままで大丈夫だろう」と呑気に考えたり、もしくは現実逃避をしよるのかもしれませんが、拙記事「機を失すれば二度と取り戻せない」で書いたように、人間は心身共にとても弱い存在であるため、殆どの人が先述した今後起こる災い(飢饉、移民との争い、災害、ワクチン接種者の脅威、政府の弾圧、戦争等)の中で正気を保てなくなって心が壊れたり、盗みや殺人や裏切り等の今まで考えもしなかったような悪事(律法違犯)に手を染め続け、「もう自分は元に戻れない程に汚れてしまった…」と絶望したり、次第に罪悪感が無くなって支配層と同様の血も涙も無い獣へと堕ちてしまうのではないかと思います。また、主イエスの終末預言に「そして、その時、多くの人が(信仰から)脱落し、互いに陥れ、憎み合うだろう。そして、多くの偽預言者が現れ、多くの人を惑わすだろう。不法が増大することにより、多くの人の慈愛が冷やされるだろうからや。」(マタイ二十四章十節~十二節 ミカエル氏訳。聖句引用元:真の聖書福音と預言「聖書の終末預言 一」※「不法」とは律法違犯のこと)とあったとおり、これから多くのキリスト者も信仰から脱落して悪を行うようになり、本当に悪い暗黒の世界へと変わっていきます。

漫画の話になりますが、「終わりのセラフ」という作品があります。この漫画は、ある登場人物が死んだ自分の仲間たちを蘇生し、そのことが神の禁忌に触れ、天罰として殺人ウイルスが広まって子供以外の殆どの大人が死に絶えて滅亡した世界を舞台にしたものです(この登場人物は、滅亡後の世界において全人類の蘇生を計画している)。世界滅亡と同時に海が毒に染まって血のように赤くなったとか、罪を犯した人間を罰するためにヨハネの四騎士(見た目は怪物)を召喚するラッパ吹きの天使(全部で七人の天使が居てそれぞれ能力が異なる。第五の天使は悪魔アバドンを召喚する)が登場したりと、明らかに聖書(黙示録)を基にした漫画で、滅亡後の世界とは大艱難時代を意識したもののように思います。この荒廃した世界を統治しよるのが吸血鬼で、吸血鬼の祖(律法に逆らい、堕天した存在)が配下として直接選んだ者たちを使徒と言っていたり、天使が人間を罰することだけを考えた理性が感じられない存在になっていたりと、聖書に対する悪意が感じられる描写が多々あります。吸血鬼の他に鬼という存在が居て、取り憑いた人間の深層心理を探って心の闇を見つけたり、その闇を刺激して欲望を解放するように迫る等、やっていることが実際の悪魔そのものであり、また、題名の「終わりのセラフ」の「セラフ」は、ヘブライ語の「שָׂרָף」(意味は「(炎の)蛇、セラフ(複数形はセラフィムで、熾天使のこと)」)であったりと、作者がそうした知識を持った人物であることが窺えます。殆どの人が普段意識していないことだと思いますが、確かに人間の心には自分でも気付かない醜い自我、闇があります。この自我こそが最も厄介な存在で、その人間の悪い心を明らかにするのが神の律法と聖霊です。神の品性を表した律法は鏡のようなもので、この律法と自分を照らし合わせることで自分自身の罪(律法違犯が罪。ヨハネ一 三章四節参照。「原罪」は偽教義で存在しません)を認識することができます。人は、神の律法を守り、洗礼をして真理の霊である聖霊を与えられ、日々祈って律法を基に自己点検しながら悔い改めていくことで、主イエスによって罪を赦されて清められ、少しずつ主イエスの品性に近づいていきます。某も祈る中で思いも寄らなかった醜い自我を知り、驚いたことが何度もあります。その自我を掘り下げていくと、忘れていた幼い頃の嫌な出来事が基になっていることもあり、人間の心の複雑さと性善説が大嘘であることを実感しました。信仰に招かれて神の律法を知るまで、自分がこれ程悪い人間であるとは想像もしていませんでした。人間は、自分のことを良く知っているようでまったく知りません。故に、これから多くの人が先述した災いに直面して初めて自分の心に潜んでいた闇に気付いたり、悪魔や悪霊に唆される(魔が差す)ことで衝動的に取り返しのつかない過ちを犯してしまうのではないかと思いよります。終わりのセラフという漫画には、「人間は十分辛い思いをしている。これ以上苦しめる必要があるのか」と主人公が天使(厳密に言うと天使に取り憑かれた人間)に問いかけたり、こんな腐った世界で闇を抱えていない者は居ないと言う登場人物が居ます。また、進撃の巨人という漫画では、ある登場人物が「自分は人を何人も殺した。それが私の悪魔」と言い、それに対し別の人物が「それは自分の中にも居る。誰の中にも、皆の中に悪魔が居るから世界はこうなってしまった」と言う場面があります。巨人は創世記六章四節にあるとおり、堕天使と人間の女との間に生まれたネフィリムのことなので、この漫画も聖書の記述から取ったものです。進撃の巨人はアニメも含めて非常に人気が高い漫画で、海外でも人気を博しており、こちら(pony canyon NEWS)によると、アニメに採用された「悪魔の子」という曲が世界六十六か国で一位(Apple Music J-Popにおいて)を獲得していたようです。悪魔と支配層が支配するこの世で人気を得るアニメや音楽等は、彼らの息が掛かったものが多く、この曲もその内の一つである可能性があります(歌詞は人間の心の闇を思わせる内容のもので、世界「六十六」か国というのも露骨)。最近、人間の負の感情や呪い、鬼等を扱った漫画やアニメが大々的に宣伝されて人気を得ているのは偶然ではないように思います。こうした漫画やアニメによって、「人間は皆、心に弱さや闇を抱えており、故に罪を犯すのは仕方ない。それが人間であり、その過ちや心の闇を責めるべきではない。(お互い様だから)」といった感じのことが広められたのだと思いますが、それは間違っています。「堕落した者は、その心の中で言った。『神など居ない』と。彼らは腐敗し、忌まわしい業を為した。善を行う者は居ない。主は、悟って神を求める者が居るか見つけ出すために、各天から人の子らを見下ろされた。その誰もが背いて、共に汚れていた。善を行う者は居ない。一人も居ない。」(詩編十四編一~三節 拙訳)と聖書にあるとおり、すべての人が神の律法に違犯した経験があり、肉体から来る欲や罪への弱さから、律法どおりに善を為し得ずに悪いことばかり行っているのは確かです。しかし、そんな罪深くて弱い人間でも、聖霊を与えられることで神の律法、掟、戒めを神への愛と共にすべて守り、罪に打ち勝つことができると証明するために(模範を示すためでもある)、神である主イエスは受肉して人間の身にまで御自分を低くされ、人間としての弱さを持ちながらも、ファリサイ派の者たちや大衆からの迫害(命を狙われたことも度々あった)、直弟子たる十二使徒の裏切り等の苦難を耐え忍ばれ、十字架刑によって死に至るまで律法を完全に遵守されたため、我ら人間はまったく言い訳できません。神は、遥か昔から人間に律法を守るようにと繰り返し説かれており、また、「イエスは、彼らを見つめて言われる。『人間にとっては不可能であるが、神にとっては違う。どんなことでも、神にとっては可能であるからだ。』」(マルコ十章二十七節 拙訳)と、神に不可能は無いことを示されているのに神を信じず、聖書の教え(偽使徒パウロとその仲間ルカの偽福音、偽教義を除く)を無視して自分の力や神以外の存在を頼りにしたり、「神の律法は、人間には守れないものだ。だからイエスが無力な我らの代わりに律法を遵守して十字架の贖いを成し遂げてくださった。故に、我らはもう律法の下に居ないから守る必要は無い」というパウロ教を信じて従った結果、悪魔や支配層に良いようにされたり、自我に打ち勝つことができず完膚無きまでに打ち負かされてしまっても、それはすべてその人が悪いのであって、誰のせいでもありません。自らの選択の責任は、すべて自らが負うことになります。


上記が神の律法で、今の世界は律法と真逆になっています。繰り返しますが、神は何千年も前から人間に本当の善悪と為すべきこと、人間本来の生き方を明示されており、その教えが詰まった聖書も現代では世界中に普及して各人が簡単に手に入れることができるようになりました。それなのに、皆が聖書を無視して好き放題に生きた結果が今の世界です。この悪い世を作り上げているのは、神に地の統治者・神の似姿として造られた我々人間(創世記一章二十六節~三十一節参照)であり、一人一人にその責任があります。「神が存在するなら、この世がこんなに悪くなる訳がないし、悪人が何も裁かれずにのさばる訳がない」と言う人が居ますが、神は何をすべきかを遥か昔から十分に伝えられているのにそれを無視し続けよる人間こそが悪いこと、悪魔や支配層だけでなく自分もその悪人の一人であること、皆が悔い改めることを望んで神は忍耐されよること(ペトロ二 三章九節参照)、神はすべての人間を律法を基に裁く時(最後の審判)を予め定められていること等を何も分かっていません。聖書のことを何も知らない人が、「神や聖書は◯◯だからおかしい」と言いよることはすべて勘違い且つ有害無益な愚言です。「聖書にそんなことが書かれていたなんて知らなかった」、「こんなに自分が弱く、非常時に悪いことをしてしまうとは思わなかった」、「悪を行うよう強制した支配層や、人間の心の闇を刺激して唆す悪魔が悪いのであって自分は悪くない」、「そもそも、不完全で悪い心を持つ人間を造ったのは神なんだから神が悪い」等の主張は、今後この世界を生きる上で(または、最後の審判が始まって神の御前に立った時に)まったく通用しません。特に古代イスラエル人、古代ユダヤ人の末裔である純日本人は言い訳ができません。日本には神社や神輿、和服、言語や祭等、数多くの古代イスラエル文化が残り、聖書も十分に普及し、真の聖書福音と預言が宣べ伝えられているが故に、「知らなかった」は通じません。純日本人がイスラエル人、ユダヤ人であることは、ミカエル氏が動画「真の聖書福音と預言 【第八回】日本はイスラエルである BIBLE, JESUS CHRIST, THE TRUE BIBLICAL GOSPEL AND PROPHECY」(BitChute)にて確かな根拠を基に論証されているので、視聴を強く勧めます。以下の画像は、この動画から引用したものとミカエル氏の記事「真のキリスト者に相応しい姿と信仰 前編」を参照して作成したものです。




いつも言っていますが、本当に残り時間は少ないです。これだけ人々が神の律法を無視し、悪くなる一方のこの世において、明日がある保証はどこにもありません。突如、大災害に巻き込まれるかもしれませんし、ワクチン接種者が運転する車が突っ込んで来るとか、増え続けよる不良外国人の手にかかることだってあるかもしれません。こちら(読売新聞オンライン)のような話も出始めているため、ネットもいつまで自由に使えるかも分からなくなってきました。また、一部の有識者が警告しよるように、今後は複数の災いが同時に起きて非常に大きな混乱に見舞われる可能性もあります。勿論、信教の自由があるため、聖書を信じる信じないは各人の自由ですが、まったく何も読まないのはとても勿体無いことだと思います。聖書は支配層の計画書ではなく、これまで述べたとおり、本当の善悪や人間本来の生き方、これから起こること、支配層の正体やその目的等を教えて人間が救われるように導いてくれる大変ありがたいものであり、世界の成り立ちや歴史、創造主である神がどのような御方であるか、どのような御計画を立てられているか等も書かれている真理の書です。繰り返しますが、世に出回る「キリスト教」(カトリック、正教会、プロテスタント等)は、偽使徒パウロの偽福音、偽教義と太陽神崇拝等の西洋の異教が混ざって出来たカルト宗教(パウロ教)で、主イエスと十二使徒の教えではありません。故に、「コロナの嘘にも気付かないキリスト教信者が多いから、聖書に真理は無いんだろうな」などと勘違いしてはいけません。

旧約聖書 箴言 三十一章六節~七節 (拙訳)
あなたたちは滅びる者に強い酒を与えなさい。沈んだ魂にぶどう酒を与えなさい。その者は酔ってその貧苦と苦悩を忘れるでしょう。もう、彼に思い出させてはなりません。

上記聖句の「強い酒」(「強いぶどう酒」とも訳せる)、「ぶどう酒」は、拙記事「世に倣う生き方には悔いしか残らない 後編 (二)」で書いたように、聖書の真理、真の聖書福音と預言以外の悪魔と支配層らによる滅びへと導くすべての嘘(パウロ教、仏教、イスラム教、コロナ教、ニューエイジ思想、トランプ氏やプーチン氏等を救世主として崇める、無神論、人間主義、大地球体説、地動説、進化論等)のことで、本記事の冒頭に貼った二つの画像に書かれていることが正にそうだと某は考えています。聖書の真理は宗教ではなく、こうした嘘こそがカルト宗教であり、信じた人を後で滅ぼす猛毒です。滅びる者」の原語「אָבַד」の原義は「さ迷う、自分を見失う」、定義は「落第する、落ちぶれる、元に戻る、失う」であり、聖書の真理を知らないためにさ迷い続ける不信仰者や、信仰に招かれたが脱落してしまった人等が「滅びる者」だと言えます。「沈んだ」の原語「מַר」には、「怒り、苦い、不平、不満、憎しみに満ちた、苛立つ」等の意味もあり、この単語が使われている箇所(創世記二十七章三十四節、エゼキエル書二十四章三十節~三十一節、ゼファニヤ書一章十四節等)から、「沈んだ魂」とは、時期を逸して取り返しがつかなくなったことによる大きな悲しみや後悔等から泣き叫んだり、苦悩に苛まれたり、逆恨みする人の魂と言えると思います。「酔う」の原語「שָׁתָה」の原義は、「(思想等を)吸収する、受け入れる、同化する」。「苦悩」の原語「עָמָל」には「不平、不満、不法、痛み、悲嘆、頑迷、邪悪、心配、惨めさ、労苦」等の意味が他にあり、大いに苦悩する不信仰者や信仰から脱落した人が、その悩みを忘れるために支配層らの耳触りの良い嘘を受け入れて同化するというのは、辛い現実を忘れるために酒や薬物等に溺れることと同じであり、悪魔崇拝者カール・マルクスの言葉「宗教は大衆の阿片」が思い起こされます。黙示録には、「地の王たちはその女(バチカン、ローマ・カトリックのこと)と姦通を犯し、地に住む者たちは彼女の姦通のぶどう酒によって酔わされた。」(黙示録十七章二節 拙訳)とあるので、真の聖書福音と預言に忠実に従って、悪い「ぶどう酒」で泥酔することなく常に目を覚ましていた真のキリスト者(神の民、神の子)以外の人は、「宗教どうしが協力しての、平和の歩みは可能である。神の愛は、宗教に拘らずすべての人にとって同じであり、無神論者に対してもその愛は変わらない」(「兄弟の皆さん」(THE HOLY SEE pdfファイル) 二百八十一節参照)、「神への賛美と隣人への愛に立ち帰ることで、我らの教義の一部が、文脈を離れて他者への侮辱、憎悪、排外感情、否定といったものにならないようにするのだ。暴力の根拠は宗教的信念ではなく、それを曲解したものの中に見出だされる」(「兄弟の皆さん」二百八十二節参照)、「宗教は戦争を煽ることも、憎しみ、敵意、過激主義を募らせることは無いと宣言する。こうした惨事を招いたのは、宗教の教えからの逸脱、一部の宗教集団による解釈の結果である。神は、人々を恐れおののかせるためにご自分の名が使われることを望んでいない」(「兄弟の皆さん」二百八十五節参照)という、罪を指摘して悔い改めを説くことを一切せず、「あんたは大きな罪を犯してしまったが、どんな人も神は赦して受け入れてくださる。自分を責めているかもしれないが、自分自身を赦さなければ幸せになれない。みんな違ってみんな良い。あんたはありのままで良いのだ」等の偽りの愛と偽善と嘘を語るローマ教皇に心を奪われ、世界統一宗教と日曜休日、日曜礼拝等を受け入れ(ラウダート・シに「主日は神、自分自身、他者、世界との関わりを修復するための日、復活の日、新しい創造の『第一日』で、神の下における人間の永遠の休息を告げる日」とあるので、日曜日が世界平和と統一の記念日になるかもしれません)、獣の刻印を押されて悪魔とローマ教皇の所有物(悪魔の子)になると思います(支配層は、殆どの人が自分たちに屈服するようになることを知っているように思う)。そして、「我らの神聖な日曜日を蔑ろにし、頑なに『自分自身の罪と向き合い、律法を守って悔い改めよ。さもなくば滅びる』と言って、これまで辛い思いをした人々を責め立てて心の傷を抉る不寛容で愛の無い聖書原理主義者、神の言葉を曲解して脅迫ばかりする異端者どもを捕らえよ」などとローマ教皇が命令し、獣の刻印を受けた人々も、神と共に歩んで清く生き、自分たちの悪を暴く真のキリスト者を憎んで迫害するようになると思います。神である主イエスと聖書を無視して、自分勝手に生きた先に希望はありません。

画像引用元:真の聖書福音と預言「聖書の終末預言 一

旧約聖書 エレミヤ書 六章十六節 (拙訳) 

主はこのように言われた。『あんた方は諸々の道の上に立て。そして、確と見よ。いにしえの道に「一体、どれが最良の道であろうか」と尋ねよ。その内をあんた方は歩め。そして、あんた方の魂に安らぎを得よ』と。だが、彼らは「我らは歩まない」と言った。


上記の「いにしえの道」、つまり主なる神の道こそが歩むべき最良の道であり、新約の時代である現代においては、主イエスが人間に模範を示すために自ら歩まれた道「キリスト道」です。これまで述べたとおり、世には悪魔と支配層が作った嘘が溢れており、それらはすべて人間を滅びへと導くものです。しかし、主イエスと十二使徒が宣べ伝えられた真の聖書福音と預言だけは違いますし、決して虚しいものではありません。この終わりの時代にあって、目を向けるべきは聖書のみです。真実は太古から確かに存在しています。時がある内に聖書を熱心に学び、命と真理の道であるキリスト道を歩む信仰の兄弟姉妹が現れることを願っています。



以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。