こんにちは。
今回は「聖書の真理と救いを求める人へ 一」と題して書きます。当記事の目次は以下のとおりです。

 

(一) 聖書に興味を持った人にまず知ってほしい事。

(二) 信頼できる人とは、主イエス・キリストや十二使徒等と言動が一致している人。

(三) 偽り者は、主イエスや十二使徒等と言動が一致しない。

(四) 最後に。

《本題に入る前に

周知に協力する人がごく僅かということもあって、今も殆ど知られていませんが、「真の聖書福音と預言」(アメーバブログ) の管理人であるミカエル氏が聖書を基に論証されているとおり、「キリスト教最大の伝道者、偉大な使徒」と世間で言われているパウロは偽使徒及び反キリストで、殆どの人がキリスト教と思っているカトリックやプロテスタント等は、「イエスを信じるだけで救われる」、「律法は廃止されたから守る必要は無い」といった、神である主イエス・キリストの教えとまったく違うパウロの偽教義を基にした偽キリスト教 (パウロ教) です。
そのため、当ブログではパウロ書簡とその仲間ルカの書簡の偽福音、偽教義、偽預言を除いたものを「聖書」と定義しています。
パウロが偽使徒であることについては、聖書を読み、ミカエル氏の動画『「パウロは偽使徒」の動画』を視聴することで「確かにそうだ」と確信に至るようになる筈です。(また後程触れます)

それでは本題に入ります。


(一) 聖書に興味を持った人にまず知ってほしい事。

前回の記事でも述べたように、この世は「人殺し、嘘つきの父、この世の支配者、全世界を惑わす者」(ヨハネ八章四十四節・十四章三十節、黙示録十二章九節参照) である悪魔と悪魔崇拝者の支配層 (ローマ教皇がその頭) 等に支配されており、そのため反聖書・反律法の悪い法や秩序、嘘偽りが世に溢れています。また、悪魔と支配層とその手下 (国際機関や各国政府等) は、コロナ犯罪や気候変動詐欺等によって必死に新世界秩序 (NWO) を樹立しようとしており、その矛盾だらけの大きな動きから、この世のおかしさに気付いた人がある程度存在します。そして、その中には、この悪い世に希望を見出せずに真理と救いを渇望しているが故に、世のおかしさに気付いただけに終わらず、自分の魂が求めているものを必死に探し続けた結果、聖書に辿り着いたという人も少数ながら居るかもしれません。


そのような人が聖書に興味を持ったり、実際に手に取ったのなら、それは喜ばしい事ですし、正しい選択です。ただ、それだけで救われたというわけでは決してなく、また、聖書は難解な書物なので、一人で聖書を読んで正しく理解できる人は皆無に近いと言える程に少ないです。某も自分一人で聖書を理解することはできませんでした。そのため、聖書を複数回通読してその全体像を把握すると共に、誰かから聖書を学ぶ必要もありますが、その人選を間違えると大変な事になってしまいます。

新約聖書 マタイによる福音書 七章十五節 (ミカエル氏訳)
偽預言者たちを警戒しなさい。彼らは羊のなりをしてあんた方のところに来るが、その内側は貪欲な狼である。

聖句引用元:真の聖書福音と預言『自分で考えることの勧め

新約聖書 ペトロの手紙二 二章一節 (ミカエル氏訳)
あんた方の中にも偽教師が居てるであろう。彼らは、有害な異端を密かに持ち込むだろう。自分たちを買い取りはった主を否定さえし、自分たちに速やかな滅びをもたらしとる。

聖句・画像引用元:真の聖書福音と預言『偽使徒パウロの反キリスト教義 四

主イエスとその直弟子である十二使徒筆頭のペトロが警告されたように、この世には滅び (地獄行き) に導く反聖書的な嘘を吹聴する偽り者、『羊のなりをする狼』が沢山居ます。そして、その偽キリスト者をキリスト者と誤認して聞き従い、キリストの教えと異なる反キリスト教義を信じて「イエス様を、福音の三要素を信じるだけで救われるんだ。イエス様は十字架の贖いによってモーセの律法を廃止されたから、キリスト者は律法を守らなくていい。洗礼を受けて律法とその呪いから解放されたキリスト者は、律法ではなく恵みの下に居るんだ」等と思っていると、当然その人も反キリストとして最終的に地獄で滅びるので、そうなりたくない人は、主イエスを証しする書物である聖書 (ヨハネ五章三十九節参照) の教えに忠実に従い、聖書において一切矛盾が無い真理を宣べ伝えている真のキリスト者を見つけて、その人から聖書を学ぶ必要があります。

当ブログで何度も言っているとおり、その真のキリスト者とは、「真の聖書福音と預言」の管理人であるミカエル氏です。ただ、彼のことを偽預言者等と言ったり、カルト宗教の教祖扱いしている者が今も多く居るので、当記事を読まれている方の中にも、そうした者たちのX (旧ツイッター) の投稿やブログ記事等を見て、ミカエル氏に対して疑いを抱いている人が居るかもしれませんが、偽り者かそうでないかは聖書から分かるので、なぜ牧師等ではなくミカエル氏から学ぶべきなのかを、これから聖書を基に改めて説明いたします。真理と救いを渇望されている方、偽り者に騙されたくない方には、知性と理性を最大限に駆使しつつ、(できれば聖書と共に) そのまま読み進めていただきたく存じます。真の信仰は盲信・盲従ではなく、知性・理性・行動による確信の先にあるからです。下の画像のような者になってはいけません。

新約聖書 マタイによる福音書 二十四章四節 (ミカエル氏訳)
誰にも惑わされへんよう、注意しなはれ。


《人工知能について》


ChatGPTやGrokといった人工知能 (AI) に頼りきりになって、自分の頭で真偽を判断することを放棄した人が増えていますが、画像にあるとおり、その人工知能には支配層の頭・悪魔の代理人であるローマ教皇が関わっているため、人工知能を盲信している人は悪魔とローマ教皇らの手の上で踊らされている状態と言えます。
支配層とその手下のプログラムどおりにしか動かない人工知能が、特に聖書について真実を教えるわけがないので (※そもそも教えることができない) 、人工知能に聖書やミカエル氏のブログについて尋ねる等の愚かな事をしてはいけません。人工知能を神であるかのように盲信している人は、ただの機械に過ぎない人工知能とその裏に居る悪魔と支配層を盲信する偶像崇拝者です。自分で考えて結論を出すことから逃げて、人間性を放棄してはいけません。(偶像崇拝は神の律法違犯)


(二) 信頼できる人とは、主イエス・キリストや十二使徒等と言動が一致している人。

某がいつも、聖書と共にミカエル氏の記事と動画から学ぶことを勧めている一番の理由は、彼が主イエスと十二使徒 (主イエスを裏切ったイスカリオテのユダを除く。→以後、省略) の教えに忠実に従って、その教えと同じ事を宣べ伝えられているからです。
もしかすると、「イエス・キリストはともかく、十二使徒の教えを重視するのは何故だろう。聖書に収録されている使徒の書簡は少ないし、目立たないからあまり注目していなかった」という方も居るかもしれないので、まず十二使徒について聖句と共に説明いたします。


※「 (参照) 」と書かれている聖句は、ミカエル氏がそうされているように、正しい底本である「受け入れられた原典」(以後、TR底本と表記) から某が翻訳したものです。(旧約聖書の聖句はマソラ本文から翻訳しています)
市販の日本語訳聖書が採用しているのは、改ざんされた「改訂版」(以後、RV底本と表記) で誤訳も多いため、口語訳や新共同訳等を引用せずに私訳を載せています。

ミカエル氏の記事と動画『動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 前編』から、某はこうした底本や翻訳の問題について学びました。
 



新約聖書 ヨハネによる福音書 十四章四節から五節 (参照)
『そして、我が何処へ行くか、あんた方は (既に) 知っており、その道も (既に) 知っている。』
トマスは彼 (主イエス) に言う。「主よ、貴方が何処へ行かれるのか、我らは (未だ) 知りません。どのようにして、我らがその道を知ることができるでしょうか。」

同上 十四章六節 (ミカエル氏訳)
我は道であり、真理であり、命である。我によってでなければ、誰も父の御許に行くことはない。

聖句引用元:キリスト道 本拠 (アメーバオウンド)


ヨハネ十三章から読むと分かるように、上の主イエスの御言葉は使徒たちに向けられたもので、要約すると「主イエスは、天に御座す父なる神の御許に行こうとされており、使徒たちはその父なる神の御許に向かう道を既に知っている。そして、その真理と命 (永遠の命、救い) の道は主イエス」となります。
福音書に書かれているとおり、十二使徒は神である主イエスに直々に選ばれて教育、訓練を受けた方々で、主イエスの約三年半の公生涯 (宣教活動や十字架による罪の贖い等) と死後の復活と昇天をその目で見ている、神に遣わされた主イエスの直弟子・証人です。(ルカ二十四章四十八節、ヨハネ十七章十八節、使徒言行録十章三十九節、四十一節等参照)
また、聖書における「道」の原語 (古代ヘブライ語:דֶּרֶךְ 古代ギリシア語:ὁδός) には、「人生の行路 (旅路) 、行動様式、行いの在り方」等の意味合いがあり、ミカエル氏の言葉『道とは、この仮の世の人生の旅路、即ち、生き方や行いの在り方を示す。』(引用元:真の聖書福音と預言『キリスト者と迎え入れる人が弁える事』) は正にそのとおりです。
よって、「天の父なる神の御許に向かう唯一の真理と命の『道』=主イエスの人生 (公生涯) の旅路、主イエスの生き方や行いの在り方」となり、故に主イエスは御自身の公生涯 (道) を常に見て学んできた使徒たちに、『 (あんた方は) その道を (既に) 知っている。』と仰ったのだと某は考えます。

新約聖書 ヨハネによる福音書 十三章十三節 (参照)
それ故、主または師である我が、あんた方 (十二使徒) の足を洗ったのであれば、あんた方も互いに足を洗い合わねばならない。
我があんた方にしたとおりに、あんた方もするようにと、我があんた方に模範を示したからだ。
→「イエスを主、師と仰ぐキリスト者は、師を模範として同じようにしなければならない (十字架による罪の贖い等、主イエスにしかできない事は除く) 」がこの御言葉の主旨で、「主イエスが模範として示されたのは足を洗うことだけだから、キリスト者はそれだけ真似れば良い」というわけでは決してありません。
また、マタイ二十八章二十節とマルコ十三章三十七節から分かるように、主イエスが使徒たちに仰った事・実行するようにと命じられた事は、使徒だけでなく、すべての人が守らないと (行わないと) いけない事です。

新約聖書 ペトロの手紙一 二章二十一節 (参照)
まさにこのために、あんた方は召されたのです。というのは、キリストも我らのために苦しみ、その足跡に続くようにと、我らに模範を残されているからです。
→TR底本では、上記のとおり「我らの (ἡμῶν) 、我らに (ἡμῖν) 」となっていますが、RV底本では「あんた方の (ὑμῶν) 、あんた方に (ὑμῖν) 」となっており、ペトロが上の主イエスの御言葉「~ 我があんた方に模範を示したからだ。」を忘れて、「自分はキリストと関係無い」と言っているかのようにされています。

新約聖書 ヨハネの手紙一 二章六節 (参照)
彼 (神) の内に留まっていると言う人は、彼 (主イエス) が歩まれたように、その人自身も同じように歩まなければなりません。

上の主イエスの教えと使徒ペトロと使徒ヨハネの教えは正に同じであり、彼らが主イエスの教えをしっかりと理解して心に刻んでいた事や、先述したマタイ二十八章二十節とマルコ十三章三十七節のとおりに、自分たちが受けた主イエスの教えを他の人にも伝えて「守りなさい」と仰っていた事が分かりますし、トマス等の他の使徒たちも「我らの模範である主イエスに倣って、その足跡に続きなさい」と、同じように人々に教えて主イエスの道 (キリスト道) を伝道されていたでしょう。

そして、某の信仰の兄弟である栄助氏が『主イエスの道の起点には悔い改めの声あり』(アメブロ「真理は聖書にある」) で仰っているように、キリスト道の始点には悔い改めを呼び掛ける声があり、これも非常に重要な事です。旧約聖書のマラキ書三章一節のとおりに、主イエスが公生涯を開始される前に現れて、キリスト道を用意された洗礼者ヨハネ (エリヤの働きをした神の使者) と主イエスは共にまず悔い改めを説かれました。そして、十二使徒も人々を悔い改めさせるために宣教されていました。この「悔い改め」とは簡単に言うと、「神の律法に違犯してきた (罪を犯してきた) ことを悔いて、これ以上律法に違犯しないように、それまでの行いや生活様式等を改める (罪を犯さないようにする) こと」です。その根拠は以下のとおりです。


「悔い改めない人は皆滅ぶ (地獄行きになる) 」(ルカ十三章三節、五節参照)
「悔い改めは命 (永遠の命、救い) に繋がる」(使徒言行録十一章十八節参照)
「第二の死 (地獄行き) は罪の報い」(ヤコブ一章十五節参照)
「罪とは神の律法に違犯すること」(ヨハネ一 三章四節参照)

よって、「悔い改めない人は皆滅ぶ (地獄行きになる) 」=「律法違犯を改めない人 (罪を犯すのをやめない人) は皆滅ぶ (地獄行きになる) 」となります。神が統治される天の王国への入国が許可されて救われるには、悔い改める (律法違犯を改める) 必要があるのは間違いありません。




新約聖書 ヨハネによる福音書 十四章二十三節から二十四節 (参照)
イエスは答えて彼に言われた。『もし誰かが我を愛するなら、その人は我が言葉を守るだろう。そうすれば、我が父はその人を愛され、我らはその人の所に行って、その人に住まいを造るだろう。我を愛さない者は、我が言葉を守らない。あんた方が聞いている言葉は我がものではなく、我を遣わされた父のものだ。』
→「言葉」の原語「λόγος」には「教え」の意味もあります。

同上 十三章二十節 (参照)
確かに、確かにあんた方に言っておく。我が遣わす者 (十二使徒等) を受け入れる人は、我を受け入れ、我を受け入れる人は、我を遣わされた御方 (父なる神) を受け入れる。
→マタイ十章四十節にも同じ事が書かれています。
また、受け入れる」の原語「λαμβάνω」には「認める、信じる」等の意味もあり、上のヨハネ十四章二十三節~二十四節を含めると以下のようになります。


〇主イエスを愛する人は、主イエスの教え (=父なる神の教え) を守る。
当然その人は、主イエスとその教えを受け入れている (認めている、信じている) 。
〇主イエスとその教えを愛して受け入れる人は、主イエスと洗礼者ヨハネを遣わされた父なる神とその教え・主イエスが遣わされた十二使徒とその教えも愛して受け入れる。(当然、その人は洗礼者ヨハネとその教えも愛して受け入れる)
〇つまり「父なる神の教え=主イエスの教え=十二使徒の教え=洗礼者ヨハネの教え」ということで、それは先のヨハネ十三章十三節とペトロ一 二章二十一節、ヨハネ一 二章六節の内容や悔い改めを呼び掛ける言葉が一致していたこと等からも事実だと分かる。


そして、十二使徒と洗礼者ヨハネの言動が神と一致していたのは、彼らが主イエスと同じように父なる神から聞いた教えを人に伝え、あらゆる真理に導く聖霊を与えられて、その聖霊に従っていたからでもあります。(ルカ一章十五節、ヨハネ十六章十三節、使徒言行録二章四節等参照) 

一旦、これまで述べた事を以下にまとめます。(少し補足しています)


〇主イエスの人生 (公生涯) の旅路、主イエスの生き方や行いの在り方は、天の父なる神の御許に向かう唯一の真理と命 (救い) の道であるキリスト道。そして、その道の始点には悔い改め (律法違犯を改めること) を呼び掛ける声がある。

〇キリスト道は、主イエスがすべての人に向けて示された模範、足跡。
この悪魔が支配する悪い世で多くの苦難に遭いながらも、最期まで父なる神を愛して忠実に従い、神の律法 (掟) を守り続けて罪を犯さず、死後に復活して世と罪と死に打ち勝たれた主イエスと同じように、主イエスを仲介者とする新しい契約を結んで聖霊を与えられ、最期まで神を愛して忠実に従い、神の律法を主イエスが示された信仰と共に忍耐して守り抜いた人は、死後に復活して世と罪と死に打ち勝ち、神から永遠の命を与えられて救われる。(マタイ二十六章二十八節、黙示録二章七節、十節、二十六節・十二章十一節・十四章十二節等参照)

〇十二使徒は主イエスに直々に選ばれて教育と訓練を受け (人々を悔い改めさせるために宣教もしていた) 、主イエスの昇天の後に聖霊を与えられ、その目で見て学んだ主イエスの教え、キリスト道を人々に伝道し、自らもその道を歩み通した主イエスの直弟子・証人。その十二使徒の教えは、主イエスと父なる神と洗礼者ヨハネの教えと同じで、十二使徒を受け入れる人は主イエスと父なる神と洗礼者ヨハネも受け入れる。


ここまでお読みになった方なら、十二使徒とその教えを軽視してはならないことがお分かりになったかと思います。「十二使徒を軽視する人=神 (父なる神、主イエス、聖霊) を軽視する人」は事実であり (エリヤの働きをした洗礼者ヨハネを軽視する人も神を軽視している) 、後の世におけるイスラエル十二部族の統治者にもなる十二使徒 (マタイ十九章二十八節参照) の書簡が、今の「聖書」にほんの少ししか収録されておらず、逆に反キリスト教義を吹聴した偽使徒パウロの書簡が異様に多いのは、パウロを信奉した西洋の異邦人たちの仕業です。(参照元:真の聖書福音と預言『偽使徒パウロの反キリスト教義 三』)

↑主イエスの教えとパウロの教えは正に真逆です。


ここでミカエル氏の記事から引用します。

しかし、主イエスは、罪の贖いのための犠牲となるだけに地上に来られたのではありません。人間が信仰によって神の律法、掟、戒めに従えることを証明する模範となるために来はりました。多くのキリスト者は、犠牲となった主イエスを愛していると口先だけで言うが、それだけではまったく不十分です。主イエスは、我々が歩むべき道を示され、神に従順になれるかを教えられ、行動によって、どのようにして我々が神に従うのかを見せてくださいました。その主イエスの愛に気付いて、真似て行いで示すべきです。我々は主イエスを信じて、聖霊を受けて生まれ変わって、主イエスのように罪に打ち勝つ者になれるのです。主イエスの受肉という真理こそが、朽ちることのない福音であり、キリスト者の基礎を成すものです。これを知らずして、キリスト者と名乗る者は、にわか信者です。
引用元:真の聖書福音と預言『主イエスの受肉
※記事の投稿日は、太陽暦二千十七年四月二十一日。

主イエスを畏れ、師として敬い、模範として従順に従うことこそが唯一の正しい道であり、そのことを知ることが正しい知恵の初めです。いわば、キリスト道です。私はそう呼ぼう。
畏れるというのは恐れるとは違い、びくびく怖がるという意味ではありません。愛と尊敬の気持ちから来るものです。地獄に行きたくないからという理由で無理に信じたつもりになる人は利益信仰者であり、にわかクリスチャンです。個人の名誉、社会的地位等の名誉は捨てるべきものです。それらを捨てた上で、神の律法、掟、戒めを守って人生を最期まで主イエスの信仰を持ち、従順に従い通せば神から名誉の証として永遠の命を授かります。
引用元:真の聖書福音と預言『武士道を忘れた日本人
※記事の投稿日は、太陽暦二千十八年七月十三日。

福音書の冒頭を読んで分かるように、主イエスや、先立って教えを説いた洗礼者ヨハネに共通したことは「悔い改めよ」ということ。悔い改めを律法主義と言うてる嘘つきも居るさかい、注意せい。そないな者どもは偽教師や。口先だけで主イエスを信じると公言するだけで救われるんやない。悔い改めとは、律法違犯をして罪を犯すことをやめ、信仰前にしとった生活様式を完全に変えて改め、ただ主イエスを模範として仰ぎ見て神の律法に従い、神の御国を目指して方向転換することや。
引用元:真の聖書福音と預言『偽使徒パウロの反キリスト教義 三
※記事の投稿日は、太陽暦二千二十一年十一月二十四日。

このようにミカエル氏は、八年以上前から主イエスと十二使徒と洗礼者ヨハネと同じ事、キリスト道を伝道されており、今もまったく変わることなく、各記事で何度も悔い改めを呼び掛けられています。
某は、上の『主イエスの受肉』や『ゲツセマネの祈り』を初めて読んだ時、「このように言っている人をこれまで見たことが無いけど、確かに聖書の記述と矛盾しておらず、正しい。この人はどうして主イエスの真実を語ることができるんだろう。まるで、その目で主イエスを見たかのようだ」と思いましたが、「それは、真理の霊であり、主イエスを証しする聖霊をミカエル氏も与えられているからだ」と今なら分かります。

新約聖書 ヨハネによる福音書 十四章十五節から十七節 (参照)
もしあんた方が我を愛するなら、我が掟を守りなさい。そうすれば、我は父に願い、彼は永遠にあんた方と共にいられるように、別の補助者 (聖霊) をお与えになるだろう。
→TR底本では「あんた方は~を守りなさい」(τηρήσατε) と命令形になっていますが、RV底本では「あんた方は~を守るだろう」(τηρήσετε) と未来形にされています。

新約聖書 使徒言行録 五章三十二節 (参照)
我ら (十二使徒) はこれらの事の、彼 (主イエス) の証人です。そして、神が御自身に従っている人たちに与えられた聖霊も (証人です) 。
→RV底本では「彼の」(αὐτοῦ) が削除されています。

上の聖句から分かる事を以下に書きます。


〇主イエスを愛する人は神の掟を守る。これは、先述したヨハネ十四章二十三節「主イエスを愛する人は主イエスの御言葉、教えを守る」と同じ。

〇聖霊は、主イエスを愛して神の掟を守る人・神に従う人にだけ与えられる。また、この事からも、「神に従う=主イエスを愛して神の掟を守ること」だと分かる。
ミカエル氏の言葉『聖書では主なる神は、昔から一貫して「神の御言葉、律法、掟、戒めを守れ」とすべての人間に命じてはり、それらを「行う」ことが神に従順と言えるとしてる。』(引用元:真の聖書福音と預言『偽使徒パウロの反キリスト教義 七』) は正しい。

〇天に御座す父なる神と永遠に生きる (救われる) には、まず聖霊を受ける (→神を愛してその掟を守り、従う) 必要があり、これは主イエスの御言葉「命に入りたいなら (救われたいなら) 掟を守りなさい。」(マタイ十九章十七節参照) 等と繋がる。
※ヘブライ六章四節~六節等から分かるように、「聖霊を与えられた人は救いが確定する」というわけでは決してありません。


神である主イエスと神に属する十二使徒、洗礼者ヨハネ等と同じ事を語られている (聖霊を与えられている) ミカエル氏は、確かに主イエスを愛して神の掟を守り、神に忠実に従っている真のキリスト者なので、真理と救いを渇望されている方、偽り者に騙されたくない方はこのような人をこそ信頼して、彼のブログ記事と動画から学ぶべきです。

次は、滅び (地獄行き) に導く反聖書的な嘘を吹聴する偽り者について見ていきます。ここまでお読みになった方なら、その偽り者の言動が如何に反聖書的でおかしいかが良くお分かりになる筈です。


(三) 偽り者は、主イエスや十二使徒等と言動が一致しない。

新約聖書 マタイによる福音書 二十三章九節 (ミカエル氏訳)
また、地上で誰もあんた方の『父』と呼んだらあかん。天に御座すあんた方の父 (※父なる神) はお一人やさかい。

コリントの信徒への手紙一 四章十五節から十六節 (ミカエル氏訳)
キリストにあってあんた方は数え切れへん指導者を持っても、多くの父を持ってへん。キリスト・イエスにあって、福音のために、我はあんた方の父になったからや。それ故、あんた方に勧める。我が追従者になれ。

同上 十一章一節 (ミカエル氏訳)
我が追従者になれ。我がキリストのそれであるように。

聖句引用元:真の聖書福音と預言『偽使徒パウロの反キリスト教義 七

フィリピの信徒への手紙 三章十七節 (参照)
兄弟たちよ、あんた方は我が模倣者になれ。そして、あんた方が我らを模範とするように、同じように歩んでいる者たちを注視しなさい。

ガラテヤの信徒への手紙 四章十二節 (参照)
あんた方は我のようになれ。我もまた、あんた方のように (なったように) 。

ミカエル氏が『偽使徒パウロの反キリスト教義 七』で仰っているように、偽使徒パウロは主イエスの教えに反して自分自身が父なる存在になったと豪語し、更には「我が追従者になれ。」、「我が模倣者になれ。」、「我のようになれ。」と、繰り返し主イエスではなく自分に従え、自分に倣えと命令しています。(「あんた方は~になれ  γίνεσθε」は命令形) 
本物の使徒であるペトロとヨハネが、手紙に「我に従え」と書いたことは一度もありませんし、ミカエル氏もそうです。何度もこのように言ったことから、パウロが一時の気の迷いで「我が追従者になれ。」等と書いたわけではないことが明らかですし、『ファリサイ派の分際で、なんで人々の父になれるのかね。なんでそのファリサイ派の偽使徒に追従せなあかんのや。完全におかしいやろ。』とミカエル氏が仰ったとおり、これは本当に有り得ない発言です。
これまで述べた事から分かるように、主イエスの教えを守らず、十二使徒等と違ってキリスト道ではなくパウロ道を伝道していたと言っても過言ではないパウロが、神を愛しておらず、聖霊を与えられていなかったのは間違いありません。聖霊を与えられていたなら、主イエスや十二使徒等とまったく違う教えを吹聴することは無いからです。

新約聖書 ヨハネの黙示録 一章十一節 (参照)

(主イエスは) こう言われる。『我こそがアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。あんたが見ている事を巻物に書き記して、アジア州にある教会に送れ。エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアへと。』

→RV底本では「我こそがアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。」( Ἐγώ ἐιμι τὸ Α καὶ τὸ Ω, Ὃ πρῶτος καὶ ὁ ἔσχατος·) 、「アジア州にある」(ἐν Ἀσίᾳ) が削除されています。黙示録二十二章十八節~十九節にあるとおり、このような黙示録の改ざんを行った者は確実に地獄行きです。


テモテへの手紙二 一章十五節 (参照)

あんたはこの事を (既に) 知っている。アジア州の人々が皆、我に背を向けたことを。


黙示録はテモテへの手紙二よりも後に書かれたもので、偽使徒パウロのローマをはじめとする西洋の教会ではなく、パウロを見限って離れたアジア州の人々の教会にだけ、主イエスが救いに繋がる預言と慈愛に満ちた叱咤激励 (黙示録二章~三章参照) 等を使徒ヨハネを通してお伝えになった事は、注目すべきことだと思います。

旧約聖書 詩編 九編十八節 (参照)
(神の律法を守らない) 邪悪な者ども、神を忘れている諸国民は皆、陰府に帰る。
→陰府とは、真のキリスト者以外の不信仰者や異教徒 (パウロ教信者を含む) が死後に下って行き、地獄に行くまで留置される所です。

新約聖書 マタイによる福音書 十六章十八節 (参照)
我もまた、あんたに言う。あんたはペトロ (岩) である。そして、我はこの岩の上に我が教会を築く。陰府の門も、それ (主イエスの教会) に打ち勝たないだろう。
→主イエスの教会には陰府の門も打ち勝つことができない、つまり陰府ではなく天の王国に向かう教会ということです。

十二使徒筆頭のペトロは、上の主イエスの御言葉どおりに教会を立ち上げ、そのエルサレム教会 (主イエスの教会) では幾万人ものキリスト者たちが熱心に律法を守っていました。(使徒言行録二十一章二十節参照)
そして、「我ら (十二使徒) との交わりは、父なる神とイエス・キリストとの交わり」(ヨハネ一 一章三節参照) と言った使徒ヨハネがアジア州の教会に送られた書簡に、「我はヨハネ、あんた方の兄弟イエス・キリストの忍耐と王国、苦難における仲間である。」(黙示録一章九節参照。RV底本では「キリスト  Χριστοῦ」の言葉が削除されており、他にも細かいところが変えられている) と書かれている事や、アジア州の教会の中には主イエスが高く評価された人も居た事から (黙示録三章四節、八節~十一節参照) 、パウロを見限って離れたアジア州の人々の教会は、エルサレム教会と同じく、神の律法を守ってキリスト道を歩む人たちで構成されていたのではないかと某は考えます。(※ラオディキア教会に対する主イエスの評価等から分かるように、皆が立派なキリスト者というわけではなかった)

新約聖書 ヨハネの黙示録 十八章四節 (参照)
我が民 (神の民) よ、彼女 (大バビロン=ローマ・カトリック) の中から出て行け。彼女の罪に加わらないように、彼女の災いを受けないように。

パウロの偽福音・偽教義と古代ローマの土着宗教 (悪魔たる太陽神や女神等を崇拝する古代バビロン宗教が大元) から生まれたローマ・カトリックと、その分派である正教会やプロテスタント等の諸教会に所属している人、パウロとその反キリスト教義を信じている人は、そのままでは死後に必ず陰府に下り、主イエスから「あんたらの事はまったく知らない。我から離れよ、不法 (律法違犯) を行う者ども。」(マタイ七章二十三節参照) と言われて拒絶され、地獄行きになるのは間違いありません。そうなりたくない人は偽使徒パウロではなく、主イエスとその教え「天地が滅びるまで律法 (十戒だけではない) を絶対に廃止しない。救われたいなら掟を守りなさい」(マタイ五章十七節~二十節、十九章十七節参照) 等に従うべきです。

画像引用元:真の聖書福音と預言『「パウロは偽使徒」の動画

下のXの投稿 (上のミカエル氏の動画を基にしたもの) からも分かるように、パウロが偽使徒である事を理解するのは決して難しくなく、小学生でも理解できる程にミカエル氏は分かり易く解説されているのですが、こちら (note) のようなパウロを狂信する者たちはそれをまったく理解できず、主イエスと十二使徒と同じ教えを宣べ伝えられているミカエル氏を、聖書上の正当な根拠を示さずに偽預言者等と言ったり、カルト宗教の教祖扱いして誹謗中傷しています。(これは、主イエスに真っ向から逆らっているに等しい悪行)
何故こんな事になるかというと、彼らが主イエスと真理を忌み嫌って拒絶し、神である聖霊を冒涜するという決して赦されない罪 (マタイ十二章三十一節~三十二節参照) を何度も犯したが故に神から裁かれ、救われることが無いように悪霊を送られて正常な理解力等を失っているからです。こうなると人間にはどうしようもなく、たとえどんなに噛み砕いて聖書の真理を伝えても、マタイ十三章十五節等のとおりに、文字が見えないのか、耳が聞こえないのかと思う程にまったく話が通じず、却って口汚く罵る等して噛みついてきて、更に罪を重ねるので放っておくしかありません。(悪霊については下の投稿でも触れています)

 

↑先のnoteの記事の著者であるパウロ狂信者「お真実といっしょ」は、マスクの有害性すらも理解しておらず、『マスクをつけるな』も強要罪』と意味不明な事を言ったり、ミカエル氏に愛が無い等と言っていますが、彼のXの口座を見ると分かるように、この人は普段、ワクチンの危険性等を殆ど周知せず、日本でコロナワクチン接種が始まる前にその恐ろしさを必死に訴えていたわけでもありません。
しかし、ミカエル氏は、『コロナウイルスと5G』や『キリスト道 本拠』(このサイトは太陽暦二千二十一年三月に開設された) 等から分かるように、コロナ騒動の初期から偽感染症騒動であることを見抜き、コロナワクチンを打って後悔する人が現れないようにと多くの情報をまとめて、日本で接種が始まる前からその危険性を必死に訴えられていました。
こうした行いから、「お真実といっしょ」こそ愛が無く、自分の事を棚に上げて善人ぶる偽善者、悪霊に支配された悪魔の子であることが明らかで、下の主イエスの教えの正しさや真のキリスト者と偽キリスト者の違いも分かります。愛があるかはすべて行いに表れるのです。


画像引用元:真の聖書福音と預言『人を判断する基準




上の画像からも分かるように、牧師も偽使徒パウロとその反キリスト教義を信じて「福音の三要素を信じるだけで救われます。イエス様は十字架の贖いによってモーセの律法を廃止されたから、キリスト者は律法を守らなくて良いのです。洗礼を受けて律法とその呪いから解放されたキリスト者は、律法ではなく恵みの下に居るのです」と、ユーチューブ等で滅びをもたらす反聖書的な大嘘を平然と吹聴しており、そんな偽教師たちに人を見る目等がまったく無い多くの自称キリスト者が盲従して、「先生、いつもありがとうございます」等と言って褒め称え、逆に真のキリスト者であるミカエル氏と聖書の真理には見向きもせず、先のパウロ狂信者たちのように誹謗中傷する者も多く居るという状態が九年近く続いています。


神の律法を無視して守らない (神を愛さず、従っていない) が故に、聖霊を与えられていない牧師たちは、イルミナティ等を従えている悪の元締めイエズス会の偽りの神学に洗脳されている「盲人」でしかなく、その盲人を牧師という肩書きだけ見て盲信する者も同じく盲人であり、盲人が盲人を手引きすればどちらも穴に落ちる (滅ぶ) ことになります。(マタイ十五章十四節等参照。当記事の「一」に書いたように、騙された者も同罪)

この悪魔が支配する悪い世で (偽りの) 権威を持つ「世の権威」(国際機関や教育機関、報道機関、各国政府、大企業、有名人等) や学者、医師、牧師等の肩書きを持つ者とその嘘は信じるが、主イエスや十二使徒とその他の真のキリスト者は信じず、救いに繋がる聖書の真理に耳を傾けないというのは、下の画像のとおり、「羊」「山羊」(マタイ二十五章三十一節~四十六節参照) という属性の違いによるものでもあります。

↑「羊」は人類全体の0.01%以下の超少数派です。

新約聖書 ヨハネによる福音書 十章二十七節 (参照)
我らの羊は、我が声 (主イエスの御声) を聞く。そして、我は彼らを知っており、彼らは我に従う。

同上 八章四十六節~四十七節 (参照) 
何故、あんた方は我を信じようとしないのか。神から出た者 (神に属する者) は、神の言葉を聞く。それ故、あんた方は聞かない。あんた方は神から出た者ではないからだ。

この属性は人間には変えられず、また、人間には誰が主イエスの失われた「羊」かは分かりませんが、当記事の「一」の画像にあったように、主イエスの御言葉 (主イエスの御声) が心に響く人や、聖書とミカエル氏が仰っている事の正しさを理解した人は神に招かれている可能性があるので、真理と救いを渇望されている方はその招きに素直に従って、聖書と共にミカエル氏の記事と動画を最初のものからすべて学び、それを実践することを強く勧めます。行いの伴わない信仰は死んだものであり、また、主イエスは行いに応じて報いをお与えになる御方だからです。(ヤコブ二章二十六節、黙示録二十二章十二節等参照)
主イエスや十二使徒等と言動が一致しない (悪霊に支配された) 偽り者、『羊のなりをする狼』に聞き従ってはいけません。


《他に知っていただきたい事》

画像引用元:真の聖書福音と預言『実を結ばな滅ぶ

ミカエル氏が上の記事で仰っているように、主イエスの公生涯末期以後、ユダヤ人に救いの希望は一切無く、パウロもその希望が失われたユダヤ人の一人です。この事実からも、パウロが神に選ばれていない偽使徒で、希望の無いパウロの教えに従っていると滅ぶことが分かります。

↑これは千六百十一年版の欽定訳聖書 (KJV) の静止画で、使徒言行録が終わってパウロ書簡 (ローマの信徒への手紙) が始まる前の所に、悪魔崇拝者フランシス・ベーコンによる不気味な悪魔の絵が描かれています。ベーコンは、パウロが悪魔の僕であったことを分かっていたのかもしれません。

↑この画像の聖句を含め、ミカエル氏は原語から正しく翻訳して、本当の聖書の御言葉を各記事に載せられています。この事も、某が聖書と共にミカエル氏の記事と動画から学ぶことを勧める理由の一つです。

画像引用元:唯一の真理である聖書に依拠して (アメブロ)『実を結ぶための絶対条件

上の画像は、かつてはパウロ教の教会に通っていたものの、ミカエル氏のブログを知って改心された、某の信仰の兄弟である結士氏が作成されたものです。この画像に書かれている事も確かにそのとおりなので、結士氏が仰っている事も参考にされてください。

画像引用元:真の聖書福音と預言『洗礼者ヨハネとキリストの再臨前のエリヤ

上のミカエル氏の記事と『エリヤを信じひんのなら滅びる』等にあるとおり、主イエスが再びこの地上に来て、悪に染まりきったこの世を裁いて滅ぼされる日である「大いなる恐るべき主の日」(マラキ書三章二十二節~二十四節参照) が来る前に、人々に広く悔い改めを説き、人々が神に立ち返るのを妨げる過去の偽福音や偽教義の誤りを指摘して弾劾し、主のためにキリスト道と神の民を用意して「すべてを修復する」(マタイ十七章十一節参照) 預言者エリヤが現れます。
現代は聖書の終末預言が実現し始めている終末時代であり、預言者エリヤと称されるべき人は既に現れているので、このエリヤにも注意を払わねばなりません。また、以下の栄助氏の言葉も非常に重要です。先述したとおり、キリスト道の始点には悔い改めを呼び掛ける声があります。

神の民は神の使者の声(言葉)を聞き分けます。何故なら属性が同じだからです。「羊は彼の声を聞く。」(ヨハネによる福音書十章三節参照)と主イエスが述べられたように、神の民は神や神の使者の声(言葉)を聞き入れます。それ故に、洗礼者ヨハネの悔い改めの勧告を聞いた神の民は、その声(言葉)に引き寄せられ、無数にある道の中から迷うことなく唯一の道である主イエスの道キリスト道に導かれるのです。このエリヤの働きをする人の声(言葉)が主イエスの道かその他無数にある地獄に通じる道かを区別する道標なのです。よって、悔い改めについて言及しない道はすべて地獄に通じます。
引用元:真理は聖書にある『主イエスの道の起点には悔い改めの声あり


(四) 最後に。

拙者は、聖書を一回通読し終えた時、主イエスに心を打ち砕かれました。主イエスは正しい御方であり、偽りが無いし、従うべき御方やと聖書を読み終えてすぐに確信しました。もっとも、「聖書を読め」と他の誰かに執拗に言われた訳でもないし、拙者は自分で決めてそうした。それ以後、知ってのとおり、拙者はブログを書き始め、真の聖書福音を伝え始めました。その後も聖書通読を繰り返し、あれこれ調べるうちに市販聖書の翻訳が誤ってるとか、底本がそもそも誤ってることも知りました。その他、この世が悪魔崇拝をする極悪人の支配層に支配され、多数の庶民も知ってか知らずかに拘らず、支配層やその傀儡の政府に漫然と従ってる実態も把握し、世の諸教会の誤り、世間では使徒と信じられてるパウロが偽使徒であり反キリストである、太陽暦(グレゴリオ暦)は詐欺的な暦であり正しい暦ではない、一日は時計の零時で日付が変わるのではなく日没が一日の始まりであり終わりであること、この地は平面であり宇宙や重力等も無い、日曜日は安息日ではないし休日でもない、七曜の呼び方がそもそも誤りで西洋の異教に由来する、西洋かぶれすることは主イエスの教えに反する等、他では教えられへん非常に多くの有益な情報をまとめ上げて当ブログや動画で伝えてきたとおりです。拙者がやってきた事は、他者が取って代わる事がでけへんものです。実際、太陽暦二千十七年二月から拙者は伝道を開始し、それから八年以上も経った今、拙者と同等かそれ以上の働きをした人が居たであろうか。別に拙者は自分を高めるために言うてるんやないで。素直に客観的に考えてみたら分かると言うてるんや。もし拙者が伝道活動をしなかったとしたら、どうなっていただろうか。聖書の真理を知る者は今も居らんかったであろう。そこんとこをあんたらはもっと真剣に考え、理解したら、然るべき行いをするべきです。世の終わりが迫ってる危機感を持つ人は少しずつではあるが、微増してるやろ。何か大きな事件が起きる度に、世に対して疑問を持つ人が出て来たやろ。二千一年の米国での二つの高層建物が爆破された事件で気付いた人や、二千十一年の大震災を契機に目覚めた人や、二千二十年から始まった偽感染症騒動で目覚めた人、色々居るやろ。しかし、時は有限であり、いつまでも時があるのではないし、いつか終わりが来る。目覚めへんより何かをきっかけに目覚める方がマシではあるものの、これ以上何か大きな事件が無いと目覚めへんのでは手遅れになる可能性もある。この世の存続期間も有限であるし、各自の人生の時間も有限や。拙者は今まで何遍もこの事についても警告してきた。せやから、少しでもこの世に疑問を持ったなら、さっさと聖書を手にし、通読しなはれ。当ブログや動画からも学び、滅びひんために各自の生き方や言動を改めなはれ。
引用元:真の聖書福音と預言『神に砕かれるか、神に逆ろうて滅びるか

上のミカエル氏の言葉は確かにそのとおりで、彼が福音伝道をされていなければ、某も聖書の真理を知らずに今も不信仰者のままだったのは間違いありません。当記事で述べた事も、その殆どがミカエル氏から学んだものです。
先述したコロナワクチンの事も含め、ミカエル氏がこれだけの働きをされてきたその原動力は、神と隣人への大きな慈愛 (見返りを求めない本物の愛) に他ならず、この神と隣人を全身全霊で、自分のように愛することこそが、律法の中で最も重要な掟です。(マタイ二十二章三十六節~四十節参照)


前回の記事にも書いたように、悪魔を崇拝する支配層に従わねば物の売買ができない (生活できない) 超監視管理社会が構築されつつあり、もう時間が無いので、繰り返しになりますが、「聖書とミカエル氏のブログは正しいかもしれない」と思われた方にはすぐに学んで実践し、ミカエル氏が明らかにして伝道されている唯一の真理と命の道「キリスト道」を歩んでいただきたいです。


主イエスが人間の模範として歩まれた道「キリスト道」は確かに狭く苦しい道ですが、決して一人きりで歩むわけではありません。主イエスは新しい掟として「 (信仰の兄弟間で) 互いに愛し合いなさい」(ヨハネ十三章十四節、十五章十二節・十七節参照) と命じられました。キリスト道を歩むキリスト者の集まりこそが真の教会であり (教会は建物ではない) 、そこに主イエスはおられます。(マタイ十八章二十節参照)
某は信仰の兄弟が居なければ、とっくの昔に信仰から脱落していました。「もう駄目だ、自分なんかにキリスト道を歩むなんて最初から無理だったんだ」と思ったことは何度も何度もありますが、その度に某と同じように苦しみながらも頑張っている兄弟の姿を思い出し、また、励ましを受けることでこれまで何とか踏ん張ってこれました。人は、一人でキリスト道を歩み抜くことは絶対にできません。
もし当記事をお読みになった貴方が、ミカエル氏が設立された「神のイスラエル教会」にこそ主イエスがおられると確信し、我々と共にキリスト道を歩みたいと強く思われたなら、下の『「兄弟の集いの場」の廃止の告知』に書かれている事を熟読して、それに従って行動されてください。その上で何か分からないことがありましたら、一人で悩まずにお気軽に投稿されてください。アメブロの「メッセージ」でも構いません。



次も、聖書とミカエル氏のブログについて書きます。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。