こんにちは!!
とうとう長女の前歯が抜け、長女を見る度に
ついついハロウィンのかぼちゃを思い出してしまい
困っているmacoです。
そっくりやないか。
むしろ全く同じやないか(笑)
さてさて、このクッソ長い高千穂の旅レポを読んでくださっている皆様
ありがとうございます
神々の降りてきた場所である高千穂の記事で
エネルギー満載の写真もいっぱいですから
きっと読んでるだけでいい事あるはず!!
というわけで、今までのお話はこちらからどうぞ
(どんだけあんねん)
さてさて、天岩戸神社東本宮で
「大御神社へ行きなさい」と言われ
ナナフシまで出てきて観念したmacoは
コンビニランチを車で頬張りながら
(もちろん運転は神旦那さん)
高千穂から車で1時間以上かかる日向市の大御神社(おおみじんじゃ)を目指して走り出したのでした。
連日ずーーっと本当に良い天気で、南国宮崎らしく
そりゃマンゴーも育つわな!と言わんばかりの気温でございました。
グーグルマップで見てみると、大御神社のすぐ側に「龍宮(鵜戸神社)うどじんじゃ)」と書かれている神社があって
「あぁ、ここにまず行かなければ」と感じて
鵜戸神社は大御神社の境内社のようだったので、大御神社の駐車場を目指すことにしました。
そして引き続きグーグルマップを見ていると。。。
大御神社の北に「五十鈴川(いすずがわ)」という川があって
大御神社のある海岸はなんと「伊勢ヶ浜(いせがはま)」という名前
「五十鈴川」と「伊勢ヶ浜」・・・
え?伊勢神宮とめっちゃ関係してるんじゃ・・・・
と思いながら調べてみると、やはり関係が深いらしい。
「出た!また伊勢神宮だ!」と思いながら駐車場に到着して
子供達が引き続き爆睡していたので、また神旦那さんと交代で行こうかと
車を降りると・・・一人のおじさんが近づいてきて。
「よかったらご案内しますよ。」
と一言
え?ご案内??え?
と思いながら聞いてみると
なんと、定年後にボランティアで鵜戸神社のガイドさんをなさっているんですって
後で聞いたら、毎日いるわけではなくて時間があるときだけいらしゃるらしい。
なんちゅータイミングやねん!!
しかも、続けてそのおじさんの知り合いのご婦人も現れて
「お子さん寝てるなら、見ていてあげるからご主人も一緒に行っておいで」
と言ってくださって(神か!)
突然現れたガイドさんと一緒に鵜戸神社へ向かうことに。
昔、この場所には「日知屋城(ひちやじょう)」というお城があったそうで、「日向三城」の一つとして有名なお城だったんですって。
ガイドさんの話によると、私の故郷である豊後の国(大分県)を治めた大友宗麟とも関係が深かったそうです。
途中に見えた「亀石」カワイイ
鳥居をくぐって進むと足元に
「龍宮」の文字が(ちっさい!www)
こんな階段を降りて行くと
切り立った崖のくぼみに突然洞窟が現れます。
なんかね、歩きながら江ノ島の岩屋を思い出していました。
江ノ島の岩屋の近くにも亀石があるもんね。
ここ、足元が結構ゴツゴツしていて
うちの長女はこういう足元が不安定な場所はとっても怖がるので
だから寝てたのか!と納得でした
(神様とご婦人ありがとうございます)
そして洞窟の中へ。
私ね、こういう洞窟系のところってあんまり得意じゃなくて。
洞窟って、波動の低い存在達も寄って来やすいので
嫌だなと感じたら入らないようにしているんですが
(江ノ島の岩屋とかね)
ここは午後4時頃になってしまったにも関わらず全然大丈夫でした。
洞窟内にはカニがいっぱい(笑)
この鵜戸神社のご祭神は
豊玉姫の子神である『ウガヤフキアエズノミコト』
天孫降臨の神『ニニギノミコト』
豊玉姫の夫神で山幸彦の名前で知られる『ヒコホホデノミコト』
神武天皇の祖母である『トヨタマヒメノミコト』
山幸彦が竜宮城に行く手助けをしたと言われる『シオツツノオオカミ』
だそうです。
お社の前で祝詞を奏上して
天岩戸神社東本宮で預かった玉手箱的なものをお渡ししました。
お参りが終わると
案内してくださっているガイドのおじさんが
「もうちょっとそっちに立ってみて!」
「もうちょっとそっち」
「その辺から入口を見てみて」と教えてくれて
入口を見てみるとなんと!!!
鳥居の上から光輝く龍が!!!
写真に撮ってみるとさらに1匹増えて
陰陽太極図のような姿が
これやん
すごーーーーーーー!!!
この天に登る龍は最近になって見つかったんだそう。
ある研究所の先生が大御神社の宮司さんと共にこの鵜戸神社へやってきた時
その先生はこの洞窟を見て違和感を覚えたんだそう。
自然にできたように見えた洞窟は、実は人の手によって彫られた跡があって
特に鳥居を過ぎた辺りの突き出した岩壁は
人の手が加えられている洞窟なら
お社の奥まで光を取り込もうとするはずなのに
この出っ張りによって光が入らなくなってるのが
特に不自然に感じて
「なぜだろう・・」とつぶやきながらお社の前に立ってみると
なんとそこには光り輝く白龍が浮かび上がっていたんだそう。
宮司さんは言われるままその場所に立ち、天に昇る龍を見て感動で身が震えたそうです。
撮りやすい場所から普通に撮るとこうなの。
ね?不思議な位置にお社があるでしょ?
邪魔しないようにしゃがんでくれるガイドさん
ここは昔から龍が住む場所と伝えられていて
冬になるとこの龍宮に籠る人もおられたそうで
その先生が仰るには、「当時は年に何度か空の星がこの龍の目の位置にピタッと入ったでしょうね。」と。
まさにこの洞窟を龍宮として、昔の人々が龍神を信仰してきた証しが見つかった瞬間だったんだそうです。
いやー、すごい話ですね。。。
しかも、この登り龍が見つかる数年前、大御神社の境内から
巨大なさざれ石が見つかったんですって。
その巨大なさざれ石の下にはいつも水と土が溜まっている、不思議なすり鉢状の窪地があって
宮司さんはずっとそこが気になっていたけど、いつも水が溜まっているから掘れずにいたところ
不思議なことに、東日本大震災が起こった2011年のお正月から4月まで全く雨が降らず、その水たまりが完全に干上がった。
これはと思い、震災の一か月後の4月12日から彫り始めると、そのすり鉢状の壁には渦巻のラインが入っていて
その中心には直径1mのタマゴ型の丸い石が置かれているのが見つかったんだそうで
その姿は、とぐろを巻いた龍が生命の源を表す玉を守っているようだったそうです。
この「龍神の玉」は約5000年程前に人工的に作られたものだということがわかり
縄文時代の人々が岩を刻んで龍神を表し、祈りをささげていた事がよくわかる場所となったそうです。
水が溜まるとこんな感じ
私達が見たときは、水がかなり溜まっていて濁っていたので玉はうっすらとしか見えませんでしたが
確かに自然にできたものではないなーと感じました。
そして、この龍神の玉が見つかってほどなくして、洞窟の登り龍が見つかったんだそうです。
この2つの龍が、東日本大震災の直後に見つかるって…
なにか意味があるんだろうなぁ。。。
この龍神の玉がある大御神社は
天孫降臨の際にニニギノミコトが立ち寄り天照大御神を奉祀した場所に社殿を建てたそうです。
神武天皇も東征に出発する際にこの大御神社に立ち寄って祈願されたと伝えられているんですって。
明治以前までは「天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)」と称されていたほどの
由緒正しい神社だそうです。
今でも、「日向のお伊勢さま」と呼ばれていて
それもそのはず。神門をくぐったところから氣が一気に変わります。
伊勢神宮と同じような、めちゃくちゃ清浄な氣をまとっています。
ご本殿の前に立つと黒猫ちゃんがお出迎えしてくれました。
とても氣高い黒猫です。
黒猫さんに見守られながら祝詞を奏上し、ここでも玉手箱をお渡ししました。
(どうやら2個預かっていたらしい)
すると、私の大好きな葉山の森戸神社の光景が広がりました。
え?なんで森戸神社?
でもね、確かに森戸神社と似てるんですねー。
広さも違うし、御祭神も違うし、お社の感じが特に似てるっているわけでもない。
でも、何かが似てる。
海を背に建つ神社だからなのかな。。。
遠く離れた葉山の森戸神社と何か関係があるのかはわかりませんが
この大御神社に行った翌日に突然、葉山の森戸神社リトリートの依頼が入ってきて
3週間後には森戸神社でプチリトリートをやることになるっていう。。。
なんだこの流れ。。。ぜったいまた知らぬ間に何か運ばせられてるやつや(笑)
日向のお伊勢さま。五十鈴川に伊勢ヶ浜。
そして、三重の伊勢にも「日向」という地名があること。
伊勢神宮よりも遥か昔から天照大御神が祀られていて
さらに、「天照皇大神宮」と名乗れるのは伊勢神宮の内宮だけ。
やっぱり伊勢神宮と深い関係がありそうだ。。。