小説と未来 -122ページ目

43. 廃工場でのひと時

 廃工場の中はまだ安定している。


 話は再び廃工場から始まります。

 

 倉本と木島が周囲の見張りをしている以外は、皆ここに時間を過ごす。

 睦美と金原の女二人は食堂で昼食を作っている。ちなみに工場内は水道以外は全て止まっているので、電池式のランプやガスコンロを使って、軽いアウトドアのような設備を使って動かしている。


『外は静かだ。雨は降っていない』

 柏木は反物(たんもの)の材料がたくさん置いてある部屋の天窓を見つめて、ただ退屈な時間を潰している。近くでは桐平という顔の綺麗な若い男がギリシャ神話の本を読んでいる。頭の弱い小菅もその傍でNINTENDODSで、シューティングゲームを楽しんでいる。


 篭城(ろうじょう)生活は続いている。なんともないふりをしているが、心の中では嫌な予感が高まっている。いつ攻めてくるかわからないSATに囲まれて息が詰まっている。溜め込んだ食料品もいつまでも持つわけではない。こんな状態がいつまでも続くわけがない事は、小菅でさえも感じている。


 桑野はトイレから出てきて、大きな溜息を一つ付いた。食堂に、機械室、断裁室、作業部屋、トイレ、どこを見てもそれなりの広さのある部屋がある工場だが、さすがに2週間も続くと工場は異様に狭く感じられる。普段から走り回っているわけではないが、走り回れるスペースでも欲しくなってくる。

 退屈な時間だ。それでも堪えていられるのは、この先の達成感があるとまだ信じているからだ。皆、若手を慕い、最終的にはうまくいくと心の奥底で信じている。


 小さな事務所では若手と響が何日も変わらない時間を過ごしている。若手にとっては全て響に懸っている。響が口を割らない事には先へと進めない。

確かに俺は知っている。あなたが知りたいと思っている事実を知っている

 どれだけか、幾日か、とても長い時が流れて、響はやっと口を開いた。

「やっと話してくれる気になったんだな」と、若手は言った。


 響 :「それで、それを知ってから、あんたはそいつをどうするつもりだ?」


若手:「そうか、それが知りたいか。いいだろう。教えてあげよう。君にも知る権利がある。

    その時は、世の中に知らしめる。その人物がこの世にいかに愚かな行為をしてきたか、

    そしてそれ相応の罪を償(つぐな)ってもらう


 響 :「それじゃあ、駄目だ。あなたには何も教えられない。教える気になれない」


若手:「どうしてかな?」


 響 :「俺は、あんたよりずっと強く、あんたの求める人物を恨んでいる。だから処罰は俺が下す。

    つまり、俺がそいつを消すんだ


若手:「そうしたいわけか」


 響は頷く。


若手:「それでここに来たわけだね」


 響は再び頷く。


若手:「君は、そいつを殺したいというわけだな


 響は三度(みたび)頷いた。


若手:「君は、人を殺した事があるか?」


 響 :「ない!(きっぱり言い切る)」


若手:「それなら、やめておいた方がいい。もしそれをすれば、

    君は一生人を殺したという罪の意識を引き摺る事となる。人生にはしないほうがいい事もある


 響 :「知ったような言い方をするんだな。あんたは人を殺した事があるのか?」


 若手は鼻で笑い、「君の想像するとおりだよ」と答えた。


 それがどちらを意味するのか、響にはわからなかった。響は目の前にいる男が人を殺したのかどうか、それがいかに重要な問題かという事を考えるだけだった。


若手:「さあ、答える気はあるのかな?君が知る上位の人物を


 響は再び口を塞いだ。口に鍵を掛けて、また話す事を止めてしまった。

 今のままでは、話しても自分の思うようには行かないと、響はそう感じて、口を閉ざした。



「青々とした空が見たいな」

 小さな曇りガラスの天窓を見つめながら、桐平は言った。

「そうだね。空がみたいね。綺麗な青い、ありのままの空を」と柏木は答えた。

 柏木は近くに立てかけてあったギターを手に取った。そしてゆっくりと小さな音色を奏(かな)で出した。音色にそって、柏木は柔らかい声で歌い始めた。

 その歌声は裏の部屋にいる響たちへも微かに届いた。遠慮がちな声だが、澄んだ空気の中で音色が優しく伝わってきた。

 響は歌い人(柏木)の歌声が好きだった。その歌は知らない歌だったが、響の心を優しく包み込んでくれた。


『 暗い海の底に沈んだ日でも 

                   青空を飛んでいる


  強い風にタンポポの綿毛が

                  未来へと運ばれてく


  向かい風だろうと

                 翼にして


  ねえ  ぼくらも羽ばたけるかな         』


 響にはその歌が何の歌かはわからなかったが、その歌声から伝わってくる優しさは行き詰っていたつらい気持ちをふと楽にしてくれた。響だけでなく、その歌声はメンバー全員の心にそっと優しく伝わっていた。


「可能性はまだあるのかな?」と、桐平は呟いた。

近くにいた桑野が、「さあな。でもきっと若手さんが何とかしてくれるだろうよ」と答えた。


 食堂から出てきた睦美が皆に食事が出来たことを知らせていた。

「食事ですよ」と睦美が言って、若手は厳しい顔を解いた。

「今はやめよう」と、若手は響に言った。

 詰まり出していた気持ちの全てが崩された。響は若手の意見に頷き、昼食を取ることにした。

「柏木や睦美がいなかったら、俺たちはもうすでにここにはいられなかった事だろうよ」

と、若手は言った。

 響はその言葉の意味がよく理解できた。そして、居酒屋『ふくちゃん』の事を思い出していた。この廃工場にいる連中は響の仲間ではないが、居酒屋『ふくちゃん』の常連と一緒にいるような居心地のよさがあった。その感じを響は十分に感じ取っていた。


 昼食はつかの間の休息となった。

 でもそれは長くは続かない。安らぎの時はいつまでも続かない。誰もがその事を知っていたが、その事が現実となるのはもう少し後の事であった。


44話へ続く


 本話に出てくる柏木の歌は「Bank Bandのはるまついぶき」です。

42.もう一つの日暮里スーパー爆破事件

 池袋メトロポリタン口で馬込(まごめ)と市谷(いちがや)と夢見警部(ゆめみけいぶ)は会い、近くのカフェレストランで話をする事とした。



 話は1999年から2001年までの出来事だった。その出来事を夢見警部が語り出した。


 若手旋斗(わかてせんと)は当時29歳、警視庁に未然処理班が出来て、4年後の出来事だった。その当時の未処は個々に能力の持った人物がいて、各自が独自の調査を追求していた最も忙しい頃だった。

 若手としても同様の事、彼は4年間続けていた麻薬犯罪者の撲滅作戦に取り組んでいた。未処発足後の3年間は、若手はとても器量のいい有能な人物として評価されていた。鋭い嗅覚で麻薬の常習者、売人を見つけ、そいつを付けて捕まえていた。

 しかし4年目にはその仕事に疑問を持ったのだろう。彼は麻薬の常習者を見逃し、小売の売人からその大本となる売人を探し始めた。当時未処を取り仕切っていた小河(こがわ)課長は若手の成績(常習者を逮捕)が落ちた事を酷く否定していた。小河は「今までのやり方でいいんだ」と忠告したが、若手はそれに納得いかなかった。

 もともと未処の役割は大きな犯罪に繋がる初犯の事件をしっかりと見つめて潰してゆく事が与えられた使命だった。だから若い麻薬常習犯を捕まえ、そういう若者が未来に大きな組織に入らないように摘んで行く。それで十分な仕事だったからだ。大きな仕事はマル暴のような組織が務めればいいことだったからだ。

 それでも若手は独自のルートを使い、つまりは自分で捕まえた若者を味方に付け、売人の上を探し出した。そして1999年、若手は桑野という麻薬中毒者だった若者を使い、売人の大本を調べ始めた。



 1999年冬だった。

 若手は薬物中毒更生施設を出てきて行き場のなかった桑野を迎えに行った。若手は桑野に飯屋で飯を食わせながら話を始めた。最初は世間話だったが、やがて突っ込んだ話になっていった。


若手:「桑野、教えてくれないか?おまえだってこいつ(薬)に苦しめられたんだろ?

    無駄金を払わされ、いいように使われてたんだろ?おまえだって恨んでいるはずだ。

    だからそいつを叩きのめさないか?」


 桑野は若手の言葉など気にもかけず、久々にシャバで喰うマグロ丼を堪能(たんのう)して笑っていた。


若手:「俺はな、この仕事に賭けているんだよ。何のためか、そいつはどうでもいいんだ。

    親父のためでも、復讐でもなんでもない。

    最初はそうだったかもしれないが、理由なんて途中からどうでもよくなっちまった。

    俺はただ、生まれてきた意味としてこいつを成し遂げたいんだ。

    薬を敵にし、そいつに打ち勝つ。ただそれだけだ。俺はそいつに関わってこの年齢になった。

    だからな、俺はもうやり直せない。社会のルールとか善意とかそんなものはどうでもいい。

    ただ俺は薬(やく)を嫌う奴がいて、そいつを処罰する役として俺がいる。

    俺はやらなくちゃならない。これは俺に与えられた戦いなんだ」


桑野:「若手さん。あんたの熱いのは嫌いじゃないですよ。

    正直、迎えてくれたのがあんたで嬉しかったっすよ。けど、どうして俺なんかに聞くんですか?

    俺にとってはもうどうでもいい事なんすよ。

    そんな危険な事にもうこれ以上首を突っ込みたくはないんす。

    出来る限り楽に生きたい。もう過ちはごめんですから、関わりたくないんですよ」


若手:「狂わせた物に対する恨みがあるのなら、人生を狂わせたそいつを恨んでいるのなら、

    そいつを叩きのめしてみないか?

    これから先の人生があるかもしれない。

    でもおまえはこの先何があってもこの過ちから逃れられない。

    それを見過ごしてなんとか生きてゆくこともできるだろうよ。

    でもさ、関わっちまった以上はそいつを一発叩きのめしてから先へ進みやしないか?

    過ちを隠し通すくらいなら、過ちを犯させたそいつを敵に回して叩きのめしたいだろ?」


 飯も食い終わり、久々にビールも飲んで、煙草も吸った。桑野は悪い気はしなかった。でも残っているのはこの先の不安のみだった。そして若手のいう事も理解できた。どんなに何かがあろうと今後桑野には犯罪者としてのレッテル張られてくる。何とか与えられた職業に就こうと、いろいろな意味で制限された人生を送らなければならない事は確かだ。


桑野:「でも、俺はもう、どうでもいいんすよ。若手さんはすごい人ですよ。

    そう思える考えもあるし、実行力もある。頭だっていいし、打ちのめせる力だってある。

    俺にはできないですよ


若手:「桑野、おまえに出来ることでいいんだ。それだけでおまえは意味がある。

    そうしてくれれば俺はおまえが苦しい時にいつだって力になってやる


 その言葉は心底信頼のおける言葉だった。若手の瞳の力もあった。だから桑野は答えた。


桑野:「いいですよ。俺に出来ることだけなら、少しなら。でも俺から言ったって言わないでくださいよ」


若手:「ああ、それはもちろん。保障するよ」


 若手は原宿の裏路地辺りをうろうろする少年たちを見つけた桑野の話ではその辺りに大量の薬物を持つ男がよく顔を見せるという事だった。そしてそれを元に若者が若者に売り捌(さば)き、それは末端まで売り捌かれ、使われ消えてゆく代物だった。

 1999年冬より、若手は翌年春先までその活動を続けた。若手は末端の売人を見つけては捕まえない代わりに、自分にそいつを売り捌いた人物を聞いていった。やがて若手は一人の男に行き当たり、その男が大本の人物である事を特定する直前まで漕(こ)ぎつけた。あとはその男が麻薬を売り捌いている現場を発見するのみとなっていた。

 ところが2000年、それは予想もしない出来事で中止となった。未処のトップである小河からの活動停止命令だった。


小河:「聞いてはいるんだ。君が大きな事件の捜査をしている事を。

    わたしもそれは認める。だが未処のような小さな部署でその調査をこれ以上続けるのは危険だ。

    だから君にはその捜査から手を引いてもらいたい。

    もちろん、その捜査は別部署がしかるべき形を取って追及される事となるし、君の手柄である事も

    認められるだろう」


若手:「しかし、このまま、ここまで来て手を引くわけには」


小河:「まあ、気持ちはわかるがね」


 そしてそのまま若手は事件から強引に手を引かされる事となった。


 その頃、事件の事を夢見警部は若手から聞いていた。若手の調査でわかった事は、売人のボスは身長180cmくらいで、すがすがしい顔をした男、名前はわからないが、一見は普通のサラリーマンのように見え、原宿のいくつかのポイントで夜中の23時~24時の僅か1時間だけ姿を現し、アタッシュケースから赤いハンカチを出す。それが印であるという事だった。

 後はもはやそいつを捕まえるだけの状況まで来ていた。しかしその捜査は未処課ではしないように、との通達された。

 一度は若手もその通達に従った。

 しかしそれから半年間、捜査は何の進展もないままだった。もはや捕まえるだけの状況なのに、どうしてその捜査が動かないのか、若手には理解できなかった。だから再び冬となった2000年12月、若手は再び原宿での調査を開始した。そして若手はその男を見つけた。

 男はアタッシュケースを持ち歩き、人気のない裏路地へと消えていった。そして若者が座り込んでいる中に入り込むとアタッシュケースの中からハンカチを取り出し、そいつを胸ポケットに差し込んだ。それを見た若者たちは彼の周りに近寄り、彼に金を渡した。男はアタッシュケースの中から白いビニール袋に小分けされたそいつを若者たちに渡していった。

 若手はそこで捕まえる事が出来た。

 しかし若手にはまだ知りたいことがあった。その薬物がどこから来ているかいう事だった。若手は今まで売人の若者たちにしてきたようにその光景を見過ごした。だが今回ばかりはその男に話を聞こうとはしなかった。すでに事件はかなりでかいところまで来ている。たとえば若手がその男に話しかけた瞬間、どこかからか狙撃されてもおかしくないといったレベルの状況である。そうでなければあれだけの若者に囲まれながら堂々としていられるはずがないとも考えられる。

 若手はその男を付け、その男の居場所を発見した。そこは日暮里にあるこじんまりとしたスーパーだった。男はそんなところを薬物の倉庫として扱っていたのだ。そしてその夜が過ぎた。


 その翌日だった。

 大きな発見に胸躍らせていた若手だったが、小河からは思いもよらない通告を受けた。


小河:「わたしもこんな事は言いたくないのだが、誰かが君の行動を見ていたらしいんだ。

    それでね、こんな事を言いたくはないが、君にはしばらく自宅謹慎(きんしん)してもらうことになった。


若手:「ふざけすぎですよ。理解できませんね。もう俺には理解できないね


 そして、日暮里の麻薬倉庫の事実は若手の胸の内にしまわれることとなってしまい、若手はその後、未処に戻ることはなかった。


 市谷も若手がその後、未処に戻ってこなかった事を知っている。

 夢見警部はその後、若手の夢の中からその事実を知る事となる。これは夢見警部が夢見といわれる特技から若手の夢の中を覗き、見つけるが、夢見警部は危険な匂いを感じ、胸の内へと閉まっておいた。



 それから半年後、日暮里スーパー爆破事件は起こる。そのスーパーは馬込が始めてあった大事件。ずっと追い続けてきた事件の起きた場所である。そして若手が追い続けていた男は松嶋、日暮里スーパー爆破事件で亡くなった男だ。



 もう一つの日暮里スーパー爆破事件。

 ここからは若手の脳の記憶での出来事である。


 若手は警官を辞めた後、ずっと日暮里のスーパーの男を追っていた。その男の名前は松嶋康孝。見た目は普通の男だが、裏ではやたらと金を稼いでいた。悪い遊びもしないし、家には綺麗な嫁と一人娘がいる幸せな家庭生活を営む男だ。

 その男が麻薬を売り捌く理由はただ一つ、ただのゲームなのだ。彼は何も気にせず、ただばれないように麻薬を売り捌くというゲームを楽しんでいた。

 ゲームのルールはこうだ。ある男が日暮里のスーパーに新鮮な魚(くすり)を直送してくれる。そしてそれをスーパーで保管し、ある夜に売り捌く。儲けた金はある口座に振り込み、その一部が返還される。ある日、松嶋はなぜかこのルールに則(のっと)ったゲームに参加する事となった。

 それさえうまく行っていれば松嶋は全てがうまく行く気がしていた。金はどうでもよかった。ただそれを成し遂げる事の自信が欲しかった。実際それがうまく行ってからは何事にも恐れなくなった。金に対する余裕もあったし、何よりも成し遂げる事に対する達成感が強くあった。

 一方、若手は松嶋を桑野に張らせていた。桑野は仕事ないままの日々を過ごしていたので、若手のおじの援助もあり、それなりに金のあった若手が世話を見る事となった。

 フリーになった若手はその後、麻薬の取引場へ頻繁に顔を出していた倉本を引き抜き、世の中を変えたいと願う連中を募った。倉本は若手には苦手分野であるネットを使い、化学に詳しい金原を加わえた。さらに麻薬を嫌う中華料理屋の金子が加わってきた。


 そしてついにその日はやってきた。

 松嶋はいつものように出勤してきて、スーパーの倉庫整理をしていた。朝方8時までにはほとんどのトラックが搬送を追え、10時には倉庫裏に溜まった搬入物が整理され終わっていた。11時頃、遅れてやってきた一台のトラックがあった。トラックを運転してきたいかつい顔の男は一個だけの発泡スチロールの箱を松嶋に渡し、その場を離れていった。

 それを見ていた桑野はすぐさま若手にその状況を知らせた

 近くの駐車場でスタンバイしていた若手はこの日を待っていた。若手は小型の爆弾で箱を爆破させて、人々に麻薬犯の事実を知らしめる事を想定していた。そして同時にトラックのいかつい男も捕まえてやろうと、倉本に付かせていた。

 チャンスは僅かしかなかった。

 発泡スチロールの箱を冷凍室に運んでしまえば、冷凍庫に鍵を掛けられてしまい、中に入るのは困難となってしまう。しかしその日はついていた。冷凍庫に入れる前にアルバイトの店員が松嶋を呼んだのだ。若手はその瞬間を逃さずに爆薬を発泡スチロールの箱が乗る台車に仕掛けた。

 そして脇に身を潜め、その時を待った。

 松嶋は近づき、その台車を引いた。にやっとするはずだった若手の顔色は青ざめた。爆薬があまりに大きすぎたのだ。素人に作らせたとはいえこんな事になろうとは若手も思ってはいなかった。全ては失敗に終わった。麻薬は爆薬の威力で燃えきってしまった。倉庫に一時保管している全ての麻薬を売り捌いてしまう松嶋はその時は倉庫に麻薬を全く残していなかった。一瞬にして、麻薬の事実は全て闇に葬りさられてしまった。

 唯一残されたのがトラックの運転手だった。倉本はその男をつけたが、爆発に駆けつける野次馬の中、そいつを見失ってしまった。そして自分たちもやばくなったのを感じ、その場を離れる事となった。


 2005年、台東区上野で見つけたトラックの男=まさを、新しく加わった柏木(かしき)に張らせ、チャンスを待つことにした。若手は幼少時代を共に過ごした木島などを味方に付け、次の時が来るのを着々と待っていた。


 まさが死に、響が麻薬の運び屋となり、今この時まで時は流れた。

ただ、あの爆薬は強すぎたのだ』と、若手はもう一度自分の罪を見つめ直した。その事実を知る者は若手とその部下数人しかいない。



 夢見警部は日暮里で爆破したスーパーと若手旋斗の関わりだけを説明した。しかし若手旋斗が爆破事件そのものの真犯人である実際は知らないままだった。

 日暮里スーパー爆破事件犯=若手の可能性はもちろんありえる事実として夢見警部は頭の中で抱いていた。しかしそれを事実として認めたくなかった。いくらあの熱い若手でも一度警官だった男、しかも自分の仲間だった男がそんな事件の犯人だとは考えたくもなかったからだ。


馬込:「夢見警部、どうしてその事を、僕に教えてくれなかったんですか?

    僕があの事件に賭けていたことは知っていたでしょ?」


夢見:「そうか。そうだな」とクールに白を切る(しらをきる)<彼はそういうキャラだ>


馬込:「あのねえ。あなたねえ」


市谷:「まあまあ、有馬さん(夢見警部の本名)だっていろいろな事情がある。

    とにかく若手さんの追う麻薬事件は掘り起こされてはならない事件だったんだ」


馬込:「どういうことですか?」


市谷:「この事件には警察が絡んでいる。売る側の人間としてね」


馬込:「Σ(゚д゚;)、何ですって??」


市谷:「そう、この事件は警備の石間(いしま)部長が関わっている。

    彼は警察官でありながら、自由にやれる経路を作らせて、その報酬の一部をもらっている。

    一部は僕の想像でしかないけど、たぶんそうなんだ。

    若手さんは石間の事は知らない。でもそういった仕組みがある事に気づいている。

    若手さんが今何をどうしようとしているかはわからない。

    ただ言える事は、若手さんは石間の部隊に追われている。

    馬込君、君に力を貸して欲しい。何をどうしたらいいかはわからないがきっと君の力が必要だ」


馬込:「けど、(若手って野郎が、日暮里スーパー爆破犯の犯人かもしれないし、

    つまりはそいつに手を貸す事であって)」


市谷:「今、自由にやれるのは君しかいないんだ。

    若手さんも意味なくこんな日々を過ごしていたわけじゃない。

    日暮里の件も、この事件が解決すれば君に話してくれる。

    若手さんはそんないいかげんな人じゃない」


馬込:「市谷さん。その人の肩をずいぶん持つんですね。夢見警部もですけど」


市谷:「頼む。馬込君。日暮里スーパー爆破事件の真相は必ずこの件が終ったら解決するから


馬込:「そうですか。わかりました。約束ですよ」


 馬込は未だ納得してはいなかった。

 どんな指示をしてくるかわからない日暮里スーパー爆破事件犯かもしれない男の肩を持って、大きな麻薬捜査の手伝いをしなくてはならない事にいったいどれだけの価値があるのかわからなかった。

 でも今はそうするしかなかった。そして話の中で今、馬込が追っている上野響の事はまるで出てこなかった。馬込は上野響がどこにいるのかもわからなかった。その人物が麻薬事件に大きく絡んでいる事、まさか若手と一緒にいることなんてこの時の馬込にはまだまるで想像の付かない遠い向こうの世界だった。


 真相はつかまれつつある。それぞれがそれぞれの事実を知らないまま、今はまだ時が流れている。

 馬込は若手旋斗が上野響を味方に付け、一緒にいる事を知らない。

 若手旋斗は日暮里スーパー爆破事件の被害者である田山夫妻が上野響の(育ての)親である事を知らない。

 上野響は若手旋斗が日暮里スーパー爆破事件の犯人である事はおろか、その事件に関わっていることすら知らない。


 3者はその事実をもうすぐ知る事となるだろう。

 その時彼らはどのような行動を取るのか。


第7章終了

第8章 43話へ続く。

41. 続・馬込の新捜査

 馬込純平(まごめじゅんぺい)元警部補は、日暮里スーパー爆破事件で亡くなった被害者、田山夫妻の家に中本龍平(上野響の偽名)のアルバムがあった理由を理解できないまま、考えに考え続ける毎日を送っていた。

 馬込は上野響の住むマンションの前で、中本龍平(上野響)を待った。

(ここからは全て名を響に統一する)

 しかし3日経っても馬込が響の姿を目にするが出来なかった。どれだけ集中力のない馬込でも、さすがに3日待てば一度は会えると思っていたがそうはいかない。響は一向に現れる気配がない。


 4日目に馬込は響に連れてこられた居酒屋に行ってみる事とした。一日中、響のマンションの前で待った夜の事だった。

「いらっしゃい!」

 居酒屋ふくちゃんと書かれた暖簾(のれん)を潜(くぐ)ると女将(おかみ)は元気よく馬込に挨拶をしてきた。店は見渡す限り満員で賑わっていた。狭い店ではあるが、20人程度は入れる。その全てがほぼ埋まっている。

「ごめんなさい。今日はいっぱいなのよ。また今度よろしくね」と、女将は馬込に言った。

 その女将、ふくちゃんは馬込という人物の存在を覚えていないようだった。込としても2度ほど連れてこられただけの場所なので、それは当然の事だと思っていた。でも馬込はそう簡単にここを引き下がるわけにはいかなかった。謎があまりに多く、このまま諦(あきら)めて、明日に引き延ばせるような落ち着きはなかった。

「すみません。そこの席でいいんで座らせてもらえませんか?」

 そこはカウンターの一番端っこで、前には焼酎の一升瓶が何本か置かれている。

[お一人?」と、ふくちゃんは馬込に尋ねる。

「ええ」と、馬込は答える。

「ごめんね。式羽(しきば)君。隣いい?」

「ああ、いいですよ」


 そんなわけで、馬込はなんとかその席に入り込んだ。

 しかしそれからどうしていいかわからなかった。女将は忙しそうだし、アルバイトの女の子二人もせわしく動いている。響について聞きたい馬込だが、チャンスが見当たらない。

 由佳は混んでいる居酒屋で、母親の手伝いをしてバイトをしているが気持ちはあまり乗らない。土曜は友人の夏子が手伝ってくれているが、由佳も楽ではない。せわしく動かされるのはいいが、いつもいるはずの響がいないので心はもうこんな母親の手伝いなんてしたくないと思っている。

(由佳の心の中)

『はああ、やる気しないなあ。つまらない。せっかくの3連休なのになんでこんな事しなきゃいけないんだろ?だいたい今時どうして時給650円で働いているの?この母親はいったい何なのだろ?それよりも何よりも、やっぱり響さんがいないのがショック(ノ◇≦。)どうして響さんの事をわたしはあのさくらから聞かなくでゃならないんだろ?さくらさんにはいなくなる事を伝えて、わたしには挨拶無しなんて、そんなの酷すぎる。やっぱしそういうことなのよね。どうせわたしなんて、つまらない女よ。このまま惨めに齢を取って、あの母親みたいにブクブク太ってここで一生働いてゆくのよ(由佳はまだ高校生ではあるが)』


ふくちゃん:「ゆかぁ~。お客さんの前を片付けて、注文聞いて」


 カウンターの端に座る新しいお客さんのところへ行く。そして目の前の焼酎の一升瓶をカウンターの裏側に移す。それから客前の笑顔に変わり、注文を聞く。


 由 佳 :「はい。飲み物、何にしますか?」


 由佳はそう聞いたところでその客の顔を始めてみて思い出した。

『あれ、この人、いつか響きさんと飲んでいた人だ。 何しに来たんだろう?ひょっとして、響さんの事。何か知っているのかなあ?』


 馬込 :「すみません。あの、その前に、お尋ねしたい事がありましてねえ」


 由佳 :「はい?何でしょうか?」


 馬込 :「中本龍平さん という方をご存知じゃないですか?」


 由佳 :『中本?龍平?誰の話よ!』「いえ、聞いたことないですねえ」


 馬込は慌てて、ビジネスかばんの中から一枚の写真を取り出す。


 馬込 :「ああ、あの、これ、とても若い頃の写真なんですが、」


 由佳はその写真を覗き込む。隣にいる式羽も気になって覗く。


 由佳 :『かわいい(≡^∇^≡)。響さん、超若い。何か純粋な感じ!』


 式羽 :「あれ、それ、響じゃねえか?」


 由佳 :『どうして式羽さんが先に話しちゃうのよ(`ε´)』


 馬込 :「響?この方は響さんというんですか?」


 式羽 :「ああ、そうだなあ。そうかもね」


 馬込 :「…」


かんさん:「しかし、その男はもうここには来ないな」


 式羽の隣に座っていたかんさんが、何かを感じ取ったのか、馬込にそう伝える。


 馬込 :「あの、その、響さんはここにもう来ないというのはどういうことでしょうか?」


かんさん:「そういう事じゃ。時の流れの中でそうなった。男は時として旅立たねばならぬ時もある。

      響はその時を迎えたんだ。もう戻っては来ないだろう」


 馬込はかんさんの事を回りくどいじいさんだと感じ、困り果てる。

 そこで由佳が口を挟む。


 由佳 :「とにかく、響さんはもうここには来ないから、って言い残して、ここには来なくなっちゃったの。

      きっとどこかへ引っ越してしまったのよ」


 馬込 :『逃げられた?でも何から、俺から逃げたのか?そんなわけはないはずだ』

      と頭の中で考える。


 ふくちゃんはそこで馬込の存在に気づき、その男が警官である事を思い出した。でも響が戻ってこない今となってはその男に何を知られようとどうでもいい事のように思えた。だから黙って話を聞いていた。


 馬込 :「あの。彼について、何か知っていますか?それと、月島雅弘(通称まさ)という人の事を


 式羽 :「あれ?まささんの事も知ってるの?まささんはあれよ。

      俺はこっちの店(親指を人差し指と中指の間から出して)をやっているだけどさ、

      まささんはよく遊びに来てくれてね。響はそのまささんと一緒に暮らしていたんだ。

      まささんは去年何に悩んでたか知らねえが、自殺してしまったがね」

  

 馬込 :「一緒に暮らしていた?月島雅弘と響さんが?」


 式羽 :「ああ、よくは知らないけどさ。

      中学生くらいの時に家出してきた響をまささんが預かったって話だぜ。

      あまり言わないほうがいい話か。と思うと響は家に帰ったのかもな」


 馬込 :「響さんの実家はどこで?」


 式羽 :「さあな。響は昔話なんて一切しなかったからな。今はどこにいるかわかんねえよ」


 馬込は、『とすると響という男は日暮里スーパー爆破事件以後に田山夫妻の家から抜け出したのか、まさ(月島雅弘)に連れられていったのか』だと推測した。それは新しい推測だった。しかし、それがいったい日暮里スーパー爆破事件の犯人とどう繋がってくるのかまでは、馬込にはわからなかった。

「わかりました。ありがとうございます」

 馬込はそう言って、居酒屋『ふくちゃん』をおいとましようとした。

「待ちなさい。一杯くらい飲んで行きなさい」

 そう言われて、馬込は立ち上がった席に戻り、生ビールを一杯頂いた。そしてゆっくり飲む中で、最近ギター弾きの歌い人が来なくなった事も聞いた。

「最近、あいつも見ないんだよねえ」と、式羽言って、「何か、ここも寂しくなっちゃったね」と、とっちゃんが答えた。


 馬込は店を出た。

 そして先日ここに来た後、歌い人と言っていたギター弾きの家で見た夢を思い出していた。その夢の中で、謎の男は市谷に電話するように言っていた。

 馬込はふとそのことを思い出し、慌てて電話してみた。


「は~い、市谷です」

 市谷の家に電話すると、出たのは市谷の奥さんだった。何度か会ったことはあるが、とても美しい人だった。

「あの、馬込です。市谷さんはいますか?」

「ええ、ちょっと待ってね。はじめさーん。電話よ」

 そんな家庭の香りのする声がする。馬込の殺伐していた心は不思議と少し安らぐ。


市谷:「もしもし、馬込君だね。君からの電話を待っていた。君が警官を辞めたことも知ってる。

    いろいろな事を僕は知っている


馬込:「すみません。市谷さん。約束守れなくて(市谷は馬込に警官を辞めないようにと願った)」


市谷:「いや、いいんだ。それはそれで。

    ただその時に話をした辞めてしまった先輩(若手)から電話があった。

    彼からの話を基に僕は数日間いろいろと調べた。それからわかった事がある。

    君と話をしなければならない」


馬込:「どういう事ですか?」


市谷:「詳しい事は明日説明する。明日は空いているかな?」


馬込:「ええ、僕はいつでも大丈夫です」


市谷:「そうしたら明日、池袋で会おう。夢見警部も一緒だ」


馬込:「夢見警部?どうしてですか?」


市谷:「いろいろと説明したい事がある。君の望む日暮里スーパー爆破事件に関する事だよ」


馬込:「どうして、未処(未然処理班)があの事件の事を?」


市谷:「全部は明日だ。いいかな?」


 馬込はその事に「はい」としか答えられなかった。そして電話は切れた。事件は真相へと向っていた。


42話へ続く。

40. 迫り来る時の中で

 伊豆の廃工場には、ミシンのある作業部屋、布がたくさんある材料室、布を裂くための機械がある裁断室、従業員が食事をしていた食堂、空調や電気の配線等がある機械室の主に5部屋がある。

 そしてその建物に篭城(ろうじょう)する各々は、各々の場所を自分の部屋とし、各々に生活していた。

 睦美(むつみ)木島(きじま)は、裁断室の機械に隠れた端っこを部屋として、二人揃って暮らしていた。夜になり、大きな布に包(くる)まり、一緒に寝ていた。


睦美:「静かな夜だね」


木島:「外は晴れているみたいだね。くもり窓に月が映っているよ」


睦美:「この後、わたしたちはどうなるんだろう?」


木島:「僕には想像もつかないよ」


睦美:「想像できない未来って恐いね


木島:「なら想像すればいい。僕らの未来がどうなるかを、幸せをイメージすればいい」


睦美:「ここから抜け出して、何もかも忘れて、幸せになれたらいいね。

    普通のお家で、普通に暮らすの。近所の皆と仲良くしながら


木島:「僕は世の中の人間を、酷く妬(ねた)んでいるのかもしれない。

    やっぱし普通の平和は望めない。世の中のふざけた奴らと一緒には暮らせない。

    だからこうなった。睦美を巻き込んでしまってごめんよ


睦美はそれを否定する。

わたしはイメージとしてだけ、平和な未来をイメージをしただけ。人はそんなに美しい心を持っていない。ここを出ても、わたしたちのような人間に、そんな平和な未来は与えられない


木島:「だとしたら、どんな未来が?


睦美:「だから想像つかない未来


木島:「それでも僕は君の傍にいるよ


睦美:「そうね。それだけは約束よ



 作業部屋の隅、パーテーションに仕切られている机が並ぶ事務所側の部分で、若手は生活をしていた。そしてそこには上野響も一緒にいた。二人は事務用の椅子に座り、コーヒーを飲みながら時を送っていた。


若手:「君とは二人で話さなくてはならないと思っていた。周りを包囲されているだろう?

    これは俺の望んだことなんだ。そうすればもう君はどこにも行けないからね」


響 :「俺はどこにも行き場なんてない。存在理由も、存在価値もない。何でも構わない」


若手:「人として、君の思うところの人としての価値はそれでもいい。でも俺とっては君が必要だ。

    なぜなら君は俺が追い求めている光と闇の支配者を知っている。

    俺はその人物が知りたい。ただそれだけだ」


響 :「…」


若手:「どうした?こういう状況だ。もう話してくれてもいいんじゃないのか?

    それとも君には捨てられない何かがあるのか。そうでなければ話してくれてもいいはずだ」


 響は話を拒む理由が自分でもわからなかった。話してしまえばいい事だ。そうすれば、この男(若手)が嶋咲枝をこの廃工場に呼び寄せ、響にはもう一度、嶋咲枝を殺せるチャンスが来るかもしれないからだ。

 話さないのは信頼の問題かもしれない。話す事によって、この男(若手)が何をし出すかわからない。場合によっては不要になった自分を殺すかもしれない。そういった意味で、響は本能的に自分を守っているだけなのかもしれない。

 若手はもちろん響を殺す気などない。若手のシナリオはこうだ。

『上野響から(麻薬を売りさばく)支配者の名前を聞き、馬込(元警部補)を使い、その人物に接触させる。そして麻薬を扱っていることを問い詰める。一方で警視庁内を調べている市谷を使う。市谷に警視庁内の捜査を進めさせ、麻薬密売の件に関して警視庁の人物が関わっている事を発見させる。(麻薬を売りさばく)支配者には警視庁の関係者の名前を伝え、すでに全てがばれている事を伝える。警視庁内の関係者にはその逆を伝える。そうやって追い込んでゆく。簡単には自白しないだろうから、若手はさらに警察内にいた頃の頼りになる人物に繋ぎ、二者を追い込んでゆく』

 それがシナリオだ。それでも上野響がその人物の名を明かさない事にはこの計画は進まない。上野は未だ口を開かない。時は刻々と迫っている。

 SAT(特殊急襲部隊)が突破口を見つけ出し、攻め込んでくるのもそろそろ時間の問題かもしれない。若手の想定では彼らはそろそろ攻め込んでくる。そう考えると時間は明らかに迫っていた。若手にも僅かな焦りが出てきていた。



 その日の昼間、市谷警備部の石間(いしま)部長に電話を掛けていた。


市谷:「石間部長。実はよくない噂を聞いてしまいましたのでお伝えしなければなりません」


石間:「ああ、未処の市谷君だね。何か大きな事件にでも発展しそうな事かね」


市谷:「いや、すでに事件は起こっているんです


石間:「どこでどんな事件が、かな?」


市谷:「むしろそれをわたしが聞きたいと思いまして。

    実は、噂と言うのは、あなたの部隊がすでに動いているという事でして


石間:「おもしろい事を言うね。事件は確かにそこらじゅうで起きているよ。

    それは何もいちいち警視庁全体に流さなくてはならない情報ではないだろう。

    わたしの所に電話してくるのなら、もう少しまともな手に追えないくらいの事件を持ってくるんだね。

    そうすれば君の部署ももう少し評判もよくなるだろうよ」


市谷:「どうしてSATを動かしているのですか?しかも管轄外に、勝手に動いているそうで。

    麻薬に関わる事件だとの噂ですが


石間:「おほん」


市谷:「どうかされましたか?聞こえませんでしたか?石間部長。麻薬に関する件だと」


石間:「こういう事をいうのも何だが、彼らは特殊な部隊だ。

    公(おおやけ)にならないように動くのが必要な場合もある。

    世の中のルールに沿ってやっているだけではうまくいかない事もあるのだよ。

    君も上に行きたいのなら、その事を重々承知でやったほうがいいかと思うがね」


市谷:「とにかくわたしはその件に関して知りたいんです。

    SATを動かしたのはどこからの命令ですか?


石間:「SATの全権はわたしにある。まさか警視総監が直々に動かしたわけでもあるまい」


市谷:「そうですか。では、この件に関しましてはあなたが動かしていると考えてよろしいでしょうか?」


石間:「何が言いたいかわからんが、君ももう少し利口になったほうがいい。

    君が何かを知ろうとしても構わないが、自分の程度を知っておく事だね。

    わたしは忙しいので、この電話を切らせてもらうよ」


 そして電話は切れた。

 市谷は若手が追っている人物が石間である事を確信した。石間は自分で認めていた。

 しかしそれを市谷が知ったところでどうする事もできそうになかった。市谷の言葉を信頼し、動いてくれるものは皆下の者ばかりだったからだ。下からどれだけ責めても上の者に打ち消される。それが庁内のルールのようなものだった。その上情報が少ない。石間はその事を知っている。だから自分が何を認めたところで自分の身が安泰(あんたい)な事を承知して認めていた。

 市谷には若手からの二度目の電話を待つしかなかった。全ての事件の真相を明らかにし、結論付けるにはまだまだ時間がかかりそうだ。


41話へ続く

39. 若手旋斗と市谷初

 ある夕暮れ時の事だった。

 警視庁生活安全課未然処理特殊捜査班の事務所に一通の電話が入った。未然処理特殊捜査班班長の市谷(いちがや)はいつのものようにメンバーの活動内容をチェックし、今日も特に不可解な出来事がなかった事を確認してから家に帰ろうとしていた。


「市谷さん、お電話です」

 事務担当のみずりんこと、入谷瑞江(いりやみずえ)は端っこのデスクから班長席に座る市谷に大きな声で伝えた。事務所にはその他、事務のこまきと夢見警部しかいなかった。

 市谷は何も言わず、頭の上で指を回し、電話を回すようみずりんに伝えた。

「はい、相談室長の市谷です」

 電話の向こうの相手は声を発しない。しかしこれはよくあることで、悩みを伝えられない若者からの電話だと、市谷は考える。


 未然処理班=通称未処(みしょ)の活動内容とは、表向きは悩める若者の悩みを聞き、問題を解決し、大きな事件に発展させないという仕事をしている。しかし未処はそれ以上に多く、事件に発展している少年および青年犯罪においても深く追求しているプロ集団なのである。ところが現在は、思うような機能を果たしておらず、最近はむしろ問題のある警視庁内の警官が一時的に追いやられる反省部屋のような部署として知られている。


「どうした?誰にも言わないから、言いたい事を言ってごらん」

と、市谷は優しく電話の向こうの人物に話しかける。


「はじめ君か。偉くなったね。俺が誰だかわかるかな?」


 少しだけ渋味があるが刃物のような澄んだ鋭い声に、市谷はすぐに反応した。


市谷:「若手さんですね


若手:「ああ、久しぶりだね。はじめ君(市谷の名前)」


市谷:「若手さん。今、何をしておられるんですか?」


若手:「それは説明の出来ない事だ。それより今日は君に折り入って頼みたい事があってね


市谷:「若手さん。僕は若手さんに戻ってきてほしいんですよ。

    僕じゃなく、若手さん、あなたじゃなくてはここの仕事は勤まらない」


若手:ふふふと笑って、「はじめ君。俺はそんな話をするために電話を掛けたんじゃないんだ。

    時間もあまりない。逆探知はしているのかな?

    俺が今どこにいるかを調べてもらっても構わない。それより大事な事がある。

    いいかい?君には調べてほしい事がある。

    今、SAT(特殊急襲部隊)を指揮している奴に、どうしてSATを動かしたかと尋ねてほしい


市谷:「どういうことですか?言っている意味がさっぱりわからない」


若手:「わざわざ管轄外(かんかつがい)まで出向いているようですが、と付け足せ。

    それはどこからの指示かと尋ねるんだ。急ぐ事はない。じっくりとやればいい」


市谷:「若手さん。あなたが何かと戦っているのはわかります。

    でもですね。それはあなたがこの場に戻ってからやればいいじゃないですか。

    あなたはこの場で、まだまだ出来たはずです。それを外れてこういうやり方は納得いきません」


若手:「偉そうな口を叩くようになったな。十分じゃないか。昔のおまえじゃない。

    おまえには表の顔がよく似合う。未処のリーダーとしてはおまえのような表裏のない奴がいい。

    俺には似合わない。だからおまえがリーダーになった。選ばれたのはおまえだ。

    しっかりおまえらしくやればいい。そうだろ?市谷はじめ!」


市谷:「それはあなたの思う所です。僕の思う所は違う。

    あなたは知らないかもしれませんが、未処はすでにあの頃のような場所ではないんです。

    今は他部署から窓際部署って言われているんですよ。

    あなたのような他部署を圧倒させるような力ある人が必要なんです」


若手:「甘えるな!はじめ、いいか。もしそうだとしても、おまえは未処に誇りを持っているんだろ?

    だとしたら何と言われようと、自分の仕事に誇りを持て!そして自分の出来る事をやれ!

    もし力のある男が欲しいのなら、おまえの後継者にすればいい。

    去った俺に頼るな。俺には俺のやり方がある。

    俺はもうそこに戻れるようなもんじゃないし、戻る気もない。

    いいか、よく聞け!重要な事だ。うまく行くとは限らない。どこまで攻められるかもわからない。

    しかしこれは調べないといけない事なんだ」


市谷:「わかりました。その件については調べます。調べてどうすればいいんですか?」


若手:「そうだな。SATを事実上動かした人物がわかったら、おまえの思うようにすればいい


市谷:「???。さっぱりわからないですよ」


若手:「そういえば君のところに馬込という若い男がいたろう」


市谷:「馬込君?ええ、しかし彼は部署を異動に」


若手:「後で連絡を取ってみてくれ。もしくは彼から連絡があるかもしれないがな」


市谷:「どういう意味ですか?」


若手:「じゃあ、頼むよ」


市谷:「もしもし。もしもーし」


 しかし電話はすでに切れていた。

 近くで、夢見警部が市谷の顔を覗いていた。彼もまた若手を知る人物だ。

「若手からの電話だったんだね?」

 市谷は頷いた。夢見警部はさらに続けて話す。

「だとしたら大変な事だろう。僕も手伝うよ

有馬さん(夢見警部の本名)、何か知っているんですか?」

 夢見警部は微笑んだ。

「気にする事はない。また後でな」



 一方、伊豆のアジトに潜伏(せんぷく)する若手たちは篭城(ろうじょう)状態に入っていた。すでに身を潜(ひそ)めているSATたちが廃工場の周りを囲っている事を、若手たちは知っている。

 若手はメンバーの桑野に調べさせ、すでにそういう状態にある事を確認した。扉はすべて閉めきり。入口の全てに開けたら爆発する仕掛けを掛けていた。SATの連中もそれを確認しているのだろう。中にはまだ入ってきそうにない。人員も目立たないようにまだ4、5人といったところだ。

 警察においてもこれは表沙汰になってはならない仕事なのだろう。若手には推測できていた。この麻薬密売には警察も絡んでいることを。警察は若手たちのしようとしている事が表沙汰にならないよう、封じこめようとしている。だから若手は市谷に電話した。全てはまだ若手が想定する範ちゅうにあった。

 今はまだ囲まれているとは思えないような静けさだ。睦美は料理をし、上野と柏木他メンバーは食堂で夕食を取っている。金原の仕掛けた爆薬は完璧であり、SATがそう簡単に入って来れない事もわかっている。SATは事件を目立たせないようにゆっくりと攻めてくる。若手はその事を理解している。

 しかしいずれ時は来るだろう。彼らの全体のチェックが終れば、どこからか攻めてくる。数日後には彼らとの戦いが始まる。迫ろうとする時の中で、若手のメンバーは最後の穏やかな時間を過ごしている。


40話へ続く。