39. 若手旋斗と市谷初
ある夕暮れ時の事だった。
警視庁生活安全課未然処理特殊捜査班の事務所に一通の電話が入った。未然処理特殊捜査班班長の市谷(いちがや)はいつのものようにメンバーの活動内容をチェックし、今日も特に不可解な出来事がなかった事を確認してから家に帰ろうとしていた。
「市谷さん、お電話です」
事務担当のみずりんこと、入谷瑞江(いりやみずえ)は端っこのデスクから班長席に座る市谷に大きな声で伝えた。事務所にはその他、事務のこまきと夢見警部しかいなかった。
市谷は何も言わず、頭の上で指を回し、電話を回すようみずりんに伝えた。
「はい、相談室長の市谷です」
電話の向こうの相手は声を発しない。しかしこれはよくあることで、悩みを伝えられない若者からの電話だと、市谷は考える。
未然処理班=通称未処(みしょ)の活動内容とは、表向きは悩める若者の悩みを聞き、問題を解決し、大きな事件に発展させないという仕事をしている。しかし未処はそれ以上に多く、事件に発展している少年および青年犯罪においても深く追求しているプロ集団なのである。ところが現在は、思うような機能を果たしておらず、最近はむしろ問題のある警視庁内の警官が一時的に追いやられる反省部屋のような部署として知られている。
「どうした?誰にも言わないから、言いたい事を言ってごらん」
と、市谷は優しく電話の向こうの人物に話しかける。
「はじめ君か。偉くなったね。俺が誰だかわかるかな?」
少しだけ渋味があるが刃物のような澄んだ鋭い声に、市谷はすぐに反応した。
市谷:「若手さんですね」
若手:「ああ、久しぶりだね。はじめ君(市谷の名前)」
市谷:「若手さん。今、何をしておられるんですか?」
若手:「それは説明の出来ない事だ。それより今日は君に折り入って頼みたい事があってね」
市谷:「若手さん。僕は若手さんに戻ってきてほしいんですよ。
僕じゃなく、若手さん、あなたじゃなくてはここの仕事は勤まらない」
若手:ふふふと笑って、「はじめ君。俺はそんな話をするために電話を掛けたんじゃないんだ。
時間もあまりない。逆探知はしているのかな?
俺が今どこにいるかを調べてもらっても構わない。それより大事な事がある。
いいかい?君には調べてほしい事がある。
今、SAT(特殊急襲部隊)を指揮している奴に、どうしてSATを動かしたかと尋ねてほしい」
市谷:「どういうことですか?言っている意味がさっぱりわからない」
若手:「わざわざ管轄外(かんかつがい)まで出向いているようですが、と付け足せ。
それはどこからの指示かと尋ねるんだ。急ぐ事はない。じっくりとやればいい」
市谷:「若手さん。あなたが何かと戦っているのはわかります。
でもですね。それはあなたがこの場に戻ってからやればいいじゃないですか。
あなたはこの場で、まだまだ出来たはずです。それを外れてこういうやり方は納得いきません」
若手:「偉そうな口を叩くようになったな。十分じゃないか。昔のおまえじゃない。
おまえには表の顔がよく似合う。未処のリーダーとしてはおまえのような表裏のない奴がいい。
俺には似合わない。だからおまえがリーダーになった。選ばれたのはおまえだ。
しっかりおまえらしくやればいい。そうだろ?市谷はじめ!」
市谷:「それはあなたの思う所です。僕の思う所は違う。
あなたは知らないかもしれませんが、未処はすでにあの頃のような場所ではないんです。
今は他部署から窓際部署って言われているんですよ。
あなたのような他部署を圧倒させるような力ある人が必要なんです」
若手:「甘えるな!はじめ、いいか。もしそうだとしても、おまえは未処に誇りを持っているんだろ?
だとしたら何と言われようと、自分の仕事に誇りを持て!そして自分の出来る事をやれ!
もし力のある男が欲しいのなら、おまえの後継者にすればいい。
去った俺に頼るな。俺には俺のやり方がある。
俺はもうそこに戻れるようなもんじゃないし、戻る気もない。
いいか、よく聞け!重要な事だ。うまく行くとは限らない。どこまで攻められるかもわからない。
しかしこれは調べないといけない事なんだ」
市谷:「わかりました。その件については調べます。調べてどうすればいいんですか?」
若手:「そうだな。SATを事実上動かした人物がわかったら、おまえの思うようにすればいい」
市谷:「???。さっぱりわからないですよ」
若手:「そういえば君のところに馬込という若い男がいたろう」
市谷:「馬込君?ええ、しかし彼は部署を異動に」
若手:「後で連絡を取ってみてくれ。もしくは彼から連絡があるかもしれないがな」
市谷:「どういう意味ですか?」
若手:「じゃあ、頼むよ」
市谷:「もしもし。もしもーし」
しかし電話はすでに切れていた。
近くで、夢見警部が市谷の顔を覗いていた。彼もまた若手を知る人物だ。
「若手からの電話だったんだね?」
市谷は頷いた。夢見警部はさらに続けて話す。
「だとしたら大変な事だろう。僕も手伝うよ」
「有馬さん(夢見警部の本名)、何か知っているんですか?」
夢見警部は微笑んだ。
「気にする事はない。また後でな」
一方、伊豆のアジトに潜伏(せんぷく)する若手たちは篭城(ろうじょう)状態に入っていた。すでに身を潜(ひそ)めているSATたちが廃工場の周りを囲っている事を、若手たちは知っている。
若手はメンバーの桑野に調べさせ、すでにそういう状態にある事を確認した。扉はすべて閉めきり。入口の全てに開けたら爆発する仕掛けを掛けていた。SATの連中もそれを確認しているのだろう。中にはまだ入ってきそうにない。人員も目立たないようにまだ4、5人といったところだ。
警察においてもこれは表沙汰になってはならない仕事なのだろう。若手には推測できていた。この麻薬密売には警察も絡んでいることを。警察は若手たちのしようとしている事が表沙汰にならないよう、封じこめようとしている。だから若手は市谷に電話した。全てはまだ若手が想定する範ちゅうにあった。
今はまだ囲まれているとは思えないような静けさだ。睦美は料理をし、上野と柏木他メンバーは食堂で夕食を取っている。金原の仕掛けた爆薬は完璧であり、SATがそう簡単に入って来れない事もわかっている。SATは事件を目立たせないようにゆっくりと攻めてくる。若手はその事を理解している。
しかしいずれ時は来るだろう。彼らの全体のチェックが終れば、どこからか攻めてくる。数日後には彼らとの戦いが始まる。迫ろうとする時の中で、若手のメンバーは最後の穏やかな時間を過ごしている。
40話へ続く。