43. 廃工場でのひと時 | 小説と未来

43. 廃工場でのひと時

 廃工場の中はまだ安定している。


 話は再び廃工場から始まります。

 

 倉本と木島が周囲の見張りをしている以外は、皆ここに時間を過ごす。

 睦美と金原の女二人は食堂で昼食を作っている。ちなみに工場内は水道以外は全て止まっているので、電池式のランプやガスコンロを使って、軽いアウトドアのような設備を使って動かしている。


『外は静かだ。雨は降っていない』

 柏木は反物(たんもの)の材料がたくさん置いてある部屋の天窓を見つめて、ただ退屈な時間を潰している。近くでは桐平という顔の綺麗な若い男がギリシャ神話の本を読んでいる。頭の弱い小菅もその傍でNINTENDODSで、シューティングゲームを楽しんでいる。


 篭城(ろうじょう)生活は続いている。なんともないふりをしているが、心の中では嫌な予感が高まっている。いつ攻めてくるかわからないSATに囲まれて息が詰まっている。溜め込んだ食料品もいつまでも持つわけではない。こんな状態がいつまでも続くわけがない事は、小菅でさえも感じている。


 桑野はトイレから出てきて、大きな溜息を一つ付いた。食堂に、機械室、断裁室、作業部屋、トイレ、どこを見てもそれなりの広さのある部屋がある工場だが、さすがに2週間も続くと工場は異様に狭く感じられる。普段から走り回っているわけではないが、走り回れるスペースでも欲しくなってくる。

 退屈な時間だ。それでも堪えていられるのは、この先の達成感があるとまだ信じているからだ。皆、若手を慕い、最終的にはうまくいくと心の奥底で信じている。


 小さな事務所では若手と響が何日も変わらない時間を過ごしている。若手にとっては全て響に懸っている。響が口を割らない事には先へと進めない。

確かに俺は知っている。あなたが知りたいと思っている事実を知っている

 どれだけか、幾日か、とても長い時が流れて、響はやっと口を開いた。

「やっと話してくれる気になったんだな」と、若手は言った。


 響 :「それで、それを知ってから、あんたはそいつをどうするつもりだ?」


若手:「そうか、それが知りたいか。いいだろう。教えてあげよう。君にも知る権利がある。

    その時は、世の中に知らしめる。その人物がこの世にいかに愚かな行為をしてきたか、

    そしてそれ相応の罪を償(つぐな)ってもらう


 響 :「それじゃあ、駄目だ。あなたには何も教えられない。教える気になれない」


若手:「どうしてかな?」


 響 :「俺は、あんたよりずっと強く、あんたの求める人物を恨んでいる。だから処罰は俺が下す。

    つまり、俺がそいつを消すんだ


若手:「そうしたいわけか」


 響は頷く。


若手:「それでここに来たわけだね」


 響は再び頷く。


若手:「君は、そいつを殺したいというわけだな


 響は三度(みたび)頷いた。


若手:「君は、人を殺した事があるか?」


 響 :「ない!(きっぱり言い切る)」


若手:「それなら、やめておいた方がいい。もしそれをすれば、

    君は一生人を殺したという罪の意識を引き摺る事となる。人生にはしないほうがいい事もある


 響 :「知ったような言い方をするんだな。あんたは人を殺した事があるのか?」


 若手は鼻で笑い、「君の想像するとおりだよ」と答えた。


 それがどちらを意味するのか、響にはわからなかった。響は目の前にいる男が人を殺したのかどうか、それがいかに重要な問題かという事を考えるだけだった。


若手:「さあ、答える気はあるのかな?君が知る上位の人物を


 響は再び口を塞いだ。口に鍵を掛けて、また話す事を止めてしまった。

 今のままでは、話しても自分の思うようには行かないと、響はそう感じて、口を閉ざした。



「青々とした空が見たいな」

 小さな曇りガラスの天窓を見つめながら、桐平は言った。

「そうだね。空がみたいね。綺麗な青い、ありのままの空を」と柏木は答えた。

 柏木は近くに立てかけてあったギターを手に取った。そしてゆっくりと小さな音色を奏(かな)で出した。音色にそって、柏木は柔らかい声で歌い始めた。

 その歌声は裏の部屋にいる響たちへも微かに届いた。遠慮がちな声だが、澄んだ空気の中で音色が優しく伝わってきた。

 響は歌い人(柏木)の歌声が好きだった。その歌は知らない歌だったが、響の心を優しく包み込んでくれた。


『 暗い海の底に沈んだ日でも 

                   青空を飛んでいる


  強い風にタンポポの綿毛が

                  未来へと運ばれてく


  向かい風だろうと

                 翼にして


  ねえ  ぼくらも羽ばたけるかな         』


 響にはその歌が何の歌かはわからなかったが、その歌声から伝わってくる優しさは行き詰っていたつらい気持ちをふと楽にしてくれた。響だけでなく、その歌声はメンバー全員の心にそっと優しく伝わっていた。


「可能性はまだあるのかな?」と、桐平は呟いた。

近くにいた桑野が、「さあな。でもきっと若手さんが何とかしてくれるだろうよ」と答えた。


 食堂から出てきた睦美が皆に食事が出来たことを知らせていた。

「食事ですよ」と睦美が言って、若手は厳しい顔を解いた。

「今はやめよう」と、若手は響に言った。

 詰まり出していた気持ちの全てが崩された。響は若手の意見に頷き、昼食を取ることにした。

「柏木や睦美がいなかったら、俺たちはもうすでにここにはいられなかった事だろうよ」

と、若手は言った。

 響はその言葉の意味がよく理解できた。そして、居酒屋『ふくちゃん』の事を思い出していた。この廃工場にいる連中は響の仲間ではないが、居酒屋『ふくちゃん』の常連と一緒にいるような居心地のよさがあった。その感じを響は十分に感じ取っていた。


 昼食はつかの間の休息となった。

 でもそれは長くは続かない。安らぎの時はいつまでも続かない。誰もがその事を知っていたが、その事が現実となるのはもう少し後の事であった。


44話へ続く


 本話に出てくる柏木の歌は「Bank Bandのはるまついぶき」です。