小説と未来 -110ページ目

雨に沈む町 15.雨静海町での生活とは

岩崎と何度か会い、時が過ぎた、揮宇(きう)のある日に、怒鳴られた。


「君にはやりたいって意志がないの?」


ただぼおっとボートを眺めているだけの時だった。


岩崎はずっと板金工の梅原にこうした方がいい、ああした方がいいと話していて、揮宇はただそのやり取りを見ていただけだった。


とつぜん岩崎は口調を荒げて、揮宇にそんなふうな事を尋ねたんだ。


びっくりするしかなかった。


『僕は、何がしたいのだろう?』

そんな事は知らない。


「いや、俺の勘違いか」

岩崎は揮宇の回答を待たずに話し出す。

「君はこの町の人間じゃないから、もう少し志(こころざし)って奴を持っているかと思っただけだ。

 俺の勝手な思い込みだ。俺の勝手な価値観だ。

 世の中の人間はたいていこの町の人間と同じようにやる気なんてないんだろうな」


岩崎は頭に手をやり、沸いた怒りを沈めようと、冷静に自分を落ち着かせている。


でも熱は揮宇に点火していたんだ。


仕事でもイライラするし、普段の生活だって何一つおもしろくない。

そういった気持ちで詰まっている。こんな所にいたくているわけじゃない。

志もないけど、今に満足しているわけじゃない。


揮宇の感情は高まっている。


だってわかっている。本当はこの生活に何一つ望んじゃない事を。

帰れるのなら、最も望みに近かった過去と、そこから始まるはずだった未来に生きていてかった。

でも全ての望みは崩壊する方向へしか向わなかった。

間違いだらけの今をただ生きているだけなんだ。


「僕は岩崎さんの言う事が間違っているなんて言えませんよ。

 僕は確かにやる気のない人間です。あなたの言うとおりです。

 でもそれは僕だけの事だと思いますよ。他の人は違う」

揮宇はそう言う。


「いや、この町の人間は小さな枠に捕らわれている。

 情報は自由化され、昔よりは町を出てゆく人間も増えたけど、この町を世の中に知られたくないと思う人間の思惑で、この町で完結する人間はまだまだ多い。

 町の者たちは平和に生きるための教育を受けているんだ。この町の外は檻の外に出た動物のような世界だって、みんな意識を植え付けられている。だから誰も出て行かない。

 君もそんな奴らと一緒にこの町で一生を終らせるのか?」

岩崎は揮宇にそう尋ねる。


「わからない」


「そんなんじゃ、どうするかわからないうちに一生この町で暮らし続けることになるだろうよ。

 この町は安心安全が売り物だから居心地が悪いって訳じゃないんだ」


「そうだね。

 僕は岩崎さんの言うとおり、この町に安心している気がする」



僕は、この町が嫌いだとは思っていない。


ただ一つ、果実(かみ)がいないという点を除いては、何も嫌ってはいない。



「町は国の支援を基に成り立っている。だから補助金も多く出ている。

 緊急時にお偉いさんがどっとやってくるためだって噂もある」

岩崎はそんな風に雨静海町(あめしずみちょう)の事を説明する。


「僕は望んでこの町に来たわけじゃないけど、確かに世の中はもっと厳しい。

 僕はそんなに何を知っているわけじゃないけど、この町以外では仕事に就けない人も大勢いる。

 この町はみんな病気でもなければそれなりに働けていて、生活できている。

 ずっと厳しい感じをこの町の外では感じていた」


「なら運が良かったな。この町に辿り着けて、君にとっては良かった。

 君にはこの町がお似合いだ。俺と違う」


揮宇はそう言われて、何かを言い返したかった。

だけどその何かが口からは出てこなかった。

替わりに、体が外へと向いていた。


そして静かにガラス戸を開け、ビーチの外へと出て行った。

梅原は岩崎の顔を見た。

少し残念そうな顔をしたが、揮宇に関しては何も言わなかった。

そして仕事を続けようと言った。


揮宇の出たビーチでは五月雨が激しく砂を削っていた。

五月雨はこの町の季節には関係ない。

だけど、暖かくなりだした気候がこの町の季節感を示していた。


傘を差してもずぶ濡れになるような雨に降られながら、揮宇は浜辺のバス停でバスを待ち続けた。


後悔は感じない。ただ、また一つ終っただけだ。また一つ無くなっただけだ。

望んだ関係ではないのだから別に構わない。


やがてバスがやってきた。そして誰も乗っていないバスに揺られて家まで帰った。


ずぶ濡れになって、何もない家に着いた。


何事もなかったかのように我が家は揮宇を迎え入れてくれた。


激しい雨の音だけが消えずに響き続けているだけだった。


雨に沈む町 14.花見

日差しのない日々は続く。


それでも春になると、桜が咲いた。


会社の人の家にある大きな桜の木で花見をしようという話もある。


空の下ではできないが、この町にも日本で当り前の風習が根付いている。


揮宇はその風習に日本の良さと季節を感じる。

ここは秋の森ではない。季節もまたいいものだと思える。そうやって現実になれてゆく。


会社には慣れた。

でもイライラする奴もいるし、八つ当たりする奴もいる。

人間関係は面倒だ。

そう思えば、秋の森に帰りたいと、揮宇はまた内にこもる。ずっと秋の森で寝ていたかった。


果実(かみ)と男女の関係になったことを後悔する。

あれは間違いだったと言いたい。もう一度、やり直したい。

君と交わりきらなければよかった。そんな事が許されただろうか?


僕はこの生活の未来に何の夢も見られない。

もともと夢なんてなかったけれど、果実と一緒ならいくつかの未来を描くこともできたのに。

今じゃその全てが夢というよりはただの妄想みたいだな。


揮宇はそれでもどこまでも情けなく妄想を描く。


そんな妄想ばかりしていると、仕事で間違いをして、また嫌な奴にここぞとばかりに怒鳴られている。


優しい上司が間に入って止めてくれる。


本当のところ僕は仕事をする事になんて向かないのかもしれないな。

だから神様が僕を秋の森に連れ込んでくれたんだ。

それなのに、僕はその恩恵を無視して、こんな場所で未来もない暮らしを選んでしまった。



穏やかな課長は花見の家でも笑顔だった。

何がそんなに楽しいのかと、揮宇は尋ねたい気分だったが、嫌味っぽいのでそれは聞かないことにした。


雨の下での花見。

うちの中から桜を見ながら、茶の間で寿司を食べて、日本酒を飲む。


「まあまあ、なんか悩んでいるの?」

と、課長は揮宇に尋ねる。


「いや、別に」


「難しい事は考えないで、まあ、酒でも飲んで、上手いもの食べて、それでいいじゃないの」


それで、いいのだろうか?


僕はどうしてもすっきりできない。


心に詰まる過去がある。


誰にも言えない秋の森での出来事。


僕はその答えを出したいはずなのに。


ただ雨に降られる桜を見上げている。


散り舞い地上に落ちたびちゃびちゃの花びら。


僕に等しく哀れみを感じる。


まだ冷たい空気が体を凍えさせる。


こたつに温まり、熱燗を頂く。


人の盛り上がりと裏腹に、僕の心は冴えない。


雨に沈む町での日々は今日も続いている。

雨に沈む町 13.ビーチのボート

ある春の雨のよく降る日に、揮宇(きう)は岩崎に呼ばれた。


春の日の雨はしとりしとりと降り落ちていた。


彼は車で揮宇のアパートまでやってきて、揮宇を乗せて何もない海辺をドライブした。


車の中では何も話さなかったが、海辺まで来たときに岩崎は口を開いたんだ。


「俺は旅に出たいと考えている。理由なんてない。


 ただ、このまま毎日、こんな狭い町で暮らし続けるのはごめんだ。


 いろいろ見てみたいし、いろいろ知りたい。


 このままの日々を繰り返す気はない。


 君もそうは思わないか?俺はそう思うが」


揮宇はわからなかった。自分が何をしたいのか、わからなかった。


秋の森に全てを忘れてきてしまった。全てを込めて、全てが終ってしまった。


『僕はわからない』


だから何も言えなかった。岩崎の言葉はただの独り言となって終った。



コンクリートの塊でできた小さな小屋の前で車は止まった。


そこは海辺へ下る道を下ったすぐの場所にあった。


雨に降られるビーチは海と砂浜の境界をわかりにくくしていた。


ビーチはずっと西へ続いていている。


寄せては引く波の音が揮宇の耳に繰り返し聞こえる。雨粒が大海原を叩いていた。


大きな海だ。当り前だけど、久しぶりに見る海の広さを揮宇は感じずにはいられなかった。


こんな近くに海がある事を揮宇は知っていたけど、気づいていなかった。



小屋の中に招かれると、そこには船の断片、船というよりボートの断片がある。


そのボート断片をいじくる男が一人いる。


「やあ」

と、男は気さくな笑みで揮宇に挨拶をした。


揮宇は軽い会釈で返した。


「彼は梅原、機械には詳しい」岩崎が説明する。「板金工だからこんな物(ボートの土台)もできる」


さらに岩崎は話を続けた。


「要するに、俺たちは自前のボートで海に出ようと考えている。


 電車で旅に出る奴はそれなりにいる。でも陸路の旅なんて知れたものだ。


 だから俺らは船旅を考えた。


 南には大海原が広がっている。


 俺らは広い海の世界に出る。それが俺たちの目的だ」


そう、それが彼らの目的だった。


揮宇はその大それた旅の計画に何も答えることができなかった。


ただただ呆然と作りたてのボートを眺めていた。


これからどうなるのか、答えはまだない。

雨に沈む町 12.如月葉月の話

ふとした機会に、揮宇(きう)は如月葉月(きさらぎはづき)の事を知ることとなった。



如月葉月は山の上にあるダムを管理している両親の娘だ。


葉月の父親も、揮宇と同様に別の町からやってきた人だと云う。


その父親がこの町に暮らすようになり、彼女の母親である如月卯月(きさらぎうづき)と恋に落ち、結婚したと云う。


葉月の母親である如月卯月は生まれた頃からダムのある場所に住んでいた。

というは卯月の父親がダムの管理をしていたからだ。

つまり如月葉月の祖父がダムの管理をしていて、葉月の父親が結婚を機にそれを引き継いだわけである。


さらにさかのぼると、その祖父も別の町からやってきた女性と結婚したと云う。

つまりは如月葉月の祖母もまた別の町の人間だった。


とはいえ祖母娘である如月卯月を産むと、1年も経たずにダムでの生活に耐えかねられずに出て行ってしまったと云う。


如月卯月(如月葉月の母)男手一人で育てられ、如月葉月の父親である優介と結婚した。


つまりこの町の重要なポストであるダム管理の仕事をする人物はここ3世代みな、別の町の人と結婚しているというわけだ。



大家の息子はその話を知っていた。

そして、揮宇は如月葉月と会った事を伝えると、「次はおまえだな」なんて冷やかした。


「あのねえ、確かにあの子とは偶然あったけど、それだけだよ。別に何もないよ」

と、揮宇は答える。


如月葉月は16歳だ。まだまだ子供だ。揮宇は20歳。それに揮宇は今も果実(かみ)の事を忘れられない。だから揮宇はそんな事があるわけないと確信している。

そして果実の事を思い出し、また遠いあの日の森の中へ脳をタイムスリップさせる。


「何考えているんだよ」

と、大家の息子が言う。


「いや、別に」


「如月葉月ってかわいんか?俺、会った覚えがないんだけど、おまえ変な妄想するなよ」


「違うって」

本当に違う。僕が妄想しているのは、果実の事。

妄想って、おい!

でも、妄想である。

もう、果実の居ない時間を、果実といた時間と同じだけ過ごしている。

濃厚だったあの頃の記憶を僕は忘れられない。



何もなかった果実との濃密な暮らしが終わり、何かやる事がある薄っぺらい日々が今日も繰り返されている。


この生活には何もない。


揮宇は岩崎が言っていた事を感じる。


心の奥底では、今ある生活を変えたいと思っているのかもしれない。



窓辺の外では雨が降る。

タカン、タカンと雨は窓を叩く。

冷たい空気の冷たい時間を、こたつでぬくんで、揮宇は再び訪れる春を待っている。

冬の日、雨続き、心眠る、暗い部屋の中、果実なし、実らず、見つからず、退屈な生活、雨降り、雪ならず、今日も繰り返す、暗い曇り空、冷たい、沈む、町の中に、君の声は聞こえない。


雨に沈む町 11.岩崎さん

一週間後、揮宇は岩崎と飲むこととなった。


岩崎は、アパートの大家の息子である、袋田の幼馴染だ。


岩崎と大家の息子は小学校の時こそ、よく一緒に遊んでいたが、岩崎が中学校に上がる頃になると会う機会が減るようになった。

実際のところは、岩崎が袋田だけでなく、周りの皆から距離を置くようになったのが原因であるようだった。

袋田の話では、岩崎さんは徐々に周りとの付き合いが悪くなっていったそうだ。


「この町はどう?」

いつもの居酒屋で、揮宇は岩崎と二人で飲むことになった。


「さあ、一言では言えません」

揮宇は落ち着かない感じでそう答える。ただでさえ人見知りをする奴だ。

会って二度目の男とさしで飲んで落ち着くわけがない。


「どう言えない?」


「そうですね。僕は前に住んでいた町の事しか知りません。その町と比べてどうかと聞かれても、違う点も当然あるけど、特別違うかというと違わない気もします。いくつかの町に住んでいたらもっと何か答えられるかもしれないけど、この町と僕の生まれた町を比べても、なんていうか、とくにこれとって言える事はないですよ。単純に比べるのも難しいです。生活そのものが変わってしまいましたから」


「どう変わったって?」


「前は親元でダラダラ生活してました。今は一人暮らしで毎日仕事をしている。全然違いますよ。そこが。だから町を比べるまえにその違いの方が大きいって思うんです」


「でも、この町が窮屈だとか、狭いとか感じた事はないか?」


揮宇は首を横に振る。

「世界は広いかもしれません。でも僕は広い世界の事を前から何も知りません。この町も西から東まで広いし、僕が行った事ない場所もたくさんある。別に狭いと感じた事はありません」


「そうか。でもこの町から出れないんだ。まだ感じていないだけかもしれないけど」


揮宇は頷く。

「確かに、前の町なら隣町の海まで出た事もあったし、遠くにスキー旅行に行ったこともありました。東京にも何度かいった事はあります。でも僕は別にどこかへ行きたいとか思うほうじゃないから、この町で十分ですけど」


岩崎は少し考え込んでから答えた。

「そうか。この町以外の人にはこの町は狭いと感じるんじゃないかと思ったけど、そうでもないらしいな。人によるのかもしれない。狭いと思わない君にはこの町がちょうどいいのかもしれないな」


「そうですね。僕にはこの町が合っているのかもしれません。

 僕も最近そう思うんですよ。僕はこの町を意外と気に入っているんです」


果実、君と一緒ならこの町で永遠に何の不安もなく暮らしてゆく事ができただろう。

君と暮らせたらよかったのに。


岩崎は少し考え込んでから、小さな声で話し出した。

「実はな、俺はこの町を出てゆくつもりでいる。

 まあ、この町を出てゆくものは毎年何人か、数十人かはいる。出て行くものは皆家出のように突然出てゆくものさ。誰も二度と帰ってこれないかもしれない町にお別れを言って去るような真似はしないのさ。

 俺もそうしようかと考えている。出て行くからには覚悟はしっかりできている。

 俺は自由になろうと考えているのさ」


どこへ行こうと何かに縛られる事になる。

揮宇はその事を岩崎に伝えようと思ったが、うまく口から発することはできなかった。

心の中ではそう思っている。


人は縛られながら生きてゆくんだと。