小説と未来 -111ページ目

雨に沈む町 10.スポーツマンタイプの男

新しい生活の日々は瞬く間に過ぎてゆく。


過去は毎日マンガばかりを読んでいる生活だった。それが仕事をする毎日という生活に変わった。

だからといって、特別何が変わったわけでもない。


秋の森の出来事と比べれば、雨降りの町では極めて当然の毎日が繰り返されているだけだ。

果実(かみ)と色々な事を揮宇は思い返す。

彼女の事を思うと、安らぐけど、酷くブルーな気分にもなってゆく。


忘れよう。



工場ではいつもの日々が繰り返されている。


揮宇は少しずつ、いろいろな土や化学薬品を覚える気もなく覚えていっている。


同じように、うちの周りのいろいろな人たちの事も覚えていってしまう。

近くにある中央商店街には時間さえあれば歩いている事が多い。

お気に入りはパン屋で、白いもっちりとしたチーズパンとアンパンが好みだ。

いつの間にか、パン屋のおばさんにはすっかり顔を覚えられてしまって、どうもと挨拶すると、チーズパンとアンパンが出てくる。たまに違うパンを頼んだら、「それもおいしいのよ」と言って渡された。

すっかり顔なじみだ。


曇り空の単調な風景を見つめ続ける日々が続く。

それは僕のような退屈極まりない、どうでもいいような人間に似合った世界なのかもしれない。

僕にはここがお似合いだ。

秋の森のような美しさより、この曇り空の方が性に合っているだろう。

最近はそう感じる。


それでも雨に沈む町はとても不思議な世界だ。

その不思議な雨の日々は永久不滅のように続いている。世界がどれだけ混乱しても、日本が沈んでも、この町はそれと違う時間を永遠に送り続けるだろうと感じる。止まった町の中では大きな出来事が起こる事はない。平和で退屈な町だ。



揮宇はある男に出会ったのは2月の中頃だった。

町は2月でも雪にはならず、冷たい雨をしとしとと地表に落とし続けていた。


揮宇は大家の息子と工場地帯へと入り込む入口にある居酒屋で飲んでいた。大家の息子に覚えさせられた週末の習慣である。


そして一人の男は近づいてきた。


彼は大家の息子の幼馴染だった。


「やあ、袋田(大家の息子)」


「ああ、こんにちは。岩崎さん」


「そっちにいるのはひょっとして君の所に住み始めたっていう…」


「そうそう。別の町から来た相場揮宇って」


「どうも、相場揮宇です」

と、揮宇は挨拶をする。


「ああ、俺は岩崎」

岩崎という男は、体の締まっていそうな、黒い肌のスポーツマンタイプの男だ。


色白で、部屋に閉じこもって居そうな揮宇とは正反対のタイプだ。


袋田だって、がりがりで運動はできないタイプ。揮宇とはやはりそんなタイプの人の方が友人としてしっくりきている。


でも岩崎は揮宇に興味がありそうだった。

揮宇の座る椅子の横に腰をかけて、間に入ってきた。


「君はこの町の人じゃないんだね」


揮宇はぺこりと頭を下げる。


「ちょっとそういうの興味があるんだ。今度、ゆっくり飲まないか?」


岩崎は揮宇にそう尋ね、揮宇はなんとも言えずに頷いた。


それが岩崎と揮宇の最初の出会いだった。

雨に沈む町 9.普段の生活

一日は静かに始まり、静かに過ぎてゆく。


揮宇は雨空を見つめながら毎朝の始まりを確認し、雨音を聞きながら毎日の眠りに就く。



仕事には慣れたが、会社の人のテンションにはついてゆけない。


揮宇の気持ちはすぐに秋の森に逃げ込む。


18歳まではゲームの英雄気取りになっていた。あの頃は自分だけが特別な存在になれると信じていた。でも今はただの人だ。


現実は苦手だ。できればずっとゲームや空想の世界で英雄になっていたい。

上手に生活できる人が羨ましい。僕は今日も体がだるい。一日中寝ていたい。


朝はまたやってくる。だから仕方なく目を覚ます。


工場に行くと肥料のあーだこーだを討議しあう声が聞こえる。そんなものには興味がわかない。どんな成分だろうと、どんな土だろうと興味がない。

研究者の人たちはそんな事に没頭できる。

彼らはそんなところに興味深く追求しあえる。

素晴らしい才能だ。


揮宇はまるで才能がない。そういう興味心が少しでもあれば、今頃は仕事に集中して生活を楽しむ事もできただろう。


そういう性格なら最初から大学へ行くという考えもあったはずだ。


毎日の工場で、揮宇はただの材料運びをただ続ける。

材料に興味を持つ気も起きない。



寂しく虚しく、雨、雨、雨。降りに、降り、降り、降り墜ち、今日も独りきり。


窓曇り、何もないワンルームの部屋に帰り、膝を組む。


夜が来る。


眠ってしまって、朝が来る。


雨はしとしと窓を濡らす。


興味の湧くこともなく、工場へと行く。


面倒事だって待っている。


考えない。考えない。


傘を差して、バス停で、バスに乗り込み、工場地帯へ。


一日が始まり、過ぎてゆく。


日が暮れて、一日の終りが来て、仕事終わりを確認して家へ帰る。


誰もいない部屋の中、雨音を聞きながら、考える事を忘れる。


雨は一週間降り続いていた。


10月、11月。月はみるみる内に過ぎていった。


過ぎてゆく。過ぎてゆく。雨粒のごとく消えてゆく。

雨に沈む町 8.彼女探し

雨は今日も降っていた。


揮宇(きう)は変わらない毎日を送っていた。


秋の森での出来事を思えば、雨に沈む町は遥かに現実的な場所だ。


テレビもあるし、ゲームもある。


揮宇の部屋にはいまだにテレビもないが、同じアパートに住んでいる大家の息子の部屋で遊ばせてもらっている。


新しい世界で、新しい友達ができた。


多くの人は揮宇の事を珍しがって、雨静海町の外の話を聞いてくるが、大家の息子は意外とそんな事は関係なく接してくれる。


だから揮宇は大家の息子と気軽に付き合える。ほとんど彼の家で、揮宇は遊んでいた。


家の外で遊ぶ事はない。これは町の人も同じだ。運動をしたい場合は体育館に行くしかない。体育館はおそらく他の町に比べてたくさんある。でも揮宇はもともと運動嫌いなので運動はしない。



時間を忘れたペンギンという名の歌を歌う。


時間を忘れたペンギン


雨降り、雨降れ、もう過去はない…


いくつかの点において、この町にいると他の町にはない不思議な習慣に会う。


ペンギンの歌もその一つ、どこかの小学生が歌っていた謎の歌だが何となくそのフレーズを揮宇は憶えてしまった。



揮宇は一人の時、果実(かみ)の事を思い出す。彼女がどこへ行ってしまったのか、どうしているのか、その事を想像する。


僕は彼女の事を想う。

そして彼女も同じ気持ちでいてくれる事を望む。


気分の落ち着かなかったある日、揮宇は役場を訪れた。


そして自分と同じように別の町からやってきた女性がいなかったかどうかを調べてもらった。


でもそんな人はいないと、役場のお姉さんは答えた。


次に揮宇は森へと足を運んでみた。


あの日、あの時、揮宇は秋の森から出てきた森だ。


まさか彼女の死体でもあったらどうしよう?なんて嫌な気持ちを持ちながら、果実の手がかりとなりえるものを探した。しかし何も見つからない。もちろん彼女の死体は転がっていない。


代わりに揮宇は如月葉月(きさらぎはづき)と出会った。


「こんなところで何をしているの?」


揮宇には答える言葉が見つからない。


「ここは結構危険なんだよ。雨の強い日にはその川が増水して、森に入る橋が渡れない。戻らないと戻れなくなるよ」

と、如月葉月は言う。


「それなら君だって同じだろう?」

と、揮宇は言い返す。


「それは違うわ。だってわたしはこの森の上に住んでいるのですものだからわたしは晴れた日とかあまり曇りの日に出掛けるの。それだけ」

と、如月葉月は揮宇の納得する答えを返す。


如月葉月は16歳。森の奥にあるダムの水量調整を仕事としている両親と祖父と共に暮らしている。


彼女はそんな話を語った。


「わかってくれた?」


「そうか、わかったよ。でも最後に一つだけ聞いていいかい?」


「なあに?」


「この辺りで女の子を見かけなかった?年は僕と同じくらいなんだけど」


「…。知らない。あなた以外の人を最近ここで見た事はないけど、その女の人は?」


「いや、何でもない。じゃあいいんだ」


「…」


そういう感じで、揮宇は如月葉月と別れた。


果実はやはりこの町とは別の場所に行ってしまったようだ。

揮宇はどうしていいかわからなかった。ただ淋しい気持ちが心の内に詰まって、胸が痛いだけだった。


もう過去は忘れようか、と思う。

雨に沈む町 7.役場にて

「あなたは誰ですか?」

と尋ねられた。


「相場揮宇(あいばきう)です」

と答えた。


「嘘ですか?」

と女は聞き返してきた。


「いえ、嘘ではありません。この世界では僕はそう呼ばれ、その名前でのみ生きてきています」

と、揮宇は答えた。

そして、訳のわからない表現をしてしまったと後悔する。


「そうですか」

と、役場のお姉さんは頷く。


これは町役場に新しい住民申請に行ったときの話である。


「では、年齢は?」


「おそらく19歳です」


「おそらく?19歳ですか?」

彼女はそう聞き返し、素敵な笑みでにっこり微笑んだ。

「性別 男性。生年月日1999年6月28日、という事は20歳ですね?」


揮宇はこの世界で自分という役を演じているように自分を忘れている。

秋の森で起きた時間が過ぎていた事さえ忘れてしまっていた。

自分の何もかもが間違えだらけの存在である気がして仕方がない。


役場のお姉さんはそれが間違えでももう一度言い直せばいいとばかりに揮宇の間違いを気にしない。


だから揮宇はお姉さんに甘えて、自分を作り直す。この役場で決められた自分として生きて行けばいい。そういう気持ちになる。


「以上で、いいですよね」

と、揮宇はあえて強気に出てみる。


「ええ、大丈夫ですよ。最後に写真撮影がありますので、あちらでお願いします」


促されるままに揮宇は自動の撮影機の中に入ってゆく。

自分の顔は何も変わっていない。

秋の森よりも以前の自分のままの顔が鏡に映し出される。

少しだけ髪の毛が長くなっている。

でも揮宇は1年前と大して変わらない姿を鏡に映している。


パシャリとシャッターが切られる。

自分の顔の写真が仕上がる。


「はい、終わりです」

役場のお姉さんはそう言って、今日の手続きをとっとと済ます。


そして揮宇は見捨てられる。


一人ポツリとほっとかれて、それを理解して町役場を後にする。


とにかくこれで揮宇は「雨に沈む町」の住人になったことが認められた。


町に存在する一人の人間として認められたわけだ。

もう何者でもないわけではない。

彼は、雨静海町在住の相場揮宇、20歳となる。


そして新しい生活が始まる。

雨に沈む町 6.大家の息子

やる事は、あれやこれやとあった。

会社へ行く。役所へ行く。家具を買い揃える。食べ物を買う。些細な事だが、いろいろとある。


揮宇(きう)はできる限り明るく、町の人と接している。

会社の人、役所の人、近所の人たちに笑顔で接している。


小学校に上がった時分の自らに重なる。

新しい生活の始まりに、揮宇は自然と笑みを零していた。そして何を話すわけでもなく、上手に相槌を打っていた。

いつからかそうなくなり、小さな自分の世界に閉じこもるようになった。その究極が「秋の森」だったのかもしれない。今度は「雨の沈む町」と暮らし始めた。生活は相変わらず、変わらない気もする。


そして慣れない。

毎日いろいろと間違ってはいけない事ばかりで胃が痛い。

大き目の溜息を一息ついて、「ふああああ~あ」


町に着いた頃の晴れ間が消えてから、空は毎日曇っている。

ざあざあ激しく降る日はないが、毎日毎日ポツポツ、ポツポツと降っている。

このままだと本当に雨に沈んでしまいそうだ。



最近は大家の息子が僕の相手をしてくれる。

家具屋や電気屋に案内してくれた。


この町にある物は僕が育った町にある物とそうは変わらない。

漫画もあるし、ゲーム機もある。

何でもかんでも、晴れた日になると貨物の列車や船で運ばれてくるらしい。

でも道路は繋がっていないので、トラック輸送はない。

だから新鮮な物、旬な物は運ばれてこない。

週刊誌がない。新聞は地元で出版されているものしかない。


「こんな町もあるんだね」

と、揮宇は何気なく大家の息子に言うと、


「これが普通だから、なんとも言えんがねえ」

と、大家の息子は答えた。

さらに、

「おまえはまだ現実にある情報と学校で教えてもらった情報しか知らないだろう?

 だからこの町が不思議なんだ。

 日本地図を見るとこの町は森の中だよ。

 驚くかもしれないけど、これが事実だ。

 この世には世間を偽るたくさんの嘘が作られている。

 今はわからないだろうけど、この町がそういう町だという事だな」


秋の森から出てきた揮宇にとっては、事実も嘘もどうでもいいように思えた。あの森にしたら、ここは遥かに現実的だ。見ず知らずの人がたくさんいて、勝手な事を勝手に話している。質問すれば答えが返ってくる。だからこの町は紛れもなく現実だ。どこのどんな町であろうと揮宇には関係なく感じられる。


揮宇は今、新しい生活の中に迎えられている。


もう家からは出た。父親も母親もいない。


少なくとも自立しないといけない。


一人暮らしをしていかないといけないんだ。