小説と未来 -109ページ目

雨に沈む町 20.1年後

実家を出た日の事はほんの僅かに覚えている。


両親はどうしているか、と思う。


秋の森で一年が過ぎ、雨に沈んで、また一年。


また秋がやってくる。



揮宇はぼぅっと北の窓より外を眺めていた。


偶然にも如月葉月が歩いているのが目に映った。


晴れてはいないが、雨も降ってはいなかった。


そんな日が数日続いていた。


派手な雨はなく、霧雨のような雨が時々さらさらと宙を覆う程度だった。



1年過ぎたけど、何も変わっていないようだ。


時は勝手に流れていくんだな。


いくつもの事を忘れさせ、僕をここに置いている。


勝手に誰も皆、気がついたら、そこにいる。


そこにいて、他に誰もいない。



まるで10年くらい同じ年月を送った気もするし、ここに来て1ヶ月も経っていないような気もする。


勝手に過ぎた時の事を考えれば、また時は過ぎてゆく。



揮宇は思い立って、家を飛び出した。


出掛ける準備はしていた。


退屈な休日だったから、出掛けようと考えていたんだ。


アパートを出て、階段を走り降りて、山の方へと向う如月葉月の方へと駆け寄っていった。


彼女は足音に気づき、揮宇の方を振り返る。


そして満面の笑みを浮かべた。


「あれえ、どうしたの?」


「そこのアパートに住んでいるんだ」

で、指差す。

「たまたま、君を見かけてね」


如月葉月は重そうな荷物を持っていた。


「重そうだね」


「そうね。だって、半月分くらいの食料ですもの。

 たまに晴れた日に買い物しとかないと、飢え死にしちゃうからね」


彼女はいつも気さくな感じで話しかけてくる。


その感覚を揮宇は快く感じ、ほっとする。


揮宇は手を伸ばし、如月葉月の重そうな荷物を持ってあげた。


「え、持ってってくれるの?でも家はあの山の上だよ」


「ああ、知っているよ。でもいいよ。ちょうど暇してたんだ」


「ふぅ~ん。じゃあ、お願いしようかな」


そして揮宇は如月葉月の家へと行く事になった。


長い山道へと続く。


雨に沈む町 19.祭り

ある一日だ。

過ぎ行く毎日の、ある一日にいる。


そんな一日だから、特別話す事は何もない。


しいて言うなら、夏は過ぎた。


蒸し暑い町だった。太陽光もろくにないのに、揮宇(きう)の体は焼け、赤く腫れ上がった。


やれやれ。


<溜息>


その溜息は腫れ上がった肌に対してだけじゃない。

想像力のない日々が続いている。

見つめたかった未来夢は今日もお預けだ。



夏の終わりに雨静海町の神山町という地区で祭りが行われる。


揮宇はいつもの大家の息子に誘われ、そんな祭りに出掛けた。


エ~ン、デーン、シャックリ、シャクリ。カッ、カカッ、ペェッ。


というわけのわからない掛け声で始まり、みんなゴキブリみたいに?手をカサカサ動かして踊り出す。


始めてみる揮宇には実にアホらしいと感じる。


んん、実にアホらしい。


主催者たちは顔を真っ赤に塗り、江戸時代の百姓みたいな格好をして、稲穂の束ねた物を両手に持って、そいつを揺らして踊っている。

収穫祭みたいなものだ。


祭りの全体像。

古い社(やしろ)の周りを小川が流れていて、その小川にたくさんの橋が架かっている。

人々は、エ~ン、デーン、シャックリ、シャクリ。カッ、カカッ、ペェッ、というリズムに合わせながら、リズミカルに橋の渡り、社の周りをクルクル回っている。

基本的にはおっさんが多い。


揮宇の上司である温厚な課長もこの日は必死に踊っていた。


伝統文化である。


町にはまだ活気がある。

岩崎の言うように死んだ町ではない。

どこかでみんな力を出している。


楽しみもきっとある。


揮宇はバカバカしい踊りを笑顔で眺めながら、町の良さを少しだけ感じていた。


必死になれるものを自分も探そうと考えるのであった。

雨に沈む町 18.居酒屋での再会

靄(もや)のような霧が雨に沈む町を包む。


五里霧中。


僕は今日も何一つわかっていない。


夏の蒸した世界の中でふやけている。


「じゃあいいじゃない!」と、如月葉月は言った。


何がいいんだろう。何をいいと言えるんだろう。


ゲームをやっても、ちっともおもしろくない。


仕事にも身が入らない。


僕は同じところをくるくる廻っている。


一向に先へと進めない。


未来を考えれば考えるほど、僕は辿り着けそうにない。


止まったような世界の中で、ロールプレイングゲームの町の人のように同じところで同じ悩みを続けている。


勇者がやってきて、モンスターを退治してくれれば、喜びの言葉に変わるかもしれない。


でも他には何も変わらない。ずっと同じところを行ったり来たりしている。


何かをしたいとは思っても、結局僕にはその何かが欠けている。


「じゃあいいじゃないか」と僕は呟いてみる。


どうでもいい。どうなろうと何もない。僕は凡人だ。つまらない人だ。



心は秋の森に帰る。


いつまでも果実(かみ)の事が忘れられない。


もし夢であっても、果実と一緒にいた事は初めて人に触れた感じだった。


果実との僅かな距離に心がくすぐられた。


あの感触が忘れられない。


僅かに触れた時の柔らかい感触が僕の虚しさを溶かしてゆく。


気がつけば、また秋の森の入口がないか、僕は探している。


季節は夏で、青々とした葉を付けた木々がカサカサと揺れている。


誰にも会える事はない。


ここは孤独だ。


そして未来を見失った僕は今日も晴れない町の下で心を曇らせている。



揮宇(きう)は大家の息子に連れられ、いつもの居酒屋に行った。心の奥底の事は人前には見せずに暮らしている。


「暑いなあ。やっぱし夏はビールをグビッと行きたいねえ」

と、大家の息子のお誘いがあれば、揮宇はそれに付き合う。


居酒屋は混んでいた。いつも以上にゴミゴミとしている。揮宇の知っている人も何人かいた。でもその人たちは軽い会釈をするかしないかといったくらいの関係でしかない人たちだ。だから付き合うまでもない。


揮宇と大家の息子は空いた二人席に座りビールを飲む。話はもっぱら最近始めたゲームの話だ。揮宇もその話に付き合う。一応ゲームを続けてはいる。


酔いは回り、そんなくだらない話でも少しは気も晴れる。つまらないと感じていたゲームも知らない裏技の話で少しやってみたいという気持ちに変わってゆく。


揮宇にも笑みがこぼれる。大家の息子はそういった点では単純でいい奴だ。ストレートな感性のままに生きている感じが揮宇には羨ましく思える。



「おい!」と、誰かが誰かを呼んだ。


揮宇が振り返ると、そこには岩崎がいた。岩崎が揮宇を呼んだのだ。


岩崎は耳元で囁く。

「あまり興味はないかもしれないが、今年の計画は中止にする事にした。(ボートの)モーターの調子が良くない。予定は来年に変更する事にした。もし気が変わったら、また来るといい」


揮宇はとりあえず頷いた。


岩崎はそうとだけ言うと、揮宇の知らない仲間たちの方へ行ってしまった。最後に岩崎は笑みを浮かべていた。


喧嘩別れした日の事が嘘のように、岩崎は気さくな笑みを浮かべていた。揮宇にはわからなかった。


でも揮宇は不思議とその事でほっとした。



まだ可能性があると感じているのかな?


何をどうしたいのか。


いやそんなはずはない。


僕はやる気のない男だ。


過去に縛られて、いつまでも先へ進めない男だ。



自分の気持ちに揺れていた。いつまでも眠っていたい朝のような場所にいる。誘いが来て目を覚まさないといけないけど、夢に眠っていたい。


ほろ酔い気分に心地よくなりながら、自分の未来に少しの光を感じていた。


揺れている。揺れ動いている。


この誘いを待っていたのかもしれない。そしてその誘いに乗りたいと願っているのかもしれない。


雨に沈む町 17.海水浴

夏は始まり、ある晴れた日の午前中に、揮宇(きう)は大家の息子とビーチに来ていた。


揮宇はボートを作る男に会いに来たわけではない。


極当り前の人と同じように海水浴をしに来ただけだ。


この晴れた日とばかりに町の人はこぞってビーチに群がっていた。


それでもこの町は江ノ島ほどの人はいない。


休日に仕事をしている人もいれば、晴れた日になると貨物の関係で仕事をしなければならない人もいる。


町の人口も少ない。隣町からこのビーチにやってくる人はいない。


だから人が多いといっても有名なビーチよりはまばらだ。


東西に長く延びるビーチは『雨に沈む町』でなかったら有数のビーチとなっていただろう。


「今日は年に一度の楽しみさ。

 休日と晴れが重なるのは盆を含んだって、年に何度もない。

 まだ七月でも、今日が今年最後のチャンスだと思って、皆ここに来るんだよ」

と、大家の息子は言う。


まだ夏の始まりである。普通なら今日でなくても計画を立てて、いつ海に行くかを考えるだろう。


晴れたからと言って、慌てて水着を出して出掛ける人は普通の町にはめったにいないだろう。


でもこの町では町中の人が、晴れたからと言って慌てて海までやってきたのだ。


揮宇も大家の息子の誘いがなければ、この休日を昼過ぎまでうだうだ寝ていたことだろう。


「まあ、こうやって、水着姿の女でも見ながら過ごせるのが幸せってわけだな」

と、大家の息子は言う。


季節が移り変わる。揮宇は天の日差しを受け、心地よく砂浜の上に寝転がっていた。



焼けてゆく肌。夏は嫌いじゃない。


何となく何かができそうなそんな予感さえさせてくれる。


だけど本当はまだ何一つまとまっていない。


頭の中では迷えるあれこれが、答えのないまま続いている。


さざ波の音、人々の笑い声、照りつける日差し、いつか行った海を思い出す。


いつか行った海にはもう行けない。一生をこの海と共に過ごすのか?


来年はまだわからない。


これで幸せだと言ってしまえばいい。


波が引き、空はいつもより青さを増す。心地よい事に変わりはない。



大家の息子は目を瞑り、麦藁帽子を深く被り、何も答えない揮宇と話すのを止める。


そして日光浴を楽しむ。



海鳥が飛んでくる。


彼らはどこからやってくるのだろう?


僕も羽があったなら、どこか遠くへ飛び立っているだろう。


まだ歩き出した雛のように、僕は今日もここで過ごす。


未来はまだ何一つ見えていない。


雨に沈む町 16.急な雨

いったいどうしてこう時間とはあっという間に流れてしまうんだろう。


その虚しさに釈然としない。


毎日続く仕事に疲れを感じるだけだ。


次の連休を楽しみにしている。


何もない連休、ただ仕事をしたくないから休みたい。


せいぜい大家の息子とゲームをするくらいしか思い浮かばない。


それも飽きた。


あれも飽きた。これも飽きた。


僕は果実(かみ)なしには生きていけないのかもしれない。生きる意味はないだろう。



そんなうだうだしている日々を揮宇(きう)は繰り返していた。


「もう、夏といえば夏だね」


暇な休日、散歩の途中で雨が降ってきた。

森の木の下で雨宿りをしていると、如月葉月に出逢った。


「またこんなところで会いましたね」

と、如月葉月は声を掛けてきた。


「今日は降らないと思ったのに、降ってきた」

と、揮宇は挨拶代わりの天候を述べる。


「わたしも同じ。だからせっかく山の上から下りて来たのに、また戻らなくちゃいけないの。川が増水すると帰れなくなるから」


「そうか」


「揮宇さんは何をしていたの?」


「散歩だよ。休みの日は特にやる事もないからね」


「ふ~ん」…「何か、他にないのかねえ」


それで揮宇は岩崎の話をした。岩崎という人がこの町を出てゆくためにボートを作っているという話だ。そしてこの夏にはそのボートで南の島を目指して旅に出ると言う事を話してみた。


「もう、夏といえば夏だね」

揮宇が独り呟いた言葉を今度は如月葉月が発していた。


「そう、夏だ。もう岩崎さんは出てゆくと思うよ。でもそんなのはくだらない計画だよ。だいたい南の島ってどこへ行くつもりなのか。沖縄か、それともずっと南の方の外国の島か、無人島か、何の計画もない計画だよ。そんなものは計画って言わないよね。ただの無謀だと思うんだよ」

いつの間にか、揮宇は岩崎を大きく否定していた。そんなつもりはなかったのに、目一杯の否定をした。


「関係ないじゃない。そんなに言わなくてもいいじゃない。その人はその人なりに思っているのかもしれないんでしょ。それをしない揮宇さんが言える事はないでしょ?」


確かに、そのとおり。


関係ない。


「きっと、揮宇さんも何かがしたいんだよ。だからその岩崎さんが何かをしてしまう事を否定しているんじゃないのかな?自分ならもっとできるのに何もしていないから、気になるんだよ」


「そんなつもりはないよ」

と否定しつつ、


きっとそんなつもりはないと思いたい:と思う。

岩崎さんと僕は一緒じゃない。そんな思いはない:と言い聞かせる。


「じゃあいいじゃない」

と、如月葉月は言う。


雨音は急に強みを増し、木の葉をバシャバシャ叩き出す。

大変だ、帰れなくなると感じた如月葉月は立ち上がった。


「行くね。また今度」

と言って、すこし寂しそうな笑みを浮かべた。それは強くなった雨が彼女の顔を濡らし、涙のように見えていたせいかもしれない。如月葉月は黒く短い髪を雨に濡らし、水色のワンピースを濡らしていた。雨静海町で雨に降られることは当り前のようにあることだが、この日の雨はいつもより乱雑で酷いものであるように、揮宇は感じた。


「ああ、気をつけて」

としか、揮宇には言いようがなかった。


そして土砂降りの雨の中、彼女は森の奥へと消えていった。

それを見届けてから、揮宇は雨宿りを諦め、家まで雨に降られながら帰る事にした。

短い苗木の生え揃った田んぼを雨が叩いていた。かえるの鳴き声が雨音に消されながらも小さく聞こえていた。空の雨雲は瞬時に形を変え、複雑にうねっていた。


じゃあいいじゃないと言った如月葉月の声が揮宇の耳元に残っている。



いいじゃないって何がいいんだろう。


何もよくない。僕にもやりたいことがあるだろう?


それは果実との生活でもないや。


僕の見る未来夢。


未来夢はまだ断片的で形をなそうとはしてはしてくれていない。


僕は新しい未来夢を見つける事ができるだろうか?