小説と未来 -112ページ目

雨に沈む町 5.肥料工場

さて、雨静海町(あめしずみちょう)=通称『雨に沈む町』での生活が始まった。


雨が降った翌日は晴れとなった。

かんかん日照りの数日が続く。大家の袋田(ふくろだ)いわく、こんな事はめったにないことだと言う。

異常気象に等しいといわんばかりの口調でその事を揮宇(きう)に説明した。


袋田さんは年齢五〇そこそこのおっさんである。

ハゲてはいないが、髪は薄く、白髪も目立つ。気さくな笑みを見せる元気な人だが、本人が思っているほど若くはない。つまり本人は意外とまだ若いと思っている。

妻と息子の三人暮らしであるが、揮宇は数日間、その二人を見かけた事はない。


揮宇の暮らし始めたアパートは袋田さんの新築のすぐ裏=北側にある。

その裏をずっっつ進んでいくと、揮宇が秋の森からワープしてきた森がある。

如月葉月(きさらぎはづき)と会った空き地もアパートの北窓から見える。

揮宇はアパートの二階に暮らしている。



数日後、雨がさらさらと降り始めた日、揮宇は肥料工場へと働きに行くこととなった。


雨は霧雨、1m先もろくに見えない霧が覆う朝だった。

揮宇はバスに乗って、新しい生活を始める。

場所は南に広がる工場地帯の一角。

バスはのろのろ運転、中は満員である。

車の光の筋だけが辺りには見える。



工場へ着く。

いろいろある前に、さっそく準備体操が始まる。


ジャン、ジャン、ジャン、ジャーン、ジャジャジャーン

ジャン、ジャジャジャン、ジャ、ジャ、ジャジャジャーン!

腕振り、足上げ、体を揺らす。

手を振り、膝曲げ、腰反らす。

ジャジャジャン、ジャジャン、ジャ、ジャ、ジャシューン!

縮まり、縮まり、天高く突き抜けろー!


といった具合に意味のわからないダンスが始まる。

彼ら(工場の人たち)は当り前のように切れよく踊っている。

そのリズム感はある種の芸術だ。

揮宇は周りを見て、戸惑いながら、一生懸命、朝の体操と云われるダンスを真似る。


ヤーも言って、カーも言って、クワックワッてなアヒルみたいな声も出す。


「さあ皆さん、今日も一日張り切っていきましょう」

などと言われても、揮宇はもうクタクタだ。



仕事は普通である。

肥料作りの開発工場である。

言われた材料を倉庫から持ってくるのが、まず揮宇に与えられた仕事だ。

いろいろな肥料の素を材料倉庫から拝借してくる。


直属の研究員はお堅く厳しいが、倉庫の番人さんは適当でおもしろい。

材料を取りに行くたびに、

「それは(値が)高いんだよ」とか、

「それは珍しいねえ」とか、

「そんなのゴミみたいにあるから適当に持っていけ」、

「あの奥の?腐ってんじゃねえの?」などと説明をしてくれる。

気さくな山本のお兄さん?(30なかばくらい)の人は、揮宇の気を楽にしてくれた。



少しだけ、現実に生きられるようになった。

ここがどこだかはよくわからない。

でも普通に生活するとはこういう事なんだ。


揮宇は実感している。

そんな些細な平穏を感じている。

雨に沈む町 4.新しい暮らし

昨夜は駅舎で眠った。

野宿ではない。駅員のおじさんが毛布を貸してくれた。


布団はなかったけど、雨風を凌げる場所があるだけでも助かった。


なんだか寝苦しかったけれど、きっと秋の森のような落ち葉の布団ではなかったせいだろう。

背中にあたる木板がやけに痛く感じられた。


人工の世界には不慣れな夜だった。

そして淋しい夜だった。いつか以来の一人きりの夜だった。


雨は夜更け過ぎに降り出した。如月葉月(きさらぎはづき)がいうとおりの結果で、昼間の青空は嘘のようだった。



駅舎で起きた翌朝、揮宇(きう)は大通りにある不動産屋を訪れた。


別の町から来た事を告げると、不動産屋のおじさんは驚いたが、

そういう人がたまに客にあったと答えた。

お金も何も持っていないと告げると、不動産屋のおじさんは親切な大家がいると教えてくれた。


その大家は別の町から来た人に興味があるという事で、別の町の人をひいきにしてくれると言う。



その大家の家に行くと、大家の袋田(ふくろだ)さんは目を輝かせて新しい家のリビングルームに揮宇を招き入れた。

そして大家は揮宇にあれやこれやと訊いてきたが、揮宇は秋の森ボケをしていて、一般的な世界の事が何一つピンとこなかった。だからと言って、秋の森の話をすれば頭のおかしい奴だと思われるのがオチなので、なるべく黙って大家の話に相槌を打っていた。


「いや、いいんだよ。言いたくない事もたくさんあるだろうよ。

 この町に来る人は皆それなりの事情があるんだ。

 だから話したくないことがあれば話さなくてもいいさ」

と言って、袋田さんはそれなりに揮宇が物静かな事を察し、理解してくれた。


 アパートの部屋が一つだけ空いていて、そこを借りられる事となった。

 何もない部屋だったが、とりあえず布団一式だけは袋田さんが用意してくれた。


 さらに仕事も紹介してくれた。工場地帯にある肥料工場で人手が足りていないので、そこに入れるという話だった。

 元の生活では仕事があれだけなかった揮宇だったが、この町では簡単に仕事ができそうだ。やる気も何も関係なく、足りていないければ入れる。仕事なんてそれでいいものではないかと揮宇は賛成する。


 雨静海町の住人は優しく揮宇に接してくれた。

 心の淋しさこそあるが、揮宇はこの町で何気なく生きてゆく事が出来そうだった。


 雨はしとしとと降り続く。

 雨降りの町で雨の中、毎日の生活が始まる。

 新しい暮らし、新しい毎日、理由はわからないが、揮宇には生きる場所が与えられていた。


雨に沈む町 3.如月葉月

町は商業地帯からなる西の町と公共の施設やビジネス街がある東町に別れている。

揮宇(きう)が今いる場所はそのどちらでもない中央町だ。この辺りの大昔は沼だったそうだが、川を曲げて堤防を作り、田畑を作ったそうだ。現在では南側に工場地帯が広がる。


如月葉月(きさらはづき)は町の事をそういう風に説明した。


如月葉月という冗談みたいな名前だ。母親は如月卯月(きさらぎうづき)と言う。その流れで、8月4日に生まれた少女は如月葉月と名づけれられた。



揮宇と葉月は道を南にずっと歩いていった。


東西を走る大きな通りで食事をした。揮宇がそこで金を持っていない事を明かすと、葉月はなけなしの金で仕方なくおごってくれた。

静かな洋食喫茶店だった。


「揮宇さんはどうやってここに来たの?」

という質問に戻った。


「電車に乗ってやってきたよ。

 財布を電車の中に落としてしまったんだ」と、答える。


「じゃあ、駅まで行けば財布も見つかるよ。

 ここの列車は動いても一日一往復しかしないから」


この町の電車は晴れた日にしか動かないそうだ。しかも一往復しかしない。それが彼女の説明だった。ならバスか何かで行けばいいとも言ったが、そんなルートはないと葉月は答えた。


不思議な町に辿り着いた。隔離された町。出口は一つしかない。秋の森よりはまともに出られる。ただ電車に乗っていけばいいだけだから。


揮宇はハヤシライスを久々に食べ、お腹を満足させた。食生活の欲が生まれている自分に気づく。もうキノコだけを食べる生活も終ったのだ。



二人はさらにずっと南に歩いた。静かな町だった。ほとんど人にすれ違う事はなかった。田舎町だから皆車で移動するのだ。


駅までは1時間以上歩いた。町内を回るバスを使えばもっと早く着いたのだが、バスの時間がずっと都合の悪いまま、自然と二人は駅まで歩いてしまった。



駅には多くの人がいた。でもそこにいる人々は旅行者とか町を出て行く人とかではなく、大きなトラックに大きな荷物を積み込む作業員たちだった。


駅も駅というよりは倉庫のような場所で、たくさんのホークリフトが動いていた。


「町には物流経路が船か貨物列車でしかないの。だから晴れた日に動く貨物列車は物流の要だって、お父さんが言っていた。今日とばかりにたくさんの製品が運ばれてきたのよ。家電製品とかが主みたいね」


大きなダンボールには確かに電化製品のメーカー名が書かれている。揮宇はとても現実を感じている。


「旅に出て行く人はいないんだね?」


「そうね。町を出て行く人はほとんどいない。一度出て行けば次にいつ戻ってこられるかわからないでしょ?だから出て行く人はほとんどいない。それでも春になれば町を出て行く人もいる。3月、4月、5月には結構な人が出て行くそうよ。わたしもよくは知らないけどね」


「そうか。不思議だね」


揮宇と葉月は端っこのベンチに腰掛けてしばらくホークリフトの動きを見続けていた。作業はそれから程なく終った。もう十分に運び出した後だったようだ。


やがて巨大倉庫のような駅内は静けさに包まれた。


「財布を探す?」


「ああ、だけど、もう大丈夫だよ。後は、自分でどうにかするよ」


「そう。もし困ったら駅長さんに尋ねるといいわ。この町の人じゃない人にお金がないから電車に乗せないとは言わないと思うから」


「ありがとう」


「いいえ、わたしも今日は暇だったから」

如月葉月は少しだけ顔を赤らめて、そう答えた。

「貨物列車の一番前の乗客席に乗っていけば帰れるわ。行きもそうやってきたんでしょ?」


「ああ、そうだね」

と、そうではないが、揮宇は頷いてみせた。


「じゃあ、行くね」


「ああ、ありがとう」


如月葉月は去っていった。揮宇はまた一人になった。



揮宇はずっとベンチに腰掛けていた。

長い夢から覚めた現実の町は冷たく感じられた。


やがて仕事を終えた作業員がどこかからか戻ってきた。そして皆列車に乗り込んだ。

皆が皆、揮宇の方をちらっと見ていったが話しかけてくる人は一人もいなかった。


最後に駅員が出てきて、「乗りますか?」と、揮宇に尋ねた。

揮宇は首を横に振った。


リリリリリリリイッリッリーーーーーン


大きな発車ベルの音が大きな倉庫内にこだました。


それからしばらく列車は動かなかった。乗り遅れた人がいないのかチェックしているのだろう。


15分くらい列車は動かなかった。列車は揮宇の事を待っているかのようだった。


それでも列車はやがて動き出した。


駅員は動き出した列車が倉庫内から出るのを確認した。特に倉庫内は鍵を掛ける場所はないようだ。扉もない。大きな列車の出入り口があるただの車庫だ。


駅員は揮宇の方をちらっと見て、会釈した。揮宇も会釈をした。でもそれだけだった。駅員は外へと出て行った。


揮宇はまた独りぼっちになってしまった。この先の未来もわからないまま、何の答えもないまま、駅に置き去りにされていた。

雨に沈む町 2.最初の町人

揮宇(きう)は頭を下げて、その子に近寄っていった。


背の小さい女の子だ。


「すみません。道に迷ってしまって、ここがどこだかわからないんです」


きっと自然な質問のはず。果実(かみ)以外の人と話すのは久しぶりだから、何となく言葉がどもっている。


「道に?迷った?あなた、どこから来たの?」


少女は揮宇が一番聞かれたくなかった質問を早速してくる。

聞かれたくない。だからその質問はスルーしておこう。


「とにかく駅に行きたいんですが」


でも揮宇にはお金もない。最初に自分の家から散歩気分で出たから何も持っていない。

何にもない。何も持っていない。ただ、姿かたちがあるだけ。


「あなた、別の町から来たのね?


 それなら早く駅に戻った方がいいわ。


 雲が空を覆いつくしてしまえば汽車は動かない。


 だから早く、この町を出て行きなさい」


不思議な表現だった。それに空は青々と晴れ渡っている。


揮宇は久々に見る青く広がる雲ひとつない空を見渡した。


「空は晴れているよ。雨は降らないさ」


「わかっている。でもそれは今だけ。夜になればまた雨が降り始める。そうなればあなたはこの町を長い間出て行けなくなる」


長い間、出て行けなくなる?


言っている事がいまひとつ意味不明だが、揮宇には一つだけはっきりしている事があった。

それは行きたい場所も、帰りたい場所もない。という事だった。

揮宇は果実に会いたいと感じた。そうするとこの場にいた方が彼女に会える気がした。ここを離れたくなかった。果実もきっとこの町の近くにいるだろうと予測する。


「ところでここは何と言う町ですか?」


「あなた、駅の名前も見てこなかったの?


 ここは、雨静海町(あめしずみちょう)。町の皆は雨に沈む町っていうけれど」


変な町に辿り着いた。変な森から出てきたのだから、揮宇には当たり前の事のようにも感じる。きっと不思議は繰り返されるのだろう。

雨に沈む町 1.森の出口

時季は10月だった。


秋の森の終わりの出口には秋の始まりが待っていた。


1年は経っていないだろうと、揮宇(きう)は推測した。


物語は秋の森の続きであるが、揮宇はまだここがどこなのか知らない。

少しずつ、自分がどこにいるのかを見つめ直す必要があるだろう。


1年は経っていない。揮宇は秋の森で10ヶ月の時を過ごした。


自分は今、一人だった。果実(かみ)はいない。服も着ている。遠い夢ごとのように、秋の森と共に果実と過ごした時間はそっくりそのまま消えてなくなってしまった。初めての経験もなかったかのように消えていた。


揮宇はまだ何が夢で、何が現実かもわかっていない。今を感じる必要がある。


戻った森の中は暖かく、太陽の日差しを感じる事ができた。耳を澄ませば野鳥の鳴く声が聞こえた。


『生きている』と、思った。そして、果実はいない。見渡せば、ここがどこかを考えてみるしかない。


揮宇の知らない場所だった。森の中であることは確かだが、そこは揮宇が秋の森に迷い込んだ入口の森とも違っていた。子供の頃から遊んでいた森だから揮宇にはわかる。ここは知らない森だとわかる。

木と木の間に道があるのがわかる。人が歩ける程度の道だが、そこには確かに道がある。そしてそこの脇から涼しげな川のせせらぎが聞こえてくる。


揮宇は立ち上がり、そこまで下っていった。


川は思ったより激しく流れていた。大量の雨が降った後の雨水の流れに感じられた。

地表は濡れていて、白いシューズを汚していた。秋の森の落ち葉のように地表を守ってくれるものは何もない。現実の世界では物が汚れ、人は疲れる。冬の服装をしていた揮宇にはその場が酷く暑く感じられ、汗もかいていた。喉も渇くが秋の森のように綺麗な水は流れていない。土砂のような濁り水が上流から下流へと轟音を響かせ流れている。


小道はその川の流れに沿って、下へと下っていた。だから揮宇はその川の流れ行く方向を目指して歩いていった。


森の出口はさほど遠くはない場所にあった。光が差し込み、小川は右へと逸れていった。


森の出口には稲のない刈り入れられた田んぼが広がっていた。農道が一本ずうっと太陽の照りつける方向に伸びていた。


だから揮宇はその道をずっと南へと歩いていった。民家は見えたが思ったより遠い。広がる一面の田んぼの南まで行くには多くの時間を費やした。


民家の手前の耕運機などが置いてある場所に一人の女の子が休んでいた。中学生か高校生くらいの女の子だ。しかし彼女は制服を着ていない。ラフなかっこうをしている。今日は日曜日だろうか。


少女はもちろん果実ではない。でも揮宇は「女の子といえば果実」というくらいに果実しか知らない。だからその女の子をじっと見つめてしまう。少女は紛れもなく果実ではない。


だから目が合う。


だから話しかけてみる。


『ここはどこだろうか?わたしは誰だろうか?』

揮宇はその事を理解しなくては生きてゆけない。


この先の未来をどうするかなど、まだ何の想像もできていないのだから。

さて、どういうふうに何を尋ねたらよいのだろう。まだ揮宇は現実に戻れていない。