秋の森 特別篇11.5 果実への恋心
最初の出逢い、次の出逢い。
揮宇(きう)は3度目の出逢いを果たした。
その日々は続いた。そして思う。
僕らは同じ日々を繰り返した。僕は君といた。君との日々が幸せだ。
僕らは自然と二人でいられる。そして僕は少しずつ君の事を覚えてゆく。
右目より左目が少し大きい事、鼻の形が西洋人のように尖っている事、唇の赤さ、頬骨の張り具合、笑うとできるおでこのしわ、僕はその一つ一つを少しずつ覚えてゆく。
君が君である事を忘れないように覚えてゆく。
夢にも見た。僕は夢を覚えるようになった。君の夢、君が奪われそうになる夢、君とこの森を出てゆく夢、でも夢から覚めれば君は僕の傍にいた。
いつも君の事が気になる。
そして少しずつ君の事が忘れられなくなる。
森の深さは恐ろしいから、僕らは離れすぎないように互いを確認し合いながら過ごした。
一度離れればもう二度と出逢えないだろう。だから僕は君の名を呼ぶ。
何度も何度も君を見失い、君を呼んだ。
君がいなくなった事、僕がいなくなってしまった事。
僕はただ寂しさを感じているだけじゃない。
実を言えば、僕は君の事が好きになっている。
そして、それは君も同じなんじゃないかな。と最近、僕はそう思うんだ。
僕らは愛し合うべきかな?
そしてこの森を出てゆくべきかな?
そのとき、僕らはどこに行くのだろう?
元の世界に戻ってしまうのだろうか?
それとも別の場所に移るのだろうか?
ただ死ぬのだろうか?
僕らはどうなってしまうのだろう。
始めの人は言った。
『二人重なり合い、子を産むための行為に到れば、男と女は消えてゆく。
その先に行く場所は誰もわからない』
僕の想いが君に聞こえるかな。
「果実、僕は君とずっと一緒にいたいんだ」
果実(かみ)も気づいている。揮宇の気持ちも自分の気持ちもわかっている。
それでも二人は交じり合えない。なぜなら今が好きだから。今を失いたくないから。
男や女じゃなくて、わたしたちは、お互いを好むものとして一緒にいましょ。
これは恋愛とかじゃなくていいよね。
幾度もあなたに触れたかったけれど、それはしないよ。
わたしたちは秋の森の中で一生を過ごす。
この森とあなたとわたしと、それがずっと続く。
それでいいよね。
秋の森 11.揮宇と果実の世界
毎日叫んでいたからきっと疲れてしまっていたのだろう。
出逢えた事に安心したから、ゆっくり休みたくなったのだろう。
揮宇(きう)は眠った。夜も昼も関係なく。
果実(かみ)も眠る。そのすぐ傍で。
揮宇と果実は二人きりの空間に入りこんでいた。
誰もいない秘密の場所。
自分を曝け出してしまっても構わないのだよ。
誰もいない。誰も気にしない。何もとがめるものはないのだから。
揮宇は枯葉のベッドに眠っている。
秋の森の香りが鼻をくすぐる。
まだ目は覚めない。いつまでも眠ろう。意識はなくなったままでいい。
果実は少し離れた場所で葉に埋もれ寝たふりをしている。
目を開けると優しそうな男の子が眠っている。
安心できる人でよかったと感じる。
葉が降りまた埋もれ、少年の香りが少しだけ混ざり合っている。
「孤独が与え続けたものは何?」
「とても淋しかったかな?」
二人は心と心で語り合う。
「今は何を感じている?」
「揮宇を感じている。そこに揮宇がいる」
明くる日も、二人は眠っていた。
「揮宇は寝てばかりだね」
「さあ、そんな事はなかったんだけど、急に眠くなったんだよ。
少しだけ暖かくなった気がする。
秋の次は冬のはずなのに、春のように暖かい」
「きっと季節に関係なく、森は暖かくなったり、寒くなったりするんじゃないかな。
暗くなったり、明るくなったり、どこかで雨が降ったりする。
でもこの森には届かないけど」
「どこかで風も吹いている?」
「どこかで風も吹く。この森には届かないけど」
「風を感じるの?」
「風は音がする。カサカサビューって鳴り響く。
すると木々が驚いて、少し気を悪くする」
「木に気がある?」
「くだらない」
「そんな気は…」
「わかってる。だって木に気があるのはその通り。
わたしは木々が好き。こうしてここで木を感じていたい」
「このままずっとここにいるの?」
「それはまだわからない。今すぐ答えを出したくはない。
揮宇は?」
「僕も同じ。君といる事は壊したくない。
大きな土台が整ったんだ。君と木と僕、一つの家族になれたんだ」
「この木の下で眠りましょう。眠りたい日は眠りたいだけ眠りましょう」
秋の森で冬眠する。食欲を忘れ、揮宇と果実は眠り続けた。
長い長い時が気を変えるまで、二人は眠り続ける事にしたんだ。
眠りの中で語り合う。夢幻の世界によく似ている。
誰も揮宇と果実の世界を邪魔するものはいなかった。
いつまでも、いつまでも。
秋の森 10.女性との語らい
揮宇(きう)は会う。
その子、年の忘れた15の子。
秋の森で時を忘れ、明日と今日を繰り返す。
「忘れてしまったの?」
その子は揮宇に過去の事を訊いて、何も答えない揮宇にそう訊ねた。
「毎日、過去が消えてゆくよ。君もそうだろう?そう違いない」
「ええ、そう。過去はない。もう今は多くが忘れられたまま、今がある」
「ここで君は何をしているの?」
「音を聴いている。夢を探している。気づいた事の一つ一つを覚えようとしている。
ここには思い出を残すようなものが何もない。誰も何もないまま消えてゆく。
わたしに残るものはイメージだけ」
「毎日は変わらない。この森は今日を繰り返す。変わるのはここに迷い込んだ人だけ、だね」
「そんな感じに思う」
「そうだろう。きっと。そうだ。それだけだ」
今日も降り散る赤や黄色の葉を眺める。二人の眺める瞳が赤や黄色に染まっている。
「君の名前は?」
と、揮宇は女性に尋ねる。
「カミ、果実と書いて、カミと読むの。漢字も、平仮名もこの世界では関係ないけれどね。
あなたは?」
「僕は揮宇(きう)、指揮者の揮に、宇宙の宇と書く」
と言って、自分の手のひらの上にその感じを綴る。
文字書けない森のコミュニケーション。
そして少しだけ会話が止まる。
空を眺めても木しか見えないけれど、光の具合から今日が晴れである事がわかる。
雨の日には木々が鳴いている。
風の強い日には雲がざわついている。
今日は穏やかに晴れている。
静かにサラサラ葉を散らすだけだから。
「しばらくは果実と一緒にいたい。君と一緒に暮らせたらいいな」
「ええ、わたしも揮宇と一緒に暮らしたい。わたしもしばし、それを望む」
にっこり微笑み、二人を顔を赤らめた。
赤く染まる森の中で、小さな小さな思い出を君と作る。
秋の森 9.細い目の女性
叫ぶ声が届いたのは、夜の静けさに包まれた時の頃だった。
声は決して大きくない。
揮宇(きう)は木の幹をベッドにして、寝言のように、おーい!と誰かを呼んでいた。
散り続く葉と同じ、その声は変わらずに続いていた。
森の中では繰り返される事ばかり。
言葉から変わる日を望む人の声を汲む人が現れる。
人は木にあらず、だから一生を繰り返して同じ事はないのだね。
目の細い女性が揮宇の傍らに立ち、上から揮宇の顔を見つめていた。
微かに鼻を擽(くすぐ)る森の香りと異なる匂いに揮宇は目を覚ます。
目を開き、女性の存在を知る。
ああ、これは夢だ。
最近よく見る夢に似ている。
いつも僕の夢に出てきて、僕を誘う夢の女性。
君がいる事は、僕がまだ夢から覚めていない証拠だ。
揮宇は頭の回路をそういう風に整理する。
いつもより現実味のある夢心地が嬉しいと、その事に微笑みはしたけれど、
まだまだ夢だと再び瞳を閉じた。
人は夢を見る。
そうなりたいと望む夢、そうはなりたくないと恐れる不安から生まれる夢。
そして人は良き夢に近づいたり、悪夢に近づかなかったりする。
「これはまだ夢だ」
と、揮宇は声に出して言う。
「人は夢に近づいてゆくのよ」
と、澄んだ女性の声が揮宇の耳元に届く。
人を感じる事の幸せを感じる。
孤独の続いた心にすっと染み込み、安らぎを与えてくれる。
揮宇は再び瞳を開けて、女性の存在を確認する。
「わたしは15歳だった。
今も15歳なのかもしれない。
でも時はもっとずっと過ぎている。
きっと、きっとそうね。
わたしは長い間、森の中に隠れていたから」
「君は15歳のようにも見えるし、23歳の女性のように見える。
それは君が大人びているせいかもしれないし、
君が15歳のまま、この森で暮らしてきたせいかもしれない」
「あなたは何を望む?
わたしはずっと逃げて隠れていた。
人の会う事を避けていた。
始めの場所にいる人は言っていた。
『この世界では生まれる事もなければ、死ぬ事もない。
人は他人のセイに関わらない限りは生きていける』ってね。
だからわたしは誰にも関わらないようにした。
誰にも近寄らないようにずっと生きてきた」
「僕も始めの人にはあった。
ユニセックスな人だった。
それと仙人にあって、しばらく共に暮らしていた。
でもやがて、何かを求めて一人森を彷徨い出した。
時を忘れてしまった長い時間を、誰かに届けと声を張らして
次に逢う人を呼び続けてた。
でも僕がこの世界にいるのは、まだ一年も経っていない事のような気がする」
「きっとそうだと思う。
あなたはまだ一年も森にはいない。
わたしはきっとあなたより長い時間をここで過ごしている。
あなたよりもずっと多くの物を見てきた気がする。
何人かの人を感じた事もある。
わたしは避けて、会おうとはしなかったけれど」
さあ、どうしよう。
出逢った人とどうしよう。
完全な夜ではない。
光は薄く二人を照らしている。
朝焼けのような赤き葉の散る森の中で、二人はお互いを見つめる事ができたから。
そう、これは夢じゃないんだ。
揮宇はその事を実感する。
優しく微笑む女性の顔も、澄んだ声も、甘酸っぱい香りも、それは確かに現実のものだ。
葉が散る森は少しずつ朝の光に包まれてゆく。
もうすぐ光は美しく、世界に色を作り出す。
木の色、葉の色、人肌の色、黒髪の色、僕らは色に包まれて世界に住んでいる。
やがて二人は色に包まれ、互いを理解し始める事だろう。
秋の森 特別篇8.5 揮宇の声
叫び続ける声は届くだろうか?
誰もが誰かを呼んでいる。
昔よりも時代は遥かに孤を深めたんじゃないかな?
家族があって、大部屋に皆でいる。
邪魔に思う事がたくさんあるけど、誰かといる空間には温もりがあった昔。
いつのまにか個人の部屋ができて、個々に暮らすようになった。
さらには家を出て、小さな六畳一間の部屋に多くの人が暮らすようになった。
隣にどんな人が住んでいるかも知らない。
大きな声で叫んだら、頭のおかしい奴だと思われるだろう。
こんな森の中で、僕らは声を発し続けている。
誰かに自分の存在を知ってほしいと、願いを込めて声を発する。
この世に生まれ、いつかこの世から消えてゆく。
勝手に生まれて、勝手に死ぬのは悲しすぎはしないだろうか。
誰かが心配してくれて、誰かを失う事を恐れて、誰かと共に過ごして、生きる時間を共有したくはないだろうか?
僕は君の寂しさも汲み取りたい。
そして僕の寂しさも満たしてほしい。
好きも嫌いもあるけれど、とにかく君を感じたい。
好きも嫌いもあるだろうけど、とにかく僕を感じてほしい。
ただ呼び続ける声がこだまする。
森の中に鳴り響く。
君も叫んでいるだろうか?
それともひっそりとして僕の存在に気づこうと耳を澄ましてくれているのかな?
僕は誰かに出逢える日を楽しみに待ち望んでいる。
だから叫ぶ声を止められない。
楽しみで楽しみで止められない。
右に叫び、左に叫ぶ。
より大きな声で、遠くに届くように。
よりたくさんの声で、君がこの声を聞き逃さないように。
いつか出逢えるその日まで、来る日も来る日も叫び続ける。
君の声が聞こえないか、時に僕は耳を澄ます。
遠くの声も聞き逃したくはない。
右へ左へ駆け回り、どこかにいる誰かを探している。
いったいどれだけ叫び続けた事だろう?
森で声は嗄れない。
きっと空気がいいからだろう。
僕はいつまでも叫び続けられる。
答えが出る日まで、叫び続けられる。
信じている。
答えは出るって信じているよ。
叫び声は脈動し始めた。
誰かと出逢う事を待ち望み、それが楽しみに変わっていった。
何もない所から楽しみは始まるんだ。
何かが足りなくて、足りないものを埋めようとする思いから楽しみは始まるんだ。
いろいろな想像が頭の中を駆け巡る。
どんな人に出逢えるか、その想像が頭の中を楽しませてくれる。
想像に等しい物は何もない。
空想を与えてくれるゲームも漫画も本もない。
だから自分で想像し、組み立てていく。
そうなりたいと想像し、その方向を目指して進んでゆく。
きっとこの先にある何かを信じて走ってゆく。
声を上げて、走り回れば、自ずとハイテンションになってゆく。
きっとこれでいいんだ。
走り回れ、どこまでも。
走り回れ、疲れ切るまで。
僕は望み叶えたいと、その思いに馳せている。
何もないなんて信じない。
必ずこの願いを叶えてみせる。
だから君もそう願っていてほしい。
僕に出逢うその日まで。
きっと君に出逢ってみせるさ。
届け、僕の声。