雨に沈む町 10.スポーツマンタイプの男
新しい生活の日々は瞬く間に過ぎてゆく。
過去は毎日マンガばかりを読んでいる生活だった。それが仕事をする毎日という生活に変わった。
だからといって、特別何が変わったわけでもない。
秋の森の出来事と比べれば、雨降りの町では極めて当然の毎日が繰り返されているだけだ。
果実(かみ)と色々な事を揮宇は思い返す。
彼女の事を思うと、安らぐけど、酷くブルーな気分にもなってゆく。
忘れよう。
工場ではいつもの日々が繰り返されている。
揮宇は少しずつ、いろいろな土や化学薬品を覚える気もなく覚えていっている。
同じように、うちの周りのいろいろな人たちの事も覚えていってしまう。
近くにある中央商店街には時間さえあれば歩いている事が多い。
お気に入りはパン屋で、白いもっちりとしたチーズパンとアンパンが好みだ。
いつの間にか、パン屋のおばさんにはすっかり顔を覚えられてしまって、どうもと挨拶すると、チーズパンとアンパンが出てくる。たまに違うパンを頼んだら、「それもおいしいのよ」と言って渡された。
すっかり顔なじみだ。
曇り空の単調な風景を見つめ続ける日々が続く。
それは僕のような退屈極まりない、どうでもいいような人間に似合った世界なのかもしれない。
僕にはここがお似合いだ。
秋の森のような美しさより、この曇り空の方が性に合っているだろう。
最近はそう感じる。
それでも雨に沈む町はとても不思議な世界だ。
その不思議な雨の日々は永久不滅のように続いている。世界がどれだけ混乱しても、日本が沈んでも、この町はそれと違う時間を永遠に送り続けるだろうと感じる。止まった町の中では大きな出来事が起こる事はない。平和で退屈な町だ。
揮宇はある男に出会ったのは2月の中頃だった。
町は2月でも雪にはならず、冷たい雨をしとしとと地表に落とし続けていた。
揮宇は大家の息子と工場地帯へと入り込む入口にある居酒屋で飲んでいた。大家の息子に覚えさせられた週末の習慣である。
そして一人の男は近づいてきた。
彼は大家の息子の幼馴染だった。
「やあ、袋田(大家の息子)」
「ああ、こんにちは。岩崎さん」
「そっちにいるのはひょっとして君の所に住み始めたっていう…」
「そうそう。別の町から来た相場揮宇って」
「どうも、相場揮宇です」
と、揮宇は挨拶をする。
「ああ、俺は岩崎」
岩崎という男は、体の締まっていそうな、黒い肌のスポーツマンタイプの男だ。
色白で、部屋に閉じこもって居そうな揮宇とは正反対のタイプだ。
袋田だって、がりがりで運動はできないタイプ。揮宇とはやはりそんなタイプの人の方が友人としてしっくりきている。
でも岩崎は揮宇に興味がありそうだった。
揮宇の座る椅子の横に腰をかけて、間に入ってきた。
「君はこの町の人じゃないんだね」
揮宇はぺこりと頭を下げる。
「ちょっとそういうの興味があるんだ。今度、ゆっくり飲まないか?」
岩崎は揮宇にそう尋ね、揮宇はなんとも言えずに頷いた。
それが岩崎と揮宇の最初の出会いだった。