一貴&可夢偉 F1ドライバーコンビ来場! GAZOOカラーお披露目トヨタTS040
トヨタくま吉と記念撮影する小林可夢偉選手と中嶋一貴選手
大阪オートメッセに出展するGAZOO Racing。昨年はトークショーのスケジュールをHPに掲載してくれていたのだが、今年は掲載されていなかった。
当日、ブースに寄ったのだがスケジュールが確認できなかった。
メインステージでのスーパーGTトークショーを見終えた後、再度GAZOO Racingブースに寄ってみるとステージ前に人が集まっていた。レクサスの大嶋和也選手の写真を撮っていた女性ファンがいたので「大嶋選手が来られるのだろうか?」「それにしてもどこで情報を得ていたのだろう?」とスタッフにスケジュールがあるのかを聞いてみた。
すると「トヨタの受付に出てます」との事だったのですぐさま行ってみた。「うわっ! マジ!?」そこで思わず声を上げてしまった。
現役日本人ドライバーで人気を二分する中嶋一貴選手、小林可夢偉選手の元F1ドライバー2人のトークショーが行われるからだ。しかもこれからすぐに。
東京オートサロンで行われた2人のトークショー。だがそれは日本の首都でのイベント。「大阪でもやって欲しいな」と思いつつも現実的には無理だろうな―と決めつけていた。
今年のGAZOO Racingはその夢を実現してくれた。
「今日―土曜日に来られて良かった!!」そしてタイミング良くスケジュールを知ることができて良かった。
トークショーでの中嶋一貴選手と小林可夢偉選手
時間的にステージ控室に2人が入っているかどうかギリギリのところ。
念のためにトークショー開始まで入り待ちをすることにした。
この日に両選手が来られる事は全く知らなかった―のだが、トークショー出演選手の写真をプリントする時に「ファン感謝デー用に」と可夢偉選手と一貴選手の写真もプリントしていた。しかも持って来ていたのだ。
自分で自分を褒めるファインプレーだった。
しばらく待っていると両選手が会場入り。
サーキットでは行列ができて恐ろしい競争率の2人だが、今回は競争率「0」で写真にサインを入れて頂く事に成功した。
両選手ありがとうございます!! 嬉しくて手が震えてままならない状態に陥ってしまったほどだ。
2015JAF GPの写真に入れて頂いた中嶋一貴選手のサイン

2015JAF GPの写真に入れて頂いた小林可夢偉選手のサイン
2016年TOYOTA GAZOO RacingのワークスカラーとなったTS040

車両自体は2015年のWECを戦ったものだが、2016年TOYOTA GAZOO Racingのワークスカラーに塗り替えられたトヨタTS040。
昨年までの白/青からイメージが一新された。
一般お披露目が大阪でというのも今までには無かったことだ。嬉しい。

「WECトークショー」と題して一貴&可夢偉選手のトークチョーが行われた。
司会のお姉さんも可夢偉選手の関西弁(尼崎)に誘導されて、後半はほとんど関西弁で喋っていた(笑)。お姉さんも関西の方だったんだな。
「皆さんル・マン24時間レースとか『大変だ』と思うでしょ?でも『30時間耐久テスト』っていうのを何度もやってるんですよ」と可夢偉選手。
ドライバーもスタッフも30時間連続でマシンを走らせる過酷なテストなのだそうだ。
「前なんかドライバー1人が病欠で、5人で6人分走りましたよ」と。
「そこまでやっても本番で壊れる時は壊れるんですよ」とポール・ポジションを獲りながらもリタイアした2014年ル・マンを振りかえる一貴選手。
「マシンに備えてあった携帯電話でチームに連絡入れても誰も出ないんですよ」
「携帯の意味無いな」とツッコむ可夢偉選手。
「2~3人に電話してようやく繋がったんですから(笑)」と続けた。
「ハイブリッド・エンジンってエコだけど遅いってイメージあるでしょ? 僕は逆にハイブリッドの方が速いと思うんですよ」と可夢偉選手。
「ル・マンのコースは一般道使ってるんでマシンが凄く跳ねる場所があるんです。そこで腰や首を痛めちゃうんです。背中を血だらけにしていたドライバーもいました」と一貴選手。
ル・マンやマシン開発の話で盛り上がったトークショーだった。
今年は可夢偉選手が世界選手権に復帰する姿も見られる。トヨタのWECでの活躍が楽しみだ。

ステージ裏では「クルまっちょ」イベントに使われていたタイヤ・バーベルを持ち上げるお遊びも
夢のトークショーを大阪で実現させてくれたGAZOO Racingにも感謝。
SGT王者・松田/千代選手のサインGET NISMOトークショー大阪オートメッセ

大阪オートメッセ2016はスーパーGTとのタイアップを展開している。
スーパーGTドライバーがメインステージやメーカーブースでトークショーを行ってくれる。その際にサインを頂きに行くのが楽しみだ。サーキットよりも競争率が格段に低いので、オッサンは非常に助かる。
ドルフィンが出かけた土曜日にはスーパーGTとニッサンのトークショーで2015年GT500チャンピオン松田次生選手とGT300チャンピオン千代勝正選手がトークショーを行ってくれた。
松田選手が来られるとあって、エブロ1/43ミニカー、MOTUL AUTECH NISMO GT-R・チャンピオンパッケージを持って行ってサインを入れて頂こうという狙いがあった。
「金曜日に行けたならば松田選手とロニー・クインタレッリ選手の2人がそろったのになぁ」と思っていたのだが、数時間後「土曜日に行けて良かった」と思う事になるのだ―が、それはまた別の機会に。
ニッサン・ブースでの千代選手(左)と松田選手(右)のトークショー
CARトップのトークショーに行っていて、午前のニッサン・ブースでのトークショーの“入り待ち”は出遅れて失敗しまった。
松田選手が次に登場するのはメインステージでのスーパーGTトークショー。
SGTトークショー後に“出待ち”してNISMO GT-Rのミニカーに松田選手のサインを入れて頂く事に成功した。
松田選手ありがとうございます。
スーパーGTブースに展示されていたGT300チャンピオン・マシンGAINER TANAX GT-R
午後のニッサン・トークショー後に鈴鹿1000㌔でのGAINER TANAX GT-Rの写真に千代選手にサインを入れて頂いた。千代選手からサインを頂くのはこれが初めて。ありがとうございます。
午後のニッサン・トークショーではステージ背後のモニターに映る映像と絡めてスーパーGTでチャンピオンを獲るまでの裏話や、千代選手の2016年バサースト12時間耐久の話が聞けた。
両選手ともこのトークショー後に予定が無かったため、急遽時間を延長してトークが続けられ、集まったファンは大喜びだった。

スーパーGT2015年最終戦もてぎでは、松田選手はGT優勝歴代最多タイの記録がかかっていた。
「KeePer TOM'Sを抜いて優勝したい気持ちもありましたが、万が一の事もあるので確実に2位に入ってチャンピオン獲得を目指しました」と松田選手。
バサースト12時間耐久では12時間走ってトップのマクラーレンと1秒276差での2位。
「あと1~2周あったら確実に抜けていました。セーフティーカー入ってる時間をサッカーみたいに“ロスタイム”で延ばして欲しかったです」と千代選手。
すると「トップ走ってる時は逆に嫌だけどね(笑)」と松田選手。
Nissan GT-R NISMO N Attack Package

ニュルブルクリンク・サーキットで量販車最速の7分8秒679を記録した時に装着していたパーツをパッケージとして組み込んだ特別仕様車。
コクピットに座れるとあって、列ができていた。
ニッサン・ブースの隣にはGT-Rマガジンのブースが展開されていた。
GT-Rマガジン・ブースに展示されていた松田次生選手所有のR33GT-R
車好きの松田選手がカスタムした愛車。
トークショーの度に「松田選手はGT-R乗って帰らなきゃならないですよね」「いや、俺、今日まで(土曜日)だから」との会話がお約束だった。
誌面での企画「HKS ADVAN GT-R 最速ブーストUP計画」のデモカー。
アドバンカラーはGr.A時代のアドバンGT-Rを彷彿させてくれる。実にカッコイイ!
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土屋圭市氏にサイン入れて頂いたチーム国光GT-R CARトップ/ホンダS660トークショー
大阪オートメッセ2016での最大の目的は土屋圭市さんにお会いしてサインを頂く事だった。
自動車雑誌「CARトップ」のブースにゲストとして来られるとHPで紹介されていた。
「こられるなら、サインを頂くミニカーはコレしかない!」と、1/27スケールと大きくてがさばるのだが京商オートスケールのSTPタイサン・チーム国光GT‐Rを持って行った。一緒にレース観戦してきた友人から頂いたものだ。
Gr.A最終年に結成されたチーム国光は、高橋国光選手と土屋圭市選手の新旧ドリフトコンビとして注目を浴びた。好きなドライバー2人のチームとあって、ドルフィンはこの時からチーム国光を応援している(ドライバーやマシンが変わろうとも)。
トークショーでの土屋圭市さん
「トークショー・スケジュールはHPで公開」とあったが、結局公開されないまま当日を迎えてしまった。朝、インテックス大阪に到着すると会場一番奥の6号館内のさらに奥にあるCARトップブースに急行。土屋圭市さん出演時間を確認に向かった。
見ると販売ブースですでに土屋さんがファンにサインをされているではないか!
急いで現場に向かい、順番を待つ。

JGTCドライバーヘルメット・ピンズ
チー国GT-Rのミニカーにサインを入れて頂く。
「懐かしいマシンだねー。カッコイイよねコレ」と土屋さん。舞い上がっているドルフィンは「チー国最高です!!」と応えるのが精いっぱい。
土屋さんにお会いするために'95年頃JGTCが発売したドライバーヘルメット・ピンズを付けて行ったのだが、気付いて頂けただろうか?
チー国GT-Rに乗っていた頃の“昔のサイン”をして頂きたかったのだが「昔のサインでお願いします」と言っては失礼かな? と口に出せなかった。

’96年頃に頂いた土屋圭市さんの昔のサイン
気さくに応対して頂き感謝しています。
土屋さんにサインを頂いたので、次は国さんにサインを頂いてチーム国光を完成させたい。
CARトップ・ブースでは次々とトークショーが行われていた。
他のトークショーとの兼ね合いでじっくりと聞けたのは「ホンダS660カスタマイズ」がテーマのトークショー。
モータージャーナリストの国沢光宏さんの司会で、土屋さんとともにModulo、BLITZ、BRIDEのパーツ開発担当・代表が登壇。開発エピソードやアピールポイントを紹介した。
Modulo S660 Drago Special Model
スーパーGT参戦のドラゴ モデューロ NSX CONCEPT-GTのカラーリング。軽自動車でありながらホイールまで開発している。
エンジンは一応ノーマルだが吸排気系にも手が加えられている。
会場の“ノリ”で来年には「100馬力突破」「ワイドボディ化」されたマシンが展示されるかも?
BRIDE S660


オープン2シーター専用フルバケットモデル『A.i.R』を装着。
土屋さんが「オレのNSXはリクライニング・バケット。歳とるとリクライニングで調節したいのよ」と話されていた。
最期までお読み頂いた方へのサービス。
男たちの魂が宿るKE007 大阪オートメッセ2016
大阪オートメッセのNGKプラグ・ブースに展示されていた1台のマシン―今の方が見たら「このマシンは何だろう?」と思うかもしれない。
フォーミュラーっぽいが見慣れない形のノーズだ。メインスポンサーの文字も無い。
このマシンこそ、日本で開催された公式F1レース、'76 F1inJAPANでスポット参戦した国産F1・コジマKE007だ。
時代を知らなくともミニカー・コレクターの方なら近年に京商から1/43ミニカーが発売されたのでご存知かもしれない。

長谷見選手が乗っている!
スポット参戦ながら地元・富士スピードウェイに照準を合わせて作られたKE007は、金曜日の予選1回目から絶好調。モータースポーツ後進国と見られていた日本の技術の高さを海外に知らしめた。
当時、脂がノリのノッていた長谷見昌弘選手の完璧なタイムアタックでポールポジションを狙える区間タイムを出していた。
午後の予選で日本人ドライバーと日本の技術が最速と証明されるまであと数秒のところだった。突然マシンはコントロールを失ってクラッシュ。夢が悪夢に変わってしまった。
’76年F1inJAPANスターティンググリッド 右手前がKE007
スペアカーが無かったために残骸と化したマシンを修復することになった。
FISCO周辺にある「大御神レース村」と呼ばれる幾つかあるレーシング・ガレージから誰に言われるでもなく助っ人が無償で集結。限られた時間と資材で修復作業が始まった。
日本製マシンをスターティンググリッドに付けようとする情熱がそこにはあった。
不眠不休の作業により決勝日の朝にはマシンは形を成した。
ドルフィンがこの話を知ったのは決勝レースのリポートが掲載された自動車雑誌だった。
決勝日には「日本製マシンがクラッシュしたのを修理して出場する」らしいくらいにしか分からなかった。
胸を熱くさせてくれる有名なエピソードは、漫画『赤いペガサス』の南アGP編でも生かされている。
決勝は調整もできないままの状態でありながらも「徹夜で修理してくれたみんなのために」と長谷見選手は最後尾・7周遅れながらもマシンをゴールまで運んだ。
男たちの熱意に男が応えた。
行方不明だったKE007がほぼスクラップ状態で発見。数年がかりでフルレストアされ2004年のグッドウッド・フェスティバルで走行。
日本では2007年に富士スピードウェイで開催されたF1日本GPや2013年に映画『RUSH/プライドと友情』公開キャンペーンでも展示された。
だが、いずれも関東圏。関西圏で見られる機会は無いだろうか? いつかきっと関西圏でも見られる時が来る!―と信じていた。
今回、NGKが東京オートサロン、大阪オートメッセにてKE007を展示してくれると知って歓喜の声を上げた。
’76年以来40年ぶりの対面。モロ歳バレだ。
フルレストアされたとは言え、KE007の端々には世界に挑戦した日本人の熱い魂が宿っている。
当時の人々の想いとF1観戦の思い出に涙腺を緩ませながらKE007の写真を撮りまくっていた。タイミング悪くNGKのお姉さんの撮影会に押し寄せた人達に押されながらも…。
’76年の決勝レース同様、ダンロップのレインタイヤを履いている。
何よりコクピットに長谷見昌弘選手のマネキンが乗っているのがいい! 黒に金ラインの入ったショウエイ・ヘルメットだ。長谷見選手はやはりこのヘルメットのイメージだ(’90年代にデザインチェンジしてしまった)。
昔、KE(コジマ・エンジニアリング)のステッカーもカバンに貼ってたなー。ショップで売っていないか探せばよかったな。

今では実車を見る機会も無くなってしまったスポーツカーノーズのF1。
走行可能状態なら走っている姿も見たくなってしまった。もちろん長谷見さんのドライブで。
実車を見てしまって京商1/43ミニカーが欲しくなってしまったぞ!!
大阪オートメッセ2016に行ってきました
大阪オートメッセ2016に行ってた。
毎年寒風吹きすさぶ中での開催で、外に出ると寒く館内は暑いと着るモノが難しい気温でしたが、今年は暖かかったので福のチョイスも楽。
会場オープンから多くの人が詰めかけ、入場するにも長蛇の列。
リーマンショック後は自動車メーカーが全て手を引いてしまい、ただの改造車展示会になっていたオートメッセ。しかし、ここ3年はスーパーGTとのコラボや自動車メーカーが徐々に復帰してきて盛り上がりを見せてきた。
今年は国内メーカーが大阪モーターショーに負けないほど、いや、レース色に関しては大阪モーターショーよりも濃い内容となった。レースファンにとってはオートメッセの方が楽しいかもしれない。
トークショーも各所で頻繁に行われ、トークショーとドライバーにサインを頂きに回ったので、1日でかなりの距離を歩いた事だろう。昼食を取るタイミングも見つけられないほどだった。相棒がいれば相手に気遣って食事に行くところだが、1人で行くとこれだから困ったものだ。
サインGETに関しては自分で自分を褒めたい超ファインプレーもあった。この件はまた後日。
とりあえずは写真整理して徐々にUPして行きます。
レースの思い出が詰るトミカ 旧FISCOペースカー/フェアレディZ
トヨタが2000年に買い取る前の、三菱地所が経営していた頃の富士スピードウェイは通称FISCO(Fuji International Speedway Co.,Ltd)と呼ばれていた。
’80年代にFISCOのペースカーを務めていたのは歴代フェアレディZたち。
ミニカーを集め始めた頃、ハトのマークの大手スーパーのおもちゃ売り場で見つけたトミカのフェアレディZ/FISCOペースカー。
既にトヨタが富士スピードウェイを買い取ってリニューアルしていたので、FISCOのロゴが入っているミニカーは記念になるので購入した。
このおもちゃ屋は、トミカミュージアム館のスーパーカーやレースカーを置いてくれるマニアックな品ぞろえだったので、頻繁にのぞいていた。当時はまだ京商1/64ミニカーが発売された頃で、ドルフィンは存在を知らなかった。それだけにスーパーカーやレースカーのトミカが入手できるので重宝していた。
’84WEC JAPANでのFISCOペースカーZ
FISCO Zの写真を撮っていなかったかな? と探していたのだが、最近になって昔のWECネタを書くのにアルバムを見ていたら「あ、こんなところにあった!」と'84年WEC写真の中から発見した。
ヘアピンで海外C2マシンがクラシュしてセーフティーカー導入となった時の写真だ。
車体(ミニカーにも)「PACE CAR」と書かれているので、セーフティーカーではなくペースカーなのだ。
ノーマル・トミカであるが、かなり車体に文字が入った仕様になっている。
大阪に移住する前、新しくなった富士スピードウェイに行ってきたが、もはやドルフィンの知っているサーキットではなくほぼ新造サーキットと呼べるものだった。新富士に行ったのはこの1回きり。
エブロ1/43 シルビア・スーパーシルエット前期&後期 と'83WEC JAPAN③
エブロ1/43ミニカー、ニッサン・シルビア・ターボ・スーパーシルエットの前期型(奥)と後期型(手前)を並べてみた。
ミニカーとしてはフロントマスク以外は前期型の焼き直し?―と見える後期型なのだが、細部がかなり異なっている。
そもそもレース車のスタイル・ベースとなっている市販車の型式がS110型とS12と異なっているため、マスクだけでなくテールの作りも差異がある。
ニチラの稲妻カラーも“枠”の太さと色が違う。
名古屋モーターショー’84で展示されたシルビア・シルエット後期型
シルビア・シルエット後期型は登場して間もなくスーパーシルエット・レースが終幕してしまったため出番が少なかった。
ドルフィンは実際にサーキットでレースをしている雄姿は観ることが無かった。名古屋モーターショーに展示された車両が初めて見た時だった。
展示スペースのレイアウト状態から真正面からしか撮影できなかった。そのため友人に頼んで彼が撮影したレース時の写真を送ってもらってコレクションしたのだった。
テールの作りもかなり異なっていた
一昨年に日産ヘリテージコレクション見学に行った際に、30数年ぶりにじっくりと車両を見て写真に収めることができたのだった。
現存している車両も2005年にレストアされたものなのだそうだ。
友人が撮影した富士のスーパーシルエット・レースでの後期型
エブロのミニカーでは、ボンネットにある多くのエアアウトレットも穴を開けた状態で再現され、両サイドにある垂直のエアロパーツは薄い板で仕上げられている。
コクピットは前期型と共通のように見える。
日産が参戦を始めた'83年WEC JAPANでは、スカイライン・ターボCは市販車に似せた形状を保ったマシンであったが、ニッサン・シルビア・ターボCニチラは「シルビア」と名前が付いているだけで実際はマーチ83Gシャシーに日産エンジンを乗せたマシンだった。
’83WEC JAPANのシルビア・ターボCニチラ
’84年にはカラーリングを変更。
’84WEC JAPANのシルビア・ターボCニチラ
’83年WEC JAPANの1週間前、鈴鹿サーキットでのF2グレート20レースを観戦した。この時に広場で展示されていたアドバン・ポルシェ956。
このマシンが初めて目にしたポルシェ956でありGr.Cカーだった。
「これがポルシェ956かぁ~!」とグレート20レースでの興奮冷めやらぬ中、翌週のWEC JAPANが楽しみで楽しみでワクワクした。
レースを終えた高橋国光選手と高橋健二選手がアドバン・ポルシェの展示場所に現れた!
そのタイミングを逃さず写真撮影させて頂いた。
国さんと健二選手
土曜日の晩に車で出発して初めて“泊まり”で観戦にとなった’83WEC JAPAN。
真夜中にメインゲートで午前零時からの入場を待つ車の列。夜に開いていたマツダ・ブース…。“ル・マン観戦っぽくて”嬉しかった。
夜中にメインスタンドで食べた焼きそば。色は濃いが全く味がしなかったので紅ショウガを一緒に食べるしかなかった。当時、紅ショウガは嫌いだったのだがこの焼きそばのお陰で食べられるようになったのだった。
夜のマツダ・ブースで見た’82年型マツダ・サバンナRX-7・254
グランドスタンド裏に展示されていたロスマンズ・ポルシェ956
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スカイライン・ターボCと'83WEC JAPANの赤旗終了
WEC JAPANのプログラム
F1開催が無い空白期に日本で唯一の世界選手権だった世界耐久選手権・WEC。
初回こそ観戦できなかったが、第2回大会の'83年から連続観戦した―鈴鹿でF1が開催されるようになった'87年まで―。さすがに秋に2回の世界選手権観戦は資金が続かない。
第2回大会からはプライベーターのポルシェ956や日本勢も大挙エントリーして盛り上がりを見せた。ランチアは来日しなかったが。
その中でもニッサン・スカイライン・ターボCを観られる事は、スカイラインRS好きにとってはとても楽しみだった。
スーパーシルエットのように市販車の面影を強く残すGr.Cカー。それもフロントに3枚フィンを持ったスカイラインRS前期型の顔をしてくれているのがたまらない。スーパーシルエットでは市販車後期のRS-Xタイプの鉄仮面になってしまったので、前期型の顔つきでいてくれるマシンは嬉しい。
第一コーナー手前の土手で観戦していると、スーパーシルエット同様、アフターファイヤーを吹き上げてくれる。「絶対に綺麗に写真に残したい」とタイミングを図るのに懸命だった。
当時はフィルム写真。撮った後は現像・プリントとさらに出費があるので、持って行くフィルムの本数も限られていた。現在のようにデジカメで撮影枚数も多く連写で勝負できない分、当時は1回のシャッターに込められた気持ちは大きかったはずだ。
エブロ1/43ミニカーで仕様が異なる数種が発売されたが、もちろん富士WEC仕様を購入した。
2014年のスーパーGT鈴鹿テストで長谷見昌弘氏にサインをお願いした際は「懐かしい車だねぇ」と話されながらサインを書き込んで下さった。
’83年WEC JAPANも残り周回数も僅かとなった頃、グランドスタンドが解放されたので入ってみた。
するといきなり大きな爆発音がコース上から聞こえた。瞬時にカメラを向けてシャッターを切った。
もちろんフィルムもモータードライブなどなく手動である。
トヨタ・トムス83Cのタイヤがバーストしていた。このレース中、トムス83Cはフロントカウルを破損してスペアが無かったため姉妹車の童夢RC83のフロントカウルを装着して走行を続けていた。
トムス83Cはリアタイヤのバーストでコントロールを失い、ピットレーンのガードレールに激突。真っ二つに折れてリア部がコクピットの上に落ちるという大惨事となった。が、ドライバーの松本恵二選手は無事にコクピットから脱出してきた
レースは赤旗で終了となった。
トヨタ・トムス83Cクラッシュの連続写真
モーター誌でWEC JAPAN写真コンテスト募集があり、ドルフィンはもちろんこの写真を応募した。
発表の1号前のWEC JAPAN特集号で「タイヤバーストの危険」としてドルフィンの写真が紹介されていた。「ここで使われるということは、賞には入っていないな」と察してしまった。
翌号の結果発表ではその通り、賞には全く引っ掛かっていなかったのだった…。
トヨタ・トムス83Cの破片
全車パドックに帰還し事故車の処理が行われた。表彰式の準備が行われ始めたタイミングで悪ガキ・ドルフィンたちはコースになだれ込んだ。
この時に拾ったトムス83Cの破片は今でも大切に保管している。
フロントマスクが童夢になったトムス83Cのミニカーは発売されていなかったのではないかと記憶する。
表彰式。左からJ・マス、J・イクス、D・ベル、S・ベロフ、藤田直廣、V・シュパンの各選手
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ウイニングラン・ポルシェ956と’83WEC JAPAN

背景は「WINNING RUN」試写会で頂いたステッカー
ロスマンズ・ポルシェ956のミニカーが欲しいなと検索をかけたらWINNING RUN ポルシェ956が出てきた。各所でかなり“売れ残って”いるようだ。
仕方がない、WINNING RUNカラーは'83WECinJAPANの1戦のみのカラー。ポルシェ956のカラーバリエーションをそろえたい熱狂的ファンか'83WECを知る世代くらいにしか需要がない特殊なマシンだからだ。
このマシンを語るにはスポンサーの「WINNING RUN」から説明せねばならない。
「WINNING RUN」は「ポールポジション」「ポールポジション2」に続くモータースポーツのドキュメント映画だ。「3」にならなかったのは前2者がF1を中心にクラッシュシーンを集めたものに対し「WINNING―」は2&4輪を扱っている。
映画の日本公開のキャンペーンのためにスポンサードしたのだ。
’83WEC富士でのWINNING RUNポルシェ 1コーナー手前で
今でこそ30年間連続でF1が日本で開催されてきているが、その昔、1976‐7年に富士でF1が開催された後は開催されず、空白期間が長かった。
そこに世界耐久選手権=WECが日本で開催されることになった。F1とまではいかなくとも“世界戦”に飢えていたファンにとってはとても魅力的なレースだった。
しかもル・マン24時間レースで中心となる新しいカテゴリーGr.Cカーがやってくるのだ。
ポルシェvsランチアが展開された初年度は学業の都合で残念ながら観戦に行けなかった。観戦に行った友人がプログラムを買って来てくれたのがせめてもの慰め。
翌'83年から観戦に行けるようになった。
ワークス・ポルシェに加え、WINNING RUN ポルシェをはじめとする多くのプライベーター・ポルシェ。付け焼刃であったが日本メーカーの参戦と大会的には盛り上がりを見せた。
ドルフィンにとっても一番印象強に残っているのも'83年大会だ。あの時のワクワク感、興奮は忘れられない。

’83WEC JAPAN宣伝ステッカーと
2010年に静岡ホビーショーに行った際、物販ブースで1,500円で販売されているエブロ1/43ミニカーのWINNING RUN ポルシェ956を発見し即買いした。
ポルシェ956の1/43ミニカーが1,500円は買いでしょう!
思い入れのある'83年WEC富士のマシン。しかもこの大会限定のカラーリング。更には映画も試写会で見ていたのだから。
ワークスの'83型ロスマンズ・ポルシェ956のミニカーも手にしたいものだ。
ワークス、ロスマンズ・ポルシェ956 1コーナー手前で
初めて見た"ローリングスタート"。スタート後、1周してきたときは「もう来た!?」と驚いたほど速かった。
F2やGCも観ていたのだが、Gr.Cカー…ワークス・ポルシェの速さには群を抜いていたように感じた。2周目には既にプライベーターのポルシェを引き離して1-2体制を築いていたのだから。
ル・マンを制した圧倒的な速さで"世界選手権"の凄さを肌で感じさせてくれたワークス・ポルシェ。
現代のLMP1マシンの性能が高くなろうが、どれほど時代が流れようが、このロスマンズ・ポルシェ956の美しさと偉大さは、ドルフィンの中では色褪せることは無い。
優勝したステファン・ベロフ選手(左)とディレック・ベル選手(右)。手前のうしろ姿はジャッキー・イクス選手
「いつかはF1モナコGPやル・マンを観に行きたいね」と話し合っていた友人と土曜日の晩から車で出発し、富士スピードウェイの駐車場で夜を明かした。
深夜でも開いていたマツダのブースや焼きそば販売の店。マシンが眠る夜のサーキット…。ル・マンの隅っこをかじったようで胸が高鳴った。
コース上に表彰台が設置され始めた時、「レース後はル・マンみたいにコースになだれ込まなきゃね」と話していた友人とともに富士のフェンスをよじ登ってコースになだれ込んだ。悪ガキである。
富士のコースは客席の最下段からさらに2mくらい落差があったのを忘れていた。3mくらいは飛び降りたであろう。下が芝生で良かった。
当時、ビデオから撮影した表彰式風景。赤丸で囲っているのが悪ガキ・ドルフィンだ
こうして表彰式を近くで観て勝者を讃えた。
気が付けば周囲には後からなだれ込んできたファンが集まっていた。
あ、翌年からはなだれ込みは止めましたよ。
戦い終わったロスマンズ・ポルシェ956 2号車
ワークスのマス選手やベル選手は元F1ドライバーであり、イクス選手は耐久王。ベロフ選手の新進気鋭で将来を嘱望されていたドライバーだ。
現在のように サイン会やピットウォークなど行われず、一般ファンとドライバーとの接点が全く無かった時代、憧れのレーシング・ドライバーに会えて興奮し舞い上がった。
イクス選手には完全無視されたものの、ベロフ選手、マス選手、3位に入ったル・マン勝者のシュパン選手にサインを頂けた。
優勝したステファン・ベロフ選手のサイン
ステファン・ベロフ選手は'84年にF1にステップアップ。幾多の名勝負と入賞を果たし、同時に世界耐久選手権チャンピオンにも輝いた。
快くサインを下さったベロフ選手を応援していた。チャンピオン獲得のニュースに「やった!」と喜んだものだ…。
だが、翌年のスパでのレースで他界。超新星のように輝きを放って消えてしまったのだ…。
元F1ドライバー、2位に入ったヨッヘン・マス選手のサイン
ヨッヘン・マス選手は'76、'77年のF1日本GPでマクラーレンをドライブした憧れのF1ドライバー。'89年にはル・マンを制する。
後にはメルセデスのCカーでミハエル・シューマッハ、カール・ベンドリンガーと組んで世界選手権に参戦した息の長いドライバーだった。
’83ル・マン優勝者、バーン・シュパン選手のサイン
ポルシェで全日本プロトタイプカー選手権に参戦。
シュパン選手が作ったシュパン・ポルシェは昨年の鈴鹿サウンド・オブ・エンジンで見ることができた。
大好きなスカイラインRSターボ・シルエット前期/後期型 トミカリL・V・NEO
'80年代に多くのファンを魅了したスーパーシルエット・レース。中でもスカイラインRSターボ・シルエットは一番人気だった。
ドルフィンにとっても好きなレーシングカーBEST3に入るマシンだ。
スカイラインがサーキットに復帰して初優勝した’82年のRRCチャンピオンズレースと'83年の富士GC第2戦でRSたーぼ・しるえっと前期型を観ることができた。

初優勝した'82年RRCチャンピオンズ 富士の第一コーナーで
ミニカーを集め始めた時もRSターボ・シルエット前期型は絶対に欲しいマシンだった。
だが、人気車種だけあってエブロ1/43ミニカーもトミカリミテッドも完売状態。町のおもちゃ屋巡りをしても遂に手に入れることはできなかった。
しまいには「本当に発売されていたのか?」と思えるほどだったが、静岡市にあるエブロのショールームに展示されているのを目にして「本当にあったんだ」と実感したのだった。
「NISSAN P.D.C.」のステッカーと
近年になってトミカリミテッド・ビンテージNEOで1/64スケールとしては驚異的な再現力で発売された。
ようやく納得のいく緻密なRSターボ・シルエット前期型のミニカーを手にする事ができた。
そのまま飾ってしまっては埃が付いてしまう。ミニチャンプス1/43ミニカーのケースを流用し、オリジナル台紙を付けて飾ることにした。
トミカリミテッド・ビンテージNEOとしては何故か後期型の方が先に発売された。
「鉄仮面」と呼ばれたRS-Xをベースにしてモデルチェンジされたフロントマスクだが、ドルフィンは3枚フィンの前期型の方が圧倒的に好きだ。
やはりミニチャンプスのケースに入れて長谷見選手フィギャとともに飾っている。
後期型の現役時代は’83年の鈴鹿JAF GP前の練習日で走っているところしか観たことが無かった。
'83年JAF鈴鹿GP直前の練習走行で
日産ヘリテージコレクションに眠るスカイラインRSシルエット後期型
近年になって名古屋ノスタルジックカーショーの桜井眞一郎展で20数年ぶりに対面。じっくりと見ることができて嬉しかった。
その後、鈴鹿サーキット50thアニバーサリーデーの展示や日産ヘリテージコレクションで見ることができた。
NISMOフェスティバルでは走行があるのだが、富士まで行けないので走行する姿再び観ることはできていない。



















































