Gr.Cカルソニック日産R92CPで星野一義氏走る 鈴鹿サウンド・オブ・エンジン
昨年の鈴鹿サウンド・オブ・エンジンからGr.Cカーを走らせてくれている日産・NISMO。今年はGr.Cターボ最後のマシン、ニッサンR92CPを2台も走らせてくれた。
富士のNISMOフェスティバルならいざ知らず、鈴鹿で見せてくれるとは富士まで行けない身としてはとても嬉しい。しかもドライバーは当時のまま星野一義氏と長谷見昌弘氏なのだから喜ばせ過ぎだ。
カルソニク・ニッサンR92CP/星野一義氏
鈴木利男選手と組み’92年JSPCを第2戦以降怒涛の5連勝でシリーズチャンピオンを獲得した。
Qタイヤ・1ラップスペシャルを使ったFISCOの直線では400km/h以上にまで及んだ最強Gr.Cカー。
ニッサンのターボエンジン―いい音しているなぁ。
Gr.Cカーは現在のスーパーGTマシンに比べてドライバーのヘルメットが良く見えるところもいい。
土曜日の星野一義氏。レースやテストではない❝イベント❞なので和やかな雰囲気で時間の許す限りのファンサービスして下さった。
'91年JSPC富士でのニッサンR91CPの写真にサインを入れて頂くときに「現役時代の写真です」と言うと「え!? そうなの?」と星野氏は驚かれていた。
F3000の中で一番カッコイイ(ここ伏線)’91年のキャビン・ローラT90/50の写真にもサインを入れて頂いた。
日曜日の星野一義氏。
土曜日のカルソニック・ニッサンR92CPの走行写真にサインを入れて頂いた。
まだ路面が完全に乾ききっていない土曜日午後の「グループC デモンストレーションレース」では長谷見昌弘氏のYHPニッサンR92CPとテール・トゥ・ノーズのバトルを展開し、観戦に集まったファンを魅了してくれた。
’92年JSPC開幕戦・鈴鹿を彷彿させるような展開。
午前中の練習走行は完全に雨中の走行だった。午後には雨が上がったものの、まだ薄暗かったので、ライトの光が路面を照らす。
パガニーニ&マクラーレン 飯田選手のドライブではなかったが… サウンド・オブ・エンジン
鈴鹿サウンド・オブ・エンジンではお馴染みとなったパガーニの走行。今年は日曜日だけのプログラムで「Pagani & McLaren」としてパガーニ・ゾンダ・レボリューションとマクラーレンP1LMの超マシン2台が走行した。
―のだが、昨年に走行を観たのでこの時間はパドックを徘徊していた。
パガーニ・ゾンダ・レボリューション
ゾンダ・レボリューションはサーキット専用モデル「ゾンダR」を進化させたサーキット専用モデル。世界限定5台で価格は3億円以上と言われている。
他のマシンと競うためのものではなく、サーキを走るためだけに3億円をかけるとは贅沢極まる。
ブルーカーボンの車体は更に特注らしい。
2014年の春に日本上陸。秋のWTCC鈴鹿でトランスポーターに乗せられたままの状態で展示されたのを見たのが最初。
サウンド・オブ・エンジンには第一回から登場したものの、トラブルで走行できず。走行を観られたのは昨年からだった。
昨年、一昨年と飯田章選手が事前告知無しでゾンダやゾンダ・レボリューションのサーキットランをされていたので、今年は昨年のゾンダ・レボリューション走行写真を用意して行った。
だが、ゾンダを展示してあったピットの受付おねえさんに聞いたところ「今年は飯田選手ではなく弊社代表が走行します」との事だった。
残念。飯田選手は来られないのか…。
―と思っていたら、サーキットで知り合った方が「飯田章選手発見!」と教えて下さった。
走行はしないがゾンダ・レボリューション保有会社のゲストとして来場されていたようだ。
そして昨年の走行写真に飯田選手のサインを入れて頂いた。
別のピットには飯田選手が吉本大樹選手と組んでスーパーGT300クラスに参戦しているSYNTIUM LMcorsa RC F GT3も置かれていた。
大会冠スポンサーと同じリシャールミルがスポンサードしている。
マクラーレンP1LM
そしてコチラも世界限定5台の超スーパーカー。価格も3億円以上と言われている。
サーキット専用車マクラーレンP1 GTRを英・ランザンテ社が公道モデルとして市販した。
エンジンをGTRの3.8ℓから4ℓに拡大。更にエアコンを取り付けて快適性を向上させながら軽量化したマクラーレン歴代最強モデル。
超スーパーカーを見られるのもサウンド・オブ・エンジンならでは。
英のナンバープレート?
タイレル001&012 F1の帰り支度 鈴鹿サウンド・オブ・エンジン
鈴鹿サウンド・オブ・エンジンの「Masters Historic Formula 1」には年代が異なるタイレルのマシンが2台やってきて走行・デモレースを行った。
せっかくならもう1台、6輪タイレルP34が走って欲しいところだった。
タイレル001 1970年
マーチを使ってF1に参戦していたタイレル・レーシングだが、マシンの性能に納得がいかず自前のシャシーを開発した。
ジャッキー・スチュワート選手のドライブで公式戦デビューでいきなりポールポジションを獲得したものの、レースではリタイアに終わった。
’70年は全3戦全てリタイア。’71年開幕戦で2位を獲得し、後継機003へとスイッチした。
両端のフラップ部分だけ調整角がある一枚フロントウイング。マシン正面から見るとダイナミックなフォルムだ。
ウイングの下にラジエーターが置かれている。
逆にリアウイングはかなり急角度でマウントされている。
オーナードライバーはマスターズに参戦していてタイレルコレクターとして有名らしい。他にどのようなマシンを所有しているか知りたいところだ。来年、P34も走らせてくれると嬉しいな。
横から見たら…ハイノーズ!?
タイレル012 1983年
ウイングカーからフラットボトムにレギュレーションが変更した’83年のマシン。この年はフラットボトム規定をどうマシンに反映するかチームによって様々だった。
タイレルのようにサイドポンツーンをバッサリと削り落とすチームも少なくなかった。
シーズン後半にミケーレ・アルボレート車が投入され、’84年、’85年と3年に渡り使用・追加製造された。
サウンド・オブ・エンジンにやってきたのはアルボレート選手が6位入賞したマシン。
’82年シーズンからベネトンがメインスポンサーとなった。ベネトンのブランド「012」とマシン名が一緒で、当時は「❝タコ❞みたいなベネトンって何?」「012ってマシン名? スポンサー名?」と混乱した。
新しいスポンサーを開拓するも、すぐに喧嘩別れして他チームに取られてしまうのがタイレル。
ベネトンは以後、アルファロメオ、トールマンを経てトールマンを買収してベネトン・フォーミュラになった。
土曜日のグリッドウォークは雨上がりということもあって、012のコクピットにはビニール傘が置かれていた。チョット見るとコクピットを覆う❝透明の❞風防のようで何となくカッコイイ。
スリムでボディ側面から当てられたらドライバー即アウト!―の怖いマシン。
日本でF1が開催されていなかった時代―雑誌でしか知らなかったマシンがこうして走っているところを観ることができて嬉しい。
「Masters Historic Formula 1」のマシン達は日曜日の出番が終わるとヨーロッパに帰る渡航準備を始めていた。
パドック駐車場に置かれていた数個のコンテナ。これにマシンと機材一式が詰め込まれるみたいだ。こんな様子を見るのは初めてで興味津々。
本式のF1サーカスと違い機材も少ない。
フロントウイングやリアウイングもマシンに取り付けたままコンテナにIN。
コクピットにはオーナーさんの荷物も詰められていた。レーシングスーツは手荷物にしてすぐ洗いますよね? ね?
1個のコンテナには二段ベッドのようにマシンが2台積まれる。コンテナ1個がトランスポーター2台分?
各地を転戦しているシリーズだけあって手際が良い。
ランボルギーニ・トロフェオ・アジアの時に見たパドック・テントの裏に置かれたコンテナの中もこんな感じなのだろう。
トロフェオ・レースのようにタイヤは供給されるのではなく、「マスターズ」は個々のマシンに合わせたサイズのもの。マシンと一緒に積まれてゆくのだ。
また来年、来てね。
ロータリー響く2 マツダ767 続くサードMC8R、GCローラT88 サウンド・オブ・エンジン
鈴鹿サウンド・オブ・エンジン「Gr.Cカー」の走行写真だが、Gr.Cカー・マツダ767の後ろにはGT1カーのサードMC8R、続くGCマシンのローラ/88Qという面白い状態。
前後2台がロータリー・エンジン搭載車だ。
マツダ767B
1988年のル・マン挑戦用として制作された。JSPCやWSPCに参戦。このマシンからレナウンチャージカラーになった。
翌'89年にはIMSAデイトナ24時間にも参戦。そのすべてはル・マン制覇のため。
3台体制で迎えたル・マンでは優勝には遠かったが全車完走。従野孝司選手が当時の日本人最高の9位フィニッシュ。
’90年以降、3台の内2台を放出した。
片山義美選手の引退マシン「203号車」が今年オークションに出され日本円にして約2億83万円(!)で落札されたそうだ。
「202号車」は2015年グッドウッドヒルクライムでクラッシュ。フロントを大破したが、そこから修復されたマシンなのだろうか?
今回走行したドライバーは個人オーナーさんかな? イベント終了後にはスタッフ全員で記念撮影をされていた。
この構図、JSPCそのものだぁぁッ!
走る姿はりりしい。レナウンチャージカラーはカッコイイ。
サードMC8R
ル・マン24時間参戦のためトヨタMR2をベースにサードが開発したGT1マシン。レギュレーション上必要とされたロードカーも1台制作された。
4000cc V8ツインターボエンジンを搭載。600馬力のパワー絞り出した。
1995年からモデファイを続けて3年連続ル・マン24時間レースや鈴鹿1000㌔にも参戦した。
’95年当時、メニコンをスポンサーに迎え、ル・マンに挑戦発表会が東京・渋谷で行われた。
観覧希望のファンは往復ハガキで応募してチケットを返送してもらうものだった(時代だなぁ)。l
当時、人気だった女優のともさかりえチャンがイメージガールとなり発表会にも来る事になっていたのでドルフィンも友人と発表会に行ったのだった。
発表会でもらったメニコン・サードのピンズ
まだ10代の頃のともさかりえチャンがイメージガール
発表会には元F1ドライバーのオリビエ・グルイヤール選手やマウロ・マルティニ選手も来られていた。
まさかドライバーも来るとは思っていなかったので、サインを頂く用意をしていない大失態。せっかくのチャンスをフイにしてしまった。
現役時代を鈴鹿1000㌔で観たなぁ。あれ以来か。
ミズノ・ローラT88/40 88Q/マツダ
F3000・ローラT88/40シャシーに東京R&Dオリジナルカウル88Qを被せ、マツダ757に搭載されていた3ローター自然吸気の13Gの❝市販スポーツキット版❞20Bエンジンを搭載したマシン。
富士GC最終年となった1989年にエジェ・エルグ選手(今、どうしているんだろう?)のドライブで登場したロータリー・エンジンマシン。
グラン・チャン・マシンも何台か現存しているのでGr.Cカー同様に集めたら面白いんじゃぁないだろうか。
全日本ロードレースMFJ-GPスズキ勢 チーム・カガヤマ&MotoMapSUPPLY
久しぶりに全日本ロードレース最終戦MFJ-GPの続きを―。
新型スズキGSX-R1000が投入されたものの、スズキ第一チームのヨシムラでさえ手を焼いていた様子。プライベーターにとっては相当苦戦した感じが強かった。
加賀山就臣選手/Team KAGAYAMA
レース2では得意のスタートで一気に3番手までジャンプアップ。さすがだ。
後半になるにつれペースを維持できず12位フィニッシュ。シーズン10位で終わった。
まだ今季全日本戦の写真にサインを頂いていなかったので、金曜日に2&4レースの写真にサインを入れて頂いた。
浦本修充選手/Team KAGAYAMA
今季は全日本と並行してスーパーストック1000ヨーロッパ選手権、RFME CEV スペイン選手権にも参戦。この経験を糧に来季の活躍を期待。
菅生での5位が最高。シーズン13位だった。
浦本選手もまた全日本戦の写真にはサインを頂いていなかったので、金曜日に2&4レースの写真にサインを入れて頂いた。
今野由寛選手/MotoMap SUPPLY FA
今年は8耐出場権を得ていたので、全日本戦には8耐後の第6戦から参戦。
2&4で見られなかったので今季の全日本用カラーはこれが最初で最後となってしまった。
土曜日には練習用?白カウルで走行
フルシーズン参戦ではなかったせいか、ピットはパドックのテント村。ピットビルに歩いてくる今野選手を発見。8耐の写真にはサインを頂いていたので、昨年のMFJ-GPの写真にサインを入れて頂いた。
「これ昨年の?」と今野選手。
金曜日夕方の車検に持ち込まれたスズキカラーのMotoMapGSX-R1000。
ロータリー響く1 I'm a Racing Driver寺田 マツダ787B JSPC
鈴鹿サウンド・オブ・エンジンに今年もロータリーサウンドが響いた。
Gr.Cカー、マツダ787B JSPCと767Bの2台が参加。
JSPC全盛期を支えた日産、トヨタ、マツダ、ポルシェがそろって走行。あの華やかな頃を思い出す。
開催直前になってランチアがマシントラブルで参加を取り下げてしまったのは残念。ポルシェvsランチアだった初開催の’82年WEC JAPANは観に行けず、観戦に行けた翌年からはランチアは日本に来なかった。ランチアとは縁が無い。
マツダ787B JSPC
本来はル・マン参戦後はJSPC用マシンになるはずだった「55号車」が優勝してミュージアム入りとなったため、急遽制作された3号車。
ル・マン仕様とレナウンチャージカラーのグリーンとオレンジの配色が逆になり、ヘッドライトも取り去られている。
近年では各種イベントに登場。JAF大阪のモータースポーツin舞洲2015では1㍍の至近距離で走行を観たことがある。
YouTubeコチラに掲載 https://www.youtube.com/watch?v=5bZy9BMH3z0
ウエット路面の土曜日は「レインタイヤの用意が無い」ために走行を見合わせていた。
日曜日の走行にファンの期待が集まった。
ローターリーエンジンのサウンドは違うなぁ。
ドライブしたのは❝ミスタールマン❞寺田陽次郎氏。
土曜日にトークショーはあったのだが、マシン走行が無かったので全然姿を見かけなかった。
日曜日、ピット裏でサインをされているのを見つけて猛ダッシュ。サイン待ちの列に並んだのだった。
サウンド・オブ・エンジンのピット裏にはトランスポーターや駐車車両が一切無く、端から端まで見渡せる状態だったのだ。
寺田陽次郎氏
『ドロファイター』ダブルニッケル編でノブ・トクガワが乗った「サムライ3」(マツダRX-7 252i)のモデファイ後のフロントカウルには「I'm a Racing Driver TERADA」のデカールが貼られている。
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昨年のサウンド・オブ・エンジンで走行した787B「55号車」と―
現役時代の767の写真に寺田氏のサインを入れて頂いた。
今年、従野孝司氏が来られていたら一緒にサインを入れて頂こうと思っていたが、来られていなかった。
767も今回のサウンド・オブ・エンジンで走行した。
初めてサインを貰ったレーサーV・ブランビラとピーターソンのマーチ761 サウンド・オブ・エンジン
量産レーシングカー・コンストラクターのマーチがF1にワークスとして参戦したマシン、マーチ761/フォード。
鈴鹿サウンド・オブ・エンジンには2台の異なるカラーリングのマーチ761が参加した。
1台はビットリオ・ブランビラ選手のオレンジのベタ・マーチ。もう1台はロニー・ピーターソン選手の青/黄のモナコ・ファイン・アーツ・マーチ。
この2選手に共通するのは’78年の忌まわしいイタリアGP事故に巻き込まれこと…。
ベタツール・マーチ761/フォード
雨のレースに強く、豪雨の’75年オーストリアGPでは優勝したことで「雨の魔術師」と呼ばれたビットリオ・ブランビラ選手。またの名を「モンツァゴリラ」。
当時下位チームだったマーチで優勝するなど、セバスチャン・ベッテル選手がトロロッソで優勝した以上の快挙。「雨が降ればマシン性能差が縮まる」と言われていた時代でさえも大金星だった。
現代ではとてもそうはいかない。フェルナンド・アロンソ選手でさえマクラーレン/ホンダを優勝に導けなかったのだから。
グリッドウォークの時にはタイヤに芝が付いていた…
ビットリオ・ブランビラ選手こそ、ドルフィンが初めてサインを頂いたレーシングドライバーなのだ(国内外問わず)。
’77年のF1日本GP決勝後、バドックを見て回っていると知らないオジサンが「あの人レーサーのブランビラだからサインもらっとくといい」と教えてくれたばかりか、サインを書いてもらうノート紙をドルフィンと友人に下さったのだ。
ノートとサインペンを渡すとブランビラ選手はペン先をこちらに向けた。「あ! キャップを外して渡さなきゃいけなかったか」と気付いた。以降、サインを頂く時はキャップを外してペンを渡すようにしている。
頂いたサインはプログラムの写真と一緒にアルバムに貼って保存している。
ブランビラ選手のサイン
ブランビラ選手は濃いキャラクターのせいか、漫画やアニメにも登場している。
『赤いペガサス』では雨速さをみせるケン・アカバに舌を巻くシーンがある。
『グランプリの鷹』イタリアGP編では主要キャラクターとして登場。イタリアのブランビラファンと揉めた轟鷹也に詫びるブランビラ。決勝でブランビラとの勝負には観客席から「ブランビラ! ブランビラ!」のコールが巻き上がり、カトリチームのピットに物が投げ込まれてしまう。混乱を鎮めるためにピットインして盾になる鷹也のトドロキスペシャルT3。責任を感じて共にピットインしてリタイアするブランビラだった。
ブランビラ選手のマーチ761を見たら自然に「ブランビラ! ブランビラ!」とコールしてしまう自分がいた。
土曜日の最初の走行の早い時間帯にスピンオフしたらしく、走行写真は撮れていない。雨の中を走るモンツァゴリラのマシンを撮りたかった。
モナコ・ファイン・アーツ・マーチ761/フォード
ブルー&イエローのピーターソンカラー=スウェーデンカラーのマーチ。
サウンド・オブ・エンジン開催直前になって参加が決定した。
「マスターズF1」とは異なり、マクラーレンM23と同じピットにあったことからリシャール・ミル氏のコレクションの1台だと判明。こちらも完全オリジナルを保っている。
マーチ6輪F1も見たいなぁ
今回、ロニー・ピーターソン選手のマシンは2台来ていて、あと1台はロータス76。ドライバーさんのヘルメットがピーターソン選手のもので「ロニーが走ってる!」と思った。
ロニーと言っても
この方ではなく―
ピーターソンと言っても
この人ではない(名前のモデルらしいが)。
ピーターソン選手はやはりタイレルP34とロータス79に乗っていた頃がリアルタイム。
イタリアGP事故で亡くなった時はショックだった。
昔表記なら「ペテルソン」…
国内外から集まった60's Racing 2 鈴鹿サウンド・オブ・エンジン
鈴鹿サウンド・オブ・エンジン「60's Racing Machine」では、年代モノマシンが走る―そしてレースをするシーンが観られた。
この年代のマシン走行は「鈴鹿 サーキット開場50周年アニバーサリーデー」で観たのが最初。
そもそも「サウンド・オブ・エンジン」自体「アニバーサリーデー」の成功を受けて始まったのだから❝原点❞と言えるのかもしれない。
現役時代を知らないマシンの走行を観られるのもいいものだ。
ニッサン・スカイライン2000GT-R 1972年
第1回サウンド・オブ・エンジンから参加している。
ドライバーさんのヘルメットも「国さんジェット型」で、最初に見た時は「国さん走るの?」と思ってしまったほどだ。
ニッサン・スカイライン2000GT-R 1972年
フリー走行では2台のGT-Rが並走してファンを沸かせてくれた。
ニッサン・スカイライン1800 サービスカー
プリンス・スカイラインGT '64日本GPVer 1964年
オースチン・ヒーレー・100S 1955年
確か、このマシンも海外からやってきたそうだ。F1やGr.Cカーだけじゃなく、年代マシンも呼んでいるんだなぁ。
グッドウッドフェスティバルみたいに世界的に盛り上がってくれたら嬉しいのになぁ。いつまで観に行けるかなぁ。
オースチン・ヒーレー・スプライト 1959年
笑っているようなこのマスク。可愛くて好きだなぁ。
ロータス23B 1963年
ホンダS800 1967年/ダットサンSR311
ホンダS800
マクランサLM 1968年
マクランサ 1968年
ホンダS800ベースに童夢がボディを制作したレーシングカー。
長谷見選手NISSAN R382をドライブ 60's Racing 1 サウンド・オブ・エンジン
鈴鹿サウンド・オブ・エンジン「60's Racing Machine」は、土曜日では一番最初と最後のプログラムだった。
7時半にゲートオープンして朝8時からの走行なのだから1日が嬉しいほど過密スケジュールだった事が分かる。
土曜日はまだ雨がざんざか降っていたので、ピットビル3階からチョット観ただけで、あとはピット巡りをしていた。
そして土曜日が終わりに近くなった16時過ぎからの「60's Racing Machineデモレース」。
雨は止んだが雲が残っていたので暗くなり始めていた。
やはりピットビル3階から観戦しようとした。
グリッドに付くためにピットから出てくるマシン達を見て驚いた。なんと日産R382をドライブしているのは長谷見昌弘氏ではないか!
朝、キッチリ見ていなかったので気付かなかった。どうりで長谷見さんの出勤が早かったはずだ。
日産ヘリテージコレクションでも見たR382。
V型12気筒6000ccエンジンを搭載し、1969年日本グランプリで1-2フィニッシュを飾った日本モータースポーツ史にその名を残す名車だ。
それを長谷見昌弘氏がドライブするなんて! これは写真を撮って翌日にサインを頂かねば‼
―と、思ったものの、あまりにも周囲が暗くなってしまいシャッター速度が取れない。一眼望遠を使っていた若い頃はやった事があるが、さすがにコンデジでもヒイヒイ言っているのに15/1秒とか2/1秒では追えずにブレブレだ。
画質は荒くなるのを覚悟で感度を上げて125/1秒くらいのシャッター速度を確保して撮影。
翌日、長谷見さんにサインを頂けた。
今でこそ温和(?)になっている長谷見さんだが、現役当時―ドルフィンがレースを観始めた'70年代後半から'80年代頃は本当に怖かった。まあ、当時のドライバーは皆さん怖かったが(国さんも)。
特に長谷見さんは抜き身の刀のように鋭い目と重い雰囲気で近寄りがたかった。その印象が強かったせいか、未だにサインを頂きに行くのに一瞬ためらいが出る。そのためにチャンスを失う事も多々あった。
「ハっセミさぁ~ん!」と気軽に行ける方が羨ましい。
夜間照明に浮かんだR382の写真にサインを入れて頂いた。
R381のライバルだったLOLA T70 MkIII。奇しくも当時は長谷見さんがドライブしていた。
昨年のサウンド・オブ・エンジンでは❝黒い稲妻❞桑島正美氏がドライブ。今年も来られるかな? と昨年の写真を用意して行ったのだが、今年は来られていなかったようだ。
日本グランプリレースで日産とトヨタのワークス対決に割って入ったプライベーターの滝レーシングが投入したマシン。
かつて日産やローラと戦いを繰り広げたポルシェ907も参加。
暗くなってきたので、ライトを点灯しての走行。昼間走る姿とはまた違った雰囲気。
土曜日のデモレースでは5番グリッドから優勝。日曜日も優勝しWウイン。
夜間照明に照らされるコースをライト点灯して走る姿もカッコイイ。
初の日本公開走行 コジマKE007 41年ぶりの鈴鹿 サウンド・オブ・エンジン
コジマKE007―日本で開催された公式F1レース「'76 F1inJAPAN」にスポット参戦した国産F1マシン。
富士スピードウェイに照準を合わせて作られたKE007は、金曜日の予選1回目から絶好調。
当時、脂がノリにノッていた長谷見昌弘選手の完璧なタイムアタックでポールポジションを狙える区間タイムを出していた。
午後の予選で日本人ドライバーと日本の技術が最速と証明されるまであと数秒のところだった。突然マシンはコントロールを失ってクラッシュ。
それだけでも一つの❝伝説❞だが、このストーリーはそれだけでは終わらない。
SV009に乗るケン・アカバみたいだ
スペアカーが無かったために残骸と化したマシンを修復することになった。
FISCO周辺にある「大御神レース村」と呼ばれる幾つかあるレーシング・ガレージから誰に言われるでもなく助っ人が無償で集結。限られた時間と資材で修復作業が始まった。
日本製マシンをスターティンググリッドに付けようとする情熱がそこにはあった。
不眠不休の作業により決勝日の朝にはマシンは形を成した。
このストーリーが後々まで語り継がれるKE007の❝伝説❞をより確立させたのだった―。
行方不明だったKE007がほぼスクラップ状態で発見。数年がかりでフルレストアされ2004年のグッドウッド・フェスティバルで長谷見氏のがドライブ。
日本では2007年に富士スピードウェイで開催されたF1日本GPや2013年に映画『ラッシュ/プライドと友情』公開キャンペーンでも展示された。―が、いずれも関東圏での出来事。
2016年の大阪オートメッセのNGKブースに展示されてようやく…ようやく40年ぶりにその雄姿を目にすることができた。
今年の鈴鹿サウンド・オブ・エンジン開催直前になって急きょ参加が発表された。
「ついに走るところが観られる!」しかも当日のゲストに長谷見昌弘氏が来られるじゃぁないか! もし長谷見氏が走ってくれるのなら大事件だ。一気にテンションが上がった。
当日の天気予報は不動の「雨」。
普通なら憂鬱になってしまうところだが、KE007が来るなら違ってくる。F1inJAPAN決勝も大雨だったからだ。
KE007・長谷見・雨―これらのキーワードがそろっていて燃えないはずがない!
期待に胸を弾ませて当日を迎えたが、現地でとある情報筋から「長谷さんは乗らない」と教えてもらってチョット…いや、本当は大きなショックだった。「走るところを観られるだけで十分じゃぁないか」と自分に言い聞かせた。
午前の走行ではウエット路面のために出走せず。午後の走行時間になってようやくコースイン。激感エリアからその雄姿を撮影した。
5月に富士スピードウェイで開催されたイベントでは予定されていた走行が行われず、今回が日本で初の一般公開走行になるようだ。
雨が止んだとはいっても厚い雲によってサーキットは薄暗くなっていた。それもまた'76年のあの日を思い出す。一番感慨深い時間だった。
日曜日のフィナーレパレードでグリッドに付いたKE007
'76年10月のF1inJAPAN開催に先立つ7月に鈴鹿サーキットでテストを行った。
これは1/43ミニカーのKE007に「鈴鹿テスト仕様」が出ていることでも知っていた。
今回の走行は「41年ぶりの鈴鹿サーキット」と場内アナウンされていた。
長谷見さんが乗らないのなら、せめてドライバーさんのヘルメットは❝黒❞であって欲しかった。
単なる展示ではなく❝生きている❞マシンはやっぱり良い!
KE007を見る事ができたら、次はKE009が見たくなる。
KE009は海外に行ってしまっているが保存状態がどうなっているのか良く分からない。
コジマのマシンが2台そろって走ってくれないだろうか? ドライバーはもちろん長谷見さんと星野さんで。高原さんもいいな。
サウンド・オブ・エンジンが続けば、そんな夢も実現するかもしれない。
ドライでもレインタイヤで走行。レインしか用意が無かった?
















































































































