#272 うつ病発症193~195日目・発症後417日目 ~夜遅くまで飲めるようになった~ | サラリーマン弁護士がたまに書くブログ

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2019年7月にうつ病を発症したことをきっかけにブログを始めたサラリーマン弁護士が、書きたいことをたまに書いています。

さて,今日も,スマホのGPS記録をもとに,うつ病の経過を記録していきます。

 

第1回目↓

 

第2回目↓

 

ちょうど1年前(2019年8月29日)頃のうつ病経過↓

 

【過去のこと・思い出したこと(発症193~195日目)】

↓のブログでこれまでの経緯を結構きれいにまとめられたと思っているので,ご覧くださるとうれしいです。

 

 

さて,昨日からの続きです。

・1月18日㈯:この日で,うつ病発症から193日目,実家療養を終えて一人暮らしを再スタートさせてからは112日目です(2019年9月27日~)。一人暮らし再スタートから112日が経過し,ひとりでの暮らしにもだいぶ慣れてきています。

 

2019年11月7日から「午前中の散歩」を始めていて,これがうつ病の回復を大きく後押ししています。

 

そして,12月3日から毎日ブログを始めています。

 

この日(2020年1月18日)で,ブログを始めて47日目ということになります。この日のブログ↓

 

さて,この日の「SleepCycle」を見ると(「SleepCycle」についてはこちら),午前0時55分に布団に入っており,就寝時刻はかなり遅めです。就寝時刻は遅めですが,すぐに寝つけています。しかし,朝6時頃には目が覚めていて,睡眠時間が5時間ほどでかなり短めです。そのため,目覚めは悪かったと思われますが,睡眠点数は71点/100点と,さほど悪くはありません。不思議です。睡眠時間の長短と睡眠の質が必ずしもリンクしないのでしょう。

 

この日も,いつものように,朝からベッドでゴロゴロした後,9時37分から散歩に出かけ,散歩コースのドラッグストアまで歩き,そこから引き返して,10時14分に帰宅しています。帰宅したらすぐに,近くのスーパーのフードコートへ簿記の勉強をしに行っています。このフードコート(アピタ刈谷店の3階にあるフードコート)については↓

 

昼の12時43分まで勉強して自宅に戻り,午後はずっと自宅で過ごしています。YouTubeでも見ていたのでしょう。そして,夜からは,学生時代の先輩が近くに住んでいることが発覚し,その先輩と焼肉を食べに安城市まで行っています。夜中の12時44分まで焼肉屋で語り明かし,その後タクシーで帰路につき,自宅に到着したのは午前1時41分でした。

 

こういった急な誘いにも対応できるようになっていて,回復が見て取れます(なお,連絡があった当日に焼肉に行こうと言い出したのは僕のほうです)。

 

調子良い・悪いは,日々ループしていましたが,こういったお誘いに対して「行けるかどうかわからない」という不安を覚えるようなことは,この頃にはなくなってしました。

 

まあ,調子の良い日がかなりの長期間にわたって続いていて,「こういう感じで症状が出なくなって治っていくんだろうな」と過信していただけです。この後の3月頃に,青天の霹靂的に大きく調子を崩したことがきっかけで,僕のうつ病に対する考え方ががらりと変わります。詳しくは↓。

 

この日は,午前中に簿記の勉強をして,夜は遅くまで飲んで語らっていて,全体的に調子は良さそうです。

 

・1月19日㈰:この日のSleepCycleを見ると,午前3時25分に布団に入っています。前日の帰りが遅かったので,就寝もかなり遅くなっています。しかし,すぐに寝つけていて,朝の9時56分まで眠れています。睡眠時間は6時間30分ほどでそれほど長くはありませんが,普段はやろうと思ってもできない,「午前中遅くまで寝る」ことができているので,それほど調子は悪くないと思われます。

 

(僕は普段,「もっと遅くまで寝ていたい」と思っても,朝の6時台や7時台に目が覚めてしまうことが多いです。朝遅くまでゆっくり眠るというのは,僕にとっては,実現が難しい,大きな幸せなのです。)

 

睡眠点数は69点/100点です。就寝時刻が遅いのと,睡眠時間が短いことが響いて点数は低めです。

 

この日は起床が遅かったので行動開始も遅めです。午前11時39分に散歩に出かけ,11時58分に戻っています。前の晩の帰りが遅くても散歩には必ず出かけるようにしていました。散歩がうつ病の回復に役立つと,心から信じているからです。

 

自宅に戻った後は午後6時3分まで部屋から出ずに引きこもり(YouTubeを見たり,読書したりしていたと思われます),夕飯を近くの「南陽倶楽部」へ食べに行っています。

 

 

この日は,睡眠時間が短いにせよ,午前中遅くまでゆっくり眠れているし,夕飯も外食できていますから,調子は良さそうです。

 

この日のブログ↓

 

・1月20日㈪:この日のSleepCycleを見ると(なお,僕のうつ病の主たる症状が不眠(寝つきの悪さ・中途覚醒)で,うつ病の回復度合いを最も的確に示す基準が睡眠の質なので,日々の睡眠の質を逐一書いています),午前0時18分に布団に入ってすぐに寝つき,朝の7時36分まで眠れています。中途覚醒もなく,ぐっすり眠れているようですが,睡眠点数は59点/100点と低めです。睡眠時間も7時間以上確保できているので,短くはないはずですが,あまり熟睡できていないのかもしれません。

 

おそらく,僕のこの日の感覚としては,「眠れずに調子悪い」ではなかったと思われます。「それなりに眠れているのに点数低いな」という感じでSleepCycleの結果を受け止めたと思われます。

 

で,この日の活動を見ると,9時25分から散歩に出かけ,目的地のドラッグストアまで歩いていって引き返し,自宅に戻るのではなく,そのままフードコートで簿記の勉強をしています。午前10時6分から昼の12時51分まで勉強して,いったん自宅に戻り,すき家へ昼ごはんを食べにい行って3時からの整体まで自宅で過ごし,整体を終えたのち,午後4時16分から6時20分まで再びフードコートで簿記の勉強に専念しています。

 

こういったこの日の行動に照らすと,かなりのやる気をもって簿記の勉強に取り組んでいることが見て取れますから,充分な睡眠がとれていると思われます。睡眠点数が低めなのが不思議です。点数は悪かったにせよ,全体的に調子は良さそうです。

 

この日のブログ↓

 

→今日はここまで

 

【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症417日目)】

・今日できた仕事・勉強

今日は出勤しました。午前9時~午後6時(定時)まで滞在予定です。今日で6連勤ですが,調子をキープできています。良好です。

 

今日は,『「スイス諜報網」の日米終戦工作―ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか―』を読み,さきほど読み終えました。

 

 

この本は,スイスにいた「藤村」という海軍武官(軍人)が,日米戦争の終結を画策したというストーリー(いわゆる「藤村ストーリー」)を否定するところから始まります。僕はそもそも,「藤村ストーリー」を知らなかったので,著者が丹念に藤村ストーリーを否定する理由があまりピンとはきませんでしたが,書いてあることはよくわかりました。「藤村ストーリー」のせいで,本当の「終戦工作」=真実が覆い隠されてしまっていることに対して,著者は憤慨しているわけです。

 

で,この本のメインとなるのは,「本当の」終戦工作です。太平洋戦争が1945年8月15日に終戦を迎えたことは,日本人なら誰しも知っていると思いますが,そもそも,この場合の「終戦」が意味する出来事は「ポツダム宣言の受諾」です。

 

ポツダム宣言を受諾するにあたり,本当に受諾していいのかということが,当時の日本政府内で盛んに議論されたのは簡単に想像できます。で,「受諾していいんだ!」と決断した背景には,中立国スイスにおいて,民間日本人と,外務省職員,陸軍武官が手を組んで,アメリカとのパイプを確保していたということが大きな影響を与えていました。

 

おそらく,事の発端は,ルーズベルトがいきなり言い出した「無条件降伏」というワードです。「敗戦国には無条件降伏してもらうよ」とルーズベルトが公言した結果,日本政府は非常に恐れます。

 

「え?敗戦する際に,何の条件もつけられないの?」

「皇室はどうなるんだよ・・・」

「皇室こそ,日本国民団結の証しであり,日本という国を成り立たせている根幹なのに・・・」

 

という気持ちですね。皇室が日本国民団結の証しであるのは,今も変わりませんよね。日本という国は,2000年に及ぶ王朝なんです。日本の王朝は,間違いなく,世界で最も権威ある存在です。だって,2000年も続く王朝なんて他に1つもありませんからね(笑)。

 

この権威こそ,日本という国の根幹に位置しているわけです。日本が日本であるのは,2000年もの間,「男系」の原則を一度も崩すことなく皇室が続いてきたからです。詳しくは↓

 

しかし,「無条件降伏」というワードは,日本国にとって欠かせない「皇室」の存在をも揺るがしかねないんですね。だから,めちゃくちゃに日本政府は恐れた。というか,皇室を維持できるかどうかわからないのなら,終戦しても意味ないわけです。「皇室が維持できない終戦」は,すなわち,日本という国の終焉を意味していますから,だったら,「一億総玉砕」するしかない,となる。

 

皇室の解体という,日本国の崩壊を甘受するよりも,「一億総玉砕」のほうがマシなんです。

 

「無条件降伏」というワードは,日本に対して,こういった強硬的な感情を引き起こしてしまう結果となったのですが,こうなってしまった日本を降伏させるには,アメリカとしても,相応の犠牲を確保しなければなりません。「一億総玉砕!」「本土決戦!」を覚悟している日本を降伏させるには,日本本土へ上陸しての戦闘が必要で,それを実行したら,当然,アメリカ軍もタダじゃ済みません。結果的に勝利するでしょうが,その過程で,多くのアメリカ兵士を失うでしょう。

 

日本としても,本土決戦なんてしたら,どれだけの日本人が亡くなるか予想もつきません。「無条件降伏」というワードによって,日本にも,アメリカにも,大きな犠牲が生じる可能性が出てきてしまったのです。

 

これを回避するために,アメリカ側と日本側で終戦に向けた工作が行われます。日本は,ソ連の参戦を条件に日本占領地をソ連に分割するという,ヤルタ会談なんてつゆ知らず,ソ連に対して終戦の仲介を申し入れ続けますが,ソ連はのらりくらりと交わし続け,終戦の糸口は見出せません。

 

しかし,スイスにおいて,ソ連の仲介なく,アメリカとつながるパイプが出来上がっていたわけで,そのパイプが,この本で主に書かれています。このパイプは,アメリカ政府の中枢とも繋がっていました。アメリカとしても,皇室の解体までは考えておらず,終戦後に皇室を維持することを前提に占領することを考えていたわけですが,それを公言することはできません。だから,ずっと,スイスの日本人たちは,皇室が維持されるかどうか,自分たちが作り上げたパイプを通して,しきりにアメリカ側に聞いていたわけですが,当然,皇室の維持を明言することはできないんです。アメリカ世論も,皇室の維持には反対していましたから。

 

スイスで何度も,アメリカ側,日本側で会談が行われましたが,最終的にキーとなったのが,「リスクをとって行動で示せ」というアメリカ側から出てきた言葉です。

 

ポツダム宣言自体も,皇室の維持は明言していません。「無条件降伏」です。しかし,「リスクをとって行動を示せば皇室の維持は達成できるだろう」ということをスイスから伝えられた結果,日本政府と昭和天皇本人も,ポツダム宣言受諾を決断できました。アメリカのラジオ放送などでも,意識的に皇室については触れられておらず,このことも,皇室維持の可能性が高いと考える1つの要素となり,ポツダム宣言受諾を後押ししています。

 

長々と書きましたが,そもそもの「終戦」の意味や,ポツダム宣言が形作られる経緯などについても書かれていて,とても勉強になりました。

 

・仕事・勉強以外に今日やったこと

特にありません!

 

【今日のうつ病】

昨晩は午後11時17分に布団に入りました。ここ3日ほど寝つきが悪かったので,そろそろ寝つきが良くなるかなと期待していましたが,昨晩も寝つきは悪かったです。しかし,ここ3日間とは異なり,首にマッサージ機を当てて耳栓することもなく,午前0時20分頃までには寝つくことができました。朝は6時33分に目が覚めてしまい,睡眠時間は長くありません。昨日は1日中断食していたので,そのせいで睡眠が妨げられたのかもしれません。とはいえ,先月頃は断食でかなり調子を崩していましたが,今は,断食しても,それほどには調子を崩さずに済んでいます。睡眠点数は69点/100点で,めちゃくちゃに悪いわけではありません。それほど調子が良いわけではありませんが,調子を大きく崩してもいません。現に,朝9時には出勤して,集中して読書できましたし,ブログも書けています。

 

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!

 

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※うつ病への負担を考慮し、「書き始めてから1時間くらいでアップする」という制限時間を設けています。

※このブログの内容は,僕の所属する企業や団体とは一切関係ありません。あくまで僕個人の意見です。