#271 うつ病発症191~192日目・発症後416日目 ~勉強できるのも才能(遺伝)~ | サラリーマン弁護士がたまに書くブログ

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2019年7月にうつ病を発症したことをきっかけにブログを始めたサラリーマン弁護士が、書きたいことをたまに書いています。

さて,今日も,スマホのGPS記録をもとに,うつ病の経過を記録していきます。

 

第1回目↓

 

第2回目↓

 

【過去のこと・思い出したこと(発症191~192日目)】

↓のブログでこれまでの経緯を結構きれいにまとめられたと思っているので,ご覧くださるとうれしいです。

 

 

さて,昨日からの続きです。

・1月16日㈭:この日で,うつ病発症から191日目,実家療養を終えて一人暮らしを再スタートさせてからは112日目です(2019年9月27日~)。一人暮らし再スタートから112日が経過し,ひとりでの暮らしにもだいぶ慣れてきています。2019年11月7日から「午前中の散歩」を始めていて,これがうつ病の回復を大きく後押ししています。

 

 

そして,12月3日から毎日ブログを始めています。

 

 

この日(2020年1月16日)で,ブログを始めて45日目ということになります。

 

この日のブログ↓

 

さて,この日の「SleepCycle」を見ると(「SleepCycle」についてはこちら),午前0時7分に布団に入ってすぐに寝つけています。前日から,僕が今日まで繰り返してきた「調子良い→悪い→良い」というループのうち,「調子良い」ゾーンに突入しているので,この日も寝つきは良いです。朝は7時39分に目を覚ましていて,睡眠時間は7時間31分と,まあまあといったところです。睡眠点数は81点/100点で,睡眠時間の割に高得点です。

 

「SleepCycle」が,睡眠の質を点数としてはじき出す際に,睡眠時間が絶対的な基準ではなく,1つの要素に過ぎないということが,この日の結果にもよく表れています。

 

この日は,7時39分に目を覚ました後,ベッドでしばらくゴロゴロして,9時20分から散歩に出かけています。9時38分に帰宅し,11時3分から,近くのスーパーのフードコートへ簿記の勉強をしに行っています。午後1時57分まで勉強したら,自転車で「てっぺん頂天刈谷店」へ台湾まぜそばを食べに行っています。

 

 

「てっぺん頂天刈谷店」は,このブログで何度出てきたかわかりませんが,ここの「台湾まぜそば」が僕の大のお気に入りです。今でもよく行きます。

 

午後2時49分には自宅に戻り,3時36分から精神科を受診しています(なお,僕の精神科を受診するスタンスについては↓のブログ参照)。

 

 

午後4時1分には自宅に戻り,午後4時28分から再び簿記の勉強をしに,フードコートへ行っています。このフードコート(アピタ刈谷店の3階にあるフードコート)については↓

 

 

午後6時27分まで勉強して,その後帰宅しています。

 

午前と午後に約2時間ずつ簿記の勉強をすることができています。睡眠の質も良く,調子は良さそうです。

 

・1月17日㈮:この日の「SleepCycle」を見ると,午前0時55分に布団に入り,すぐに寝つけたのですが,午前6時には目が覚めています。就寝時刻が遅いのに,朝早く目が覚めてしまっているので,目覚めはかなり悪かったと思われます。しかし,睡眠点数は71点/100点で,それほど悪くはありません。

 

この日も,起床後しばらくベッドでゴロゴロした後,9時6分から散歩に出かけています。これ以降,かなりの時間を「フードコート」で過ごしています。9時32分~11時9分までフードコートで簿記の勉強をして,いったん午後1時13分まで自宅で休憩し,すき家で昼ごはんを食べて再び午後1時47分~2時26分までフードコートで簿記の勉強をして,そこから整体に行き,整体から帰ったら再び午後3時56分から5時44分までフードコートで簿記の勉強をしています。

 

この頃やっと,「僕は勉強が好きで得意だな」ということに気づき始めています。

 

そもそも,僕は,人口5000人の町(豊野町)生まれなんですが,こんな田舎町から,熊本県で一番の進学校(熊本高校)に入学できているわけで(しかも,「校区内」「校区外」という居住地による「差別」がまかり通っていた頃に「校区外」から入学しています),この事実からすると,僕は中学時代から圧倒的に勉強が得意でした。

 

でも,勉強できることは自慢しちゃいけないんですね。「謙譲」や「へりくだり」が美徳とされている日本文化では,勉強ができることを自慢しちゃいけない。

 

まあ,周りから見たら,僕は「謙虚」や「へりくだり」とは程遠く,むしろ,偉そうな態度に見えたかもしれません。でも,その僕自身としては,偉そうな態度とは裏腹に,あんまり自分のことを誇りに思っていませんでした。

 

本当は,自分が努力して,勉学の才能を開花させ,熊本県で最も難しい高校受験を突破するという結果を残したことを自信にして,その事実を誇りに持たなきゃいけなかった。

 

でも,それができなかった。「誇り」を持てず,「合格して当たり前」「合格してホッとした」という気持ちしかありませんでした。これは,司法試験に合格するまでずっとそうでした。

 

周囲に対する自慢気で偉そうな態度は,心の奥底にある不安や恐怖を押し殺すための仮の姿だったのです。こういう裏表のある振る舞いは,今思うとめちゃくちゃに幼稚ですが(不安なら不安だと言ったほうが,応援してくれる人も増えて,より受験を突破しやすくなるから),まあ,当時の僕は間違いなく「幼稚」だったので,そんなやり方をとってしまったのも仕方ありません。

 

まあ,勉強ができる・できないは,この現代社会では,非常にセンシティブな問題です。残念ながら,勉強できる・できないが,収入を大きく左右するからです。そういう風に,この社会が出来上がってしまっているのです(もちろん,そういう社会の仕組みに問題があると思いますし,問題が現実化した結果,一部では,この仕組みが崩れ去っているのもまた真実ですが)。

 

そうすると,勉強できる・できないに,才能(遺伝)が大きく影響を与えていることは,非常にまずい真実なんですね。勉強の点には,遺伝の影響は「ゼロ」で,努力すれば誰でも勉強できるようになり,収入を増やすことができるようになっていないと,この社会の説明がつかなくなってしまうんです。

 

でも,実際はそうじゃなくて,勉強のできる・できないには,才能(遺伝)が大きく影響を与えていることが,「科学的に」証明されています(詳しくは↓の本など,行動遺伝学に関する本を読んでください)。

 

 

だから,僕の場合も,勉強の才能があったのは間違いありません。僕みたいな「ふつう」の人間が,遺伝による影響を受けることなく,努力のみで勉強ができたとは到底思えません。

 

でも,「勉強の才能があった」というのは,非常に不都合な真実ですから,それをことさらに自慢することは許されません。才能があった人は,申し訳なさげに振る舞う必要があるのです。だって,「勉強に才能(遺伝)は関係ない」ことが前提でなきゃいけないわけですから,その前提を崩した人は「ズル」になってしまう。「勉強の才能は全員ゼロ」という平等が担保されてなきゃいけないのに,勉強の才能を有した結果,才能のぶん何の努力もなしに下駄を履かせられていることになるので,その「下駄」は「ズル」に他なりません。

 

でも,誰しも「ズル」にはなりたくないから,自分には才能がないふりをしなきゃいけないのです。

 

「僕には勉強の才能なんてありませんよ」「才能がない僕が勉強ができるのは,ひとえに,まじめにコツコツ努力した結果ですよ」「ほら,見てご覧なさい。このとおり,僕は日々努力していますよ」という振る舞いをしなきゃいけないんですね。

 

「勉強の才能が平等」なのに,勉強の結果に差が出てしまうとするならば,差が生じる理由は,「努力の差」に求めるしかありません。そうすると,勉強ができるのは「努力したから」という理由しか言っちゃいけない。

 

これを僕に置き換えると,僕は,あくまで「努力したから」勉強ができるようになった,と振る舞わなきゃいけなかったんです。「表面上は」自慢げで傲慢に振る舞っていたとしても,その内実は,「まじめでひたむきに努力していた」からこそ,僕は勉強ができるようになった,という風に装わなきゃいけない。

 

これは苦しいですよね。真実とは全然違いますから(笑)。実際のところ,僕は全然まじめじゃないし,不勉強でした(やりたい勉強しかやる気が出ない)。それでもやっぱり,試験の点数は良かったのです。同じ勉強量の人たちよりも,点数が良かったんです。これはもう,才能としか言いようがない。僕には勉強の才能があったのです。そして,その才能は「ズル」でも何でもない。

 

自分ではどうしようもない「勉強の才能(遺伝)」が,「ズル」になるわけがない。だって,自分ではどうしようもないのだから。遺伝的に足の速い人がいますが,その才能が「ズル」じゃないのと同じです。

 

こう思えていれば,自分が勉強できたことを,自信にして,誇りに思えるようになったのになあと,今となっては思います。

 

「勉強に才能(遺伝)の影響はない」という誤った金科玉条は,勉強できない側だけでなく,勉強できる側にも,↑に書いたような弊害をもたらしていることを,ここでは強調しておきたいです。

 

勉強の能力差に遺伝の影響を認めないとすると,勉強できない側にとっては,「自分が勉強できない」理由が,すべて「努力が足りない」ことに求められてしまいます。これは非常に残酷ですよね。「努力すれば必ずできるようになる」=「やればできる」は,「やってもできない」を根底から否定していて,「やってもできない」はずはなく,「やればできるんだ!」と地獄の底まで努力を強要します。残酷すぎてやばい(笑)。

 

勉強できる側にとっても,勉強の能力差に遺伝の影響がないとすれば,自分が少ない努力量で勉強ができてしまうことに対し,本来感じる必要のない「申し訳なさ」を感じてしまう結果となります。なおかつ,自分が「ズル」にならないよう,「まじめでひたむきに努力していなきゃいけない」ことになってしまう。これも,本人の可能性を損なってしまい,マイナスです。なぜなら,その「努力」は,本人が希望して努力したものじゃないからです。世間体のために(自分が「ズル」と思われたくないがために)続けた努力だからです。そんな努力は,ムダです。

 

自分に勉強の才能があることを素直に認め,それを開花させようと,自分の希望としてポジティブに努力したほうが,何倍も本人の幸せに役立ちます。

 

こういう感じで,僕は,勉強のできる・できないに,遺伝が大きく影響を与えていることを,正面から認めたほうがいいと思っています。

 

まあ,こういった社会の仕組みに対する僕の意見は置いとくとして,僕の個人的な話としては,今年の1月頃になってやっと,人生で初めて,自分の勉強好きに気づけて良かったと思います。簿記を勉強していたら,それはやっぱり楽しかったのです。なおかつ,テキストを読み進めるスピードも結構速かった。

 

勉強が「得意」で「好き」なことに気づかせてくれて,なおかつ,「簿記3級100点」「簿記2級90点」という結果によって,この気づきを確信に変えてくれた簿記にはとても感謝しています。

 

なお,この日のブログは↓

 

→今日はここまで

 

【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症416日目)】

・今日できた仕事・勉強

今日は出勤しました。午前9時~午後6時(定時)まで滞在しました。今日も,一昨日から引き続き,『ハル回顧録』を読み,読み終えました。

 

 

今日読んだ部分では,ハルがスターリンに対して,とても好印象を受けたシーンが書かれています。今となっては,この好印象は完全に「騙された」ということになるわけですが,解説でも,ハルやルーズベルトの親ソ外交が指摘されていました。

 

また,ハル自身の国際連合に対する期待も書かれていましたが,ハルは,少し理想主義者的で,イデオロギー(平和・自由のために戦争が必要)に固執しているイメージを受けました。「無条件降伏」というルーズベルトが持ちだしたワードにハルが疑問に思った点は,敗戦国の経済的な復興が必要と考えていて,評価できますが(ここは現実的),戦争必要説のもと,日本を挑発する「ハルノート」を突き付けたことを見ると,「平和」というか,「アメリカ幕府による平和」を求めていたんだろうな,という印象が強いです。

 

・仕事・勉強以外に今日やったこと

特にありません!

 

【今日のうつ病】

昨晩は午後11時19分に布団に入りました。昨晩も,3日前,2日前に引き続き寝つきが悪かったのですが,首にマッサージ機を当てて耳栓したら午前0時頃までには寝つけました。しかし,夜中に耳栓が痛くてはずしました。それから少し寝つくまでに時間がかかったような気がしますが(20分くらい?),気づいたら朝の7時51分でした。睡眠点数も79点/100点で,それほど悪くはありません。3日前,2日前に引き続き,寝つきが悪い日もぐっすり眠れるようになったのは,本当に喜ばしいです。調子も良いです。

 

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!

 

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※うつ病への負担を考慮し、「書き始めてから1時間くらいでアップする」という制限時間を設けています。

※このブログの内容は,僕の所属する企業や団体とは一切関係ありません。あくまで僕個人の意見です。