働かざる者食うべし | サラリーマン弁護士がたまに書くブログ

サラリーマン弁護士がたまに書くブログ

2019年7月にうつ病を発症したことをきっかけにブログを始めたサラリーマン弁護士が、書きたいことをたまに書いています。

「働かざる者食うべからず」

 

世間では,そのように言われることが多いです。

 

でも,それは間違いです。完全に。

 

なぜなら,憲法に生存権が規定されているからです。

 

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と憲法に書いてあります。

 

憲法に,働いていようがいまいが,生きる権利があると書かれているのです。

 

だから,働かなくていいんです。働かなくても生きていていい。食べていい。(憲法が施行された1947年から現在まで,70年以上,ずっとこうです。)

国には,国民が働いていようがいまいが,国民全員が生きていけるようにサポートする義務があるのです。

 

だから,僕らが考えなくちゃいけないのは,働かなくても生きていけるという前提の上で,「どうして働くか。何のために働くか。」ということです。

 

「サポート」と書きましたが,このサポートに当たるのが「生活保護」です。

生活保護を受給すれば,最低限度の生活を営むのに必要な費用を,国からもらうことができます。働いていなくても,生活保護をもらっていいです。当たり前です。

だから,「働かざる者食うべし。」なのは,この日本では当たり前なのです。憲法の規定を受けて,生活保護法という法律が整備され,誰でも生活保護が受給できるシステムが構築されているからです。

 

ここで,生活保護の収入だけでは,少なすぎるという意見もあるかもしれません。

 

「生活保護の収入だけなら,生きているために生きているだけ。幸せな人生なんて送れない」

「生活保護だと,生きるだけでカツカツで,余剰なんてないんだから,幸せを味わうことはできない」

「だから,結局,働かなくきゃいけないでしょ?この日本では,生活保護は机上の空論で,働かないと,収入が少なすぎて,幸せな人生なんて送れないよ」

 

そんな意見が出てくるでしょう。

 

僕も,「生きているために生きているだけ」の人生は,幸せではないと思います。

僕がよく言うように,自分の社会的価値を感じることが幸せなのですから,食べて寝て生きるためだけの人生に,幸せは訪れないでしょう。

 

しかし,生活保護を受給していると,本当に「生きるためだけの人生」しか味わえないんでしょうか。

ちょっと調べたら,生活保護を受給した場合も,スマートフォンを持てるようです。

つまり,生活保護を受給していても,インターネットにつながることができるのです。

 

だとすれば,生活保護を受給していても,自分の価値を社会に提供することはいくらでもできます。

 

今は,ストーリーに価値が見出される時代です。

自分が生活保護に至った事情をブログにして投稿すれば,それは,間違いなく価値を創造するでしょう。

他にも,生活保護を受給しているのであれば,働くことに時間をとられませんから,昼間の時間帯に図書館に行って,無料でたくさん本を読むこともできます。

そうやって手に入れたたくさんの知識をインターネットで発信するのもいいでしょう。

 

こう考えると,生活保護を受給してても,つまり,働いていなくても,自分の価値を社会に提供することはできるのです。

だから,生活保護を受給していても,幸せを味わうことができると思うのです。

 

これは,きれいごとではありません。

国に最低限の生活費を捻出してもらい,それによって,働く時間がなくなるから,その時間を,自分が幸せになるため(=社会的な価値を生み出すため)の時間にあてる。

 

むしろ,僕の考えとしては,「働かざる者食うべし」で,働かずに生活費を国に捻出してもらい,それによって捻出できた時間を,自分のやりたいことにあてることが,これからの時代にあった生き方だと思います。

 

「生活保護を受給していると世間から白い目で見られる」

「あなた自身が生活保護を受給してないじゃないか。それこそが,生活保護受給者が白い目で見られることの,何よりの証拠じゃないか!」

 

こんな意見もあるかもしれません。

 

確かに,僕自身が生活保護を受給していませんし,受給したこともありません。

しかし,現在の僕は,働かずに,国(正確には,協会けんぽ)から傷病手当を受給して生活している状況にありますから,国から生活費を支給してもらっている点では,生活保護を受給されている方とあまり変わりません。

僕は,傷病手当を受給することに,何の躊躇いもありませんでした。だから,少なくとも僕は,僕と同じ立場にある生活保護受給者を「白い目で見る」ことはありません。

 

人生長いですから,収入がなくなる時期もあるでしょう。

いろいろな理由で収入がなくなることもあるでしょう。

そのときに,生活保護を受給するのは,憲法で認められた権利です。

 

僕も,日本の制度に従って,国から生活費を支給してもらった経験があるわけですから,生活保護を受給しているからといって,「この人恥ずかしい」とか「税金泥棒」なんて思うはずがありません。僕と同じ考えの人もたくさんいるはずです。

 

「そんなのはきれいごとで,実際は,生活保護を受給すると,それを恥ずかしいと思う人がたくさんいるんだ!」

そういう意見も出てくるでしょう。

 

こんなことを言うとあれですが,そんなこと思っている人いません。

あなたに,誰もそんなに関心持っていません(笑)

「恥ずかしい」と思えるほどに周囲の関心を集めることは,なかなかできません。

「恥ずかしい」というのは,周りの人が自分に関心があることが前提で浮かんでくる感情ですからね。

周りの人がそれほど自分に関心がないのに,「恥ずかしい」という感情を抱いてしまうのは,自分勝手にマイナス感情を膨らますだけで,無駄です。

 

(このブログも,Facebookでシェアした当初はめちゃくちゃアクセス増えましたが,もうだいぶ落ち着いてきています。そんなもんなんですよ。自分が思うほど,自分以外の人は自分に興味持っていない。)

(ただ、アクセスの状況を見てると、毎日ある程度アクセスがあります。きっと、何人かの方が追っかけてくれてるんだと思います。本当に嬉しいです。誠に勝手ながら、僕はその人たちのことを「僕のファン」と思ってます(^o^))

 

だからこそ(他人は,それほど自分に関心を持ってくれないからこそ),他人の目を気にするのではなく,自分がどう生きたいか,人生という限られた自分だけの時間を,どう使うかを考えなくちゃいけないと思うのです。

 

特に日本人は,「想像上の世間様に」,だいぶ苦しめられてきたと思います。

僕もその1人です。

でも,「世間様」って誰か全然わからない(笑)

本当に,「世間様」って空想の生き物ですよ。ペガサスやユニコーンと同じ。だって,実在していないんだから。

 

実在していない存在を思い浮かべて,その存在から見て恥ずかしいかどうか考える,それって結局,自分の心のなかで勝手に恥ずかしがっているだけですよね。

 

もうそんなのやめよう。

 

 

ちょっと生活保護の話に戻ると,僕が今受給している「傷病手当」というのは,正確に言えば,「生存権」を理由に,無条件で国から生活費をもらえる生活保護とは,少し性質が違いますよね。傷病手当の場合は,毎月協会けんぽに保険料を納めて保険を掛けとくわけですよね。そして,病気で働けなくなった場合に,その保険料の対価として(つまり,保険給付として),傷病手当を受給するということですから,生活保護とは違うわけです。

 

じゃあ,僕が将来生活保護を受給するかというと,現時点では受給するつもりはありません

 

でも,その理由は「恥ずかしい」からではありません。

 

僕は,自分の価値を社会に提供して,お金を稼ぎたいからです。

お金というのは,自分の価値や信頼から生み出されるものです。だから,お金を稼ぐことは,自分の価値や信頼を計測することができて,生きる意味を感じられるのです。

 

こういった意味で,僕はお金を稼ぎたい。

お金を稼いでいる人は,生活保護を受給できないから,僕も,生活保護を受給するつもりはないのです。お金を稼ぐ人になりたいからです。

 

 

 

 

生活保護を受給しても,スマホ持てます。発信できます。

 

社会の利益となれます。これが大事です。

 

 

お金かせぐのは,生きるためじゃありません。

自分の価値を感じるためです。幸せになるためです。

 

 

お金を稼いで,それを自分の手中に収めれば,確かに,いろいろなものが買えます。

買ったものでで便利になれば、便利さは感じるだろうけど、果たして幸せは感じるのでしょうか

 

稼いだお金は,また再投資したくなるんだろうな。

お金をいくら手元に持っていても,それ自体に自分の価値は投影されないから。

 

 

「生活保護は白い目で見られる」

 

いくらそれは偏見だと声高に叫んでも,事実として,それがあるのでしょう。

僕は,この世界のほんの一部,本当にほんの一部しか知りませんから。

 

でも,そんな場所,さっさと捨てませんか?

今の時代には,嫌でもすがりつかなきゃいけない場所なんてありませんよ。

だから,本当に良い時代なんです。

 

誰でも自分で居場所を探すことができる。

今いる場所が嫌なら,即座に離れて,また,無限の世界で探してみる。

 

そんなことができる,インターネットという代物は,本当に偉大です。

 

それと,

 

「生活保護は恥ずかしい」というくそみたいな価値観は、すぐ崩されます。

 

近い将来,ベーシックインカムがほんとうに導入されるからです。

 

これはつまり,国民全員がもれなく生活保護を受給するということです。

 

そしたら,「生活保護恥ずかしい」という価値観は,論理的に矛盾しているから(「恥ずかしい」は,普通と違う特殊な状況に対して抱く感情だから,生活保護が普通になると,「生活保護恥ずかしい」という感情は,論理的に抱けなくなる。),誰も持たなくなります。

 

「生活保護恥ずかしい」と思うやつなんて、前時代的な価値観に支配されてるつまんないやつ

ですよ。

 

相手にすんな。

 

そんなやつがいるコミュニティはさっさと抜けよう。今は、無限のコミュニティがインターネットに広がっているから。

 

(インターネットのもう1つの利点として,関わる価値のないやつをブロックすることができることがあると思います。インターネットがない時代は,こんなこともできませんでしたよね。)

 

価値観をアップデートできないやつは、「働かざる者食うべからず」に支配されて、人生浪費してるだけだと思います。

 

そんな人の気持ちもよくわかります。だって,生きるために,食っていくために,苦しくても耐えて耐えて働いてきたんだから。僕もそうだったから。

「働かざる者食うべからず」がまかり通っていないと,自分の人生が否定されちゃうのです。

 

「働かざる者食うべからず」を,なんとかまかり通らせて,自分を守り続けてるのです。

 

でも,僕はそんなことやめます。

 

病気したから(笑)。身体が受け付けなかったからね(笑)

 

「働かざる者食うべし」

 

いよいよ,僕たちの力で,

 

「働かざる者食うべからず」から「働かざる者食うべし」に

 

時代を変えようよ

 

 

それではまた明日

 

 

 

 

↓Twitterやっています。

古田博大(ふるたひろまさ)

よければ,フォローお願いします。

 

ブログは毎日更新しています(毎日更新する理由はこちらこちら)。

よろしければ,ブログの方もフォローしていただき,毎日ご覧くださると幸いです。