このことは買い物の選択場面で明らかになってきます。
商品の持つ価値は、どのようにして決定されるのでしょうか?
日本人にはルイ・ヴィトンに対する特別な信奉があるのではと言われています。もちろんこれには異論もあるでしょう。しかし多くの日本人がルイ・ヴィトンのバッグや財布等を持ち歩いているのも事実です。
つまり私たちは、商品を、商品そのものでなくブランドで買っていると言われても仕方ないでしょう。ブランド品を買っている人は特別な人たちではありません。ごく普通の日本人です。
私たち家族は海外によく出かけます。年に1,2回程度で、ヨーロッパがほとんどです。
特にフランスとイタリアが多く、次にイギリスという順になっています。つまりフランスとイタリアには何度も行っていることになります。
旅行では、観光地に行くのが目的でなく、パリやミラノで数週間過ごすというもので、滞在型観光と言われています。日本人には少ない旅行のタイプではないでしょうか。もちろん滞在はホテルです。数週間にもなると一つのホテルでは退屈するため、必ず2つのホテルを予約して滞在することにしています。一つが普通で、もう一つが少し高級なホテルという組み合わせです。
パリはオペラ座の近く、ミラノはドゥオーモの近くのホテルとなることが多く、遠出することは滅多にありません。朝食はほとんどがホテルですが、昼食はいろいろなところで食べることにしています。もちろん当たりはずれもありますが、いろいろな経験は嫌なことも少なく楽しいものです。失敗の多くは、多く注文しすぎることです。
最初の頃は、大変でした。ピザを頼むと、2人前ぐらいの大きさのものが来て、持って帰るのも大変なので時間をかけて食べた経験があります。もちろんコーヒーはお替りしました。
パリもミラノも日本人の観光客には優しいように感じました。中国から人達は良い待遇は受けていなかったように思いますが、最近は違います。お金を使う中国からの人達の待遇は年々良くなっているように思います。
パリもミラノもスリや置き引きが多く、食事中でも気が抜けません。油断すると必ずと言ってよいほどにやられます。現にかみさんは2度のスリにやられました。その度に警察の厄介になっています。パリの警察官は日本人には優しいように思えます。
警察に行くと、まず最初に「チャイニーズ?ジャパニーズ?」と聞かれます。
私たちは当然のように「ジャパニーズ」と答えます。そうするとニコニコして署内に案内してくれます。パリの警察署には日本に滞在経験のある警察官も居て、日本語でのおしゃべりが出来て退屈しませんでした。待ち時間を含めて、3,4時間はかかると思った方がよいでしょう。
パリもミラノでは、かみさんも娘も買い物をしますが、有名ブランド品は買いません。それに私自身はほとんど買い物をしません。私のお金は、BARでのコーヒーや食事に使います。時には弁当みたいなものも買います。稀に、アクセサリーショップでフクロウの小物を買うことがあります。これは小さくて荷物にならないからです。バスや地下鉄のチケットも私の担当です。
さて、現地の人達はどうでしょうか?
有名ブランド品を身に着けている人たちに出会いません。稀にセレブの人達にも出会いますが、グッチやシャネルだったように思います。兎に角、ブランド品を身に着けているのは中国人と日本人という組み合わせなのです。
現地の若い人たちもそうです。パリもミラノも日本に比べると若い人たちの失業率は高く、ブランド品を身に着ける余裕はないのでしょう。しかし、かっこよいのです。ちゃんと着こなしていると感じます。靴はちゃんと磨いているし、小物の使い方が素敵です。
街中には浮浪者も多く、不思議な感じもします。服装も普通と変わらず、見分けがつきません。
コーヒーショップやBAR等には、お金ない人たちが無料で利用できる仕組みもあります。釣銭や寄付をしてくれる人達のお金が集まると、何人かのお金ない人たちに食事や飲み物が提供できるのです。そのためのメッセージ用のボードも用意されていました。
日本の人達がブランド品の目が行くのはどうしてなのでしょうか。
「品質が良いから」と言う人もいます。
「買って損はしないから・・・」という人もいます。
「ブランド品を持っていると安心・・」という人もいます。
しかし、私には心配なことがあります。
「本当に良いものを安く手に入れる」という意味はなくなっているのでしょうか。
自らの価値判断より、周りの人たちの判断に頼るということになっているのではと考えるからです。つまり、日本の人達はみんなと同じであることに安心感をおぼえるのでしょうか?
平成元年の日本は世界中で輝いていましたが、平成30年の日本は、その輝きを失い、劣化しているにも関わらず、日本人は悠然としているようにも思えます。逆に海外の友人や知人が日本を心配しているのですが・・・・。
日本人は、日本の現状のしっかりと受け止める必要があるのではと思っています。
パリやミラノの若い人たちは、高い失業率の中、将来をしっかりと見据えているのです。
喜怒哀楽も激しいのかもしれません。でも生きるためには必要なことなのです。