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  • 18 Sep
    • 「社交性」番外編「意中の人に好意をもってもらう方法」第1回「一目惚れの相手」

       2017年9月14日に「いいね」が20に達したので続きを書く。ここでは「面識がない人」は除外する。片方だけが相手の顔を知っていても、面識があるとはいわない。逆に「面識がある人」とは、名前を覚えていなくてもかまわない。近所・通学・通勤・学校・勤め先などでよく見かけており、記憶が残っていて、あいさつなどで会話したことがあれば面識があるといえる。いわゆる、別の場所で会った際に、お互いにどこで会ったか思い出せる関係であることが求められる。 「ちょっと待って! 一目惚れの人と結ばれたい場合については教えてくれないの?」という声が聞こえてきそうだ。実際、一目惚れがきっかけで結婚した夫婦のほうが離婚率が低いという統計もある。その点を鑑み一目惚れの場合について少しふれておこう。体験したことがない方のために一応解説すると、一目惚れとは脳内で0.2秒という短時間で発生する現象である。まさに「ひと目、見ただけで惚れた」という状態だ。もし、あなたが「会話したことがない人」に一目惚れしてしまった場合、次にするべきことは面識がある関係にならなければならない。面識がないままに、どうにかしようとしたところで、それはただの犯罪である。(現行法の詳細は割愛する) あいさつや落とし物を拾ってあげるなどの会話やコミュニケーションがあれば、顔を覚えてもらえる確率が上がる。まずは顔を覚えてもらわないことには、「面識がある人」とはならない。目の前でタイミングよく落とし物をしてくれれば、「落としましたよ」と声をかけやすいだろうが、面識がないのにいきなりあいさつするというのはなかなか勇気がいるものだ。田舎で無人駅にふたりしかいないなら「おはようございます」くらいは声をかけやすいが、都会の雑踏の中でひとりにだけあいさつをすることは明らかに不自然ではある。苦肉の策としては、わざと目の前で自分が落とし物をするという方法がある。相手が気づいてくれれば拾ってくれるかもしれない。そのときにできる限り印象が残るようにお礼をしてコミュニケーションを図れば、無事「面識がある人」となれる。お礼を口実に連絡先を交換できるかもしれない。「ありがとうございます」とだけ言うのが精一杯で受けとったらすぐに相手が通り過ぎてしまうと、顔は覚えてもらえず「面識がある人」とはなれないだろう。 このあたりでハッキリと申し上げよう。一目惚れでも、面識がある関係になれなければ、その相手は「結婚する運命の人」ではない。もし「結婚する運命の人」であれば、一目惚れだけでなく、勝手に面識がある関係になる。なにしろ一目惚れとは、0.2秒で脳が選ぶ相手である。すでに運命的とはいいたいところだが、人生にたったひとりということではなく、統計や実験で「脳が0.2秒で決める相手とは離婚率が低い」というだけのことであって、離婚しないわけではない。一目惚れして、なおかつ、面識がある関係であれば、「離婚しない運命の結婚相手」である可能性が高いということだ。 面識がある関係になれるかどうか試す価値はあるが、簡単になれなければ「運命の人ではない」という結論でまちがいない。したがって「面識がない人は除外する」とは、「面識がある関係になろうとしてもなかなかなれなかった一目惚れの相手」も含まれるのだ。 「意中の人に好意をもってもらう方法」とは、「面識があるのに、なかなか恋愛に発展しない相手を落とす方法」といえる。同じ学校、同じ職場、同じ業界、遊び仲間、友人の友人、馴染みの店の店員、職場の顧客など、恋愛に発展してもいいのに、なかなか発展しない、自分を恋愛対象に見てくれない相手に好意をもってもらう方法である。 次回、本題に入ろう。テーマがテーマだけに、何回かに分けることにした。あなたが惚れた相手に好意をもってもらう方法は、実はたったひとつなのである。

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      テーマ:
  • 01 Sep
    • 「社交性」番外編「友人と恋人の境い目」

       2017年8月13日には「いいね」は20に達したが、仕事が多忙であったことと、一言で「社交性」といっても広範囲な意味を含むので、どのあたりから取り組むかゆっくり考える時間がなかった。このまま何も書かないのは申し訳ないと思い、今日は番外編として「友人と恋人の境い目」について解き明かそうと思う。 7月にワークショップを開いた際、参加者に「恋の始め方は?」「意中の相手と結ばれるために何をする?」と問いかけたところ、誰も答えられなかった。独身も既婚者もいる30代から50代という、じゅうぶんに大人であったにもかかわらずである。既婚者の方にはもちろん過去の体験や方法を聞いた。 経験的にはこれだともっとも多かった方法は「じゃれる」「かまう」「声をかける」「かかわろうとする」であった。それはたいへん危険な行為である。もし相手にとって迷惑であった場合、いわゆる相手からの好意がまったくなかった場合、「嫌がらせ」または「ストーカー行為」と誤解されかねない。「タイプではない男性からされたら嫌でしょう?」と問いかけると、案の定、嫌だと言う。自分がされたら嫌なことを、自分がそのつもりもなくしたときに、相手にもしかしたら嫌だと思われているかもしれないという発想がないのだ。 あまりにも根本的な問題に、当日のワークショップの時間内では解説が不可能であると判断し、答えは示さずに終了させた。とはいえ、乗りかかった船である。せめて「好意」だけでも掘り下げることにした。 結局、彼女らは「好意を示せば、相手に伝わり、交際に発展できる」といいたいのは私もわかっている。そこで「あなたにまったく好意をもっていない男性に、好意を示したところで、もし相手が振り向いてくれなかったら、相手から好意をもってもらうためのあなたの努力はどんなことをするか」を聞いた。 誰も答えられない。 埒が明かないので、反対の立場を想像してもらうことにした。「あなたが好意をもっていない男性から、好意をもたれてしまって、あなたにあれこれとかかわろうとしてきたら、あなたは好意をもつか?」と問いかけた。すると「相手による」という答えが返ってきた。 完全に「かかわろうとする」=「好意」という勘ちがいからくる、好かれる努力をしない者同士の「努力皆無の恋」である。相思相愛は運命で、突然始まると思っているようだ。それでは別れは突然くるし、結婚は勢いでしかできないし、愛してくれないから冷めるというのも当然といわざるをえない。 ワークショップで答えられる人が皆無ということは、これが世間一般の現実かもしれない。ワークショップは別の話題に切り替え、瞬間的に瞑想を深めるテクニックをチャレンジして終えた。 後日、気になる事例があった。ある男性Aと女性Bが友人関係で、レンタカーを借りて買い物に行くことになった。そこへ、女性Cもいっしょにどうかという話になった。女性Cは男性Aと女性Bが友人関係であることを知っている。そのため、レンタカー代は3名で割り勘ということになった。女性Cは不可思議なことを言っていた。「女性Bにどう接したらいいかわからない。お邪魔ではないだろうか」と。女性Cは女性Bに何度も謝った。男性Aは「女性Cが女性Bに謝る必要はないし、意味がわからない」と問い質したが、女性Cは一向にその態度を改めない。予定どおりレンタカーで女性Bと女性Cが望む店へ買い物に行った。男性Aは思ったほど買い物しなかったが、家具店や格安スーパーを巡り、3名ともそれぞれの意思で欲しいものを買った。ついに最後まで、女性Cが女性Bを名指しで謝るが、1日中運転し、思いのほか買い物したいものが見つからず、ひとり空回り感があった男性Aは女性Bからは感謝されても、女性Cからは感謝の言葉をかけられることがなかった。男性Aは女性Bや女性Cと恋愛関係になりたいわけではない。しかし、女性Cは女性Bには謝り、男性Aには謝罪も感謝もしなかった。男性Aと女性Bのふたりに向かって「今日はありがとうございました」という言葉はあったが、男性Aに対する個別の扱いは一切なかったのだ。 このケースの理解について、どうやら人間は2種類にわけられるようだ。異性の親切と同性の親切をわけて対応するタイプと、わけずに対等に扱うタイプである。わけて対応するタイプは、いわゆる「異性の前では態度が変わるタイプ」として、同性から嫌われる傾向がある。わけずに対等に扱うタイプは、同性からはたいへん好かれるが、異性に対しても親切なため、好意があると誤解されやすい。どちらがよいかは一目瞭然だが、わけて対応するタイプは、わけて対応している自覚がないか、あるいは、タイプではない異性であっても好意をもってもらえるならその恩恵に与ろうという打算がある。もちろん、タイプではなかった異性であったのに、あとで好意をもてるようになることはある。それはもっと打算的だというべきだろう。恩恵に与れば与るほど好意をもってしまうのだから、それは好意とはいえず、スポンサーやパトロンとしての愛着や期待である。 わけて対応するタイプがもっとも嫌われる理由は、実はほかにある。わけずに平等に扱うタイプが、恋愛感情をもたずに純粋な親切心で接している場合、「異性だから親切にしている」とか「好意があるから親切にしている」と思われていると知ると「下心があって親切にしている」と思われていたという不快感がある。それを医師に例えるなら「女性は診察するが、男性は診察しない」という男性医師がいたら社会問題になるだろう。それと同類に思われている不快感をいだき、相手の態度によっては怒りすら覚えるだろう。 これを一言で表すなら「異性としての好意をもっていない人からの親切を、異性としての好意として扱うと、あなたは最低の人間だとされて信用を失う」ということである。 反対に、「異性として好意をもってくれている人に対し、自分は好意をもっておらず、好意をもつ可能性がまったくない場合は、その好意に甘えてはいけない」ともいえる。「好きでもないのにおごってくれるならお食事をともにする」というのは、相手の怒りを買う可能性があるということだ。現在すでに好意をもっているか、将来、好意をもつ可能性があるなら、お見合い的接し方はいいだろう。しかし、友情としての接し方のみを望み、それ以上の関係を望まない場合はハッキリと相手に伝え、それでもそれ以上の関係を求めてくる場合は、ハッキリと断ることも誠意であり、信頼関係を築けるか否かの判断に欠かせないものである。 次回は、今回の続きとして「意中の人に好意をもってもらう方法」を書く。 ※ 恋愛関係と友人関係のちがいを書いているので、LGBTの方でも文中の性別を問題にせず、立場で当てはめて考えると参考になるだろう。LGBTの方は適宜言葉を差し替えて読み取ってほしい。

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      テーマ:
  • 25 Jul
    • みんな知らずにやっている絶望的なアピール

       「いいね」が20に達したので、続きを書く。ペースはあまり変わらないようだ。 前回、一生懸命やっている姿を見せることはよろしくないと書いた。「そんなことはない」と信じない者は多いことだろう。それでは、一般的に「よいアピール」と思われている方法がなぜよくないのかを説明しよう。 例えば、面接試験を考えてみよう。面接官は面接に来た者のやる気を見ようとする。当然、面接に来た者はやる気があることを見せたいものである。まだ一度も働いたことがないのに、会ってから数分でやる気があるかどうかをアピールしなければならない。面接に来た者がよく使うアピールの仕方は次のようなものだろうか。 従属的で命令に逆らわないことをアピール 情熱があり、ハキハキとして元気で前向きであることをアピール 社交的あるいはリーダーシップがあることなどをアピール 目標や事情を語り、学ぶためや貯金のため、支払いのためにがんばる動機をアピール 学歴や職歴から経験があることをアピール 趣味から仕事に役立つ技術があることをアピールこれらは一般的で、誰もがもっとも自分に合ったアピールの仕方をすることだろう。 これらのなかで特に1.と2.が多い。実際のところ、初めての就職なり転職なりで訪れる企業は、今まで体験したことがない業種であるものだ。夢をもって臨むような就職者はまれだから4.の目標は急ごしらえだと簡単に見透かされてしまう。事情はうっかりすると訳ありと思われてしまうリスクがある。または、いつか辞めてしまう人材だと誤解されて正規雇用されなかったり、正規雇用されてもリストラの対象となったりするだろう。どちらにしても、リスクがあるために本当の目標があるか、同情を買う事情がなければ4.は選択肢に入らないだろう。5.と6.の学歴・職歴・趣味はそぐわない業種への就職・転職なら履歴書には書いても触れないほうがよい。結局のところ、1.か2.か3.がよいということになる。 ではなぜ1.と2.が多いといいながら、私はわざわざ2.と3.を区別するのか。あなたには2.と3.のちがいがわかるだろうか。一般的には2.のような振る舞いが社交的で行動力があると思われている。リーダーシップがあるかどうかを面接の数分で判断することはむずかしいため、その行動力でリーダーシップがあるかもしれないと推し量ることも暗黙の了解となっている。しかし、本来の社交性とは2.のようなものではなく、リーダーシップもアピールする方法が明確にあるのである。ハッキリいおう。社交性とは「情熱などで一生懸命のように見せなくても、なおかつハキハキしなくても、違和感なく会話できる自然さ」をもっていることである。社交的な人は必ずしもおしゃべりではないし、おもしろい人だというわけでもない。物静かでも暗くなく、無理のない、少々のことは受け止めてくれる安心感を放つ人をいう。もちろん、和ませる冗談を言える人は好印象だが、冗談だけで乗り切ろうとする人間は社交性がないから冗談でごまかしていると考えるべきだ。リーダーシップのアピールの仕方は、単純に学級委員長や生徒会長、部活の部長、サークルの運営、社会貢献団体の代表などを経験していれば、その苦労話や成功話を披露するだけで可能だ。特にトラブル解決の体験談はあなたの評価を大きく高めるだろう。 さあ、先ほどの1.と2.に立ち返ってみよう。 従属的で命令に逆らわないことをアピール 情熱があり、ハキハキとして元気で前向きであることをアピールこれらは社交性もリーダーシップもなんら証明しない。しかし、一般的な考え方であることから、面接官もこれらを高く評価する。そのため、面接に来た者も1.か2.で乗り切ろうとする。前回、書いたように上司も部下も正当に評価する目をもっていない。そのため、「いいなりになってくれるかどうか」で人を見る上司は1.を重要視し、部下の能力を正当に評価する意思もつもりもない。2.は一般的にやる気があると解釈されているために、上司も期待し、採用された部下もそのとおりがんばるが、社交性もリーダーシップも別問題であるために、ほぼ期待どおりにはならない。採用された部下も全力投球すればわかってくれるとかんちがいしているから、ますます衝突が激しくなる。採用した側も、採用された側も、正当な評価ができないための悲劇である。 結局、社交性とはなにかがわかっている者が、社交性がある者を採用し、うまくいく企業を作っている。アピールする方法は、勤めてからの信頼関係を作れる「一貫性」以外では、採用試験や顧客対応で役立つ「社交性」しかないのである。 えっ? 社交性は性格じゃないかって?それはちがう。社交性は、性格が明るいか暗いかは関係なく、コミュニケーションの問題である。実際、学生時代は暗かったクラスメイトが、大人になって再会したら明るくなっていたということが多い。目立たなかった人が有名人になっていたり、実業家になっていたりするのだ。 次回は、その有効な「社交性」について、書くことにしよう。

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      テーマ:
  • 04 Jul
    • 効率的なアピール

       今日、「いいね」が20に達したので、記事を公開する。 人は第一印象で決まるという。しかし、実際には見た目とのギャップで印象に残るというのもある。こわもての人がやさしいと強烈なインパクトとなりいっそうやさしく見えるし、やさしそうな人がきついことを言うと、二面性があるおそろしい人だと思われてしまう。 安請け合いしてフットワークが軽いと、なんでもする人だと思われて、簡単に頼まれるようになり、結果的になめられてしまったり、なめられたくなくてお高くとまっていると、生意気だとかやる気がないと思われてしまう。 結局、世渡り上手の人が高く評価されていて、がんばっている度合いに比例した評価は受けられない。 これは仕方がないのだろうか。世渡り上手な人は陰で何かずるいことをしているのだろうか。それとも、外見ですべてが決まり、美男美女が得をしているのだろうか。 実は、人は誰もが何も理解していないのである。正当な評価を受けたくても、誰も正当な評価をすることはできない。「そんなバカな!」という声が聞こえそうである。しかし、あなたもそのはずだ。あなた自身も、あなたが誰をも正当に評価をすることはできない。言うなれば、「あの人はきっとわかってくれているはずだ」と思えば思うほど、わかってくれなかったときに腹が立ったり、失望したりする。 それは相手にとっても同じなのである。例えば、上司の立場の人間は、部下から正当な評価を受けたいと思っている。部下からの正当な評価とは、言い換えれば「尊敬」である。しかし、実際には正当な評価を受けられず、尊敬されていないことは多い。 つまり、部下を正当に評価できる上司も、上司を正当に評価できる部下もいないのだ。それは学校における学生と教師の関係にもあてはまるし、妻と夫の関係にもあてはまる。 では、なんのためにがんばっているのか。どうすればいいのだろうか。 それは簡単なことだ。評価されるために努力することをやめればいいのである。仕事はもちろんするだろう。責任は果たすように努力するだろう。その内容は評価されたいし、昇進や昇給に反映されるべきことである。 もしあなたが昇進できるほど、昇給するほど、何かをがんばったとしよう。それを評価されるための努力だと思ってはいけない。「こんなにがんばってますよ、私は」的なアピールは最悪なパターンだ。それは「これが私の全力投球ですよ。これが100%発揮している私ですよ」ということになる。それは「もうこれ以上の仕事は頼めない」という意味になってしまう。そんな人間に昇進、昇給はありえない。 確実に達成できる責任を、全力投球せずに成し遂げる姿こそ、評価を上げるのである。「この人材は、昇進、昇給すると、もっと大きな結果が出るかもしれない」と思わせることこそ、期待される人材、惚れられる人材、伸びる人材の証拠なのである。 その代わり、確実に達成できない任務は絶対に受けてはならない。誤解を避けるためにいっておくが、達成できなくとも責任問題にならないもので、経験を積むためのものであるなら、汚点になるとは考えずに絶対に受けるべきだ。経験を積んで十分にできるようになってもなお、時間的に不可能な任務を背負い込むことがまずいのである。 確実に達成できる責任を果たし続け、全力投球せずに成し遂げる姿は、カリスマ性すら感じさせるものである。逆にいえば、人の成果を横取りして、本当にがんばっていない人間が評価されてしまうのは、本人が全力投球せずに成し遂げたと思われたからである。 笑顔で、能力を出し切っていない姿、やる気はあり、実際に行動しているが、言葉に出さず、がんばっているとも、楽だとも言わない姿で責任をきっちり果たす人間が、高く評価される。 逆に、言葉であれこれいいながら、断り切れずに背負いきれない責任を背負って、責任を果たせなかった場合に、評価はもっとも下がる。 言葉は引き受ける際に時間的に無理な場合に断るときと、必要な報告、成果を横取りされたなどの不正を暴くときに使う。良好な人間関係を築くための冗談等はもちろんいいことだ。 断るとき、報告、不正を暴くとき以外は、言葉に頼らずに結果を出してみせる。責任を果たしてみせる。そのためにも、前回の記事にある得意分野における一貫性は重要なのである。あなたも得意分野なら、評価を高く受けることは簡単だろう。近道ということだ。 日常的にきっちり責任を果たしながら、近道も探す。あなたの評価は上がり続け、近道が見つかれば、信用・信頼は不動になるだろう。 全力投球すれば評価が上がるというのは、洗脳または迷信なのである。 次回は、評価がガタ落ちで、信頼回復が見込めないまちがったアピールについても挙げておこう。このまちがったアピールを普通にしている人は多く、ぜひとも伝えておきたいものである。

      20
      テーマ:
  • 26 Jun
    • 自分で決められる人間になる

       やっと「いいね!」が20を超えたので、続きを書こう。 決められない人間は決めるための理由を探す。決められる人間は理由をチェックはするが、理由だけではほとんど決めることがない。 ではどうするのか。 決められる人間は理由があるかどうかが信用・信頼だとは思っていない。究極のところ、理由すらなくたっていい。決められる人間にとって何を基準に選ぶかは実に簡単で明白である。 それは「一貫性」である。 自分で決められる人は「ああ、なるほど」と思うだろう。自分で決められない人は「え? いっかんせい? なんの?」と驚き、見当もつかないだろう。これが「自分で決められる人」と「自分で決められない人」の間にある大きな差である。 そもそも信用・信頼とはなんであるかを考えてみてほしい。ある業者に修理をお願いするとき、同じ修理なのに高かったり安かったりするとあなたはどう思うだろうか。値段の例えは極端だ。別の例えをしてみよう。品質の例えにすれば次のようになる。少々お高めのある家具屋では、高品質で長く使える商品しか売っていない。そのスタンスは創業以来変わらない。常連客はその家具屋の品質を信用して自ら買い、人にも薦めるだろう。 これを人間に置き換えてみよう。帳簿チェックを任せると正確で早い仕事をするAさんは、帳簿チェックに関しては絶大な信頼を得ている。在庫管理や会議資料の準備には一度もミスをしたことがない。しかし、Aさんは方向音痴で運転は心配だ。Aさんの信用・信頼は地に落ちるだろうか。そんなことはない。Aさんに運転を任せた管理者の責任問題である。 外交員は事務員の仕事を代わらなくてもよいし、配送員は外交員の仕事を代わらなくてもいい。信用・信頼は得意分野で培われるのである。 もちろん、事業の方針転換や人員の配置転換など、規模の拡大・縮小のほか、人員各々の得意分野の見直し等によって改善は図られる。もしあなたが得意分野ではない職種に変えられてしまった場合には、努力こそすれ、あなただけの責任で苦しむ必要はない。信用・信頼は本来、得意分野において築かれるものであるので、あなたが信頼回復するためには、元の得意な職種に戻れるよう上司にお願いすることこそ責任感といえるだろう。異動がかなわず、不得意な職種で所属する組織に損害を与えるなら、その仕事は不向きであったとしてきっぱり転職することも責任感といえるだろう。耐えに耐えて体を壊すほうが自己管理を問われ、ますます追い込まれる。そこまで追い込む組織はブラック企業と変わらない可能性もある。心身症にかかってしまったら、退職してからも病に苦しむのは自分である。信用・信頼回復の見込みがあるかないかは重要である。 このように信用・信頼にとって「一貫性」は大きな意味をもつ。 これを宴会に使う店を選ぶ場合に当てはめてみよう。あなたがすでに別のなにかで信頼されているのであれば、宴会の店を選ぶことで褒められる必要はない。無難な店を選び、不平不満を言われたところで、あなたの信用・信頼に傷はつかない。もし別のことでまだ信頼されていないのであれば、些細なことだが宴会の店選びは失敗してはならない。できる限り多くの情報を集め、予算に合った美味しい店をピックアップして、その中から「自分が得意としたいジャンル」を選ぶ。焼き鳥屋でもよいし、イタリア料理屋でもよい。まず目指すは「美味い店」である。絶対に予算を超えてはいけない。当日、必ず何人かから不平不満を言われる。それは仕方がない。なぜこの店を選んだか聞かれたら、誰かから聞いたとは言わず、「自分が気に入っている店なので」と言い切れ。もちろん上司たちの年齢層に合ったジャンルに限りである。もし「自分が得意としたいジャンル」が上司たちの年齢層のニーズに応えられない場合は、上司に相談し、反対されたり眉をしかめられたら無難な店に変更しろ。上司が反対せず「自分が得意としたいジャンル」の店で宴会をしても、上司が反対して無難な店に変更したとしても、「今後、私はこういう店を選ぶ人間です」と認識されることは、ささやかな信用・信頼につながる。 あなたの中にあるさまざまな「一貫性」がひとつでも多く周囲の人に認識されれば、その総合計で信用・信頼が大きくなっていく。あとは本命の「職務における得意分野を見つける」ことである。先ほどの職種の話に書いたとおり、組織内の自分の居場所を確立する軸になるものである。仕事における究極の「一貫性」であり、これさえ見つかれば、他の「一貫性」は一時的なもので飾り程度になる。究極の「一貫性」が見つからなければ、他の「一貫性」を積み上げて認知されていても、なにかの中程度のミスで簡単に信頼が失墜してしまう。究極の「一貫性」さえあれば、中程度のミスでは信用・信頼が揺るがない。 この大小の「一貫性」を守る方向にすべてを選択すれば、あなたは迷わなくなる。基本的には先輩に従うのは大前提ではあるが、得意分野は一貫していることが重要なのである。才能は得意分野を突き詰めた向こう側にある。少々得意な程度のものは才能とは関係がない。 ひとつ、おまけを付け加えるなら、「集中力がある」「根気がある」「ユーモアがある」「器用である」といった、汎用性のある能動的な性格特性を前面に出し一貫性をもたせると、おもしろいように評価が上がる。「温和である」「健康である」「堅実である」といった受動的な性格特性はよいことではあるが、あまり評価には貢献しない。もちろん「頑固である」「静かである」などはマイナスにもなり得る。 次回から、評価に貢献するコミュニケーション・マナーについて書き始めよう。

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      テーマ:
  • 07 Jun
    • 決められないことを決める

       悩みとは、決められないことだから悩むのだが、世の中には迷わない人、悩まない人が実際にいるし、そういう人ほどあまり後悔していないように見える。 慎重な人、堅実な人ほど、あとで後悔するかどうかわからないことをどうするか決められず、悩むものだ。それはなにも進路、結婚など人生にかかわることとは限らない。幹事を頼まれて、どこの店で宴会をするかや、呼ばれたパーティーでどの服を着ていったらいいかなど、些細なことだけれど、なにかがあったらとても後悔しそうなことで、自分の判断は本当に大丈夫だろうかと迷う。 それで、そういうときには、どうしたらいいかを決めるために、あれこれと理由を考える。幹事で例えるなら、「前回の宴会はこの店だったから、今回もこの店にして問題はないだろう」「いや待てよ。前回と同じ店だったら、またここかとがっかりされるかもしれない。せめて前々回かその前に使った店がいいかも」「前々回以前で、予算に合う店があればいいんだな」ここまで考えれば、無難な店は決められるだろう。 ところが、幹事を頼まれた時点で「今まで使ったことがない店がいいな」と要望をもらってしまうと、たいへんなことになる。そもそも今まで使っていた店は「メニューが多い」「安っぽくない」「環境がいい」「予算に合う」などの理由で使われてきた店であり、ほかにはいい店がなかったからこそ選ばれていたのである。今さら他の店を探したところで、すでに条件を満たす店はない可能性が高い。 ネットで調べて、予算どおりで、メニューもそこそこある店を選んだところで、環境がいいか、おいしい店かなどはわからない。口コミ情報を見たところで、どこまで信用できるかもわからないのだ。決められる人は「こんな簡単なこと、悩まないよ。そんなことで迷ったことがないし」と思うだろう。実際には迷う人でも、私の文章を読んで「予算合えばいいよね」と簡単に考えるかもしれない。 しかしあなたも実際にこんな人を見たことがあるだろう。「どの店にしたらいいかわからない。どうしよう。どこがいいと思う?」と悩み、人に聞いて、自分で決めようとしない人である。 自分で決めようとしない人に向かって、「テキトーに決めればいいんだよ」とか、「おいしそうなお店にしてね」とか、「君に任せるよ。自分の好みで決めていいよ」と、気を楽にさせるようなことを投げかけても、まったく効果がない。社長が気を使って「予算オーバーしてもいいぞ」と言ったものなら、それを真に受けて、とんでもなく高い店にしてしまうこともある。高い店なら、味や環境など悪く言われないと思っているからである。 人に聞いて回るのも、みんなのために意見を聞いているわけではない。自分が決めたものではなく、そういう要望があったということにしてしまえば、自分は非難されない。自分が選べないなら、店に行ったことがある人やいい店だという情報をもっていて行きたいと思っている人の話は有力な情報である。自分が責任を負わないで、いい店だと言った人間のせいにしようとしているのではなく、その店にする有力な情報であり、それに従ったまでである。いい店だと言った人間が責任を負うのは当然だと、決められない人は考えている。 善意のつもりであり、本当の意味で悪意がなくとも、結果的に人のせいにする人は、確実に嫌われる。 こういう微妙で、確証がないことは、些細なことを含め、進路や失恋、結婚、転職など、そうしたほうがいいと決めるために、理由探しをすればするほどわからなくなる。すると、人の意見を聞いて、なんとかそうすると決めるための理由を探す。どうしても決められないときは、ちょっとでもいい理由のものにするか、人が強く推してきたものにしてしまう。そして、もしそれで後悔したら、いい理由を教えてくれた人や推してくれた人のせいにする。 これが、決められない人の実情である。 決められる人は、このような悩み方、考え方、思考法をしていない。そして後悔しないし、非難されることも少ない。なぜなら、決められる人は「理由探しをしない」からである。それでどうやって決めているか、あなたはわかるだろうか。 それについて、次回書く。

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      テーマ:
  • 06 Jun
    • 決断方法には2種類

       決断方法には2種類ある。 ひとつめは「避けられない外的要因があって、リスクや損害を抑える選択」である。これは決断が簡単で、誰に非難されても反論できる強みがある。 ふたつめは「避けられない外的要因、リスク、損害の増減のいずれも予測が立たない選択」である。決断がむずかしい割には、人生の岐路はいつもこちらである。誰もが迷い悩み、決断を先延ばしにする。期限が迫ることでいよいよもって追いつめられると、誰かの判断に委ね従うか、サイコロでも投げて投げやりになって決める者もいる。 ひとつめは、避けられない外的要因、リスク、損害を調べることができれば、誰が判断してもほぼ同じ結論に至り、決断できるかどうかは個人の能力とはいい難い。 「迷わない生き方」「決断できる方法」を実践できている人は、ふたつめの決断ができている人だと言い換えることができる。そして、その決断後に予測が当たったか、外れて後悔したかも重要になるだろう。 このブログでは、その決断と、予測を当てる方法、後悔しない選択を常に実践、あるいは、高確率で実現できる考え方や技術を公開していく。

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      テーマ:
  • 05 Jun
    • リニューアル完了

       他のサイトで書いていた心理学関連記事を、本ブログに移行いたしました。 移行された記事の続きも書く予定ですが、リニューアルを機に本ブログを改題しましたので、まずは題名に沿った記事を書き、タイミングを見て続きにも着手いたします。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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      テーマ:
  • 15 Mar
    • 情性欠如者の正当化は成功か失敗か

       記事「情性欠如の人はなぜ怒るのか」の続きです。B美は常にA恵の身になって考えています。しかし、A恵はB美の気持ちを一切考えていません。これは「A恵が悪い奴だからだ」ということではありません。A恵なりに自分が正しいと思っているからです。A恵にとってなぜ「A恵の正当化」が成功していると思えるのかが重要なポイントです。「A恵の正当化」がどうしたらできるのか、皆目、見当がつかない人は「A恵が悪いに決まってるじゃん」としか思えないでしょうし、他の多くの人も自分と同じ気持ちだと思い込んでいるでしょう。逆に、「A恵の正当化」がどうしたらできるかわかる人は、自分はA恵と同類だと思われないように振る舞うクセがついていることでしょう。しかし、自分は特殊だと思っていませんし、他の人も自分と同じだと思っていることでしょう。この深刻さがわかりますか。「A恵の正当化」がどうしたらいいか、見当がつかない人にこそ、受け入れたくないと思っても、目を背けずにこの事実を知る必要があります。知らないと、B美と同じ人生を歩み、傷つけられるからです。A恵の正当化A恵にとって、B美のやさしさや気遣いはさっぱり意味がわからないものに見えます。なぜなら、A恵なら絶対にしないことだからです。すると、A恵にとって「B美は何か魂胆があるから、A恵に取り入っている」と解釈します。A恵は「自分が困ったときに、B美が助けてくれた」ことはありがたいと思っています。しかし、「なんでここまでしてくれるの?」と、内心とても警戒しています。「私なら、こんなに真剣にやらない」という驚きと、「私がここまでするならどういうときだろう」と考えます。「相手に気に入られたいとき? なんで私に気に入られたいの? 私のこと尊敬しているとか? 友だちになりたいとか? 気に入られたいわけじゃないなら、あとで何か頼み事があるのかしら? 頼み事をしてこないわねえ。気持ち悪いわ。はは~ん、さては何か後ろめたいことがあるのね。一体、あなたは私にどんな怒られることをしたの? 打ち明けてこないわ。なんなの?  まさか、そんなに自分が仕事できる人間だと見せびらかしたいとか? 相当な玉ね」A恵なりに考えに考え、B美のことが理解できず、あれこれと探ります。人間は理解できないものを見ると怖いのです。B美目線の人は「人は助け合って信頼関係ができるんじゃない?」と言いたいかもしれません。その助け合いって、「助けてもらったら、恩を覚えておいて、次はお返しに助けてあげないといけない」ということですよね?それは本当に信頼関係でしょうか? 善意を強要するモラハラに陥っていませんか?またはB美目線の人のなかには「そこまで悪い人だと思われていたなんてショック」と思う場合もあるかもしれません。そのいい人、悪い人の基準こそ、悪意のない人に対しモラハラになってしまっていませんか?ではA恵は誰を信用するのでしょうか。どんな人を信頼するのでしょうか。B美目線の人はわかりますか?それは、A恵に善意をもつように強要しない人です。「手伝ってあげたから、次回、手伝え」とか「私、善人。あなたも善人でしょ?」といったプレッシャーを与えない人です。A恵にとって人間は誰もが善人でありたいけれど、善人になれないで苦しんでいるものだと信じています。善人に見える人は善人のフリをしているだけで、善人ではないと正直に振る舞う人こそ、信用できると思っているわけです。そういうことから、A恵は仕事を楽しいことと思っていませんので、世の中で仕事が好きだと言っている人はみな尊敬されるための嘘か、本当に好きだとしても住む世界がちがう人だと思っています。A恵が仕方なく残業しているとき、それを手伝ってくれるB美が「私たちにこんな思いをさせるなんて、上司はひどい」と怒らないことは、A恵には理解できません。せめてA恵と同じように怒っていてくれていたら、A恵はB美が気持ちを理解してくれている人だと信頼できました。しかしB美は怒っていないのです。上司に腹を立てず、仕事を一生懸命にやり、A恵とはちがう振る舞いをします。それは「尊敬されるための嘘」いわゆる「A恵とちがって、私は仕事が好きですから」と演技で見せつけてA恵を見下しているか、「A恵に手伝ってあげることで恩を売って善意を強要し、いずれA恵を利用しよう」と企んでいるとしか思えないのです。「なんてA恵はかわいそうな人間だろう」とB美目線の人は思うかもしれません。果たしてそうでしょうか。B美目線の人は本当に善人なのでしょうか。完璧で、欲望はかけらもないのでしょうか。もちろん、そんなことはありませんね。A恵にとって、そこが信用ならないということなのです。次回、この問題の深刻さ、トラブルの本質をさらに解説いたします。

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  • 12 Mar
    • 情性欠如の人はなぜ怒るのか

       「情性欠如」を理解すると、静的気質の人々がなぜ怒りっぽいのかもわかるようになります。再度、Wikipediaから引用いたします。人間性欠落者: ここで述べる人間性とは同情、良心、羞恥のような人間に固有の情動的能力を指しており、これはその能力が欠如している類型である。したがって、この類型は自己の危険や苦痛だけでなく他人の不幸に対しても情動的な関心や反応を示さない。 クルト・シュナイダー – Wikipedia「人間性欠落者」とは「情性欠如者」と同じ意味です。このタイプの興味深いところとして、「自己の危険や苦痛」にも情動的な関心や反応を示さないことです。一般的に自己中心的な人とは、自分の快楽のためや、自分の苦痛を避けるために、他者の苦痛を顧みないことと考えられていますが、情性欠如者は自分の快楽や苦痛についても無関心であることに特徴があります。これはかつて私のセミナーで、相手の身になって考える発想がない分類の性格グループ「静的気質」に気づき、彼らに「他者の身になって考えることがない」と指摘したほか、「未来や過去の自分にさえもどんな気持ちになるか想像していない」と伝えたことがあります。あとで後悔すると簡単にわかるようなことを平気でするので、自分自身のためにもそれをやめたほうがいいと諭したつもりでしたが、その人はポカンとした顔をして、まったく理解していないようすでした。私はこのとき理解しました。「人の身になって考えられない人は、過去の自分自身の気持ちも記憶できないし、未来の自分自身の気持ちも想像できないのだ」と。一言で表すなら「どんな気持ちかを一切想像できない」という言葉に帰することができます。ではそれがなぜ「怒りっぽくなる」かということですが、「たった今、結果がどうなったか」に一喜一憂し、思いどおりにならないことを憤慨することで思いどおりに相手を動かそうとするからです。そうすることで自分が周囲からどう思われるかを想像していません。「想像していないからといって、怒ったら嫌われることくらいわかるはずではないか」とあなたは思われることでしょう。彼らの思考回路をここでシミュレートいたしますので、想像してみてください。情性欠如者の言い分(思考回路)シミュレートなしバージョン情性欠如者がコミュニケーションで怒りの感情を露わにすることを厭わない心境を、ここで再現いたします。まずはB美目線で読んでみてください。( )の中はすべてB美の思考です。A恵は、職場で同僚B美に仕事を手伝ってもらっていました。 「B美、ありがと~! こんな仕事、私ひとりでできるわけないよね。あの上司、サイテー!」 「A恵はがんばりすぎなのよ。困ったときは気軽に相談してね」 B美はA恵の仕事量を心配し、親身になって協力しました。 季節が変わり、A恵の仕事は落ち着き、B美の仕事のほうが忙しくなってきました。 B美は自分ひとりでなんとか切り盛りしようとしましたが、さすがに追いつかなくなってきました。 「ごめん、A恵、手伝ってくれない?」「私? なんで?」 B美は唖然としました。「A恵が困ったとき、手伝ってあげたじゃない……」 「彼と約束してるから、帰るね!」A恵は足早に退社しました。 B美は裏切られたように気持ちになりましたが、彼と大切な約束があるのだろうと思い、たまたまだろうと我慢しました。 翌日、A恵は何事もなかったように明るく出社してきました。 B美は出社するなり仕事の続きに追われます。 「A恵、今日は手伝ってもらえる?」 「ごめん! 今日も行かなきゃいけないの」 「いいよ、もともと私の仕事だし。仕方ないよね」 「B美、たいへんだね。ホント、あの上司、サイテーだよね!」 A恵の言葉に、B美は救われたような気持になりました。 結局、A恵が手伝ってくれることはなく、B美はひとりでなんとか乗り切り、仕事は落ち着きました。 あるとき、自分の忙しかった仕事のなかに、A恵担当の仕事が含まれていることに気づきました。 上司にミスがあったのかもしれないので確認してみると、上司はA恵に頼まれたからだと言いました。 「A恵が多くの仕事を抱えていて、B美に手伝ってもらっているので、調整してほしいと言われたぞ」 「A恵がたいへんだった時期はけっこう前で、今はまったく残業していません。A恵と相談してみます」 B美はA恵に確認してから、上司に報告しようと考えました。 翌日、出社してすぐにA恵に確認してみました。 「A恵の仕事が私の……」 「なんで上司に言ったの!」A恵の凄い剣幕にB美はたじろぎました。 「B美は仕事できるからいいよね! 私にどうしろっていうの? あなた何様!?」 「ごめん……、私はただ、A恵の仕事だったから……」 「誰の仕事かなんて、名前が書いてあるわけじゃないでしょ! 仲間だと思っていたのに、B美にそんなこと言われたくなかった!」 A恵はそう吐き捨てて去っていこうとするので、B美は咄嗟に謝りました。 「ごめん! 怒らないで……そんなつもりじゃないから……。A恵がたいへんだったときがあって、今回たまたま私がたいへんになっただけだものね」 B美は丸く収めようとし、A恵は不機嫌な顔で睨んでから去っていきました。 (どうしよう……、社内でこじれると、誰の責任かで問題になるかも……) それからというもの、A恵はつっけんどんでした。 B美は自分の軽率な言動に後悔しながら過ごしていました。 自分が忙しくなっても、もうA恵には相談しませんでした。 1年ほど経った頃、A恵がミスをして、大量の仕事がA恵を残業に追い込みました。 「B美、助けて……」B美はA恵のことがかわいそうになり、手伝いました。 (これでA恵は私のことを少し見直してくれるかも)B美は期待しました。情性欠如者の言い分(思考回路)シミュレートありバージョンここからA恵の思考をシミュレートして入れていきます。先ほどとは反対に、( )の中はA恵の思考です。A恵は、職場で同僚B美に仕事を手伝ってもらっていました。 「B美、ありがと~! こんな仕事、私ひとりでできるわけないよね。あの上司、サイテー!」 (B美は仕事が楽だから、たいへんな私を手伝って当然よね。私が悪いんじゃなくて、上司が悪いわけだし) 「A恵はがんばりすぎなのよ。困ったときは気軽に相談してね」 B美はA恵の仕事量を心配し、親身になって協力しました。 (B美はそんなに私と仲良くしたいのね) 季節が変わり、A恵の仕事は落ち着き、B美の仕事のほうが忙しくなってきました。 B美は自分ひとりでなんとか切り盛りしようとしましたが、さすがに追いつかなくなってきました。 「ごめん、A恵、手伝ってくれない?」「私? なんで?」(B美は普段から楽なんだから、自分でやればいいのに) B美は唖然としました。「A恵が困ったとき、手伝ってあげたじゃない……」 「彼と約束してるから、帰るね!」A恵は足早に退社しました。(めんどくさっ! 彼氏のいないB美とはちがって、私は忙しいんだから!) B美は裏切られたように気持ちになりましたが、彼と大切な約束があるのだろうと思い、たまたまだろうと我慢しました。 翌日、A恵は何事もなかったように明るく出社してきました。(昨日は楽しかった! 私は悪くないから、申し訳ない顔をしないようにしないとB美にしつこくされるわ) B美は出社するなり仕事の続きに追われます。 「A恵、今日は手伝ってもらえる?」 「ごめん! 今日も行かなきゃいけないの」(ほら来た! うまく断らなくちゃ) 「いいよ、もともと私の仕事だし。仕方ないよね」 「B美、たいへんだね。ホント、あの上司、サイテーだよね!」(ここは上司のせいにして、私は悪くないってことにしておかないと) A恵の言葉に、B美は救われたような気持になりました。 結局、A恵が手伝ってくれることはなく、B美はひとりでなんとか乗り切り、仕事は落ち着きました。 あるとき、自分の忙しかった仕事のなかに、A恵担当の仕事が含まれていることに気づきました。 上司にミスがあったのかもしれないので確認してみると、上司はA恵に頼まれたからだと言いました。 「A恵が多くの仕事を抱えていて、B美に手伝ってもらっているので、調整してほしいと言われたぞ」 「A恵がたいへんだった時期はけっこう前で、今はまったく残業していません。A恵と相談してみます」 B美はA恵に確認してから、上司に報告しようと考えました。 翌日、出社してすぐにA恵に確認してみました。 「A恵の仕事が私の……」 「なんで上司に言ったの!」A恵の凄い剣幕にB美はたじろぎました。(せっかく上司にうまいこと言って仕事減らしたのに、なんてことするの!) 「B美は仕事できるからいいよね! 私にどうしろっていうの? あなた何様!?」(私をバカにする気? 上司がB美のこと褒めてたから調子に乗っているのね!) 「ごめん……、私はただ、A恵の仕事だったから……」 「誰の仕事かなんて、名前が書いてあるわけじゃないでしょ! 仲間だと思っていたのに、B美にそんなこと言われたくなかった!」(私と仲良くしたいくせに意味わかんない) A恵はそう吐き捨てて去っていこうとするので、B美は咄嗟に謝りました。 「ごめん! 怒らないで……そんなつもりじゃないから……。A恵がたいへんだったときがあって、今回たまたま私がたいへんになっただけだものね」 B美は丸く収めようとし、A恵は不機嫌な顔で睨んでから去っていきました。(ほらごらん、私と仲良くしたいんでしょ! もうそんなこと言わないでよね!) それからというもの、A恵はつっけんどんでした。(B美は私と仲直りするために、何をしてくれるのかしら。何かしてくれるまで、怒ってるふりしなきゃ) B美は自分の軽率な言動に後悔しながら過ごしていました。 自分が忙しくなっても、もうA恵には相談しませんでした。(私にびびっているのね。いい気味だわ) 1年ほど経った頃、A恵がミスをして、大量の仕事がA恵を残業に追い込みました。 「B美、助けて……」B美はA恵のことがかわいそうになり、手伝いました。(B美は私と仲直りしたいんだから、きっと引き受けてくれるわ)「A恵の正当化」は成功か失敗か、次回続きを書きます。

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  • 07 Mar
    • 「自分の立場で」「相手の立場で」「相手の性格で」

       ワークショップでは、コンセプトタイプだけが「相手の立場で考える」ことができ、モチーフタイプは「情性」があっても「相手の立場で考える」ことはトレーニングが必要であると説明しています。この2タイプ、いわゆる動的気質は「情性」があるといえるでしょう。前回の記事で「相手の立場で考えられない」「将来の自分の立場で考えられない」は共通の症状「情性欠如」で説明できることがわかりました。プライドタイプとアピールタイプ、いわゆる静的気質は軽度か重度の「情性欠如」といえるでしょう。「相手の立場で考える」には「情性」が必須ですが、「情性」があるからといって「相手の立場で考える」ことができるとは限りません。ここで、心理学的に「相手の立場で考える」とは何かを整理してみたいと思います。コンセプトタイプに見られる「相手の立場で考える」の実際コンセプトタイプは常に「自分は相手の目にどう映っているか」を基準に行動しています。人間は通常、自分以外の人間も「自分と同じ性格や価値基準で行動している」と誤解します。毎朝早起きできる人は、寝坊する人も努力すれば早起きできると簡単に考えますし、自分が怒りを覚えた人は、この怒りが他の人からも当然に共感してもらえるものだと簡単に信じているものです。コンセプトタイプも同様の発想をしてしまい、「他の人も、自分がどう見られているか、考えながら行動している」と当然のことのように信じています。そのため、失礼な態度をとられたとき、相手は意味があって失礼な態度をとっていると解釈します。「きっとこちらに何か問題があって、気づかないうちに不愉快にさせてしまい、それで私に怒っているのだろう」と推測して、わからないながらも低姿勢でこれ以上の失礼がないように心がけます。実際のところ、コンセプトタイプが何も失礼なことをしていないのに、失礼な態度をとられた場合、相手が100%悪いのです。コンセプトタイプも自分の行いに心当たりがないと「本当は自分は悪くないのではないか」とうすうす気づくのですが、常に相手の立場で考えるために、自分だけの理由で無関係な人に失礼な態度をとることが絶対にありませんので、「まさか、そんなことはないだろう」と自分に言い聞かせます。常に「きっと自分が悪い」「自分が我慢すればまるくおさまる」「あれほど怒るのだから、それなりの事情があったのだろう」と考えて、本当の意味で「相手の立場で考える」ことができているとはいえません。言い換えるなら「コンセプトタイプの考え方を相手に当てはめて、相手の考えていることを推測している」のです。もちろん、他のタイプも同じように「自分の考え方を相手に当てはめて、相手の考えていることを推測している」のですが、同じ動的気質のモチーフタイプは「相手の気持ちを考えるとき」と「相手の気持ちを考えなくていいとき」を自分なりの善悪で考えて独善的になります。そこに「相手の事情を考える」という配慮はありません。その意味では「相手の立場で考える」というのはほとんどないといっていいでしょう。静的気質の2タイプは、配慮ではなく善悪でもなく、立場関係で考えます。親子だから、兄弟姉妹だから、教え子だから、同級生だから、同僚だから、上司だから、部下だから……などといった、常に立場を利用して、世間一般にどうあるべきかを含めた利害関係を基準に考えます。このように、自分の考え方を相手に当てはめるというまちがいがあるとはいえ、コンセプトタイプだけが「相手の立場で考える」ということをしています。段階を示しますと、[情性欠如で自分の都合のみ考える静的気質]→〔情性を自分なりの善悪で使い分け相手の立場を優先しない動的気質モチーフタイプ〕→〔情性を使い相手の立場を優先する動的気質コンセプトタイプ〕となります。ひとつめとふたつめは「自分の性格、自分の立場だけで考える」、みっつめだけが「自分の性格で、相手の立場を考える」となります。本当の意味での「相手の立場で考える」それでは、どうしたら誰もストレスにならない関係を築けるでしょうか。それは「相手の性格で、相手の立場を考える」ということになります。それを受け入れて初めて「自分は悪くなく、相手が100%悪い」という状況を受け入れられるようになります。「相手の性格で、相手の立場を考える」ことができるようになったとき、人間関係の誤解はなくなり、無意味な自責の念から解放され、無駄な怒りをもつ必要もなくなります。吠える犬はあなたが悪くなくても吠えるように、怒りっぽい人はあなたが悪くなくとも怒りっぽいのです。その無礼にいちいち腹を立てていては身が持ちません。

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  • 04 Mar
    • 「置き換え」に代わる言葉探し

       今までワークショップで、「自分が相手の立場で考える」という意味合いで「置き換え」という単語を使ってきました。しかし、心理学ではすでに「置き換え」という専門用語があり、実際にはちがう意味で使われています。「置き換え」の本来の意味は、「欲求不満なことを、別のものに置き換えて代替し解消すること」です。たとえば、「パワハラの父が怖いが、日頃の怒りがたまって仕返ししたいので、父の腕時計を壊してやった」とか、「仕事のストレスがたまり、帰宅して思わず、妻に八つ当たりしてしまった」といったものです。意図的なものだけではなく、無意識にやってしまうものも含まれますので、たとえの「妻への八つ当たり」は「気が利かない妻が悪い」と本気で思い込んでいる人もいます。妻にしてみれば飛んだとばっちりです。これほど意味がちがいますと、万が一誤解された場合に、まったくちがう意味どころか、反対の意味にとられかねませんので、注意が必要だと懸念しておりました。そこで、「相手の立場で考える」という意味で、ちがう言葉を使いたいのですが、同じ意味の専門用語はないようです。残念ながら、「相手の立場で考える」ことは人間にとってむずかしく、研究者・研究方法・研究データのいずれも少ないようですね。せいぜい近い言葉は「思いやり」でしょうか。近いには近いのですが「相手の立場で考える」ほどの意味を含むかどうかで考えますと、かなり厳しいように思われます。ドイツの精神科医学者クルト・シュナイダーは、精神病質者の精神病質を10類型にまとめました。 精神病質者 10類型シュナイダーは自身の臨床経験に基づきながら、よく見られる精神病質を10個の類型にまとめている。 意志薄弱者: 意志薄弱者の類型の特徴は持久性を欠いていること、そして自発性を欠いていること、この二つが挙げられる。持久性の欠如からこの類型は生活史においても転校や転職を繰り返し、また自発性の欠如から周囲の環境の影響を極端に受けやすい。 発揚者: 発揚者は気分がいつも明るく、活動的であるために社会環境に適応している限りにおいては、優れたリーダーとして評価される場合もある。一方で、知能の障害や自制心の欠如によって軽率かつ興奮しやすいために問題行動が表れる可能性もある。 爆発者: 興奮しやすく暴力的な行動に訴える傾向が強い人々の類型であり、シュナイダーは小さな物事でも過敏に反応して逆上する刺激型と不安感が鬱積した後に突然暴力をふるう興奮型の二つに区別している。 自己顕示者: シュナイダーの言葉によれば、仮想と現実を混合する人々、が該当する類型である。自己顕示という願望を充足させるために自分を実際よりも誇大化することや、嘘をつくなどの特徴が挙げられる。 人間性欠落者: ここで述べる人間性とは同情、良心、羞恥のような人間に固有の情動的能力を指しており、これはその能力が欠如している類型である。したがって、この類型は自己の危険や苦痛だけでなく他人の不幸に対しても情動的な関心や反応を示さない。 狂信者: ある特定の観念のために自分の生涯をかけて戦う人々とシュナイダーは定義を与えており、その観念の内容にかかわらず、彼らは一般的に些細だと思われる問題を重要視する特徴があり、そのために自分の地位や財産をいくらでも費やす行動を示す。 情緒易変者: これと云った理由もなく抑鬱状態に陥る傾向が強い人々の類型である。目的や理由はないものの、不機嫌、抑うつ気分などの状態が自生的に生じ、しばしば反復されるものからシュナイダーは体質的なものだと考えている。 自信過小者: この類型は周囲の評価に対して過敏な人々に該当し、規範意識や倫理観などが強迫観念として強い場合や、自意識が強いために状況によって被害妄想や関係妄想を抱く場合の二つに大別することができる。 抑鬱者: これは生まれつき悲観的で厭世的な人々が該当する類型である。気分が恒常的に暗く、自分自身が深く苦悩している場合が多いだけでなく、状況によってはその偏執性から問題行動を示す。 無気力者: この類型は常に無気力で身体的にも何かしらの痛みを訴えることが多い人々を指している。 クルト・シュナイダー - Wikipediaそのなかのひとつに「情性欠如者(人間性欠落者)」があり、「同情、良心、羞恥のような情動的能力が欠如している」とされています。「相手の立場になることができない」という意味では一致しますが、自分自身の危険や苦痛にも無関心とあるために、先天性無痛症の人を誤診したのではないかと疑ってしまいます。さすがにそれはちがうにしても、自分自身の危険や苦痛に無関心な人は普通の人に思われないでしょうから、異常性を感じるほどの人物なら当てはまるかもしれません。精神疾患は白黒つけがたいものが多く、重度や軽度があると考えるのが自然ですので、「情性欠如」も軽度のものがあると考えることができます。そう考えるなら、人の気持ちを理解できず攻撃的な人は、過剰な攻撃をしたり、場当たり的な嘘をついたりして、あとで自分の信用を落としたり、人から恨まれたりすることに確かに無関心です。想像力がないといわれますが、ただ無関心なだけだとすれば、スッキリ理解でき、矛盾がありません。結果的に「相手の立場で考える」ことについての適切な単語はありませんでしたが、「相手の立場で考えられない」「将来の自分の立場で考えられない」という特徴を示す「情性欠如」という用語は使えそうです。次回、「相手の立場で考える」ことについて、理解していくには段階がありますので、整理してみたいと思います。

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  • 01 Mar
    • 心の理論

       心理学では、「人が、他人の心を、どう理解するか」について、「心の理論」という用語を当てている。われわれ人間は、「私の気持ちを、あの人はわかってくれている」と信じたい傾向がある。「あの人」とは、母だったり、父だったり、親友だったり、恋人だったり、配偶者だったりするだろう。しかし、「自分が、あの人の気持ちを理解しているか」について、真剣に考えている人は少ない。これこそが「人間が愛に苦しむ原因」である。心理学においては、そもそも「人間が、他の人間の心を想像できるか」から丁寧に実験を繰り返して調べているが、実験者自身が「人の心をどこまで理解しているか」をわかっていないために、困難を極めているようである。 心の理論心の理論(こころのりろん、英: Theory of Mind, ToM)は、ヒトや類人猿などが、他者の心の状態、目的、意図、知識、信念、志向、疑念、推測などを推測する心の機能のことである。 定義 「心の理論」はもともと、霊長類研究者のデイヴィッド・プレマックとガイ・ウッドルフが論文「チンパンジーは心の理論を持つか?」("Does the Chimpanzee Have a "Theory of Mind")において、チンパンジーなどの霊長類が、同種の仲間や他の種の動物が感じ考えていることを推測しているかのような行動をとることに注目し、「心の理論」という機能が働いているからではないかと指摘したことに端を発する(ただし、霊長類が真に心の理論を持っているかについては議論が続いている)。この能力があるため、人は一般に他人にも心が宿っていると見なすことができ(他人への心の帰属)、他人にも心のはたらきを理解し(心的状態の理解)、それに基づいて他人の行動を予測することができる(行動の予測)。 誤信念課題 哲学者ダニエル・デネットは子供が「心の理論」を持つと言えるためには、他者がその知識に基づいて真であったり、偽であったりする志向や信念をもつことを理解する能力、すなわち誤信念を理解することが必要であると示唆した。これに基づきハインツ・ヴィマーとジョゼフ・パーナーは心の理論の有無を調べるための課題を提案した。これを誤信念課題(False-belief task)という。この課題を解くためには、前述したように他人が自分とは違う誤った信念(誤信念)を持つことを理解できなければならない。主な課題としては、以下の三つがある。 マクシ課題 マクシは、母親が買い物袋をあける手伝いをしている。 彼らはチョコレートを<緑の棚>に入れる。 マクシが遊びに行った後、母親はチョコレートを取り出して、今度は<青の棚>に戻す。 母親が卵を買うために出て行ったあと、マクシが遊び場から戻ってくる。 上記の場面を被験者に示し、「マクシはチョコレートがどこにあると思っているか?」と質問する。 正解は「緑の棚」だが、心の理論の発達が遅れている場合は「青の棚」と答える。 サリーとアン課題 サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいる。 サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行く。 サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移す。 サリーが部屋に戻ってくる。 上記の場面を被験者に示し、「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すか?」と被験者に質問する。 正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。 スマーティ課題 前もって被験者から見えない所で、お菓子の箱の中に鉛筆を入れておく。 お菓子の箱を被験者に見せ、何が入っているか質問する。 お菓子の箱を開けてみると、中には鉛筆が入っている。 お菓子の箱を閉じる。 被験者に「この箱をAさん(この場にいない人)に見せたら、何が入っていると言うと思うか?」と質問する。 正解は「お菓子」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「鉛筆」と答える。 多くの場合、4、5歳程度になると、誤信念課題に正解できるようになるが、心の理論の発達が遅れていると、他者が自分とは違う見解を持っていることを想像するのが難しいために、自分が知っている事実をそのまま答えてしまう。 心の理論の発達と自閉症 誤信念課題に対して、3~4歳児はそのほとんどが正しく答えられないが、4~7歳にかけて正解率が上昇するというデータが得られている。パーナーらは、その後の一連の研究結果から、「心の理論」の出現時期をおよそ4歳頃であると推測している。ただしこれには、幼児の論理的思考力の発達時期と一致しているだけなのではないかという批判も存在する。また、健常児が4歳ごろから解決可能になる誤信念課題を自閉症児がなかなか通過できないことで知られている。この結果に基づき、自閉症の中核的障害が「心の理論」の欠如にあるという考え方が提案されている。ただし、すべての自閉症児が誤信念課題に失敗するわけではなく,通過する自閉症児も一定の割合でいること、そしてこのような実験が言語による教示を解するいわゆる「高機能」の自閉症児に対して行われてきたことなど、「心の理論欠如仮説」に反する証拠も存在する。 動物における心の理論 他個体の行動に合わせて自分の行動を変えることや、他個体を操作することを示唆する証拠が霊長類を含む多くの動物で見られる。例えば霊長類学者リチャード・バーンは、下位のチンパンジーが餌を発見した際、上位のチンパンジーに餌を横取りされないように、餌から目をそらして、通り過ぎるのを待つ、という「欺き行動」が見られたことを報告している。ただし、「心の理論」を最初に提案したデイヴィッド・プレマックは論文「チンパンジーは心の理論を持つか?再考」('Does the chimpanzee have a theory of mind' revisited)において、人間以外の霊長類が「心の理論」を持つことを示す証拠は未だ乏しいことを認め、チンパンジーは多くの点で限定的な「心の理論」しか持たないとしている。 理論説とシミュレーション説 人が他者の心的状態を理解するメカニズムに関して、「理論説(theory theory)」と「シミュレーション説(simulation theory)」の二つが提唱されている。 理論説 理論説では、人は先天的、後天的どちらであれ、他者に当てはまる一般的な「知識」や「理論」を持っており、これらに基づき他者理解を行っているとする。 ここではシミュレーション説とは異なり、自己理解と他者理解は独立であるという立場をとる。 シミュレーション説 シミュレーション説では、他者理解は理論的操作(=理論説)ではなく、自分を相手の立場において模倣する、つまりシミュレートすることで他者理解を行っていると考える。 他者の行動と自らの行動、その両方に反応するミラーニューロンの発見はシミュレーション説に強力な生物学的な根拠を与えるものと受け止められている。 心の理論の神経基盤 実証的な研究では、サルによる神経細胞活動の記録実験や、ヒト及びサルの脳機能イメージングによって、心の理論に関係する中枢領域が判明してきた。 サイモン・バロン=コーエンは、他者の心を読むための機構として、意図検出器(Intentionality Detector:ID)、視線検出器(Eye-Direction Detector: EDD)、注意共有の機構(Shared-Attention Mechanism: SAM)、心の理論の機構(Theory-of-Mind Mechanism: ToMM)という4つの構成要素を提案している。 また、心の理論は進化の過程でヒトにおいて突然発生したものではなく、他の生物でもその原型となる能力があるのではないかと考えられている。それらの能力としてC.D.フリスらは、 生物と非生物を区別する能力 他者の視線を追うことによって注意を共有する能力 ゴール志向性の行動を再現する能力 自己と他者の行動を区別する能力 の四つを挙げている。 また彼らは、心の理論は脳の特定の局所部位の働きのみで成り立っているのではなく広範なネットワークで成り立っているのだろうとしながらも、特に心の理論を支える基盤となっている可能性のある部位として、上側頭溝(STS)、下外側前頭前野および前部帯状回/内側前頭前野を挙げている(右図)。 STSでは、非生物の動きには反応しないのに顔や手の動き(biological motion)に対して反応する神経細胞が見出されている。また、STSには特定の方向への視線に反応する細胞や、他者が発した音や視覚には反応するが、自分で発した場合には反応しない細胞が見出されている。 サルの腹側運動前野(F5)において、自己がゴール志向性の運動を行ったときにも、他者が同様の運動をしているのを見たときにも活動する神経細胞がある。これらはまるで鏡のように活動することから「ミラーニューロン」と名付けられている。この働きにより、他者の行動を心の中でリハーサルすることで追体験できると考えられている。ただし、サルにおいて心の理論に相当する能力があるのか問題であり、ミラーニューロンの機能と併せて議論の対象となっている。ヒトでは、この領域に相当するのは下外側前頭前野つまりブローカ野の一部(44野)に相当すると言われている。 前部帯状回/内側前頭前野は、自らの感情を自覚する課題を施行中に血流増加するという報告があり、情動の主座である辺縁系と前頭前野を連絡する働きがあると推測されている。 心の理論 - Wikipedia私の見解では、静的気質は「理論説」、動的気質は「シミュレーション説」である。実際、静的気質は本番に弱い。また、何事にも覚えて対処しようとする傾向がある。いい方法を覚えればうまくいくと思っているようだ。そのため、いい方法を知らなかった場合、うまくいかなくても当然であると考え、反省すらしない。それとは反対に、動的気質はある程度経験を積むだけで、初めてのことでも対処できるようになり、いい方法にこだわらない。うまくいかなかった場合には当然と思わずに恥じる。そして反省し、まったく同じではない似た場面にまた遭遇すると、対処できる自分でなければならないといった風である。これはまさにシミュレーションすることで対処できると思っているからだ。事前にシミュレーションではない、その場でシミュレーションである。「理論説」と「シミュレーション説」が争われているのは、「理論説」を採用している脳と「シミュレーション説」を採用している脳があるということを知らないからだ。これらの脳は遺伝によって引き継がれ、人類が二分する原因になっている。

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    • 静的気質と動的気質

       「プライドタイプ」と「アピールタイプ」を「既成事実」グループ、「コンセプトタイプ」と「モチーフタイプ」を「既成概念」グループと表現すると字数が多いことと、遺伝による気質であるとわかりやすくするために、字数が少ない「静的気質」「動的気質」という表現に統一したいと思います。比較的、感情的である「プライドタイプ」「アピールタイプ」を「静的気質」と名付けた理由を解説いたします。「静的」とは英語でスタティック(static)といい、コンピュータ技術やネットワーク技術において頻繁に使われる言葉です。「初めに設定しておくとOK」とか「同じ状態を維持する」といった意味があります。 「プライドタイプ」と「アピールタイプ」は、揺るがないものを愛する傾向があります。血縁や婚姻関係のほか、所有権や社会的地位なども大切にします。一度、手にしたものはなかなか手放さず、ずっと同じ車に乗っていたり、ずっと同じ家に住んでいたりします。なかなか離婚もしません。近親者の死の精神的ダメージは大きく、我が子の巣立ちすら悲しみます。彼らにとって「関係の変化」「状況の変化」は苦痛なのです。同じ毎日、同じ生活こそ、彼らの安心であり、幸福なのです。次に、必ず活動的とは限らない「コンセプトタイプ」と「モチーフタイプ」を「動的気質」と名付けた理由を解説します。「動的」とは英語でダイナミック(dynamic)といい、コンピュータ技術やネットワーク技術において頻繁に使われる言葉です。「始めてから必要に応じて設定を変える」という意味です。近年、ビジネス用語としても使われるようになりましたが、正しく理解している人は少ないかもしれません。ビジネスでは「手順やルールにこだわらず臨機応変に対応する」といった意味になるでしょうが、幹部が部下にそう指示するとき、「自己判断で、責任問題にならない程度に、うまくやってくれ」という「他人任せ」の感は否めません。 「コンセプトタイプ」と「モチーフタイプ」は、新しい刺激を愛する傾向があります。スポーツの試合や芸術品の作成など、常にちがう結果になるものや、仕事の現場でイレギュラーな場面でも躊躇せず対応できる能力を求めます。新しい刺激のためには、血縁の束縛に甘んじることがなく、結婚相手さえも刺激があるかどうかによって決めてしまう傾向にあります。郷土愛よりも自己の成長を選び、我が子の巣立ちも自分のことのように喜び応援します。関係も状況も変わりゆくものとして手放し、同じ毎日、同じ生活を苦痛に感じます。このように、「プライドタイプ」「アピールタイプ」は静的気質、「コンセプトタイプ」「モチーフタイプ」は動的気質といえるのです。

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  • 26 Feb
    • 毒親

       親の呪縛から抜けられない大人が自立するとき、まるで洗脳が解かれないで苦しんでいる人と似た「恐怖による現実逃避」と「自尊心の低さ」が見受けられます。彼らを呪縛する親は、カルトの信者とか、政治運動家といった、特殊な人とは限りません。そのような親を、近年「毒親」と呼ぶようになり、書籍等で注目されるようになりましたので、Wikipediaから引用してご紹介いたしましょう。 毒親毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、過干渉などによる児童虐待によって、一種の毒のような影響を子供に与える親のこと。母の場合は毒母(どくはは、どくぼ)、毒ママ(どくママ)と称される。また、父の場合は毒父(どくちち、どくふ)、毒パパ(どくパパ)と称される。毒母の別名として、モラ母(モラはは)と称されることもある。 概要 元々は、アメリカの精神医学者、スーザン・フォワードが著した『毒になる親(原題:Toxic Parents)』から生まれた俗語である。この本は、原著が1989年にハードカバーで出版され、日本では1999年にハードカバー版が毎日新聞社から、2001年に文庫版が講談社より出版された。本国では2002年にペーパーバック版が出版されている。 日本では2013年ごろより、この言葉をタイトルに含めた本が出版されるようになった。主な意味としては「子の人生を支配する親」のことを指し、一種の虐待親として扱われることもある。「毒親に育てられた子は、毒親からの児童虐待によって苦しみ続ける」が主なケースとなっている。なお、スーザン・フォワードは『毒になる親』にて、「毒親の子は毒親を許す必要などない」と述べている。 毒母の概念 子供に悪影響を与える母親については、母原病など、以前から語られることはしばしばあった。母と娘に限って述べたものとしては、信田さよ子が書いた『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』などが比較的初期に当たる。作家や芸能人など、名の知られた女性たちが経験談を本や公共の場で語ったことで、反響を呼んだ。 母による同性間ならではの娘への束縛や虐待(分身としての過度な私物化やコントロール、夫婦間の不満や愚痴のはけ口としての利用など)を受けるも、娘は「母性」神話によって母親を悪者に出来ず、又は気付かずに苦しみ自身の人生を生きられなくなるとされる。支配型の毒母の場合、娘の世話を熱心にみることから、周囲からは愛情深い母親の行為として見られたり、母親の愛を得んがために、その期待に沿って猛進するため、社会的には成功する場合もあり、そのため周囲に苦しみを理解されない娘の苦悩はより深い。母を負担に感じる娘の場合、摂食障害や鬱といった精神的症状が表れる事例が多いといわれている。 共依存との関連 心理学や精神医学では昔から、親が子に心理的に悪影響を与えるパターンとしては、共依存の研究は行われている。しばしば、「自分自身の世界が無く『ただひたすらに子供だけが生きがい』というような女性が、子供が自分から成長して自立することを良しとせず、子が親に依存せざるを得ないような状況を作りだしそれを保ち、子も子でそれを利用して自分の成長や自立をいつまでも遅らせようとしつづけ、双方が様々な理由づけをしてその関係性を無理やりでも正当化し、二人だけの閉じた世界ができていて外部にそれを見せることも少ないので、それが不健全だと気付いたり指摘してくれる人も滅多にでてこず、やがて心理的な歪みが子供の人生の意外な面から意外な形で噴出する」というパターンが挙げられることが多い。 毒親 - Wikipediaこれはまさに私たちが発見した、人類を二分する遺伝子の対立による、家庭内に起こった「悪意なき衝突」です。理解できず苦しんでいる服従者は、「逆らってはいけない立場」だと言い聞かされて育つため、親に捨てられないよう、自ら洗脳されて生きようとします。洗脳された子どもの側の人々が、自らを洗脳から解き放ち、本当の自分を取り戻していく姿を、ご本人たちとともにお伝えしたいと思っています。

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  • 23 Feb
    • 人類を二分する生来気質

       多くの方にそれぞれの「常識」「善悪」をお伺いしたところ、あまりの食い違いに目を見張りました。これこそが、悪意なく起きるトラブルの原因だと、私は理解しました。  私は「常識」「善悪」の捉え方のちがいを、4つに分類しました。(1)「自分自身の好みや感情を自己認識しづらいタイプ」を「プライドタイプ」 (2)「事情や事実関係の理解に困難が伴うタイプ」を「アピールタイプ」 (3)「理屈や感情よりも感覚を重要視するタイプ」を「コンセプトタイプ」 (4)「精神的刺激を追い求めてしまうタイプ」を「モチーフタイプ」この4分類は目指す方向性のちがいによって、2種類に大別されます。(A)「プライドタイプ」「アピールタイプ」を「既成事実」グループ 「既成事実」を重要視する理由として、「性悪説」や「静的気質」がキーワードになります。 (B)「コンセプトタイプ」「モチーフタイプ」を「既成概念」グループ 「既成概念」を重要視する理由として、「性善説」や「動的気質」がキーワードになります。(A)群と(B)群が互いに理解し合うことは困難であり、一方の善意がもう一方の相手に対し精神的苦痛を与えます。悪意があると誤解されますが、互いに悪意はなく、悪意と誤解したことによる逆恨みがトラブルの原因となります。 この対立の問題点は、当人の考え方の問題ではなく、遺伝による脳の型でどちらのグループに属するかが決まるため、必ずしも正しいほうが優勢になるとは限りません。遺伝によって多数派になったほうが優勢になり、その時代の流れを決めます。 この問題は、有史以前から繰り返される二大勢力の対立を生んでいるのです。新しい国家や宗教組織、思想哲学等が歴史をもち、伝統を持ち始めると、遺伝により組織内に自然発生した二大勢力が新たに対立を生みます。歴史上、必ず優勢になった側の内部でも、時代を下ると二大勢力を形成するために、どんな国家も宗教組織も、隆盛と分裂、そして没落を繰り返すのです。

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