迷わない生き方・決断できる方法

迷ったときに決断できる方法、正しい選択、後悔しない生き方ができるよう解説します。
ヨーガノンデュアリティーを生活に取り入れることで実現します。


仏教で生まれたマインドフルネス瞑想も取り入れています。
マインドフルネス瞑想の基になったヴィパッサナー瞑想は、正統ヨーガの確立に貢献しました。


人生相談では、私が瞬時に入る深い瞑想から叡智を引き出します。


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  • 11Oct
    • そこから?パート2

      「そこから?」はわかりにくかったようだ。私自身、すべてを書き表せたとは思っていない。まだまだ、さまざまなケースがありうる問題であった。今回は、別のパターンを書いてみる。交際相手がはっきりしないことについて、怒っている人の「怒る理由」とは何か、あなたにはわかるだろうか。A子さんは、B夫さんが結婚を言い出してくれなくて悩んでいる。交際してから1年以上が経ち、A子さんの年齢は子供の出産を考えると、タイムリミットがどんどん近づいている。もし、B夫さんが結婚するつもりがないなら、A子さんはB夫さんとの結婚をあきらめて、新たに婚活を始めなければならない。しかし、A子さんはB夫さんのことがまだ好きである。できれば、B夫さんと結婚したいのだ。人生相談でA子さんは私に申し込んできた。私はB夫さんの迷いについて、詳しく解説した。「B夫さんは、A子さんに対して、本当に自分が結婚相手でいいのか、迷っています。こんな自分でいいのか、自信がないのです」A子さんは彼の性格をよく理解していて、確かに優柔不断とのことだ。A子さんは言った。「彼に結婚を決断させるにはどうしたらいいでしょうか?」「彼に安心させてあげることです。いっしょにいるとリラックスできる、自分らしくいられる、といったことを伝えてください」「彼はぜんぜんしゃべらないんです。重荷に思われて、別れると言われないか不安です」「それは大丈夫です。彼はあなたのことが好きだし、ほかに恋愛できる女性はいないと思っています」「それなら、なぜ結婚してくれないんですか?」「ですから、彼には自信がなく、あなたにはほかにもっといい人がいるのではないかと思っています」「ぜんぜん意味がわかりません」このあたりから、同じような説明を延々と繰り返すことになる。A子さんの声はイライラし始める。A子さんに言わせれば、「彼は好きなら結婚するはずだ。好きじゃないから迷っているのではないか」ということのようだ。いわゆる「A子さんを結婚相手に選べないという意思を彼が持っている」と解釈している。これでは、らちが明かない。そこで、彼の気持ちに納得できないならと、別の提案をする。「彼と別れて、ほかの男性と結婚するために出会いを探すのはいかがですか?」「彼と結婚したいんですが……。彼は結婚する気がないんでしょうか?」また、同じ説明を繰り返さなければならなくなる。そもそも、「結婚する気がある」とは結婚しようと決断できた者の気持ちである。だからといって、決断できないから「結婚する気がない」という意味にはならない。決断できていないというのは「結婚しない意思」とは別物である。このあたりを詳しく話して、ご理解いただくと、A子さんは言った。「もう疲れてきた。彼を待っていても無理そうですね」電話の向こうで、がっくりと肩を落としたようになる。無理ではないのだが……。世の中のほとんどの人が「心を通じ合わせる」ことなしに結婚したり、けんかしたりしているのかもしれない。通じ合っていないコミュニケーションは、コミュニケーションですらない。コミュニケーションのない恋愛は恋愛ではなく、ただの恋愛ごっこである。コミュニケーションのない結婚は結婚ではなく、ただのままごとである。ちゃんとコミュニケーションを図り、相手の意思を尊重して、結婚が早期に実現できないなら、好きでも別れるしかない。結婚が早期に実現できそうなら、共に努力すればいい。そもそも足並みすらそろえずに、結婚しようなど無理な話なのである。自分が想像した性格の相手であると期待して、そのとおりにしろとごり押しするのは、その人の何を愛しているというのだろうか。現実の相手を見て愛し合うこと……、それが恋愛である。お互いに現実に帰ってきて、向き合ってみたら好きじゃなかったというオチになったら悲しいが、将来、過去を振り返れば笑えるものである。なぜなら、現実の相手を見て愛せたならば、離婚などしない。離婚しない結婚を本気で目指しているなら、離婚していただろう過去の恋人など、笑い飛ばせるものなのだ。「あの頃は、恋に恋していたなあ……」と。

  • 06Oct
    • PC版アメーバ・ピグの終了について

      ピグが終了するという。そこで、久しぶりにログインしてみた。10周年の特別な会場が用意されていた。私は、ピグがスタートした2009年に登録していたらしい。翌年の2010年4月から私の店「アメージュ」がスタートした。ピグの中で「部活」というサークルのような機能があり、メンバー登録制で、全国のお客様に入会してもらった。その名も「アメージュ」だった。そこでは毎晩チャットして、さまざまな話題でたいへん盛り上がった。2011年の全国ツアーは、この部活で2011年1月に案が出され、2月から3月にかけての3週間で実現したものだった。「部活」の中で毎日チャットするなかで、まるで顔見知りのような気分になり、全国のお客様が「ぜひ会いに来てほしい」「住んでいる県に来てくれるなら会いたい」という声に応えて、全国でのワークショップを企画したのである。その際に、ピグで交流していない全国のお客様にもメール等でお声かけさせていただき、受講料15,000円と高額ながら、100名以上の参加者が集まってくださった。その後も、部活のチャットで東京や大阪でのイベントを企画し、何度も開催している。アメージュはまさにアメーバ・ピグと共に成長し、歴史を重ねた店だった。その後、スピリチュアル・ブームの波に乗って、雨後の筍のようにスピリチュアル・カウンセラーを名乗る者が増え、霊能力を操れる者と操れない者の区別が難しくなった。アメーバ・ブログではスピリチュアル関連業者があふれかえっていたが、アメーバ・ピグでは普及するにつれて利用者の低年齢化が進み、ピグの見掛けでは年齢が判断できないことから「無礼で意味不明な動きをするピグが気持ち悪いと思ったら子供だった」という場面が増えて、大人の利用者は離れていった。そういった時代の流れを受けて、アメージュの部活も増加を見込めず、3年ほどで廃部にした。現在のアメージュの基礎は、アメーバ・ピグの時代に培われたものである。PC版アメーバ・ピグの終了と聞いて、ピグの会場を見て回ると、それぞれの場所でさまざまな思い出がある。これらのすべてがなくなってしまうとなると、意外に寂しさを感じる。ピグはバーチャルなので現実のものと比べられるものではないが、まるで母校が建て替えられてしまう感覚に似ている。終了する前に、さまざまな画面をスクリーンショットで保存しておこうと思う。アメージュ部の廃部の時も、ピグではあるが参加者で並んで記念撮影をしたものだ。仏教における仮想現実のレッスンには最適なバーチャル空間であったが、パソコンがないと使えないため、実際には活用できなかった。アメーバ・ブログは存続することだろう。残念だが、ひとつの時代が終わったように思う。スタッフのみなさまがた、思い出をありがとう。

  • 02Oct
    • そこから?

      恋愛相談を受けていると、相手の心境についてよく質問されるが、正確に話せば話すほど、相談者がなぜか混乱し始めるという場面が多い。相談者によっては怒りだす者までいる。私は説明をしているだけなのに、相談者が強い語尾で私に同じことを何度も質問してくるのだから、まるで私が悪いことをして、しかられているかのような気分になるほどだ。私にとって、その相談者の怒りは理解できない。例えば、相談者が気にかけている恋愛の相手が浮気など悪いことをしていて、相談者が怒りだすというのはわかる。それなら、私も相談者に共感し、愚痴を聞いたり、相談者は悪くないとして励ましたりする。昨晩、信頼関係ができている常連の相談者と同じような場面になり、相談者が怒りださないように私の疑問を正直に伝えて、有料の相談であるのにご理解いただけるまで話し込んでみた。相談者が混乱して怒りだすパターンは明確である。恋愛の相手が相談者とどう、かかわったらいいか迷っているときである。それは別れ話とは限らない。結婚についてや、彼の元カノとの縁切りなどについてなど、さまざまである。しかし、やはりよくあるケースは「恋愛の相手が交際を続けようか、別れようかを迷って、相談者に対して消極的になっている」というものだ。複雑になってくると、「不倫関係で会えない状況が続き、彼が別れるつもりなのか、別の女ができたのか、はっきりしない」というケースもある。私は、相手の心境を事細かに解説する。どうして迷っているのかや、優柔不断な性格であることなどを詳しく話す。私にとっては当たり前のことであり、相手が迷っていることはとても自然なものである。むしろ、人間だからこそ迷う。ところが、相談者は「なぜ、そこで迷うのか」と疑問を抱く。「愛し合っているなら、迷わないはずだ」という理屈である。もし、ほかの女の気配があるなら「そちらと愛し合っているから、自分とは別れたいのだろう」という。そういった相談者の頭の中には「愛し合っている」か「愛し合っていない」かしかない。人間はそんなに簡単なものではない。実際、仕事でも恋愛の始まりでも、その相談者でさえ迷った体験はあるはずである。今回、ご理解いただけるまでお話させていただいた相談者は、怒っているのでもなく、プライドが邪魔しているのでもない声色で、同じ言葉を何度も投げかけてきた。「彼は、私に対してもう愛情がないのではないか」「彼とその女はうまくいっているのではないか」その思いに沿って、彼の既読スルーや女の出入りを解釈していた。私は彼が迷っているから返事をしない理由を、正直に彼のずるさも認めながら、彼が相談者に対しまだ愛情があることを解説した。「失礼な話ではありますが、彼は○子さんに戻るつもりでいながら、ほかの女に寄り道をしているのです」相談者は「彼とその女が愛し合っているなら、そのふたりでうまくやっていくのではないか」という。私は確認した。「彼が別れ話をしないのは、その女性とはうまくいかないとわかっているからです。その女性も彼にその理由をはっきりと言っている。だからこそ、彼は○子さんと縁が切れないようにして、うまくやっているつもりです」と。相談者は混乱した。しかし、相談者は彼と復縁したいのである。私は復縁できる話しかしていない。相談者は私の話を信じたほうがいいに決まっているのに納得できないから、同じ言葉を繰り返した。まるで相談者は、自己中心的な彼に振り回されているように見えるが、彼は家庭持ちであり、相談者自身も不倫相手であるので、道徳的には同情の余地はない。不倫相手が別の不倫相手に取られた話なのである。これを自業自得という。そのうえでのアドバイスである。私ははっきりと言った。「彼はうまくやっているつもり。彼はほかの女と遊んでから、○子さんに戻ろうとしているのはずるい。それでも、○子さんが望んでいるとおりに彼は戻るつもりなのだから、それが彼の言動に現れている」と。私はここで理解できた、なぜ相談者が混乱するかを。なぜ混乱するかは、道徳的に問題がない恋愛関係でも同じである。恋愛の相手が思い込んでいることを想像できていないからだ。AとBが結婚を考えていて、Bがはっきりしないなら、Bに事情があるか、なければ、結婚に対する思い込みや、Aに対する思い込みを解かなければならない。CとDが交際していて、Dが元カノとまだかかわっているなら、元カノに事情があるか、なければ、善意に対する思い込みや、元カノに対する思い込みを解かなければならない。EとFが交際していて、Fが冷めているように見えるなら、Fに事情があるか、なければ、恋愛に対する思い込みや、Eに対する思い込みを解かなければならない。混乱する相談者は当然ながら、自分には問題がないと思っている。それは「相談者の価値観」であり「恋愛の相手の価値観」では違うこともある。理解できない状況になっているのなら、確実に「恋愛の相手の価値観」は「相談者の価値観」とは違うことが証明されている。さらに付け加えて、相談者も恋愛の相手も完ぺきな人間ではない。その価値観に矛盾も誤りもないということはありえない。そもそも迷うのは、抱いている価値観が不完全であるからである。迷わないからといって、その価値観が完ぺきだという証明にはならないが、迷っている時点で不完全であることは確定だ。相談者がどう対処するか迷っていることも、相手が今後の方向性に迷っていることも、そこに何か本人の揺るがない意志が働いているとは絶対にいえないのである。相手が迷っている姿をもって、あなたが悩む必要は何ひとつない。あなたはいっさい悩まなくていいのだ。すべては結論を出すまでの過程に過ぎない。結論を出した後も、結論を覆すまでの過程に過ぎない。あなたは自分の行いに後悔がなければ、相手がどのような決断をしようと、相手に迷惑をかけない範囲で、相手との良好な関係を維持する努力は可能である。その証拠に、相手は迷っているのだから。

  • 03Sep
    • 結婚で「あなた次第」という幻想

      恋愛相談で、あるひとつのパターンが頻出することに気づいた。 私は相手のことが好きなのに、相手はあまり会ってくれず、しかたなくあきらめようとすると、相手が積極的になる。 会う回数が増えるかというと増えるわけでもなく、あきらめようとすると愛情のあるやさしい言葉をかけてくれる。 私は好きだから希望を持ちたいが、いっこうに相手は何もしてくれない。細かいところは違いがあれど、このパターンに当てはまるケースがほとんどである。独身同士でも不倫関係でもだ。主に女性からの相談が多く、この関係で数か月から数年続けているというのは珍しくない。男性からの相談の場合、相手はホステスが多い。ホステスではない女性を相手にこのパターンに陥る場合でも、金銭の授受がある。わかりやすく並べると以下のようになるだろうか。 積極的な女性-消極的な男性 必ずしも肉体関係を伴うものではないが、男性が別れを受け入れない。 積極的な男性-消極的な女性 必ずしも肉体関係を伴うものではないが、女性は金銭目的であることが多い。一見、男性は体目当て、女性は金銭目当てに見えるが、そうとは言い切れない。2.のケースは性別が逆の場合もある。いわゆるホストにお金をつぎ込む女性のケースである。あるいは、年上の女性が年下の男性にお小遣いをあげたり、食事をご馳走したりするというのも決して珍しい話ではない。1.のケースの性別逆転はあまりないのに、2.のケースはありうることから、1.のケースは男女の本能の違いにあるのかもしれない。金銭の授受がある男女の関係はそれ以上でもそれ以下でもないのでここでは取り上げずに、1.のケースのみどうしたらいいかを解明したい。女性からの相談が多い「どういうつもりなのかわからない彼」という問題について、いったい何が原因で関係が進展しないのだろうか。会うたび肉体関係を持つのならわかりやすいが、ほとんどの相談ではセックスレスとなっている。女性いわく「私に対して愛がないならあきらめようと思うのに、彼に確認すると否定される」のだそうだ。その結果、多くの女性が彼の浮気を疑う。ほかに本命がいて、自分はキープされているのではないかというわけだ。本命にフラれたらキープしている女性を選ぶ魂胆だと推測するのである。ただ、幸か不幸か、浮気している男性は露骨に遊んでいて、女性の影がちらほらと見受けられてわかりやすいものである。今回は女性の影が一切ないのに、セックスレスの男性がテーマである。体は求めないのに、口では愛があるふりをする。こうなってしまうと女性は混乱する。「好きなら積極的なはず。好きじゃないならもう会わないはず。結局どっち?」と。新しい恋に自信がなく、この恋を逃したくない女性は、彼の言葉を信じてプロポーズを待ち続けることが多い。毎日のメールもいつ返事が来るかわからない毎日を過ごし、1日返信がないどころか、2日も3日も返事が来ないなんてことも珍しくない。「どうして返事が来ないんだろう」と悩み、「またメッセージを送ったらしつこいだろうか」と迷う。新しい恋に自信があるかないかに関係がなく、もうこんな恋はうんざりだとクーデターを起こす女性も少なくない。「返事をよこせ。さもないと縁を切る」と脅して、彼の反応をうかがうのである。しかし、この言葉は肉体関係がある場合に有効である。セックスレスとなってしまっていると、縁を切ること自体が脅しにならないので、強い物言いができない。「私に対してもう愛がないなら、もう会わないようにしましょう」というメッセージになる。さすがにこんなメッセージにはすぐではないにしても彼から返事が来る。「仕事で忙しくてごめん」といった別の事情があるふりではあるが。このような男女関係は、世間では次のように分析される。「結婚したくて進展させたい女性と、まだ結婚したくなくて現状維持したい男性との葛藤」だと。確かにそのように見える。男性にいわせれば「その女性は恋愛対象だが、結婚して責任を負う生活はまだしたくない」ということだ。このような男性を評して「男らしくない」「女性と関係を持ちながら責任は負いたくないなんて卑怯だ」「自分勝手だ」とされている。そこで、大胆にも彼に対しハッキリと申し渡す女性もいる。「結婚する気がないなら、もう会わないようにしましょう」と。これはある意味賢いし、彼の本心が「結婚という責任からの逃避」なら、彼はぐうの音も出ない言葉である。この言葉に対し、男性の反応はふたつのパターンに分かれる。「いずれ結婚するつもりはある」としてあいまいな返事をするか、何も答えず保留を決め込むかである。「いずれ結婚」の意志は、本当にそう思っている場合と、結婚はしたくないが別れたくないので嘘をついたという場合があり、注意が必要である。もし嘘ならそれは悪意だからだ。婚約破棄は法的にも責任が発生する。正式な婚約かどうかは判断が必要であるが、慰謝料請求が可能な場合もありうるのだ。言い換えれば結婚しなくても責任は発生する。ここまできて、1.のケースの性別逆転はごくまれではあるが、ありうることが見えてきた。結局のところ、「彼がその女性を養う責任を負いたくないから結婚を尻込みしている」のである。もしその女性の方が稼いでおり、彼が養われる側なら、その女性が結婚を渋ることは十分にありうるのだ。結局、金銭の授受が問題であることが見えてきた。1.のケースと2.のケースは本質がほぼ同じなのだ。今、払うお金か、将来、払うお金かの違いである。では逆に、どうしたら解決できるだろうか。彼の収入が増えればよいのだろうか。それとも、その女性が共働きをして、お金がかからなければいいのだろうか。金銭の授受が問題になるとしても、単純にお金があれば解決するとは考えにくい。なぜなら、結婚とは法的に浮気を禁止することを合意するものだからだ。「別の人が好きになったら離婚すればいい」と考える安直な人間は例外として、結婚とは一般的に一生添い遂げるものと解されている。一度、結婚してしまうと、本来は別の異性と結婚しなおすことは、ほぼあきらめなければいけない。つまり、結婚とは「これ以上ないご縁の異性と認めて、一生添い遂げる相手として選ぶ」ということになる。これは男女双方にいえることで、男性であっても女性であっても「結婚を決断すること」はなかなか難しい問題なのである。したがって、結婚にはふたつのハードルがある。 金銭の授受の問題 一生添い遂げる異性として認めるかの問題(他の異性との出会いはあきらめる)至極、当たり前のことだが、これらのことを解決しないことには、結婚を決断することはできないだろう。ここで「どういうつもりなのかわからない彼」という問題に立ち返ってみよう。 経済力がない 一生添い遂げる異性として認められない(自己都合)このどちらかか両方が原因で結婚を決断できないと結論付けることができる。2.は相手の問題とは言い難いので、自己都合に限定した。これらのことから、たったひとつの解決策が見えてくる。経済力は協力し合うか、頼るか、頼られるか、話し合い次第である。合意できなければ結婚は無理だ。その意味では一切、迷わなくていい。解決可能な問題は「一生添い遂げる異性として認めるか」である。これは簡単である。ほかの異性との差があればいいのだ。何も「最高の男」「最高の女」になれといっているのではない。恋愛関係ではない異性と比べる必要はないからだ。仮に相手がある異性を気に入っていたとしても、相手が応じなければ恋愛関係ではない。そもそも、恋愛関係ではない異性が意味もなく信頼関係を構築しようとする努力はしない。金目当てだとか、社会的ダメージを与えるとか、何か悪意があって誘惑してきた異性に対して本気になっているような人間は結婚相手としては失格である。そんな心配があるなら、結婚相手としてその人間は相応しくない。では結婚相手として適性がある人間はどのようなものかというと、持ちつ持たれつの関係、お礼のキャッチボール、相手の意思まで私物化しない関係である。「そんなまともな人間は、なかなかいないよ」という声が聞こえそうである。そのとおりだ。なかなかいない。だからこそ、あなたは貫いてほしい。すると簡単にあなたは、ほかの異性と差を作ることができる。そして実際にやってみると、そんなあなたにメロメロになる人間が何人か現れる。あなたはそのなかから結婚相手を選べばいいのだ。注意点がある。初めはメロメロになってから、交際中に調子に乗る人間もいる。そういう人間は、まともな人間の価値をわかっていない。自分が丁寧に扱われる価値がある人間だと勘違いして調子に乗ったのだ。調子に乗った時点でさよならした方がいい。あなたは、あなたの価値を見極め、あなたのために同じ接し方をしてくれる、結婚する価値のある人間とだけ向き合うのだ。自分が結婚への適性なしに、「自分は結婚する意志がある。あとはあなた次第」と迷う相手に迫ったところで、相手は決められるはずもない。適性を意識しないあなたと、適性を意識しない相手とで、ただまごまごしているだけのことである。適性を意識し、適性を理解できる人間と出会い、適性を意識してもらって、高い意識で結婚を決断することが、後悔しない選択なのである。「あなたさえ結婚を決断してくれたら……」と待ち続けたり、腹を立てたりするのは、そもそもそれが幻想だからかなわないのである。

  • 18Aug
    • 恋愛や友情、人間関係の根本原理

      私は人生相談を受けたり、講座を開いたりしている。恋愛相談や人間関係の相談が多く、コミュニケーションがテーマであることは、人生相談も講座も共通している。講座に限っては、今までの人生に後悔があるかたが、もう後悔しない人生を生きるために、新しい考え方を取り入れようと学びに来てくださっている。それ以外の、個別に対応する人生相談は気軽にできることから、恋愛相談や家庭の相談、職場の人間関係についての相談が多い。恋愛も友情も家庭も職場の人間関係もすべて、コミュニケーションの問題と言い切ることができる。長年に渡り、人生相談や講座に携わってきた身として、結局あなたがたが何に悩んでいるのか。その根本的な原因と、それを解決するたった一つの方法を提示したい。恋愛と家庭の問題は本音が出やすく、友情や職場の人間関係では建前で処理されやすい。どういう意味かというと、恋愛や家庭では自分の望んだとおりにならないとして、怒ったり泣いたりしている人が多い。それに比べて、友情や職場の人間関係では、建前で努力したことが本音と食い違って苦しいのに、その努力が無駄になったという絶望感である。たまに、職場の人間関係の感覚、建前と本音の食い違いの苦しみを、夫婦関係や親戚関係に感じる者もいる。これについては、そもそも本音で生きたことがないというテーマになってくるので、今回は取り上げない。さて、恋愛や家庭の問題のほか、友情や職場の人間関係で、なぜ私たちは苦しむのだろうか。よく考えてみれば、同じ母国語を話し、共通の目標を目指している関係でのトラブルが多いのは変な話である。恋愛は「愛し合う」という目標に向かい、家庭は「責任を持つ信頼」、友情は「責任を持たない信頼」、職場は「収入や成功」を目標にして協力関係にあると言い換えることができる。同じ目標に向かう者同士がこじれる原因について、ここで解き明かす。まずは恋愛で解説しよう。恋愛に注目すると「愛している」と言い合うふたりが、なぜ愛し合わなくなるのだろうか。近年、告白という儀式的で形式的な共同声明が、日本独特の文化であることが知られるようになった。日本のコミックが世界で認知され、日本人の日常が好奇の対象となったのである。異国文化の人が日本人を真似したら、意外によかったという声もあると聞く。そうであったとして、実際にすべての人が告白をしているかというと、人生相談の内容をみる限り、そうとはいえない。意外にも「いつのまにか、そういう関係になった」というケースが非常に多い。告白文化はあるにはあるが、異国の事情とは変わらない点も多いのである。告白せずに親密な関係となり、肉体関係も持ち、現在もまめに連絡を取り合っているという恋愛関係は珍しくない。その意味では、告白による正式な恋人同士になっているかいないかについて悩んでいる人は「告白したら恋が成就した証拠」という幻想にとらわれていると考えられる。事実上、恋愛関係であれば、その恋はすでに成就している。しかし、告白文化がある日本では「告白していないし、正式な恋人と認めた覚えはない」という口実で浮気を正当化する日本人が少なからずおり、納得できないながらも説き伏せられている被害者は多い。それとは反対に、「告白し、正式な恋人同士と認めたのだから、浮気をしようとする相手を攻撃する」というケースもある。告白文化がない異国では、告白したかどうかでは正式な恋人として判断されないから、「浮気の正当化」は存在しないし、「告白をもって、交際相手を攻撃する理由となる」という発想もない。では何をもって浮気と判断するかというと、友人や家族などへ恋人として紹介したかどうかが、正式な恋人としての儀式的で形式的な共同声明となり、その後、新しい恋は過去の恋を清算してからでないと始められないのである。過去の恋の清算は必ずしも友人や家族などへ公表しなければならないというものではないが、新しい恋が始まった時点で過去の恋が清算されていなければ、友人や家族から糾弾されるのだ。恋愛関係がふたりだけの問題ではなく、周囲からの目を通して「いいかげんなことはできない」という空気を作ることができるのである。こうすることで「浮気の正当化」はできないし、「浮気を理由に交際相手を攻撃する」という、まるで「好きなのに嫌われる行為」をわざわざ交際を続けたい自分がするリスクも回避できるのである。ここまできて、結局のところ恋愛における問題のひとつとして、ふたりの関係を秘匿とするところにあることをご理解いただけるだろうか。恋人を公表できない理由は必ずやましい理由があるからである。あなたと交際したいと言ってきた相手は、ほかに本命がいて、その本命にあなたのことを知られたくないので、あなたとの交際を秘密にしたいのかもしれない。これは必ずしも「秘密の恋は偽物だ」といっているのではなく、「そのリスクがある恋の仕方で、浮気を防止できない」ということである。秘密にしているからといって、交際相手が絶対に浮気をしているということではないし、あなたを大切に思っているからという事情もありうる。しかし、「正式な恋人」だから「浮気を予防する」という効果は口約束のみとなり、抑止力は一切機能しない。ここで、再び問題点をおさらいしよう。「告白によって、ふたりは正式な恋人同士になる」という幻想が、現実と食い違うことによって、被害者は苦しんでいるということである。友人や家族に恋人を公表することによって初めて公認の恋人同士となり、浮気防止のほか、結婚などの将来の問題についても前向きな取り組みを期待するスタートラインにやっと立つことができる。「告白が正式な恋人」幻想のほか、事実上の恋愛関係である「肉体関係がある恋人」についても同様のことがいえる。恋愛関係である以上、幻想ではないが、「友人や家族に公表された恋人」ではない限り、浮気防止も結婚の将来への期待もできないことには変わりはない。「肉体関係がある恋人」を秘密のまま継続している場合、それは事実上の体目当てといえるものである。体目当てではない場合、早急に周囲への公表を交際相手に依頼した方がよい。それを拒絶された時点で、体目当てが確定する。あえて、不倫関係についても触れよう。人生相談では10件に8件は不倫の相談である。加害者からも被害者からも相談が来るが、ほとんどが加害者からである。ここでいう加害者とは「不倫をした人」を指し、被害者とは「不倫をした人の正式な配偶者」を指す。相談者の多くは、不倫相手が配偶者よりも多く愛情を注がれているという観点から、不倫相手が配偶者に勝利しているという前提で取り組んでいる者が多い。法律的にも根本原理的にも、この認識は誤りである。法律で冷静にみれば、配偶者が不倫相手に慰謝料を請求できるのだから、配偶者が有利であることは明らかである。離婚理由を作った側が離婚を請求できないという法律は知られていない。また、離婚に至ってしまうよりも、離婚せずに不倫相手を訴えるほうが法的責任を追及できるので、うんざりして離婚したくなる気持ちは不利であることもあまり知られていない。今回、私が解説している根本原理で解き明かすなら、「友人や家族に公表された恋人」ではない不倫関係は、浮気の抑止力を持たず、結婚の将来への期待はやはりできないということになる。では、不倫関係は絶対に希望は持てないのかというと、そうとも言い切れない。配偶者がいる人間が正当に離婚を請求し、払うべきものは払って離婚を成立させたあとで、公表できる正式な恋人となって、過去の不倫相手と再婚することは犯罪ではないし、人権として認められるものである。口をはさみたくなるかたもいらっしゃるだろうから、公表したからといって確実に浮気を防止できるわけではないという事実にも触れておく。私が公表することの意義を何度も申し上げているのは、社会的制裁という意味でである。友人や家族に公表したからといって、社会的制裁を何もしない人々なら意味はないが、一緒になって演技をし嘘をつかれてだまされてしまった場合は論外であるので、それは詐欺レベルと解釈していただき、そのようなケースはほとんどないことをご理解いただきたい。演技をされていない限り、友人たちや家族を見ることで、さまざまな判断材料になることは確かである。公表し、周囲の声を聞き、周囲の人となりを見ることで、交際相手を信頼していいかを総合的に判断することが重要なのである。ここまでで、恋愛の問題について解説した。これを基に、家庭や友情、職場の人間関係の問題についての根本原理を解き明かそう。恋愛で悩む原因は「告白し正式な恋人同士だと認めたから、浮気した交際相手を叱責すると、交際相手の愛情が冷めた言動に苦しんだ」というように、「理想と現実の食い違い」が主なものである。正式な恋人同士ならば、浮気しないという約束をしたも同然だということである。悩み苦しんでいる人は、交際相手に対し「そのルールに従え」と怒り、泣いている。しかし、婚姻関係にないふたりのあいだにある浮気は犯罪ではないし、惚れた側が惚れられた側にお願いして交際がスタートしたものである。交際の申し込みに応じたからといって、惚れられた側が即「愛情を感じる」という洗脳のような現象は起こらないし、起きたら恐ろしい洗脳である。惚れられた側が、惚れた側を大切に思うようになるには、情が移るなり、絆が結ばれるなり、信頼関係が構築されるなりして、いっそう惚れていく経験や体験が必要である。惚れようとした時点で洗脳に近いものや自己暗示的なものがあり、それは自分自身をだますことになる。恋人同士なのだからと、相手の自由意思を禁止し、束縛し、自然に惚れていくステップを台無しにすることは、法律では強要罪という。人に何かを頼む際、やって当然という態度を取って、嫌な顔をされない者はいない。お互いに責任を負わない関係の場合、お願いして待ち、してくれたら感謝する。強要せず、してくれないからといって怒るところでもなく、受け身であることがお互いの自由意志を尊重する唯一の方法である。そもそも、惚れるとは自由意志あってのものである。食べ物に例えれば、大好物は強制的に好きにさせられるものではなく、自由意志で好きだから大好物なのである。よく食べていたおいしい物が好物になるということもある。「私をあなたにとっての最愛の人にしろ」と怒ることは、最愛の人にならない行為なのである。だんだん好きになるということ。これを待たずして、相思相愛は実現できない。「理想と現実の食い違い」を、相手に従わせることで解決しようとしている者が、恋愛、家庭、友情、職場の人間関係で悩み苦しんでいる。視点を変えれば、自分自身も従うことで物事がすべてうまくいくという幻想も持っていることになる。それでよい結果にならないのであるから、怒りの感情が込み上げるのだろう。よく考えてみてほしい。あなたは約束したことを果たすだけのことである。相手も約束したことを果たすだけのことである。それはいつでも約束を破棄できることが人権なのである。約束を破棄できる人間同士が共通の目標に向かい、約束破棄しない努力を繰り返して、共に結果を出すことが信頼関係なのである。約束を破棄できる相手の自由意志を認めたうえで、あなたが約束を破棄しない行為を繰り返して、それを認めてくれた者とのみ信頼関係を作る自由はあなたにもあるのである。これをもって自由、平等という。理想と現実の食い違いに怒り狂い、相手を断罪するというのはもってのほかである。断罪しないで済む人間とかかわるように心掛けることが理想だと考え直した方がいい。理想と現実の食い違いから、相手の自由意思を禁止し束縛していることを正当化しているようでは、その悩みも苦しみも作っている張本人は自分自身だと知ることは難しいかもしれない。

  • 10Aug
    • 「アメージュ仕事ないんでしょ?稼働してないよね?」と誤解されてる?

      10年近く前に交流があった人から、ぶしつけな、デリカシーのない言葉をぶつけられた。その人曰く「アメージュ、仕事ないんでしょ?」と決めてかかっていた。あってもなくても、その言葉は失礼だろう。そして、ご期待にそわず、というか、ご心配に及ばず、アメージュ(現・あめいじゅ)は忙しい。過去、アメージュは全国で活動していた。その人曰く「大阪に来ないんだから、儲かっていないんだろう」ということらしい。それも、ご期待にそわず、というか、ご心配に及ばず、アメージュ(現・あめいじゅ)には全国からわざわざ札幌にお客様がいらっしゃるのだ。現在、しばらくぶりに山中聡和は霊視鑑定を再開した。その人曰く「霊視の依頼もないんでしょ?」ということらしい。それさえも、ご期待にそわず、というか、ご心配に及ばず、アメージュ(現・あめいじゅ)は霊視鑑定の予約でいっぱいである。その証拠に、最近いただいたお客様の感想を https://ameige.com/ にすべて掲載した。どうやら、その人は、アメージュがつぶれそうであってほしいようだ。申し訳ないが、講座は問い合わせしてきた人しか受けられない。さらにいえば、こちらからお声かけさせていただく受講者は、常連様だけである。稼働していないのではなく、受講者と直接メッセージをやり取りしているため、それ以外の人にはわからないだけのことである。いわゆる「お声かけされないひがみで、嫌みを言われた」という空気になってしまっている。ぶしつけな、失礼な言葉をぶつけられたが、ただ単に「ひがまれた」という空気になっていることは、その人には理解できないかもしれない。クレームをつけたいかたは、マナーを守ったほうが、自分で自分の顔をつぶさないことを知ったほうがいい。下に見た相手が、あなたの想定を超えて、上かもしれないのだから。礼に始まり、礼に終わる。それが、日本の礼節というものである。

  • 10Jul
    • 火山噴火の警告

      予言します。火山噴火の危険が高まっています。詳しくは、下記のブログをごらんください。あめいじゅ「火山噴火の警告」

  • 06Jul
    • 人生相談再開

      「10年前に言われた予言が当たったから、また相談に乗ってほしい」といった声が多く、人生相談を多数要望されていましたので、本日から再開することにいたしました。 詳しくは「あめいじゅ」をご覧ください。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  • 01Jul
    • 巻山紗依の YouTube に出演

      文章は私のほうが得意なのですが、巻山紗依は映像や音声が得意ですので、YouTube に投稿する動画編集にチャレンジしました。その動画にリポーターとして私が出演し、演出と動画の編集は巻山紗依、パソコン操作指導と字幕入力は私がしました。もしよかったら見てみてください。動画編集ソフトを初めて触って、2日で完成させたとは思えないほどの出来栄えだと思います。巻山紗依のブログ『SAYORI OFFICIAL SITE』の「YouTuber デビュー!」記事タイトルをクリックすると動画が見れます。

  • 19Jun
    • 地震予測、地震予知について

      私、山中聡和は、地震に関する奇跡を体験していながら、今まで予知や予測を一般公開することは避けておりました。しかし、東日本大震災などの甚大な被害を見るにつけて、勇気をもって公開しようと決断いたしました。私のお店である「あめいじゅ」のブログにて、昨年から少しずつ公開しています。何か月もかけて警告している理由は、東海地震が大震災となる場合に、その前兆として、北陸沖合、瀬戸内海中部または西部、関東地震が起きるだろうと感じられたからです。2011年3月11日に起きた東日本大震災の前にも、2007年7月16日に新潟県中越沖地震が起き、柏崎刈羽原子力発電所で変圧器火災と放射性物質漏洩が起きています。この新潟県中越沖地震が、東日本大震災における福島第一原子力発電所事故が起きることへの警鐘であったと私は考えています。同じように、今回の2019年6月18日に起きた山形県沖地震も、東海地震に向けての警鐘と考え、私はまず北陸沖合か瀬戸内海に地震が起こると、昨年から訴えていました。 2018年9月30日付の記事「地震について」 2019年2月7日付の記事「いよいよ差し迫っているように感じるので」 2019年2月21日付の記事「北海道・震度6弱、それでも余震とのこと。」 2019年6月18日付の記事「地震的中、令和ひとつ目」これらの4つの記事のうち、2018年9月30日の記事だけは、鳥肌立って、強烈なインスピレーションによって下りてきたもので、地震の位置を示すものと感じられました。巻山紗依が見えた風景は、瀬戸内海の愛媛県か、東海地方の三重県または静岡県と思われました。私がさらに精神集中し、感じられたのは能登半島東方向、そして、大正時代の関東大震災の震源地付近である鎌倉付近に感じられました。月日がたつうちに、能登半島東方向のイメージはさらに東にずれ、北陸沖合のインスピレーションに変化いたしました。昨日起きた実際の地震では、新潟県内が最大震度であったとはいえ、山形県沖までずれました。東日本大震災の時代は、原子力発電所がターゲットにされた地震という印象でしたが、近年の地震は緩やかに原子力発電所をターゲットから外されているように見えます。熊本地震でも川内原子力発電所に迫る距離の震源地でしたが、被災を免れています。北海道胆振東部地震では、北海道最大の火力発電所が被災することで、北海道全域がブラックアウトする歴史的事故が起きましたが、もはや原子力発電所ですらないという結果でした。原子力発電所の再稼働が懸念されていた日本でしたが、現状を見る限り、原子力への依存度が軽減されると、電力への依存度が問われているように見えます。これをヒントに考えますと、このたびの山形県沖地震の次は、瀬戸内海で起きる地震を私は心配しておりましたが、伊方(原子力)発電所をターゲットにしたものではなく、2019年2月21日の記事にあるとおり、瀬戸内海中部にずれるかもしれません。関東地震につきましても、鎌倉付近には原子力発電所がありませんので、東京湾における電力への依存度が問われるものかもしれません。このことから、東海地震は浜岡原子力発電所の危険性を問うものではない可能性が高いです。近年は地震だけではなく、集中豪雨や台風の天災も日本を襲いました。土砂災害や洪水が私たちの想像を超えて、甚大な被害をもたらしました。電力への依存度のほか、河川の安全面や土砂災害の防災、直下型地震における家屋の耐震など多岐にわたりますが、東海地震は原子力発電所以外の、生活を守る対策を問う形で起こるといえましょう。地震予知を通じて私は、東海地震が東海大震災とならないよう、みなさんに訴えたいと思います。

  • 06Jun
    • ブログの方針を変更いたします

      当サイト「迷わない生き方・決断できる方法」は、私の店「アメージュ」のワークショップで蓄積されたデータをもとに、コミュニケーションについて一石を投じる新たな視点を、書籍化も見据えたうえで試験的に投稿しておりましたが、記事内容の深さから著作権保護の必要性を感じ、更新が滞っておりました。このたび、書籍出版によって著作権保護の目処が立ちましたので、「アメージュ」の「ワークショップ『さとりレッスン』」に関する情報発信サイト「さとりレッスン」と統合する方向で方針転換し、「さとり」から「日常に生かせる知恵」を引き出し生きるヒントにするテーマのサイト運営および書籍化といたします。これをもって山中聡和のライフワークとし、幼少のころから仏教徒として生き、心理学にかかわるワークショップの仕事を通じてキャリアを積み、医療機関における知能検査で高IQと判明したことなどのすべてが結実したものといえます。生きることが苦しい人、生きることに疑問をもつ人、生きることに意味を見出したい人は、なにを受け入れるべきかを知って生きることも死ぬことも悩まなくなれば、それがさとりであるとご理解いただけるでしょう。そのヒントとなれるよう尽力いたします。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

  • 05Jun
    • 私がお手伝いした本で第2巻が出版予定

      2018年6月26日(火)、私がお手伝いした本で第2巻が出版されます!笑える~こわい話 第2巻 - 予言された奇跡/巻山 紗依¥1,500Amazon.co.jpまだ発売日前ですので、予約できます。購入すると、発売日に届くそうです。詳しくは巻山紗依のブログ「笑える~こわい話」をご覧ください。

  • 22Apr
    • 本の出版を手伝いました

      2018年4月29日(日)、私がお手伝いした本が出版されます!笑える~こわい話 第1巻: 3歳なのに霊能者 (∞books(ムゲンブックス) - デザインエ.../デザインエッグ社¥1,500Amazon.co.jpまだ発売日前ですので、予約できます。購入すると、発売日に届くそうです。詳しくは巻山紗依のブログ「笑える~こわい話」をご覧ください。

  • 31Oct
    • 何をもって幸せな結婚、信頼関係がある友情、信頼される人材になれる社交性と呼ぶのか

      ついに本題に入る日が来た。今日は番外編第3回だが、本編でもあるので、タイトルにはあえて番外編とは書かなかった。今日の内容は、ビジネスにも結婚にも友情にもかかわる重大な問題である。あなたは「相手の態度」をもって、その人を信頼できるかどうかを決めてはならない。また、「自分の態度」をもって、信頼してもらおうと思ってはならない。ここでの「態度」とは、「言動」「表情」「姿勢」も含まれる。本来、信頼関係とは「必ず約束を守る」といった、規範を基にした判断が多い。そのため、仕事における金融投資や契約等の法令では、「約束を守れたかどうか」で簡単に信頼されることができる。しかし、政治や友情、家庭などでは必ずしも「約束を守れたかどうか」では判断されない。なぜなら、人間は必ず過ちを犯すからである。完璧な人間などいないし、過ちを犯しながらも、関係を維持する努力が続けられる。従って、そのためには何が重要かがちがう。これが何かあなたにはわかるだろうか。この点を理解していない者は多い。実際、約束を破った場面で、許されるかどうかの基準は「反省しているかどうか」が問われる。素直に謝罪するかどうかや、謝罪のために負う弁償などの責務の約束、誠実さなどが問われるのだ。反省していると認められれば無事に赦免され、責務の約束があれば履行が監視されることになる。むずかしく書いてしまったので、例え話をしよう。遅刻常習犯が、ある日の遅刻のせいで、重要な契約を破棄される事態となったとしよう。この場合、厳罰に処せられ解雇もありうるが、厳重注意や始末書の提出などの処分が挙げられる。もちろん、上司や契約先に頭を下げて謝罪し、今後、同じようなことがないよう約束することになるだろう。処分を踏まえた上で無事に許されたら、また元の遅刻常習犯に戻っていいかというとそのようなことはあり得ない。つまり、「今後、二度と遅刻しないかどうか」が責務の約束となり、それができなければ反省は嘘だったと確定し、許されたことはなかったことになる。ここで重要なのは「反省しているかどうか」ではないということだ。これを勘違いして、反省上手になっている者は意外に多い。さらにいえば、Aさんが同じことをしても簡単に許されるのに、Bさんが同じことをすると、簡単に許されないという事態も珍しくないケースである。政治や友情、家庭などでは、何が信頼関係に重要なのだろうか。このブログで書いた「得意分野における一貫性」も重要である。それは信頼関係には貢献するが、社交性は別のものである。信頼関係に貢献する、本当の社交性とは何か。それは「相手の身になって考えて取り計らうこと」である。これを一言でいうと「斟酌(しんしゃく)」となる。「斟酌」は時代とともに大きく意味が変化した語らしく、辞典によっては用例に差があるようだ。斟酌を1回や2回やったくらいでは信頼関係には貢献しない。反省がその後も継続があって初めて認められるように、斟酌も継続されているならば、その人間の社交性は秀でているといえる。ここまでなら、一般的なコミュニケーション・マニュアルやビジネス書、自己啓発書、社会心理学などで学べるだろう。このブログではさらに一歩進んだ先を教えよう。斟酌ができる人間は元々できる人間であり、斟酌ができていない人間は元々できない人間であるという真実がある。そして、人生のなかでとんでもない苦難に直面し乗り越えたとき、斟酌できていない人間が、ある程度、斟酌できる人間になることがある。そのことから、みずから苦労することを推奨する価値観が生まれた。平均寿命が低い時代、斟酌できる人間が多い年齢層は尊敬された。平均寿命が延びた現代では、苦労がなくとも生きられるため、斟酌できないまま老人になるケースが増えた。昔もいたが、比率が変わった。斟酌できる人間はもちろんのこと、斟酌できなかった人間が苦労を乗り越え斟酌できるようになった場合、他者が斟酌している前提で判断と行動ができるようになる。すると、人の斟酌がわかるのである。斟酌できる人間は元々そうだったが、斟酌できるようになった人間は、人の斟酌がわかるようになったとき、心の中にある革命が起きる。「斟酌し合う関係こそ、本当のコミュニケーションである」と知る。「人が斟酌してもなお、どう対応したらいいか困るような接し方は、自分の恥」だと知る。次回から、この斟酌について具体例を書こう。わかりづらいと思う者が多いことだろう。しかし、これを理解できたとき、あなたは本物の社交性を身につけ、人生は大きく変わることだろう。

  • 11Oct
    • 「社交性」番外編「意中の人に好意をもってもらう方法」第2回「接し方で落ちる相手に要注意」

      2017年10月6日に「いいね」が20に達したので、続きを書く。前回、面識がない相手あるいは会ったことがあるのになかなか面識がある関係になれない相手は除外する理由を書いた。運命の相手であればとんとん拍子で進展するし、だからこそ運命の相手といえるのだから当然といえば当然だ。この時点では社交性の問題ではない。次にもうひとつ、社交性とは関係がない恋の始まり方についても述べておかなければならない。すぐに恋が始まる人や、いつも誰か恋人がいる人は、必ずしもその人の社交性が優れているからではない。それは外見がよかったり、愛嬌があったりするからだと一般に思われている。しかし、統計では女性の外見と婚姻率に相関がないことがわかっている。モテるからといって幸せな結婚ができるかというとそうではないのだ。未婚のままか、結婚後離婚してしまう確率は変わらないという。男性の外見は婚姻率と相関がハッキリとあるそうだ。美醜の問題もあるが、清潔感も美の基準に含まれる。女性は男性を外見で選ぶことが多いという。生物学的に解説したいところだが、ここでは割愛しよう。すべての人がそうだとはいわないが統計的には、外見で選ばない男性と、外見で選ぶ女性が出会い恋をする。外見は清潔感を保ちながら似合うオシャレをすることになるが、それ以上の成果を見込みたいなら整形するほかはない。ここで申し上げたいのは、モテる人はみな社交性があるからだというのはちがうということだ。むしろ、社交性がある者ほど、交際や結婚には慎重になるものである。少々じゃれたり、かまったり、肩や腕に触れたり、笑顔で話しかけたり、見つめたりするくらいでは恋愛には発展しない。話上手でも、気配りが利いていても、親切でも、頼りがいがあっても、楽しくても、恋愛には発展しない。多くの人が社交性だと思い込んでいる、話がおもしろい人やノリがいい人、気配りが利いている人は、確かに恋愛経験が豊富かもしれないし、素敵な相手と結婚しているように見える。しかし、先ほどの統計にあるとおり、恋愛経験の豊富さやモテているかどうかは幸せな結婚とはまったく無関係だ。それでは何をもって幸せな結婚、信頼関係がある家族、信頼される人材になれる社交性と呼ぶのだろうか。あなたにはわかるだろうか。おっと危ない。ここで本題に入るわけにはいかない。今日はその反対である。じゃれたり、かまったり、肩や腕に触れたり、笑顔で話しかけたり、見つめたり、話上手でおもしろかったり、気配りが利いていたり、頼りがいがあったりした人にすぐに惚れてしまう人間に要注意ということである。これが本題の前に伝えたい大切なことなのだ。すぐに惚れてしまうのは恋愛経験が少ないからとは限らない。恋愛経験が豊富な人間であっても、意外にこの理由で落ちやすい。そして、この落とし方こそ社交性だと世間では誤解されている。さて、なぜこの落とし方で落ちた相手は要注意なのか。それは簡単に説明できる。それまで気に留めていなかった相手の、好意があるかのような態度にすぐ心が動かされている人間は、ただ愛情に飢えているか、性的欲求を満たしたいか、モテる自分だという承認欲求を満たしたいだけなのである。「ちょっと待って! そもそも恋愛って、愛情に飢えている者同士が愛し合うものではないの?」と疑問に思った方も多いことだろう。性的欲求は本能だから仕方ないとしても、寂しくて人肌が恋しい、愛情に飢えている人がなぜ要注意なのか。それは愛ではないからだ。失恋したばかりの人を狙う結婚詐欺師もいるほどである。相手の弱点を見抜いてそこを突いてくるという方法は卑劣な行為であり、寂くて選んだ相手というのは、相性がよくて選んだ相手とは次元がちがう話なのである。先ほどの落とし方で簡単には落ちない相手と信頼関係を作られるかどうかが、本当の社交性といえる。それが「意中の人に好意をもってもらう方法」としての究極で、唯一の方法なのである。次回、ついに本題に入る。

  • 18Sep
    • 「社交性」番外編「意中の人に好意をもってもらう方法」第1回「一目惚れの相手」

      2017年9月14日に「いいね」が20に達したので続きを書く。ここでは「面識がない人」は除外する。片方だけが相手の顔を知っていても、面識があるとはいわない。逆に「面識がある人」とは、名前を覚えていなくてもかまわない。近所・通学・通勤・学校・勤め先などでよく見かけており、記憶が残っていて、あいさつなどで会話したことがあれば面識があるといえる。いわゆる、別の場所で会った際に、お互いにどこで会ったか思い出せる関係であることが求められる。「ちょっと待って! 一目惚れの人と結ばれたい場合については教えてくれないの?」という声が聞こえてきそうだ。実際、一目惚れがきっかけで結婚した夫婦のほうが離婚率が低いという統計もある。その点を鑑み一目惚れの場合について少しふれておこう。体験したことがない方のために一応解説すると、一目惚れとは脳内で0.2秒という短時間で発生する現象である。まさに「ひと目、見ただけで惚れた」という状態だ。もし、あなたが「会話したことがない人」に一目惚れしてしまった場合、次にするべきことは面識がある関係にならなければならない。面識がないままに、どうにかしようとしたところで、それはただの犯罪である。(現行法の詳細は割愛する)あいさつや落とし物を拾ってあげるなどの会話やコミュニケーションがあれば、顔を覚えてもらえる確率が上がる。まずは顔を覚えてもらわないことには、「面識がある人」とはならない。目の前でタイミングよく落とし物をしてくれれば、「落としましたよ」と声をかけやすいだろうが、面識がないのにいきなりあいさつするというのはなかなか勇気がいるものだ。田舎で無人駅にふたりしかいないなら「おはようございます」くらいは声をかけやすいが、都会の雑踏の中でひとりにだけあいさつをすることは明らかに不自然ではある。苦肉の策としては、わざと目の前で自分が落とし物をするという方法がある。相手が気づいてくれれば拾ってくれるかもしれない。そのときにできる限り印象が残るようにお礼をしてコミュニケーションを図れば、無事「面識がある人」となれる。お礼を口実に連絡先を交換できるかもしれない。「ありがとうございます」とだけ言うのが精一杯で受けとったらすぐに相手が通り過ぎてしまうと、顔は覚えてもらえず「面識がある人」とはなれないだろう。このあたりでハッキリと申し上げよう。一目惚れでも、面識がある関係になれなければ、その相手は「結婚する運命の人」ではない。もし「結婚する運命の人」であれば、一目惚れだけでなく、勝手に面識がある関係になる。なにしろ一目惚れとは、0.2秒で脳が選ぶ相手である。すでに運命的とはいいたいところだが、人生にたったひとりということではなく、統計や実験で「脳が0.2秒で決める相手とは離婚率が低い」というだけのことであって、離婚しないわけではない。一目惚れして、なおかつ、面識がある関係であれば、「離婚しない運命の結婚相手」である可能性が高いということだ。面識がある関係になれるかどうか試す価値はあるが、簡単になれなければ「運命の人ではない」という結論でまちがいない。したがって「面識がない人は除外する」とは、「面識がある関係になろうとしてもなかなかなれなかった一目惚れの相手」も含まれるのだ。「意中の人に好意をもってもらう方法」とは、「面識があるのに、なかなか恋愛に発展しない相手を落とす方法」といえる。同じ学校、同じ職場、同じ業界、遊び仲間、友人の友人、馴染みの店の店員、職場の顧客など、恋愛に発展してもいいのに、なかなか発展しない、自分を恋愛対象に見てくれない相手に好意をもってもらう方法である。次回、本題に入ろう。テーマがテーマだけに、何回かに分けることにした。あなたが惚れた相手に好意をもってもらう方法は、実はたったひとつなのである。

  • 01Sep
    • 「社交性」番外編「友人と恋人の境い目」

      2017年8月13日には「いいね」は20に達したが、仕事が多忙であったことと、一言で「社交性」といっても広範囲な意味を含むので、どのあたりから取り組むかゆっくり考える時間がなかった。このまま何も書かないのは申し訳ないと思い、今日は番外編として「友人と恋人の境い目」について解き明かそうと思う。7月にワークショップを開いた際、参加者に「恋の始め方は?」「意中の相手と結ばれるために何をする?」と問いかけたところ、誰も答えられなかった。独身も既婚者もいる30代から50代という、じゅうぶんに大人であったにもかかわらずである。既婚者の方にはもちろん過去の体験や方法を聞いた。経験的にはこれだともっとも多かった方法は「じゃれる」「かまう」「声をかける」「かかわろうとする」であった。それはたいへん危険な行為である。もし相手にとって迷惑であった場合、いわゆる相手からの好意がまったくなかった場合、「嫌がらせ」または「ストーカー行為」と誤解されかねない。「タイプではない男性からされたら嫌でしょう?」と問いかけると、案の定、嫌だと言う。自分がされたら嫌なことを、自分がそのつもりもなくしたときに、相手にもしかしたら嫌だと思われているかもしれないという発想がないのだ。あまりにも根本的な問題に、当日のワークショップの時間内では解説が不可能であると判断し、答えは示さずに終了させた。とはいえ、乗りかかった船である。せめて「好意」だけでも掘り下げることにした。結局、彼女らは「好意を示せば、相手に伝わり、交際に発展できる」といいたいのは私もわかっている。そこで「あなたにまったく好意をもっていない男性に、好意を示したところで、もし相手が振り向いてくれなかったら、相手から好意をもってもらうためのあなたの努力はどんなことをするか」を聞いた。誰も答えられない。埒が明かないので、反対の立場を想像してもらうことにした。「あなたが好意をもっていない男性から、好意をもたれてしまって、あなたにあれこれとかかわろうとしてきたら、あなたは好意をもつか?」と問いかけた。すると「相手による」という答えが返ってきた。完全に「かかわろうとする」=「好意」という勘ちがいからくる、好かれる努力をしない者同士の「努力皆無の恋」である。相思相愛は運命で、突然始まると思っているようだ。それでは別れは突然くるし、結婚は勢いでしかできないし、愛してくれないから冷めるというのも当然といわざるをえない。ワークショップで答えられる人が皆無ということは、これが世間一般の現実かもしれない。ワークショップは別の話題に切り替え、瞬間的に瞑想を深めるテクニックをチャレンジして終えた。後日、気になる事例があった。ある男性Aと女性Bが友人関係で、レンタカーを借りて買い物に行くことになった。そこへ、女性Cもいっしょにどうかという話になった。女性Cは男性Aと女性Bが友人関係であることを知っている。そのため、レンタカー代は3名で割り勘ということになった。女性Cは不可思議なことを言っていた。「女性Bにどう接したらいいかわからない。お邪魔ではないだろうか」と。女性Cは女性Bに何度も謝った。男性Aは「女性Cが女性Bに謝る必要はないし、意味がわからない」と問い質したが、女性Cは一向にその態度を改めない。予定どおりレンタカーで女性Bと女性Cが望む店へ買い物に行った。男性Aは思ったほど買い物しなかったが、家具店や格安スーパーを巡り、3名ともそれぞれの意思で欲しいものを買った。ついに最後まで、女性Cが女性Bを名指しで謝るが、1日中運転し、思いのほか買い物したいものが見つからず、ひとり空回り感があった男性Aは女性Bからは感謝されても、女性Cからは感謝の言葉をかけられることがなかった。男性Aは女性Bや女性Cと恋愛関係になりたいわけではない。しかし、女性Cは女性Bには謝り、男性Aには謝罪も感謝もしなかった。男性Aと女性Bのふたりに向かって「今日はありがとうございました」という言葉はあったが、男性Aに対する個別の扱いは一切なかったのだ。このケースの理解について、どうやら人間は2種類にわけられるようだ。異性の親切と同性の親切をわけて対応するタイプと、わけずに対等に扱うタイプである。わけて対応するタイプは、いわゆる「異性の前では態度が変わるタイプ」として、同性から嫌われる傾向がある。わけずに対等に扱うタイプは、同性からはたいへん好かれるが、異性に対しても親切なため、好意があると誤解されやすい。どちらがよいかは一目瞭然だが、わけて対応するタイプは、わけて対応している自覚がないか、あるいは、タイプではない異性であっても好意をもってもらえるならその恩恵に与ろうという打算がある。もちろん、タイプではなかった異性であったのに、あとで好意をもてるようになることはある。それはもっと打算的だというべきだろう。恩恵に与れば与るほど好意をもってしまうのだから、それは好意とはいえず、スポンサーやパトロンとしての愛着や期待である。わけて対応するタイプがもっとも嫌われる理由は、実はほかにある。わけずに平等に扱うタイプが、恋愛感情をもたずに純粋な親切心で接している場合、「異性だから親切にしている」とか「好意があるから親切にしている」と思われていると知ると「下心があって親切にしている」と思われていたという不快感がある。それを医師に例えるなら「女性は診察するが、男性は診察しない」という男性医師がいたら社会問題になるだろう。それと同類に思われている不快感をいだき、相手の態度によっては怒りすら覚えるだろう。これを一言で表すなら「異性としての好意をもっていない人からの親切を、異性としての好意として扱うと、あなたは最低の人間だとされて信用を失う」ということである。反対に、「異性として好意をもってくれている人に対し、自分は好意をもっておらず、好意をもつ可能性がまったくない場合は、その好意に甘えてはいけない」ともいえる。「好きでもないのにおごってくれるならお食事をともにする」というのは、相手の怒りを買う可能性があるということだ。現在すでに好意をもっているか、将来、好意をもつ可能性があるなら、お見合い的接し方はいいだろう。しかし、友情としての接し方のみを望み、それ以上の関係を望まない場合はハッキリと相手に伝え、それでもそれ以上の関係を求めてくる場合は、ハッキリと断ることも誠意であり、信頼関係を築けるか否かの判断に欠かせないものである。次回は、今回の続きとして「意中の人に好意をもってもらう方法」を書く。※ 恋愛関係と友人関係のちがいを書いているので、LGBTの方でも文中の性別を問題にせず、立場で当てはめて考えると参考になるだろう。LGBTの方は適宜言葉を差し替えて読み取ってほしい。

  • 25Jul
    • みんな知らずにやっている絶望的なアピール

      「いいね」が20に達したので、続きを書く。ペースはあまり変わらないようだ。前回、一生懸命やっている姿を見せることはよろしくないと書いた。「そんなことはない」と信じない者は多いことだろう。それでは、一般的に「よいアピール」と思われている方法がなぜよくないのかを説明しよう。例えば、面接試験を考えてみよう。面接官は面接に来た者のやる気を見ようとする。当然、面接に来た者はやる気があることを見せたいものである。まだ一度も働いたことがないのに、会ってから数分でやる気があるかどうかをアピールしなければならない。面接に来た者がよく使うアピールの仕方は次のようなものだろうか。 従属的で命令に逆らわないことをアピール 情熱があり、ハキハキとして元気で前向きであることをアピール 社交的あるいはリーダーシップがあることなどをアピール 目標や事情を語り、学ぶためや貯金のため、支払いのためにがんばる動機をアピール 学歴や職歴から経験があることをアピール 趣味から仕事に役立つ技術があることをアピールこれらは一般的で、誰もがもっとも自分に合ったアピールの仕方をすることだろう。これらのなかで特に1.と2.が多い。実際のところ、初めての就職なり転職なりで訪れる企業は、今まで体験したことがない業種であるものだ。夢をもって臨むような就職者はまれだから4.の目標は急ごしらえだと簡単に見透かされてしまう。事情はうっかりすると訳ありと思われてしまうリスクがある。または、いつか辞めてしまう人材だと誤解されて正規雇用されなかったり、正規雇用されてもリストラの対象となったりするだろう。どちらにしても、リスクがあるために本当の目標があるか、同情を買う事情がなければ4.は選択肢に入らないだろう。5.と6.の学歴・職歴・趣味はそぐわない業種への就職・転職なら履歴書には書いても触れないほうがよい。結局のところ、1.か2.か3.がよいということになる。ではなぜ1.と2.が多いといいながら、私はわざわざ2.と3.を区別するのか。あなたには2.と3.のちがいがわかるだろうか。一般的には2.のような振る舞いが社交的で行動力があると思われている。リーダーシップがあるかどうかを面接の数分で判断することはむずかしいため、その行動力でリーダーシップがあるかもしれないと推し量ることも暗黙の了解となっている。しかし、本来の社交性とは2.のようなものではなく、リーダーシップもアピールする方法が明確にあるのである。ハッキリいおう。社交性とは「情熱などで一生懸命のように見せなくても、なおかつハキハキしなくても、違和感なく会話できる自然さ」をもっていることである。社交的な人は必ずしもおしゃべりではないし、おもしろい人だというわけでもない。物静かでも暗くなく、無理のない、少々のことは受け止めてくれる安心感を放つ人をいう。もちろん、和ませる冗談を言える人は好印象だが、冗談だけで乗り切ろうとする人間は社交性がないから冗談でごまかしていると考えるべきだ。リーダーシップのアピールの仕方は、単純に学級委員長や生徒会長、部活の部長、サークルの運営、社会貢献団体の代表などを経験していれば、その苦労話や成功話を披露するだけで可能だ。特にトラブル解決の体験談はあなたの評価を大きく高めるだろう。さあ、先ほどの1.と2.に立ち返ってみよう。 従属的で命令に逆らわないことをアピール 情熱があり、ハキハキとして元気で前向きであることをアピールこれらは社交性もリーダーシップもなんら証明しない。しかし、一般的な考え方であることから、面接官もこれらを高く評価する。そのため、面接に来た者も1.か2.で乗り切ろうとする。前回、書いたように上司も部下も正当に評価する目をもっていない。そのため、「いいなりになってくれるかどうか」で人を見る上司は1.を重要視し、部下の能力を正当に評価する意思もつもりもない。2.は一般的にやる気があると解釈されているために、上司も期待し、採用された部下もそのとおりがんばるが、社交性もリーダーシップも別問題であるために、ほぼ期待どおりにはならない。採用された部下も全力投球すればわかってくれるとかんちがいしているから、ますます衝突が激しくなる。採用した側も、採用された側も、正当な評価ができないための悲劇である。結局、社交性とはなにかがわかっている者が、社交性がある者を採用し、うまくいく企業を作っている。アピールする方法は、勤めてからの信頼関係を作れる「一貫性」以外では、採用試験や顧客対応で役立つ「社交性」しかないのである。えっ? 社交性は性格じゃないかって?それはちがう。社交性は、性格が明るいか暗いかは関係なく、コミュニケーションの問題である。実際、学生時代は暗かったクラスメイトが、大人になって再会したら明るくなっていたということが多い。目立たなかった人が有名人になっていたり、実業家になっていたりするのだ。次回は、その有効な「社交性」について、書くことにしよう。

  • 04Jul
    • 効率的なアピール

      今日、「いいね」が20に達したので、記事を公開する。人は第一印象で決まるという。しかし、実際には見た目とのギャップで印象に残るというのもある。こわもての人がやさしいと強烈なインパクトとなりいっそうやさしく見えるし、やさしそうな人がきついことを言うと、二面性があるおそろしい人だと思われてしまう。安請け合いしてフットワークが軽いと、なんでもする人だと思われて、簡単に頼まれるようになり、結果的になめられてしまったり、なめられたくなくてお高くとまっていると、生意気だとかやる気がないとか思われてしまう。結局、世渡り上手の人が高く評価されていて、がんばっている度合いに比例した評価は受けられない。これは仕方がないのだろうか。世渡り上手な人は陰で何かずるいことをしているのだろうか。それとも、外見ですべてが決まり、美男美女が得をしているのだろうか。実は、人は誰もが何も理解していないのである。正当な評価を受けたくても、誰も正当な評価をすることはできない。「そんなバカな!」という声が聞こえそうである。しかし、あなたもそのはずだ。あなた自身も、あなたが誰をも正当に評価をすることはできない。言うなれば、「あの人はきっとわかってくれているはずだ」と思えば思うほど、わかってくれなかったときに腹が立ったり、失望したりする。それは相手にとっても同じなのである。例えば、上司の立場の人間は、部下から正当な評価を受けたいと思っている。部下からの正当な評価とは、言い換えれば「尊敬」である。しかし、実際には正当な評価を受けられず、尊敬されていないことは多い。つまり、部下を正当に評価できる上司も、上司を正当に評価できる部下もいないのだ。それは学校における学生と教師の関係にもあてはまるし、妻と夫の関係にもあてはまる。では、なんのためにがんばっているのか。どうすればいいのだろうか。それは簡単なことだ。評価されるために努力することをやめればいいのである。仕事はもちろんするだろう。責任は果たすように努力するだろう。その内容は評価されたいし、昇進や昇給に反映されるべきことである。もしあなたが昇進できるほど、昇給するほど、何かをがんばったとしよう。それを評価されるための努力だと思ってはいけない。「こんなにがんばってますよ、私は」的なアピールは最悪なパターンだ。それは「これが私の全力投球ですよ。これが100%発揮している私ですよ」ということになる。それは「もうこれ以上の仕事は頼めない」という意味になってしまう。そんな人間に昇進、昇給はありえない。確実に達成できる責任を、全力投球せずに成し遂げる姿こそ、評価を上げるのである。「この人材は、昇進、昇給すると、もっと大きな結果が出るかもしれない」と思わせることこそ、期待される人材、惚れられる人材、伸びる人材の証拠なのである。その代わり、確実に達成できない任務は絶対に受けてはならない。誤解を避けるためにいっておくが、達成できなくとも責任問題にならないもので、経験を積むためのものであるなら、汚点になるとは考えずに絶対に受けるべきだ。経験を積んで十分にできるようになってもなお、時間的に不可能な任務を背負い込むことがまずいのである。確実に達成できる責任を果たし続け、全力投球せずに成し遂げる姿は、カリスマ性すら感じさせるものである。逆にいえば、人の成果を横取りして、本当にがんばっていない人間が評価されてしまうのは、本人が全力投球せずに成し遂げたと思われたからである。笑顔で、能力を出し切っていない姿、やる気はあり、実際に行動しているが、言葉に出さず、がんばっているとも、楽だとも言わない姿で責任をきっちり果たす人間が、高く評価される。逆に、言葉であれこれいいながら、断り切れずに背負いきれない責任を背負って、責任を果たせなかった場合に、評価はもっとも下がる。言葉は引き受ける際、時間的に無理な場合で断るときと、必要な報告、成果を横取りされたなどの不正を暴くときに使う。良好な人間関係を築くための冗談等はもちろんいいことだ。断るときや報告、不正を暴くとき以外は、言葉に頼らずに結果を出してみせる。責任を果たしてみせる。そのためにも、前回の記事にある得意分野における一貫性は重要なのである。あなたも得意分野なら、評価を高く受けることは簡単だろう。近道ということだ。日常的にきっちり責任を果たしながら、近道も探す。あなたの評価は上がり続け、近道が見つかれば、信用・信頼は不動になるだろう。全力投球すれば評価が上がるというのは、前時代的洗脳または迷信なのである。次回は、評価がガタ落ちで、信頼回復が見込めないまちがったアピールについても挙げておこう。このまちがったアピールを普通にしている人は多く、ぜひとも伝えておきたいものである。

  • 26Jun
    • 自分で決められる人間になる

      やっと「いいね!」が20を超えたので、続きを書こう。決められない人間は決めるための理由を探す。決められる人間は理由をチェックはするが、理由だけではほとんど決めることがない。ではどうするのか。決められる人間は理由があるかどうかが信用・信頼だとは思っていない。究極のところ、理由すらなくたっていい。決められる人間にとって何を基準に選ぶかは実に簡単で明白である。それは「一貫性」である。自分で決められる人は「ああ、なるほど」と思うだろう。自分で決められない人は「え? いっかんせい? なんの?」と驚き、見当もつかないだろう。これが「自分で決められる人」と「自分で決められない人」の間にある大きな差である。そもそも信用・信頼とはなんであるかを考えてみてほしい。ある業者に修理をお願いするとき、同じ修理なのに高かったり安かったりするとあなたはどう思うだろうか。値段の例えは極端だ。別の例えをしてみよう。品質の例えにすれば次のようになる。少々お高めのある家具屋では、高品質で長く使える商品しか売っていない。そのスタンスは創業以来変わらない。常連客はその家具屋の品質を信用して自ら買い、人にも薦めるだろう。これを人間に置き換えてみよう。帳簿チェックを任せると正確で早い仕事をするAさんは、帳簿チェックに関しては絶大な信頼を得ている。在庫管理や会議資料の準備には一度もミスをしたことがない。しかし、Aさんは方向音痴で運転は心配だ。Aさんの信用・信頼は地に落ちるだろうか。そんなことはない。Aさんに運転を任せた管理者の責任問題である。外交員は事務員の仕事を代わらなくてもよいし、配送員は外交員の仕事を代わらなくてもいい。信用・信頼は得意分野で培われるのである。もちろん、事業の方針転換や人員の配置転換など、規模の拡大・縮小のほか、人員各々の得意分野の見直し等によって改善は図られる。もしあなたが得意分野ではない職種に変えられてしまった場合には、努力こそすれ、あなただけの責任で苦しむ必要はない。信用・信頼は本来、得意分野において築かれるものであるので、あなたが信頼回復するためには、元の得意な職種に戻れるよう上司にお願いすることこそ責任感といえるだろう。異動がかなわず、不得意な職種で所属する組織に損害を与えるなら、その仕事は不向きであったとしてきっぱり転職することも責任感といえるだろう。耐えに耐えて体を壊すほうが自己管理を問われ、ますます追い込まれる。そこまで追い込む組織はブラック企業と変わらない可能性もある。心身症にかかってしまったら、退職してからも病に苦しむのは自分である。信用・信頼回復の見込みがあるかないかは重要である。このように信用・信頼にとって「一貫性」は大きな意味をもつ。これを宴会に使う店を選ぶ場合に当てはめてみよう。あなたがすでに別のなにかで信頼されているのであれば、宴会の店を選ぶことで褒められる必要はない。無難な店を選び、不平不満を言われたところで、あなたの信用・信頼に傷はつかない。もし別のことでまだ信頼されていないのであれば、些細なことだが宴会の店選びは失敗してはならない。できる限り多くの情報を集め、予算に合った美味しい店をピックアップして、その中から「自分が得意としたいジャンル」を選ぶ。焼き鳥屋でもよいし、イタリア料理屋でもよい。まず目指すは「美味い店」である。絶対に予算を超えてはいけない。当日、必ず何人かから不平不満を言われる。それは仕方がない。なぜこの店を選んだか聞かれたら、誰かから聞いたとは言わず、「自分が気に入っている店なので」と言い切れ。もちろん上司たちの年齢層に合ったジャンルに限りである。もし「自分が得意としたいジャンル」が上司たちの年齢層のニーズに応えられない場合は、上司に相談し、反対されたり眉をしかめられたら無難な店に変更しろ。上司が反対せず「自分が得意としたいジャンル」の店で宴会をしても、上司が反対して無難な店に変更したとしても、「今後、私はこういう店を選ぶ人間です」と認識されることは、ささやかな信用・信頼につながる。あなたの中にあるさまざまな「一貫性」がひとつでも多く周囲の人に認識されれば、その総合計で信用・信頼が大きくなっていく。あとは本命の「職務における得意分野を見つける」ことである。先ほどの職種の話に書いたとおり、組織内の自分の居場所を確立する軸になるものである。仕事における究極の「一貫性」であり、これさえ見つかれば、他の「一貫性」は一時的なもので飾り程度になる。究極の「一貫性」が見つからなければ、他の「一貫性」を積み上げて認知されていても、なにかの中程度のミスで簡単に信頼が失墜してしまう。究極の「一貫性」さえあれば、中程度のミスでは信用・信頼が揺るがない。この大小の「一貫性」を守る方向にすべてを選択すれば、あなたは迷わなくなる。基本的には先輩に従うのは大前提ではあるが、得意分野は一貫していることが重要なのである。才能は得意分野を突き詰めた向こう側にある。少々得意な程度のものは才能とは関係がない。ひとつ、おまけを付け加えるなら、「集中力がある」「根気がある」「ユーモアがある」「器用である」といった、汎用性のある能動的な性格特性を前面に出し一貫性をもたせると、おもしろいように評価が上がる。「温和である」「健康である」「堅実である」といった受動的な性格特性はよいことではあるが、あまり評価には貢献しない。もちろん「頑固である」「静かである」などはマイナスにもなり得る。次回から、評価に貢献するコミュニケーション・マナーについて書き始めよう。