私たちの感覚器官には、目、耳、鼻、舌、皮膚等があります。

それぞれ視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚を担当しています。例えば、目はどんな役目をしているのでしょうか。

しかし今日は違った角度からこの感覚器をみてみましよう。それは感覚器と脳の関係と言った方がよいでしょう。

 

私たちは「目」は見るためのものと位置付けています。

つまりそれは「see」です。その他の表現としては、「look」「watch」等があります。

日本語では「見る」です。つまり私たちは「目は何かを見ている」と表現できます。

 

しかし、ある能力を持った人たちの感覚器の使い方は異なっているのです。

その大きな違いは脳との密接な関係です。前頭葉との関係と言った方がよいのかもしれません。

 

その人たちの(目)の使い方は、

seek ➡ (see) ➡ feel ➡ image

ということになります。

ある目的を持って見て、そして感じて、さらに想像する のです。

つまり私たちの単なる「見る」とは大きく異なるのです。

さらに、その人たちは、image(想像) ➡ create(創造) と発展させているのです。

これは実に驚くべきことなのです。

 

では、「耳」の場合はどうでしょう。

私たちの耳は「hear」、つまり聞くというのが主な目的です。

しかし、ある能力を持った人たちの耳は、

listen to ears ➡ (hear) ➡ feel ➡ image

という流れになっているのです。

意識してそのようになっているのではありません。

「聞く」と言う概念から異なっているのです。

 

➡ feel(感じる) ➡ image(想像) ➡ create(創造)

は、脳の反応プロセスでもあるのです。

 

同様に、「臭覚:smell」も、「触覚:tactile sense」も、

「味覚:gustatory sense」同じようなプロセスを経過することになります。

 

でも何が異なるのでしょうか。

その大きな違いは、「情報量」です。

ある能力を持った人たちは、数十倍から数百倍の情報を処理していることになります。

 

 

イスラエルは、特にこの感覚器に関連する技術が高く、優れていると言われています。

スタートアップ企業も多く、著名な企業の研究開発拠点もイスラエルに数多く存在しています。

自動運転に利用されるカメラや処理技術は、そのほとんどがイスラエルからのものです。

 

彼らは30年ほど前から日本の道路環境に着目して日本の自動車メーカーに車窓カメラを提供していたのです。

そしてカメラの膨大な映像を持ち帰って、地道な解析や分析等の研究を行ってきたのです。

その結果が、自動運転に利用されるカメラ技術の独占に近い状態を作り上げたのでした。

 

日本がこの30年間に失ったものは大きく致命的なものばかりでした。

平成元年には経済技術大国として君臨するほどの力を持っていたのですが、この間の劣化は大きく、目も当てられない状態なのです。

このような状態をマスコミは一切報道しないため、国民はグローバル社会での日本の悲惨な状況を知りません。

「海外に出て行かないとわからない」という状況になっているのです。

 

いつのまにか、中国に抜かれ、更にインドにも抜かれることになるでしょう。

その大きな原因は、教育に対する投資と考えることができます。

戦後74年近く戦禍に見舞われていないという状況も、国民を安堵させていることになるのかもしれません。

問題の多くは、国民が狭い範囲の情報しか認識していないということです。

 

「日本人は、自分のことしか考えていない」ともいわれているのです。

 

さてどうしたら、日本人は目が覚めるのでしょうか。

目が覚めても深刻な自体を認識できない恐れもあります。

 

それくらい日本の状況は深刻なのです。