Tは酔うといつも自分の不運を声高に語る。
だからTの、そんな話を金輪際聞きたくなかった俺は、こないだの飲み会のとき、奴に「お守りだよ」と、自らの腕にはめていたブレスレットをくれてやった。数珠ブレスレット。
こんなものしたって俺の不運は変わらない・・・と言いながらも、早速Tは腕にはめた。
「これで流れが変わるなら、誰だってブレスレットを買うッスよ」
俺はちょっとでもいいから感謝の言葉を聞きたかったのだが、Tの気持ち的に、そこまでの余裕が無かったのだろう。だから注釈した。
「俺が作ったんだぜ」
え?Uさんが作ったの?マジすげえ!これマジすげえ!Tは俺が気の毒がって、どこぞで気軽に買ったブレスレットをくれたと思ったらしいが、まさか作ったなんて、と、先ほどまでのニヒルな雰囲気から一転、目を真ん丸くして感激した。
俺もそろそろ、このクセをやめなきゃいけないな、愚痴とか後ろ向きな態度とかが嫌だから、という理由でブレスレットをプレゼントし続けてきたが、会う人会う人皆にプレゼントしなければいけない憂き目に遭う。そんなことしてたら俺の小遣いが全部ぶっとんでしまう。
いったい今まで、いくつの「ブレスレットという名の徳」を捧げてきたことか。それで俺がこうして愚痴っているのだから世話がない。
これは徳を積んでいるうちに入るのだろうか。
海岸沿いの村の道は珊瑚由来の白い土で、乾いていた。多孔質のカルシウムが、天然の、巨大な乾燥剤として機能しているから、海辺の村は、バリ島山間の村に比べると、あっけらかんとした雰囲気で乾いている。
乾いているので、レンタルしたスズキ・カタナでむやみに激走すると、後塵が白く舞い、さながら煙幕でも張っているかの様だ。
カタナ・・・と聞くと、スズキGSX刀というバイクを想像するがそうではなく、インドネシアでは四駆のジムニーをカタナという名称で販売している。つまりまあ、日本を連想させる様な名称であれば、何でも良かったのだろう。
スズキ・サムライでも良かった。
スズキ・ゲイシャでも良かったし、スズキ・スシでも良かった。
スズキ・スキヤキでも良かったし、スズキ・テンプラでも良かったし、スズキ・シャブシャブでも良かった。
スズキ・タナカでも良かったし、スズキ・カトウでも良かったし、スズキ・ホンダでも良かったし、スズキ・スズキでも良かったに違いない。
良かったかもしれないが、それがたまたまカタナだったのだ。
どうでもいいが、俺は道に迷っていた。道に迷う理由はひとつ。地図を持っていないのだ。
地図を頼りに進むのは効率がいい。だが、地図があるせいで、出逢えたかも知れない素敵な事件に遭遇するチャンスを失うのが嫌だった。
だから地図を持たない。それは、物心ついたころから続く、俺の流儀だ。
椰子の林を抜け、読めない文字の書いてあるゲートをくぐり、俺の一本道はどんどん細くなっていった。
ついに、バイクが一台、ようやく通行できるくらいにまで細くなったころ、これ以上先に進むことが出来ないことを悟り、椰子林の合間に野生のバナナが見えはじめたあたりでイグニションをオフにした。
風が渡り、椰子の葉を揺らすパラパラという音が、いつまでも響いていた。
助手席にほったらかしにしていたグダン・ガラムの赤い箱を掴み、太巻きのタバコを取り出した。
愛用のデュポンで火をつけると、含まれている丁子のパチパチという音と、椰子の葉のパラパラが重なった。
・・・パチパチ、パラパラ。
・・・パチパチ、パラパラ。キイキイ。
・・・パチパチ、パラパラ、キイキイキイ。
キイキイ?
ルームミラーを見ると、筋骨逞しい老人が・・・この筋肉の盛り上がり方を見ると、多分地元の漁師なのだろう、自転車に乗って一目散でこちらに向かってくる。
ハンドルを握る反対側の手には、長い竹ざおを持って。
老人は俺の座っている運転席の横まで来ると、自転車をそこらへうっちゃり、何か言うより先に、その手に持つ竹ざおで、俺のカタナの側面をバンバン打ち始めた。
バンバン!
バンバンバン!
バンバンバンバン!
「アパ?」
意味が解らず声を掛けると、老人は俺の解らない言葉で・・・たぶんバリ語だと思うのだが、怒りに満ちた何事かを、かすれた声でまくし立てた。
彼が怒っている理由が解らず、知る限りのインドネシア語で対応したが、全く聞く耳持たず、彼は俺の車を打ち続けた。
「マアフ!マアフ!サヤ ミンタ トロン!」
その顛末を、遠巻きに見ていたのだろう、地元のお母さんたちがわらわらと集まってきて、その中の英語の出来る人が、親切にもおじいさんの言葉を翻訳して教えてくれた。
おじいさんは、せっかく洗った洗濯物を、あんたの車が巻き上げた埃で台無しにされたのを怒っているみたいよ、と。
畏敬の念を持って相手に接することは、人間の高貴な部分だと思う。
ことわざにある「郷に入れば郷に従え」とは、未知に対する畏敬の念だ。
気持ちがいいから・・・とか、非日常を楽しみたい・・・など、とかく旅先では忘れがちになってしまう。だが、本当はいつもの生活エリアでよりも、見知らぬ旅先でこそ、より紳士であるべきだった。
おじいさんはひとしきり車を打つと、転がしておいた自転車を引き起こし、赤っぽい大量のつばを吐いた。自転車に乗ろうと思ったら、チェーンが外れていたので、無表情のまま、それを直し、自転車油のこびりついた手を、白い乾いた土になすりつけなすりつけ、油っぽさが消えるまでなすりつけて、最後に手をパンパンとはらった。
修理が終わると、無表情にちらと俺を見て、言うべきことは全て言ったとばかり、振り返りもせず来た道を戻っていった。
気が済んだのだろう。
車を降りて打たれたところを見ると、べっこんべっこんにへこんでいた。
いざ一人になって、日々の些事にも惑わされない空白の時間を味わっている時に、期せず思い出す人がいる。それはたぶん、俺にとってその人が必要だからだ。
マデ・テキーラがそうだ。
大袈裟に言えば、いつも心にマデ・テキーラがいる。
こんな時に日頃の無関心で、小学生の何年生は平均的身長が何センチと言えるだけの知識が無いのが残念だが、小人症の彼はどこからどう見ても小学生くらいの子供にしか見えない。尚且つ、大抵の小人症の人は、体は小さいが顔は大人で、話す声だって大人の声なのに対し、マデは全てのサイズが子供のままで、声までが甲高い子供のままで、小人症の大人というより、どこかで成長するのを放棄してしまった、例えるなら「ブリキの太鼓」の男の子の様な神掛かった存在に見えるのだ。年齢は俺の3つくらい下だったので、もう結構なオジサンの筈である。
初めてマデに出会ったのは、バリ島の兄弟、俺の片割れと言って過言でない友人コミンと出会ったのと同じ頃、今から20年ちょっと前になる。コミンの兄が経営するポコ・ロコというメキシコ料理店のスタッフとして、彼はテキーラのミニバーを担当していた。巨大なソンブレロをかぶり、肩からお弁当売りの様に台を下げ、その上にショットグラスを並べて各テーブルを回る。ニコニコしながら元気な声で「ミニバー!」と売りつけられると、その風貌のかわいさに客はついテキーラのショットグラスを買ってしまう。ソンブレロに足が生えてちょこまかと動いている様なファニーな彼は、ポコ・ロコのスターだった。
ある朝、行きつけのレストランで朝食を食っていると、マデが特注の小さなバイクでやってくるのが見えた。マデも俺が分かったらしく、レストランの前でバイクを停め、スラマッパギー!と元気いっぱいの挨拶をした。
「ニシムラー!朝ご飯美味しい?」
彼はヘルメットを脱ぎ、もの凄くニコニコしながら俺のテーブルにやってきた。
「美味しいよ。バリの食べ物は何でも美味しい」
隣の席に座った彼のもとにウエイターがやって来たが、マデは「話すだけ」と断った。「ニシムラー、ボクは今日はポコ・ロコを休むから、今夜は会えないけど、ごめんね」
「それが言いたくて来たの?」
「そう」
「なんで休むのさ?」
「デイオフだから」
ならば一緒に遊ばないか?と誘うと、彼は若干申し訳無さそうに「これから魚を釣りに行くんだ」と答えた。
そうか、残念だな。マデと遊びたかったよ。
「そう?今日はダメだけど、あしたなら大丈夫だよ」
「連休?」
「うん」
「明日、何かして遊ばないか?」
「じゃあさ!じゃあさ!バードパークに行こう!」
かつてマデをからかって、結果としてマデを怒らせてしまった事がある親しい友人から聞いた。マデは嘘が大嫌いで、その友人は些細な冗談が災いし、一ヶ月もの間、口を聞いてもらえなかった。世間擦れした大人なら、ちょっとした嘘などはセ・ラ・ヴィと受け流すのだろうけれど、マデは違う。些細であっても嘘が許せないのは、きっと魂が清いからだと思う。マデの前では本当の事しか言ってはいけない。そして、言った事は責任をもって実行しなければダメなのだ。
バードパークに行く前に、どうしてもブサキ寺院に詣でたかった。彼は「気にするな、どうせ時間はたくさんある」と快諾してくれた。
「昨日、魚釣れた?」
「ううん、釣れなかった」
「一匹も?」
「子供の魚が何匹か釣れたけど、かわいそうだからリリースしたよ」
だから晩御飯のおかずが無くて、おなかが空いたよ、と、おなかが空いたゼスチャーをしながら、助手席から俺を見上げた。
夢の様な光景だろうな、浜辺でマデが竿を振っている姿、小さなマデが水平線に向かって佇んでいる様を想像した。
「おなか空いたなら、ご飯でも食べようか」
「賛成!」
通りッ傍にあるレストランに入って、5000ルピアのナシチャンプルを注文した。マデは小さいから半分しか食べられなかった。
ブサキ寺院の参道に、鳥を売る商売人が居た。マデはその鳥に夢中になって動かなくなった。挙句の果てに「鳥買って」と言う始末。
「どうしても欲しい?」
「うん、欲しい」
お金なら後で払うから、鳥買って。
ブサキの帰り道、俺の車の後部座席は鳥のフンだらけになった。
バードパークに到着すると、彼はとてもはしゃいで、まるでさかなくんみたいに各ゲージの前で俺に鳥の説明をした。バードパークのスタッフから声を掛けられる様子を見ていると、たぶんマデはバードパークの常連なのだ。
次の年、久しぶりにマデに会い「ブサキで買った鳥は元気?」と聞いたら
「死んじゃった」
と、何でもない事の様に、無邪気な笑顔で答えた。
ウツボカズラは、ただ黙って虫が来るのを待っている。食虫植物の中でもとりわけ植物らしい植物だ。
例えばハエトリグサやモウセンゴケは自ら動いて捕食する。その動作は植物といえども、どことなく動物の様だ。
動く、ということは、対比速度が出るわけで、これは動物の食物連鎖の重要な要素であり、速ければ速いほど連鎖の頂点に近くなる。
一瞬のスピード、未体験のパワー、これはもう逃れる事は難しい。
だが、ウツボカズラは動かない。
普通の植物と何ら変わるところが無い。
だから、近付かなければ危うい思いをせずに済む。
大抵の虫たちはウツボカズラが危険な代物である事ぐらい分かっていそうなもんだ、とは思わないか。あそこに近づいちゃいけないよ、あの穴に落ちて生きて出てこれた者は居ないんだ。太古の昔から自分達の身を危うくする存在なのだから、DNAに刻まれた記憶としてその場に近寄らない習性が残っていてもいい。 それでも虫たちは自ら進んでウツボカズラの胃袋に落下する歴史をやめない。 いつまでも自発的にウツボカズラの餌食になり続けている。
何故だろう。
俺は専門家じゃないから分からないが、イメージとしてはなんとなくこうじゃないかな。 つまり、食虫植物の類は、虫たちにとってとても魅力的な存在なのだ。
うっとりする様な良い香りがしたり、惚れ惚れする美しいフォルムをしていたり。
何か「人生を懸けても構わない」「これで死ねたら本望だ」と思わせる有意義な意味を、食虫植物は持っているのだ。
そうでもなければ虫たちが恐ろしい悪魔に近づく理由は無い。
往々にして恐ろしい存在には対象をとりこにする不思議な魅力が備わっている。
人はどうだろう。
自分を素敵に変えてくれる何かを見出し、それを追求することが自分の運命だったり存在理由だったりするのだと、どこかで思い込んでいやしないか。
自分は今、幸せだと思っていないから、幸せにしてくれる何かを見出し、それに向かって突き進む。
行き着く先に幸せがあればいいが、それじゃあ幸せとは何だろう。
分かっているから追いかけるのだろう、と思いきや、大抵の人は「幸せの正体」なんて知らない。
漠然としたテーマで時間という原稿用紙に何百枚もの甘美な文字を羅列するけど、その先には思いも寄らぬ結末が待っていたりする。
物語の世界でも現実の世界でも、何がドラマを作り上げるのかといえば「盲信」である。
たった一度の偶然が、あたかも必然であったかのように感じさせる。
盲信が作り上げる陶酔感、多幸感、躍動感などのマーブル模様の心は、どこかしら神秘的で居心地がいい。
それと共に人生を歩んでも構わない、とすら思う。
そのドラマの先にウツボカズラの胃袋が無ければいいのだが。
生きていくうえでは、大なり小なり、何かしらの障害がある。
それらを障害として残しっぱなしにするのではなく、気付きのきっかけにすることが大切だ。
つまり、障害は、より良い未来への扉を開ける鍵なのだ。
日々考えることはたくさんある。考えることがたくさんある、ということは、行動すべきことがたくさんある、ということではなかろうか。
我等は、つい考えるのを、あるいは行動するのをサボりがちで、道半ばで立ち止まってしまう。
悪しき性癖を克服し、行うべきは「ただちに行う」を心掛けることが大切なのだ。
妻が朝5時半からミルクを作っている。ミルク、つまりこれは、赤ん坊の飲む、一般的によく知られた「粉ミルク」である。息子は朝起きると「ミルクを飲ませろ」とばかりぎゃあぎゃあわめくのだ。
朝っぱらから大声で泣かれては近所迷惑と、妻はものすごいスピードでミルクを作る。
彼の人生は既に1歳を超え、上下に歯が生えて、食事だって大人と同じものを食べるまでになったはずのに、朝一番のミルクがなければ一日が始まらないらしい。
さっきまで大粒の涙を流しながら「ミルクを作ってくれろ」と大声で訴えていた幼い息子は、ミルクを手渡されるや今までの嗚咽を嘘のように引っ込め、一気にミルクを飲む。
一気に、というなら、ほんとうにひと息もつかず全て飲んでしまう。
飲んでしまえば、大人しくなる。
これを我々大人が「幼子の愚かな行い」と、簡単に笑えるだろうか。誰しも少しは覚えがあるだろうけれど、そもそも人間という生き物は、習慣からは逃れられない性質を、死ぬまで持ち続ける生物なのだ。
彼の幼い人生には、ミルクという習慣があった。それだけのことである。
どこかで思い切った破壊活動がなければ、我々は習慣に縛られて生きるしかない。
いずれ息子は朝の粉ミルクをやめる時が来るだろう。何がきっかけかは分からない。たぶん、味わいの趣味が変わった、とか、ミルクを飲むことを友達に笑われた、とか。
我々にも彼と同様、いずれやめるだろうものが、厄介なものが、まだどこかに息衝いているはずだ。誰かに、我々の望む粉ミルクを、いまだに作ってもらっているのかも分からない。誰かに、それを指摘されるまで、指摘によってそれを放棄する時まで、我々のミルクは泰然とそこにある。



